"カスター将軍"は去っていった。
人間も英霊も、共に困憊の状態。とはいえ戦場となった付近にそのまま留まることは憚られた。
疲れた身体に鞭を打って少しだけ移動し、ようやく腰を落ち着けることができた。
それが、
琴峯ナシロと
高乃河二の現在である。
「……ちょっとヤバいかも。今頃になって疲れがどっと来てる」
ナシロはコンビニの脇で座り込み、げっそりした顔で呟いた。
命の危機に次ぐ命の危機。
死ねるタイミングなど何度もあった。
生まれてこの方、これほど濃厚に死を想った日はない。
傍らにはエナジードリンクの缶が鎮座している。正直この手のドーピングにはあまり頼りたくないのだが、健康を気にしていられる状況ではない。
一方河二の方はブラックコーヒーだ。チョイスの理由は概ねナシロと同じ。気休め程度でもいいから、素早く活力を補充しようという腹である。
「仮眠しても構わないぞ。君ひとりならおぶって行動できる」
「いや、大丈夫だ。真剣にヤバくなってきたから相談するから、その時は相談に乗ってくれると嬉しい」
日頃の運動を欠かさなかった自分を褒めてやりたい気分だった。
もし不摂生を繰り返し、堕落に身を窶していたら確実に潰れていただろう確信がある。
ずっしりのしかかる鉛のような疲労と、キャパオーバーで重たい頭。
それを引きずりながら、ナシロは少しでも体力を回復できるよう努めていた。
河二にはこう言ったものの、この先いつ休める機会があるかは不明だ。
負担をかけるのは憚られるが、潰れて足を引っ張ってしまうのが一番の最悪。
故にそういう状況になったら迷わず頼ろうとナシロは決めた。
人は誰しも持ちつ持たれつ。独力で踏ん張るのが必ずしも美徳とは限らない。
「ところで……ちょっと話しても大丈夫か?」
「問題ないだろう。店の傍だが人気はないし、使い魔や伏兵に盗聴される危険性は正直今更だ。気にし過ぎても仕方がない」
河二は周囲に視線を巡らしながらそう言う。
それもそうだな、とナシロは疲れた顔で苦笑した。
今やこの都市に安全な場所などどこにもない。
そのことをつい先刻、自分達は心底思い知らされたのではなかったか。
例えば、こうしている今も誰かの宝具が狙っているかもしれない。
背にしているコンビニが急に爆発して、炎と衝撃に全身を蹂躙されるかもしれない。
巻き添えを食う第三者を勘定に含めない奴らの殺し合いに巻き込まれ、何も分からぬまま消えてなくなるかもしれない。
普段なら神経過敏の妄想と笑い飛ばすような突飛な展開が、此処ではいつでも当たり前に起こり得る。
針音の仮想都市はそういう場所なのだ。
すべてを警戒しきるなど到底不可能。
命を奪う脅威に備える程度が、自分達に赦された身の丈であろう。
――よってナシロは緊張を解き、河二へと口を開く。
「さっきの戦いについて、互いに意見を交換しておきたい」
此処に来るまでの道中、ランサー・
エパメイノンダスから話は伝え聞いていた。
彼が臨んだ都心の戦い。蝗と幻が乱れ舞う、あまねく生命を否定する地獄めいた大戦について。
そしてそれと真っ向から戦い、一時は圧倒さえしたという"幻術のキャスター"。
世界を欺く幻の使い手。神話の獣や戦乙女を予備動作もなく呼び出して、無尽蔵に使役する怪物。
エパメイノンダスをして、幾度となく死を覚悟したという魔域の攻防。
あの場を離れる選択をしたのは正しかったと、ナシロも河二も心からそう思ったものだ。
もし選択を誤っていれば、今頃自分達は都市から死体も残さず消える羽目になっていただろう。
今日ずっとその頼もしさを肌で感じてきた"将軍"が語る地獄の話はあまりに現実離れしていて、それでいて怖気立つほど生々しかった。
されど、いつかは必ず向き合わねばならない時が来る。
この都市を生き、聖杯戦争に挑み続ける限り。
此処で何か/誰かのために戦い続ける限り――厄災からは逃げられない。
そう肝に銘じた上で、今真っ先に議題とするべき内容。
それは得体の割れた〈蝗害〉ではなく、もう片方。
「まず、そうだな……"幻術のキャスター"について、お前はどう考えてる?」
すなわち、幻術のキャスター。
〈蝗害〉の圧倒的物量も変わらず脅威だが、得体の知れなさで言うとこっちが圧倒的に勝っていた。
キャスタークラスは本来正面戦闘を不得手とする。入念な準備と盤石の布陣を敷いて初めて真価を発揮できる、言うなれば曲者のクラスだ。
少なくともナシロの頭に埋められた知識はそう語っている。が、エパメイノンダスから伝え聞いた件の英霊は、その点明らかに異質だった。
「先に私のを言うが、正直、話で聞く分にはまったくピンと来なかった。
強いのは分かるし、危険な奴なのも分かる。けど幻は幻だろ? 嘘と分かって挑んだら、ものの敵じゃないような気がするんだが……」
「相手が普通の幻術使いなら、確かに琴峯さんの言う通りだと思う」
