イタリア・ハゲ戦争 | |
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![]() 四面楚歌のハゲ国にとっては絶望的な戦争であった。 | |
時 3005年4月15日-3005年5月2日 場所 イタリア・ハゲ教国 結果 LTPO連合軍の勝利、イタリア・ハゲ国解体 | |
衝突した勢力 | |
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指揮官 | |
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イタリア・ハゲ戦争(イタリア・ハゲせんそう)は、イタリア・ハゲ教国内において3005年4月15日に勃発し3005年5月2日まで戦われた戦争である。国民に禿頭を強制するイタリア・ハゲ教国に対し、毛の自由を支持するLTPOが軍事干渉を行い、戦争へと発展した。
イタリア・ハゲ教団はイタリアを中心に巻き起こった新興宗教である。開祖ゲーハッハ1世はカリスマと謀略をもってイタリア政府を掌握し、自らをイタリア・ハゲ教国の大禿教と名乗りイタリアを支配した。それに伴いハゲ教を国教と定めたため、戒律である「汝禿頭であれ」を全国民に強制し、異教徒や毛の自由主義者は徹底的に弾圧した。この時点で毛の自由を奉じる周辺のLTPO加盟国家からは再三の警告を受けていたものの従わず、遂に毛狩りの対象を女性へと拡大したためにLTPOは軍事介入を決定。両者の間でイタリア・ハゲ戦争が始まった。
質両共に大きく勝るLTPO連合軍の電撃的な行動により、きわめて一方的な展開となる。開戦からわずか二週間で首都ローマは陥落。その後も市内で散発的な抵抗が試みられたが、遂にゲーハッハは降伏し、3005年5月2日にローマでローマ講和条約を締結した。戦前にLTPO内で行われた会議でディルツラント国の代表カミウス・クナッター氏が発言した「ゴールデンウイークまでには帰れる」は現実となった。
終戦条約によりイタリア・ハゲ教国は解体され、イタリア王国が再興された。イタリア王位はローマ皇帝であるユリウス6世が正当な請求権を持つことが全会一致で確認され、イタリアはトラキア・ローマ帝国の元に統治されることとなった。また、南部カラブリア・バシリカータ州はシェラルド領シチリアに編入され、これをもってシェラルド女王ソフィア1世はスィスィリエン王国を創設し、王位には弟のフレゼリクを就けた。
戦後はディルツラント国、ベルタティス連邦が北部に、ザーティエラ王国が中部にそれぞれ復興支援の名目で経済的な介入を強めている。