10年前、刻封獄事件への追加部隊として現場へ入り、そこでの地獄絵図を経験してしまう。
結果闇背負いを人間の延長として捉えてしまい、狩りを辞める。
その後は、階段街区より先に往くならまだしも最下層以下に留まる闇背負い達までも狩ろうとする鴉を狩る為に自ら落ち、今に至る。
普段は巡回がてら人間を襲う闇背負いに牽制をかけ、奥地へ入り込み過剰な闇背負い狩りをしている。
結果闇背負いを人間の延長として捉えてしまい、狩りを辞める。
その後は、階段街区より先に往くならまだしも最下層以下に留まる闇背負い達までも狩ろうとする鴉を狩る為に自ら落ち、今に至る。
普段は巡回がてら人間を襲う闇背負いに牽制をかけ、奥地へ入り込み過剰な闇背負い狩りをしている。
暗澹の底、血霞の明日
その日、青年は地獄の顕現を目の当たりにした。
白鴉城、階段街区の一角。一蛇籠。
せり出す階段の脇に無理やりしつらえた商店街が形成する、迷路のような路地裏。
薄く虹色に反射する油っぽい水たまりの上を、鼠の群れが走り抜けて行った。
そこへ、何かから逃げるように怯えきった様子の男が一人駆けてくる。
「畜生──!」
走り疲れたのか、よたよたと男は足を止めると、おもむろに壁に倒れるようにしてもたれかかり、胃の中身を撒き散らす。
せり出す階段の脇に無理やりしつらえた商店街が形成する、迷路のような路地裏。
薄く虹色に反射する油っぽい水たまりの上を、鼠の群れが走り抜けて行った。
そこへ、何かから逃げるように怯えきった様子の男が一人駆けてくる。
「畜生──!」
走り疲れたのか、よたよたと男は足を止めると、おもむろに壁に倒れるようにしてもたれかかり、胃の中身を撒き散らす。
無理もない。
”三々華”の名を持つこの鴉はこの世の地獄を目の当たりにしたのだから。
”三々華”の名を持つこの鴉はこの世の地獄を目の当たりにしたのだから。
──話は、3時間ほど遡る。
3時間前。白鴉城、最下層への道。
「なぁ、三々華ハンチョさんよ。緊急招集だなんて今まで聞いたこともねーしオレ達みたいなペーペーが向かってもしょうがねえんじゃねえのー?」
「口を閉じて、足を動かせ。鳥兜。そんな状況下で、こんな立場の俺たちだからこそ向かうんだろうが。」
鳥兜と呼ばれた眠そうな声の青年は、へいへいと不服そうに口を閉じる。
「1時間も寝こけて召集に遅れておきながら、よくもそんなことが言えるなお前は。」
「そりゃ我らが誇るハンチョ殿が、きっと迎えに来てくれると信じてたからですとも。いやー、厚い信頼を部下から勝ち得てるなんて素晴らしい上司だなー。」
全く悪びれない鳥兜の軽口に、三々華は深々とため息をつく。改めて欲しいと願えども、これはいつもの事のようだ。
だが、先ほど鳥兜が吐いた言葉を、三々華自身戯言と断じられないでいた。
自分たちはついひと月前『鴉』となったばかりのひよっこの集まりで、銀華に至ってはこないだまで紫香楽の女学生だった。
そんな自分たちが、今朝方最下層へ入って行った猛者達の後続として緊急招集をかけられるなど、不自然極まりない。
そんな疑念を振り払い、三々華は鳥兜へと預かっていた仲間の伝言を伝える。
「……先に行かせた銀華達から伝言だ。『約束の三度目だ。首洗って待ってろ』だと」
「おー、怖。でも仏の顔のことなら三度までセーフって話じゃ……。」
「お前な!いい加減に──」
苛立ちのあまり鳥兜を一喝しようと振り向いた三々華の耳を、一丁の手斧がかすめた。
