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WJ'Diary 企業歴234年 5月11日
 オフィスのデスクをひっくり返し、中の資料を漁る。ない。棚のファイルを引っ張って放り投げる。ない。探し物は見つからない。そもそも俺はその探し物の外見さえも把握していない。
 だが−エニグマが保有する情報が詰まった何かのダミーがこの本社施設の中に存在する
 『情報提供によって集められたデータは厳重に管理され、本社屋のどこかに設置された何かのダミー内部に納められている』
 エニグマのデータ入りダミー。それを手に入れ、内部の情報を知れば、俺の求める正義に辿り着く一助になるかも知れない。
 正義を知るにはまず、世界の真実を知らなければならない。そのためには様々な情報を手にして、真実を見極めなければならない。
 真実を求めるために偽物を探すなど笑い物だが−なんだこれは?プラスチック爆弾か?なんでこんなものがここに−この穴、コードが入るぞ。そうかこれがデータ入りのダミーか!端末に繋いでデータを吸い出せば−
 バカな。『残念でした』だと!?サイレンが鳴った!クソッタレ、やられた!ダミーのダミーだ!


WJ'Diary 企業歴234年 5月12日
 目を覚まし、まぶたを開けると、白衣の人間がいた
「おはようござます。麻酔弾で眠っていた気分はどうですか?」
「誰だ貴様は」
「申し遅れました、私はエニグマ・インサイド高級再現料理開発実験室第三班の者です。これから貴方には−」
「何故殺さなかった?」
「これは不思議なことをおっしゃりますね」
「殺す必要もない、もしくは殺すだけのリソースを割きたくないと?贋作屋風情が…」
「貴方には、私たちの料理の味見役となってもらいます。懲役刑の代わりのようなものですよ。拒否権がないのは…お分かりですね?」
 何?味見役?ここで…エニグマでだと?
 バカな−様々な意味で非常にまずいぞ。奴らは…味覚を痛めつける『料理のような何か』を作ることで有名だ
「食品サンプルは食い物じゃないぞ」
「ちゃんとした食べ物にするために、どうかご協力ください」
 断る!くそ、壁に磔にされていやがる!離せ、離せ!
「それでは、ヒラメのムニエルをどうぞ」
 いつのまにかテーブルが用意され、白衣の男が指を鳴らす。クロシュが外され現れたのは、なるほど。白魚に小麦粉をまぶして焼いたムニエルのように見える。少なくとも。食品サンプルとしては上出来だ
 だが、なんだ?見た目は間違いなく普通のムニエルだが−なにか、言葉にできない違和感が溢れ出ている。あのムニエルの雰囲気は−言葉にできないが、とにかく『食べ物のそれではない』
 白衣の男が切り分けた魚を俺の口へ持ってくる。遺憾なことに、俺のマスクには、口のあたりに穴が空いていた。奴らが開けやがったのか
「はい、あーん」
 奴の顔を睨みつけ、口を固く閉ざす。だが、俺を縛る拘束具にはそれを遮るメカニズムがあった
 身体中に電気ショックが走る
「がぁあああああああ…!」
 苦しみに耐えきれず、叫ぶ
「えい」
 そして叫ぶ口に、フォークが無造作に突っ込まれた。そして研究員の部下と思われる大男に、二人掛かりで口を押さえ込まれる。俺は声を上げることもできない。まるで強姦魔の手口だ
 こうなれば抵抗も何もあったものではない。口に入れられた食べ物とは思えない何かを飲み込んだ
「どうですか」
 胃の中が最悪に気持ち悪い。食い物以外の何かを飲み込んだ、という感触が半端ではない。最悪だ
 この魚は生きている。俺の胃の中で泳ぎ回っている!それほどの異物感だ
「お味のほどは」
 自分たちの料理の味の感想を聞いてくる男。俺の胃の中で『違和感』が泳ぐ
「前に染料が口に入ったことがあったが」
 臓腑に潜り込んだ異物を認識しないために、目の前の拷問官に集中し、精一杯の強がりをしてみせる。全身全霊のハッタリで、睨みつけた
「あれの方がマシだったな…!」
 男の顔が歪んだ。俺の剣幕に慄いたか、自分の料理が失敗したのがショックだったか、そのどちらでもないのか。わからないが、拷問を執行するこの男のネガティブな表情は見ていて悪くない
「さあ、その生ゴミの出来損ないをダストボックスへ持って行ったらどうだ」
 煽る
「何を言っているんですか?」
 だが男は至極普通に返す
「これは懲役刑の代わりですよ?全部お食べください」