頭を掻きながら言ったナシロに、河二は重々しく言った。
神話の住人を再現し、あらゆる理不尽を意のままに操り行使する。
なるほど確かに凄まじい敵だ。しかし、もう自分達はそれが絵空の類だと知っている。
であればその時点で、例の奇術師の危険度は数段落ちるのではないか――とナシロは言うのだ。
「が、"世界そのものを欺く幻術"となると話は別だ。
何故ならそれは、魔術の限界を超えている。魔法にも等しい芸当だ」
それに対して河二は、冷静に答えた。
優秀だった兄に比べれば劣るとはいえ、彼も魔術師の端くれである。
そしてその程度の知識量でも、エパメイノンダスが伝えた奇術師の御業に驚愕するには十分すぎた。
「話の前に、少しだけ説明をしておこう。
僕は魔術師としてはそれほど知見の深い方じゃない。申し訳ないが、そのことを念頭に聞いて貰えると助かる」
こく、と頷くナシロ。
河二も頷き返して、続ける。
「僕らの生きるこの時代、この世界は敷物のようなものなんだ。
父はテクスチャと呼んでいた。世界の在り方を示す版図、そう思えと」
「……テクスチャ。今こういう喩えをするのは微妙に嫌だが、ゲームのフィールドみたいなもんか」
脳裏にどこぞの成人女性の顔がよぎって若干嫌な顔になる。
それはさておき、初めて聞く話だった。
今まで自分が普遍のものと信じてきた世界への認識が揺らぐ瞬間は、何度味わっても慣れない。
「世界を騙すということは、厳密にはこのテクスチャそのものを騙すということだ。
僕らが幻と認識できても、踏みしめている世界の方が騙されていたら意味がない。
こちらの認識如何に関わらず、幻はそこにある脅威となって僕らを襲うだろう」
「あー……何となく分かってきた。そりゃ確かに、やりたい放題だな」
「ああ。これを踏まえて貴方の問いに答えるとすれば、"最大級の脅威"だ」
河二の表情はいつもと変わらぬ沈着冷静なものだったが、どこか苦く見える。
その印象が、エパメイノンダスの遭ったキャスターの恐ろしさを物語っているように思えた。
ナシロもこう聞かされたら、もう口が裂けても容易い相手だなんて言えないし思えない。
とはいえそれでも疑問は残る。ので、それを早速口にした。
「でも、ランサーが言うにはこっちの気の持ちようで多少はなんとか出来るって話じゃなかったか?」
「それは桁違いの幻術を精神感応じゃなく、明確な攻撃として運用する都合上の陥穽なんだと思う」
「……なるほどな。万能ではあっても、全能じゃないってことか」
「恐らくは。――そう、本当ならもっと不自由じゃなきゃ可怪しいんだ。そこが不可解で、僕もずっと考えていた」
世界を欺く幻術。
河二が述べたように、これは並大抵の芸当ではない。
ましてや、そうして出した幻を攻撃に転用するなど無茶苦茶すぎる。
「……君の前で、こういう形容をするのは本懐じゃないんだが」
そこに、河二は疑問を抱いていた。
百歩譲ってそういう芸当が出来ることはいいとして、あまりにも"強すぎないか"と。
先ほどナシロが自分でした喩えで嫌な顔をしたように、今度は河二が眉を動かした。
「伝え聞く幻術のキャスターの所業は、神の如きものだ。
この聖杯戦争が異質なものだということを踏まえても、一介の英霊がやっていい範疇を超えすぎている」
サーヴァントとは――不自由なものである。
彼らは現界にあたり、時にその身の丈を削ぎ落とされる。
英霊の規格に合わせるためだ。時を遡り、出自が神秘溢れる神代に近付けば近付くほど、それは顕著になっていく。
エパメイノンダスは奇術師の名を〈ロキ〉と言った。
河二はもちろん、ナシロでさえ知っている名前だ。
北欧神話最大のトリックスター。現代じゃあらゆる創作物で引っ張りだこのビッグネームである。
ナシロ達の知る彼に"幻術"の逸話がないことはこの際一度脇に置くとして。
兎角それほどの強大な英霊が、何故か此度の聖杯戦争では神にも迫る万能をあるがままに振るえている。
これは一体如何なる道理か。ナシロは固唾を呑んで、続く河二の考察を待った。
「推測だが、手品みたいなものなのかもしれない。奇術師ロキの強さには、何かタネがあるんだと思う」
――そう、その推測は当たっている。
"もうひとりの(ウートガルザ)"ロキは夢の隣人。
夢見る心、底知れぬ幼気。それなくして彼は最強たり得ない。
だから本来。北欧の奇術王は、夢のないこの現代においてとても弱い。
それを破綻させた存在がいる。
その女こそ、
ウートガルザ・ロキの冗談じみた出力(マジック)の根源(タネ)。
高乃河二達が"彼女"と関わった時間は、そこに至るにはあまりにも短すぎた。
だからこの場では辿り着けない。されど嘘みたいな手品に対し、仕掛けの疑念を抱けたことは確かだった。
「なら、次戦う時はそこを解き明かすことを考えないとだな。
