外でいったい何があったのだろうかと、
覚明ゲンジは落ち着かない様子できょろきょろ視線を泳がせていた。
山越風夏が現れ、自分達に意味深な言葉をかけていったのが数時間前。
それを受けて露骨に表情を曇らせた
華村悠灯が、すぐ戻ると言い残して外出したのが一時間ほど前のことだ。
自分が風夏の言葉から希望にも似た活力を得たように、彼女もまた何か感じ入るものがあったのだろう。
少なくとも当面の間は仲間として付き合う相手なのだから、散歩が気分転換になるならそれでいいとゲンジは思っていたのだが。
しかし戻ってきた悠灯の様子は、出かける前より更におかしかった。
悪化していた、と言ってもいい。だが単に沈鬱なのとも違う、葛藤のような感情が力を使わずとも窺えた。
様子がおかしいのは、何も彼女だけではない。
悠灯の傍に侍っているキャスターも、鉄面皮じみた顔に微かな焦燥を滲ませているように見えたし。
ソファに腰掛けて主の到着を待つ聖騎士のバーサーカーの薄い笑みも、心なしかいつもより剣呑に見えた。
特にバーサーカーは一度交戦している相手だ。ゲンジは彼の殺意の、その烈しさを知っている。
だからこそ滲む殺気を、"あの時以上"と形容することができた。
それを華村悠灯の様子と結び付ける択が浮かばないほど、ゲンジは鈍くない。
まさか――そう思ったところで、部屋の扉が開く。
たまり場としてこの上なく有用であろう大部屋。
開かれた扉の先から現れたのは、ゲンジ達首のない騎士の大将だった。
精悍な顔立ちと鍛え抜かれた肉体。
おぞましくもどこか魔的な美しさを放つ、両腕を這う黒龍のタトゥー。
周鳳狩魔。デュラハンの元締めにして、ゲンジや悠灯と同じ聖杯戦争のマスター。
ソファに座っていたゴドフロワが立ち上がり、悠灯の
シッティング・ブルがそうしているように彼の脇へ侍り立った。
彼と代わる形で腰を下ろして足を組み、背もたれに深く体重を預ける。
地上げ屋かヤクザ者のように横柄で威圧的な態度さえ、彼がしているとどこか格好良い。ゲンジにはない華があった。
「待たせて悪かったな。ちょっと野暮用を済ませててよ」
煙草を取り出し、火を点ける。
燻る紫煙からは、微かにバニラの香りがした。
「ついでにもうひとつ詫びておく。
あの女……山越のことだ。追って説明しようと思ってたんだが、少し計算違いが起こってな。
結果的に説明と対面が逆になっちまった。口を開けばろくでもないことしか言わない女だから、お前らも面食らっただろ」
「……ま、まあ」
ゲンジは曖昧に頷く。
悠灯は無言だった。
それだけでも、彼女が山越風夏の言葉からどういう影響を受けたのかが窺い知れる。
そんな悠灯の方を狩魔は一瞥だけして、また口を開いた。
「まあ、あんまりアレの言うことは真に受けるな。
野郎は気狂いの類だ。いちいち律儀に受け止めてたら身が保たねえよ」
悠灯と、そしてゲンジに対しても向けられた言葉なのだろう。
実際ゲンジは、風夏へ狩魔が用いた表現が言い過ぎでもなんでもないことを知っている。
あの日自分が見た異様な矢印の中に、彼女のそれも混ざっていたことはほぼほぼ確実。
社会性を保つことすら難しいほどの極大の感情を抱えながら、あんな風に涼やかな顔をしていられるのだとしたら――そんな人間のことを、ゲンジは狂人としか思えない。
ブラックホールの周りを旋回しながら引き込まれていく、狂った星々のひとつ。
それが山越風夏なのであろうと、ゲンジは改めて言われるまでもなくそう認識していた。
「で、ここからが本題だ」
コトリ、と。
机上に放置されていた空のグラスに、狩魔がスマートフォンを立てかけた。
端末の画面には通話中の旨が表示されている。そしてそこには今気狂い呼ばわりを受けた、マジシャンの名前が記されていたのだ。
狩魔に釘を刺されたばかりではあるが、それでもその名前を見るとゲンジは彼女のくれた言葉を思い出してしまう。
自分を見て笑ってくれた、期待をかけてくれた、……"私達"に届くかもしれないと言ってくれた女。〈脱出王〉。
うるさいほどに高鳴る心臓の鼓動は、意識的に制御できるものではない。
しかしそんな彼の予想に反して、スピーカーモードにされたスマホから響いたのは見知らぬ少年の声だった。
『はじめまして。山越風夏のサーヴァント、ライダーだ。
こちらの都合で悪いが、彼女はお利口さんに会談とかできるタイプじゃないのでね。今回は代役としてぼくが参加するよ』
通話越しとはいえ、新たなサーヴァントの登場は小さくない意味を持つ。
シッティング・ブルの眉が微かに動いたのをゲンジは見逃さなかった。
ちなみにゲンジのサーヴァントである原人達は、霊体化させてライブハウス周辺を警戒させている。
一体一体ではそこらの魔術師にも劣りかねないが、その弱さはゲンジが数を増やすことで補った。
彼らの持つ能力も相俟って、仮に聯合が横紙破りの襲撃を仕掛けてきたとしても、まず間違いなく返り討ちにできるだろう。
ネアンデルタール人達の存在は事実上、このライブハウスを地上の要塞も同然と化させていた。
『とはいえ、あくまでぼくは彼女の方針に殉ずる使い魔だ。
風夏が語らないことはぼくも語らない。そこのところだけは、念頭に置いて貰えると助かるな』
「ハナから期待してねえよ。話の腰を折らないだけ奴より優秀だ」
煙草の灰が、とんとん、と切られる。
再び煙草を口へ運んで、吸い、煙を吐く。
白煙がライブハウスの小洒落たライトに照らされながら、龍のように天井へ伸びていく。
「話はゴドーから聞いてる。二つ目の計算外だな、まさかお前らが先に遭っちまうとは」
「――君は、あの娘のことを知っていたのか?」
「睨むなよ。俺も知ったのはついさっきだ。
もし最初から知ってたなら、聯合のガキ共との付き合い方も変わったかもな」
誤魔化しは許さない、という言外の意思を含めたシッティング・ブルの詰問に、狩魔はそう言った。
外で悠灯とそのサーヴァントにあったことを、彼女達が遭ったもののことを、ゲンジは何も聞いていない。
何しろ当の悠灯がこの状態なのだ。だがそれでも、薄々は察せていた。
