第二次欧州大戦

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第二次欧州大戦



出典:フリー百科事典『WANKOSOBA』

     この項目では、2020年00月00日 - 2020年00月00日にシェラルド=ローマ帝国アイゼルネ=アルギニア国及び両国の同盟国間で起きた戦争について説明しています。

System=ダイス


第二次欧州大戦(:Andeneuropenskrig、:Zweiter Eurokriegは、アイゼルネ国のシェラルド王国領への侵攻をきっかけに、両国の同盟国を巻き込んで起きた戦争である。 第二次欧州大戦
あああああああああああ目次[非表示]

1 背景
ああ1.1 シェラルド王国の対外戦争と領土問題
ああ1.2 バスク戦争
ああ1.3 愛座丁三国協約
ああ1.4 第二次東地中海戦争
ああ1.5 ヴァルキア訪問と赤い夜作戦
ああ1.6 開戦と史刃共同宣言
2 経過
ああ2.1 ライン防衛戦
ああ2.2 ジデンローヴ元帥とロンストロフ決戦
ああ2.3 ジデンローヴ元帥の戦死
3 結末
4 影響
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ロンストロフ決戦
カルカソンヌ防衛戦
戦争:第二次欧州大戦
年月日:2020年02月09日 - 2020年00月00日
場所:フランス、ドイツ、スペイン等
結果:???
交戦勢力
シェラルド=ローマ帝国
アイゼルネ国
アナトリア諸侯
ザーティエラ王国
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 ヴァルキア王国 imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 スミトラント連邦王国
トラキア・ローマ帝国
ハプスブルク諸邦
指導者・指揮官
エリック8世
アイゼルネのひと
スキョル・ジデンローヴ
アイゼルネの武将
ヤン・ヘンリク・シェイフスキ
オスカル2世
イーゼット・C・ガーラント imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 ハインリヒ9世
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 アーリン1世
ヨアヒム2世
参戦兵力
たくさん
たくさん

 背景
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シェラルド王国の対外戦争と領土問題ソフィア帝代のン年に、シェラルド帝国は最盛期を迎えた。ブリテンとイベリアを継承し大帝国を築いたソフィアは、勢いのままに周辺国への侵攻を繰り返し、領土の拡張に務めた。その最中にハプスブルク帝冠領ダンマルクに属する北シュレースヴィヒへの侵攻があり、この戦争に勝利しシェラルド領へ編入した。これによりハプスブルクの対シェラルド感情は最悪のものとなり、奪還の機会を伺うこととなる。また、ザーティエラが帝国から離脱した折にも、バスクはじめ複数のイベリア領の独立を許さずにシェラルドへ編入したことで、ザーティエラはこれら未回収のザーティエラ問題で険悪となった。

バスク戦争

ン年、ザーティエラの反シェラルド感情が爆発する形で、シェラルド皇帝ソフィアがバスク視察中に暗殺されるバスク事件が発生。両国はなし崩し的に戦争状態となった。緒戦はシェラルド優位に進み、大陸軍は一時ザーティエラ首都オゼーシアに迫ったものの、バスク戦線では敗北。ソフィアの後を継いだシェラルド皇帝エリックがバスクの奪回を優先したことで戦線が膠着。その間にイベリアの風土病であるスペインかぜことインフルエンザが流行し、シェラルド軍の前線指揮官であるルイ・フランソワ・ベルシカラー元帥はじめ、多数の感染者を出した。これがザーティエラに幸いし、ゲリラ戦術と合わせシェラルド軍を撤退に追い込み、ブルゴス条約を経て未回収のザーティエラの完全回復を成し遂げた。この戦争でシェラルド軍は戦争での損耗のみならず、帰国した兵隊からインフルエンザが国内に広がり、ソフィア代から続く戦争による物資不足もあり大流行。甚大なダメージを追うこととなった。
前線に出るも敗退からの遭難で降伏を決意するエリック8世