手斧は風切りの残響を三々華の耳朶に刻みながら、背後に忍び寄っていた闇背負いの首を刈り取っていた。
「……悪い。」
「よっしゃ貸しイチ!というわけでなんとか取りなしてくださいよハンチョ!」
不承不承といったように苦々しげに礼を言う三々華に対し、得物を弄びながら鳥兜は軽口を叩くがその目は既に戦場に立つもののそれになっていた。
「思ったよりもヤバそうだ。銀華達見つけて一度上で状況整理といきましょうや、ハンチョ。」
「口を閉じて、足を動かせ。鳥兜。そんな状況下で、こんな立場の俺たちだからこそ向かうんだろうが。」
鳥兜と呼ばれた眠そうな声の青年は、へいへいと不服そうに口を閉じる。
「1時間も寝こけて召集に遅れておきながら、よくもそんなことが言えるなお前は。」
「そりゃ我らが誇るハンチョ殿が、きっと迎えに来てくれると信じてたからですとも。いやー、厚い信頼を部下から勝ち得てるなんて素晴らしい上司だなー。」
全く悪びれない鳥兜の軽口に、三々華は深々とため息をつく。改めて欲しいと願えども、これはいつもの事のようだ。
だが、先ほど鳥兜が吐いた言葉を、三々華自身戯言と断じられないでいた。
自分たちはついひと月前『鴉』となったばかりのひよっこの集まりで、銀華に至ってはこないだまで紫香楽の女学生だった。
そんな自分たちが、今朝方最下層へ入って行った猛者達の後続として緊急招集をかけられるなど、不自然極まりない。
そんな疑念を振り払い、三々華は鳥兜へと預かっていた仲間の伝言を伝える。
「……先に行かせた銀華達から伝言だ。『約束の三度目だ。首洗って待ってろ』だと」
「おー、怖。でも仏の顔のことなら三度までセーフって話じゃ……。」
「お前な!いい加減に──」
苛立ちのあまり鳥兜を一喝しようと振り向いた三々華の耳を、一丁の手斧がかすめた。
手斧は風切りの残響を三々華の耳朶に刻みながら、背後に忍び寄っていた闇背負いの首を刈り取っていた。
「……悪い。」
「よっしゃ貸しイチ!というわけでなんとか取りなしてくださいよハンチョ!」
不承不承といったように苦々しげに礼を言う三々華に対し、得物を弄びながら鳥兜は軽口を叩くがその目は既に戦場に立つもののそれになっていた。
「思ったよりもヤバそうだ。銀華達見つけて一度上で状況整理といきましょうや、ハンチョ。」
剣戟の音が、近くで戦闘が起こっていることを知らせてくれるが、孔の壁に反響するそれは二人が進むべき方角の特定を著しく困難にしていた。
彷徨い続け、どれだけの時が経っただろう。襲い来る闇背負いとの応戦を重ねながら二人はそこへと至った。
十年のちも忌まわしき記憶として囁かれることとなる、刻封獄事件。その最中へと。
彷徨い続け、どれだけの時が経っただろう。襲い来る闇背負いとの応戦を重ねながら二人はそこへと至った。
十年のちも忌まわしき記憶として囁かれることとなる、刻封獄事件。その最中へと。
二人がそこへ足を踏み入れた最初に抱いた感情は、『安堵』だった。
見慣れた華奢な後ろ姿、『まだ着られるんだし、あと少しだけ』と卒業しても袖を通していたお気に入りの学生服。
二人の知る銀華の後ろ姿を、二人はそこに見た。
だが、それもつかの間。背後の気配に振り向いた銀華の姿は、変わり果ててしまっていた。
雪のような彼女の白い肌を埋め尽くして蠢く、目、眼、瞳(め)。
その様に凍りついた三々華と対照的に、鳥兜の動きは迅速だった。
二丁の手斧を両手の構え、狙うべき『的』へと肉薄し、薙ぎ払う。あまりに適切すぎる行動。