ヒトをごく短時間で、此処まで灼けるもの。
完全ではなかろうとも、その心に難治性の揺れをもたらせるもの。
そんな人間を、覚明ゲンジはひとりしか知らない。
「今から、山越風夏から聞き出した情報をお前らに共有する。
悠灯も聞くだけは聞いとけ。この先戦っていく上で、絶対に知っておいた方がいい話だ」
「……、……うす」
悠灯もその点については同意見なのだろう。
彼女は実際に、それを見ているから。
「結論から話す。
この聖杯戦争は、ある女が聖杯の力を使って開闢(はじ)めた"二回目"だ」
「〈はじまりの聖杯戦争〉。それと地続きに発生した、言うなれば〈第二次聖杯戦争〉」
「俺達の聖杯戦争には――――――黒幕がいる。そしてそいつは何食わぬ顔で、この東京を歩き回ってるってわけだ」
◇◇
狩魔の説明を聞き終えたゲンジは、言葉を失うしかなかった。
確かに、ゲンジは白い少女……祓葉という存在を既に知っていた。
わずかな時間とはいえ、実際に見たこともある。
彼女の衛星であろう狂人と対面したことで、現人神の実在は確信に変わっていた。
だが、それでも――。
それでも話は、ゲンジの予想など遥かに超えていたのだ。
「……にわかには、信じがたい話だな」
「同感だよ。俺が言うのも何だが、正気とは思えねえ」
シッティング・ブルが厳しい顔で零した感想に、狩魔も同意する。
前回の聖杯戦争などというものが存在したことへの驚き。
聖杯を手に入れてまた聖杯戦争を始めるという不可解。
そして、この世界の神は小難しい陰謀など持っておらず。
ただ聖杯戦争という遊戯を楽しむため、黒幕の癖して当事者ヅラで今もこの都市を徘徊している――。
改めて、具体的な情報としてそれを聞かされて。
驚くな、という方が無理な話だった。
が、ゲンジがそこから立ち直るのは早かった。
くどいようだが、彼は最初からそういうものがいると知っていたから。
実際、驚く一方で納得もあった。話したことも、恐らく認識されたこともないだろう彼女に対してゲンジが描いた人物像と、今狩魔が語ってくれた内容はあまりに一致していたからだ。
自由奔放。
故に純真無垢。
呆れるほどに純粋で、だからこそ残酷なほど慈悲がない。
「――此処まで聞いて、訂正したい箇所はあるか? ライダー」
『特には。ぼくも"彼女達"のすべてを聞いたわけではないが、よく要約できていると思うよ』
話を振られた風夏のライダーは、白々しい拍手の音を響かせた。
『ただ、なるほど。
君達はまだ誰も、
神寂祓葉と実際に戦ったことはないのか』
「なんでも休憩中だったとのことで。
殺すつもりで仕掛けたのですが、ついぞ乗ってきてはくれずじまいでしたね」
『それは何よりだ。
もし戦闘になっていたら君達、どんなに少なく見積もっても半壊は免れなかったと思うよ』
ゴドフロワとシッティング・ブル。
二体のサーヴァントを指しての発言に、場の空気がピリ、と張り詰める。
なのに彼らはどちらも、それを侮辱と受け取ることはしなかった。
実際に遭った彼らだからこそ、ライダーの言葉に説得力を感じたのだろう。
『職業柄、あまりこういう物言いはしたくないんだけどね――あの娘は異常な人間だ。
そっちも不死性は確認してるようだけど、むしろ真に怖いのは攻撃性だよ。
自分が頭で欲しがったパフォーマンスを、そのまま身体に転写できると言って差し支えない。
擬似的な願望器のようなものだ。まともにやったら、まず間違いなく誰も勝てない』
「いいのか? 山越はネタバレは悪だって言ってたぞ?」
『問題ないだろう。ぼくらも今は君達と協力関係にあるんだ、情報を伏した結果無謀な突撃なんてされたらこっちが損をする』
ライダーの言葉に、また沈黙が流れる。
それは事実上、あの公園でゴドフロワ達は"見逃された"のだということを意味していたからだ。
祓葉がもしやる気だったら、本気だったら――誰も生き残れていないか、半数は殺されている。
先の指摘が絶望的な現実味を伴って君臨したのだから、言葉に窮するのも無理はない。
だがそんな中でただひとり、覚明ゲンジだけはやはりどこか高揚していた。
畏怖を通り越して憧憬にも達する感情の矢印を、彼は話したこともない祓葉に対して向けている。
故にゲンジにとっては、ライダーの告げた祓葉の詳細さえ心躍らせる福音のように聞こえた。
ああ、やっぱり、そうなのか。
やっぱりあの人は、凄い生き物なんだ。
おれなんかよりずっと、いや、この都市の誰よりもずっと。
心も身体も強さも全部が隔絶された、女神みたいなバケモノ。
もちろん、その昂りを声には出さない。
それくらいの分別は彼にだってある。
だとしても、猛る心だけは抑えられなかった。
あの日一度だけ見た、あいつ。
それだけでも己が心を焼き尽くすような衝撃をくれた、あの子。
すべてを楽しむ傲慢な現人神。
その視線を、矢印を、感情を――おれも欲しいと、柄でもない欲が出て仕方ない。
昂りを悟られないよう、悲観したフリをして下を向く。
そんなゲンジの姿を、狩魔が小さく一瞥した。
が、何か言うでもなく。灰皿で煙草の火を、揉み消した。
「……この世界と、その"神"についての話は以上だ。質問はあるか?」
「無論だ」
手際よく質疑応答へ進んだ狩魔に、シッティング・ブルが眉を顰める。
ただでさえ厳しい顔立ちが、更に重苦しく見えるのは気のせいではないだろう。
彼もまた、ゴドフロワと同じく祓葉を見た英霊。
戦慄と共に天星と相対し、今は後悔を胸に沈んだ主を支える敬虔なシャーマンである。
その彼が首なし騎士団の王に問う命題は、言うまでもなくひとつだった。
「……征蹂郎なる男が率いる刀凶聯合と、我々は衝突するのだったな」
「そうだな。まだ時間はあるが――」
「共に英霊を擁した大勢力同士が正面切ってしのぎを削り、殺し合う。
その状況はまさしく、〈大いなる冒涜〉……神寂祓葉がこよなく愛する混沌だと私は思う」
そんな乱痴気騒ぎを神の箱庭で、隠れ潜むこともなく巻き起こしたならどうなるか。
分かっていないとは言わせないぞと、呪術師の鈍い眼光が狩魔を見据える。
