カラレスミラージュが目覚めたのは見覚えのない場所だった。
一言で言えば湖の畔だろうか。太陽は垂れ下がるような黒い雲に覆われ日差しはない。カラレスミラージュにとっては、眩いばかりの光よりも仄暗い曇り空のほうが好みだが。
寝そべっていた地面には草が生い茂っているが、それは青々としたという爽やかなイメージではない。ターフのような芝生ではなく、ぼうぼうとただ生えているだけの草むらの上に横たわっていた。服や手には潰れた草から流れた緑色の汁がついて、いやに青臭い。
考えが纏まらない頭に手を当てて立ち上がる。吹く風は妙に暖かい。周囲を見渡してみるが、既視感こそあるもののそこがどこと同定できるものは見つからない。
なんで自分はここにいるんだろう。そんな考えが出てくる前に、カラレスミラージュの思考は湖の向こうへと引っ張られた。
一言で言えば湖の畔だろうか。太陽は垂れ下がるような黒い雲に覆われ日差しはない。カラレスミラージュにとっては、眩いばかりの光よりも仄暗い曇り空のほうが好みだが。
寝そべっていた地面には草が生い茂っているが、それは青々としたという爽やかなイメージではない。ターフのような芝生ではなく、ぼうぼうとただ生えているだけの草むらの上に横たわっていた。服や手には潰れた草から流れた緑色の汁がついて、いやに青臭い。
考えが纏まらない頭に手を当てて立ち上がる。吹く風は妙に暖かい。周囲を見渡してみるが、既視感こそあるもののそこがどこと同定できるものは見つからない。
なんで自分はここにいるんだろう。そんな考えが出てくる前に、カラレスミラージュの思考は湖の向こうへと引っ張られた。
湖の中心部分、ぽつんと顔を出した島がカラレスミラージュの目に留まった。暗い色彩の世界でその島だけが何か輝いて見えて、カラレスミラージュは知らず識らず湖へと歩を進める。
湖の水が靴に侵入して、水中の冷たさとじっとりとした不快感が両立し足に纏わりつく。胸から下は完全に湖に浸かり、水面を掻き分けながら島に向かって歩き続ける。
服が水を含んで徐々に重くなる。脚が巻き上げた水底の泥が拡がりカラレスミラージュの周りを黒く染める。目が霞み息が上がる。体温が下がっていくのが自覚できた。
島まであと少しと言ったところで、カラレスミラージュの足が大きく沈み込んだ。急いで引き抜こうとするがもう片方の足も同じように沈んでいく。
気がつけば、目指していた島などどこにもない。湖水は黒く染まり、不快な粘性を持ってカラレスミラージュの身体にへばりつく。胸元あたりまで浸かっていた体は、少しずつ湖――いや、沼に引き込まれていく。
湖の水が靴に侵入して、水中の冷たさとじっとりとした不快感が両立し足に纏わりつく。胸から下は完全に湖に浸かり、水面を掻き分けながら島に向かって歩き続ける。
服が水を含んで徐々に重くなる。脚が巻き上げた水底の泥が拡がりカラレスミラージュの周りを黒く染める。目が霞み息が上がる。体温が下がっていくのが自覚できた。
島まであと少しと言ったところで、カラレスミラージュの足が大きく沈み込んだ。急いで引き抜こうとするがもう片方の足も同じように沈んでいく。
気がつけば、目指していた島などどこにもない。湖水は黒く染まり、不快な粘性を持ってカラレスミラージュの身体にへばりつく。胸元あたりまで浸かっていた体は、少しずつ湖――いや、沼に引き込まれていく。
焦りはすぐに諦めに変わった。力が抜けて、もはや泥沼そのものとなった湖へ全身が浸かりきったとき。
「……え、なにこれ」
声が聞こえた。
(……えっ。立っ……水面に……?)
