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数十分後。マイルは輸送ヘリに牽引された『ルドラ』のコックピットに収まり、空の旅の途中にあった。
目下に広がるのは海沿いの丘陵部に広がる広大な射撃演習場だ。点在する観測用のトーチカを除けば遮蔽らしい遮蔽は無く、狙撃機にとっては天国のような環境である。
『急ぎの出発でしたが、大丈夫でしたか?マイルさん。』
「ありがとう、エク。大丈夫、スクランブルもいい加減慣れてきたからね。」
マイルの腕前自体は未だ半人前ではあるが、レメゲトンのエク達の性能も含め、ルドラのスペックはそこそこに高い。ヴェーダが支配する領域の防衛を主な任務としていたため、緊急発進は結構な頻度で行われていた。
《うちの領土に攻めてきたところで何も無いんだけどねぇ。》
通信でぼやくのは、ヴェーダの代表職員であるラハル・ナカジマだ。本人曰く、無理矢理代表にされて研究ができない可哀想なオジサンとの事であるが、その人間性はまさにヴェーダの代表と呼べる程度に破綻している。
「うちの研究成果を奪うとか、そういう目的じゃないんですか?」
マイルはありきたりな線で答えてみるが、ラハルからは「それは無いねぇ」と否定される。
《うちの研究成果ってのは、みんな研究しようとしないだけで、やろうとさえ思えばちょっとのコストで誰でも出来る内容だからねぇ。表立って敵対するリスクを背負ってまで手出しするようなものでもないし、逆に言えば、外聞に負けて研究もできないようなヘタレ共が手に入れたところで、外聞を気にするなら同じく使えないようなモノばっかりなんだよねぇ。》
確かに、と内心苦笑いで納得するマイル。自身の駆るルドラにしても本体は比較的まともだが、そのレメゲトンであるエクは非人道的な所業の産物だ。マイルとしては雇い主であるヴェーダの行いについて思うところがあっても、エク達が彼らのサポートを必要としている以上は大人しく従うつもりでいた。無論、彼女たちに害が及ぶなら何らかの抵抗をするつもりだが、このまま結果を出し続ける限りは下手な手出しはしないと確約を得ている。
《うちから攻めるならデータ収集という立派な大義があるんだけどねぇ。》
「そんな好き勝手してる事への報復なんじゃないんですかね……。」
あまりにも身勝手な物言いに、もはや乾いた笑いしか出ない。
《ともあれ、今回はいつもに増して敵の目的が不明だ。一応リグちゃんも待機はしているけど、くれぐれも慎重に頼むよ。》
何度か経験したこれまでの襲撃は、ヴェーダの保有戦力に対する威力偵察が目的と思しき、マゲイアを用いたささやかなものだった。
だが、今回は少しばかり毛色が違う。
「了解。目標、視認しました。ルドラ、戦闘行動に入ります。」
『テウルギア……!』
最望遠ズームされた視界の中、カーキ色に塗装された鋼鉄の巨人が、破壊した防衛設備の傍らからこちらを見上げていた。
狙撃武器を持たないであろう敵機から十分に離れた位置でヘリから投下され、着地した直後にマイルは通信回線をオープンにする。
「――警告する。貴機はヴェーダの主権領域を侵犯して……」
念のためにとマニュアル通りに行われた警告は、明らかな射程外からの「分かってんだよんなことは」とでも言いたげな威嚇射撃によってあえなく中断させられてしまった。
「……まあ、当然承知の上でここに来てるだろうし?期待はしてなかったよ。うん……。」
戦いに来たという明確な意思表示に、マイルはわざとらしく盛大な溜息を通信に乗せてから、そのチャンネルを閉じ、表情を切り替える。
「――フィーア、狙撃戦用意。」
『……いつでも。』
朴訥とした返事。先程の威嚇射撃を見ても、この距離では敵の火器はこちらに届かない。だが、ルドラの武装と“フィーア”なら届く。
「じゃあ始めようか。先手はこちらから。ルドラ、戦闘を開始する。」
最大チャージされ、連射力と引き換えに射程と初速を得た可変出力リニアライフル『カーリー』が火を噴いた。
焦ったように敵機が身をひねるが、音速を超える弾丸をそう回避できるものではない。とは言えその動作が全くの無駄というわけでもなく、ルドラの放った初弾は敵肩部の装甲をいくらか抉ったものの、致命的な損傷は与えられなかった。
「銃を向けた時点で反応されたか……ルドラに長距離狙撃の能力があることを知ってたみたいだね。」
勿論、初弾で決まるなどとはマイルも思っていない。だが、行動の稚拙さを見るに、戦闘経験による回避というよりは予め警戒していたような印象を受けた。
