時刻はじき十六時になろうとしていた。
日が傾き、何となく肌寒くなってくる時間帯だ。
いわゆる夕方。黄昏時にはまだ早く、逢魔が刻にもまだ早い。
逢魔が刻とは、他界と現実を繋ぐ時間の境目であるとされる。
昼と夜が入り混じり、光と闇が交差する。
魔物や妖怪が蠢き始め、正常の蓋が外れて災いが這い出てくる。
だから昔の人は夕方という時間帯を畏れ、魔に逢うぞと子を戒めた。
されどこの街においては、特定の時刻をそう呼称して警戒することに意味はない。
何故か。簡単だ。この街はそもそもからして、魔の側が築いた幽世の仮想都市であるからだ。
魔が築き、魔が統べる都市に、たまさか人間が迷い込んでいる。
だから此処では、昼夜を問わずに魔が歩く。魔に、出逢う。
剣呑な身形の青年が、人のいない路地の一角で煙草を吸っていた。
煙草の味を好きと思ったことはないが、ニコチンの緩い酩酊には用がある。
フィルター5ミリの、物々しい外見とは裏腹に軽く微かに甘い煙草を吹かして。
佇む男の名は、狩魔。魔を狩る者、と名付けられた、首のない騎士(デュラハン)の大元締めであった。
煙草を覚えたのは暴走族に入ってすぐのことだった。
何故非行少年が煙草を吸い始めるのか。格好いいからだ。少なくとも狩魔の周りは、皆そう。
元々大柄で顔立ちも端正な部類である彼が煙を吹かす姿は当時から大層絵になった。
彼自身、気の置けない仲間と並んで煙を味わう時間は心地よかった。
そんな思い出があるから、嫌煙分煙の潮流が主流になった今でも狩魔はこの吸引する毒物に金を払い続けている。
煙草はいい。気が落ち着くし、何より人を待つ時の手慰みには最適である。
周凰狩魔は今、人を待っていた。
「やあ。お待たせ」
斜陽の照らす路地の向こうから、すたすたと歩いてくる影があった。
少女だ。金髪で大柄、両腕にタトゥーを彫り込んだ明らかに反社の香りがする青年と交流するには、明らかに不似合いな美少女。
ただ彼女が凡庸で幼気な娘であるのか、正確には狩魔の華に見合わない平々凡々とした娘であるのかと言われれば、その答えは否になる。
不似合いなのは年齢と容貌だけ。その装いに限って言うなら、彼女はこの半グレにも決して劣らない存在感を有していた。
濃い茶髪のベリーショートに、男女どちらにも受けるであろう中性的な顔立ち。
纏っているのは、マジシャンやステージスターを思わせるタキシード。
今から舞台にでも出るのかというほど丹念に施されたメイクは、元々絶世であるその見た目を更に高めあげている。
そんな少女が、見るからに犯罪の匂いのする厳つい男に駆け寄っていく様はライトノベルの一頁のような非現実感を伴っていた。
「人呼んどいて遅刻してんじゃねえよ」
「やはは……。いやあ面目ない。遅れるつもりはなかったんだけどね、君時間にうるさいから」
「当たり前だろ。約束した時間を守るってのは人間として最低限のことだろうが。味方か敵かも未だに解んねえ奴なら尚更だ」
「君って確かに優秀な男ではあるんだろうけど、時々ちょっとズレてるよね」
「お前にだけは言われたくねェーよ。……で」
彼には今、対等な人間というものがいない。
対等な"怪物"ならばいるが、周りにいるのは部下と舎弟だけだ。
この東京において、かの騎士以外に狩魔へこんな口を叩ける人間は今のところ他にいない。
ましてや味方でも敵でもない、そんな微妙な立場に居ながら。本人もそれを否定しない、微妙な関係性でありながら。
されど彼女という人間を知る者であれば、誰ひとりそれに違和感を抱きはしないだろう。
彼女は常にこうなのだ。こういう生き方しか知らないし、できないし、やらないのだ。
「何の用だよ。山越」
「迷ったんだけどね、私は〈デュラハン(きみたち)〉につくことにしたよ」
何故なら山越風夏は、奇術師だから。
天性のマジシャン。現代の〈脱出王〉。
ステージに立って人を驚かすことを生業とする演者が他人に遜っているようでは三流以下だと、彼女はそう自認している。
風夏の言葉を聞いた狩魔は、わずかに沈黙した。
長くなってきた灰を手元の携帯灰皿に落とし、もう一度煙草を口に運んで、少しミルキーな煙を吸い込む。
肺に入れて、ニコチンを回して、透明感のある白色の煙を吐き出して。
「……どういう風の吹き回しだ? お前は終わるまでずっとのらりくらりしてるもんだと思ってた」
「簡単なことさ。その方が面白いと思った。私がそういう理由でしか行動しないことは君も知ってるだろう?」
「それで説明になると思ってるんなら、お前はもう少しコミュニケーションってもんを学ぶべきだな」
回答になっていない、けれど彼女が口にする場合に限ってはこの上なく明快な"回答"であるその言葉を聞いて、狩魔は思い出していた。
山越風夏と
周鳳狩魔が縁を結んだのは、彼がこの世界で演者として覚醒し間もない頃のことだ。
〈デュラハン〉のメンバーが経営しているバーで酒を飲んでいると、いきなり彼女が入店してきた。
ガキの来る場所じゃねえぞ、と諌めるバーテンダーの声を無視して、風夏は狩魔の隣に座り。
そしていきなり、こう言ったのだ。彼にしか分からない言葉を、弄した。
『――やあ、周凰狩魔くん。楽しんでるかい、聖杯戦争を』
その日から、風夏と狩魔は文字通り敵でも味方でもない関係を続けてきた。
狩魔は彼女のサーヴァントを知らず、そして彼女に自分の騎士を見せることもしていない。
何故残忍なるデュラハンの長がそんな得体の知れない相手を生かしているのかと言えば、毒にも薬にもならないからだった。
山越風夏は時折現れる。何か介入してくるわけでもなく、何を求めてくるでもなく。
警戒をやめたわけではないが、かと言って目くじらを立てることに意味はないのだと理解するのは早かった。
何故なら彼女は、何かと敵対する、という行動原理を基本的に持たない。
奇術師の仕事は戦い競うのではなく、自分の技術で誰かを楽しませて魅せること。
無害と呼べば言い過ぎだ。いずれは殺さねばならない相手であるのは変わらない。
だが逃げること、生き延びることにかけて超一流のマジシャンを相手に進んでそれをする旨味は現状、どうにも薄い。
そんな結論を導き出した結果、狩魔は自分勝手な奇術師の接触をとりあえず今日まで許していた。
が――此処で、事が大きく動いた。
どこにも付かず、誰にも利さず、敵対もしない自由人(フリーマン)。
その彼女が自分達に力を貸すと、そんならしくなすぎる言葉を吐いてきたのだ。
「冗談だよ。半分はね」
訝る狩魔の目線に、風夏は肩を竦めて苦笑した。
はっきり言うが、狩魔はこの〈脱出王〉を信用はしていない。
信用できる要素が欠片もないし、何より奇術師に信頼を置くことほど馬鹿げた話もないだろう。
人を嵌めて騙し驚かせるのを生業に生計を立てている人種に胸襟を開くなんて、馬鹿のすることだ。
詐欺師に財布を見せて懐事情の相談をするようなものである。仕事柄、誰かのカモになる気は毛頭なかった。
狩魔がそう考えるし、そう考えていることは風夏も承知していたのか。
彼女は続いて、今度はもう少し具体的な"理由"を彼に語り始める。
「君さ、〈刀凶聯合〉ととうとう雌雄を決するんだろう?」
「地獄耳だな。今更驚かねえが」
「嵐が起こるのは大歓迎だ。それは私の目的を叶える上で、必ずや大きな一助になる。
そこに〈脱出王(わたし)〉の奇術が混ざれば、たちまち極上の舞台が完成すること請け合いさ」
「頼んだ覚えがないのは俺の気の所為か?」
そう、この程度で今更驚きはしない。
山越風夏という人間/演者について狩魔は必要以上に突っ込んだことがない。
聞いたところで意味深にはぐらかすだけだろうと思っていたし、彼女も自分について語ろうとすることはなかった。
ただ――私見で言うならば、この女は確実に一般人(カタギ)ではないのだろうと思っている。
何しろ明らかに挙動が異常だし、勘と耳の良さも然りだった。
語った覚えのない情報がいつの間にか知られている。
