「秋 シュタイナー学校の入学式」 ~Waldorf in Deutschland~
我が家の長女は2001年9月、ドイツのアウクスブルクでシュタイナー学校に入学しました。入学するまでにはいろんなハードルがありました。
まず最初は家です。
そもそもドイツで暮らすことになったのは夫の仕事の都合だったのですが勤務地ミュンヘンが空前の住宅難で、住む家がなかなかみつからないのです。
私たちは「雨風をしのげればどんなところでも」と思っていても、
1.子どもがたくさんいる 2.外人である というのがネックで貸す方がOKを出してくれないのです。1ヶ月探してもとうとう1軒もみつからず、ミュンヘンはあきらめてその郊外で探すことに。
そもそもドイツで暮らすことになったのは夫の仕事の都合だったのですが勤務地ミュンヘンが空前の住宅難で、住む家がなかなかみつからないのです。
私たちは「雨風をしのげればどんなところでも」と思っていても、
1.子どもがたくさんいる 2.外人である というのがネックで貸す方がOKを出してくれないのです。1ヶ月探してもとうとう1軒もみつからず、ミュンヘンはあきらめてその郊外で探すことに。
娘はそれまで暮らしていたカナダでシュタイナー幼稚園に通っていたのでできればそのままシュタイナー教育を受けさせたいと思い、シュタイナー学校がある町を順番にあたっていきました。
けれどドイツでもここ数年シュタイナー学校は人気が高く、シュタイナー幼稚園に通っている子でさえ小学校入学できる保証はないという具合で、すでに定員に達しているところが多く、また夏休みに入ってしまっていたので、学校とコンタクトをとることすら難しくなっていました。
けれどドイツでもここ数年シュタイナー学校は人気が高く、シュタイナー幼稚園に通っている子でさえ小学校入学できる保証はないという具合で、すでに定員に達しているところが多く、また夏休みに入ってしまっていたので、学校とコンタクトをとることすら難しくなっていました。
たまたま8月のある週末にミュンヘンから電車で1時間の町アウクスブルクに家探しにでかけたときのことです。夏休み中にもかかわらずたまたま先生が学校にいて、とても親切に学校や校庭を案内してくださったのです。この先生は、後に娘のフランス語の担任になるガイア先生で、英語がお上手だったのも幸いでした。ドイツ人といってもみんなが英語を話せるわけではないのです。
さらにラッキーなことに今年の新1年生はまだ空きがあるとのこと。まだ住む家もみつかってないのに、とにかく入学申請の書類だけいただいて帰りました。
それからも民宿にステイしながら家探しを続け、ようやく家がみつかりました。
たくさんのスーツケースを持って入居したのは、なんと入学式当日の午後でした。
さらにラッキーなことに今年の新1年生はまだ空きがあるとのこと。まだ住む家もみつかってないのに、とにかく入学申請の書類だけいただいて帰りました。
それからも民宿にステイしながら家探しを続け、ようやく家がみつかりました。
たくさんのスーツケースを持って入居したのは、なんと入学式当日の午後でした。
入学式の前日、スクールドクターと、担任の先生との面談がありました。これは本来は夏休み以前に実施されるもので、この面談の結果で入学が認められるかどうかが決まります。
片足でケンケンや、まっすぐに歩かせたりといった検査もありました。
乳歯の生え変わりももちろんチェックされます。この乳歯チェックはとても重要で、生え変わっていない子はもう一年幼稚園へ行くことを勧められるようです。
片足でケンケンや、まっすぐに歩かせたりといった検査もありました。
乳歯の生え変わりももちろんチェックされます。この乳歯チェックはとても重要で、生え変わっていない子はもう一年幼稚園へ行くことを勧められるようです。
ドイツでは日本のように就学年齢が厳格ではありません。
新学年が9月始まりなので、だいたい7月生まれ~翌年の6月生まれまでとなるのですが、5,6月生まれの子だと、1年遅らせて翌年入学させるという家庭も少なくありません。こんなふうに、自分で選べるという柔軟さはいいですね。
アウクスブルクのシュタイナー幼稚園では、こんなわけでもう一年さらに幼稚園で過ごすラッキーな子どもたちのためにゴールデングループというクラスを設けていました。
新学年が9月始まりなので、だいたい7月生まれ~翌年の6月生まれまでとなるのですが、5,6月生まれの子だと、1年遅らせて翌年入学させるという家庭も少なくありません。こんなふうに、自分で選べるという柔軟さはいいですね。
アウクスブルクのシュタイナー幼稚園では、こんなわけでもう一年さらに幼稚園で過ごすラッキーな子どもたちのためにゴールデングループというクラスを設けていました。
いよいよ入学式です。
オープニングは先生方によるヴァイオリンとチェロのアンサンブル演奏で始まりました。
まるでクラシックコンサートでも聴きにきたようで、慣れていない私はもうそれだけで感激していました。
それから担任発表。
ここは全ての学年が1クラスの学校だったので、新1年生の担任もお一人、ブルゲナー先生が壇上へ上がると大きな拍手で迎えられました。ブルゲナー先生は男の先生で、前年度8年生を送り出したところでした。年齢がなんと68歳!当初新しい先生を外部から採用することも検討されたそうですが、教職員や保護者の熱い要望でブルゲナー先生に続投をお願いしたそうです。
