『ブリテンルーラー前が壁!! 先頭のスリーピースピネルは伸びないか!? 猛追するゴートゥーエデン、サヨリハングドも来ている!!』
まただ、と思った。
降り注ぐ日射しは残暑のまだ高い太陽から放たれホライゾネットのグラスに反射する。よく乾いた芝は多少荒れているものの蹄鉄がよく食いつき加速には支障がない。
田んぼのような水浸しの不良バ場より遥かに走りやすいはずの良バ場で、しかしスリーピースピネルは自分が巧く走れていない事実を実感している。
今回だって、橘ステークスでは抑えられた下り坂からの最終コーナーを大きく膨らんでしまった。
降り注ぐ日射しは残暑のまだ高い太陽から放たれホライゾネットのグラスに反射する。よく乾いた芝は多少荒れているものの蹄鉄がよく食いつき加速には支障がない。
田んぼのような水浸しの不良バ場より遥かに走りやすいはずの良バ場で、しかしスリーピースピネルは自分が巧く走れていない事実を実感している。
今回だって、橘ステークスでは抑えられた下り坂からの最終コーナーを大きく膨らんでしまった。
何故かはわかる。ホライゾネットで、逃げという作戦で、情報量をカットしてなお、スリーピースピネルが受け取る情報量は彼女の処理能力に対して多すぎるのだ。
視野が広すぎる。いや、より正確に言えば、視野に映ったものに対しての解像度が高すぎるのか。本来不必要と判断されれば切り捨てられ、暈けることで処理能力の圧迫を防ぐ程度の情報でも、スリーピースピネルは正確に処理している。
視野が広いという長所も、こうして短所へとひっくり返ることがある。陳腐な言葉ではあるが、長所短所は表裏一体と言うことだろう。そして、短所がひっくり返った長所が、同じ分野の長所となるかは不確定だ。
視野が広すぎる。いや、より正確に言えば、視野に映ったものに対しての解像度が高すぎるのか。本来不必要と判断されれば切り捨てられ、暈けることで処理能力の圧迫を防ぐ程度の情報でも、スリーピースピネルは正確に処理している。
視野が広いという長所も、こうして短所へとひっくり返ることがある。陳腐な言葉ではあるが、長所短所は表裏一体と言うことだろう。そして、短所がひっくり返った長所が、同じ分野の長所となるかは不確定だ。
『サヨリハングド差し切ってゴール!! スプリンターズステークス連覇!! 鬱の闘病からベテランが華麗に返り咲きました!!』
トロフィーを手にしてトレーナーと抱き合い喜ぶ勝者の姿を眺めながら、しかしスリーピースピネルの心は不自然なほどに動かなかった。
約半年前、晴天のスプリンターズステークスでの出来事である。
約半年前、晴天のスプリンターズステークスでの出来事である。
「なんともならねぇよそりゃ」
トレーナーからの指摘はバッサリとしたものだった。このトレーナーは的確な指摘はするが、その分言葉を濁さない。かつて担当していたナイスネイチャに「お前これ以上速くならんぞ」の真正面から言った話は何度も擦られている。
「お前が雨のときに勝てるのは十中八九情報量が遮断されるから。逆に言えば晴れのときに負けるのは受け取る情報量が多すぎるから。いや、不必要な情報を切り捨てて必要なものだけに集中しきれないからだ。で、なんで集中できないかって言えば、極論お前がレースに対してそれほど強い情動を持ってないからだ」
スリーピースピネルというウマ娘は重賞を勝っておきながら、多くのウマ娘が条件戦すら突破できない現実の中でそれだけの実力を持ちながら、レースに対する姿勢はあまり真摯ではない。
流されるままに入学し、淡々とトレーニングをこなし、惰性のままにレースをする。レース自体どうでもいいというほど腐っているわけではないし、やるからには勝ちたい、レースを走りたいというモチベーションも当然ある。
しかし、文字通り己のすべてを懸けて栄光を手にせんとする多くのウマ娘たちと比べると、彼女にとってのそれは娯楽に寄っている。それは例えるなら、本気で野球選手を目指して野球部に入った者と、草野球の延長という認識のまま野球部に入った者のような意識の差異。
