5/13
アリエージュ級戦列艦
▲50門級の4等戦列艦
5/12
戴冠式へ渡英
▲シェラルド海軍の誇る大西洋艦隊旗艦、一等戦列艦シェラルド号
陛下は敬虔なスペイン兵をいたく気に入られ、側近に徴用された
5/11
神州大和帝位を継承
第二次百年戦争は誰も予想だにしていない結末を迎えた。
なんと神州大和の帝室一同を乗せた豪華飛行船「ロンバルディア号」が帝都上空で爆発炎上し、全員を瞬く間に帰らぬ人としてしまったのだ!
この未曾有の自体に双方大混乱。帝國政府は直ちに停戦を申し入れ、シェラルド王国はこれを受理した。
しかし主の御心のなんと計り知れないところか、その後、混乱を収めるべく速やかに神州連邦の宗主が選定されたが、慣例の継承法に基づいたところ、親戚筋から迎えられたのはまたしてもソフィア陛下であった。
この継承により、陛下はグレートブリテン島及びアイルランド島、アナトリア半島、そして広大なアフリカ植民地の宗主権を手に入れられた。これを受け、陛下は迫りくるだろう膨大な公務の数々に思いを馳せられ、頭を抱えられた。
▲宰相ヨーデリンゲ卿もまた、過労死を覚悟されていた
▲もはやローマ帝国の半分くらいある
5/5
ザーティエラ親英派議員を逮捕
4日、シェラルド王国軍はオゼーシアの議場を包囲。大和国と密通している疑いのある議員を一斉逮捕した。
ザーティエラ議会はシェラルド王国の干渉に対抗する形でジブラルタル及び北アフリカ領を大和帝國へ独断で譲渡していたが、これは大和帝國のスパイに誑かされた結果の愚行であり、本来即刻銃殺刑が相応しい国家反逆罪に相当する。
▲ザーティエラ首都オゼーシアは不穏なふいんきに包まれている
5/4
王太弟殿下 シュレスヴィヒ戦線へ
ソフィア陛下は戦争目標であるレコンキスタの正当性をより確かなものとすべく、弟君エリーク殿下を対ハプスブルク軍の総司令官に任じられた。
エリーク殿下は未だ年若いものの、パリースイィ軍大学を次席でご卒業された後に名誉職でこそあるものの王国親衛隊司令官へと就任され、歴戦の兵士達に見守られながら研鑽を積んでおられる。今回の戦争指導によりその才を天下にしらしめ、後継者としての存在感をアピールしたい。
▲父親のように慕われているメーレンカンプ騎兵大将を伴われての行軍。対ダンマルク戦争の戦力は充分だ
5/2
シェラルド主軍アフリカ着
シェラルド王国軍はブリテン本国とエジプト及びアナトリアとを分断すべく、アフリカへと渡った
目標は彼国の世界戦略の心臓部ともいえるエジプトはスエズ運河だ。アーベルトフト軍は兵と弾薬、そして補給物資をラクダに乗せ、アルジェを発った
4/29
神州大和帝國へ宣戦布告
神聖なイベリアの土地は余すところなくソフィア陛下の元に統治されるべきである。ジブラルタル、セウタ、メリリャを不当に占拠している泥棒猫にして国教会なる異端を奉じるブリテンの野蛮な田舎者どもを征伐すべく、ソフィア陛下は開戦の詔を下された。
▲海峡を隔てたブリテンへ有効打を与えることは困難である為、王国名誉元帥フレゼリク公はアルジェリア植民地より東進、エジプトへの侵攻作戦を奏上した。
4/29
ザーティエラ王国を継承 連合王国へ
急性アルコール中毒で永らく伏せられていたザーティエラ国王カルロス陛下が、先日遂に崩御された。
既に御子は夭逝されており、親族もまた亡く、イベリア3王冠はシェラルド女王ソフィア・イェリングの元へと渡ることとなった。
主の御導きにより綴合された幸福な西欧帝国は、偉大なる統一王ソフィア陛下の元で、さらなる発展を遂げてゆくだろう
▲我ながらビビる
4/27
ダンマルク国と戦争へ
シェラルド王国軍はハプスブルク帝国の勢力拡大を挫くべく、また祖地ユラン半島を回復すべく、ダンマルク国勢力圏であるシュレスヴィヒ公国へ進軍した。
▲朝食のウィンナーをお召し上がりになられながらの作戦指揮
4/22
なんというこどだ!