そして、鳥兜の穿った傷は光を放ち爆ぜた。手投げ弾級の火球は、瞬間的に周囲に淀む闇を吹き飛ばしその様を二人の視界へと焼き付けた。覆しようのない地獄の様相を。
見慣れた華奢な後ろ姿、『まだ着られるんだし、あと少しだけ』と卒業しても袖を通していたお気に入りの学生服。
二人の知る銀華の後ろ姿を、二人はそこに見た。
だが、それもつかの間。背後の気配に振り向いた銀華の姿は、変わり果ててしまっていた。
雪のような彼女の白い肌を埋め尽くして蠢く、目、眼、瞳(め)。
その様に凍りついた三々華と対照的に、鳥兜の動きは迅速だった。
二丁の手斧を両手の構え、狙うべき『的』へと肉薄し、薙ぎ払う。あまりに適切すぎる行動。
そして、鳥兜の穿った傷は光を放ち爆ぜた。手投げ弾級の火球は、瞬間的に周囲に淀む闇を吹き飛ばしその様を二人の視界へと焼き付けた。覆しようのない地獄の様相を。
爆風に吹き飛ばされた鳥兜はその勢いのまま三々華の立つ方向へ飛んでゆき、反応の遅れた三々華を巻き込んで地面へと転がる。
「呆けてんじゃねえぞ!どういうつもりだ!」倒れこんだままの三々華の胸ぐらを掴み上げ、鳥兜が怒声をあげる。そこに、先程までの余裕はかけらも残されていなかった。
「お前こそどういうつもりだ、なんで銀華を……。」
「あいつは、いや、あいつらはもう変わっちまった!なら俺たちのすることは一つ。せめて俺たちの手でケリをつけてやるべきだろうが!」
それが鴉の為すべき事だと、三々華も重々理解していた。だが、目に焼き付けられた光景がその行動理念を打ち砕いてしまっていた。
「違う……、あれは『人』だ。」
「呆けてんじゃねえぞ!どういうつもりだ!」倒れこんだままの三々華の胸ぐらを掴み上げ、鳥兜が怒声をあげる。そこに、先程までの余裕はかけらも残されていなかった。
「お前こそどういうつもりだ、なんで銀華を……。」
「あいつは、いや、あいつらはもう変わっちまった!なら俺たちのすることは一つ。せめて俺たちの手でケリをつけてやるべきだろうが!」
それが鴉の為すべき事だと、三々華も重々理解していた。だが、目に焼き付けられた光景がその行動理念を打ち砕いてしまっていた。
「違う……、あれは『人』だ。」
ざわざわと周囲の闇から這い寄る音が一つ、また一つと数を増やしながら近づいてくる。二人の言い争いの声だけでなく、先の爆発を寄る辺に寄せられて来たのだろう。
鳥兜は三々華の口から漏れ出した言葉に激したようだったが、言葉を飲み込んだように背中を向け得物を構える。
三々華ものろのろと刀を抜き──。
刻封獄事件、その締めくくりとなる最後の戦いが幕を開けた。
鳥兜は三々華の口から漏れ出した言葉に激したようだったが、言葉を飲み込んだように背中を向け得物を構える。
三々華ものろのろと刀を抜き──。
刻封獄事件、その締めくくりとなる最後の戦いが幕を開けた。
その後のことを、三々華はよく覚えていない。
記憶にあるのは、ただひたすらに光を目指して突き進んだことだけ。
記憶にあるのは、ただひたすらに光を目指して突き進んだことだけ。
そして、気がつけば階段街区の路地裏に無様に倒れこんでいた。もう立ち上がる気力もない。
ゆっくりと薄れて行く意識の中、遠く、少女の声を三々華は聞いた。
ゆっくりと薄れて行く意識の中、遠く、少女の声を三々華は聞いた。
「ねぇ、お爺。みちに、ひとがたおれてるよ?」
目を覚ますと、粗末な戸板が目に入った。
見間違いかと三々華はぼやける意識を奮い立たせるが、やはりそれは戸板であったし、そもそもまともな板材が一つも使われていないことがよくわかっただけだった。
