小説 > グール・シック > エニグマ・インサイドの華麗なる外伝~ある男の日記~

 エニグマ・インサイド社 警備部日報 企業歴234年 5月11日

 本社オフィスにて侵入者1名を捕縛。
侵入経路は今のところ不明、本社の機密データを盗み出そうとしていたところで偽端末の警報装置が起動し発覚。
急行した警備隊が捕縛を試みるも、激しい抵抗を受け重傷3名、軽傷8名の被害が出る。

 最終手段として実行された麻酔銃の飽和射撃、作戦名「ヤケクソ」によって対象は沈黙。
以降の管理は社則記載の「襲撃者及び侵入者捕縛後の管理責任者選定」に従い、高級再現料理開発実験室第三班に移管。
また、第三班による差し入れを即刻辞めさせるよう要請、アレのせいで重傷者が一人増えた。



 第三班日誌 企業歴234年 5月12日

 先日、本社に侵入し捕縛された男を試食役に使っていいとのお達しが来た、囚人の管理責任者など貧乏くじを引かされたと思ったが、そういうことなら大歓迎だ。
なにせうちには今、レシピはできたが試食役が居ないせいで積まれている試作品が山ほどあるのだ。

 度重なる班内での試食会によってダウンした他の班員たちは医務室から出られないし、外から試食役を募ろうとしても領外じゃ張り紙一つさせてもらえない。
だが、苦しい時にこそ天からの助けは来るものなのだな。
警備部門からも「歓迎してやってくれ。」と言われてるし、思う存分付き合ってもらおう。

 男の目が覚め、問答もそこそこに持ち込んだ試作品をいただいてもらうように言う。
男は抵抗しているが、社則により収容者は社員食堂の利用を禁じられている以上、これを食べてもらわねば餓死させてしまう。
死なれて管理責任を問われるのは面倒だし、せっかくの試食役を手放すのも惜しいのだ。

 致し方なく男を繋ぎ止める拘束具の機能を使用する。
この「Gear of Electric Logical Override」通称「ゲロ」は名前も用途もあまり好きになれないが、こういった場面では心を鬼にして使わねばならない。
苦しいだろうが、彼には耐えてもらうしかない、他ならなぬ彼のためなのだから。

 電気ショックにもがき叫ぶ口に試作品をぶち込み、そのまま警備部門から借りてきた偉丈夫に抑えさせる。
やはりこういうのは慣れない、食事とはさせられるものではなく自分から進んでするものだと言うのに……。
心中の忌避感を表情に出さぬよう感想を求める、意識を保ってくれているといいのだが。

 男はマスク越しにもわかるほどの鋭い眼光でこちらを睨み付けると、率直で忌憚のない意見を述べてくれた。
またもや失敗だと言う事実で眉間にしわが寄るが、それ以上にこれはチャンスだと思い立つ。
これほど意志が強く肉体的にもタフな試食役は世界広しといえども彼くらいなものだろう。

 前にうちに回されてきた試食役は、一週間もすると何を食べさせても何と話しかけても涙を流しながら「おいしい、おいしい。」としか言わなくなってしまったので領内の精神病棟に叩き込む羽目になった。
だが彼は違う、きっとひと月、いや一年以上は持つに違いない。

 ならばこれ以降、私は冷酷な執行人となろう。
心を鬼にして彼に試食を続けさせよう。
そしてやがて彼は我らの進化の導となるのだ。
さあ、まずは手元のこの料理を完食してもらうとしよう。



 ※レシピメモ1
 試食役の感想を聞くに、現在の味が染料以下とするならば、染料の味に近付けることが改善の第一歩となるかもしれない。
次回の試作品はレシピを変更し、着色料の割合を引き上げることにする。



 第三班日誌 企業歴234年 5月13日

 持ち物を検めたところところ、彼はWJと名乗っていることがわかった。
謎っぽい、いい名前だ、エニグマ向きかもしれない。
朝食を運び込み、意志が回復したWJ氏に新たな試作品を食してもらう。
先日と同じく抵抗を受けるが、「ゲロ」は食への沈黙を許さない。

 無理やり飲み込まされる試作品にアリに運ばれるイモムシ程度の憐憫を感じながらWJ氏を見守る。
すると彼は一度目の試食よりも早く復帰し水分を要求してきた。
素晴らしい、やはり私の見込んだ通りだった。

 彼は水を口に含み飲み込んだ試作品の味を洗い流そうとしているようだったが、徐々に顔色が悪化していっている様子を見るに、逆に水に混ざって口の中全体に味が広がってしまったようだ。
あるある、私や班員たちも昔よくやった失敗だ。
こうなると吐きそうになるものだから必死に口を押える必要がある。

 再び借りてきた警備部門たちに口を押えさせ、吐き出してしまうのを防ぐ。
せっかくの栄養なのだ、心身に沁み込ませてもらわねばもったいない。
なんとか水を飲み干し、大陸の端から端まで全力疾走した後のように疲れた表情をしているWJ氏に声を掛けるが、返事はない。

 まさかもう参ってしまったのだろうか、いや、まさかそんなはずはない。
彼は近年まれに見る逸材、こんなところで倒れるような人間ではないのだ。
疑ってはいけない、私は信じて彼に食事を続けさせるのみだ。