WJ'Diary 企業歴234年 5月13日
 食い終わった後あまりの不味さに気絶して、気がついたら日付が変わっている。磔状態のまま、起きてすぐエニグマの朝食を食うことになった。
 クソが。『エニグマの朝食』だぞ。なんておぞましい響きだ。このフレーズに匹敵するのは『リュミエールの貴族』くらいだ。
「何を食わせる気だ?」
「フレンチトーストです」
「味覚異常者共が。黄色い成型ヘドロの間違いじゃないのか?」
「それではお口を開けてください」
 俺は拒絶の意思を込めて首を左に曲げた。電気ショック
「ぐぁあああああ!!!!ングゥッ」
 無造作に突っ込まれるフレンチトーストの見た目をした何か
 昨日と同じく口を押さえ込まれて吐き出せない。しかも今度はパンに似た何かだ。噛まずに飲み込めば窒息死しかねない−つまり、咀嚼するしかないのだ。
「さあもっと噛んでくださいWJさん」
 舌がある程度慣れてしまって、エニグマ料理が如何にしてマズイかをじっくりと味わう羽目になってしまった。
 口内に摂取した『味』が舌に染み込み、それが『ショック」として脳に処理される。『味』は舌の神経を通って脊髄、やがては脳へと達する。そのようにして『ショック』は身体中を駆け回り、全身の至る所に伝播する。そして実際の不味さ以上に食った人間の体にダメージを与えるのだ。
 これは食い物じゃない
 これはあくまで俺の体感の話で、実際のエニグマ料理の不味さのメカニズムがどのようになっているかはわからない。だがこれだけは言える。
 試食役だと?笑わせるな。これは拷問だ。意味のない拷問だ。
「水をよこせ!」
 飲み込んでから俺は言った。身体中から冷や汗が止まらない。異物を胃に入れた感覚が止まない。消化しては−いけない気がする
 差し出されたストローを吸う。水がこんなにも美味し−くはない。食わされたモノのカケラが口の中に残っていて、水の味まで変えてしまった。
 全力で口をゆすぐ。このまま吐き出してやる。口腔内にエニグマ料理の一片も残したくない。だがそれも、口を押さえ込まれて阻止される
「吐いてはいけませんよ」
 飲むしかなかった。相手の話と、口の中の吐瀉物以下の水を。
 脳味噌が疲労で全く働かなくなったのがわかる。体の方も、大した運動をしていないのにクタクタだ。
「おやおや、露骨に疲れ切った様子ですが…」
 返事を返そうとして、やめた
「ふうむ、ビタミンB1やアリシンを追加配合してみたのですが…」
 それらが疲労回復に効果のある物質であることは、エニグマ料理でノックアウト状態になった俺にはわかるはずもなかった
「まあ完食していただくぶんには変わりありませんよね」
 それからはまさに消化試合。口に突っ込まれ、咀嚼し、飲み込む。噛み締めるたびに脳天を鈍器で叩かれたかのような衝撃を食う
 最後の一口を口に詰め込まれ、水で流し込む。もはや俺は息も絶え絶えだった。エニグマ料理は不味すぎる
 今にも意識を手放してしまいそうだった。だが、嫌味を言う元気だけはあった
「配合…成型…フン、馬鹿馬鹿しい…」
 誰に言ったのかもわからない言葉だったが、誰に向けた言葉かはわかりきっていた
「貴様らの研究室を取り潰して…畑やら生簀やら作った方が…有意義だろう…な…!」
 捨て台詞だった。その言葉を最後に、今日は終わった。疲労困憊の俺には、意識を手放すしかなかったのだ