どこそこのマスター同士が派手に揉めてどちらが勝ったどちらが死んだと、見ていなければ知り得ない情報を平然と語ってくる。
自分と同じく裏社会の人間なのか、魔術師なのか、それともまったく別な"何か"なのか。
だからこそ狩魔は、ついさっき行われた"宣戦布告"について当たり前のように言及してきた風夏へ驚かずに済んだのだ。
「
悪国征蹂郎。彼も面白い男ではあるけどね、とはいえ私はあの子達とはノリが合わないと思うんだよなあ。
だって彼ら、古き良き不良漫画って感じの集団だろ? そういう熱血路線はちょっと私のスタイルと違うんだよねえ」
「分からんでもないな。悪国もその腰巾着共も、まさか俺みたいには行かないだろうよ」
「だろ? だったらまだ気の合うノリも合う君らとつるんでた方が、私も仕事がしやすい。
君達は空き時間に私の小粋な手品でひと笑いできる。お互い良いことしかないってわけだ」
「突っ込まねえからな、ていうか勿体つけんなよ。それだけじゃねえんだろ? どうせ」
「流石。勘のいい観客は大好きだよ。舞台は演者と観客の共同芸術だ」
にんまり、と笑う風夏。
性格はどうあれ見た目は文句のつけようがない美少女なので、彼女が煙草を吹かす狩魔の隣にちょんとしゃがんでいるとそれだけで絵になる。
エモーションを感じさせる、そんな光景が路地の片隅にぽつんと存在していた。
「私は基本、来る者拒まないスタイルなんだけどね」
「……、……」
「刀凶聯合(かれら)のサーヴァントに関しては、ちょっと例外なんだ。
アレは面白くない。せっかくの役者たちを自分好みの野蛮(ノリ)で歪められちゃ堪らないよ」
「――どういうことだ? お前、ヤツのサーヴァントまで知ってんのか」
「推測だよ。聯合に対しては以前から興味深く見せて貰ってた。
だが、彼らにある程度以上接触すると決まって精神の不調が起きるんだ。
具体的には、普段なら押し殺せる程度の感情が急に抑え難い衝動となって込み上げてくる。
まるで目に見えない誰かに戦え、殺せ、と焚き付けられているみたいでね。貴重な体験ではあったけど」
山越風夏は、〈現代の脱出王〉はすべての演者を祝福している。
そこに偽りはない。何故なら彼女は、生粋のエンターテイナーであるから。
演者・観客のひとりひとりが見せる輝きを心から歓迎し、それが舞台をより面白くするようにと心から願う。
ましてや彼女が再演を誓う〈世界の主役〉は、そんな考え方に笑顔で同調してくれるたぐいの人間だ。
であればこそ、風夏が演者の一個人に悪感情を抱くということは基本的にない。
が。聯合の頭、悪国という男が従える英霊――その"喚戦"は、彼女にとってごくごく希少な例外だった。
「私の見立てが正しければ、悪国征蹂郎のサーヴァントは恐らく自我(エゴ)に乏しいひとつの装置だ。
そこもマイナスポイントだね。機械なりに学んで前に進むならいいが、そこで止まっているなら見どころに欠ける。
それが周りの演者を乱す力なり何なり放っているってんならますます微妙だ。
殺すこと、戦うこと、狂うこと。どれも大歓迎だが、それが機械に操作された結果なら価値は一気に目減りする。
誰かの計略や悪意で踊らされてるんならいいけどね。私の見立てだと、聯合のサーヴァントに"それ"はない。美点も欠点もないんだよ。可愛くないだろ?」
「話長ぇよ。一言でまとめろ」
「ぶー。相変わらずつれないヤツだな」
存在するだけで、周りの演者を狂わせる。
そのくせそこには、自我らしいものが乏しい。
与えられた役割に殉ずるだけの、舞台装置。
それが周りに誰彼構わず電波を飛ばし、狂わせる。
個人の願いも欲望も、善意も悪意もなく。
ただシステマチックに、闘争というごくシンプルな型への鞍替えを強制してくる。
それは娯楽を愛し、世界を舞台と見立てる奇術師にとっては――
「じゃあ一言にまとめるよ。
個人的に、とっても気に食わない」
――そう、たいへん気に入らない。
先ほど自分の口で述べた通り、悪意や策があるならいいのだ。
例えばサムスタンプの魔術師などは平気で他人を懐柔し、道具として扱うだろう。
使われた側は運が悪ければ自分が"使われている"ことにさえ気付けないまま、最悪死ぬまで踊らされる。
これはいい。何故ならそこには、
ノクト・サムスタンプという演者の意思と素晴らしいパフォーマンスがあるから。
けれど。善も悪も持ち合わせないただの"装置"がそれをすることには、この奇術師は難しい顔をする。
だってそれはつまらない。彼女にとってそれは、およそ三流のエンターテインメントと看做さざるを得ない退屈だった。
「だから悪国征蹂郎はともかく、彼のサーヴァントには早めにご退場願いたいんだ。
ただしどうもあれらは腕が立つ。どうしようかと思ってたところで、君らが本格的に揉める話を聞いたわけ。まったく渡りに船だよ」
「お前の思想やこだわりに興味はねえが、確かにこっちとしても悪くない提案だな」
山越風夏は、まず確実に狩魔が現在確保している仲間達の誰よりも逸脱した能力の持ち主だ。
こと暗躍することにかけて、狩魔は彼女以上の人間を知らない。
その風夏が自分達の側について聯合との戦いに参加してくれるのなら、これは実に旨みの大きい話である。
何しろ相手は暴の究極。闘志で結束し、復讐心で燃え上がり、武装して群れをなした無法者の軍団だ。
単純な戦力で比較した場合、〈デュラハン〉は
華村悠灯、
覚明ゲンジの加入を踏まえてもまだ劣るだろうと狩魔は考えている。
だからこの話を断る理由はない。だが、狩魔は狡猾な上に慎重な男。
「で、お前は俺に何をして欲しいんだよ」
「何、って。今言った通りだよ、悪国征蹂郎のサーヴァントを討伐してほしい。
君でなくても構わないが、とにかく私が"喚戦"と仮称しているつまらないシステムを壊してほしいんだ」
「それは分かったよ。けどよ、どうせそれだけじゃねえんだろ?」
「……、……」
「お前はどんな目的だろうが素直に人の下につくタマじゃねえ。
奇術師ってのは要するに詐欺師の類友だろ? 手品の道具にされる気はねえぞ」
「流石。よく心得てるじゃないか、嬉しいね」
露骨な不信を突き付けられても、風夏は怒るどころか言葉の通り、実に嬉しそうな顔を見せた。
「君の言う通り。私は必要なら誰かと協力もするけれど、首輪を付けられるつもりはないんだ。
エンタメを届ける側が権力者の機嫌を取るほど、見てて興ざめなものはないだろう?」
〈脱出王〉は今も昔も自由の極み。
九生を奇術に費やし続けた
ハリー・フーディーニにとって、首輪も鎖も従うものではなく抜け出すものである。
これはそんな存在だから、"前回"の聖杯戦争でもただの一度しか捕まらなかった。
光の剣に身を裂かれるまで、風夏/ハリーは地獄と化した東京をひたすらに跳ね回り続けたのだ。
禍炎をすり抜け契約を騙し、蛇をおちょくって白黒を怒らせ、盲目を愛玩した稀代のトリックスター。それが彼。今は、彼女。
「だから見返りとか条件というよりは単純な断りなんだけどね。
私は君に加担するが、私を思い通りに動かせるとは考えない方がいいってだけ」
「なら心配無用だな。犬の調教から始める余裕はウチにはねえよ」
「宜しい。君は君の戦いをしながら、私の奇術が生み出した結果を甘受して戦うだけでオッケーだ。
後は何も望まない。ああ、いや……君達がこの舞台をより激しく愉快に盛り上げてくれればそれでいい、かな。
ところで」
しゃがんだ格好のまま、風夏は顔だけを狩魔に向けた。
いたずらっ子のような、どこか挑発的な笑顔だった。
「――君、悪国征蹂郎に勝てるのかい?」
……山越風夏は奇術師であって、魔術師でも戦士でもない。
つまり彼女がデュラハンに協力するにせよ、聯合打倒の主戦力にはなり得ないということだ。
彼女をその使い方で運用するなど阿呆であるし、第一本人も釘を刺した通り、命じられたとて風夏はその路線では動かないだろう。
彼女が加担しようがすまいが、聯合の心臓であるところの悪国征蹂郎は他の誰かが倒さねばならない。