……まあ、その機会が来ないに越したことはないんだけど」
ナシロはそう言って、ため息を吐く。
ロキは〈蝗害〉ほど直球に迷惑な存在ではないが、脅威度ではこれを上回り得る化け物だ。
手品のタネの有無、加えてそれが何であるにせよ、関わればどうしても破滅の二文字が付き纏う相手なことには変わりない。
願わくば、"次"がないといいのだが――。
そう溢したナシロに、河二は少し考えるように沈黙してから、「それなんだが」と言った。
「ロキのマスターは恐らく、
楪依里朱を庇ったあの小柄な女性だと思う。確か、"にーとちゃん"とか呼ばれていたな」
「まあ……だろうな。余ってる役者はアレしかいない」
眉根を寄せながら、ナシロは思い出していた。
イリスを友達と呼び、倫理と配慮に欠けた主張を撒き散らしていた幼稚な女。
背丈こそ小柄だったが、雰囲気が子どものそれじゃなかった。
見た目と心だけは子どものまま、大人になってしまった"落伍者(フリークス)"。
彼女を除けば、代々木公園にいたサーヴァントの主従関係は既に推定が済んでいる。
となると消去法で――やはりあの女が、ロキを従えるマスターなのだろう。
ナシロが改めて確信を深めたところで、河二は予想外な一言を口にした。
「――彼女達とは、現状積極的に敵対しなくてもいいかもしれない」
「……え?」
どういうことだ、とナシロが顔を顰める。
今、散々ロキの脅威性を共有したばかりだというのに、何故そんな話になるのか。
理解できなかったが、高乃河二という人間は考えなしに世迷い言を叩く男ではない。そこについては信頼している。
だから無言のまま、先を促す。わけを聞かせろ、という意思が訝しげな視線から滲んでいた。
「すまない、言葉が足りなかった。
正確にはロキのマスターであろう"にーとちゃん"と、彼女が"ことちゃん"と呼んでいたセイバーのマスターだ。
このふたりに関しては、交渉次第で敵対を避けられるかもしれないと僕は思っている」
「……いや、だとしても私にはさっぱりだぞ。セイバーってあの褐色のガキだろ? 明らかに私らに敵対的だったじゃないか」
ナシロの疑問はもっともである。
"カスター将軍"と並び立って、自分達に立ちはだかった剣の英霊。
ヤドリバエの眷属を一太刀で無数の肉塊に切り分け、剣呑な殺意を滲ませて立つ姿は今も脳裏に焼き付いている。
あの恐ろしい殺意を味わって何故そういう結論が出るのか、ナシロにはとんと分からなかった。
そんなナシロに対し、河二は表情を微塵も変えることなく。
それだけに素面で言っているのだと分かる説得力で、ナシロが抱く"認識"を切り捨てる。
「いや。あのセイバーが本当にその気だったなら、少なくとも僕はこの場にいない」
高乃河二は――魔術師である以上に、武人である。
厳しくも優しかった父・辰巳が認めた武術の才能。
それを復讐の刃として研ぎ上げ、一七歳の河二は此処にいる。
武に親しみ、武を隣人とする彼だからこそ分かった。
未だ真名の片鱗も分からぬ、剣持つ殺戮者の本質。
幼い身体の内側に秘めたその在り方を、理屈でなく魂で理解できたのだ。
「事が動くまで、一瞬も視界から外せなかった。
それほどまでに恐ろしかった。情けない話と承知で言うが、心胆(こころ)から震えたよ」
いち武人として敬意すら抱かせる、圧倒的なまでの完成度。
佇まいのひとつ、息遣いのひとつまで余すところなく研ぎ澄まされた殺意。
全身はおろかそれを用い行う一挙一動、存在そのものが凶器として完成されていた。
故に河二は魔女を穿ったあの一瞬を除き、すべての時間を件の凶手への警戒に費やさざるを得なかった。
武に精通するからこそ分かる強さ。そうでなければ少々物騒な幼子と片付けてしまいそうな自然さ。
これを河二は"怖さ"だと思った。父の仇に巡り会うその前に、これを知れて本当に良かったと感謝の念さえ抱いている。
「僕らが公園を離脱する瞬間……いや、それに限らずともだ。
僕らにはずっと隙があった。僕にも、君にも、アサシンにも。
あれほどに極まった殺人者ならばいとも容易く突ける隙が、無数にあったと断言できる」
だが、セイバーは動かなかった。
正確には動きこそしたが、自分達に一度も本気で刃を向けなかった。
逃亡の瞬間などは特にそうだ。背を向けて逃げる猪口才な小僧と小娘など、英霊の存在を込みにしたって彼女なら殺せた筈なのだ。
それこそ息を吸って吐くくらい当たり前に。なのにその凶刃は届くことなく、自分達は今もこうして五体満足で呼吸することを許されている。
その不可解から導き出せる答えとは何か。
「それが、マスター……"ことちゃん"なる女性の意向だと考えれば、諸々の辻褄が合う。そのことにさっき思い至った」
「いや――待て。理屈は分かった。でもおかしいだろ、なんでそんなことを命じる必要があるんだ?