WJ'Diary 企業歴234年 5月14日
 それからは、俺はエニグマの研究者には従順に振る舞った。味に関しては全力の罵倒を叩きつけたが、それ以外は勤めて大人しくした。
 下手に抵抗すれば、体力を消耗するばかりではなく、相手からの警戒心を強めて雁字搦めにされてしまうからだ。表面だけでも従っておく方が良い。脱出までの間は、だが
それからも、3食−たまに間食のエニグマ生活は続いた
「マルガリータです」
「ダンボールに絵の具を塗すくらいなら乳児でもできるぞ」
「ハンバーグです」
「クソの方がマシだな」
「カルボナーラです」
「どこの配線コードを使った?」
「お味はどうでしょう」
「前から言う通り、研究室を取り潰して自分で食材を作れ。薬品を固めて楽をしようとするな」
 そうこうしているうちに、何ヶ月か過ぎた。その頃には、味覚への暴力が続く毎日と、従順にならざるを得ない状況に対して、凄まじいストレスが溜まっていた。ストレスの方向は自分の内側に向かって行き、やがては精神的なダメージへと変わっていった。
 早い話が、うつ病のような状態になっていったのだ
 手錠はもうかかっていない。だが、荷物の大半を取り上げられた状態では電子ロックのドアを突破できない。暗い個室にはベッドとトイレしかない。殺風景だ
 こんな場所でやることは、ただ食い物とは思えない物品を食うことだけ。現地支給3食おやつ付きのエニグマ生活。いや、監禁された上での拷問の毎日か
 あの研究員が料理を持ってくる際はドアが開くが、お付きの男に銃を突きつけられた状態では脱出もできない。研究員含めた三人組で来るものだから、隙を突いて逃げる前に射殺されるだろう。俺は弾丸より早く動くことはできない
 詰み。そんな言葉が脳裏をよぎる。はたまた王手、もしくはチェックメイト
 俺は一生この場所で、あの味覚の拷問を受け続けるのか?脱出の糸口も掴めないまま、ストレスを溜め続けて?なら、舌を噛み切ってでも死ぬべきか?死にたくない、こんなところで死にたくはない
「エメリー…ソフィア…」
 料理の不味さが、ついに脳に重篤な障害をもたらした。はっきりとした幻覚が映る
 在りし日のエメリー・ジュリアとソフィア・ジュリア。死んだはずの二人は俺に手を振っている。その向こうには、二人が作ったであろうケーキがあった。本物の、ちゃんと食えるケーキだ
 二人と同じ場所に行けば、二人に出迎えられ、二人とともにあのケーキを食べることができるのだろうか?
「エメリー…ソフィア…助けてくれ…」


WJ'Diary 企業歴234年 8月21日
 白衣の男が食事中、このようなことを言ってきた
「明日は我が社の記念すべき日で…」
「水」
 どうでも良いことだ。俺はそれを遮る。だが研究員は口を止めずこう言った
「こんな記念日ですから、WJさんの注文通りのディナーを用意しますよ?」
 これもどうでも良い
 どうせ最低最悪のクソみたいな物が供される。何を頼んでも−いやこれはチャンスだ。俺の頭に、脱出の計画が練り上がっていく
「大盛りのカプレーゼを食わせろ。それから鉄串で焼いた鶏肉もだ」
 エメリーとソフィアが俺に勇気をくれた
 皮肉にも、俺を絶望の淵から救ったのは、幻覚で見たあの双子だった


WJ'Diary 企業歴234年 8月22日
 注文通り、その日の夕食にはトマトとチーズのサラダに似た何かと、鉄串に刺さった鶏肉のような何かがあった。俺は鉄串を一本隠し、カプレーゼのほとんどを口に含めたまま食事を終えた


WJ'Diary 企業歴234年 8月23日
 口の中でトマトもどきとモッツァレラチーズもどきを噛み砕いて混ぜ、吐き出し、自分の舌に似るように成型する。
 1時間もすると舌の偽物が完成する。本物のトマトとチーズでは作れない代物だ。絵の具を固めたようなトマトと粘土のようなチーズがあったからこそできた
 腕にくすねた鉄串を刺して、流した血液で血だまりを作る。そこに偽の舌を浮かべて、さらにその近くにうずくまる。これで心配して駆け寄った研究員とその護衛の隙を作る。
 偽物のプロに偽物が通じるかというと微妙だが、相手はダミー制作部門とは別の料理研究専門だ。しかも暗い部屋では判別がしづらい
 試みは成功した。俺が舌を噛み切って自殺したと勘違いしたあの白衣の男は、すぐさま駆け寄ってきた。俺は死んだふりをやめて研究員を捕まえ人質にとり、ついでに自分の荷物を取り返しエニグマ本社から脱出した。
penance to foods(食材に、贖罪しろ)
 そう言って研究員の鳩尾に全力の拳骨をねじ込み、俺はエニグマを後にした
 地獄の日々だったが、終わるのはあっけない。結局、データ入りのダミーは回収できなかった
 穴を開けられたマスクを捨て、俺は別の企業への道を急いだ。まともな飯が食える企業に行くためだ。味覚障害を矯正しに行かねばならない
 とりあえず言えるのは、エニグマに首を突っ込んだらロクなことにならない、ということだ。それは成型ヘドロを食い続けた数ヶ月間からすれば、あまりにも安い成果だった









最終更新:2018年04月26日 15:27