愛座丁三国協約
アイゼルネ国は疲弊したシェラルドへの侵攻を企図し、シェラルドへの敵対感情をもつザーティエラ、カレンテルニア両国を極秘に勧誘。領土奪還に燃えるカレンテルニアのヨアヒム帝は諸手を挙げて賛同。議会は慎重姿勢を見せたが、ダンマルクに駐留する第三軍の司令官アウグスト・フリードリヒ・フォン・ヴュルテンベルク陸軍大将は反シェラルドの最右翼であり、開戦となれば動くことは間違いなかった。反対に、ザーティエラのオスカル王は戦争疲弊もあり難色を示す。しかし、立て直したばかりの統治機構ではバスク戦争の実質的な勝利により勢いづく国民感情を抑えきれず、議会の後押しもあり、次第に開戦へと傾いていった。ザーティエラ議会はシェラルド・ソフィア帝時代に激しい弾圧を受けた影響で、反シェラルド勢力が根強かった。

東地中海戦争

時を同じくして、東地中海では、モレラ共和国とレグルス国間で、因縁の対決が始まろうとしていた。シェラルドは対レグルス包囲網にこそ参加していなかったものの、敵対感情は強く、レグルス国が周辺国と海戦した際には、同じくして開戦するつもりであった。そのため、アナトリアとの国境にアナトリア軍およびシェラルド軍を配備しており、また同盟国トラキア・ローマ帝国はモレラ側での参戦を決めていた。両国は必然的に欧州と地中海の双方に戦力を割かねばならず、この状況はアイゼルネ、レグルス両国が戦争を優位に進めるべく、意図的に示し合わせたものであった。
大戦勢力図。実際はトラキア、アナトリアは地中海戦争に追われている。

ヴァルキア訪問と赤い夜作戦
ン年ン月、シェラルド皇帝エリックは王政復古を果たした旧ベルタティスことヴァルキア王国に親善訪問に訪れていた。数日の観光の後、エリックはヴァルキア王アーリン一世と会談の場を設け、両国の特産品を囲みながら会食していた。一方、シェラルド侵攻の用意を進めていたアイゼルネは、この皇帝不在を好機と捉え、侵攻開始を決意。国境に大軍を配備し、ザーティエラ、ダンマルク両国とも示し合わせ、同じく国境に軍を集結させた。これらの動きがシェラルド軍の国境警備の歩哨からシェラルド軍参謀総長ヨハン・カスパール・シシグノンに齎されると、のまさに会食中にエリックの元に届けられ、ワインを盛大に吹き出したという。余談だが、この日を指して呼ばれる「赤い夜」とはアイゼルネ側の作戦名であるが、しばしばエリックが吹き出した赤ワインで部屋が赤く染まったことに由来するとの勘違いがみられる。

開戦と史刃共同宣言

突然の侵攻はシェラルドにとって青天の霹靂であり、パリは大混乱に陥った。不在の皇帝に代わり指揮を執ることとなった首席国務大臣アクセル・ヨーデリンゲはアイゼルネ政府に抗議したものの、返答はなし。止む無く宣戦布告を行い、大陸軍最高司令官代理となったパリースイィ軍事総督マクシミリアン・メーレンカンプ元帥に防衛戦争を指示。メーレンカンプは非常事態宣言の発令を行い、総動員を開始。また、ライン方面軍及びロレーヌ公国軍へ即応対処の指示を出した。ザーティエラ方面にはイタリア方面軍のロシェシュタール元帥と、予備軍団を預けたベルシカラー元帥を向かわせた。同盟国トラキア・ローマ帝国には参戦要求を送り、これに快く答えたトラキアはアイゼルネへ宣戦布告した。エリックとアーリンの会談は急遽対アイゼルネ戦争への対処を決める緊急会談となった。両国は対独軍事同盟を結んでおり、有事の際は協力する手筈であった。アーリンは対アイゼルネ宣戦を約束し、共同で署名まで行った。安心したエリックは、急ぎパリへと戻る馬車に乗った。
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。固い握手を交わす両王

