人の性根は生まれつき、受け継いだまま変わらない。
十歳の頃、若くして悟ったことだった。
十歳の頃、若くして悟ったことだった。
テレビのリモコンが空を裂き、ソファーに蹲る私のすぐ上を掠めて壁に当たって砕け散る。ひどくおおきなおと。
怒鳴り声と破砕音に耳を伏せ隠密行動を以て戦線を離脱、いつもの練習場所へ逃げる。
怒鳴り声と破砕音に耳を伏せ隠密行動を以て戦線を離脱、いつもの練習場所へ逃げる。
私の母はグランプリウマ娘だ。
五年間の競技人生、その引退レースの有マ記念で初G1を勝ち取った輝かしい主人公。
どこか小動物のような愛嬌と人懐っこさ、それでいて私生活の殆どを投げ打つストイックさのギャップに、沢山の観客が彼女に魅了された。
母は男手ひとつで育てられた。裏社会に身を置いていた祖母が、金の切れ目で早々に家庭を去ったからだ。
相手に尽くしすぎて破滅しがちな祖父にできたのは肉体労働くらいだった。帰りは遅く、母は殆ど一人で暮らしていた。
誰に似たのだろうか、とても頑丈だった母はレースに目をつけ、幾つかの重賞と一つのG1のトロフィーと共にターフを去った。
…厳密には、時々トレーナーであった私の父の補佐をするので去ってはいないのだが。
「レースで勝って親を養い、家族みんなで幸せに暮らす」
それが母の原動力だった。
五年間の競技人生、その引退レースの有マ記念で初G1を勝ち取った輝かしい主人公。
どこか小動物のような愛嬌と人懐っこさ、それでいて私生活の殆どを投げ打つストイックさのギャップに、沢山の観客が彼女に魅了された。
母は男手ひとつで育てられた。裏社会に身を置いていた祖母が、金の切れ目で早々に家庭を去ったからだ。
相手に尽くしすぎて破滅しがちな祖父にできたのは肉体労働くらいだった。帰りは遅く、母は殆ど一人で暮らしていた。
誰に似たのだろうか、とても頑丈だった母はレースに目をつけ、幾つかの重賞と一つのG1のトロフィーと共にターフを去った。
…厳密には、時々トレーナーであった私の父の補佐をするので去ってはいないのだが。
「レースで勝って親を養い、家族みんなで幸せに暮らす」
それが母の原動力だった。
私の父は中堅のトレーナーだ。
彼は頑張りすぎてしまうウマ娘のコントロールに長けていた。
コミュニケーション能力と要領の良さ、そしてずば抜けた直感によるメンタルケアにより、そこそこの実績を出していた。
母が引退してからは、父の少し甘いところに緩んだ教え子を稀にターフに訪れる母が矯正することでさらに実績を積み重ねていった。
彼は頑張りすぎてしまうウマ娘のコントロールに長けていた。
コミュニケーション能力と要領の良さ、そしてずば抜けた直感によるメンタルケアにより、そこそこの実績を出していた。
母が引退してからは、父の少し甘いところに緩んだ教え子を稀にターフに訪れる母が矯正することでさらに実績を積み重ねていった。
するとどうなるか?
「家族みんなで幸せに暮らす」時間がとても少なくなった。
…いや、ここまではまだよかった。
一番の問題は、母が「みんなで」への異常な執着を持っていたことだろう。
一番の問題は、母が「みんなで」への異常な執着を持っていたことだろう。
彼女はステレオタイプに拘りすぎている。
休日は全員でレジャー、スポーツ、旅行、エトセトラ…必ずといっていいほど「何もない平和な一日」を避けるようにイベントを盛り込んだ。
和気藹々、一家団欒…「幸せな家庭」に「不満」や「妥協」は許されない。少しでも不快な素振りをしようものなら質問攻めからの怒鳴り声まっしぐら。コンピュータ様と気が合いそうですね。
我々には我々の"家族のカタチ"があるだろうに、彼女はそれを否定し続け、"平凡な幸福"を求め続けたのだ。
休日は全員でレジャー、スポーツ、旅行、エトセトラ…必ずといっていいほど「何もない平和な一日」を避けるようにイベントを盛り込んだ。
和気藹々、一家団欒…「幸せな家庭」に「不満」や「妥協」は許されない。少しでも不快な素振りをしようものなら質問攻めからの怒鳴り声まっしぐら。コンピュータ様と気が合いそうですね。
我々には我々の"家族のカタチ"があるだろうに、彼女はそれを否定し続け、"平凡な幸福"を求め続けたのだ。
…しかして、平凡を知らぬ者に
どうして平凡を作ることなどできようか
どうして平凡を作ることなどできようか
なにしろ先述の通り母は幼少期の殆どを孤独で過ごしてきた。小学校の頃は教師を含むクラスのほぼ全員にいじめられていた始末である。
それでこそというべきか、あるいはそれでもなお他人の温もりを求めるというのだから、まこと健気なものだ。 同時に、酷く愚かでもあるのだが。
それでこそというべきか、あるいはそれでもなお他人の温もりを求めるというのだから、まこと健気なものだ。 同時に、酷く愚かでもあるのだが。
父も父だ。感情的になって暴走している母の理論の矛盾点を指摘するだけでよいものを、持ち前の精神分析能力をフルで相手の神経を逆撫ですることに使うのだ。
その癖して母と同じく負けず嫌いなのだから、相手をより怒らせて優位に立とうとする。死ぬほど質が悪い。