ソフィア女王の忠実な家臣が1人であるヘベルチア公フランツ殿下が、不幸な事故で主の御許へと旅立たれた。死因は急性アルコール中毒とされている。
それに伴い、公の遺産の相続が行われたわけだが、公に子は無く、あまつさえその所領は全て縁者であるエステルライヒの王の元へと引き継がれてしまったのだ。
ヘベルチア公国は山ばかりの貧しいド田舎の小国とはいえ、わが国に接する要衝であり、ただでさえ近年のエステルライヒ国の伸張を良しとしないわが国にとって、まさしく痛恨の自体といえる。
4/20
ノート〇ダム寺院炎上
火元は焼き芋の葉山との事。主犯のパリ司教は既に当局により拘束された
王国は現在、各国大使館や教皇庁に再建の為の寄付を呼び掛けている
3/27
イリュリア北部平定
3/26
こりゃめでタイ!
25日午前11時、シェラルド王国先王にしてソフィア陛下の姉君であらせられる、現トラキア・ローマ皇后シルビア様が、皇帝ユリウス陛下との間に晴れて第一子を授かられた。
また、日を同じくして先日成人したばかりの、妹君であらせられるイサベラ様の縁談が成立したとの報が下された。お相手はなんと極東大八洲が(元)皇子殿下である。
ソフィア陛下はこのめでたき日を急遽祝日に定められ、首都パリースイィでは通りという通りが瞬く間に華やぎお祭り騒ぎとなった。偉大なるシェラルド王国と神聖な婚姻により結ばれた諸王朝とに永遠に神の祝福あれ!
▲輝彦様は既に首都にはいられており、ミーハーなパリ市民の間ではジャポニスムブームが巻き起こっている
3/25
汎トラキア・ローマ主義を支持 シェラルド軍イリュリア北部より侵攻
3/22
シェラルド軍inオーストリア
3/21
中央軍東進
アフリカ征伐の任を受けパリースィィを発ったブングルディ公の軍勢は、しかしリヨンに至り突如進路を東へ取った。現在はヘヴェルティ公領へ入った模様。
3/20
騎士の鑑!ローライン公一騎打ちにて蛮族の長討ち取る
ローライン公フレゼリク五世は宗教的情熱の元、わずかな家臣の騎士達とともにギニア行きの船を自ら率いた。そしてなんと、改宗に応じない部族の長に一騎打ちを申し込み、見事その首をとってみせたのだ。
その後公の軍勢は余勢をかって一帯の小国家群を蹂躙せしめ、遂にギニア地域を攻略、女王陛下へ献上を果たした。
この格別の功と騎士とはかくあるべきという程の武勇に、陛下は称賛と、増援1万7千の兵の指揮権を与えられた。
この軍勢で以て、中央の大国マーリ帝国領への侵攻が予定されている。
3/19
秘境探検隊
この様子を収めたVTRはシェラルド本国で放送され視聴率33%を記録した
3/16
シェラルド海洋帝国の防衛強化を決定
シェラルド王国軍は17日、植民地競争の激化をうけ、海外領土であるシェラルドカレリア及びアデン=ミノリニア=イェリング朝イエメンの戦力の強化を決定した。
これら海外領土は過去の聖戦により無数の兵士の命と引き換えに勝ち得た土地であり、ひとつの欠損も許されない神聖な王冠量である。
首都パリースイィではこれら領土の重要性をしらしめるべく、カレリア戦争の戦勝及びミノリニア戦争の敗戦を記念する式典が催された
▲ひろいね
3/16
めざせ大陸制覇!〜シェラルドよ世界へ漕ぎだせ〜
ソフィア陛下は更なる植民地拡大を目指し、アフリカ大陸におけるヴァイキング活動の合法化された。
この法令はアフリカへ赴くヴァイキング船団に対し、征服地の女王陛下への献上を約束すれば、公私問わずに国家による多角的な支援を約束し、また略奪品の一部の個人所有を認めるものである。
法令交付後、海洋精神溢るる誇り高きシェラルド人はこぞってマルセイユ、ツーロンまたモンペリエよりヴァイキングボートを漕ぎ出した。
既に「セネガル」、「ギニア」、「シエラレオネ」「ナイジェリア」等の西岸地域の河川域では千年越しの征服事業が進行している。
大陸派遣軍はまた、これらの地域とシェラルド領アルジェリアとを接続せしめるべく、「マリ」「ニジェール」へと侵攻を開始した。
