ダリアのスケッチ その3

 まさかの三日連続更新。というわけで、ダリアとルスカシアの出会い。次はアルボロシアとの出会いか。ここでメインベルに頼るのはよくないと思いつつ、でもケイロニウス一門の姫君(一応)のアルボロシアであるから、メインベルが絡むのは当然の事態ともいえるわけで。つまりはメインベルマジ万能、と。


 教室に入ったダリアは、左肩から右腰に下げていた士官図嚢の吊革を肩から外し、中から教科書と帳面と鉄筆とインク壷を取り出し机の上に並べた。そして制服のポケットから手の平大の懐中時計を取り出し、授業開始五分前であるのを確認すると、時計をしまって姿勢を正して正面の黒板へと視線を向けた。
 教室では、何人かの少女らがそれぞれ親しくなった者同士集まってたわいも無い話でさんざめいていたが、ダリアが入室してくると口を閉じて自分の席へと戻ってゆく。彼女ら二期生が入学してからすでに二週間が経っていたが、その間日々の細々とした雑事に追われつつも、徐々に「学院」での生活に慣れつつあった。
 そうした少女らの間では、ダリアは本人の思惑と外れたところで「すごい人」という評価を獲得しつつあった。
 まず上級生を相手にしてものおじしない。なにしろ同室の先輩どころか、一期生学年代表であるセレニアを相手にしてすら砕けた口調で話しているところを何度も目撃されている。さらには、皆が寄宿舎での生活に右も左も判らずあたふたしている中、まるで事前に何もかも判っていたかのように用具をそろえててきぱきと物事をこなしてゆく。洗濯のせの字も判らぬ貴族の令嬢が大半の中、兵隊歌謡を堂々と口ずさみながら手際よく洗い物をしている姿は、いやがおうでも目立つ。そして、何か行事があったとしても場所が判らず迷うということもなく、必ず五分前には所定の位置について待機している。美しい容姿をした彼女が姿勢を正してたたずんでいる姿は、他の少女らをしておのずから居ずまいを正させる威厳があった。
 もっとも、ダリア本人の自己評価はそんな周囲の目とは全く違ったものであったが。彼女が同室のヒルダレイアやセレニアに対しても砕けた口調になるのは、貴族の令嬢としての丁寧な言葉に不慣れなせいである。ついつい兵隊的な、それも下士官兵卒の言い回しが口に出てしまうことを本人はそれなりに気にはしていた。雑事に慣れているように見えるのも、あくまで皇帝軍士官であった父親に兵隊的な意味での要領を教えられ、諸々用意をしてもらったおかげである。その教えの中に、移動する前には必ず地図で移動経路を確認し、必要な物を用意し、時間に余裕をもって行動するという「急いで待て」という軍隊の流儀があったせいであった。一々時計で時間を確認するのもそのせいである。
 そんな彼女が入室してきたことでそれぞれの席へと戻ってゆく女生徒らの一人が、ダリアに近づいてきて声をかけた。

「ごきげんようダリア様」
「ごきげんよう。……ルスカシア様?」
「はい」

 にこにこと微笑んでいるルスカシアは、茶色の癖っ毛を左右の側頭部でリボンでまとめている可愛らしい娘である。くりくりとよく回る薄紫色の瞳が愛嬌のある少女であった。
 ダリアは、身体ごとルスカシアに向き直るとじっとその瞳を見つめ返した。

「そろそろ授業が始まりますよ」
「はい。それで、お使いの時計は、御父上のものでいらっしゃいますか?」
「ええ。でも、それが何か?」

 いぶかしげに問い返したダリアに、ルスカシアは、くすりと笑って少しあごを引いて上目づかいになって答えた。

「いえ、砲兵用の時計をお使いになっていらっしゃいましたから」
「よく御覧になっていらっしゃいますね」
「だって、ダリア様は目立たれますもの」

 それでは失礼します。
 ルスカシアが自分の席に戻っていくのを、ダリアは視線だけで追い続けていた。


 ダリアは、歌を歌うことが大好きである。だが彼女は現在の「帝國」における声楽の主流である教会音楽が好きではなかった。カタリナ教皇即位より聖楽にも新しい波が訪れており、旧来の旋律と旋律を重ねることで構築される対位法から、和音と和音を重ねる和声法による聖歌が多数作曲されるようになっていた。彼女も当然音楽教師からそうした技法についてしっかりとした教育を受けていたが、少女にとってそれらの音楽は技巧に走りすぎているように思えた。
 彼女がもっぱら好んだのは、元兵士であった家の使用人が口ずさむ兵隊歌や詩吟の方であった。音階などあって無きがごとしの歌ではあるが、その小節を効かせた歌い方は少女の琴線に触れるものがあったのだ。
 時々、無性に声が枯れるまで歌を歌いたくなることがあるダリアは、「学院」に入学してから人気の無い、つまりどれだけ声を上げて歌っても誰にも邪魔をされない場所を探してあちこち歩き回っていた。そして、彼女がようやく見つけたのが、冬場に使う道具をしまっておく倉庫の裏手の林であった。
 放課後、荷物を部屋に置いてから人目につかぬようこっそりと林に移動したダリアは、周囲に人がいない事を確かめてからかかとで調子をとると声を上げて喉を馴らしてから、朗々と歌い始めた。