私達はあの時、明確にあいつらよりも劣ってた。わざわざ深追いを禁じる理由がない。
仮に楪の奴をその"ことちゃん"が排除したがってたとしても、それでも目先の敵を逃す道理はないだろう」
「確かにそうだ。でも、最初から僕や君が、"ことちゃん"にとって"敵"じゃなかったのだとしたら?」
――ひとつだ。
あの場で、自分達はセイバーのマスターから"敵"と認識されていなかった。
「"にーとちゃん"は楪依里朱を友人のように扱っていた。
そして"ことちゃん"のことも愛称で呼び、アサシンによる予想外の攻撃を受けた際には互いに慮り合う姿も見えた。
だが、"ことちゃん"から楪依里朱に関しては、さほどの執着は見えなかった」
「……、……」
「察するに、あの同盟の骨子は"にーとちゃん"と"ことちゃん"のふたりで構成されているのではないだろうか。
少なくとも僕はそう思った。
そして都市の演目は聖杯戦争。優勝者の席はひとつで、敗れた者達は消滅を余儀なくされる」
「――そういうことか」
「ああ。考える価値は十分にある」
この聖杯戦争にはその異質さを除いても、ひとつ特筆すべき特色がある。
それは、サーヴァントを失ったマスターが一定時間の猶予の後に消滅するということだ。
時間の長短に差はあれど、英霊なくして生き続けることは絶対にできない。
そんな舞台で、元々深い仲にある友人同士がたまさか巡り合ってしまった。
どちらかの死なくしては収まらない不条理な現実に直面したふたり。
友情の破綻という在り来りな決裂が、少なくとも現状起きていないと仮定した場合。
矛盾した友誼に縛られたふたりが選び取る選択肢と言われたら、否が応にも浮かぶものがひとつある。
「聖杯戦争からの脱出、優勝を経ずしての元世界への帰還……そういうわけだな?」
ナシロも、此処でようやく河二の言いたいことを理解し、そして納得した。
確かにそれなら道理は通る。自分達を殺さなかった理由、あえて逃がしたその訳。
――最初から真っ当な勝利を前提としていないのなら、一切鏖殺の原則は必ずしも成り立たない。
「"ことちゃん"はいい人かもしれない。少なくとも話のできる相手だとは思う。
脱出という横道を選ぶなら協力可能な人材は多いに限るだろう。
君や僕が無辜の犠牲に憤るような人間であることを理解し、敵として討つのではなく、生かして先に備える方を選べる人間だ」
先は協力はおろか理解すら困難な敵に見えたが、もし河二の言う通りなら話は変わってくる。
勝利よりも互いの生存を優先して考え、そのためなら手段に固執するつもりのない女達。
おまけに彼女達ふたりが保有する戦力だけでも充分過ぎるほど甚大なのだ。
もし敵対以外の道を選ぶことができれば、冗談でなく聖杯戦争を制圧する一枚岩の新陣営を構築することも可能かもしれない。
……そして河二がナシロにこの話をしたのは、戦略的な理由だけではなかった。
これから聖杯戦争に臨んでいくにあたって、これは自分などよりも、琴峯ナシロにこそ必要な情報だと思ったのだ。
「琴峯さん。貴方もまた、いい人だ。
せいぜい数時間の付き合いだが、それでも君の人間性はとても気持ちのいいものだと思う。好感を覚えると言ったのは嘘じゃない」
「急になんだよ。おまえが朴訥なのは知ってるが、反応に困るぞそういうの」
「だからこそ、僭越ながら助言しておきたい。君は僕とは違う。今の内から、最終的な身の振り方を想定しておくべきだ」
耳の痛むような静寂が一瞬、ふたりの間を満たした。
この風変わりな友人が自分に何を言わんとしているか理解したからだ。
「知ったようなことを言う。許してほしい」
「いいよ。……言ってくれ」
「君には、聖杯戦争を勝ち抜くことはできないと思う」
一見すると侮りにも聞こえる台詞。
が、彼の実直な眼差しは、そんなつまらない優越で紡がれた言葉でないことをどんな言い訳よりも雄弁に示していた。
それに、そうでなくてもナシロ自身、その言葉は的を射ていると思った。
もっと言うなら、図星だった。自分でも薄々気付いていた陥穽。気付いた上で、後回しにしていた問題。
「――――だって君は、あまりにも優しすぎる」
琴峯ナシロは、必要な犠牲というものを許容できない人間だ。
聖職者故の潔癖。神の教えに親しみ、民の敬虔を愛するからこその不合理性。
これを自覚していたからこそ、あの時ナシロは魔女の友人に反論できなかった。
言い返せず、負け惜しみめいた拒絶を示して力技に打って出た。
その無様な記憶が、河二の言葉に無二の説得力を与えている。
復讐という安易な選択肢を選ぶことなく。
魂なき人形の涙にさえ共感する。
尊いことだ。人間として、彼女の在り方はきっと正しい。
されど死地に放られた戦士としては、落第点も甚だしかった。
人形の一体も壊せない理想家に、命ある誰かを蹴落とすなんてできる筈もないのだから。
「そうだな」
ナシロは、河二の言葉に首肯する。
ケミカルな味わいの液体を嚥下して、息を吐いた。
慣れない不健康な後味が呼気に混ざって抜けていく。
「返す言葉もないよ。そのせいでお前にもずいぶん迷惑かけてるしな」
「すまない。責めているわけではないんだ」
「謝んないでくれ。分かってるさ、ちゃんと」
聖杯戦争からの脱出――それは現状、荒唐無稽という他ない指針だが。
この世界がそもそも一個の巨大な被造物である以上、そこにある種の"ほつれ"がないとは言い切れない。
それに加えて、同じ道を目指す同志を確保することまでできたなら。
絵空の大団円は額縁を飛び出して、現実のものとして未来を包んでくれるかもしれない。
きっと、自分には合っている道だ。
少なくとも賭けてみる価値は絶対にあるだろう。
そう承知した上で、ナシロは言葉を投げた。
「高乃は……、一緒に悩んじゃくれないのか?」
