ゴーラ演義 ナーハン離宮の段 3
ヨルマ帝、ミクラゴルドを下がる、の段
夜の上陸はうまく行った。
すでに先遣部隊が在り、灯明信号で浜を知らせてきたからだ。
問題はアナン半島の西側にうまくたどり着くまでだった。悪天候での航海で、船団はいちども天測を行えなかった。どこに在るのかはっきりわからないままただ北へと進んでいただけだ。そのうち幾度も泥水に行きあたり、その規模が大きいのがよくわかった。
やがて北岸、ほんとうのゴーラを前にして、ようやく地形図で位置を確かめられたのだ。進路をそれほどはずれていない、と船長は言った。運が良かったとも。そこからは帆を折りたたみ、櫂で進むことになっていた。やや東へ向けて。そこにアナン半島が見えてくるはずだった。
アナン半島は低い丘が緩やかにゴーラ湾に張り出した形で、それほど明確な目標ではない。またゴーラの海岸はすぐ後ろに防風林の松林をもっていてどこも似た風に見える。背後の丘や山のほうが目印になりやすい。そしてゴーラ人は海図によくそれを書き込んでいる。いま船にある海図もゴーラで作られた刷り物だ。目の玉が飛び出るほど高いのだそうで、すなわちゴーラでは熟練の船長や船員が重宝される。海図以上に海を知っているからだ。それでも軍用船に要るとなればいくらでも買ってくるのが帝國でもある。
日が傾く前に、アナン半島の沖合にたどりついていた。半島、というにはおこがましいほどわずかな膨らみだった。娘っ子のちちくび、というやつですよ、とふいに船長が言う。船乗りの言葉で、そういった緩やかで夜には判然としない半島の先に作られる灯明のことだった。どこだかはっきりしないくせに、ぶつかったらえらいことになる、と。船団はその乳までは行かない。夜まで西側でしずかに待つ。錨をおろして。
ゴーラ湾も北へ行くと急に水深が深くなるのだという。河口も海と見分けがつかないくらい深いとも。そのあたりでは冬も厳しく、氷河という氷の塊が夏でも残っているのだと。ただこのあたりは南岸とほとんど変わらないという。海の底は砂利で錨もよく効くと。船団の七隻はあえてばらばらに待った。このあたりでは泥水はほどんど見かけない。船長がいうには西のミクラ河からではないかという。ミクラゴルドを中流に持つ大河だ。帝國で言えばゴーラ湾に注ぐヴィルミヘ河のような。やはり情報にあった洪水だろうか。
やがて日は傾き、落ちてゆく。乳には灯明がある。ゴーラの民が賦役で焚くものだという。船団はゆっくりとその西側、半島の付け根へと漕ぎ進んでゆく。船足は遅いままだ。船員は頻繁に水深をはかっている。錘つきの紐を投げ込んでは、何尋と報じる。
「前方、灯明」
「錨おとせー、漕ぎやめー」
船長の命じる声に櫂が引き上げられ、水音を立てて錨が投げ込まれる。この越波号の上陸は最後だ。マルクスもへさきの方を見る。闇の中で浜は判然としない。ただ灯明が瞬いているのはわかる。遮ったり開いたり、その調子は灯明信号のままだ。ここ、ここ、と繰り返している。やがてそれは止まり、遮られることのない灯明だけが揺れている。
水面にも灯明が現れた。アウレイの乗る黒鳥号からだ。上陸準備成せ、と。まずは青鷺号と白山号だ。二隻とも驃騎兵を載せている。まずは驃騎兵が海浜を確保する。次がアウレイの乗る黒鳥号、六号計画機を載せた三隻が続いて、最後がマルクス等の越波号になる。
揚陸は順調らしい。わずかな灯明で、二本の帆柱を使って機装甲を釣り上げている。頑丈な北方船とはいえ、機装甲が手荒く踏めば船底を破りかねない。だから帆柱に補強柱をつっかえて、釣り上げるのが揚陸と搭載のやりかただった。あまり動かすとこんどは船が転覆してしまう。船べりからそっと足をおろして海に入る。そういった動きも、ゴーラ兵はよく慣れているのだが、やはり帝國兵では見劣りがする。海の民が行うことを、陸の兵に行わせて同じくやれというのが難しいのだが。
三機目の六号計画機が海に足をひたし、ようやくマルクスも息をつく。往路の難事がようやく山を越えた。残るはこの越波号だけだ。そして船は、ぞんざいに浜へと乗り上げた。
マルクスは己の背嚢を持とうとして、失礼します、という声に遮られ手を引いた。そういえば今回は従兵を借りられているのだった。いつもは飛び回る鑓の機神についてくることができず、公爵家の工部らと一緒にいるらしいとしか知らない。今回は、従兵というより護衛だった。背が高く、横幅もある、ごつい男だがひとなつこい目をした獣人の従士長だった。マレンガと言った。南方辺境の出身だという。