そしてただでさえ仕事人間である彼の数少ない休日に、母が無理矢理予定を捩じ込む。
疲労困憊といった様相の父に母が"何が不満なのよ"と詰め寄る光景は親の顔より見たと言っても過言ではないだろう。
その癖して母と同じく負けず嫌いなのだから、相手をより怒らせて優位に立とうとする。死ぬほど質が悪い。
そしてただでさえ仕事人間である彼の数少ない休日に、母が無理矢理予定を捩じ込む。
疲労困憊といった様相の父に母が"何が不満なのよ"と詰め寄る光景は親の顔より見たと言っても過言ではないだろう。
母の「普通」コンプレックス、父の煽り癖、そして、何も行動を起こさず逃げるしかできない私…
そうして出来上がるのが、あの戦場である。
そうして出来上がるのが、あの戦場である。
…喧嘩について両親は「時々衝突してわかり合えるのが私達の付き合い方」などと宣っていた。
二人が幸せなら、それでいいのかも知れないな。
お前ら二人"だけ"なら。
二人が幸せなら、それでいいのかも知れないな。
お前ら二人"だけ"なら。
間に生まれただけで巻き込まれる子供の気持ちを考えたことはないのか?怒声が飛び交う環境が、ただでさえ大きな音が苦手なウマ娘に与える影響は?そんなのが週に一回のペースで繰り返されるんだ、おかげさまで私は立派に親から精神的に独り立ちできたよこの毒親どもめ。
ああ、祖父の愚かさが憎い。祖母の強欲さが憎い。母の傲慢さが憎い。父の態度が憎い。そして何より…
それら全てを受け継いだ己の血が、最も憎い。
私が結婚しないのは、私もまた両親と同族だろうから、というのもある。
腐った性根の原因は遺伝的形質なのだから、結婚してしまったら私も血に抗えずにあの家庭内地獄を作るだろう。そして次は私の子供が同じように地獄を作るんだ。
それを防ぐ為にも何としてでも、私の代で穢れた血を絶やさねばならない。
それら全てを受け継いだ己の血が、最も憎い。
私が結婚しないのは、私もまた両親と同族だろうから、というのもある。
腐った性根の原因は遺伝的形質なのだから、結婚してしまったら私も血に抗えずにあの家庭内地獄を作るだろう。そして次は私の子供が同じように地獄を作るんだ。
それを防ぐ為にも何としてでも、私の代で穢れた血を絶やさねばならない。
親から受け継いだ己自身の形質が憎い。母に似た丸い目、軽く巻いた青毛、祖母から継いだ真っ赤な瞳、なよなよとした撫で肩が酷く醜くて仕方がない!
その媚びるような振る舞いをやめろ、お前に頼る相手など一人もいない!人の温もりなんてものは己が屑だと知った頃にきっぱり諦めただろう!?
私はもっと不気味になりたいんだ、黒ずくめの紳士服に身を包んだスレンダーマンのような、触れてはならぬ化け物としてその女性的な柔らかさは欠点でしかない!折角胸も平たく、身長もそれなりに高いのだから尚更足りないところが浮き彫りになって本当に嫌気が差してくる!
その媚びるような振る舞いをやめろ、お前に頼る相手など一人もいない!人の温もりなんてものは己が屑だと知った頃にきっぱり諦めただろう!?
私はもっと不気味になりたいんだ、黒ずくめの紳士服に身を包んだスレンダーマンのような、触れてはならぬ化け物としてその女性的な柔らかさは欠点でしかない!折角胸も平たく、身長もそれなりに高いのだから尚更足りないところが浮き彫りになって本当に嫌気が差してくる!
…理想的には、あの"走者"みたいになりたいんだ。
トレーニングに役立つ情報でもないだろうかとネットを漁って見つけた、RTAというジャンルの動画。サムネイルに踊る「世界最速」の文言に釣られた私が出会った、一筋の光の糸。
ゲームを開始してから終わらせるまでのタイムアタック"RTA"、その記録を突き詰める"走者"…というより、ゲーム内のキャラクターの方に憧れた。
奇行を繰り返し、訳のわからない儀式と共に壁を抜け、ありとあらゆるコンテクストを叩き砕いてただ"最速"のために突き進むその傍若無人さに、私の脳はすっかり虜になってしまった。
…まあ、RTA動画の視聴は時間を食うので趣味として非効率的だと判断、1ヶ月で封印と相成ってしまったのだが。
奇行を繰り返し、訳のわからない儀式と共に壁を抜け、ありとあらゆるコンテクストを叩き砕いてただ"最速"のために突き進むその傍若無人さに、私の脳はすっかり虜になってしまった。
…まあ、RTA動画の視聴は時間を食うので趣味として非効率的だと判断、1ヶ月で封印と相成ってしまったのだが。
されど憧れは止まらない。
理解も名状もし難い謎に満ちた挙動、衆目を一切気にせず行われる緻密に計算された奇行、狂気的な操作精度と試行回数、それら全てが積み重なった数Fの短縮…
理解も名状もし難い謎に満ちた挙動、衆目を一切気にせず行われる緻密に計算された奇行、狂気的な操作精度と試行回数、それら全てが積み重なった数Fの短縮…
私が目指すのは"走者"だ。
勝者でも強者でも、はたまたアイドルでもない。
ただ走り、究める者になるのだ。
勝者でも強者でも、はたまたアイドルでもない。
ただ走り、究める者になるのだ。
…そろそろ喧嘩も落ち着いた頃合いだろう。補導のリスクも鑑みて、家に帰ることにした。