河二は、"君は僕とは違う"と言った。
それ自体は合っている。河二は善人ではあれど、ナシロとは決定的に違った価値観を有している。
復讐という大義を抱き、そのために誰かを殺めることのできる人間だ。
しかしそんな彼にだって、復讐を遂げた後の未来というものはある筈ではないのか。
なのに河二の言葉では当たり前のように、彼自身が勘定に含まれていなかった。
過去の呪縛を超克し、新たな地平が開けた未来。そこで自分は、ナシロの隣には居ないと悟っているように。
ナシロの問いに、今度は河二が黙る番だった。
が、その口はやがて開く。
彼らしからぬわずかな逡巡の後に、答えは紡がれる。
「……先のことは考えないようにしているんだ。
父の仇を討つという目標を置いて皮算用に走れば、きっとこの拳も覚悟も、錆びついたように鈍ってしまうだろうから」
高乃河二は、過去に呪われている。
いつかの喪失(いたみ)を、引きずり続けている。
敬愛する父に訪れた理不尽な死。どこかの誰かが糸引いた、"運命"。
それを良しとして納得することが、彼にはどうしてもできなかったから――。
高乃河二という純朴な少年は、覚悟を固めて針音の地を踏んだのだ。
彼の未来は閉ざされている。今もなお。彼自身が、わざと視野を狭めて『無いもの』としているから。
されどナシロの問いかけに、そんな答えだけで応じるのは不誠実だと思ったのだろう。
河二もまた、優しい男なのだ。人の誠実な想いには同じだけの誠で報いたい、そんな不器用な善性を抱く者だった。
「だが、もしも。
仇討ちを遂げ、父の無念を晴らして歩き出す、そんな日がこの身に訪れたなら――」
故に少年は、答える。
己の抱える誠を、吐露する。
少しだけ哀しげに。あるいは、どことなく爽やかに。
「――その時は改めて、僕も一緒に考えるさ」
河二の本音は端的で、それだけに口を挟む余地のない重さを纏っていた。
ナシロは何も言えない。彼女もまた、彼と同じ痛みを知っている人間だから。
たまたま自分は、彼のように灼かれることなく、起きてしまった悲劇を呑み込めただけ。
そんな手前の幸運を棚に上げて、受け入れられなかった人間の覚悟へ否を唱えるなんて、恥知らずも甚だしい。
復讐に生を捧げた人間が辿り着く結末は荒野だ。
仇の消えたその先には、見果てぬ茫漠の地平が広がる。
そこで初めて、復讐者は己の人生というものと対峙するのだ。
河二もきっと例外ではない。荒野を拝むか、本懐果たせず死ぬかの二つに一つ。
「そっか、じゃあ仕方ないな。フラれちまったや」
「……君も君で、反応に困ることを言っていないか?」
「わざとだよ。いつも振り回されてばかりは癪だからな」
へへ、と、ナシロは珍しくいたずらっぽく笑った。
その顔を見て、河二も微かに鉄面皮の口元を緩める。
コンビニの前で屯してる姿は、どこか夏場の不良少年のよう。
そんな構図を非の打ち所ない優等生同士でやっているのだから、なんだか奇妙だった。
「でも、気にかけてくれてありがとな。こう言っていいのかわからんが……素直に嬉しいよ」
ん、と、そう言ってエナジードリンクの缶を突き出す。
河二は意図を測りかねてか、小さく首を傾げた。
「……これは?」
「なんだよ、鈍いやつだな。……私達、酒飲めないだろ?」
やや気恥ずかしそうにしながら、ナシロは言う。
そこまで聞いてようやく、河二も言わんとすることを理解したらしい。
次にいつ、こうしてふたり並んで休める時が来るか分からないのだ。
であれば優先度の低い、だけど出来るならやっておきたいことなんかは今の内済ませておくに限る。
「景気付けに乾杯しよう。こういうのって、意外と馬鹿にできないと思うんだよ」
「そういうことか。……分かった。慎んでお受けしよう」
「堅苦しいなぁ。上司と部下じゃないんだぞ」
「すまないが、知っての通りこういう性格なんだ」
すなわち、ふたりきりの決起集会。
いつ終わるとも知れないこの都市で。
それぞれの戦いを、悔いなくやり遂げようと祈りを込めて交わす誓いの儀礼だ。
形だけの祝福。カフェインより気休めな祝杯。
それでも、確かに意味はあると信じたかった。
信じるというのは尊いことだ。
想いを込めて祈るのは素晴らしいことだ。
琴峯教会のシスター・ナシロはいつもそう思っている。
「じゃあ――乾杯」
「乾杯」
かしゃん、と風情も何もない、アルミ缶同士のぶつかる音。
続いて少女と少年が、各々の飲み物を嚥下する音。
最後に、ぷは、と口から酸素を吐き出す音。
三つの音が連続して、乾杯の儀はあっけなく終わった。
「……やっぱり、エナドリとコーヒーじゃ格好付かないな」
「奇遇だ。僕も今、そう言おうと思ってた」
ふたりは控えめに笑った。
くだらない、でも悪くない心地だった。
休息と呼ぶにはつかの間すぎて、けれど無駄と呼ぶには名残惜しい時間。
それを共有しながら、きっと善い人であろう子どもたちは、確かに笑っていたのだ。
◇◇
ところで。
少年少女が祝杯をあげた頃、彼らの英霊達が何をしていたかというと。
「――で、嬢ちゃんは何をもじもじしてんだ?」
「うるさいです。むさ苦しいおじさんには関係ありません」
彼らの姿はコンビニの裏手の、なんてことない空き地にあった。
土管の上に座って落ち着かなそうにそわそわし、時々「あー!!!」とか叫んで頭を掻きむしるヤドリバエ。
その姿をエパメイノンダスはしばし不思議そうに見つめていたが、やがて合点行ったらしい。
ぽんと手を叩くと、得意げな顔で悪魔の奇行の理由を言い当ててみせる。
「ははあん、そういうことか。
らしくもなくデレたところを見せちまったもんだから、ナシロちゃんに顔を合わせるのが恥ずかしいと」
「うあーーーっ!! やめてください言わないでください思い出しちゃうでしょうがー!!