その差異がスリーピースピネルから、優秀な情報収集能力を制御しきるだけの集中力を奪っていた。
流されるままに入学し、淡々とトレーニングをこなし、惰性のままにレースをする。レース自体どうでもいいというほど腐っているわけではないし、やるからには勝ちたい、レースを走りたいというモチベーションも当然ある。
しかし、文字通り己のすべてを懸けて栄光を手にせんとする多くのウマ娘たちと比べると、彼女にとってのそれは娯楽に寄っている。それは例えるなら、本気で野球選手を目指して野球部に入った者と、草野球の延長という認識のまま野球部に入った者のような意識の差異。
その差異がスリーピースピネルから、優秀な情報収集能力を制御しきるだけの集中力を奪っていた。
「トレーニングではどうにもならんメンタルの問題だ。本来ならレースそのものに負けたくないという気持ちさえあれば俺は十分だと思うし、アイネスやナイスネイチャ、ツインターボなんかは明確な目標もなかったが、とにかく負けたくないって気持ちだけであそこまで行けたしな」
「メンタル……」
「何が問題かって、お前自身がそれを不満だと思っていないことだ。それを俺に相談しようと思ったのも、負けて本気で悔しいからでもなく、問題を真剣に悩んでいるからでもなく、『負ける原因はこれだからなんとかしないと拙いかな?』というちょっとした危機意識でしかない」
スリーピースピネルは瞑目する。分析力に長けたこのトレーナーが言うのであれば、彼女自身自覚があるわけではないが恐らくそうなのだろう。
実際、彼女はこの期に及んで悩んでも焦ってもいない。その感情に辿り着くほどの執着を見出だせていない。彼女にとってのレースは娯楽でしかないのだから。
負けて悩むこともないし、こうして相談したのもあくまで運命をともにしているトレーナーへの義理立てという部分がほとんどだ。自分が勝てなければトレーナーだって被害を被るのだから。
実際、彼女はこの期に及んで悩んでも焦ってもいない。その感情に辿り着くほどの執着を見出だせていない。彼女にとってのレースは娯楽でしかないのだから。
負けて悩むこともないし、こうして相談したのもあくまで運命をともにしているトレーナーへの義理立てという部分がほとんどだ。自分が勝てなければトレーナーだって被害を被るのだから。
信頼というよりは判断の放棄であるがスリーピースピネルはひとまずトレーナーの分析を受け入れる。しかしながら、それを受け入れるということはすなわち、改善策が存在しないことを意味する。
運動や瞑想など、おおよそ集中力を鍛えるために行うトレーニングをスリーピースピネルは日常的に行っているのだから、彼女の集中力はここで打ち止めということだろう。
外付けの手段としてホライゾネットを採用し逃げの作戦を決めた以上、それ以外にできることはない。それこそ、心理的な転換以外では。
本来なら目標の達成失敗や敗北による挫折から立ち直ることで奮起するものなのだろう。しかし、それをするにはスリーピースピネルは少し精神的にタフすぎた。
運動や瞑想など、おおよそ集中力を鍛えるために行うトレーニングをスリーピースピネルは日常的に行っているのだから、彼女の集中力はここで打ち止めということだろう。
外付けの手段としてホライゾネットを採用し逃げの作戦を決めた以上、それ以外にできることはない。それこそ、心理的な転換以外では。
本来なら目標の達成失敗や敗北による挫折から立ち直ることで奮起するものなのだろう。しかし、それをするにはスリーピースピネルは少し精神的にタフすぎた。
いくらスリーピースピネルが否定しようとも、無自覚にも、彼女のレースが『才あるものの戯れ』であることは事実なのだ。走り勝利することを本能に持つウマ娘には希少な、レースの勝利に対し消極的な彼女の魂。
『右も左もわからぬ新人の馬主が1頭目にそれほど真剣に選ばず買った安馬がGⅠを4勝する名スプリンターになった』という逸話を魂に持つことが彼女にどれだけ影響しているかはわからないが。
魂から染み付いた性を覆すには相応の大きさの爆発が必要になる。細かな成長でちまちまと埋めていくには、彼女の精神は安定しすぎているからだ。