ベニヤ、トタンを始め、引き出し、プラスチックのソリ板、鉄板、果ては巨大な版画まであるという混沌でその天井は構成されていた。
身を起こしながら、どうやってこの愉快極まりない天井が固定化されているのかという疑問に意識を持って行かれていると、ぺたぺたという足音とともに障子が開く。
「あ!起きたんだ!」
入って来た少女はまだ6、7歳と言ったところだろうか。濡らした手ぬぐいと桶を持った少女は、その歳にしては粗末な着物に似つかわしくない可憐さが滲み始めているが、どうにも生傷が目立つ。喧嘩によるものだろうか。
「もうまる二日は寝てたんだよ?大丈夫?」
手ぬぐいを絞りながら少女は尋ねる。
「あぁ……、すまない。ところで此処は?」
「階段街区の二瓜。お兄さんがいたのは一蛇籠ってとこだけど、何があったの?」
「何が……って。」
三々華は記憶を思い起こそうとして──。
あの、『地獄』を再認識する。
「っ──!」
「どうしたの!?ふるえてるよ!?おにいさん大丈夫!?」
慌てて駆け寄る少女をよそに、再び恐慌状態へ陥ろうとする三々華へ、少女の背中から凛とした声がかけられる。
「これ、桜。ちゃんと言っただろうに。『客人の事情を知ろうとするな』と。」
不思議と人を落ち着かせる声音だった。
「あな──、たは──。」
「私は九重巌という。ここの顔役のようなことをやっていてね。」
障子の向こうから、品のいい羽織を着た壮年の男性が姿を現わす。三々華の震えが収まって行くのを見届けながら、巌は桜と呼んだ少女の頭に手を乗せて続ける。
「これは孫の桜。君を見つけたのはこの子でね。」
巌に頭を撫でられた桜はくすぐったそうに身をよじるが、手から逃れようとはせずされるがままになっている。
「これも何かの縁だろう。私たちは君に何も聞きはしない、そういう訳ありの連中が集まるところだからね。特にここ、二瓜はね。」
巌は三々華へいたずらっぽく笑いかけた。
見間違いかと三々華はぼやける意識を奮い立たせるが、やはりそれは戸板であったし、そもそもまともな板材が一つも使われていないことがよくわかっただけだった。
ベニヤ、トタンを始め、引き出し、プラスチックのソリ板、鉄板、果ては巨大な版画まであるという混沌でその天井は構成されていた。
身を起こしながら、どうやってこの愉快極まりない天井が固定化されているのかという疑問に意識を持って行かれていると、ぺたぺたという足音とともに障子が開く。
「あ!起きたんだ!」
入って来た少女はまだ6、7歳と言ったところだろうか。濡らした手ぬぐいと桶を持った少女は、その歳にしては粗末な着物に似つかわしくない可憐さが滲み始めているが、どうにも生傷が目立つ。喧嘩によるものだろうか。
「もうまる二日は寝てたんだよ?大丈夫?」
手ぬぐいを絞りながら少女は尋ねる。
「あぁ……、すまない。ところで此処は?」
「階段街区の二瓜。お兄さんがいたのは一蛇籠ってとこだけど、何があったの?」
「何が……って。」
三々華は記憶を思い起こそうとして──。
あの、『地獄』を再認識する。
「っ──!」
「どうしたの!?ふるえてるよ!?おにいさん大丈夫!?」
慌てて駆け寄る少女をよそに、再び恐慌状態へ陥ろうとする三々華へ、少女の背中から凛とした声がかけられる。
「これ、桜。ちゃんと言っただろうに。『客人の事情を知ろうとするな』と。」
不思議と人を落ち着かせる声音だった。
「あな──、たは──。」
「私は九重巌という。ここの顔役のようなことをやっていてね。」