っていうか英雄様があんまデレとか言うもんじゃないですよ! 解釈違いって言葉が現代にはあってですねぇ!!」
先の戦いで、ヤドリバエは大きな功績をあげた。
悪名高き騎兵隊を相手に大立ち回りを演じ、敵方にあった主導権を一気にイーブンのところまで奪い返したのだ。
あの働きがなかったなら、今頃は命があっても相当な不利益を被らされていたことだろう。
エパメイノンダスとしても彼女には惜しみなく感謝している。もっとも当のヤドリバエにしてみれば、いろいろ思うところがあるようだった。
「堂々としてりゃいいと思うがなぁ。あの嬢ちゃんはそういう所でからかってくるタイプじゃねえだろ」
「いや……まあそれは、そうなんですけども……。
時間が経ってハイな気分が冷めてくにつれてむくむくと、こう……枕に顔を埋めて転げ回りたい感じのアレが……」
「ヤドリバエちゃんといいマキナちゃんといい、今回はずいぶんお子様英霊が多いんだなぁ。思春期の悩みだろそういうのは」
「はぁあぁあぁ!? あのおちび神とだけは一緒にしないでください! あんなのどうせ今頃どっかでぴーぴー泣いてるに決まってます!!」
そういうところを言ってんだけどな……と苦笑するエパメイノンダス。
が、ヤドリバエはそんなこと知る由もなくふんすと鼻息荒げて腕を組んでいた。
「ところで、あなたこそこんなところで油売ってていいんですか?」
「そこは問題ない。目と鼻の先だからな、何かあればすぐすっ飛んでって対処できるように気ィ張ってるよ。
……それに、あいつらだって俺がいたら話しにくいこともあるだろうからな。今風に言うと、空気を読んだってわけさ」
「ほーん。さすが、テーバイの将軍様はサポートが手厚いことで」
「だろ。自分で言うのも何だが、些細なとこにまで気を遣えることが名将の秘訣なんだぜ」
得意げに白い歯見せて言われると、さいですか、と返すしかない。
空振りする皮肉ほど虚しいものはなかった。
なんというか、この英雄とはどうも相性が悪い気がする。
こっちがあれこれ考えて出した言葉とか行動が、それこそ大人が子どもをあやすみたくあしらわれる感じ。
後ろ向きな発言なので決して声には出さないが(悪魔は、ポジティブでナンボだから)、こいつが敵じゃなくてよかったなぁとヤドリバエは思った。
「ところで、ひとつ聞いてもいいかい」
「もうさっき一個聞いたじゃないですか。欲張りはだめですよ」
「硬いこと言うなよ。むしろ俺がもじもじ中のヤドリバエちゃんに会いに来たのは、"これ"が聞きたかったからでな」
――誰がもじもじヤドリバエですか。
未来の蝿王様なんですよちょー強いんですよ。成長性:超スゴイなんですが。
不満を込めて睨みつける視線を意にも介さず、エパメイノンダスは問う。
世話焼きな親戚のおじさんめいた顔と声が、カタチはそのままに切り替わる。
すなわち戦士。戦いを知り、ともすれば他者へそれを享受する、"英雄"のそれに。
「戦いの方はどうだった。満足の行く結果になったかい?」
「それはもう。代々木公園でも大活躍だったんですよ? わたし」
嘘は言っていない。というか、本当のことだ。
蝿王の眷属としての力を駆使し、敵方の英霊達を戦慄させる一撃を炸裂させた。
その後もまあ、乱射という形ではあったが、ナシロ達の逃走を助ける役目を見事に遂げてみせた。
充分に胸を晴れる戦果である。なのにいつもほどテンションが高くないのは、彼女自身分かっているからなのだろう。
当てられたのは一撃きり。
掴んだ手応えは、直後の高揚でまんまと取りこぼしてしまった。
それからの体たらくはエパメイノンダスも知っての通りである。
当たらない大砲。種が割れれば抑止力にもなりゃしない見かけ倒し。
ヤドリバエとしてもそのことは、多少気にしている点だったらしい。
無理からぬことだった。もし彼女が"当て勘"を失念していなければ、空飛ぶ騎兵隊の猛攻にももう少し食らい付くことができた筈なのだから。
しかしエパメイノンダスは、彼女の落ち度を指摘することはしなかった。
むしろその逆だ。ヤドリバエの返答を聞いた"将軍"は、柏手を打って破顔した。
「はっはっは、そうかそうか! そいつは良かった、やるじゃねえかヤドリバエちゃん!!」
「……、えっ」
「ん、どうした? 肩透かしを食ったみたいな顔して」
「いや、えと……ナシロさん達の話、聞いてなかったんです? 確かに公園では活躍したと思いますけど、でもそれからは、そのぅ……」
さっきとは違った意味でもじもじしてきて、ヤドリバエは所在無げに手の指を絡め合わせた。
これは単純なサーヴァントである。褒められるのは大好きだし、お世辞だろうと構わず胸を張れる質だ。
とはいえ、自分で落ち度が分かってるところを凄い凄いと褒められると流石にちょっと気まずくなるらしい。
歯切れの悪いヤドリバエを見て、エパメイノンダスは可笑しそうに肩を揺らした。
「なんだ、そんなこと気にしてんのか?」
「そ、そんなことって……!」
「いいんだよ。ちょっとコツ覚えた程度ですぐ手練れになれるなら、誰も苦労はしねぇさ」
あんまりな言い草に抗議するヤドリバエへ、将軍は冷静に言う。
そう返されると、噴飯する悪魔も「む」と黙る他なかった。
「むしろ思ったより筋がいい。蝿王の眷属って触れ込みは伊達じゃねえな」
「……参考までに聞きますけど、どうなると思ってたんですか?」
「最初に当てられるまでには、もう一~二戦はかかると踏んでたよ。
とはいえ正直に伝えてもやる気を削ぐだけと思ったから、焚きつける意味であえて伏せた。
死中に活ありとは言うが、まさか初戦でとはなぁ。立派な戦果だよ、誓って世辞じゃない」
エパメイノンダスがヤドリバエに授けた秘訣は、そう大したものではない。
"相手をよく見ろ"。実際、最初にこれを聞いた時はふざけてるのかと思った。
が――実際に助言は生き、まさに死中で活を掴むことに成功したのだ。
とはいえ、先に述べたように後はからっきし。