「病んでる……? いいや。好きで見てるわけじゃなさそうだし。変える」
景色が塗り替わる。不景気な泥沼はどこかへ消え去り、服や体についていた汚れさえ拭い去られる。気がつけば、カラレスミラージュは見たことのない縁側に座っていた。縁側から見える外には雨が降っているが、ひさしのお陰で濡れることはない。
急な展開に頭がついていかないカラレスミラージュに対して、スリーピースピネルはどこからか持ってきたかき氷を差し出した。
急な展開に頭がついていかないカラレスミラージュに対して、スリーピースピネルはどこからか持ってきたかき氷を差し出した。
「……なにこれ、夢?」
「うん、夢」
「……夢かぁ……」
私って知り合いが出てくるような夢見ることあるんだと、そんな他愛無い感想を浮かべながらかき氷を受け取って、違和感に気がついた。
「これシロップかかってなくない?」
「……夢だし。味わかんないから……」
「……まぁいいけど」
夢の中だと意識したことで気が抜けたのか、どうせ夢だしと開き直ったのか、無意識のうちに素が出ていることに、カラレスミラージュは気がついていない。
削られた氷の山から一口すくって口へ運ぶと、口の中に冷たさだけが広がる。当然だがシロップの味どころか、水の味もしない。疑っていたわけではないが、改めてここは夢なのだとカラレスミラージュは実感した。
りんと風鈴が鳴る。クーラーではなく、扇風機の風が頬を撫でた。昔ながらの風景に置くと違和感がある羽根のない扇風機だが、それはご愛嬌だろう。
泥沼の中の鬱々とした感情は少しずつ濾過されていく。隣のスリーピースピネルは自分から話しかけるつもりはないようで、無理のない距離感はカラレスミラージュにとって心地の良いものがあった。
夢の中という大前提が、時間の浪費という普段心理的な抵抗のある行為を肯定しているからだろう。なにもせず、味のない氷を頬張ってボーッと意識を飛ばすのは、ただただ楽だった。
削られた氷の山から一口すくって口へ運ぶと、口の中に冷たさだけが広がる。当然だがシロップの味どころか、水の味もしない。疑っていたわけではないが、改めてここは夢なのだとカラレスミラージュは実感した。
りんと風鈴が鳴る。クーラーではなく、扇風機の風が頬を撫でた。昔ながらの風景に置くと違和感がある羽根のない扇風機だが、それはご愛嬌だろう。
泥沼の中の鬱々とした感情は少しずつ濾過されていく。隣のスリーピースピネルは自分から話しかけるつもりはないようで、無理のない距離感はカラレスミラージュにとって心地の良いものがあった。
夢の中という大前提が、時間の浪費という普段心理的な抵抗のある行為を肯定しているからだろう。なにもせず、味のない氷を頬張ってボーッと意識を飛ばすのは、ただただ楽だった。
不思議な夢を見た。チームルームで朝の記憶を反芻して、カラレスミラージュはそう感想を抱いた。
そもそも夢の内容を長々と覚えているのも珍しいし、前半あれほど明確な悪夢だったのにも関わらず、後半の急展開ですべて吹っ飛んでしまって、起きた直後に惨憺たる気分にならなかったのだ。
鮮明に誰かとわかるような登場人物が出てきたのもまた珍しい。カラレスミラージュの夢に出てくるのは精々両親くらいのもので、他は起きれば顔が靄がかっているモブばかり。
特別親しいわけでもないスリーピースピネルが登場したのは何故なんだろう、などと考えていると、チームルームに当の本人であるスリーピースピネルが入ってきた。
そもそも夢の内容を長々と覚えているのも珍しいし、前半あれほど明確な悪夢だったのにも関わらず、後半の急展開ですべて吹っ飛んでしまって、起きた直後に惨憺たる気分にならなかったのだ。
鮮明に誰かとわかるような登場人物が出てきたのもまた珍しい。カラレスミラージュの夢に出てくるのは精々両親くらいのもので、他は起きれば顔が靄がかっているモブばかり。