障子の向こうから、品のいい羽織を着た壮年の男性が姿を現わす。三々華の震えが収まって行くのを見届けながら、巌は桜と呼んだ少女の頭に手を乗せて続ける。
「これは孫の桜。君を見つけたのはこの子でね。」
巌に頭を撫でられた桜はくすぐったそうに身をよじるが、手から逃れようとはせずされるがままになっている。
「これも何かの縁だろう。私たちは君に何も聞きはしない、そういう訳ありの連中が集まるところだからね。特にここ、二瓜はね。」
巌は三々華へいたずらっぽく笑いかけた。
それから約一年。九重家へ逗留した三々華は、あの地獄を少しずつ振り返って行った。
闇背負い、変わり果てた部下達、孔の底の惨状。
そして、ようとして行方の知れない鳥兜。
『鴉』としての責務と、自分が目の当たりにした現実。
闇背負い、変わり果てた部下達、孔の底の惨状。
そして、ようとして行方の知れない鳥兜。
『鴉』としての責務と、自分が目の当たりにした現実。
出した答えを胸に、男は再び止まっていた足を踏み出した。
「行っちゃうのね、さざんかさん。」
早朝、三々華が出立の支度を整えて扉に手をかけた時、いつの間にか桜が褞袍を羽織って背後に立っていた。
「あぁ。世話になったと、爺様に伝えてくれ。」
「じぶんでちゃんといったらいいのに。」
「それはそれで嫌がるだろ?巌爺様は。『勝手にこっちが拾ったんだから、勝手にいつでも出て行けばいいものを』とか」
それもそうだったね、と桜はくすりと笑うと何か思いついたように少し待っててと台所の方へと消えて行く。
戻って着た桜の手には、群青色の小さな水筒が握られていた。
「これね、わたしのとっとき。まほうでおゆがさめないんだよ!」
誇らしげに掲げたそれを、桜は三々華へ差し出す。
「あげる!せんべつ!」
「……いいのか?」三々華は躊躇いがちに受け取る。
「うん。だってさざんかさん、もうかえってこないつもりでしょ?だから。」
見れば、桜の目にうっすら涙が潤んでいる。
「……助かる。」
「じゃあね、さざんかさん。」
「あぁ、達者でな。桜。」
手を振って見送る桜へ、三々華は左手を手を上げて返す。
早朝、三々華が出立の支度を整えて扉に手をかけた時、いつの間にか桜が褞袍を羽織って背後に立っていた。
「あぁ。世話になったと、爺様に伝えてくれ。」
「じぶんでちゃんといったらいいのに。」
「それはそれで嫌がるだろ?巌爺様は。『勝手にこっちが拾ったんだから、勝手にいつでも出て行けばいいものを』とか」
それもそうだったね、と桜はくすりと笑うと何か思いついたように少し待っててと台所の方へと消えて行く。
戻って着た桜の手には、群青色の小さな水筒が握られていた。
「これね、わたしのとっとき。まほうでおゆがさめないんだよ!」
誇らしげに掲げたそれを、桜は三々華へ差し出す。
「あげる!せんべつ!」
「……いいのか?」三々華は躊躇いがちに受け取る。
「うん。だってさざんかさん、もうかえってこないつもりでしょ?だから。」
見れば、桜の目にうっすら涙が潤んでいる。
「……助かる。」
「じゃあね、さざんかさん。」
「あぁ、達者でな。桜。」
手を振って見送る桜へ、三々華は左手を手を上げて返す。
──その後、二人が出会うことは二度となかった。
そして、この日を境に一つの噂が囁かれるようになる。
『闇背負いを追うなら深追いに気をつけろ。最下層には亡霊が潜む。』
そして、四年の時が流れ──。
五年前、最下層。