「肩を落とした 鉄の背中が続く どこまでも果てしなく続く」

 ダリアが歌っているのは、機装甲乗り達が酒を飲むと歌い出す哀歌であった。

「穢れちまった 赤い雨が降り注ぐ 容赦なく俺達にそそぐ」

 機装甲は、軍の決戦兵科としてもてはやされているが、戦場ではあらゆる火器に狙われる格好の的である。極論を言うならば、敵弾を引きつける囮役なのだ。

「肩をあえがせ 爛れた大地を ひたすら踏みしめる」
「「散り行く友に未練など、無いさ俺達は最低野郎」♪」

「誰!?」
「いやー いい声じゃん。すごいよ、本気で惚れそう」
「ルスカシア!?」
「そ。悪いね、お楽しみのところ邪魔して。いやー 我慢できなくなってさー」

 気持ちよく歌っていたところを、突然背中から声を重ねられて驚いたダリアが振り向いた先には、同級生のルスカシアが照れくさそうに笑って立っていた。
 ダリアは、かっと頭に血がのぼったが、怒鳴りつけそうになるのをぐっとこらえてルスカシアをねめつけた。確かにそこに居るのは、昼間話しかけてきた少女に相違ない。だが、身にまとっている雰囲気というべきものが全く違っていた。

「何か御用でしょうか、ルスカシア様」
「おぅおぅ、他人行儀だよー もっとざっくばらんにいこうぜー 同じ兵隊の子同士さー」
「うるせえっ! 人が気持ちよく歌ってんのを邪魔してんじゃねえよ!!」
「よしっ、キターッ」

 しまった。ダリアは、ルスカシアの挑発にのって罵声を飛ばしてしまったことに気がついて、棒でも飲んだかのような表情になった。
 そんな赤毛の少女に対して、茶髪の少女は、両手の拳を握って力いっぱい喜びを表現している。

「ああ、くそっ、だから何の用だよ。言えよ」

 いい加減ヤケクソになったダリアは、ルスカシアを目を細めて睨みつけつつ、ドスの利いた声で質問を重ねた。

「いやさー こっちもいい加減お上品な猫をかぶんのに疲れてさー そうしたらあんたがもう兵隊臭ぷんぷんでさー こう、お近づきになりたいなー って」
「なんだよ、私もご同類ってか。生憎とこの通りの柔腕でね。兵隊になんてとってもらえないから」
「あたしだって似た様なもんだよー 兵隊の婿とらされてさー ちんまい領地を管理して残りの人生過ごすの」
「喰うに困らなくて良い人生だろ。三度三度のパンにありつけるのをありがたく思いな」
「判ってるって。あたしんちはナティシダウス一門の一機衆だからさ。御貸し機とそいつを維持するための領地を賜っているんだよ。でもさ、折角の人生なんだよ、面白おかしく生きてみたいじゃん」

 丸い目をくりくりといたずらっ子めいた様子で動かすルスカシアに、ダリアは、両手を腰にあてて鼻を鳴らしてみせた。

「一門がケツ持ちしてくれて羨ましいね。うちなんざアントニウス候と一緒に決起したくちだから、今でも陰じゃ逆賊呼ばわりだよ。領主権限も無くして、今じゃただの大地主ってだけの名前だけ貴族さ。それでも土地屋敷だけは残ったけどね」
「侯爵様なら立派じゃんかー うちなんか、出征した兄貴は死んじゃったし、借金を山程こさえた貧乏騎士だぜー」
「不幸自慢なら聞かないし、傷の舐めあい仲間なら他を探しな。私は別にそんなの聞きたくないし、そんな仲間も欲しくはないよ」
「おぅおぅ格好いいなぁ! それでこそあたしが見込んだだけはあるぜ。そういうとこに本気で惚れそう」

 握った拳をぶんぶんと上下させて、ルスカシアは、それはもう嬉しそうに笑った。その笑顔は、普段浮かべている媚の混じったものではなく、本気で嬉しそうであり、ダリアは、ほんの少しだけ、こいつはいい奴かも、と思ってしまった。
 そんなダリアの心の動きを読んだのか、ルスカシアは、すすっと近づくと彼女の手をとってぶんぶんと振り回した。

「だからさ、仲良くしてくれると、本気で嬉しい。ダリアって呼んでいいよな、な!」
「一々馴れ馴れしくすんなってばよ」
「えー 駄目? いいじゃんかよー 友達になろうぜー」
「ち、仕方がないな。いいよ、好きに呼びな」
「おう!」

 がっちりとダリアの両手を握ったルスカシアが、それはもう嬉しそうににかっと笑っているのを見て、仕方がないな、と、あきらめることに決めた。そもそもが、ここまで押しの強い相手は初めての出会いである。なんというか、そのまま流されてもいいか、みたいな気持ちも心のどこかにあった。

「あたしのこともルスカシアでいいから!」

 こいつとのつきあいは、きっと長くなる。なんとなくダリアは、そう感じていた。

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最終更新:2012年04月19日 23:19