「確実に訪れるだろう"その時"、我々が焼き尽くされないための策があるなら、今此処で答えて貰いたい」
この問いかけ自体が異常極まりないのは言うまでもない。
英霊が、人間ひとりの介入による戦局の崩壊――それどころか。
"彼女"の登壇により、自分達が鏖殺される可能性を大真面目に想定して詰問しているのだ。
シッティング・ブルは戦争を知っている。ひとつの油断、過信が招く破滅的な事態など、彼は余さず記憶していた。
誤魔化しを許さない呪術師の詰問を受け、しかし周鳳狩魔は迷うことなくこう返す。
「あるにはある。だが、確信に至ってない」
「……不確実な策にかけて船に乗り続けろと?」
「あんたの気持ちは分かるよ。だから此処は、俺に賭けろとしか言えねえな」
詐欺師のような物言いだったが、重要なのはそこではない。
狩魔は既に、対神寂祓葉の策を思いついていること。これが最も肝要な点だ。
「下手に知っちまった結果、それをアテにしすぎちまう可能性が怖い。
あんたがどこの誰かは知らねえが、慢心の怖さが分からん馬鹿には見えないよ。
だからよ、今はこれで折れてくれねえか」
そこで狩魔は、シッティング・ブルへと目配せをした。
その意味が彼には伝わる。いや、伝わってしまう、と言うべきだろう。
狩魔の言葉も視線の意味も、彼の相棒たる少女のことを暗喩しているのは明白だったからだ。
現在進行形で大きく揺れている少女の視野を下手に広げさせれば、さらなる迷走を招きかねないと。
「実際に試してみないことには断言はできない。結局はどこまで行ってもぶっつけ本番だ。
が、ある程度話が前進したらあんたには先んじて話を通すようにする」
「……分かった、今はそれでいい。が、あくまで私は君でなく悠灯のサーヴァントだ。
もし君に信を置き続けることが不可能と判断すれば、私は彼女のための行動を取る。そこに関しては、構わないな?」
「それでいいよ。盲目に服従しろって言うのも今日び寒い話だ」
妥協点は見つかった。
よってシッティング・ブルは、釘を刺しつつ引き下がる。
彼は裏切りを知る者だ。特に、残酷な者が行うそれなら見飽きている。
デュラハンと心中するつもりはない。あくまで優先すべきは悠灯と、そして己と定めている。
狩魔もそれを分かった上で、咎めなかった。聖杯戦争とはそういうものだと、この青年も理解しているからだ。
過度に平伏を求めれば足並みが乱れる。聯合ではないが、ある程度の凹凸は許容する気でいた。
『――そろそろ会合も終わりかな?
なら最後に、ぼくからひとつ忠告をさせてもらう』
世界の秘密は共有された。
祓葉という神(ホシ)の脅威もだ。
であれば後は各々が知ったことを噛みしめる時間となるのが普通だろうが、意外な人物が此処で口を挟む。
『ぼくの独断ではなく、風夏からのメッセージだ』
「つまんねえ意味深ポエムだったら切るからな」
『刀凶聯合に、新たな協力者が加入した可能性がある。"彼女達"の同郷だ』
――静寂が場を包むのは何度目だろう。
だが、ライダーの発言はそうなるに足るだけの重さを孕んでいた。
なにせ今の今まで、神寂祓葉の規格外性と彼女がやらかした所業についての話が行われていたのだ。
であれば当然、この場の誰もが以前までとは比にならない理解度でその肩書きに警戒を払うことになる。
彼女達。
神寂祓葉と、山越風夏の同郷。
すなわち、〈はじまり〉の残骸(レムナント)。
星の光に灼かれて狂った、新顔の狂人が此処でデュラハンの盤面に浮上した。
『男の名前は、ノクト。
ノクト・サムスタンプ。
褐色の肌に刺青の強面男だ。これと出会ったら、君達が意識することはふたつ』
「……、……」
『話を聞かないこと。そして、速やかに殺しにかかること。だそうだよ』
この場にいる人物の誰ひとり、ライダーでさえ知らないことだが。
実際、確かに彼と相対する上で最適な回答は暴力(これ)である。
都市でも既に、原初の刀鍛冶がそうして傀儡に堕ちる未来を避けたように。
詐欺師の話に耳を傾けるべきではなく、まずはその顔面を殴り飛ばすことから始めるべきなのだ。
……こうして今度こそ、首のない騎士達の会合は終わる。
重すぎる真実と、前途の多難さを物語るような新たな敵の話を聞いて。
騎士達は、各々の戦いと、各々の想いへと戻っていく。
「ゲンジ。十分……いや、五分後に俺の部屋に来い」
「え……?」
「話がある。心配すんな、別に取って食いやしねえよ」
ただひとり、騎士団の元締めたる青年だけを除いて。
◇◇
覚明ゲンジを呼びつける上で、そこにタイムラグを設けたのは彼の心情を慮ってのことではない。
単純に、狩魔の側にまだその前に片付けておきたいタスクが残っていたからだ。
座椅子に腰掛け、さっきライダーとの通話に使っていたのとは違う、錆のような赤黒い汚れの着いたスマートフォンを取り出す。
そして即座に、発信。コール音は一度で済んだ。通話が繋がり、声が聞こえる。
『――――誰だ』
通話口から聞こえた声は、切り出した黒曜石のような鋭さを孕んでいた。
脅しとしてではなく、生体活動のひとつとして"殺意"を用いる者特有の剣呑。
常人であればこの一声だけで恐慌状態に陥り、端末を取り落として逃げ出してしまうだろう。
電話越しの声であるにも関わらず、まるで今にも目に見えない凶器が自分の心臓を抉り出してしまうような。
否応なしにそんな不安を抱かせる、そんな声だった。
なればこそ、これにどう応えるかで電話をかけた側の格も必然推し測れるというものだったが。
「鼻息荒ぇな。そう殺気立つなよ、ガキ」
端末を落とすどころか声を震わすでもなく、小さく鼻を鳴らして一笑する。
先方が研ぎ澄まされた刃のような声ならば、こちらは毒を持つ獣のような声音であった。
牙を剥き出して威嚇はせず、その振る舞いひとつで見えない凶器を突き付ける。
世の中の酸いも甘いも噛み分けた者でなければ出せない、非道く毒々しい殺意。
やはりこちらも殺意を扱い慣れている、"人を殺す"ということが日常の選択肢のひとつに入っている者の剣呑さを有していた。
「一から十まで説明してやらないと分かんねえか?