3/14
アルジェリア征服完了 王領地へ編入
シェラルド王国アフリカ派遣軍は14日、アルジェリア諸藩の征服を完了し、これを受けてソフィア陛下はアルジェリアの王領地への併合を交付された。
アフリカ大陸の植民地化においては、先んじて神州大和がエジプトを編入しており、シェラルドはこれを追う形で対岸のアルジェリアを獲得。彼国の植民地拡大政策、また欧州各国のアフリカ進出に対し優位を獲るべく、我が国も更なる拡大へ向け邁進している。
3/12
王国中央軍「クリッツブラウ」動員
王国は来る戦争に備え、王国直轄領及び王国元帥カルア公の所領たるブングルディの連隊からなる六万の陸軍を動員した シェラルド軍はその特徴的な色彩から『クリッツブラウ』(ロイヤルブルーの意(適当))で呼称される
▲上裸公の異名を取る指揮官ブングルディ公カルア5世
3/11
陛下 外交方針に言及
親愛なる国母、主の恩寵賜りし偉大なる全シェラルド人の女王ソフィア陛下は11日、混迷を極める世界情勢を憂慮され、困難を乗り越えシェラルドを一層の繁栄へと導くべく、外交方針における「3本の柱」を打ち出された
- 潜在的驚異への牽制(ハプスブルク、ボルボンの拡大抑止)
- シェラルド覇権の確立(ナポリ、サヴォイ、バスク等への拡張、植民地建設)
- 信仰の強化(十字軍の成功、聖座のアヴィニョン誘致)
また、訓練中の落馬事故により療養を余儀なくされたヴィクセン卿に代わり、ブングルディ公カルア殿下を王国中央軍最高司令官に任ぜられた
3/4
ヘルベティア公国内の共和主義者の暴動を鎮圧
精強を誇る近衛ポーランド人部隊はジュネーブを僅か12日間で攻略した
2/3
地中海艦隊出港
教会を乗せた駆逐艦 ふさわしい
2/2
十字軍招集 クレルモンより聖戦を宣言
いざエルサレム
「此度の十字軍発令の詔は西欧カソリック諸国の団結と聖地奪還の悲願達成へ向けた偉大な第一歩である。」
「それはそれとして、教皇聖下が天啓に従い公会議開催の地をクレルモンに定められたことは、我がシェラルド王国とイェリング王家こそが真に主の祝福を賜りし存在であることを証明された。
にもかかわらず、祖地イェリングを持つダンマルク王国のみならず、ノルマン・シチリア王国を起源にもつナポリ王国の継承が叶わないことは、王国の威信に関わる懸念事項であり、かような挑戦的行為への用意を怠ってはならないわね」
1/6
新年シェラルド情勢
シェラルド王国首都パリでは、新年早々暴動が続いている
というのも、王立紅茶協会の「ミルクが先」という見解に対し、後入れ派のパリ市民が撤回を求め過激な抗議活動を展開。市警は鎮圧作戦を継続しているが、難航しており泥沼化の様相を示している。
王立紅茶協会の威信を守りたい意向の陛下は、この件に対し、軍隊を用いた介入を仄めかしている。
10/31
ハッピーハロイン
ルテニア産のカボチャは欧州全土に輸出される優秀な商品作物です
10/30
へっぽこフランソアへ苦言
友邦ベルタティス連邦の誇る高度な諜報機関はフランソア王国の領土的野心を暴き立てた。
シェラルド王国はこのような【侵略主義を非難し】つつも、神聖同盟の立場から、【厳正中立の方針を公表した】。
そもそもフランソア王国は、姑息にも北海協商の自由貿易に度々介入しようとするばかりか、あまつさえ教皇猊下のおはす聖座を事あるごとに自国にほど近いアヴィニョンへと誘致せんとする不埒な輩であり、真の信仰の擁護者を自認するシェラルド王国とは関係が悪化している。
また、レニングラード攻勢は、現在難航しているとのこと
10/29
イベリア戦線快進撃 敵首都包囲
ジデンローヴ将軍のイベリア派遣軍は、カタルーニャ地方での緒戦で多大な勝利を得、敵野戦戦力の駆逐に成功。一挙首都オゼーシアへと至り、攻囲を開始した。
▲つよいぞシェラルド軍
10/28
第二次レニングラード攻略作戦始動 シェラルド軍総攻撃
カレリア戦争の進退を懸けた一大作戦が開始された。
