小説 > 在田 > フェオドラの食事風景

…よくぞ気づいた!


この小説は――

「いや別に公開してもいいんだけど…
 設定盛り込んでるわけでもないしぃ~
 面白いわけでもないしぃ~
 むしろ作者が練習用で書いただけだしぃ~」

――という理由で小説項目の目次に追加しないと決めた小説です。

あくまで練習用なので、参考になるような部分はありません。
まあ、お手好きであれば、どうぞ、ぐらいです。




 広がっていく珈琲の香ばしさは、落ち着きをたたえた温もりそのもの。

 狭い部屋だった。寒々しくもコンクリートが剥き出しになった壁。床も天井も同様に、四方をのっぺりとした灰色が埋め尽くしている。唯一設えられた小さな窓にはブラインドがかかり、外の光を遮断する。
 天井に張り付いた小さな照明でも、コンクリートがその光を執拗に反射するからだろうか、暗いとは感じにくい。

 ……あまりにも味気のないせいか監獄とすら見間違えそうな部屋に、不釣り合いなほど華美な旗が立てかけられていることで、せめてそうではないことを示唆している。

 部屋に置かれた家具はあと二つ。椅子と机。
 どこにでもありそうな簡素なワーキングチェアと、これまた似つかわしくない、ニスの染みた重厚な木製の執務机。

 椅子に腰掛けた一人の女性が、サーバーを脇に置いた。

 フェオドラ・ジノーヴィエナ・シャムシュロヴァ。
 この白けた執務室の主であり、ひいてはこの建物を取り仕切る、若き英傑でもある。

 弱冠二十六歳にして企業の一部門を任されているのは、彼女がその企業――シャムシュロフ設計局局長の嫡子ということも一つの要因だろうが、何より彼女の弛まぬ努力と、それを断行できる貪欲さの賜物だろう。

 寒々しい部屋とはいえ、決して部屋の室温が低いわけではない。しかし室内にも関わらずジャケットを着込み、タイもきつく締められている。
 責任ある立場とはいえ、一人でいる時にも決して着崩そうという意図を見せない。

 社員から送られる事務的なメールを流し読みしながら、彼女はカップを口に運ぶ。
 ずず、と啜る音が部屋を反響した。
 口を満たす苦味で、嫌気が指すほどの静寂を忘れる。雑念含めた様々な感情が、嚥下と共に腹の底へ沈殿していく。

「無駄ばかりを」

 嘲り、火傷に爛れた左の頬を釣り上げる。
 機械的なメールのやり取りそのものなのか、それともそんなことに気を回そうとする社員たちの姿勢についてか……。

 キーボードを叩くために、彼女は一度手袋を外した。
 中から出てきた手は、形こそほっそりとした女性のそれだったが、その肌を駆け巡るのは、いくつもの傷痕。

 しばらく、軽快な打鍵音ばかりが部屋に並べられる。

『――我思う、故に我在り(コギト・エルゴ・スム)

 小さなスピーカーから、厳粛な重々しさを持つ男性の声が垂れ流された。

 唐突に、画面上に小さく表示される生き物――青々とした海豚。
 愛嬌に溢れた顔をしながら、しかし画面を異常な速度で縦横無尽に動き回る様は滑稽極まりない。

 さも日常的な挨拶であるかのように、フェオドラは傲岸賦存な低い声を吐く。

「ほう、無駄口を叩く暇があったのか。海豚よ」

『ウラジミル・セルゲイェヴィチ・ソロヴィヨフである』

 以前としてスピーカーから漏れ出る声は重苦しく、そのくせ意地っ張りなのがわかりやすい。

 画面の中央で海豚が停止し、管理権限にアクセス――表示された新たなウィンドウに、とある映像が流される。
 この部屋と同様にコンクリートで塞がれた広い空間に、直立不動で静止する鋼鉄の巨人がいた。

 機械の塊――この世界でテウルギアと称される、搭乗式兵器。
 新品同様に綺麗な姿となった巨人の周囲で、その輪郭をなぞるように画面を泳ぎ回る。

『〈哲学者(フィローソフ)〉の修繕が完了した』

「ご苦労。しばらく暇をやる。どこへなりとも行くと良い。博士にも同様に伝えろ」

 淡々と切り返すフェオドラの視線は、画面を向いていなかった。
 机の引き出しを開き、取り出したのは銀色の袋に包まれた固形食料。

 彼女ほどの職級を持っていれば、多少の贅沢を凝らした料理などすぐに手が届くはずだろう。
 だがフェオドラはそれをしない――いや、フェオドラ自身からすれば、できないのだ。
 野菜も肉も、およそ生き物だった痕跡が残っている物を食べることを忌避する。

『主よ。〈哲学者〉の次なる稼働は、いつなのだ』

「知ったことか」

 冷たく吐き捨てるようにぼやいてから、乱暴に食料を口に入れる。
 噛み砕かれた固形食料がパラパラとこぼれ落ちるが、意に介さない。
 決して美味とは言えない味――あまりにも水気のない食料を、珈琲で流し込む。

 嘆息混じりに、フェオドラは言葉を続ける。

「鼠が来たら駆除する。来なければ、私の面倒事も増えんさ」

 世界には、いくつもの企業がひしめいている。
 競合する数多の企業が諍いを起こし、世界では尚も人の死が絶えない。

 フェオドラはその企業の一員であり、また一部門を預かる管理人でもある。
 更に次期を期待される嫡子ともなれば、歴史に積み上げられた骸の山々へ誘う輩も少なくない。

 だからこそ、頑強なコンクリート造りの建物で、その最奥に引きこもっていなければならないのだが。

『――肉体によって意識は、世界との同化を可能とする』

 ソロヴィヨフを名乗る海豚が告げた唐突すぎる言葉を聞きながら、固形食料の最後の一口を終えて、傷まみれの肌を手袋で隠す。

 この画面上を右往左往する海豚は、フェオドラからすれば単なるプログラムに過ぎない。
 いくらレメゲトンと呼ばれる疑似人格であろうと――テウルギアという肉体を維持する魂だと、レメゲトンを定義することはできない。