悪国征蹂郎君」
『……、……』
「まあいいや。一応は初対面だしな、名前くらいは名乗ってやる」
そう、彼らの間で共通していることはただそれだけ。
概ね平和と言っていいこの国で、それでも殺し殺されの世界に身を置くこと。
その上で埋もれず、類稀なる力を見せつけて王に上り詰めたこと。
水も油も液体という括りでは同一であるように、そこだけ見れば、彼らは似た者同士であると言えなくもなかった。
「周鳳だ。これから長い付き合いになるんだから、挨拶くらいはしておこうかと思ってよ」
電話口の殺気が数段増しに強まったのを感じる。
が、感じただけだ。周鳳――周鳳狩魔の在り様は何も変わっていない。
掛け合いの席で臆病風に吹かれるような半端者に裏社会の頭は張れない。
それはヤクザでも、彼ら半グレの世界でも昔から変わることのない道理だった。
「なあ、悪国よ」
『……、……』
「てめえの素性は既に握ってる。冗談みてえな組織に拾われて育ったヒットマン上がりなんだって?
すげェーじゃねえか。お前が殺した死体の情報を聞いたけどよ、ステゴロで人体爆散させるなんざ漫画の世界だけの話だと思ってたぜ。
求心力も悪くねえ。最後こそウタっちまったが、澤田はギリギリまでお前を売らねえって強情張ってたぞ。
人間って大したもんだよな。あんな裂けたチーズみたいな身体になっても頑張れるんだからよ」
『――御託はいい』
澤田。
狩魔の手で拷問されて命を落とした仲間の名前を出された征蹂郎は声色こそ変えずに、されど有無を言わさぬ口調で話を遮った。
殺害された澤田某の死体はドブ川に浮かんだ。聯合の縄張りの中だったから、死体とその身に起きたことを彼らが知るまではすぐだったろう。
それは刀凶聯合にとって最大の地雷。
ひとりは皆のために、皆はひとりのためにを地で行く野良犬達は仲間の犠牲を見過ごせない。
デュラハンが聯合の構成員に手を出した時点で、もう全面抗争以外の未来は存在しなかった。
無論、周鳳狩魔はそう分かった上でレッドラインを超えた。引き金を引いたのは、あくまで彼の方である。
『貴様のような男と……無駄話に花を咲かせるつもりはない。
言いたいことがあるのなら、速やかに話せ。オレが聞いてやっている内にな……』
「風情のねえ野郎だな。てめえの方こそ、俺がこんな話してる時点で察しろよ」
だとしても、狩魔はひとつの後悔も抱いていない。
罪悪感などもってのほかだ。彼は、仲間以外に対してそれを抱くことはない。
征蹂郎が無秩序の半グレなら、狩魔は秩序の半グレだ。
会社を運営するように組織を運営する。部下のシノギを管理し、時に介入し、最適化する。
儲けになるシノギは拡大を。金にならないなら撤退を。
リスクが高ければ策謀を。そして己の道を阻む敵には――完膚なきまでの破滅を。
今日の飯にも困っている後輩に高い焼肉を食わせた足で、強盗(タタキ)で集めた金の回収に向かう。
痛めつけた敵対組織の人間を山に埋めるよう指示した口で、迷える仲間に金言めいたことを言う。
誰の目にも分かるダブルスタンダード。それを自覚した上で、改めようとすら思いはしない。
合理的矛盾を貫いて生きる現代日本のギャングスターは、変わらぬ声色で口にした。
「腕一本詰めて土下座でウチに詫び入れろ。
そしたらお前ら、纏めて俺の傘下に加えてやる」
脅迫ですらない。
降伏勧告である。
「落とした腕に令呪があるのを確認次第、これまでお前らがやったことはチャラにしてやるよ。
てめえの大事な部下どもにも相応の待遇を約束する。
まあそりゃ小間使いからだが、指揮権はお前に委ねてやってもいい。悪い話じゃねえだろ?」
これまで刀凶聯合がデュラハンに働いた狼藉を、頭の降伏と謝罪ですべて帳消しにする。
組織としての聯合は消滅するが、代わりに今後の処遇を穏当なものにすると誓う。
そうなれば誕生するのは東京の悪の右翼と左翼が合一した、人員も武力も最高峰の犯罪組織だ。
確かに互いにとって悪い話ではない。額面だけを見れば。
事が此処まで拗れるに至った原因が狩魔の方にあることさえ除けば、最も血が流れず互いが利益を得られる方式である。
お前さえ折れるなら、玉座から下りるなら、そういう形で収めてやる――という裏社会式の"手打ち"の提案だった。
征蹂郎もそれが分からぬ男ではない。
この話に頷けばきっと、多くの流血を未然に防ぐことができる。
死ぬ筈の人間が生き、いずれ散る命だとしてもその時を遠ざけることができると理解した。
その上で、悪国征蹂郎が周鳳狩魔へ返す言葉は決まっていた。
『断る』
即断即決。
一秒の迷いさえ、彼には不要だった。
『理由を語る必要は、ないな?』
低温のまま沸騰する殺意が、その言葉には横溢している。
矜持で怒っているのではなく、あくまでも仲間のために憤っていた。
仲間を殺された。惨たらしく、この世の苦痛すべてを味わうような形で殺された。
殺された彼が死に際に苦悶に屈し、自分達のことを売ったことさえ征蹂郎は微塵も恨んでいない。
悪国征蹂郎が恨んでいるのは、仲間を殺して引き金を引いた周鳳狩魔とその一団だけ。
刀凶聯合は一蓮托生。たとえ何があろうと、一度繋いだ血の絆が途切れることはない。
そんな不倶戴天の敵が、言うに事欠いて膝を折れと言ってきた。
これは征蹂郎にとって――生まれて初めて味わう、彼が本当の意味でそう認識した、侮辱であった。
征蹂郎がこの世の何より重んじる絆そのものに対しての、下劣極まりない冒涜に他ならなかった。
『オレの名になど、何の価値もありはしない……。
今の今まではずっと、そう思っていた……。
だが…………』
狩魔は知る由もない。
征蹂郎の沈黙の理由など。
彼は今、ある英霊の言葉を思い出していた。
それは先刻、比喩でなく武を尽くして挑んだ青銅の英雄の言葉。
――王とは君臨し、統べる者。正道であれ悪道であれ、己の意思決定でひとつの国を導く者。