そして恐らく、その役割を担わされるのは周鳳狩魔。首の無い騎士を統べる首領である。
「私も直接相見えたわけじゃないけどね、彼はなかなか強いよ。
というかほとんど人間をやめてる。手段さえあれば、彼の拳は英霊にさえ通じるだろう」
「知ってるよ。奴に報復(カエシ)入れられたヤクザは頭部を粉砕されていたらしい。不良好きの刑事から聞いた話だ」
「君も結構できる方なのは知ってる。でも流石にあそこまで怪物じゃあないでしょ。
その上でもう一度、興味本位で問うけれど――君は、悪国征蹂郎に勝てるのか?」
「勝てる」
……大仰な脅かしを踏まえた上で、風夏の口から再度紡がれた"質問"。
それを受けての狩魔の返しは、即答だった。
「あの野郎には弱点がある。でかい弱点だ。それを知ってる以上負けは無い。俺達が群れである限りはな」
「大きく出たね。もっと詳しく根拠を聞いてもいいかい?」
「答えてもらえる身分だと思うか? ちょっとは日頃の行い見直せよ」
「ははっ、言うと思った。……まあいいよ。どの道力を貸すことには変わらないんだ。せいぜいその時を楽しみにさせて貰うとするさ」
周鳳狩魔は、自分の能力というものを常に客観視している。
だから彼は自己を過信しないし、過小評価もまた然り。
腕っぷし、資金力、影響力に付いてくる人員の数。
そしてこの世界で新たに得た、〈異能の力〉。
その上で考えても、悪国征蹂郎は間違いなく難敵だった。
あちらも馬鹿ではないのだ、よほどのぼせ上がってでもいない限りは自分と同じく味方を擁し始めているだろう。
英霊を連れ、ともすれば異能を持った、演者(アクター)の味方を。
だが、勝てる。
狩魔は、〈脱出王〉にそう断言する。
それがらしくもない慢心の産物なのか、それとも本当に手立てがあって言っているのか。
今此処で明かされることはなく、風夏も食い下がることなく引き下がった。
奇術師は面白いもの、愉快なもの、魅せるものを愛する。
そういう意味では、彼の今の即答は彼女に対するパーフェクトコミュニケーションだったと言っていいだろう。
躍動するエンターテインメントとそこに向かう情熱は誰にも、彼女自身にさえも止められない。
そんな生き物なのだ、九生の果てまで人を驚かし続けることを約束されたこの女は。
目当てのテレビ番組を楽しみにする子どものような顔でわくわくしている奇術師に、次は狩魔から言葉を投げる。
「話は終わりか?」
「うん。そういうことで承知しておいてくれよ。何かあったらまた現れるから」
「そうか。じゃあ此処からは、ただの世間話になるんだが」
「あは。珍しいね、君ってば私にはいつもつっけんどんなのに」
茶化すような風夏の物言いを無視して、狩魔は二本目の煙草に火を点けた。
「――お前、この街を仕組んだ奴の仲間かなんかか?」
勿体つけて話すのは性に合わない。
だから直球で、ある程度確信を伴った疑問を投げかける。
風夏は動揺した素振りも見せず、逆に笑顔で問い返した。
「なんでそう思う?」
「お前がどうしようもなく性根のねじくれた愉快犯なのは知ってる。
だがそれにしても、お前のはあまりに節操が無すぎる。
目先のことに集中するんじゃなく、この東京のすべてを気にしてるように見える。
なあ、山越。お前は一体、誰のためにせっせと舞台を整えてんだ?」
誰のために、舞台を整えているのか。
"誰のための"舞台を整えているのか。
彼女は生粋の奇術師だ。
道理に縛られず、常識を意に介さず、その生業のままに躍動する。
それは分かる。だが的を一点に絞らず、街のすべてを気にして準備に勤しむ理由は何なのか。
すべての演者を平等に楽しませたい? 恐らく違う。何故なら自分達はあくまで"演者(アクター)"。舞台を眺めるのではなく、舞台に上がった側なのだ。
ステージスター・山越風夏が楽しませたがっている人間は別にいる……狩魔にはどうにもそう思えてならなかった。
そんな彼に、風夏はぱちぱちと手を叩いた。称賛と喜びの込められた拍手だった。"そうでなくちゃ!"という高揚が伝わってくる。
「よく気付いたね、あえて私から言うつもりはなかったんだけど」
「馬鹿でも気付くだろ。付け加えるならお前、いちいち言動が意味深すぎんだよ。裏がありますよって言ってるようなもんだ」
「ただ、厳密には少し違う。私は"彼女"の仲間ではないよ。どっちかというと、その逆」
「……"彼女"、ね。こんな乱痴気騒ぎが自然発生はしねえだろと思ってたが、やっぱり誰か絵を描いた奴がいるんだな」
狩魔としては正直、面倒な話だ、以外の感想は出てこない。
聖杯戦争に勝つだけでも重労働だというのに、その上で黒幕の相手までさせられるなど絶対に御免だ。
無論立ちはだかるのなら押し退ける気概はあるが、それはそれとして気の重い話ではあった。
「目的は?」
「知らない。分かってても教えないけどね、ネタバレは悪だから」
「だろうな。そこは期待してなかったよ」
「でもこれだけは教えてあげよう。君の言う通り、私の観客は彼女ひとりだ。
前回の聖杯戦争で私達を一人残らず鏖殺し、熾天の冠を戴いた〈世界の主役〉。
彼女を楽しませるために、山越風夏はせっせと汗水垂らして頑張ってるわけさ」
「……、待て。お前今なんて言った?」
主役云々の部分には、正直なところそれほどの驚きはない。
重ねて言うが黒幕の存在は狩魔にとってある程度想定していた事態だった。
だが風夏が付け足す形で口にした"そのワード"には、さしもの狩魔も眉を顰める。
「この聖杯戦争は二周目だよ。二回目、って言う方が正しいけど。
何しろ〈熾天の冠〉を求めて戦う以外は何から何まで別物だからね」
「……それで、お前らみたいな引き継ぎ組もいるってわけか」
「その通り。私達〈はじまりの六人〉は、一回目の記憶を引き継いだまま今回の聖杯戦争に参加している」
狩魔は考える。
彼女の話は冗談じみているが、嘘を吐く質でないことは皮肉にもこれまでの交流で分かっている。
その上で、彼女の言う〈はじまりの六人〉とやらに対して周凰狩魔が抱いた印象は――危険視すべきだ、というものだった。
「――強いよ、彼らは」
極限の状況は容易に人を変える。
修羅場を潜った人間がその瞬間から別人のように変容した事例は、狩魔もよく知っていた。
何故なら他でもない、自分自身がそうだから。
父親を殺した瞬間に世界が開けた。自分が、今までの自分ではなくなったのを強く感じた。
そうした変容の結果としてでき上がったのが今の周凰狩魔だ。
狂気を道具として携え、目的のために人を殺すことを何とも思わない"人でなし"。
そんな狩魔だからこそ分かる。〈はじまりの六人〉は、十中八九危険人物の集団であると。
人は、簡単に壊れるのだ。
きっかけひとつで、瞬時に別人になれる。
山越風夏ほどの常識を外れた人間が、手放しに主役と呼んでもてなそうとしている"誰か"。
それに殺され、最終的に蘇らされて再び運命の鉄火場に放り込まれた六人の演者。
まともである筈がない。ともすればこの〈脱出王〉に匹敵する異常性を持った人間が、この東京にあと五人も存在する――やはり居たのだ。狩魔がずっと警戒し続けてきた、規格外の特記戦力(バランスブレイカー)どもは。
「覚えとくよ。初めてお前の口から有益な話を聞いた気がする」
「ひどいなあ。……でも、そうした方が賢明だ。
彼らと来たらどいつもこいつも過激だからね。私みたいなのは例外中の例外だよ」
ややもすると、本当に敵対視すべきは悪国征蹂郎ではなく彼らだったのかもしれない。
今更吐いた唾を飲む気もないが、この段階でこれを知れた事実は大きいだろう。
刀凶聯合との抗争はあくまでも通過点だ。聯合を征した暁には、聖杯を見据えて進まなければならない。
つまり山越風夏や彼女の言う〈主役〉、そして他五人の異端者達の首を獲ることも遠くない内視野に入れる必要があるのだ。
「じゃ、そういうことだから。私はそろそろ行くよ」
「待てよ」
用は済んだし、サービスもしてあげた。
いつも通り気ままにそう言って、立ち去ろうと立ち上がった風夏を狩魔が呼び止める。