一次作戦の失敗をうけ、シェラルド軍は準備作戦としてロセヴォ方面を陥落せしめ、また奇襲的電撃戦により一挙にネヴァ川へと到達。その後は損耗の回復を待ち、満を持して総力を結しての二次攻勢となった。
なお、先日の予想外のシランナ軍の反攻により、集積物資の一部及び複数の航空機が損害を被っているが、天候の都合上計画の遅延は不可能であり、本作戦は強行されることとなった。
防衛線へ突撃するシェラルド軍
10/23
首都の反戦暴動を鎮圧 新設シェラルドフサリア活躍
シェラルド王国の北方十字軍はいまなお偉大な軍事的成功の下継続されており、前線では第二次レニングラード攻勢の準備が進められている。しかし、銃後では愚かな一部の民衆が、あまつさえ女王陛下の御膝元で暴動を起こした。
彼らはたて続く戦争による生活苦を訴えたが、北海協商の成功によりシェラルドの交易収入はなお増加、経済状況は極めて好調であり、所詮は背後の共和主義者、共産主義者に惑わされた愚衆であると、直ちに近衛連隊により鎮圧された
▲実際儲かるのは交易商や武器商だけであり、兵力や租税を提供する一般市民の生活は消耗しているという言説は共和主義者、共産主義者の悪辣なプロパガンダです
10/20
防衛線突破に成功 ネヴァ川へ向け進撃
ロセヴォ攻勢の集積を転用した大規模な奇襲作戦により、カレリア南部での敵防衛線の突破に成功。前線を大幅に押し上げ、先遣部隊はネヴァ川を射程に収めた
10/16
フサリア連隊 ドナウ連邦国境付近へ展開
有翼衝撃重騎兵を多数有するポルシキェン王国近衛連隊がドナウ連邦国境沿いのカトヴィツェへ展開した。
ディルツラントへの接近を試みる同国への牽制が目的とみられる。
▲ローマ様パクってごめんね
10/16
ロセヴォ陥落
シェラルド軍は遂にヴォクサ市庁舎にクロスを掲げた。
北部最後の砦であるロセヴォの陥落により、ラドガカレリア全域を占領下に収めたシェラルド軍の次なる目標は補給路を失したレニングラード市だ
▲シェラルド軍の勝利を祝福するように、十字旗を掲げる瞬間は晴れ間が刺した
▲捕虜にも人道的な対処
10/15
ロセヴォ市街突入
シェラルド軍はヴォクサ以東全域を占領下に収め、遂にロセヴォへ全方面より突撃を敢行した。
市街では激戦の末シェラルド軍が勝利を収めつつある。シランナ軍残党を取り逃すまいと、更なる攻勢を続けている。
▲シランナ兵は追い詰められる程強くなる性質があるのかもしれない
10/13
ポルシキェン政情安定
ポルシキェン=リートラント連合王国は僭称者軍残党やルテニアコサックの反乱を鎮火し、シェラルドの全面的なバックアップによる作物輸出で経済も順調だ。軍隊の再整備も進めており、東欧の雄としての存在感を示しつつある
▲王自らによる親征も行い、統治者としての権勢を広める
車両はポルシキェン軍装甲車リース
10/11
フィゲレスのザ軍を撃破。イベリアへ
【ジブラルタル戦争】
シェラルド軍3万2千はジデンローヴ将軍指揮の下、カタロニア北部、国境の町フィゲレス近郊にて待ち構えるザーティエラ軍と激突し、これを敗走せしめた。
▲ジデンローヴ将軍(右)。歴戦のハゲだ
10/10
ラドガカレリア航空戦
【カレリア解放戦争】
ロセヴォ攻略へ向けた作戦は順調に推移していたが、降り続く雨の切れ目を縫うように敵航空機が来襲、空爆による被害を受けた。
これをうけて、シェラルド空軍はラドガカレリア空域へと全力展開を開始。今迄は出し惜しみされていた虎の子の最強戦闘機Fm671も投入されている。
▲シェラルド空軍技術の粋を詰め込まれたFm671Cレイキャヴィーク。対空は勿論、カウンター空爆任務もこなせる
10/7
国道寸断、北部では迂回部隊がロセヴォへ接近
▲主力を試運用のKamv.125から雪原、泥濘に適した軽量なKamv.18へとスイッチしたところ、攻撃効率は格段に向上した
10/6
対ザーティエラ開戦
「女王!腐れ豚野郎のザーティエラ王国はシェラルド王国に対し、宣戦布告しました」