特別親しいわけでもないスリーピースピネルが登場したのは何故なんだろう、などと考えていると、チームルームに当の本人であるスリーピースピネルが入ってきた。
「お、おはようございまーす!」
「ん」
夢のことを考えていたために若干口がつっかかったカラレスミラージュの挨拶に対して、スリーピースピネルは軽く手を挙げながら短く返事をする。偉そうにも見えるが、これがスリーピースピネルの平常運転である。
誰が相手でもこれであるので嫌われてはいないと思いたいカラレスミラージュの考えを肯定するように、スリーピースピネルはわざわざカラレスミラージュの対面に座った。
いつもならすぐ寝てしまうスリーピースピネルだが、今日は何故か起きてウマホをいじっている。いい機会であるし、『明るく社交的なカラレスミラージュ』としては、夢というちょうどいい話題があるなら話しかけるだろうと考え、カラレスミラージュは話を切り出す。
誰が相手でもこれであるので嫌われてはいないと思いたいカラレスミラージュの考えを肯定するように、スリーピースピネルはわざわざカラレスミラージュの対面に座った。
いつもならすぐ寝てしまうスリーピースピネルだが、今日は何故か起きてウマホをいじっている。いい機会であるし、『明るく社交的なカラレスミラージュ』としては、夢というちょうどいい話題があるなら話しかけるだろうと考え、カラレスミラージュは話を切り出す。
「そういえば、今朝夢にスッピーさんが出てきたんですよ〜!」
「……あぁいう夢、よく見る?」
「……んんー……?」
文脈がいくらか吹っ飛んだ返答にカラレスミラージュが首を傾げる。
「ええと……ああいうとは……」
「今朝の沼の夢。普段からあんな感じ?」
「……ちょっっっとまってくださいね、今整理するんで」
当然、今朝の夢の内容を話した相手など他にいない。独り言で呟いた記憶もない。となると、夢の内容など知っている理由はもはやオカルティックなそれ以外に考えられない。
「……スッピーさんって他人の夢に入る能力とか持ってる感じのあれですか……?」
「そんなとこ」
肯定であった。
スリーピースピネル曰く、マーベラスサンデーのマーベラス空間に近いなにかであるらしい。相手と自分が同じ時間に寝ていれば同じ夢を見ることができると。
スリーピースピネル曰く、マーベラスサンデーのマーベラス空間に近いなにかであるらしい。相手と自分が同じ時間に寝ていれば同じ夢を見ることができると。
「マベはリアルで展開できるし……それに比べればたいしたことない」
「そうかなぁ……いややっぱ無理があるでしょ!」
「それより、ああいう夢、よく見るなら、見回るようにするけど……」
スリーピースピネルの能力の本質は、夢に"スリーピーアンビット"という空間を展開することである。それを介して他者の夢へ渡るのだが、当然他者の夢でスリーピーアンビットを展開すれば、夢の内容は上書きされる。何が当然だ。
つまるところ、毎晩見回りに行って、悪夢を見ているようならスリーピーアンビットに上書きしようかという申し出であった。
つまるところ、毎晩見回りに行って、悪夢を見ているようならスリーピーアンビットに上書きしようかという申し出であった。
「……うん、なんかもう、本当にできるのかとかは置いておいて……いいんですか? 結構な手間なんじゃ……」
「安らかな眠りは善悪に因らずすべての知性が受け取るべき恩寵にして安らぎ。それを得られない理不尽の前では些細な手間」
「そんな思想強いタイプの人だったんです?」
「……実際、大した手間じゃない」
獏みたいだな、などと思いながらも、折角だからとその提案を受け入れつつカラレスミラージュは考える。
活発さがあるわけでも、愛想がいいわけでも、よく喋るわけでも、ましてや交流に積極的なわけでもない。人の心の隙間に入り込みながらも深入りはせず、入ってほしくない一線より外側に、ただいる。