「まだ何かあるのかい? いいよ、言ってごらん。答えられるかは分からないけど」
「すぐそこのライブハウスだ。そこに、俺の集めた仲間がいる」
「……〈演者〉?」
「ああ。いつものバーはさっき聯合のカチコミ食らっちまってな。今はそっちを溜まり場にしてる」
考えなければならないことは多い。
山越風夏が自分達に与すると宣言したことも。
そして彼女が語ってくれた、自分の与り知らない"前回"がらみの話も。
いつの間にかフィルター際まで燃焼していた煙草を揉み消し、三本目を取り出しながら。
周凰狩魔は、〈デュラハン〉の新たな仲間に対して、実にリーダーらしいことを言った。
「顔合わせくらい済ませて行けよ。あいつら結構過敏になってるからな、後でゴタゴタするのは避けたいんだ」
◇◇
あの後――。
華村悠灯は、狩魔のチームが経営するライブハウスへ連れられた。
そこで聞かされた話の内容は、概ね予想した通りであった。
周凰狩魔は、自分と同じく聖杯戦争のマスターで。
目下血みどろの抗争を演じている刀凶聯合の頭(ヘッド)も、恐らくマスターである。
覚明ゲンジとは交戦を経て、見込みがありそうなのでスカウトした。
その後で自分との一件があった――聯合との決戦は深夜。
それまでの間に聯合を潰し、悪国という男を殺す手立てを整えねばならない。
当たり前に殺人が前提として話が進んでいくことに、今更ながら強烈な非日常を感じはしたが……それこそ今更だ。
自分はもう、聖杯戦争を勝ち抜いて願いを叶える覚悟を決めている。
それを阻もうとする輩がいるのなら蹴散らして進むと、腹を括っている。
だから緊張はあったが、動揺はなかった。協力してくれるか、という狩魔の言葉に迷いなく頷いて……話は呆気なく終わった。
狩魔は人と会う用があると言って席を外し、悠灯は何をするでもなくハウスの中だ。
デュラハンの構成員が出入りすることはあるものの、かと言って何か手伝うことがあるわけではない。
言うなれば、狩魔が戻るまで悠灯は手持ち無沙汰だった。
それはいい。正直、狩魔とその仲間達という後ろ盾を得られたことでどこか落ち着かなかった心が幾らか安らいだのを感じていた。
最近ずっと気を張りずくめだったので、休めること自体は悪くなかった。
問題は――その休息を共にする、"もうひとり"がこの場にいることであった。
(……、気まずい……)
そう――気まずい。
気まずいのである、とても。
対面の椅子に座って、何をするでもなくじっとしている少年の存在がとても気まずい。
共通の話題などあるわけでもないし、何よりさっきあんなことがあったばかりだから余計に気まずい。
これからは当面仲間としてやっていくことになるであろう、覚明ゲンジという少年。彼の存在が、今の悠灯にとっては悩みの種だった。
ゲンジ自身、英霊を用いていきなり殴りかかった相手に多少の負い目を感じているのだろう。時折そわそわしている様子が窺える。
不良である悠灯に言わせれば、もじもじするくらいなら最初からやるんじゃねえよという感想なのだったが、狩魔の手前もあって面と向かってそういう苛立ちをぶつけるのも気が引けた。
お互いの英霊が気を利かせてくれればいいのだが、悠灯のキャスターはムードメーカー的な素質とは一切無縁の寡黙な堅物であるし、ゲンジのに至ってはどう見ても原始人か何かにしか見えなかった。
つまり、助け舟のたぐいは期待できないということだ。はあ、と小さくため息をついて――改めて、少年のことをじっと見つめてみた。
(にしても、なんてーか……個性的な顔してるよな、こいつ)
人の美醜に対するこだわりは特にないが、そんな悠灯でさえ眼前の少年に対する一番の印象はこれだった。
覚明ゲンジは、お世辞にも整った顔立ちをしていない。単に不細工というわけでもなく、まさに個性的なのだ。
近いものを挙げるならそう、歴史の教科書で見た北京原人。あれによく似ていると思う。
そんな彼が原始人じみたサーヴァントを召喚しているのも、ある種の縁やゆかりなのか。
そう考えていると、ゲンジが一瞬、ちら――と悠灯の顔を見た。
どこか値踏みするような、煮え切らない表情だ。そこでふと、イラっと来た。
(一体なんで喧嘩売られた側のあたしが、売ってきた奴の顔色窺わなきゃいけないんだよ)
狩魔のスカウトしてきた相手だ。自分の個人的な好き嫌いであの人に迷惑をかけるつもりはないが。
ただ、流石に睨むくらいはしてもバチは当たらないのではないだろうか。
ていうかさっきのことについて一言くらいあってもいいだろ、これから曲がりなりにも一緒にやってくんだから。
考えれば考えるほど今まで感じてた気まずさが怒りに変わっていく。
よし、睨み付けてやろう。そう思ってゲンジに視線を向けた、瞬間。
「……げほ、ごほっ」
ゲンジが視線を逸らして、咳払いをした。
途端、なんだか見透かされたような気持ちになって噴出しかけた苛立ちが引いていく。
すると、ゲンジは。
「……、……」
ハッと悠灯のことを見て、それからまた視線を外した。
挙動不審ではあるが、そこにはやはり気まずさが見て取れる。
けれどなんだかその様子は、自分が感じていた気まずさとは違うもののようにも見えて。
なんだか少し可笑しく/可怪しく感じて――気付けば悠灯は、口を開いていた。
「……何だよ、さっきから。あんた、あたしの心でも読めんの?」
「……!」
口にしてから、少しだけ自己嫌悪を覚えた。
なんというか、これでは女の腐ったみたいじゃないか。
女子同士のいじめというか、それと程度が変わらない。
少し頭を冷やすべきだな、と自戒する。
狩魔とのことがあってちょっとは気を落ち着かせられたつもりだったが、それでもやはり色々張り詰めているものはあるらしい。
だからと言ってこれから組んでいく相手にフラストレーションをぶつけてるようじゃ、せっかく得たアドバンテージを捨てるのと変わらないだろう。
悠灯は不良だが、かと言って激情や不満を恥も外聞もなく撒き散らし、それを"尖ってる"とか言って開き直る人種のことは嫌悪していた。
要するに、分別はあるのだ。だから一言詫びくらい入れておこうと思い、こっちもこっちでさっきとは別な意味の気まずさを抱えてもう一度口を開こうとしたところで――
「……ぁ、いや……」
「……、え」
覚明ゲンジが、明らかにしどろもどろとしていることに気が付いた。
は? なんで? と思ったところで、自分の言った言葉を思い出す。
心でも読めるのか、と自分は言った。妙な反応を見せたゲンジへ咄嗟に出た、苛立ち混じりのつまらない揶揄だった。
なのにそれを受けたゲンジは怒るでも萎縮するでもなく……どう答えるべきか、どう取り繕うべきか。
読心能力などなくても分かるほど露骨に、そんな様子を見せていたのだ。
「いやいや、冗談だって。あたしもちょっと気が立ってたっていうか……」
「ぁ――そう、か。なら、良いんだ」
「……え。ちょっと、何」
自分でも、顔が引きつっているのが分かった。
さっきのは本当にただの意地悪のつもりだったのだが、ではこの反応はなんだ。
これでは、まるで――
「あんた、本当に"読める"の?」
「……、……」
――本当に、心が読めるみたいじゃないか。
それを言い当てられ、動揺しているみたいじゃないか――。
悠灯の言葉に、ゲンジは押し黙った。
だが彼も彼で、"狩魔の連れ"である自分への負い目があったのだろう。
少しの逡巡の末、原人のような顔をした少年はその容貌とは裏腹のどこかおどおどした様子で……小さく、頷いた。
「……読めるなんて、大したものじゃない。けど」
「マジかよ……」
悠灯も子どもではない。
いや未成年(こども)なのだが、自分の感情を全部逐一表に出すような恥さらしではない。
にもかかわらずさっきの彼の反応には、明らかな違和感があった。
見透かされているような、全部知られているような。もとい、"見られて"いるような。