『右も左もわからぬ新人の馬主が1頭目にそれほど真剣に選ばず買った安馬がGⅠを4勝する名スプリンターになった』という逸話を魂に持つことが彼女にどれだけ影響しているかはわからないが。
魂から染み付いた性を覆すには相応の大きさの爆発が必要になる。細かな成長でちまちまと埋めていくには、彼女の精神は安定しすぎているからだ。
これでトレーナーが名誉や金を重視していたり変に熱血なタイプだったら、なんらかの手を打って一度心を折ったりして矯正を試みただろう。
しかし、このトレーナーは名誉も金も既に十分手に入れたベテランであり、ロマンを追い求めてはいるが基本的にウマ娘の意思を最優先に考えるタイプだ。
雨の日に限るものの重賞を、しかもレコード勝利しており、本人も満足しているとは言い難くも思い悩んではいない以上、過剰な手出しをすることはなかった。
ファンたちもまた、かつての驀進王や龍王とは異なり敗北を重ねながらも、同時に雨の日という限られた条件でならば彼女たちを彷彿とさせる圧勝を見せるスリーピースピネルのキャラクター性を気に入っている節がある。
誰もが満足している。彼女を取り巻く、他のウマ娘たちを除いては。
しかし、このトレーナーは名誉も金も既に十分手に入れたベテランであり、ロマンを追い求めてはいるが基本的にウマ娘の意思を最優先に考えるタイプだ。
雨の日に限るものの重賞を、しかもレコード勝利しており、本人も満足しているとは言い難くも思い悩んではいない以上、過剰な手出しをすることはなかった。
ファンたちもまた、かつての驀進王や龍王とは異なり敗北を重ねながらも、同時に雨の日という限られた条件でならば彼女たちを彷彿とさせる圧勝を見せるスリーピースピネルのキャラクター性を気に入っている節がある。
誰もが満足している。彼女を取り巻く、他のウマ娘たちを除いては。
「嫌 」
スリーピースピネルに依頼しようとした模擬レースを僅か一文字で断られた彼女は、なおも食い下がろうと口を開く――その前に、彼女の担当するウマ娘が呟いた。
「怖いの? 負けるのが」
地を這うような、血を吐くような、ヘドロに汚染された海を連想させる声。目の下のクマと幽鬼のような表情に、山姥のように荒れた芦毛。健康状態そのものは悪くなさそうではあるが、精神状態が決定的によくないのが素人目にもわかる。
スリーピースピネルのチームメイトである、ツキノミフネは、睨めつけるような目線をスリーピースピネルへ向けていた。
ツキノミフネがスリーピースピネルを恨む理由はない。彼女を追い詰めているのは、ここ最近の惨敗続きである模擬レースだ。そしてそれとは別に、一種の八つ当たりでもある。
ツキノミフネを苛んでいる勝利への渇望。いや、敗北への恐怖か。スリーピースピネルへの挑発じみた台詞は自らへ向けたものでもあり、そして相手もそうなのだと思いたいが故の自己暗示でもあった。
しかし、それをスリーピースピネルはバッサリと否定する。
スリーピースピネルのチームメイトである、ツキノミフネは、睨めつけるような目線をスリーピースピネルへ向けていた。
ツキノミフネがスリーピースピネルを恨む理由はない。彼女を追い詰めているのは、ここ最近の惨敗続きである模擬レースだ。そしてそれとは別に、一種の八つ当たりでもある。
ツキノミフネを苛んでいる勝利への渇望。いや、敗北への恐怖か。スリーピースピネルへの挑発じみた台詞は自らへ向けたものでもあり、そして相手もそうなのだと思いたいが故の自己暗示でもあった。
しかし、それをスリーピースピネルはバッサリと否定する。
「別に……」
「じゃあ何故? 勝つ自信がないから? 勝てるレースしかしたくない?」
なおも言い募るツキノミフネに対して、スリーピースピネルはポーカーフェイスを崩さない。自分の言葉が負の感情による醜いものであると自覚しているツキノミフネは、真っ向からそれを受けてなお揺るぎもしないスリーピースピネルに、まるで「眼中にない」とでも言われているかのような錯覚に陥った。
そしてそれは、それほど間違ってはいない。