「走ってあかね!ガラクタに突っ込ませたけどすぐに追いついてくる!」
「もう……無理だよ……。おねえちゃん……。」
この場に似つかわしくない二つの小さな影が最下層の闇の中を駆けてゆく。
「バカ言わないで!早くしないと──」
「──鬼に捕まっちゃうぞ!ってかい?」
背後から台詞を奪う声が聞こえ、あおの全身が総毛立つ。ゆっくりと振り向くと、そこには全身が返り血に染まった一人の鴉がそこに立っていた。
背中からは真っ直ぐこちら目がけて足音が近づいてくる。
万事休す。
せめて姉だけでもと、振り向きざまにあおが腰の後ろに隠した短刀へと手をかけようとするが、即座に腕を捻りあげられ獲物を取り落とす。
「あッ……。」
「あお!やめて!おねえちゃんを離せ!」
「っとと、あんま抵抗してくれんなよ。恨むんなら、闇背負いになっちまったことを恨みなァ。」
あかねは必死にあおの手を捻りあげている男の足にしがみ付くが、男にとっては少々鬱陶しい程度ですぐさま蹴り飛ばされてしまう。
「うっ……」
勢いよくあかねの小さな体は壁に叩きつけられ、意識を失ったのかくたりと横たわる。
「お前……絶対許さないぞ……。」
怒りと悔しさで涙を溢れさせながら睨みつけるあおを男は嘲笑する。
「化け物同士で姉妹ごっこか?人間様をおちょくるのも大概にしろよバケモノ。」
「ボクたちは……闇背負いじゃない……!」
低い声で凄まれようと、一切引かないあおの腕を捻りながら男は続ける。
「お前らは闇背負いのそばにいた。それだけで十分だ。奴らはどんどん増えるし感染る。人の姿を真似やがる。そんなバケモノを叩くにはバケモノになる前に叩くしかねえんだよ。」
どこか病的な語り口を止めぬまま、腕への締め付けを万力を閉めるようにゆっくりと男は力を込めてゆき、やがてボクリと嫌な音をさせるとあおの全身から力が抜ける。
肩を外された痛みで気を失い崩れ落ちたあおを足蹴にし、男は手斧を腰から抜き放つ。
それと同時に双子を追っていた影がようやく現場へとたどり着いた。
そちらへ顔を向けることなく、男は苛立たしげに口を開いた。
「もう全部終わっちまったぞ、こんなガキにいっぱい食わせられるたァ何やってんだ新入り──。」
顔面めがけて放たれた左ストレートを喰らい、男は最後まで言うことができなかった。
「新入りとやらは、ガラクタと見分けがつかないようになってるよ。」
三々華は静かな、だが確かに怒りのこもった言葉を続ける。
「子供相手に随分と粋がるじゃないかよ、鴉。」
鴉は吹き飛ばされながらもすぐさま体制を立て直し、自分を殴り飛ばした影へ目を向ける。
「テメェ……、どこのどいつ……だ……?」
顔を抑えながら敵の顔を視界に収めると、鴉の目が見開かれる。
それは、三々華も同様だった。
「鳥兜………。」
「三々華……?」
「もう……無理だよ……。おねえちゃん……。」
この場に似つかわしくない二つの小さな影が最下層の闇の中を駆けてゆく。
「バカ言わないで!早くしないと──」
「──鬼に捕まっちゃうぞ!ってかい?」
背後から台詞を奪う声が聞こえ、あおの全身が総毛立つ。ゆっくりと振り向くと、そこには全身が返り血に染まった一人の鴉がそこに立っていた。
背中からは真っ直ぐこちら目がけて足音が近づいてくる。
万事休す。
せめて姉だけでもと、振り向きざまにあおが腰の後ろに隠した短刀へと手をかけようとするが、即座に腕を捻りあげられ獲物を取り落とす。
「あッ……。」
「あお!やめて!おねえちゃんを離せ!」
「っとと、あんま抵抗してくれんなよ。恨むんなら、闇背負いになっちまったことを恨みなァ。」