だからあんな言葉が出たのだったが、こうして面と向かって認められると流石に驚きに打ちのめされる。
ゲンジという男に対して、悠灯が知ることはまだ多くない。というか、ほぼ何も知らないに等しい。
それでも、問い詰めてきた相手にこうも自然な反応で嘘を答えるなんて器用な真似はできないだろうことは何となく分かっていた。
それに、此処で行われているのは聖杯戦争だ。魔術師なんて嘘みたいな存在が集い、英霊という悪い冗談そのものな連中を招き寄せて殺し合いを演じる、そんな非日常の壺中なのだ。
であれば当然――"心を読める"能力者なんてものが紛れていたって、おかしくはない。
「あんたは…………、いや」
どんな風に心を読んでるの、とつい聞きそうになったが、やめた。
答えるわけがないと思ったからだ。自分が彼の立場だったなら、出会って間もない相手にすんなり自分の虎の子を打ち明けるわけがない。
なので、悠灯は口にしかけたその不躾な質問を引っ込めた。
代わりに投げかけたのは、彼に対して出会った当初から抱いていた疑問。
「…………あんたはさ、なんであの人に従ってんの?」
「なんで、って――」
「あたしは前から付き合いあったから、狩魔さんがどういう人かは知ってる。
だけどあの人、見た目怖いっしょ。口数多いタイプでもないし、実際怖い人なのも間違いないし」
自分のような不良が感化されるのは、自分で言うのも何だが分かる。
悠灯自身、周凰狩魔という"先輩"に対してどこか懐いてしまってる自覚はあった。
後輩に優しいからとか、面倒見がいいからとか、そういうだけじゃない。
それだけなら、擦れに擦れまくっている自分は信用など寄せない自信がある。
なのに狩魔は、どこか例外だった。
不良をしていれば、彼の怖い部分も嫌でも耳に入る。
どこそこのヤクザと揉めてるだとか。
シノギを横取りした半グレを制裁しただとか。
狩魔の舎弟が経営する闇金に強盗(タタキ)かました不良が、次の日東京湾で水死体で上がったとか。
それでも、不思議と悠灯は彼を"怖い"とは思わなかった。
もっと率直に言うと、嫌いになれなかったのだ。
「……、……」
問われたゲンジは、また少し黙った。
答えるべきか。答えていいのか。答えるとして何と表現しようか。
そんな葛藤の末に、彼はその原人のような顔で少し遠慮した表情を浮かべる。
気恥ずかしさではない。自分なんかがこれを言っていいのか、という後ろめたさがそうさせているように、悠灯には見えた。
けれど、ゲンジは口を開く。
言葉にする必要があると判断したから。
彼も彼で、華村悠灯という少女に初対面から"かまして"しまったことには思うところがあったのだろう。
そうでなくても、自分が初めて"ついていってもいい"と思えた相手が大事にしている人に不誠実なのは良くないと思ったのかもしれない。
兎角、ゲンジは言った。自分の心の内を、その不器用な口で吐露することにした。
「あの、人は……おれに、"期待"、してくれたから……」
「――そっか」
覚明ゲンジは明かさない。
そして華村悠灯も問わないことに決めたが。
彼の異能は、他人の感情を矢印として視認する。
本人の言う通り、読心だなんて便利で万能なものじゃない。
そこまで応用の利くものだったなら、ゲンジの人生はこうも落ちぶれていないのだ。
けれどゲンジはあの時、確かに見た。
自分へ"期待"するその矢印を。
だからゲンジは、応えたいと思った。
見下され軽んじられ続けてきたこんな原人(ゲンジ)に、その矢を向けてくれるあの人に。
「……まあ、何となく分かるよ。あの人はなんつーか、別け隔てないんだよな。
かと言って手当たり次第でもないんだ。あんなナリして人たらしとか笑えるけどさ」
そして悠灯は、ゲンジの言っていることが分かってしまう。
華村悠灯は擦れている。どうしようもなく、彼女は孤独である。
都会の落とし物。大勢の"しあわせ"からあぶれた、孤独な子ども。
そういう子は得てして人間不信で、善意で差し伸べられた手でも反射で振り払うのが常だ。
ましてや耳触りのいいだけの言葉や優しさなんて、すぐに見透かす。
なのに悠灯が狩魔に懐いている理由は、彼のことをついぞ嫌いになれなかった理由は――
「あの人は、あたしやあんたをちゃんと"見て"る」
「…………ああ。確かに、そんな感じだ」
「だよな。どこへ行けとも言わないし、どうしろとも言わないんだ。そりゃ毒気も抜かれるってもんだよ」
周凰狩魔は、何も求めないのだ。
こっちへ来い、とか。
あっちへ行け、とか。
何も求めない。何も言わない。
ただ、"先輩"としてそこにいるだけだ。
必要ならば手は貸してくれる。最低限の忠告はしてくれる。
だが、それ以上は言わない。そこには、何の打算もないのだ。
それは――悠灯のような"擦れた"子どもに対して、あまりに強かった。
世界の理不尽と冷たさを嫌というほど知り、嫌になって。だから擦れて、荒れて、暴れる。
そういう子ども達にとって、自分を個人として認め語りかける"先輩"は、あまりに強い。
だから気付けば悠灯は、狩魔を煙たがらなくなっていた。
謙りはしないし、機嫌を取る真似もしない。それでも、信用するようになってしまっていた。
「……おれには、目的がある」
「へえ、ちょっと意外。あるんだ? 願いとか」
「……ある。おれはそれを、きっと誰にも譲れない。
譲ってしまったら、おれが今までやってきたことが……何の意味も持たなくなる」
ゲンジもまた、そうだった。
彼は誰より人の心が分かる。そういう力があるから。
打算、悪意、それが嫌でも見抜けてしまう。
だからあの瞬間は、覚明ゲンジにとってひとつの瀬戸際だった。
もしもあの時見た矢印が違う感情だったなら、自分は脱兎と化して撤退していただろう。
そうなったらもちろん敵わない。つまりあそこで覚明ゲンジの聖杯戦争が終結していた可能性は、往々にしてある。
でもそうはならなかった。
彼の向ける感情には、一切の嘘がなく。
心の底から――自分に"期待"を寄せてくれていた。
故に応えた。そして負けた。そして、こうなった。
「でも……おれは、今は……。
もう少し、あの人の仲間でいたいと、思ってる。
あの人に見てもらいたいと、そう思ってる」
ゲンジには――いや。
ゲンジにも、願いがある。
そのために、此処までで幾多の命を犠牲にしてきた。
だからこそ走り切らなければいけないとそう思っている。
足を止めることはもはや許されないのだと、分かっている。
いずれこの時間は終わるだろう。
原人(じぶん)が首のない騎士(デュラハン)でいられる時間に限りがあることは、よく分かっている。
それでも。
今は。
もう少しだけ――
あの心地よい"期待"に応えていたいのだと。
ゲンジはそう思っていた。だから伝えた。それに、華村悠灯は「は」と笑った。
決して馬鹿にしたような声には聞こえなかったし。
現にゲンジの眼には、彼女が自分に対して向ける矢印が視えていた。
そこに、あるのは。
「……華村悠灯。まあさっき聞いてると思うし、実際あたしも聞いてるんだけど、さ」
――まだかすかで、朧気だけれど。
――たしかな、"共感"。
「――あんたは?」
さっきのは、ファーストコンタクトとしては最悪と言ってよかった。
だから一応、改めてやっておくべきだろうと思ったのだ。
悠灯は何も社会性がないわけじゃない。
ただそれを表に出すべき場面がなかっただけ。
そうしようと思う瞬間が、どうにもやって来なかっただけ。
曲がってしまった、そうなるしかなかった子どもの根っこのところは、意外に純粋(シンプル)だったりするものだ。
「……ゲンジ。覚明、ゲンジだ」
それはゲンジも同じこと。
嘲笑と悪意と、そして嫌悪に晒され続ける人生だった。
同じ方向を向いて対等に轡を並べる相手など、できた試しもなかった。
だがもしそんな存在ができたなら、その"共感"に向き合うくらいはできる。
「……その、さっきは、悪かった。
おれ、慣れてないんだ。こういう状況に」
正確に言うと、"慣れすぎている"のかもしれない。