――民があるから王なのではない。王があるからこそ、人は民たり得るのだ。
今ならばあの言葉の意味が真に分かる。
結局、行き着くところまで行ってしまったならもう理屈ではない。
己が膝を折ることにより得られるものより、王ならまず失われるものをこそ見るべきであると。
許すな、この侮辱を。
憤れ、どこまでも自分の民を軽んじた外道に。
その憤懣を刃に変えて突き付けるように、征蹂郎は告げた。
『他の誰でもないこのオレがお前を殺さなければ、オレの民(なかま)が浮かばれない』
たとえこれから先、どれほどの血が流れるとしても。
自分のために殉じた仲間の死へ、それを想う激情へ、征蹂郎は一瞬たりとも背を向けたくない。
一度そうしてしまえば、きっと自分は自分でなくなる。
あの農場で製造された一体の殺戮人形に戻ってしまうのだという確信があった。
駄目だ。そうなることだけは、認められない。
彼らに夢を見せた者の責任として。
生きて戦うこと、貫くこと。受けた痛みを返すこと。
それこそが彼らに救って貰った自分にできる唯一の報恩であると、征蹂郎は激憤の中で理解した。
『周鳳狩魔。そして〈デュラハン〉。
オレは――オレ達は、お前達がこの世界に存在し続けることを許さない。
これが答えだ……分かったら精々、その惰弱な兵力をかき集めておけ』
――その方が、踏み潰す手間が省けるからな。
万感の敵意を以って、改めて告げられた宣戦布告。
それを受けた狩魔は、フッ、と笑みを浮かべて。
「フラれちまったか。残念だぜ、悪国よ」
静かながらも剥き出しの感情を伝えてくる征蹂郎とは真逆に、変わらぬ声音でそう言った。
無論、本気で征蹂郎が靡くと思っていたわけではない。
刀凶聯合は餓鬼の集団だ。年齢ではなく、精神性の話である。
彼らは他の追随を許さないほど凶暴で、愚かしく、同時にどこか純粋だ。
衝動のままに暴力を駆使して敵を蹴散らす一方で、仲間と築いた青臭い絆を愛する。
そんな少年期の内でもなければ許されない稚さに取り残された、年甲斐もない悪ガキの寄り合い。
たかだか仲間ひとりの死でああも派手な報復を敢行し、挙げ句宣戦布告などしてくる辺りが特にそうだ。
成程確かに、彼らを纏めることはこの征蹂郎という男以外には不可能だろう。
少なくとも狩魔では不可能な筈だ。彼は稚気を纏め上げるには大人になりすぎてしまった。
暗殺者の養成施設という異常な環境で道具として育てられたからこその人間味の欠如。
無機質の裏側に抱えた、ある種の子どものような純粋さ。
それが刀凶聯合というならず者の集団を背負って立つ、唯一無二のカリスマとして昇華を果たしている。
今の甘言に靡くような男なら、端から聯合の王になどなれてはいまい。
「お前みたいな馬鹿は、嫌いじゃねえんだけどな」
『……虫酸が走る。方便と分かっていても、不快だ』
故に征蹂郎の答えは予想通りだったが、しかし残念に思っているのも本当だ。
その理由を語ることはしない。不必要な感傷だからである。
聯合の無軌道さと、それを牽引する征蹂郎の純粋。
それは狩魔にとって――遠く過ぎ去った、あの頃の記憶を思い出させるものだったから。
「いいぜ、こっちも改めて宣言してやるよ。
俺はてめえらみたいな蛮族とは違うんでな、土下座で詫び入れた奴は許してやるのも吝かじゃねえが――
悪国征蹂郎、お前は殺す。時代錯誤の愚連隊もどきに上等コカれたままじゃ、こっちもメンツが立たねえんだよ」
どの道、征蹂郎を失った刀凶聯合は形を保てまい。
それはデュラハンにも言えることだが、狩魔も当然承知の上で言っている。
そう――結局のところこの戦いは、キングの取り合いなのだ。
狩魔か。征蹂郎か。王が墜ちた瞬間に、戦争の結末は確定する。
『戯言は、それだけか……?』
「急ぐなよ。早漏か? てめえは。
まだ時間はあんだろ。風俗でも行って気の長さってもんを鍛えてきたらどうだよ?」
『……つくづく、下劣な男だな……。
オレは戦争のつもりでいたが……どうやら、ただのゴミ掃除で終わりそうだ……』
「ゴミはお互い様だろ。侠気とか眠てえこと言っちゃうクチか? 悪国君はよ」
『心配は、無用だ……。己が外道である自覚など、物心付いた時から持ち合わせている……』
彼らは互いに外道。
人の命を呼吸のように奪える畜生。
平和を愛し、対話を是とする在り方が美徳とされる現代において、その存在はまさしく社会の塵だ。
ゴミ山の王。そう、互いに。彼らは正反対の宿敵同士でありながら、しかしどこか似通っている。
「おたくの"相談役"に伝えとけ」
狩魔がわざわざ征蹂郎にこうしてコンタクトを取った理由は、彼に探りを入れるためだ。
聯合の実情など馬鹿正直に吐いてくれるとは思っていないし、端から期待もしていない。
彼が探りたかったのは他でもない敵軍の将、悪国征蹂郎の人物像。
結論から言うと、事前に描いていた通りの男だった。
冷酷、冷徹。感情と指先を切り離して行動できる殺人鬼。だが同時に、とても若々しい。
当初の目論見を果たしたところで、狩魔はおもむろに彼へこう切り出した。
相談役。裏社会におけるこの肩書きは、その組織のブレーンを指す場合が多い。
外部顧問と言ってもよかったが、こちらの方が意味が通じるだろうと判断した。
「――デュラハンは〈脱出王〉を抑えてる。その意味は自分で考えろ、好きに動け、ってな」
そしてこれは、単なるカマかけのつもりで口にした言葉ではない。
知っての通り、デュラハンにも相談役はいる。もっともこちらの場合は、ますます外部顧問に近いが。
『……、お前――』
その言葉が果たした役割は、征蹂郎の声を聞けば明白だった。
無機質の奥に滲んだわずかな動揺。実に分かりやすい。前線で技を揮うのは得意でも、頭同士の掛け合いはまだまだ経験不足のようだ。
「じゃあな。つまらねえ死に方するんじゃねえぞ?