あかねは必死にあおの手を捻りあげている男の足にしがみ付くが、男にとっては少々鬱陶しい程度ですぐさま蹴り飛ばされてしまう。
「うっ……」
勢いよくあかねの小さな体は壁に叩きつけられ、意識を失ったのかくたりと横たわる。
「お前……絶対許さないぞ……。」
怒りと悔しさで涙を溢れさせながら睨みつけるあおを男は嘲笑する。
「化け物同士で姉妹ごっこか?人間様をおちょくるのも大概にしろよバケモノ。」
「ボクたちは……闇背負いじゃない……!」
低い声で凄まれようと、一切引かないあおの腕を捻りながら男は続ける。
「お前らは闇背負いのそばにいた。それだけで十分だ。奴らはどんどん増えるし感染る。人の姿を真似やがる。そんなバケモノを叩くにはバケモノになる前に叩くしかねえんだよ。」
どこか病的な語り口を止めぬまま、腕への締め付けを万力を閉めるようにゆっくりと男は力を込めてゆき、やがてボクリと嫌な音をさせるとあおの全身から力が抜ける。
肩を外された痛みで気を失い崩れ落ちたあおを足蹴にし、男は手斧を腰から抜き放つ。
それと同時に双子を追っていた影がようやく現場へとたどり着いた。
そちらへ顔を向けることなく、男は苛立たしげに口を開いた。
「もう全部終わっちまったぞ、こんなガキにいっぱい食わせられるたァ何やってんだ新入り──。」
顔面めがけて放たれた左ストレートを喰らい、男は最後まで言うことができなかった。
「新入りとやらは、ガラクタと見分けがつかないようになってるよ。」
三々華は静かな、だが確かに怒りのこもった言葉を続ける。
「子供相手に随分と粋がるじゃないかよ、鴉。」
鴉は吹き飛ばされながらもすぐさま体制を立て直し、自分を殴り飛ばした影へ目を向ける。
「テメェ……、どこのどいつ……だ……?」
顔を抑えながら敵の顔を視界に収めると、鴉の目が見開かれる。
それは、三々華も同様だった。
「鳥兜………。」
「三々華……?」
五年ぶりの戦友との再会は、不倶戴天の敵としてのものになった。
「ふざけるんじゃねえぞ……!お前、自分が何してんのかわかってんのか三々華ァ!」
先に口火を切ったのは鳥兜だった。
「『最下層の亡霊』の噂なんざ信じちゃいなかったが、全部お前の仕業か。闇背負いの肩を持つなんざ気でも違ったか!!」
鳥兜は怒声を張り上げると、手斧を構え三々華に飛びかかる。
「それはこっちの台詞だ、鳥兜。」
刀で上空からの一撃を受けとめながら返す三々華の声は、鳥兜と対照的に氷のように冷たい。
「闇背負いは紛れもなく『人』だ。上層へ襲いに出た連中を狩るならまだしも、闇に隠れ静かに過ごす連中を追い回す方が狂っている。」
「どうやらあの時におかしくなっちまったようだな、お前。」
「それはお互い様だ。」
鍔迫り合いの状態からほぼ同時に相手を突き飛ばし、互いに距離を取る。
「あぁ、お前。三々華に化けてんのか……。趣味の悪いことだな。」
「何を言ってる?」
「とぼけてんじゃねえよ、銀華も、他の奴らもお前らが化けてあんなバケモノみたいな姿にしたんだろうがよ………。」
三々華は鳥兜の異変に気がつく。こちらを向いて話をしているのに、鳥兜のその眼はどこも見ていない、怖気の走る空虚な光を湛えていた。
「じゃあ、俺が仇を取るしかなくなんだよ……。だから、お前も死ねよ。三々華もどき」
言い終わると鳥兜は三々華の目の前に存在していた。ビデオテープが継ぎ接ぎされたような唐突さで。
三々華が反応しきるよりも早く斧は振り下ろされ、その頭を穿った。