けれどそれを伝えても、混乱させてしまうと思ったからそうは言わなかった。
咄嗟に動かなければ、そこで何かを喪う。
父の二の舞になるのはごめんだから、あの時ゲンジはすぐに動いた。
矢印が見えてしまうこともその行動を後押ししたことは言うまでもない。
「あの人が殺されるかもしれないと、思った」
「……何だよそれ。あんた、心読めるんじゃないの」
「言っただろ。そんな、便利な力じゃないんだ。おれのは」
もしもこれが悠灯が思っていた通りの、"心を読む"力だったなら。
覚明ゲンジはあんな行動は取らなかっただろうし、そもそもこんな世界に落ちてくることもなかっただろう。
ゲンジのは見えるだけだ。人が人に向ける感情を、矢印として見るだけの能力。
だからゲンジの力では、感情の機微というものが分からない。
華村悠灯が狩魔に向けていた"緊張"と"警戒"、その裏側までを見通せない。
「ふーん……。まあでも、ちょっと分かるかも。
中途半端に心が分かるのって、便利って言うより腹立ちそう」
「……そう、だな。おれは、嫌な気持ちになる方が多かったけど」
「あたしだったら誰彼構わずガン飛ばして喧嘩になってるよ、絶対」
悠灯からゲンジに対する矢印が、此処でその名を変えた。
"共感"から、"親近感"へ。まだ相変わらず細い矢印だが、それはゲンジにとって小さくない喜びを抱かせてくれる変化だった。
いずれ敵になる相手だと分かっていても、やはり嬉しいものは嬉しいので困ってしまう。
どんな形でも、誰かに認められるというのはそれだけで嬉しいものだ。
ゲンジは今まで、そういうことにはとんと無縁の人生を送ってきたから。
こんなんじゃ駄目だと思う自分もいたけれど、まだそこの折り合いを付けられるほどゲンジは大人じゃなかった。
悠灯も悠灯で、彼への親近感は自覚していた。
実際に話してみて、なんとなく分かったからだ。
彼はきっと、自分と同じ。神も信仰も、生きる希望もない人生を。
そんなボロ切れのような生き方をしてきた、そうするしかなかった"子ども"なのだろうと。
彼の眼と、紡がれる言葉が、悠灯に否応なくそう理解させた。
考えてみれば納得でもあった。ゲンジは凡そ不良向きの性格をしているとは到底思えないが――
周凰狩魔という人は、自分達のような後輩にはとても優しい男だから。
彼が拾ってきたという時点で、ゲンジもまた自分と同じ社会の残骸(ジャンク)なのだと気付くべきだった。
気付けていればああして気まずい思いをすることもなかったろうし、不便な生き方をしてるのは自分も大概なのかもしれない。
そう思って、悠灯は自嘲するように苦笑した。ゲンジはそれを、不思議そうな顔で見つめている。
原人っぽい顔の彼がそんな顔をするのは、なんだかシュールで、そしてコミカルだ。
「とりあえず分かったよ。あたしもガキじゃないんだし、もうさっきのことは掘り返さない」
「……助かる。おれも、あんたのことは、信用するよ。あんたは、悪い人には見えないから」
「どうだかね。……いい人でもないよ、あたしは」
煙草を取り出す。今日はちゃんと、ライターも新品のを携帯している。
アメスピを一本取り出して、唇で挟む。
ちなみにアメスピは燃焼効率がとても悪いタバコなので、一本でけっこう長く吸うことができる。
万年懐に木枯らしが吹いている悠灯のような若者にはこだわり抜きにしても優しいのだ、こいつは。
「……吸う?」
「……煙草の匂いは、あんまり好きじゃない」
「そ」
「けど……」
す、とゲンジが控えめに手を出してくる。
「……今は、吸ってみてもいい」
「何だそりゃ」
は、と悠灯は笑った。
そして、一本差し出す。
ゲンジが掴んだところで、先端に火を点けてやった。
それから自分の咥えたそれにも火を点ける。
二本の紫煙が燻ゆって、嗅ぎ慣れた香りがふたりの間を満たした。
不良漫画の一ページみたいなシチュエーションだと思った。
まあ実際、間違いでもないのかもしれない。
敵対するチームとの抗争、暴力で暴力を制する時間の始まり。
違うのは使う武器が拳でもバットでもなく、サーヴァントという超常の兵器であることだけ。
「……げほっ、ごほ……!」
「まあ嫌いな奴が吸えばそうなるよな」
「……こんなの、よく吸うな……」
「人から貰ってその言い草はないだろ」
思えば、人と組んで喧嘩をするというのは初めてのことだった。
悠灯は常に、ひとりで戦ってきた。
男だろうが女だろうが、売られた喧嘩は必ず買う。
徹底的にぶちのめして、二度と逆らわせない。
誰の明日も考えない、そんな生き方を続けてきて。
気付けば目の前から、自分の明日が失くなっていた。
――ゲンジが、願いを捨てられないと言ったように。
――悠灯も、それを捨てられない。
生きたい。生きたいのだ、ただ生きていたい。
苦しみの象徴でしかなかった明日(みらい)が、今はこんなにも恋しい。
そのために自分はいつか、狩魔やゲンジとも戦うことになるだろう。
これはその時が来るまでの、ほんの束の間の安息。
一本の煙草が燃え尽きるまでに味わえるヤニの味とニコチンの重たさのような、いずれ終わる座興でしかない。
誰かと一緒に戦うのは、最初で最後。
だからこそこの時間には、きっと価値がある。
箱の中に残った最後の一本。
違うのは、コンビニに駆け込んだって"これ"には代えがないこと。
悔いなく、ただ走り抜きたい。
ゴールテープの向こう側を見るため。
そこで、今度こそ人として生きるため。
冷たい都会を、悠灯は走る。
いつ壊れるかも分からない足で、必死に。
――と。
「っ……!?」
そこで不意にゲンジが、顔を青褪めさせて明後日の方を向いた。
悠灯も釣られて彼と同じ方を向き、そして眉間に皺を寄せる。
ついでに中腰になった。いつ何があっても対応できるようにだ。
視線の先には、見知らぬ女がいた。
右手に刻まれた令呪(それ)を隠すどころか、むしろ見せびらかすようにして――立っていた。
女は、手を叩いていた。
拍手をもって、悠灯とゲンジを笑覧している。
てめえ、とか。誰だ、とか――警戒を込めた悪態を口に出す前に、彼女は言うのだ。
「やっぱり狩魔は見る目があるね。実に将来性を感じるキャストを揃えたじゃないか」
「……お前――何言ってんだよ。中二病か?」
「大丈夫、警戒しないでいいよ。君達ほどお行儀のいい形ではないけれど、私もこの〈デュラハン〉の仲間だから」
くるり、とその場でひと回りしてみせる。
悠灯は隠そうともせずに眦を鋭くしているが、気にした様子は見られない。
だがゲンジは、ただ沈黙していた。
信じられないものを見るような眼で少女を見つめ、固まっている。
その様子に気付いてか、少女は彼の方に視線を移した。
そしてまた、にこり、と人懐っこそうな顔で笑うのだ。
「君はなかなかがんばり屋さんだね」
「え……」
「大丈夫、その努力はいつかきっと報われるだろう。
それは"あの子"がいちばん喜ぶたぐいの懸命さだ。
変わらず励むといい――そうすれば君は、ともすれば私達にも届くかもしれない」
「……、……!」
悠灯はますます顔を厳しくする。
ゲンジと彼女の間に面識があることへの驚きとか、だったらこいつのこの反応は何なんだとか、気になることは無数にあるけれど。
それよりもいきなり現れて意味深なことをぺらぺらと並べ立て始めた怪しい女への猜疑心の方が勝っていた。
「おい。あたしを置いて話進めんなよ」
「ああ、ごめんごめん。ただ、さっき言ったことは本当だから安心していいよ。
何より、此処に私を通したのは他でもない狩魔自身だ。彼のお墨付きということであればちょっとは信用もしてもらえるかな?」
「まず名前くらい名乗れ」
「山越風夏。〈現代の脱出王〉、って聞いたことない?」
悠灯は不良だが、それでもその名前は聞いたことがあった。
各地での公演や、ストリートライブ的に行う路上マジックショー。
魔法のような奇術で混乱の東京を癒やす、稀代の若きエンターテイナー。
マジシャン。〈現代の脱出王(ハリー・フーディーニ)〉。