掴んだ手応えは一瞬で遺失し、元のクソエイムに戻ってしまったのだが。
しかしそんな体たらくを知って尚、エパメイノンダスは立派なりと賞賛する。
その理由が分からず、ヤドリバエは答えを求めて彼の眼を見た。将軍は頷き、言葉を紡ぐ。
「何事も、ゼロを一にするのが一番難しいんだ。
そしてそこから先に進むことは、実はそんなに難しくない。
君はゼロに戻ったと思ってるかもしれないが、絶対にそれはねえと断言する。
自分の頭で考えて、自分の手で勝ち取ったもんは、何があろうと決してゼロにはならない」
「……、よくわかんないです」
「とはいえ後退しちまったのは事実みてえだから、今度は別なアドバイスをやろう。よくできましたのご褒美だ」
土管の上、ヤドリバエの隣にどっかりと腰を下ろして足を広げ。
本来なら優勝の座を競い合うべき敵へと、将軍は師父のように教えを授ける。
戦士の一歩を踏み出した悪魔の娘。彼女が次にやるべきこと、それは――
「守りたいものを思い浮かべるのさ」
「なんか急にふわっとしましたね」
「馬鹿言え。正直な、これより大事なことはねえぞ?」
不服そうな顔の少女悪魔に、エパメイノンダスは力強い腕組みを見せる。
確かに抽象的だ。敵をよく見ろ、という単純ながら即効性のある指南に比べるとどうしても説得力に欠ける。
が、テーバイの英雄は至って大真面目。"それ"で戦ってきた戦士達の筆頭である男が、酔狂で愛を語る筈がない。
「いいか。愛って奴は、結局この世で一番強力なエネルギーなのさ」
愛の女神の遠い子ども。
人を愛し、愛することを愛した栄光の国の大英雄。
彼は、"神聖なる愛"を知っている。
その感情がもたらす強さと、生き様の美しさを知っている。
愛なくしてエパメイノンダスの不敗伝説はあらじ。
だからこそ、彼が遠い異教の悪魔にそれを授けるのは必然だった。
「別に色恋じゃなくたっていいんだ。友誼、目標、意地に因縁、縁はなんだって愛になる。
そいつを胸に抱いて戦う限り、百万の軍勢だって敵じゃない。
遥か悠久の神獣が相手だろうと一歩も退かず、栄光を勝ち取って凱旋できるんだ」
ま、そいつは手品仕掛けのニセモノだったけどな――。
冗談めかしておどけるエパメイノンダスの横で、ヤドリバエは眉間に皺を寄せる。
そんな精神論でどうにかなるなら苦労しない、と言いたいのに妙に腑に落ちるのが癪だったからだ。
思い出す。君臨する騎兵隊の王に、敢然と立ち塞がった時のこと。
あの時胸にあったのは、いつもののぼせ上がった高慢なんかじゃなかった。
そこには"想い"があった筈だ。
強情で頑固者、口を開けば正論しか言わない聖職者。
悪魔の天敵、水と油の間柄。絶対相容れることのない敵の筈なのに、どうしてか彼女のことを考えていた。
結果、かつてなく引き出せた蝿王の力。
現実をねじ曲げるような、恐怖の兆し。
正直に言うと今も少しだけ、頭の奥がぽわんとしている。
この"違和感"もきっと、先の戦いで得られた功名の一部なのだろう。
――"守りたいものを思い浮かべるのさ"。
今しがた受け取った助言(レッスン)の値打ちを、既に自分は知っている。それは本当に、とても認めたくないことだったが。
「……ま! 恥ずかしがんないでナシロちゃんにもっとバリバリいいトコ見せちまいなってことだな! わっはっはっは!!」
「はああああああ!?? そんなんじゃないですけど!! アレはその……iPhoneが欲しくて頑張っただけですから!!! 最新機種の魅力舐めんじゃないですよ野蛮人がーーっ!!!!」
むきゃー! と吠えて背中の双翅をぱたぱた動かすヤドリバエ。
それを愛い愛いと受け止めながら、テーバイの将軍は彼方を見遣った。
おもむろに、片手を動かす。
そうして、北の方角を指差した。
向かう先には何もない。ありふれた都市の光景が広がっているだけだ。
少なくとも視覚的には、そのように見える。
だが。
「気付いてるだろ。あっちの街に、バケモノがいる」
「……そりゃ、まあ。分かんないわけないですよ。一応サーヴァントですからね、わたしも。
ていうかバケモノなんて言い草していいんですか? あなたとおんなじ匂いがしますよ、"アレ"」
エパメイノンダスも、そしてヤドリバエも。
指差す方角――杉並の方から漂う、異質な兆しを認めていた。
最初は、戦いの気配があった。
気配だけではない。地鳴りのような響きに、破砕の轟音がこの距離でさえ聞き取れた。
河二達もそのことは知っている。だからこそ此処で一旦足を止め、休憩の後にこれからの動向を話し合う手筈で纏まったのが二十分ほど前。
今はもう、戦の兆しは感じられない。代わりに、この世のものとは思えない異様の風が吹いている。
「俺なりの敬意みたいなもんさ。
仮に伝わらなくても、クソガキの無礼くらい偉大な王は許してくださるだろうよ」
いや。
正確には、"この時代のものとは思えない"と言うのが正しいだろう。
ずっと蓋され隠されていた何かが、さっきの激震を皮切りに溢れ出したようだ。
エパメイノンダスは、迷いなく断言した。
カドモス。その名は、栄光の象徴である。
戦神の泉を守る竜を殺し、女神から広大な土地を授かり。
調和の女神を妻に娶り、テーバイを建国した。
英雄を生む土壌。勝利に愛され、愛を愛した戦士達の国土。
そこで栄光のままに君臨し、妻と共にエリュシオンへ旅立った古の大英雄。
北方より香ってくる懐かしき故郷の風に髪を揺らしながら、将軍はその顔に畏怖と喜びを同居させる。
「会いてえ戦いてえとは言ってきたが、聞きしに勝る偉大さだ。
この距離でも強さが分かる。命を懸けて、それでようやくだろうな。
そのくらいの覚悟と意地がなけりゃ、勝負の土俵にすら上がれはすまい」
「……わたしヤですからね、そんな化物とやり合うの」
「心配すんな。さしもの俺も、憧れだけで死地に飛び込むほど勇み足じゃないさ」
――今はな。
笑みと共に言ってのける将軍の瞳は、言葉とは裏腹に、いつか来るかもしれない未来を見据えているようで。
ヤドリバエはため息をついた。