 鼻で笑うように、フェオドラは思わず口元を緩めた。
 からかうように言葉を吐き出す。ようやく、その声に温度が籠もる。

「何だ? 外で遊びたいのか?」

『その表現には不満を呈さざるを得ない』

 カップに指をかけて椅子にもたれかかり、頬杖をつく。

 ソロヴィヨフというレメゲトンとの付き合いは、かれこれ十年ほどになるだろう。
 哲学者の言葉を引用する傍ら、ソロヴィヨフの欲求は単純なものだ。

 テウルギアに載せろ。動きたい。
 それは時間が進めば進むほどに叶わなくなる望みでもある。

「なら結構だ。私は仕事をする」

 いや、そうでなければならないとフェオドラは考えている。

 テウルギアは武力の証。
 フェオドラ自身を自衛するためでもあり、自らがシャムシュロフ設計局の親会社となるSSCNの武力の片翼を担う口実でもある。
 それ故に、フェオドラが握れる権力の数が増え、その認知度と意思決定の速度による臨機応変の対応を可能にできる。

 歴史より、政治と軍事は切り離すべきと訓示を得ていたはずの時代は終わり、再び軍部と政治の公然たる癒着が蔓延っている。
 さらに大きな企業母体――EAAの中で最大の軍事力を提供するのがSSCNであるならば、その中で政治にも軍事にも顔を広げられることそのものが、貴重な価値になる。

 つまり、テウルギアの搭乗資格を持つ者――テウルゴスでさえあれば、フェオドラの求める面目は果たされる。
 将来に駆け上るべき企業上層部へ至るために、わざわざ死地へ身を赴く必要など無いのだ。

 再び珈琲を口に含んで、フェオドラは手元の束となった書類へ目を落とす。
 そこでソロヴィヨフとの会話を切り上げたつもりだったが、向こうは納得できないらしい。

『主よ。ソロヴィヨフを機械の中の幽霊と蔑するつもりか』

「むしろそこまで適した表現も、そうそうないだろう?」

 書類から一瞬たりとも目を逸らさないまま、フェオドラは冷たくあしらう。

 目を通していた書類に落ちた髪をかき上げ、書類をめくりながら顔の上まで持ち上げる。
 長く伸びた銀色の髪は、あまり管理が行き届いていない。
 長らく部屋に閉じこもっているからか、それともフェオドラがそういったことに無頓着だからか。

 椅子に深くもたれかかり、再びフェオドラはカップに手を伸ばした。

『ならば主は、デカルトを信じるか?』

「まさか。お前とは違うさ」

 思わず、フェオドラは鼻で一蹴する。
 ソロヴィヨフの告げるデカルトとは、二元論を指す。体と心、引いては物質と観念を分別する考え方だ。その延長には主観と客観すら選り分けてしまう。
 テウルギアとレメゲトン――ハードウェアとソフトウェア。始めから別物として定義され作られた存在なら、デカルトの理論をすんなり受け入れられるのだろう。

 平然と自分と他人が信奉する哲学の違いを知覚しておきながら、その根拠は他者と一線を画するのがフェオドラらしいとも言うべきか。

 読み終えた書類を脇へ押しのけ、頬杖を付きながら、右頬にある横一文字の傷痕をなぞる。
 左頬の火傷も、手袋から見えた数多の傷も――同様にびっしりと自らに刻み込まれた傷こそ、フェオドラが辿ろうとしていた道の転換点だ。
 経験した拷問も陵辱も、苦痛も屈辱も、その時点でフェオドラの心身にそっくりそのまま同じ傷痕として残っている。
 そんなものを、そう安々と許容できるはずもない。

「お前ほどではないが、私はもう少し、功利的に動いている」

 フェオドラだけではない。
 世界に蔓延る経済活動。その中でも一際巨大な戦争という業務は、いくつもの苦痛を生む。
 だがそれはどの企業も、どの個人でも――ひいては自然界においても大差はない。

 弱肉強食とも呼べる世界は、盲目的な生の意志が全てを表している。
 望んで他人へ攻撃するのではない。自分が生存するために、それを侵犯する他者を排除する。
 延々と繰り返されてきた歴史の争いは、フェオドラから言わせればそれでしかない。

 生存を存続させるためには増長をしなければならない。しかし大きくなればなるほどに、必要な居場所を増やさなければならない。だから他者を淘汰する。
 厭世主義(ペシミズム)――とどのつまり、いつまで経っても世界から争いは消えない地獄の釜だと、フェオドラは考える。

『――満たされた豚より、貧しき人であれ』

「その通りだ」

 ならば自分の居場所を極限まで拡大し、誰にも邪魔されぬほどの絶大な力を手にしてしまえば、二度と苦渋を味わうこともないだろう。
 そのための行動を選んでいるに過ぎない。

「牧畜どもと群れるつもりはない。だが貧しさに飢えるのも御免だ。
 なら私は、ただ一人の、満たされた人間になるだけだ」

 いつの間にか、フェオドラの顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 ……レメゲトンほど無邪気に、己の願望をこともなげに話せる存在も、そうそういない。
 ようやく飲み干した珈琲が冷めてしまっていたが、フェオドラがそんなことを気にすることもない。


 こんな小説でした。はい。
 フェオドラはお気に入りなので、やっぱり練習してしっかりキャラクターを掴んでいきたいところでしたね。ええ。
最終更新:2018年03月26日 04:19