こっちも喧嘩なんざ久しぶりだからな。楽しみにしてるぜ、刀凶聯合」
そう言い残して通話を切る。
これ以上やり取りを続ける意味はなく、旨味もない。
このタイミングが最も良かった。狩魔の攻撃は、今の通話の最中に既に始まっていたのだ。
後は丁と出るか半と出るか。征蹂郎が"その人物"へ話を通さず握り潰す可能性も否定はできないが、それならそれで悪くない。
狩魔は乾いた血痕がこびり付いたスマートフォンを机の上に置くと、先の会談の時から通話を繋ぎっぱなしの飛ばし端末に視線を向けた。
わざわざトバシ……足の付かない端末を使っているのが、相手の人間性を微塵も信用していないことを暗に物語っている。
そう、彼らとの協力関係は華村悠灯や覚明ゲンジとは比較にならないほどビジネスライク。
聖杯戦争におけるあるべき本来の同盟の形――利害の一致でのみ組んでいる相手だった。
「ノクトって傭兵があちらさんに接触してるのはマジみてえだな。タレコミ助かるぜ、"奇術師(ライダー)"よ」
『ぼくはただ伝えているだけだよ。お礼なら、彼女(ぼく)に直接してあげるといい』
「アイツと話すと疲れんだわ。今後も窓口にお前寄越すよう山越に言っといてくれよ」
すなわち、山越風夏のライダー。真名を
ハリー・フーディーニ、九生の果て。
悠灯やゲンジも交えた会談の席でも彼女の代理人を務めていた少年英霊。
風夏づてに、かの詐欺師が刀凶聯合へ参加している可能性を伝えてきた張本人である。
狩魔は知らないことだが――ノクト・サムスタンプは、こと魔術使いとしてひとつの極みに達している。
人心掌握。嵌った時点で終わりの自己強制証明(セルフ・ギアス・スクロール)の書き方。
更には隠密性に特化した、魔術的かつ科学的な改造を施した使い魔の作り方、運用方法、などなど。
こと奸計に限って言えば、この都市の誰もノクトの裏は取れない。
例外はふたり。端からこの世のあらゆる道理に当て嵌まらない白い少女と、そしてすべての囚える、捕らえる、捉えることに否を唱える天性の奇術師……〈脱出王〉たる彼女のふたりだけだ。
例外の片割れたる〈脱出王〉は、ノクトの使い魔を当然のように認識していた。
監視の目を掻い潜り、かと思えば突然初歩的なミスでその姿を曝してみせる。
蛇杖堂の老蛇さえ最大限の警戒を払う策士を手のひらでおちょくるステージマジシャン。
狩魔が彼女のサーヴァントから、ノクト・サムスタンプの聯合への加担の可能性を聞かされたのが、悠灯達との会合の数十分前のことである。
『それにしても、良かったのかい? 風夏の伝言は君に伝えた筈だよ、"知恵比べは薦めない"と』
「憶えてるよ。だからああいうやり方をしたんだろうが」
狩魔は山越風夏を信用していない。
そも、アレは信用できる人柄ではない。
が、その能力に関しては"一考の余地あり"と看做している。
妄信はしないが、計算材料のひとつに含めても構わないという塩梅だ。
だから忠告には従った。
聯合へ加担した策士をまな板の上に引き上げることはせず、ただ情報を与えるだけに留めた。
その上で――〈脱出王〉という宿敵の存在を知った上でノクトが何を選ぶかは彼次第だ。
感情で動く聯合とは本来相反する人物であろう傭兵がどう動くにせよ、それは必ず聯合の在り様を乱す結果を生む。
そう踏んだ上で、征蹂郎に対しこのカードを切ったのだ。ノクト個人ではなくあくまで聯合という組織全体を揺らすための、一手だった。
「後は出目次第だ。出た目が悪けりゃその時は腹括るだけだな」
狩魔は、〈はじまりの聖杯戦争〉を経験した怪物などと直接相撲を取るつもりは毛頭ない。
彼は良くも悪くも弁えている。裏社会でのやりくりが多少上手いだけの凡俗では、本物の怪物は相手取れないと分別を付けている。
なので利用しようとは端から考えず、ただ盤面を揺らす材料になればいいと期待して砂をかけた。
果たしてその結果は未だ茶碗の中。何が起きるか狩魔自身にさえわからない。
『君って、案外馬鹿だよね』
「馬鹿じゃなかったら不良になんてならねえだろ」
『それもそうだ』
「で?」
端末の向こうから響く少年の声。
それに向けて、狩魔は問う。
「お前んとこの馬鹿女は何やってんだよ」
『気になるのかい?』
「確かに話の通じるお前が出てきてくれた方が楽だが、顔が見えなきゃそれはそれで不気味でな」
『じゃあ心配には及ばない。ただ、少し好きな子と出会って気もそぞろになってるだけさ』
「『神寂祓葉』、か」
どいつもこいつもそれだな、と煙草片手に呟いた。
曰く、前回の聖杯戦争の勝者。
亡霊どもを魅了した、輝きの星。
先刻狩魔の後輩も触れてしまったというその人物の存在は、率直に言って聯合はおろか、山越風夏よりも気がかりな不確定要素だった。
その時、部屋に近付いてくる足音が聞こえた。
時計を見る。約束の五分が、経過していた。
「じゃあな、ライダー。できれば次も連絡にはお前を寄越すよう、あのバカ女に言っといてくれよ」
『覚えておくよ。じゃあね』
通話を切るのと同時に、遠慮がちなノックの音が響く。
入れ、と言うと、北京原人顔の少年がおずおず入室してきた。
「狩魔、さん。ええと、言われた通り来ました、けど……」
「おう。悪いな、面倒な呼び方しちまってよ」
覚明ゲンジ。
戦力としての彼の評価は、華村悠灯より間違いなく低いだろう。
爆発力はあるが、それを支えるだけの地力が彼にはない。
霊験あらたかな神具を持っていたとしても、使う人間がただの餓鬼では棒きれと大差ないのだ。
彼はさながら、そんな無情さを一身に背負わされたような少年だった。
「神寂祓葉の話、どう思った?」
「え……。……、……怖い奴が、いるもんだなって……」
「違えだろ。俺に嘘は通じねえぞ、ゲンジ」
「っ」
発言するなり切り捨てられ、ゲンジはびくりとその小柄な身体を震わせる。
原人顔の少年がそうしている光景はどこかコミカルだったが、彼は大真面目だ。
見透かされている。心の中に昂りを飼うゲンジには、それが分かったのだから。
「長いこと不良やってるとな、分かんだよ」
「……、……」
「本当にやべえ奴とか、話の通じねえ奴とか、今に何かしでかす奴ってのはな、ふとした瞬間に地金を晒すんだ。
表情、発言、一挙一動。やっぱり人間、どんなに意識しても機械にはなれねえってわけだな」
――お前にはさっき一瞬、それが見えた。
狩魔にそう指摘されれば、ゲンジは返す言葉もなかった。
図星だったからだ。それを隠そうとしていたところまで含めて、完全な図星。
こうなるともう、観念するしかない。
