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カードリスト > > 第6弾 > 琥111_小早川秀秋

武将名 こばやかわひであき
小早川秀秋 統一名称:小早川秀秋
   生没年:1582~1602

「今から俺は東軍だ。
      さらばだ皆の衆!」

豊臣秀吉の正室・北政所の甥。
秀吉の養子となり秀頼が誕生すると小早川隆景の養子になる。
慶長の役で総大将を務めるが、帰国後に秀吉の怒りを買って領地と家臣を失う。
関ヶ原の戦いでは西軍から東軍に寝返り、西軍の戦線を崩壊させた。
勢力
時代 戦国
レアリティ N
コスト 2.0
兵種 鉄砲隊
武力 7
知力 7
特技 伏兵
計略 滅煌の返報(めっこうのへんぽう) 琥の味方の武力と移動速度が上がる。ただし琥煌ゲージが減少する。琥煌ゲージがない場合、効果が下がる
必要士気 6
効果時間 知力時間
Illust. めいさい
声優 山口令悟

計略内容
カテゴリ   士気   琥煌   武力   知力   速度   兵力   効果時間   備考  
- 6 0 +3 - +30% - 9.0c(知力依存0.2c) -
1以上 +5 +40% 琥煌ゲージ-1
(最新Ver.3.5.0A)

調整履歴

所感
琥勢力の2コスト鉄砲隊。
バランス型の武力・知力に伏兵持ち。
目立った強みはないが、どんなデッキにも採用しやすいスペック。

計略「滅煌の返報」はVer.3.5.0の新要素である滅煌系の号令。
武力と移動速度が上がるが、計略発動時に琥煌ゲージが減少する。

士気相応の武力上昇値に速度上昇まであり、シンプルにぶつかり合いに強い効果。
琥煌ゲージ減少量は-1で一見すると琥煌・超と同じだが、琥煌ゲージ1でも効果が変わらないのがポイント。
琥煌・超は発動時点で琥煌ゲージ3が必要になるため、琥煌溜めの手間が大きく軽減されている。
琥煌軸以外のデッキに入れて、この計略用の琥煌ゲージは流派・琥煌だけで賄うことも十分実用的。

士気6としては優秀な計略だが、琥煌・超と比べると効果自体はやや控えめ。
琥煌ゲージが十分にある前提であれば琥煌・超の号令を採用したほうが強力。
あくまで少ない琥煌ゲージで使える点が強みなので、そこを活かせるデッキ構築と立ち回りを考えたい。

解説
関ヶ原では西軍として松尾山に布陣するも寝返って大谷吉継の陣を攻撃し東軍勝利を決定づけるきっかけを作った武将。
1592年に権中納言に任じられると、他の中納言と区別するため幼少時から持っていた右衛門督の唐名「執金吾」と併せて「金吾中納言」とも呼ばれる。

一般的にはあまり評判の良い人物ではなく、
大酒飲みで暗愚であったため毛利輝元の養子にする話が出ると小早川隆景本家を守るために小早川家の養子にと志願した、
関ケ原では散々迷った挙句、家康軍に鉄砲を撃ちかけられたことで裏切りを決意するという優柔不断かつ臆病な性格、
土壇場での裏切りに大谷吉継は「金吾め、人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と呪いの言葉を吐きながら自害し、その呪いで2年後に急死したなどの逸話が語られている。
これらの合わせ技で、創作では「普段は臆病でビクビクしているが、身勝手な考えをしており、酒が入ると暴れ出す」という見事なまでのダメ人間として描かれることも多い。