そしてそれは、それほど間違ってはいない。
「楽しくなさそうだから」
スリーピースピネルが吐き出した理由はあまりに端的で、当たり前のように自己中心のものだった。
「私はスプリンター。マイルは苦手。先輩も基本はステイヤーで、マイルは得意じゃないしスプリントは走れない。そもそも噛み合わない」
「そ、それなら苦手なマイルを克服するメリットがあります! どちらも本領じゃないマイルなら条件は互角ですし……」
「興味ない」
ツキノミフネのトレーナーによる説得も一蹴する。 スリーピースピネルはコミュニケーション能力に難があるわけではない。人並みに相手の心情を察することはできるし、普段が無口なだけで必要であれば喋る。
ただ、同じチームであるとはいえさして親しいわけでもない、言ってしまえば嫌われても構わない相手に対して言葉を選ぶような親切心は持ち合わせてはいない。
ただ、同じチームであるとはいえさして親しいわけでもない、言ってしまえば嫌われても構わない相手に対して言葉を選ぶような親切心は持ち合わせてはいない。
「マイルを走る予定はないから克服する必要がない。チーム内の互助関係は大事だけど私にとってメリットがないから『互助』でもない。かと言って先輩と走ってもまったく楽しそうじゃない。先輩のためを想って走ってあげるほどの親交もない。私にとって走る意味がないし、おまけに雨も降ってない。寝てたほうが有意義」
「スッピーさん!? 流石に言いすぎじゃないですか!!?」
近くで見ていた同じくチームメイトであるカラレスミラージュが、常識的に考えれば止めに入るのが普通だろうと考えたのかスリーピースピネルの発言に割り込む。
スリーピースピネルはこれで模擬レース申込みの矛先がカラレスミラージュに向くだろうと考え、その場を去ろうとする。が、それを引き留めたのはやはりツキノミフネだった。
スリーピースピネルはこれで模擬レース申込みの矛先がカラレスミラージュに向くだろうと考え、その場を去ろうとする。が、それを引き留めたのはやはりツキノミフネだった。
「……なんで、負けるのが怖くないの……?」
その声は先程までと違い、どこか弱々しく、しかし懸命にそれを隠そうとする響きがあった。誰かに対して隠すのではなく、自分自身に。そうでないと壊れてしまうから。
そしてその問いかけを聞いて、スリーピースピネルは自分のなかに湧いた答えが腑に落ちるのを感じた。多分、これがスリーピースピネルの根幹。
そしてその問いかけを聞いて、スリーピースピネルは自分のなかに湧いた答えが腑に落ちるのを感じた。多分、これがスリーピースピネルの根幹。
「背負うものがないから」
一言、そう言葉を返し、今度こそその場を去っていくスリーピースピネル。引き留める者は誰もいなかった。
『最終直線、後方のサヨリハングドは間に合わないか!? スリーピースピネル強い! マークしていたインビジブルピーチを突き放し更に加速!! 3バ身は開いている!! スリーピースピネルここでゴール!! スリーピースピネル1着!! 雨のレースで負けるわけにはいかない!! 一度も前を譲ることなく高松宮記念を制しました!! GⅠレース初制覇です!!』
観客から贈られる大歓声。サヨリハングドやインビジブルピーチのような重賞ウマ娘は負けた悔しさを滲ませながらも、その顔には納得が映っている。
しかし同時に、多数を占める他の出走者からの視線が突き刺さる。
しかし同時に、多数を占める他の出走者からの視線が突き刺さる。
『背負うものもないクセに』
『勝ちにこだわりもないクセに』
『悩みも苦しみもしていないクセに』
『勝ちにこだわりもないクセに』
『悩みも苦しみもしていないクセに』
あの日のスリーピースピネルの言葉を聞いていた者は少なくない。彼女たちの表情からは、嫉妬と羨望、与えられた才能の差という理不尽への憎悪が如実に見て取れた。それを直接ぶつけてくる者はいない。惨めだとわかっているから。
「…………」
スリーピースピネルは背負わない。敗者の怨嗟も、無念も。すべて雨が洗い流していった。
著:スリーピースピネルの人