隠し事ひとつまともに出来ない自分の愚鈍さに嫌気が差しながら、少年は口を開く。
「…………おれ、は。あの子に――神寂祓葉に、一度会ってる」
「やっぱりか」
「でも……会っただけだ。です。あいつはおれのこと、認識もしてなかったと、思う」
なのに――。
唇を噛んで、わずかに逡巡。
しかし次に溢れた言葉は、虐げられ、軽んじられ続けてきた少年の奥底に煮える情念が隠し切れず滲んでいた。
いや。隠すのをやめた、と言うべきか。
「なのに…………今も、目を閉じれば思い出せる。消えて、くれないんだ」
楽しげに笑う横顔も。
軽やかなその足取りも。
向かう無数の矢印も。
それらすべてに返す、"楽しみ"の文字も。
「狩魔さん、おれは――」
一度は押し殺した。
いや、今思うと見ないようにしていたのかもしれない。
それは人間としての防衛本能か。
もしくは、所詮おれでは、という諦めの発露だったのか。
今はわからないし、どうでもいい。
どの道、もう誤魔化しきれないのだと目の前の男の指摘で心底思い知ったからだ。
だから告げる。
己の中にある、"今叶えたい"願いを。
いつか叶える、社会の変革ではない。
この都市で、今、叶えたい願い。
「おれは、あいつに、褒められたい」
吐いた唾は呑めない。
願いは、衝動は、言葉になった。
自分が今、越えてはならない決定的な一線を越えてしまったことを自覚しながら。
己の出会った"先輩"を見据えるゲンジの震えた瞳から、狩魔は目を逸らさないまま……その口元を、ニヤリと吊り上げた。
「――よく言った。お前をスカウトして良かったよ、ゲンジ」
「……!」
星に見惚れるのと、人に憧れるのとでは違う。
ゲンジにとっては祓葉と違った意味で、この周鳳狩魔もまた憧憬の対象だった。
そんな相手から受けた混じり気のない肯定に心が跳ねる。
狩魔の言葉に嘘がないことは、何よりも彼の放つ矢印が証明していた。
「なあ、ゲンジ」
「……はい」
「お前のサーヴァント、俺とゴドーと戦った時に妙な力を使ってやがったよな」
狩魔は、それを覚えている。
あの時、自身の拳銃も、ゴドフロワの剣も不明な理由で無力化されていた。
最終的にはゴドフロワの圧倒的なスペックとマスターであるゲンジの魔力切れで事なきを得たが、あれはまったく不気味な経験だった。
そしてその記憶は当然のように、狩魔の手札の一枚として加えられていたのだ。
「……俺はよ、ゴドーと山越のライダーから祓葉って女の話を聞いて、考えてみたんだ」
神寂祓葉。彼女の存在は、話に聞くだけでも分かる悪夢そのものだ。
力では勝てぬ。殺しても死なぬ。そのくせ、無邪気に人を狂わせる。
わずかな時間"触れた"悠灯でさえ、あのザマだ。
せせこましく策を回しているのが馬鹿らしくなるようなバランスブレイカー。
その上聖杯戦争の黒幕まで兼ねているというのだから、正直言って悪い冗談としか思えない。
だが、だからこそ狩魔は考えていた。
本当に、そんな人間が存在するのか? と。
「心臓が止まれば死ぬ。血が足りなくなれば死ぬ。そうでなくても、内臓一個潰されたくらいで簡単に死ぬ。
人間ってのはよ、お前らが思ってるよりずっと弱っちいものなんだ。
俺は仕事柄それをよく知ってる。ゲンジ、お前も思わねえか? "そんな人間いるわけねえだろ"って」
「そ、れは……」
「聖杯戦争ってのは、マスターとサーヴァントがセットになって戦うもんなんだろ?
だったらよ、その祓葉がおかしくなったのも――サーヴァントの宝具か何かによるものじゃねえかと思った。
要するにトリックさ。漫画に出てくるようなビックリ人間なんて、俺ぁ今まで一回も会ったことねえからな」
もしも本当に、生まれながらあるがままに限界から解き放たれた不滅の生命体だったなら、正直に言って打つ手はない。
しかし――そこにそれらを可能とする何らかのトリックが存在するというのなら、希望はある。
狩魔にとっての希望はまさに、目の前の少年が擁するサーヴァントの能力だった。
「ゲンジ。俺はひょっとするとお前なら、神寂祓葉を殺せるんじゃないかと思ってる」
原人のサーヴァント。
敵の武装を、無力化する能力。
もしもその影響が、体内に埋め込んだ、例えばペースメーカーのような装置にまでも及ぶのならば。
「悪国が死んで聯合が滅びれば、俺とお前もいつまで仲間(ダチ)でいられるか分からねえからな、事細かに聞く真似はしねえよ」
覚明ゲンジは――"神殺し"になり得る。
少なくとも狩魔は、大真面目にその可能性を考えていた。
「だから、俺がお前に訊くことはひとつだ」
ゲンジは、ただ黙っていた。
それは、狩魔の言葉が簡単に咀嚼できないほど重いものだったから。
神寂祓葉。白い太陽。この世界の、都市の神。
これをお前は殺せるのではないかと、そう言われてすぐさま思い上がれるほどゲンジの自分への信用は厚くない。
まさか。
おれが、そんなわけ。
何かの間違いだ。
勘違いだ。
過大評価だ。
おれが、おれみたいな人間が。
あんな、女神みたいなバケモノを。
おれなんかが、そんな――
「やれるか?」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――そん、な。
「…………ます」
ぽつり。
「やれ、ます。
いや……やり、ます。おれ」
決壊した理性の隙間から、言葉が溢れてくる。
訂正したのは、ひとえにあの白い少女が、単なる意気込みの中だけでも軽んじられないほどの重さを有していたから。
だがそれでも、ゲンジは確かに答えた。
無理難題、無茶ぶりにも等しい狩魔の言葉に、確かな自分の意思で応じたのだ。
「やって、みます」
「そうか」
ああ、もう後戻りはできない。
ゲンジは、独居老人を片っ端からバーサーカーの、あの原人の餌にした時以上にそれを実感していた。
初めて白い少女を、祓葉を見た時に抱いたか細い願い。
叶うはずもないと思っていたその願いを、現実にすると言ってしまった。
言葉に、してしまった。声に出して、しまった。
狩魔が、一枚の地図と、数枚の書類を差し出した。
地図上には幾つかのバツ印がされており。
書類には、無数の住所が無機質に並んでいる。
「……これ、は?」
「新宿近辺のめぼしい場所をリストアップしておいた。
老人ホーム、公営住宅。ホームレスの多い地域。孤児院もある」
――――『いちかけるご は いち(One over Five)』。
ゲンジには、狩魔の言葉の意味が分かる。
「此処で、まずは手数を増やしてこい。
今の東京はこのザマだからな、ちょっと頭使えば誰の目にも付かずに備蓄を肥やせるぞ。
