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ビル・コトレル

名前:Bill Cottrell
出生:1906年11月19日 - 1995年12月22日t
職業:脚本家
出身:アメリカ

概要

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ*のアニメーター。1929年にカメラマンの仕事でディズニーのキャリアを始め、すぐにストーリー部門に移り、『誰がコック・ロビンを殺したか』、『フグとペンギン』、『蓮池の赤ん坊たち』に貢献した。などの短編作品のアイデアを提供した。 『白雪姫』の王妃のシークエンスや『ピノキオ』のストーリーに貢献した。

1938年にはウォルト・ディズニーの妻リリアン・ディズニー*の妹ヘイゼル・シーウェル*と結婚した。1940年代の南米親善旅行にも参加し、『ラテン・アメリカの旅』や『三人の騎士』に貢献した。『ミッキーと豆の木』のアイディアを思いついたのはビルとT・ヒー*だった。

1950年代、WEDエンタープライズ(現ウォルト・ディズニー・イマジニアリング*)の初代社長になり、アトラクションのストーリー開発に貢献した。アトラクションを乗り物ではなく、エクスペリエンスと呼ぶことを重視していた。TV番組にも参加し、『怪傑ゾロ*』にも貢献している。1964年から1982年までファミリー企業のリトロー・エンタープライズ*の社長を務めた。

シャーロック・ホームズ*の大ファンであり、ネズミのホームズを題材とした『オリビアちゃんの大冒険』(1986年)のアイディアも彼によるところが大きかったという。1994年にディズニー・レジェンド*に選ばれ、1995年に亡くなった。

担当作品

1930年 ミッキーの海山越えて 撮影監督
1931年 桃源の夢 脚本
1934年 真夜中の舞踏会 脚本
1934年 アリとキリギリス 脚本
1934年 ミッキーのキャンプ騒動 脚本
1934年 空飛ぶネズミ 脚本
1934年 フグとペンギン 脚本
1934年 春の女神 脚本
1935年 小猫の武勇伝 脚本
1935年 蓮池の赤ん坊たち 脚本
1935年 誰がコック・ロビンを殺したか 脚本
1935年 プルートの化け猫裁判 脚本
1935年 三匹の親なし子ねこ 脚本
1936年 オオカミは笑う 脚本
1936年 ミッキーの夢物語 脚本
1936年 うさぎとかめと花火合戦 脚本
1936年 いたずら子猫 脚本
1937年 白雪姫 監督
1938年 子供の夢 脚本
1940年 ピノキオ 脚色
1941年 リラクタント・ドラゴン 脚本
1942年 ラテン・アメリカの旅 ストーリー調査
1943年 空軍力の勝利* 脚色
1944年 三人の騎士 脚本
1947年 ファン・アンド・ファンシー・フリー 脚本
1948年 メロディ・タイム 脚本
1951年 ふしぎの国のアリス 脚本
1952年 小さな家 脚色
1953年 ピーター・パン 脚本
1960年 怪傑ゾロ* シリーズ開発


出演作品

1940年代

1942年
South of the Border with Disney*(本人)

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スタッフ
最終更新:2024年03月27日 14:14