「ああ、頼む」
そう言ってマルクスは、剣と杖を革帯へたばさんで舳先へと向かう。舳先から浜へと渡された板を踏んで降りる。船長もまた続いた。マルクスは今は参謀で、直接の指揮関係をもっていない。ただ指導するだけだ。灯明のところには、すでに作戦部隊幹部が集まっていた。
「全員、あつまったな」
アウレイではなくバルコフ騎士隊長が言う。
「各船組の状況報告を」
順調な行程だった。機材にも積荷にも影響は何もない。漕ぎ手と驃騎兵を含む兵員にも消耗は無い。ただ先遣部隊長だけは言う。
「これまでと様子が違います」と。
「この数日、アナン砦から頻繁に早馬組が出入りしています」
「組、なのか?」
アウレイが問い、先遣隊長はそうです、と応じる。妙な話だった。いくさでもなければ早馬など一騎駆けで良い。わざわざ組を仕立てることなど無い。アウレイはさらに問う。
「こちらを捜索している可能性は」
「ありません。早馬組は道をミクラゴルド方向へ急いでいます」
「捕虜は取れなかったか」
マルクスは問う。皆は軽くざわめく。また参謀がむちゃを言う、と。
「組ですから、今の我々先遣隊では無理です」
「わかった」
「とにかく、こちらの準備を進めよう、バルコフ隊長」
「うむ」
バルコフ作戦隊長は鷹揚に頷いてみせる。複雑なところは参謀が良きにはからうが良い、というように。普段は顎で指導されている側だが、今回は違う。試験隊がその任務を果たせるように働くのが二人もいる参謀の仕事だろうというように。
「計画通りに行う」
アウレイが構わず言った。
「船組は半舷上陸。上陸班は警戒配置につけ。驃騎兵は一個分隊は上陸堡に待機。船組上陸班とともに警戒配置。もう一個分隊は偵察前進。先遣は我々二人を前進偵察位置へと誘導。試験隊は待機。今後、指揮下の兵員の確認を怠るな。一人も残さず連れ帰る」
「うむ」
バルコフ隊長は頷き、その他の面々は了解と応じる。
アウレイは、生き生きとして見えた。黒騎士は規定としては上騎以上、実際には騎士長以上が普通だった。実戦経験は十分にある。しかもアウレイは小隊長各でしかも旧の大隊では先任小隊長だったはずだ。選りすぐりというわけだ。黒騎士は直接の上長に戦術的提言をするよう求められてもいる。それにアウレイくらいの能力なら国境での不正規作戦を何度行っていてもおかしくはない。上層部を相手に書類を作っているより、この作戦のほうがずっと馴染みが良いだろう。
先遣隊長に続いて夜を歩く。アウレイと護衛兼任の従兵に続いてマルクスも行く。ついてくるマルクスの従兵マレンガは、大きな体に似合わず足音も静かだった。ろくに話す暇もなく、ただ決められた通りにつれてきてしまったが、足を引っ張られることはなさそうだ。マルクスの方には護衛が居たほうが気が楽ではあるし。
先遣隊長が案内したのは、防風林を抜けたアナン半島の丘の中程のある茂みだった。半島の丘は一哩ほどゆるやかに登って低い頂となり、またゆるやかに下ってゆく。ただ東側のほうがすこし高い。頂からさらに一哩半ほど行くと、アナン砦になるはずだ。
砦の灯明は遠く、伺えた。高い壁が橙色に染まって見える。帝國のような対砲の堡塁には作り変えられていない。むしろ中のものを海からの風から守るために城壁を立てている。砦の前には村といっていい程度の家が並んでいる。砦があれば物売りも集まる。そういうことだ。
砦の中の機装甲が十五体程度、稼働率はわかっていない。先遣隊の監視では三日に一度ほど、機体を場外に出しての稼働訓練を行っているらしい。城将機も必ずとは言わないが姿を見せるという。砦の規模からすると、その三倍ほど機装甲を収容できると見られている。やはり戦争に派遣されなくても、他所の消耗補充のために移されているのだろう。もちろん機卒も見かけられている。機数は不明。ただし六号計画機の敵ではない。場末といっていい砦に、それほど機装甲があるのは離宮を見据えてのことだろうか。
「こちらが陽動をかければ城将は出てくるな」
アウレイの問いに先遣隊長は応じる。
「おそらく」
「早馬が組みで出ているなら、道に罠だな。道の交通状況は」