ブルゲナー先生は英語がほとんど通じなかったのですが、初めてお会いしたときからその誠実で温かい人柄は娘にも伝わったようでした。
オープニングは先生方によるヴァイオリンとチェロのアンサンブル演奏で始まりました。
まるでクラシックコンサートでも聴きにきたようで、慣れていない私はもうそれだけで感激していました。
それから担任発表。
ここは全ての学年が1クラスの学校だったので、新1年生の担任もお一人、ブルゲナー先生が壇上へ上がると大きな拍手で迎えられました。ブルゲナー先生は男の先生で、前年度8年生を送り出したところでした。年齢がなんと68歳!当初新しい先生を外部から採用することも検討されたそうですが、教職員や保護者の熱い要望でブルゲナー先生に続投をお願いしたそうです。
ブルゲナー先生は英語がほとんど通じなかったのですが、初めてお会いしたときからその誠実で温かい人柄は娘にも伝わったようでした。
それから先生が壇上で、新入生の名前を一人ずつ呼びます。呼ばれると、それまで客席で家族と座っていた子どもは立ち上がって大きなランドセルを背負って壇上へ上がります。娘は急な入学生にもかかわらず、先生の配慮で、ほかの子どもたちにまじって、ちょうど真ん中くらいで名前を呼ばれました。
ほとんどの子どもたちが同じシュタイナー幼稚園からやってきた顔見知りです。そこへ突然やってきた日本人の女の子、みんながじーっとみつめています。私や夫のほうがどきどきしていたかもしれません。娘はとても落ち着いてみえ、みんなと同じように、一人でしっかりと壇上へ上がっていきました。
ほとんどの子どもたちが同じシュタイナー幼稚園からやってきた顔見知りです。そこへ突然やってきた日本人の女の子、みんながじーっとみつめています。私や夫のほうがどきどきしていたかもしれません。娘はとても落ち着いてみえ、みんなと同じように、一人でしっかりと壇上へ上がっていきました。
新一年生全員がそろったところへ、新8年生がやってきました。
一人ずつペアになって、これから1年、いろんな機会にお世話してくれるのです。ここでもやはり学校が配慮してくださって、娘にはイギリス留学していたという英語の上手なヨハナさんが担当になりました。娘は当時英語でなら会話ができたので、これもラッキーなことでした。
一人ずつペアになって、これから1年、いろんな機会にお世話してくれるのです。ここでもやはり学校が配慮してくださって、娘にはイギリス留学していたという英語の上手なヨハナさんが担当になりました。娘は当時英語でなら会話ができたので、これもラッキーなことでした。
そして大きなキャンドルに火が灯され、それを持ってブルゲナー先生を先頭に子どもたちは教室へと移動して行きました。
あとで娘に聞いた話ですが、教室に行くと、今度は一人一人に蜜蝋キャンドルが渡され、そこにも火を灯してくれたそうです。教室の中で25本のキャンドルの明かりが揺れ、その中で先生がお話されたそうです。そのときの土で作られた小さなキャンドルスタンドは今も娘の宝物になっています。
あとで娘に聞いた話ですが、教室に行くと、今度は一人一人に蜜蝋キャンドルが渡され、そこにも火を灯してくれたそうです。教室の中で25本のキャンドルの明かりが揺れ、その中で先生がお話されたそうです。そのときの土で作られた小さなキャンドルスタンドは今も娘の宝物になっています。
子どもたちが教室から出てくると、両親やおじいちゃん、おばあちゃんが出迎えます。
このときに、紙で花束のように丸めた筒の中に、これからの学校生活で使うようなものをいっぱい詰めて入学のお祝いにプレゼントするのがドイツの伝統です。
そしてここでも、何も知らない私たちのために、ガイア先生がご自分の娘さんのときに使った筒を貸してくださったので、おかげで娘も大きなプレゼントを手にすることができてそれはうれしそうでした。
このときに、紙で花束のように丸めた筒の中に、これからの学校生活で使うようなものをいっぱい詰めて入学のお祝いにプレゼントするのがドイツの伝統です。
そしてここでも、何も知らない私たちのために、ガイア先生がご自分の娘さんのときに使った筒を貸してくださったので、おかげで娘も大きなプレゼントを手にすることができてそれはうれしそうでした。
このアウクスブルクのシュタイナー学校には2年間通ったのですが、娘は今でも、ブルゲナー先生
(今年73才!)や学級の子どもたちと文通をしています。
「8年生までにもう一度戻っておいでよ!」と今も娘を学級の一員として仲間にしてくれているようで本当に幸せなことです。
(今年73才!)や学級の子どもたちと文通をしています。
「8年生までにもう一度戻っておいでよ!」と今も娘を学級の一員として仲間にしてくれているようで本当に幸せなことです。
藤井のりこ ’96年よりカナダ、ドイツで暮らし、
家族でシュタイナー教育やシュタイナーコミュニティを体験する。
2006年より 森の幼稚園とシュタイナー教育を理念とする野外自主保育「富山 森のプレイグループ」を始める。
家族でシュタイナー教育やシュタイナーコミュニティを体験する。
2006年より 森の幼稚園とシュタイナー教育を理念とする野外自主保育「富山 森のプレイグループ」を始める。