カラレスミラージュが纏っている『理想』と大きく違うのに、得ている結果は恐らくそれほど遠くない。何故ならこのスリーピースピネルという少女は多くの友人に愛されているのが見てわかるから。
それと同時に、彼女と同じく短距離を走るウマ娘からは嫉妬に塗れた負の感情も向けられているが……恐らくそれも気にしていない。
それがカラレスミラージュには、堪らなく妬ましい。溢れる才能を思うように振るいトゥインクルシリーズを謳歌していることも、何も偽ることなく己のままに振る舞いながら多くの愛を手に入れていることも。
既に机に突っ伏して寝の体勢に入ったスリーピースピネルの後頭部を見つめながら、カラレスミラージュは考える。自分の悪夢を追い払うと言ったように、無償で誰かを助けることができる存在。
自分とは違う、あの泥沼のように汚く濁った醜悪な存在とは違う、愛されるべき善人。
開き直った心は、湧き上がる嫉妬にもはや自己嫌悪さえ浮かべない。
活発さがあるわけでも、愛想がいいわけでも、よく喋るわけでも、ましてや交流に積極的なわけでもない。人の心の隙間に入り込みながらも深入りはせず、入ってほしくない一線より外側に、ただいる。
カラレスミラージュが纏っている『理想』と大きく違うのに、得ている結果は恐らくそれほど遠くない。何故ならこのスリーピースピネルという少女は多くの友人に愛されているのが見てわかるから。
それと同時に、彼女と同じく短距離を走るウマ娘からは嫉妬に塗れた負の感情も向けられているが……恐らくそれも気にしていない。
それがカラレスミラージュには、堪らなく妬ましい。溢れる才能を思うように振るいトゥインクルシリーズを謳歌していることも、何も偽ることなく己のままに振る舞いながら多くの愛を手に入れていることも。
既に机に突っ伏して寝の体勢に入ったスリーピースピネルの後頭部を見つめながら、カラレスミラージュは考える。自分の悪夢を追い払うと言ったように、無償で誰かを助けることができる存在。
自分とは違う、あの泥沼のように汚く濁った醜悪な存在とは違う、愛されるべき善人。
開き直った心は、湧き上がる嫉妬にもはや自己嫌悪さえ浮かべない。
「……そうだ」
突っ伏したまま、スリーピースピネルが脈絡なく話し始める。
「夢の中の方が素なら、私に対しては別に素のままでもいいから」
嫉妬とか、もうなんかそういうものが飛んでいった。
冷房の利いた部屋なのに全身から汗が噴き出す。ここにきてやっと、カラレスミラージュは夢の中で素の態度を見せたことを思い出した。
カラレスミラージュは完全にフリーズした。まぁたとえ動けていても、既にスリーピーアンビットへ旅立ったスリーピースピネルに対してできることもないのだけど。
カラレスミラージュが復帰したのは、カンパナーレボバーがバグパイプを吹き鳴らしながら部屋に入ってきたときだった。スリーピースピネルは起きなかった。
冷房の利いた部屋なのに全身から汗が噴き出す。ここにきてやっと、カラレスミラージュは夢の中で素の態度を見せたことを思い出した。
カラレスミラージュは完全にフリーズした。まぁたとえ動けていても、既にスリーピーアンビットへ旅立ったスリーピースピネルに対してできることもないのだけど。
カラレスミラージュが復帰したのは、カンパナーレボバーがバグパイプを吹き鳴らしながら部屋に入ってきたときだった。スリーピースピネルは起きなかった。
余談だが、後日スリーピースピネルがツキノミフネに対してあまりにもバッサリとした対応をしているのを見て、カラレスミラージュはスリーピースピネルが善人なのか分からなくなったという。
無邪気とは、許容範囲内に収まる害を指す言葉である。そこに善悪は関係ないのだ。
無邪気とは、許容範囲内に収まる害を指す言葉である。そこに善悪は関係ないのだ。
著:スリーピースピネルの人