「君の名前も知ってるよ。華村悠灯」
「なんで知ってんだよ……」
「そこはそれ。私はそういう生き物だから、ということで納得してくれると嬉しいな。
自分の個人情報をどうやって調べ上げられたかなんて、聞いてもあんまり愉快な話じゃないでしょ」
悠灯は、彼女が何者であるかを知らない。
〈現代の脱出王〉が、本物の〈脱出王〉であることも。
彼女が、彼女達が見て、体験して、歩んできた旅路も。
何も知らないが、しかし非常に奇怪な気分になったのは確かだった。
まるで、生きている人間と話していないような。
人の姿をした幻、アスファルトから立ち昇る真夏の陽炎。熱で魘されながら見る荒唐無稽な白昼夢。
そんなひどく不確かな存在と言葉を交わしているような、不安ともつかない感情に苛まれている。
「詳しい話は狩魔から聞くといい。
もしあまり上手く行ってないようだったら仲裁してあげるのもやぶさかじゃなかったけど、この様子だとそれは必要なさそうだし」
「おい、話はまだ――」
「ああ、でも。これだけは伝えておこうか」
苛立って手を伸ばした悠灯。
その手が、するりと空を切る。
手の届く範囲にいた筈なのに、相手が動いた風には見えなかったのに、何故か手応えというものがない。
「優しい子。君に限って言えば、多少急いだ方がいいかもしれない」
「は……?」
「保ってあと数日ってところだろう。君の終わりは、きっと糸が切れるように訪れる」
「……ッ!」
「そして私の経験則上、安穏の時間はそれほど長くは続かない。
そうなれば君は戦火に晒され、回路を動かせばその分残り時間は減っていく。
今のままではいけないよ、悠灯。明日に辿り着きたくば、君はいち早く"何者か"にならなきゃいけない」
――心臓に、穴が空いたような気がした。
分かっていたことではあった筈だ。だが、見ないようにしていたことだった。
この世界に来る前に宣告された、命の終わり。
それからひと月近い時間が経過しているのだから、当然残された時間も少なくなっている。
ましてや今の悠灯は魔術回路を得、サーヴァントを使役することで常にそれを回し続けている状態だ。
悪化しない筈がない。未来のために終わりを早めながら、華村悠灯は歩んでいる。
そしてその足が止まる時間は、悠灯が思っていたよりもすぐそばにまで迫っていた。
「それじゃあ、これから仲良くしてくれると嬉しいな。
私が此処に居座ることはまあないだろうけど、時々顔を見せには来るからさ――」
――期待しているよ、ふたりとも。
そんな言葉を言い残して、煙のように〈脱出王〉は消え失せる。
追おうとする気にもならなかった。
頭がくらくらする。胸が風船でも突っ込まれたように張り詰めて、息がうまくできない。
立ち上がった筈の椅子に崩折れるように身を預けて、指の力で吸いかけの煙草をへし折った。
「……何だってんだよ、本当に」
噛み締めた奥歯が軋みをあげていた。
握った拳に向ける先がないことが、こんなに不便だなんて知らなかった。
悠灯の空は今も灰色のまま。何も変わらぬまま、ただ時間だけが迫ってくる。
まだ何者でもない少女はひとり、防御反応のように殺気立ちながら、迫る"その時"に恐怖していた。
――死にたくない。
何度も繰り返した願いがもう一度、胸の中で反響した。
◇◇
"期待"。
山越風夏がゲンジと悠灯に向ける矢印は、それだった。
それを嬉しく思うよりも、ゲンジは激しく動揺していた。
出会うと同時に確信した。その矢印を見るなり理解した。
――こいつは、あの"白い少女"に矢印を向けていた〈六人〉のひとりだと。
証拠として彼女からは、常識では考えられない極太の矢印が伸びて何処かへ飛んでいた。
恐らくこの矢印の向かう先に、ゲンジがあの日見た少女がいるのだろう。
そう思うと激しい動悸で何も言葉が出てこなくなった。
やはり、そうだったのだ。この聖杯戦争は、決して万人に平等なんかじゃない。
ブラックホールと、その周りを渦巻き吸い寄せられる無数の星々で形成された異形のゲーム盤。
それがこの都市の真実なのだと、ゲンジは今一度そう突き付けられた。
彼のそんな感情に、気が付いたみたいに。
山越風夏は、覚明ゲンジを見つめて微笑んだ。
今までゲンジが一度も向けられたことがないような、満面の笑顔だった。
『君はなかなかがんばり屋さんだね』
『大丈夫、その努力はいつかきっと報われるだろう。
それは"あの子"がいちばん喜ぶたぐいの懸命さだ。
変わらず励むといい――そうすれば君は、ともすれば私達にも届くかもしれない』
心臓が、今までとは違う意味で高鳴った。
その言葉を聞いた時の喜びは、もう筆舌になど尽くせない。
ゲンジは、此処に来るまでに彼なりの努力を山ほど重ねてきた。
そう、本当に。"山ほど"、重ねてきたのだ。
それには意味があった。〈脱出王〉は認めてくれた。
あの子が一番喜ぶことだと、言ってくれた。
本当に。
泣きそうになるほど、嬉しかった。
この舞台には、主役がいるのかもしれない。
主役がいて、それを見つめる主要人物達がいる。
彼らを超えて輝くことの難しさなど、語るまでもない。
けれど。美しき主役は、挑むことを許してくれる。
誰もに、輝く権利を認めてくれている。
それは舞台というよりも、むしろ皆で卓を囲んで遊んでいるみたいな気安さで。
ゲンジはこの時確かに、遊ぼうよ、という少女の声を聞いた気がした。
ああ――――おれも、行って、いいのか。
遊んで、いいのか。
遊びに誘われることなんてほとんどない人生だった。
たまに呼ばれてもそれは使い走りだとか、その特異な容貌を見世物にして笑うだけの用向きなことがほとんどだった。
そんな自分に、遊ぼうと求めてくれる誰かがいる。
ならば。こんな自分のことも、遊び相手のひとりとして認めてくれるというのならば……
「…………行くよ。必ず、そこに」
戦おう。
聖杯戦争を知ろう。
強くなりたい。
願いを叶えるために。
いつか"彼女"に会うために。
〈刀凶聯合〉を踏み潰そう。
自分へ期待してくれた、あの人のために。
"自分のため"は、最後の最後。
今はまだ、"誰かのため"でいい。
はるか昔人類の祖先が、数多の生を繋いで進化を遂げていったように。
革命を待つ原人たる自分も、歩みと共に進んでいこう。
覚明ゲンジは興奮していた。
彼の人生において初めてのことだった。
彼もまた、今はひとりの〈首のない騎士〉。
赤き聯合を鏖殺するべく、首なしの原人が燃えていた。
◇◇
「ほら、特に問題なかったでしょう。
そういうタイプじゃないんですよ、彼女。気味の悪い存在ではありますけどね」
金髪の騎士が、肩を竦めて呪術師(シャーマン)の男にそう告げた。
シッティング・ブルの表情は険しい。
彼が警戒するのも頷けることではある。
何故なら今、あの山越風夏という少女は――サーヴァント二騎の認識を完全に掻い潜って、突然あの部屋に姿を現したのだから。
ゴドフロワ・ド・ブイヨンは既に風夏と面識を持っている。
したがってアレがどういう人間で、どういう異常者なのかも弁えていた。
神出鬼没にして生粋のエンターテイナー。戦いとは明らかに違った何かを見据えて東京という舞台を駆け回るマジシャン。
極めて得体は知れないが、だからこそある意味では読みやすい。
〈脱出王〉は楽しませる者であるから、その分無体な殺意とは無縁の存在である。
仮に彼女がそう動くようになるのなら、その前には必ずご丁寧に予兆を示す筈だとゴドフロワは読んでいる。
兎角、常識では測れない存在なのだ。彼女には彼女の視点でしか見えない別の戦いがあり、それに向けて動いている以上は破滅的な結果をもたらす存在では現状ない。もしそうでなかったならば、ゴドフロワはとっくにアレを全霊あげて滅ぼしていただろう。
「私がこうして静観し、狩魔が許している。その時点で無問題(モーマンタイ)です。ふふ、慣れない言語を使ってみました」
「……、……」
「第一、もし本当に危害を加えようとしていたならあなたの術が作動していたでしょう。