シェラルド王国はジブラルタル問題の平和的解決を志向し、外交官を派遣し討議を求めたが、かの野蛮人からなる未開国家はこれを無視し、暴力的解決を押し付けてきた。
女王陛下の元に連なる王冠領はいかなる欠損も許容されない。シェラルド王国はあらゆる手段を以て侵略に対抗すべく、宣戦布告を受理し、国軍の派遣を決定した。
直ちにあらかじめフランソアにて待機していた陸軍が越境を開始した。
▲ジブラルタル守備隊を救出すべく、陸海軍により早期に屈服せしめなければならない
険峻なイベリアの岩山も、スカンジナビア山脈に比べればマシ
10/5
転戦
周辺村落の制圧は着々と進んだが、本丸レニングラード市は徹底した防衛陣地構築がなされており、予想以上の堅牢さを誇ることが数度の攻撃から確認された。
シェラルド軍は攻略対象をレニングラード市から、ヴォクサ川以北にて孤立している敵部隊及び、レニングラード市へと至る補給路であるM3号線へと変更した。
▲ほのぼのシェラルド軍
10/2
艦艇ぞくぞく
イキりドイツマンをバルト海から締め出すべく艦艇が続々と就役している
▲Byske級哨戒艇
▲Gotland級原子力潜水艦
▲Geilo級潜水艦
▲Älvsbyn級潜水艦
9/30
レニングラード攻撃
シェラルド軍の進撃は、遂にレニングラードを射程に収めた。
都市の攻略にはカレーレン公ヴァルデマールが任ぜられた。公は傘下の砲兵に結集を命じ、都市への砲撃及び、続く攻撃戦の方針を示した。
▲Artilleri58 Gyrdenloweは203mmの大口径と自由装薬による超射程を備えており、集中砲火を浴びせれば町一つひとたまりもない。
ギルデンレーヴェは1864年のドイツとの戦争で英雄的活躍をした将軍の名だ
9/28
シェラルド軍快進撃
シランナ軍の国境警備隊を撃破したシェラルド軍は、目標のカレーレン内ラドガ西岸を早々に占領せしめた。
緒戦の大戦果をうけ、ソフィア陛下は神意を確信し、さらなる攻勢を希望された。すなわち、シランナ第二の都市、レニングラードの占領だ。かの都市を堕とし、イングリアを奪取できれば、ファーランからエストゥランへと至る回廊が完成する。
▲徹底的に訓練されたエリーエ軍団は恐ろしい浸透速度を誇り、多くの敵兵及び装備、資源の類を鹵獲した。騎士道精神に則り降伏勧告を送るも、拒否するシランナ兵は多かった。
▲中でも右翼を担ったウルフェルト軍の先鋒を務めた連隊は瞬く間に敵部隊を殲滅し、突破に多大な貢献をした。なんでも連隊付参謀のシチリア人カターニア大尉の奇襲計画が功を奏したのだとか。彼自身騎兵を率い戦果をあげたこともあり、高い指揮能力を買われ戦時昇進で少佐となり、戦車大隊を任された。この人事には、連隊長のウルフ大佐が鹵獲品のドイツ産じゃがいもに当たってしまい、戦線離脱を余儀なくされたのっぴきならない理由もある。
9/25
シェラルド王国、シランナ民主共和国に対し宣戦布告
シェラルド女王にして北欧カルマル同盟の盟主ソフィアは廷臣を召し、詔を発した。曰く、「カレーレンは同胞ファーラン人の故郷でありながら、悪辣で蒙昧な、共産主義という異教の毒手に囚われている。北欧の盟主の名において、速やかに彼の地を奪回し、イェリングの威光を知らしめ、真の信仰を回復せしめよ。」
シェラルド主席国務大臣ユーリングは直ちにシランナ民主共和国に対し、「カレーレンからの退去、割譲」を求める最後通牒を、期限を24時間として突き付けた。シランナ政府からの返答はなく、3010年11月23日、宣戦を布告した。
現在、東方国境に集結したアーベルトフト将軍麾下のエリーエ軍が越境を開始、敵守備隊に猛攻撃をかけている
▲カレリアは私のもの
▲Kamv.125の初めての実践投入となる
9/23
ハルデン級ミサイル艇
バルト海の警戒を強めるシェラルドは新たな小型戦力を開発した
▲ちいさくてかわいい
9/23
ジブラルタル返還要請
