文字学(もじがく) 英graphology, 仏graphologie, 独Graphologie
『言語学大辞典術語』
文字を研究する学問には2つある,というより2つあり得る.一つは,いまだ十分に体系化されていないが,文字の言語的機能を探るもので,文字論(grammatology)ともいうべきものである.これに対して,普通行なわれているように,それぞれの具体的な文字について,それも特にその文字の形について研究する学問があり,これを文字学という.
文字を研究する学問には2つある,というより2つあり得る.一つは,いまだ十分に体系化されていないが,文字の言語的機能を探るもので,文字論(grammatology)ともいうべきものである.これに対して,普通行なわれているように,それぞれの具体的な文字について,それも特にその文字の形について研究する学問があり,これを文字学という.
古代のエジプトでも,オリエントでも,そしてまた中国でも,文字を使用した国では,文字は特権階級の手中にあり,王侯貴族の子弟のみが文字の教育を受けた.そして,その文字の教育から文字の学問が起こった.たとえば,中国では,先秦時代にいくつかの教科書が行なわれていたが,特に後漢の許慎が『説文解字』(略して『説文』)を著してから本格的な文字学が誕生した.許慎は,5千字以上の漢字についてその構造を考えて,義符(→六書)による分類を試みた.これが,それ以後,字書の原型となった.『説文』に関する後世の研究文献はおびただしいもので,優に説文学と称するに足りるものである.そして,漢字の一字一字は,原則として一語一語を表わすので,漢字の知識は中国の文献学である経学の基礎をなしていた.古代の中国の貴族の子弟が,学校に入って文字の手ほどきを受けたところから,文字の学を,経学の中で小学とよんだ.
許慎の時代,すなわち後漢の時代は,すでに隷書を用いていたので,隷書の形では各漢字の原始形態は分からない.しかし,許慎の『説文』は,古文(篆書より古い字体)や籀文を若干参照しつつも,小篆の形に基づいて漢字の構成を考えていたので,幾分,原始形態に近い形で考察できた.もちろん,小篆の形も原始的な形からはすでに遠く離れていたので,許慎の説明もしばしば誤りを含んでいた.しかし,小篆の形を足がかりとして周代の青銅器の銘文(金文)を解読する可能性が得られ,さらに遡って殷代の甲骨文へと進むこともできたのである.甲骨文は,現在知られている漢字のもっとも古い状態を示しているが,それでもすでにかなり慣習化されていて,漢字の原始的状態をそのまま表わしているものではない.おそらく,より古い絵文字の時期があったと考えられ,中国での今後の発掘に期待したい.
このように,ある文字の原始的形態からその変遷の跡を追うのが文字学の大きな目的であるが,その文字が発生した国から他の国に伝えられ,それがまたさらにその他の国々に及ぶとき,その文字の伝播を追究することも文字学の範囲の中にある.その結果として,文字の系統(genealogy of writing)が問題にされる.言語自体は一つの大きな文化的事象であるが,文字はさらにその言語の上に築き上げられた文化的所産であって,したがって,文字の系統や伝播は文化の交流に基づくものである.とりわけ,宗教の伝播と文字の伝播とが密接に関連しているのが注目される.一例をあげれば,アラビア文字とイスラム教の関係は,そのもっとも典型的なものである.
文字学の畑でもっとも華々しいのは,文字の解読(decipherment)である.有名なのは,フランスのシャンポリオン(F. Champollion)のエジプト聖刻文字の解読や,ドイツのグローテフェント(G. F. Grotefend)およびイギリスのローリンソン(H. C. Rawlinson)の楔形文字の解読である.この2つの古代文字の解読の意義は,単に文字が読めただけでなく,残された膨大な記念碑の文字の解読から,エジプトおよびオリエントの古代の歴史を明るみに出したという大きな文化的貢献をなしたことにある.
文字の解読は,もとより解読者の天才的洞察によるものであるが,それは文字の字形の背後に言語を見いだそうとするものであるから,当然,文字論的考察も要求されるはずである.また,各解読者もおのずと文字論的考慮を払っていた.なぜなら,解読されるべき文字がいかなる言語を表わしていたかを考えないでは,解読は不可能であるからである.