『……不愉快。次は当てる。』
「いやあ、そう何発も撃たせてもらえないんじゃないかな。」
マイルが推測を口にすると同時、敵機から打ち出された噴進弾が白い煙を大量に撒き散らしながらこちらに飛来する。
『ち、スモーク……!』
「やっぱり距離を詰めに来た。さて、どうするか……。」
スモークの終わりは、このまま動かなければちょうど敵機が両手に装備していたマシンガンの適正距離ぐらいだろう。であれば、後退して一方的な狙撃を続けるか、こちらもスモークを利用し、敢えて前に出るか。
「……何でも出来るというこっちの戦術はネタが割れてる可能性が高いな。前に出るのは読まれるリスクが高いか……?リターンも少ないけど、後退しながら一方的に攻撃した方がいいだろう。」
『了解。追いつかれないように牽制を混ぜつつ狙撃する。』
ここからの行動を決め、機体を後方へと加速させる。当然ながら前進する敵機よりは速度が遅いが、上手く回避行動を取らせる事が出来れば追いつかれる事は無いだろう。
直後、スモークを打ち破って敵機が現れる。その左手にはマチェーテが握られているが、この距離では意味を成さないだろう。読み合いはマイルの勝利だ。
チャージを終えた『カーリー』から放たれた超音速の銃弾が、敵機の右腕を二の腕から吹き飛ばす。敵の武装は手持ちのものが主力らしく、これで火力はほぼ半減と言っていいだろう。
『良し……。マイル、ここからは?』
「脅威度はガタ落ちしたから、アルに任せて一気に仕留めるか、ドライに頼んで着実に削るか……って、まあ逃げるよな、やっぱり。」
マイルが今後の方針に迷った一瞬の隙を突き、敵機は先程と同じスモーク弾を放って反転。一目散に逃走に転じた。狙撃をしようにも絶え間なくばら撒かれるスモークに遮られ、狙い撃つのは困難だ。追撃するか、見逃すか……悩んだマイルは本社で待機しているラハルに指示を仰ぐ。
「こちらルドラ。敵テウルギアの右腕を破壊しましたが、敵機は逃走。追撃しますか?」
《そうだねぇ、目的やら背後関係やらが分からないとどうにも気持ち悪いし、追撃を頼めるかな?》
なんとも研究者らしい理由に苦笑しつつも、マイルはその指示に了承を伝えた。
「了解。生け捕りに出来たらボーナスをお願いしましょうかね。」
《おお、そこまで言うからにはおじさん期待しちゃうからねぇ?頼んだよ、マイル君。》
通信を切ると同時、マイルはルドラのメインスラスターを全開にして、逃走した敵機の追撃に移った。
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逃げる敵機を追い、ルドラが海沿いの道を高速で駆ける。ヴェーダが随所に設置しているセンサーによって敵機を見失う心配は無く、さらにその距離は少しずつ縮まっているようだ。
「それにしても、やっぱり迎撃任務だとフェムの出番が無いね。」
エクの持つ五番目の人格であるフェムは、音響探査を用いての索敵や情報収集に特化した存在であり、元より居場所の割れている敵を叩くような任務では使用機会が無い。こういった追撃の最中でも罠の有無を調べる程度は出来るが、今回襲撃されたエリアの設備で観測された敵機の行動には、そういった工作の痕跡は無かった。
『その、出来れば、帰ったら一緒に遊んであげてください。』
マイルのぼやきに答えたのはエクだ。彼女は他の人格と違って特に得意な分野を持たず、性格も凄まじく卑屈になってしまっているが、その経歴からか敵意や暴力の気配に極めて敏感であり、不意打ちへの対策として極めて有用という特異な性質を持つ。非交戦状態ではマイルが最も信頼しているパートナーだ。
「そうだね……っと、見えてきた。もう少しでフィーアの射程内だね。出来れば足でも狙いたいところだけど……」
足を撃てばこれ以上の逃走も不可能だろう。最悪、テウルゴスに何かあってもテウルギア本体が残っていればデータのサルベージは可能だ。むしろ新しいレメゲトンに研究員は大歓喜するに違いない。
と、敵機が苦し紛れに三度目のスモーク弾をばら撒く。一旦フィーアの狙撃は断念せざるを得ないが、腕一本の差が出ているこの状況では悪あがきにしかならないだろう。気にせずに敵機の後を追い、スモークに突っ込む。
何にせよ初のテウルギア戦で無事に勝てそうだ、とマイルは思う。それと同時に、マイルの中で何かが警鐘を鳴らした気がした。
(――僕達が勝てたのは何故だ?)