史領ジブラルタルは本国と地中海に点在する領地とを結ぶ海峡の要衝であり、また同盟国ローマ帝国との連絡路でもある。そのため、租借契約が失効しても、シェラルドはあらゆる詭弁妄言や難聴を駆使して躱していたが、遂に抗議声明をくらってしまった。
前途の由で退去は認められないため、交渉施設として外交官バルテス氏がバルセロナへ飛んだ。
9/17
辺国皇女をおもてなし
ベルタティス皇女殿下がシェラルド王国を訪問された。
殿下は皇女の身でありながら政治や学問に敏く、乗馬も嗜む文武両道の才女であらせられ、またソフィア陛下と年近いこともあり、意気投合されたようであった。
辺国では近年古き良きアンシャンレジームの気風が起こり、シェラルドとの友好はいっそう深まることであろう
▲アマリエンの長廊下を歩きながら談笑される両人
9/10
対独国境 緊張高まる
ポルシキェン継承戦争や神聖同盟、北海協商の外交的成功を受け、シェラルド国内世論の盛り上がりは最高潮に達している。
特に神聖同盟のイデオロギーの影響を受け、シェラルド王冠の欠損を回復すべく、シュレスヴィヒホルシュタイン奪還の悲願を達成すべしと、対独強硬の論調はもはや抑えがたい勢いを得ている。
王国は最早開戦は遠い未来ではないとして、最新のKamv.125を始めとした戦力の集中を推し進めている。
▲ノルディユラン、シュレスヴィヒ国境の王国軍団。戦歴鮮やかなシェラルド陸軍の栄光を支えてきた精兵揃いだ
▲エストラント領で待機しているバルト軍団。いつでもポルシキェン領からオストプロイセンへ攻め込める
9/9
ドイツじんハンターKamv.125シグリーズ
シェラルド王国は新たな主力戦車の配備を開始した
Kamvognn125 Sigridと名付けられたこの戦車はKamv.124をベースに改良を施されている
信管調節や指定自由装薬等主力の榴散弾を補佐する機能に富み、また同等の火力に耐え得る全周装甲を備えている
▲ユランやエストラントの師団に優先的に配備される
9/8
四王会談
ソフィア陛下は諸王をアマリエンへ招かれ、会談の席を設けられた。
晩餐会の華やかな宴席はロイヤルコペンハーゲンの格調高い食器と一流の宮廷料理人による鮮やかなシェラルド料理が演出し、終始和やかな雰囲気に包まれた。
▲左からフランソア王シャルル13世、シェラルド女王ソフィア1世、コモンウェルス王シグムント5世、ピエモンテ王アメデーオ9世
9/7
神聖同盟への誓約
諸君主が主より賜ったレガリアは神聖不可侵であり、決して共和主義者の泥まみれの手に渡ってはならない。 世界を統べる四帝は始まりの都ローマに集い、全ての王冠は正しき形に、正しき主の元に還らねばならないという絶対の原則を確認し合った。
▲特に理由のない衣装差分
9/6
北海協商成立
シェラルド王国は積年の友邦ベルタティス連邦と、バルト海-北海における貿易協定及び対独攻守同盟を主軸とした包括的二国間協定に調印した。
先の領空侵犯事件にみられるように、ディルツラントの領土的野心が共産時代とかわらず低地地方を脅かしていることは明らかであり、同じく半島部にて侵略を受けた(150年前)シェラルドとの協力体制は、対独圧力強化の為必要な措置であった。
また、イェリング家の統治により念願の太平を得たコモンウェルスは領内の世界有数の穀倉地帯から続々と輸出を開始しており、バルト海を経たアムステルダムへの流通を強化することで莫大な利益を生むだろう。
▲協定成立を成功させた敏腕外交官バルテス氏。
「古来より欧州最先端の洗練された文化をもつネーデルラントの市民は、ドイツ産の泥味の芋よりも、ウクライナ産の豊潤な小麦の味を好むだろう」
9/5
コモンウェルス反乱終結
反乱軍首魁の戦傷者は捕縛、処刑され、南部派貴族はその身こそ安堵されど、所領は没収となり国外へ追放された。ここにポルシキェンからルーシに跨る大王国のすべてが新王シグムントⅤ世の統治下となった。
この日シグムント王はワルシャワ宮殿から広場に詰め寄せた民衆の歓声にこたえ、王国のさらなる発展と未回収のポルシキェン(グダニスクやシュチェチン等)の奪還を誓った。