経過
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ライン防衛戦

アイゼルネ軍は国境線に沿うように部隊を配置し、一斉に攻撃を加えたが、中でも主力となるのはメンツィヒに集結し、ロンストロフを攻勢目標とした20個師団だった。半軍集団にも迫る大軍の攻撃に晒されたのは、近隣の守備隊や駐屯地から掻き集めた僅か4個師団。指揮に当たったウールップ将軍は国境線での防衛を不可能と判断し、後方のモーゼル川沿いに防衛線を構築し、援軍を待つべく遅滞戦闘を開始した。
防衛成功の要因となったシェラルド軍戦車。アナトリア技術の産物だ

ジデンローヴ元帥とロンストロフ決戦
この時、シェラルド軍ライン方面軍を総括する指揮官であったスキョル・ジデンローヴ元帥は、国境にほど近いヴェルダンの要塞に移動し、方面軍の再編にあたっていた。手持ちの戦力は随時国境線に送り出し防衛に当たらせていたが、それとは別に、突破してきた敵主力を食い止めるべく、予備軍を編成していた。歴戦の将であるジデンローヴは並外れた手早さでこれを完了させると、自ら率いて前線へ向かった。ウールップ将軍の遅滞戦闘は、アイゼルネ軍の足並みの乱れもあり想定以上の効果をあげ、ジデンローヴが着いたとき、未だロンストロフで食い止めていた。しかし国境線を突破したことでアイゼルネ軍の勢いは次第に増しており、これを破るべく、最初の会戦が始まった。ジデンローヴ軍は接収したウールップ軍と合わせても僅か14個師団相当でしく、緒戦で大きく押し込まれたが、ここでジデンローヴは自ら手勢を率いての突撃を敢行。幼少から憧れの存在であり続けた伝説の老兵が最前線で奮戦する姿に、兵員の指揮は最高潮に達し、彼を死なせまいと怒涛の勢いで後続が続いた。想定外の渾身の一撃はアイゼルネ軍の隙を突き、遂に戦線の突破に成功する。ジデンローヴ自身はこのとき負傷し後送されたが、ライン方面軍はそのままアイゼルネ軍を逆包囲し猛攻を加え、潰走させた。このときのジデンローヴの姿は誰よりも光り輝いていたといい、後に「光り輝くジデンローヴ(Gydenlov af Bright)」の渾名を得ることとなった

ジデンローヴ元帥の戦死

エリックがパリに戻りると、ロンストロフでの勝利の報せを受けとった。緊迫した情勢の中でジデンローヴとライン方面軍が齎した吉報は、エリックのみならず、全シェラルドにとって希望の光だった。ひとしきり賞賛した後、エリックは新たに編成した軍団をヤン・ヘンリク・シェイフスキ元帥に預け、自らは親衛隊10万を率いてロンストロフへ向かった。ロンストロフの兵営でエリックはジデンローヴの危篤を伝えられる。負傷自体は消して重症ではなかったが、既に70を超える高齢であったジデンローヴにとり、冬季の不眠不休の軍務と負傷は、彼の持病を致命的なまでに悪化させるには充分であった。エリックがジデンローヴを見舞うと、彼の皇帝への忠誠のあらわれか、奇跡的に意識を取り戻した。その後エリックは人払いをし、暫し2人きりで話した後、部屋を出た。軍医はジデンローヴの死亡を確認した。父王ハンスの代からシェラルド軍で活躍し、イェリング家とシェラルド王国を護り続けた英雄の今際の言葉は、遂にエリックは語ることはなかったが、その時以来、ジデンローヴの形見の眼鏡をかけるようになった彼は、まるで意志を継いだように軍人皇帝として覚醒していく。
70代の老体は負傷から病を併発させた

脚注
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参考文献
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本尾書男『シェラルド戦争史~蛮族国家の真実~』第3巻、どっこい書房、334年9800月

関連項目
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・シェラルド王国
・シェラルド=ローマ帝国
・アイゼルネ国
カテゴリ第二次欧州大戦軍事部の戦争2020年の戦争シェラルド王国の戦争シェラルド=ローマ帝国の戦争アイゼルネ国の戦争エリック8世
最終更新:2020年02月19日 04:26