聖杯戦争を舐めてたわけじゃない。
だが、もっとこう、イージーにやっていけるものだと思ってた。
でも蓋を開ければ難題に次ぐ難題、化物に次ぐ化物。
琴峯教会の居住スペースでぐーたら過ごしてた時期がもう懐かしい。
「なんか、アレですね」
蝿王の眷属達には、誰しも抱える夢がある。
偉大なる大悪魔・ベルゼブブの襲名。
その夢を諦めるつもりは毛頭ない。
が、それはそれとして。
葉っぱについてる芋虫やら何やらに後ろから忍び寄って奇襲するだけの虫螻にとって、初めて経験する"本物の戦争"は、あまりにもだったから。
……騎兵隊が追いついてくる少し前に。
自分のマスターが言っていた言葉を反芻して、口に出してみた。
「たいへんですね、戦うのって」
「わはは、だな。俺も未だにそう思う」
奇しくも、エパメイノンダスも河二と同じ答えを返した。
彼はあの会話を知らない。たとえそうでなくとも、答えは同じだったろう。要するに、本心から出た言葉であった。
難しく、そしてままならない。
このもやもやしたものをずっと抱えたまま生きていく。生き残っていく。
それが――戦うということなんだろうと。
ぼんやりそう思いながら、ヤドリバエはしばし、将軍と一緒に北を見つめていた。
◇◇
【世田谷区・コンビニ周辺/一日目・夜間】
【高乃河二】
[状態]:疲労(中)、魔力消費(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
0:たまにはこういうのも悪くない、か。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
3:ニシキヘビなる存在に強い関心。もしもそれが、我が父の仇ならば――
4:『ことちゃん』とは話ができる可能性がある。が、楪依里朱とライダー(カスター)のマスターには依然として警戒。
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※
雪村鉄志から『
赤坂亜切』、『
蛇杖堂寂句』、『
ホムンクルス36号』、『
ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。
【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージや傷、多数の銃創
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
0:さて、どうしたもんかね。
1:よく頑張ったな、みんな。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈蝗害〉とキャスター(ウートガルザ・ロキ)に最大級の警戒。キャスター(
吉備真備)については、今度は直接会ってみたい。
4:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
5:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在を確信しました。杉並のテーバイ化にも気付いているようです。
【琴峯ナシロ】
[状態]:疲労(大)、魔力消費(中)、複数箇所に切り傷、ちょっと持ち直した
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』(3本)、『杖(信号弾)』(1本)
[道具]:修道服、ロザリオ
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
0:迷いは晴れない。けれど今は、とにかく前を向く。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:楪及び〈蝗害〉に対して、もう一度話をする必要がある。
3:ダヴィドフ神父が危ない。
4:ニシキヘビ……。そんなモノが、本当にいるのか……?
5:アサシン……?
6:身の振り方、か。……確かに、考えるべきなのかもしれないな。
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。
※ナシロの両親は聖堂教会の代行者です。雪村鉄志との会話によってそれを知りました。
※レミュリンから『イリス』に関する情報を得ました。
※レミュリンと“蛇杖堂絵里”の連絡先を得ました。
【アサシン(
ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:疲労(大)、脇腹に刀傷、各所に弾丸の擦り傷、高揚と気まずさ(時間経過につれ後者がむくむく肥大化中)
[装備]:眷属(一体だけ)
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
0:あああああああああああ!!!!!(枕を抱えて悶絶したい気持ち)
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!眷属を手に入れた今の私にとってもはや相手にもなりませんけど!!
3:ウワーッ!!! せっかく作った眷属がほぼ死んだ!!!!!
4:ナシロさん、もっと頼ってくれていいんですよ。
5:守りたいもの……かぁ。
[備考]
※渋谷区の公園に残された飛蝗の死骸にスキル(産卵行動)及び宝具(Lord of the Flies)を行使しました。
少数ですが眷属を作り出すことに成功しています。
※代々木公園での戦闘で眷属はほぼ全滅しました。今残っているのは離脱用に残しておいた一体だけです。
※“蠅の王”の力の片鱗を引き出しました。どの程度操れるのか、今後どのような影響を齎すのかは不明です。
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最終更新:2025年05月14日 23:19