 一通りの試食を終えると、彼は割と耳に痛い罵倒を吐きながら意識を失った。
確かに、天然食材を使えばいいのかもしれない、限られた人間にしか届かなくとも、味も見た目も完璧ならそれが一番だろう。
しかし、我々にはできない、なぜならエニグマには農業のノウハウなど一ミリたりともないのだから。



 ※レシピメモ2
 高濃度となった着色料の水溶性の高さは食べ合わせの面でも問題になると思われる。
対策として、着色料の配合物に食用凝固剤の使用を提案、賛成1、反対0、欠席多数にて可決。



 第三班日誌 企業歴234年 5月14日

 抵抗をあきらめたのか、この日以降WJ氏は非常に協力的な態度で試食に臨んでくれるようになった。
その上で反骨精神は衰えず、参考になる意見を過不足なく吐き出してくれる。
まるで料理を入れると改善点を指摘してくれる機械になったかのようだ。

 その後、私からの上申により「ゲロ」の使用は取りやめ、拘束も解除し室内限定で自由行動の許可を取り付けることができた。
代りに警備部門より二名の人員が常に貸し出されるようになり、管理責任者を含め常にスリーマンセルで試食を行うよう指示された。
まあ、その程度なら問題なかろう。



 以下、有用な意見に対するレシピメモの抜粋。



 ※レシピメモ3
 ダンボールとの発言を元に着色料に少量の疑似食物繊維を混ぜ、紙すきの要領で凝固剤を用いずに固形化させることに成功。
これにより凝固剤に割いていた分の容量を他の材料に使用することが可能となった。
次回はこの技術を利用して生物の筋組織素材の再現を試みる。

 ※レシピメモ4
 少々気が引けたが人糞の構成を解析し固形物形成の手順を見直す。
肉類として使用できる強度はクリアできなかったが、代わりに粉物、練り物などに使用できる新型の水溶粉末が完成した。
これにより食感の再現性が大幅に上昇し、一部食品の形成コストの大幅削減に成功。

 ※レシピメモ5
 配線コードとの発言を受け、社内で使用されているコードのうち最も前回の試作品の味に近いコードを探索。
発見したコードは銅線が多く含まれていたため、栄養バランスを考慮して亜鉛の追加投入を決定。
同時に、より味のいいコードが発見されたため、次回はそちらも参考に試作しよう。



 以上、今後の彼の活躍に期待する。



 WJ氏は本当によく働いている。
囚人紛いの監禁生活にも挫けず、与えられたタスクを必死に消化していく様は今はいない我が班員たちを思い起こさせる。
ここまで来ればもはや彼も班員の一人と言っても過言ではないだろう。

 実際、彼によって見出されたデータや、彼の功績で生まれた新技術は重役たちにもウケている。
噂じゃあうちの来月の予算案は作月の予算の倍にまで膨れ上がっているとさえ聞く。
これはもう正式採用しかないのでは?

 ともすれば早速上申だ、今日の分のタスクを消化させたらすぐに上に掛け合おう。
これは間違いなくエニグマ・インサイドの記念日になるぞ。



 第三班日誌 企業歴234年 8月21日

 上申が通った、WJ氏は明日から晴れてエニグマ・インサイドの名誉社員扱いとなる。
給料も出るし、プライベートの自由度も上がる。
しばらく監視はつくが、それもさらなる実績を上げるための辛抱だ。

 WJ氏本人へはサプライズにしようと思っている。
さっき舞い上がってうっかり記念だなんだと漏らしてしまったが、まあ些細なことだろう。
そうだ、今回くらいは彼のリクエストでも聞いてあげよう。
きっと喜ぶに違いない。



 第三班日誌 企業歴234年 8月22日

 酒類と着色料と嘔吐物で汚れて読めない。



 第三班日誌 企業歴234年 8月23日

 うっかりしていた、まさか班員たちの復活祭と被ってWJ氏に名誉社員の事を伝え損ねてしまうとは。
二日酔いで痛む頭を無理やり動かして収容室へと走る。
結局昨日の記念日が何の記念日なのかわからないままではWJ氏もさぞ気持ちが悪かろう。

 やや遅れてくる護衛の二人を尻目にドアを開ける、すると目に飛び込んできたのは血だまりに倒れ伏す……。

 その後のことはあまり良く覚えていない、確かなのは私は底抜けの愚か者だったという事、WJ氏はまんまとエニグマ・インサイドから逃げおおせた事。
そして第三班の来月の予算が先月の半分になることを宣告されたことだけだった。

 もちろん、WJ氏の名誉社員についても自然と立ち消えとなった。
だが、この行動を見る限り、彼にとってはそれも歓迎すべきことなのだろう。
冷静に考えると、たぶん微塵も喜ばなかっただろうから。

 だが、彼が居なくなっても、彼が残してくれたものはある。
そうした私たちに大量のタスクが残るように、彼にもまだまだやるべきことがあるのだろう。
ならば私はただそれを見送るのみだ。



 ※レシピメモ6
 今回のような工作行為を避けるため、次回のテーマは圧縮による形成物の固定化と添加物の過剰投与による影響の調査とする。
また、前回のレシピの参考にするべく収集した美味しい配線コードは全て破棄しておくこと。


最終更新:2018年04月26日 15:30