つい数時間前のリグとの会話がふと脳裏をよぎる。特化していない自分たちが勝利するためのスタイルについて。
(勝ち筋を潰す……待て、相手の勝ち筋は何だった!?)
スモークでマシンガンの射程に飛び込むと見せかけ、マチェーテの近接戦闘で仕留める?そんな二択のギャンブルは勝ち筋とは言わないし、そもそもこちらの装備を知っているのであれば、戦場の選択からして間違えている。何故逃げる敵機に平然と追いつく事が出来た?何故敵機はスモーク弾をこれほど大量に用意していた?そして、ヴェーダへの通信が不通になっているのはいつからだ……?
(――マズい!!)
『マイルさん!!』
スモークを抜ける。不吉な直感に全身から冷や汗が吹き出し、エクが叫ぶのと同時。マイルは硬直しようとする身体を根性でねじ伏せ、全力でサイドスラスターのペダルを踏み込んだ。
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「しかし、本当に敵の目的がわからないねぇ。」
ヴェーダの作戦司令室。モニターを眺めるラハルがもはや何度目かわからないぼやきを溢す。
「リグちゃんは心当たりとか無いかねぇ」
「おっちゃんにわからないものがわたしにわかるわけないじゃんかさー。」
ぽりぽりとポテトチップスをつまみながら、緊張感の欠片もない声でリグが答える。
作戦司令室とは言うが、ヴェーダはそもそも研究者の集まりであり、軍事面はほぼ素人と言って過言ではない。戦略的な観点どころか、戦闘行為に対する緊張感を持った人間ですらこの場には一人も居なかった。
『……あの、リグ?後輩が命がけで頑張ってるのにお菓子食べてるのは……』
「わたしがお菓子を我慢すればマイルくんが超強くなるっていうなら喜んで我慢するよー?」
まるで悪びれる様子のないリグに、諌めようとしたミトラも閉口する。だがそれよりも、続くラハルの発言に耳を疑った。
「まあ、マイル君ならしっかりやってくれるだろう。アレクトリスのランクにも入ったしねぇ。」
日々頑張っているからねぇ、と笑うラハル。それに対し、焦ったようなミトラの疑問が挟まれた。
『ま、待ってください!マイルさんがアレクトリスのランクに入ったんですか!?』
「あれ、知らなかった?昨日から入ってるんだけどねぇ。」
ラハルは「マメに確認しなきゃ駄目だよぉ」などと笑っているが、ある懸念を抱いたミトラはそれどころではない。
『……あの、ランク持ちのテウルゴスって企業の看板みたいなものですし、それ自体が立派な作戦目標となりうるのでは?』
「「えっ」」
瞬間、司令室の空気が凍りついた。
*
「生き……てる……!!」
思わず止めていた呼吸を再開し、マイルは呟く。心臓は未だにバクバクと鳴っているが、それが何よりの生の証しと言っていいだろう。
ルドラは右腕が肩から持って行かれたが、それ以外の部分に影響は無い。特に足が無事なのは有り難い。まだ生き足掻くことが出来る。
「エク、大丈夫?」
『ひっ、だ、大丈夫、ですっ!!だ、だから消さないでください!!何でもします!!きっとお役に立ちますから!!』
……サブモニターの隅、涙目で叫ぶエクはどうやらトラウマを刺激されてパニックに陥っているようだ。宥めてやりたいのは山々だが、状況的にそう悠長な事も言っていられない。
目の前には三機のテウルギアが居た。ここまで『誘い込んできた』マシンガン持ちの中量級の手負いが一機。ルドラの右腕に滑空砲をぶち込んだ重砲撃型が一機。そしてジャミングをかけていた電子戦機と見られるライフル持ちの軽量級が一機。
嵌められた、と言うべき状況ではあるが、マイルはここまであからさまな罠に気付かなかった事に歯噛みする。初のテウルギア戦の緊張、司令室の無能など色々と要因はあるが、何にせよここを生きのびる事が出来なければ、失敗を活かす『次』もあったものではない。
「……交代させてやりたいところだけど、この状況では君が一番頼りになる。エクが“怖い”と感じた攻撃を可能な限り知覚して、来る方向を警告音で知らせて欲しい。」
『……は、はいぃ!』
理屈は不明だが、彼女の危機察知能力は本物だ。第六感でも超能力でも使えるものは使う。未だ涙目だが、悲壮な決意に満ちた表情のエクを見てマイルは覚悟を決める。
ここからのプランは決まった。不意打ちの直後に三体で一気に畳み掛けなかった事を後悔させてやる。
「……生き延びるぞ!」
気合を入れると同時、マイルはフットペダルを踏み込む。直後、ルドラは全力で後退を開始した。
最終更新:2017年09月24日 22:47