また、王は果敢なクラクフ攻撃により趨勢を早め、早期の安定を齎したトラキア・ローマ皇帝の力添えに大変感激し、国境のモルダヴィアを割いて献上し、謝意を表した。
▲イェリング家の版図は広く東欧に及び、日の沈まない帝国と謳われたが、これは北欧特有の白夜のことを指した皮肉だった
9/3
シェラルド兵とポルシキェン兵
なかよし
9/3
フランソア王と会談
ソフィア陛下は西方の大国フランソアの王を招かれ、両国の友好とさらなる発展について協議された。
フランソア王国は大戦より半世紀を経て概ね統合されており、また先のイェリング王朝時代の縁で要職にノルドの者が多く、シェラルド王国とは非常に友好的な関係を築いている
▲両国王はまた、ドイツに不当に占拠されている王冠領の回復を誓い合った
9/2
クラクフ陥落
なお敵首魁はキエフへ逃亡中に南下していたエリーエ軍に捕縛されたようだ
▲堂々入城
9/2
早期決着か?クラクフ包囲
同盟参戦のトラキア・ローマ軍が早くも敵本拠クラクフを包囲したとの報が入った。どうやら敵防衛部隊はモルダヴィア方面からの侵攻とみてウクライナに展開していたようで、スロバキアから入ったローマ軍は裏を掻いた形になったようだ。
シェラルド=ポルシキェン連合軍はクラクフでの合流を急ぎ、敵軍が戻ってくる前の陥落を狙う。
▲かっこいい
9/1
無敵有翼重装騎兵 反乱軍に快勝
適格な突撃により敵隊列を壊滅させたフサリアの活躍により、ルブリンの確保に成功した。
▲強い
反乱軍を撃滅すべく、ポルシキェン=シェラルド連合軍は二手に分かれ、行動を開始した。
中東から召喚されたアーベルトフト将軍を指揮官としたシェラルド王国軍3万はポルシキェン王国大ヘトマン シェイフスキの指揮下に入り、ポルシキェン軍2万8千と共にビスワ川を南下、現在どちらにも属していない大都市ルブリンの確保を目標とした。
また、王国元帥エストラント公にはエリーエ軍1万8千とエストラント軍1万を預けリートラント領内の小領や反乱軍の鎮圧に割いた。
速報によるとブワピ近郊で戦闘が発生したとの情報が入っている
ポルシキェン王国首都ワルシャワにて戴冠式が行われ、エリーク殿下はポルシキェンの王並びにリットラントの大公シグムント5世として即位された。
首都ワルシャワにて、コモンウェルスのセイムは伝統に則り選挙を開き、これの結果を受けて正式にエリーク殿下を新国王として迎え入れる旨を表した。
これにて晴れて殿下はコモンウェルス王となるはずだが、不思議なことに既にポーランド国内にコモンウェルス王を称す者がいるようだ。<br>そも先の選挙には親シェラルドの北部貴族しか出席しておらず、外国人支配やシェラルドの絶対主義に反発した南部の共和派貴族達は、クラクフにて勝手に独自の国王を推戴してしまったようだ。
一つの王国に二人の王は必要なく、ましてや歴史と伝統を蔑ろにする僭称者であれば、正当な王の責務として、直ちに誅さねばならない。殿下は戴冠を急ぐべく、直ちにワルシャワへと経たれた。また、ソフィア陛下は支援の為、エストラントの公クリストファに軍を預け、同じくワルシャワへと向かわせた。
▲雪中行軍 噂によれば南部勢力の背後にはディルツラントの影が見えるとか
シェラルド王太弟エリーク殿下がコモンウェルス国王選挙の候補とし推挙され、殿下はこれに応えた。
コモンウェルス(ポーランド=リトアニア共和国)は長らく社会主義勢力の支配下に置かれていたが、ドイツでの民主化と期を同じくして従来の貴族共和制への復古が果たされていた。これまで空位であったが、ようやく国王選挙が行われる運びとなったようだ。ドイツ国内の王冠領の回復や東方勢力への対応等で利害を共にする北部閥からの支持を受けた殿下の他、南部に強力な支持基盤をもつプルスト家の当主が候補者となっている。
ローマ首都で催された国際軍事パレードにシェラルド王国も招かれた。
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