メリー・ポピンズ
ストーリー
概要
ディズニーが製作したミュージカルの金字塔。
アカデミー賞13部門ノミネート(5部門受賞)、ゴールデングローブ賞4部門ノミネート(主演女優賞受賞)のほか、グラミー賞や全米脚本組合賞を受賞。
歴史
ウォルト・ディズニーの娘たちは
P・L・トラヴァース*による原作小説『メアリー・ポピンズ』に夢中になっており、父に映画化をせがんでいたという。世界初のカラー長編アニメーション『
白雪姫』(1937年)を成功させたウォルトは1938年初頭に映画化権を購入しようとするが、トラヴァースの主義に反するという理由で断念せざるを得なかった。ウォルトは20年以上にわたり粘り強く交渉を続け、1961年にトラヴァースが内容をチェックするという条件の下、映画化権を獲得する。
トラヴァースは製作を監視するためにアドバイザーという立場で参加した。彼女は
メリー・ポピンズきっちりした性格を守るために、アニメーションの使用や陽気なミュージカル形式を好まず、時代背景に沿った音楽の使用を要求した。最終的にウォルトは「映画の最終決定権は自分にある」という契約の一文を持ち出し、トラヴァースの要求を棄却した。
撮影は1963年5月から9月にかけて
カリフォルニア州*にある
バーバンク*のスタジオ内で行われ、そこからアニメーション合成や編集に11ヶ月を費やして完成した。
キャスティング
当時、ブロードウェイの舞台『マイ・フェア・レディ』で名を馳せていた
ジュリー・アンドリュースは同作の映画化の際にも主演を務めると期待されていた。しかし、映画版『マイ・フェア・レディ』はワーナー・ブラザーズにとって社運を賭けた作品であったため、演劇界で有名なジュリーより
オードリー・ヘップバーン*を起用することとなる。世間ではオードリーに役を“取られた”としてジュリーに同情する声が多かった。しばらくして、ジュリーの舞台を鑑賞していたウォルトが彼女に『メリー・ポピンズ』への出演を交渉した。当時、妊娠3ヶ月だったこともあり一度は断るが、ウォルトの「待つ」という言葉に応じてオファーを承諾した。結果、本作は『マイ・フェア・レディ』と同じ1964年度の公開となり、賞レースを争うこととなった。『メリー・ポピンズ』は作品賞は逃したものの、主演女優賞を勝ち取った(ヘップバーンは、歌声が吹替だったためかノミネートすらされていない)。ジュリーは後年、「あの主演女優賞を貰ったのは私の演技だったのか同情票だったのかは今でもわからない。ただ、私は個人的には後者だと思っている。」と話している。
ウォルトはTV番組『ディック・ヴァン・ダイク・ショー』で人気を博していた
ディック・ヴァン・ダイクに
バート役をオファーした。ディックは作中に登場する老人
ミスター・ドース・シニアの役もやりたいとウォルトに希望した。ウォルトはこの役を年相応の俳優にやってもらいたかったため難色を示したが、カメラテストの結果、担当することとなった。ディックは後年、ミスター・ドース・シニアの役を貰うために大金を払ったと明かしている。
前述の『マイ・フェア・レディ』でヘップバーンの歌を吹き替えた
マーニ・ニクソン*はアニメパートでガチョウの声を担当している。また、音楽を担当したシャーマン兄弟のうち、弟リチャードは
ペンギン・ウェイターの一体の声を、兄ロバートは鳩の餌を売る老婆(
バード・ウーマン)の声を吹き替えた(女優の声が弱々しく、音楽にかき消されてしまったため)。ペンギンのシーンでは、カズーの演奏をリチャード、タップダンスの効果音を
アーウィン・コスタル*が担当している。
キャスト
- フジテレビ版:1986年11月1日放送『ゴールデン洋画劇場』。
- ソフト版:1995年5月19日発売。※Blu-ray・DVD・VHS収録
スタッフ
情報集計中…
用語集
ロケーション
楽曲
最終更新:2025年01月19日 19:16