そうならなかったという時点で、やはり〈脱出王〉は私の知るままの存在であったということ。
いささか羽音の鬱陶しい、昼夜を問わず飛ぶ蝶のようなものですよ」
「……君は、本気でそう思っているのか?」
騎士の言葉に、呪術師はそう問い返す。
それは暗に、『私はそうは思わなかった』と告げているのと同義だった。
「アレの在り方は"いたずら好きな精霊"に似ている。
だがそこに、致命的な汚濁の染みが窺える。
ヒトに似て非なる何かだ。身体も魂も、その人格も。彼女は狂気に冒されている」
「でしょうね。流石にアレが普通の人間、っていうのは通らないと私も思います」
「彼女は厄災の呼び水だ。いずれ必ず、このトーキョーに破滅を運ぶぞ」
「はい、同意見です。ですがね、キャスター。それは"私達だけ"の破滅ではないでしょう?」
シッティング・ブルは、生まれついて人並み外れ霊的な才覚を有していた。
物心ついた頃から精霊を知覚し、神秘と繋がり共に暮らしてきたワカン・タンカの申し子だ。
その彼が見る山越風夏という少女は、"おぞましく哀れな人形"に見えた。
魂を真黒に灼き焦がされ、火傷が痒みを訴えるように、狂気を発露して歩くしかない"誰か"の残骸。
哀れで、そして――どうしようもないほど、おぞましい。
シッティング・ブルは、この都市で度々怖気立つような凶兆を感じてきた。
今なら分かる。自分の背筋を寒からしめていたのは、アレとアレに類する存在だ。
予言などせずとも分かる。いずれこの東京は、想像することもできない厄災に呑まれると。
危機感を持ってそう語る呪術師に、騎士は笑みを絶やさずこう言った。
「どうせいずれは皆殺しにするしかないんです。
だったら都合がいいじゃないですか、彼女達には精々地獄みたいな内輪揉めを頑張っていただきましょう」
「……やはり君とは、価値観が合わないようだ」
「ですね。でも、今はあなたも我々と同じ首なしの騎士だ。
仲良くとまでは行かずとも、轡を並べてのんびりやっていこうじゃないですか。
お互いに甘い汁を吸い合って、いつか来る聖絶の日に備えればいい」
視線を外す。
分かっていたことだが、根本的に考え方が違いすぎた。
この騎士は蹂躙する側、侵略する側の英霊だ。
そのきらびやかな傲慢さは、シッティング・ブルにとある男の顔を思い出させる。
一度破った相手ではあるが、次はそう容易くも行かないだろうと思っていた。
宿命とは"運命"だ。きっと必ず、自分はまたあの"ソルジャー・ブルー"と対峙する時が来る。
今度は侵略する側、される側という間柄ではなく――共に熾天を争う、正真正銘の敵同士として。
(……悠灯)
己の不甲斐なさに、シッティング・ブルは静かに拳を握った。
いずれ伝えねばならないことではあった。
いや、彼女自身どこかでそれを自覚はしていたに違いない。ただ、見ようとしてこなかっただけで。
華村悠灯は強く、弱い娘だ。強いままに弱く、弱いままに強いのだ、彼女は。
だからこそ、迫る終わりを直視すれば走ってしまう。
動き続けている時計の針。いつか終点に行き着く命の廻り。
それは彼女の願いを思えば、正しいことであるのかもしれない。
だがシッティング・ブルには、どうしてもそうは思えなかった。
そうなってしまったら――もう、止まれない気がしたのだ。
まさしく、そう。歯止めを忘れ、地平の果てまで駆け抜けた、ソルジャー・ブルーのように。
思惑、絆、高揚と迷い。
あらゆる感情を首の代わりに乗せて、騎士団もまた剣を研ぐ。
彼らは〈デュラハン〉。首のない騎士。
赤き荒野を踏破して、その願いを踏み潰す。
――そう、荒野だ。荒野が広がっている。
赤き、血染めの荒野が。奈落への道が。
それは、闘争の騎士を弑する旅路。
そして、厄災すらも乗りこなして熾天に至り、それぞれの願いを叶えるための……――
【新宿区・歌舞伎町の路地/一日目・夕方】
【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
0:……最初の六人、ね。
1:刀凶聯合との衝突に備える。
2:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
3:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
[備考]
【新宿区・歌舞伎町のライブハウス/一日目・夕方】
【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(中)、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:――おれも、いくよ。
1:周鳳狩魔と行動を共にする。
2:今後も可能な限りネアンデルタール人を複製する。
3:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
[備考]
※
アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。
【バーサーカー(
ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り51体)
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
1:………………。
[備考]
【華村 悠灯】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
0:何だってんだよ。……分かってたよ、クソ。
1:暫くは周鳳狩魔と組む。
2:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
3:山越風夏への嫌悪と警戒。
[備考]
【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:――悠灯。
1:復讐者(
シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
2:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
3:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
[備考]
※
ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。
【バーサーカー(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
1:レッドライダーの気配に対する警戒。
[備考]
【新宿区・歌舞伎町のライブハウス→???/一日目・夕方】
【
山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:悪国征蹂郎のサーヴァントが排除されるまで〈デュラハン〉に加担。ただし指示は聞かないよ。
3:うんうん、いい感じに育ってるね。たのしみたのしみ!
4:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。
【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康、呆れ顔
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:(こいつこれだから昔馴染みに揃ってウザがられてるんだろうな……って顔)
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。
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最終更新:2024年10月24日 01:23