なんの手応えもなく。
違和感を感じると同時に、刀が鞘に収められる音を鳥兜の耳が捉えた。
「くそっ……。」
倒れこむゆっくりとした時間の中で鳥兜が傍に目を向ければ、そこには霧散してゆく鬼影と右目が赤く血で染まった三々華がこちらを見下ろしていた。
先に口火を切ったのは鳥兜だった。
「『最下層の亡霊』の噂なんざ信じちゃいなかったが、全部お前の仕業か。闇背負いの肩を持つなんざ気でも違ったか!!」
鳥兜は怒声を張り上げると、手斧を構え三々華に飛びかかる。
「それはこっちの台詞だ、鳥兜。」
刀で上空からの一撃を受けとめながら返す三々華の声は、鳥兜と対照的に氷のように冷たい。
「闇背負いは紛れもなく『人』だ。上層へ襲いに出た連中を狩るならまだしも、闇に隠れ静かに過ごす連中を追い回す方が狂っている。」
「どうやらあの時におかしくなっちまったようだな、お前。」
「それはお互い様だ。」
鍔迫り合いの状態からほぼ同時に相手を突き飛ばし、互いに距離を取る。
「あぁ、お前。三々華に化けてんのか……。趣味の悪いことだな。」
「何を言ってる?」
「とぼけてんじゃねえよ、銀華も、他の奴らもお前らが化けてあんなバケモノみたいな姿にしたんだろうがよ………。」
三々華は鳥兜の異変に気がつく。こちらを向いて話をしているのに、鳥兜のその眼はどこも見ていない、怖気の走る空虚な光を湛えていた。
「じゃあ、俺が仇を取るしかなくなんだよ……。だから、お前も死ねよ。三々華もどき」
言い終わると鳥兜は三々華の目の前に存在していた。ビデオテープが継ぎ接ぎされたような唐突さで。
三々華が反応しきるよりも早く斧は振り下ろされ、その頭を穿った。
なんの手応えもなく。
違和感を感じると同時に、刀が鞘に収められる音を鳥兜の耳が捉えた。
「くそっ……。」
倒れこむゆっくりとした時間の中で鳥兜が傍に目を向ければ、そこには霧散してゆく鬼影と右目が赤く血で染まった三々華がこちらを見下ろしていた。
三々華自身、それまで狩っていた闇背負いを途中から守るようにしたところで何が変わるわけでないのは承知している。
人であったものを追い立て、殺してきた事実は変わらない。
それでも──。
人であったものを追い立て、殺してきた事実は変わらない。
それでも──。
気を失った双子は二人とも重症に変わりはなかったが、命に別状はないようだった。
一応の応急手当てを済ませて、去ろうとした三々華の足が止まる。
一応の応急手当てを済ませて、去ろうとした三々華の足が止まる。
──たとえそれが、代償行為にもならないものだったとしても。
「──この二人を守り抜くことで、お前への答えにするよ。鳥兜。」
眠る二人を抱え、三々華は物言わぬ死体に背を向ける。
──これが、自分にできる償いなのだと。
- 桜の喧嘩戦術の師匠は三々華
九重家に逗留中、三々華が桜に生傷の理由を尋ねたことをきっかけに護身術程度に稽古をつけていた。
が、桜はそれを自己流にアレンジしてゆき、アグレッシブな喧嘩殺法に昇華させ(てしまい)、これまでちょっかいかけてきた悪ガキどもを押さえつけ、見事ガキ大将の座を手に入れていたりした。
その事を三々華が気が付いていたかどうかは当人のみぞ知る。
が、桜はそれを自己流にアレンジしてゆき、アグレッシブな喧嘩殺法に昇華させ(てしまい)、これまでちょっかいかけてきた悪ガキどもを押さえつけ、見事ガキ大将の座を手に入れていたりした。
その事を三々華が気が付いていたかどうかは当人のみぞ知る。