集団失踪が明るみに出る頃には、警察もマスコミもそれどころじゃなくなってるだろうよ。
一度やったことなんだ――お前なら、俺達の誰より上手くやれるだろ?」
話した覚えはない。
が、そこまで含めて見抜かれていたのだろう。
餌にする老いぼれどもは、自室の近辺から選出していた。
無数の原人という特異なサーヴァント。それを見せた時点で、こうなることは必定だったのかもしれない。
が――そのことを、ゲンジはむしろ嬉しく思う。
この人に背中を押されて、あいつへ向かえるのならば。
おれみたいな人間に、これ以上の幸運はないだろうと。
「危なくなったら令呪を使ってすぐに逃げてこい。
お前は"希望"だ、ゲンジ。俺達全員の――もしかしたら、この世界のな」
……覚明ゲンジ。
その身体、その人生に、一輪たりとも華はない。
顔は醜く。性格は卑小で。それらを覆すだけの能力も彼にはない。
〈恒星の資格者〉と呼ぶには遥かに遠く。
されど彼は星ならざるままで、ひとつの可能性を体現できる。
――星を穢す者。
デュラハン最大のワイルドカードがこの瞬間、静かに胎動を始めたのだ。
◇◇
【新宿区・歌舞伎町のライブハウス/一日目・日没】
【周鳳狩魔】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:拳銃(故障中)
[道具]:なし
[所持金]:20万程度。現金派。
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を勝ち残る。
1:刀凶聯合との衝突に備える。
2:ゲンジへ対祓葉のカードとして期待。当分は様子を見つつ、決戦へ向け調整する。
3:悠灯とも話をしておかねえとな。
4:特に脅威となる主従に対抗するべく組織を形成する。
5:山越に関しては良くも悪くも期待せず信用しない。アレに対してはそれが一番だからな。
[備考]
【覚明ゲンジ】
[状態]:疲労(小)、高揚と興奮
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:3千円程度。
[思考・状況]
基本方針:できる限り、誰かのたくさんの期待に応えたい。
0:祓葉を殺す。あいつに、褒めてほしい。
1:ネアンデルタール人の複製を急ぐ。もう、なりふり構うつもりはない。
2:ただし死なないようにする。こんなところで、おれはもう死ねない。
3:華村悠灯とは、できれば、仲良くやりたい。
[備考]
※
アルマナ・ラフィーを目視、マスターとして認識。
【バーサーカー(
ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス)】
[状態]:健康(残り51体)、ライブハウスの周囲に配備中
[装備]:石器武器
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:今のところは、ゲンジに従い聖杯を求める。
1:………………。
[備考]
【華村悠灯】
[状態]:激しい動揺と葛藤、そして自問
[令呪]:残り三画
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:今度こそ、ちゃんと生きたい。
0:……いっぱいいっぱいだよ、もう。
1:祓葉の誘いに、あたしは――
2:暫くは周鳳狩魔と組む。
3:ゲンジに対するちょっぴりの親近感。とりあえず、警戒心は解いた。
4:山越風夏への嫌悪と警戒。
[備考]
【キャスター(シッティング・ブル)】
[状態]:健康、迷い
[装備]:トマホーク
[道具]:弓矢、ライフル
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:救われなかった同胞達を救済する。
0:神寂、祓葉……。
1:今の私は、どうあるべきか?
2:神寂祓葉への最大級の警戒と畏れ。アレは、我々の地上に在っていいモノではない。
3:――他でもないこの私が、そう思考するのか。堕ちたものだ。
4:復讐者(
シャクシャイン)への共感と、深い哀しみ。
5:いずれ、宿縁と対峙する時が来る。
6:"哀れな人形"どもへの極めて強い警戒。
[備考]
※
ジョージ・アームストロング・カスターの存在を認識しました。
※各所に“霊獣”を飛ばし、戦局を偵察させています。
【バーサーカー(
ゴドフロワ・ド・ブイヨン)】
[状態]:健康
[装備]:『主よ、我が無道を赦し給え』
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:狩魔と共に聖杯戦争を勝ち残る。
0:面倒なことになってきましたねぇ……。
1:神寂祓葉への最大級の警戒と、必ずや討たねばならないという強い使命感。
2:レッドライダーの気配に対する警戒。
[備考]
【???/一日目・日没】
【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:健康
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:まあ、ぼくは仕事をするだけだから。
1:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
2:神寂祓葉は凄まじい。……なるほど、彼女(ぼく)がああなるわけだ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。
現在の山越風夏の動向についてはおまかせします。
【中央区・刀凶聯合拠点のビル/一日目・日没】
【悪国征蹂郎】
[状態]:疲労(小)、頭部と両腕にダメージ(応急処置済み)、覚悟と殺意
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度。カード派。
[思考・状況]
基本方針:刀凶聯合という自分の居場所を守る。
0:周鳳狩魔――お前は、お前達は、必ず殺す。
1:周鳳の話をノクトへ伝えるか、否か。
2:アルマナ、ノクトと協力してデュラハン側の4主従と戦う。
3:可能であればノクトからさらに情報を得たい。
[備考]
異国で行った暗殺者としての最終試験の際に、アルマナ・ラフィーと遭遇しています。
聯合がアジトにしているビルは複数あり、今いるのはそのひとつに過ぎません。
養成所時代に、傭兵としてのノクト・サムスタンプの評判の一端を聞いています。
前の話(時系列順)
次の話(時系列順)
最終更新:2025年01月18日 23:34