「砦からの道は、二哩ほど行くと離宮からミクラゴルドに繋がる街道に接します。いずれも交通量は少なく、付近在住のものが使う程度です」
「それらごと捕虜にする。砦道を目立たぬように閉塞し、銃撃だな」
「この地形ですから、銃声はかなり届きます」
「かまわん。捕虜も陽動の一部だ。次席、何か提言は」
「砦と離宮の間で何らかの連絡はあるか」
「確認はできません」
「わかった。先任の計画が良いと思います。我々の知らない動きがある以上、早めに結果を出したいところです。砦への突入を含めて」
「考えておく。先遣隊はここを維持。先遣隊長、一緒に降りて待ち伏せ位置を決める」
マルクスの後ろで何かごそごそしていたマレンガは、ほらよ、と一声かけて先遣隊員に何か投げる。闇の中で受け取った先遣隊員はその巾着袋を開く。
「わりいな」
「なあに気にするな」
兵隊の仁義という奴だ。先遣だの偵察だのという連中は休む間も無い。騎兵もそうだが、時には水を汲む暇もない。マレンガは水筒の水も分け与えてやり、その間にマルクスはアウレイとともに立ち上がる。朝までにできれば物事を決めておきたい。夜のうちに準備を進めておけば、おそらく明日の明け方いちばんの早馬を罠にかけられるだろう。
そういうマルクスを見て、兵隊たちは勢いばかり良い参謀殿と言うのだろう。実際、決めるのは良いにしても夜通し灯りも無く作業させられるのは士卒のほうなのだから。
そうして、防風林の背後に作られた道に、針金の罠を張ることとした。走る馬から見えづらく、かかれば胴でもすっぱりと切れる。首を断ち切ったという話を聞いたこともある。組で走るなら、先をゆく数人が傷ついたところで銃撃をすれば全員を捉えられるだろう。
早馬の捕虜に関わらず、陽動作戦は計画通りに進められることになっていた。どこでも良いが、思わせぶりに火を焚いて煙を起こし、目印のようにする。火事か海賊かとなればアナン砦から守兵が出てくるのは間違いない。それを撃ち倒して追い返せば、次は機装甲というわけだ。機装甲が帰還しなければ、次は城将直率になる。砦に立てこもったところで、彼らにはそれ以上の先は無い。六号計画機には、強力な魔導火力がある。応援などいつ来るかどころか、砦に何があったか知るものすらいない。それが場末の砦というものだ。
先行きを決めてしまえば、行うのは士卒となる。マルクスだって平騎士のときにはただ命令を待っていたのだ。指導する側にならなければわからないこともあるだけだ。従兵のマレンガはすでに卒用天幕を張っていてくれていた。まったく大柄ながら気の良い世話小母のようだ。とりあえず礼だけは言って、マルクスは髪紐をほどいた。簡易寝台で毛布にくるまる。
「・・・・・・」
気づいた時は、あたりが騒がしかった。天幕の入口が手荒く開かれる。
「参謀殿、銃声だ。おそらく待ち伏せ班」
「なら予定通りだろう」
マレンガにそう応じて、マルクスはあくびを噛み殺す。顔を上げてマルクスは問い返す。
「どうした」
「どうなさいます」
「とりあえず起きる」
胸の隠しに入れたいた髪紐を引っ張り出して、いつものように髪を結う。まあ、くしけずってというわけにはゆかないが。
「・・・・・・どうした」
「いや、なんだか色っぺえですな」
「馬鹿なことを」
天幕の入口を開いたままのマレンガの脇を通って、卒用天幕から這い出す。まだ空は暗い。早馬が出るには早すぎる。砦のほうでよほど急ぎの要件が生まれたならともかく。
「参謀殿」
マレンガが絞った拭い布を手渡してくる。まったくよく気が利く男だった。それで顔を拭いながら、ふと気づいた。
早馬は、出るだけではない。戻ってきたのかもしれない。
「アウレイ先任は」
「あちらです」
彼も起き出してきたばかりらしい。ようやく立ち上がって頭を振っている。マルクスは杖を手にし、マレンガには剣をもってくれと言って、アウレイ先任へと歩み寄る。アウレイは言う。
「早すぎると思わんか」
「戻りかもしれん」
「夜通しでか」
言って頭を振ったアウレイは、ここでこうしていても始まらんと唸った。確認する、と。
防風林の松の木々を抜けると砦からの道の、罠の場となる。松の木から、機装甲用の針金を道の向かいに渡し、杭を打って固縛した罠だ。気付かずに突っ込めば首でも切れるほどの効果がある。すでに遺体は並べられている。いくつかには首が無い。暗くて首を探すのは無理だったのだろう。
「灯明を」
遮光板を下げた灯明が差し出される。アウレイはさらに言う。
「所持品は調べたか」
「これを」
差し出される革の図嚢を開き、アウレイは図嚢を無造作に捨てる。二通の手紙らしいものがあった。封はすでに切られていた。ひそめる眉の影をつくりながら、アウレイはかがんでそれを読み始める。
「かねてより進めおりしことがら、此度不時にて大きく進みけり。そなたが役割、旧のまま。わするるべからず。余も忘れることなし。正しき花は水に流れ、忘れらるる。偽りの花、踏みにじられて消えれば思い出すもの無し。ただ我らのみ知ることなり。余も忘れることなし。・・・・・・署名は無い」
「指示書ではあるようだな。もう一枚は」
「ウマラの花、落ちず、河に流れず。下に流れる」
「それだけか」
「ああ」
憮然とアウレイは応える。マルクスは言う。
「・・・・・・ウマラの花、野薔薇だ。薔薇の接ぎ木になる」
「秘匿名だろう。何を示す」
「土地、物品、違うな。人を示しているのか」
観相は、とマルクスは問う。しかし、アウレイはかぶりを振る。物相は霊相の対相ではあるが、霊相のように自ら訴えかけてくるものを読み取ることはできない。与えられた形を観ることならできるにしても。
「参謀殿、こちらへ」
呼び声にアウレイは立ち上がる。士卒が自らの灯明で照らすのは、遺体の一つだった。
「こいつ、服装が一人違います」
「何だと」
彼らは帝國軍のように統一された階級章を身につけたりはしない。ただゴーラ様式で自らの地位にふさわしいものを身につける。外部の者には判りかねるが、ゴーラの内部にあれば、似たような地位の軽重もよく分かるのだという。今の場合はそこまでわからずともよい。騎兵、護衛らとは明らかに違う上の服装を纏う死体がそこにある。
「こいつが城将か」
絞り出すようにアウレイは言う。
「荷物を調べろ。身元を明らかにするんだ」
「早馬組ではなく、城将と護衛だったか」
マルクスもうなる。状況が読めない。
「城将をして自ら報せを取るほどの相手、か。一族、一門、いやゴーラに一門は無い。代わりに紐帯閥だったか、幇か。だが砦を放って行くとは思えん。ウマラの花、落ちず、河に流れず。下に流れる」
「河とは、下とは。何だ」
苛立たしげにアウレイは問う。マルクスも頭を振る。
「下々、都落ちか?」
「都とは、ミクラゴルドか」
「河に流れず、下に流れる」
言わねばならないのはマルクスの役目だった。
「ヨルマ帝か」
「・・・・・・馬鹿な。根拠は無い」
「ああ。無理な解釈を重ねても意味がない。どうする、先任。作戦を中止するか」
「中止の根拠もまだ無い。城将が死んだだけだ。我々の狙いは試し切り。陽動で機体が出てくればよい。砦には代将格がいるはず」
アウレイの言う通りだった。彼は続ける。
「我々は城将が死んだことを利用すればいい。代将がどう動くかだ。そこを考えろ」
「平時と同じだ。狼煙が上がれば、何者かを送って調査する」
「では計画通りだ」
「・・・・・・」
「意見があるなら言え」
「アナン砦がほぼ孤立していることがこの作戦の前提だ。だが城将は中央と何らかの連絡を取ろうとした。道沿い、我々の背後への警戒が要る」
「黒鳥号を使う。沿岸から警戒させる。我々の戦力に余裕は無い」
そして言う。
「手紙を」
わかっていた。だからマルクスは手紙をアウレイへと手渡す。彼は迷わなかった。二つに、四つに、八つにさらにちぎって撒き散らす。
「この場で廃棄する」
「問題ない。作戦の痕跡はすべて隠滅する」
「手紙を重視しすぎるな、次席」
「わかっている。目的は試し切りを問題なく済ませて、無事に帰還することだ」
その通りだ、と言ってアウレイは士卒へと命じる。死体を始末し、罠を解除しろ、と。予定通りだ。陽動の準備だ、とも。
マルクスは振り返る。まだ闇に包まれた東を。
低くアナンの丘が横たわっているのがようやく見て取れる。その麓を横切る道の先に、アナンの砦がある。それからさらに東に離れて、ナーハンの離宮がある。およそ十哩だっただろうか。かつてゴルムが先の少年帝を幽閉した離宮だ。
「参謀殿?」
マレンガが問う。マルクスはかぶりをふる。
「いや、何でもない。海浜へ戻ろう。
AIにヨルマの花とは何か、と聞いたら、そんなもんは無いが、アヤメ科に〜と嘘をいい始めたので、ノイバラを使った。
最終更新:2024年03月23日 16:33