一方で、最近の研究では秀秋は合戦前から東軍だったという説が有力になりつつある。
というのも、当時は合戦中や土壇場に裏切った場合はたとえ勝利に貢献しても許されないというのが一般的であり、
実際に関ケ原で秀秋に便乗して裏切った武将達は殆どが減封もしくは改易されている。
例外は、開戦前から家康に忠誠を誓う書状を送っていた脇坂安治、そして秀秋だけである。
そもそも、脇坂にしても秀秋にしても伏見城の戦いで鳥居元忠の援軍として付こうとするも断られてしまい、行く当てを失った結果、成り行きで西軍に付くことになったという話だったりする。
そして秀秋も戦後に岡山55万石に加増されていることから、脇坂と同様にあらかじめ東軍に与する姿勢を示していたのではないかと思われる。
実際、松尾山の布陣も先に布陣していた西軍の伊藤盛正を追い出して行っており、開戦前から東軍に与するような動きを見せている。

「土壇場で、鉄砲で脅されて裏切った」という逸話は、実に100年後の軍記からしか確認できない。
当時の鉄砲や戦場の規模から考えても到底音が届くとは思えず、この話は俗説との見方が一般的。
創作でも、流石に無理があると思われたのか大筒に変更されてたりする。

そもそも秀秋の経歴を辿れば、血筋はともかく心情としては徳川家康に与しても自然である。
確かに当初こそ秀吉の後継者と言う立場ではあったが、秀頼が産まれると厄介払いのごとく他家に追いやられている。
そして若干15歳でほぼ初陣なのに朝鮮出兵の総大将という無茶ぶりをされた挙句、
そんな中でも蔚山城の救援に駆け付けるなど武功を挙げたのに、これを秀吉からは軽々しく前に出たして叱責、減封までされてしまう。
フレーバーテキストの「秀吉の怒りを~」はこれが元ネタと思われる。
この結果、秀秋は家臣団のリストラなど相当な苦境に追い込まれている。
憶測ではあるが、同時期には秀次事件も起きていることから、これら一連の出来事は秀吉が秀秋にわざと失敗をさせて処分しようとしていたと言う話もあるほど。
そんな中で秀秋を助けてくれたのが家康であり、秀吉没後はこの時の処罰が不当であるとして旧領30万石に復帰の働きかけをしてくれた。
結果的に自分勝手な都合振り回しただけの秀吉(と、その指示で動いていた三成ら奉行衆)よりも、徳川家康に恩義を感じて東軍についたとて全く不思議ではない状況にあった。

実際のところ秀秋の人物像としては、21歳という若さで亡くなったこともあってよく分かっていない。
前述の通り朝鮮出兵では武功を挙げ、そして関ヶ原でも大谷吉継を討つなど結果だけ見れは抜群ではあるもの、
朝鮮では15歳、関ヶ原時点でも19歳であり、秀秋自身の能力というよりも家臣団の助けが相当にあったと見るのが妥当。
政治面でも特に滞りなく統治をしているが、こちらも実際には重臣が取り仕切っていたものと思われる。
一方で酒飲みで素行が悪い面があったのは事実らしく、叔母である北政所が悩んでいたという逸話が残っている。
関ケ原の2年後に急死したのも、酒による内臓疾患が有力視されている。
ただし酒飲みで素行が悪いというのは福島正則など珍しくなく、そもそも豊臣の御曹司として7歳の元服と同時に接待攻勢で酒を飲まされていたと言う話もあり彼自身の問題とも言い切れない。


何れにしても自身の才覚を発揮する前に亡くなってしまった結果、
血筋的には豊臣政権に極めて近いにも関わらず、徳川が政権を握るきっかけをつくり結果的に豊臣を滅ぼしたという事実だけが残ってしまい、それが悪評に繋がっていったのではないかと思われる。
また、死亡時に子がいないために小早川家は徳川幕府初の無嗣改易となり、断絶してしまったため子孫に遠慮する必要が無かったのも一因かもしれない。

大戦シリーズにおいて
戦国大戦でカード化された時とはキャラデザイン等が大きく異なるが、撤退時の台詞が当時を彷彿とさせるというパターン。

台詞
台詞
開幕 今から俺は東軍だ、さらばだ皆の衆!
計略 お前らの運命を決めるのは、この俺だ!
└絆武将 -
兵種アクション 俺はたーだーしーい!
撤退 の、呪われる……!
復活 まだ早いんじゃねえか?
伏兵 戦えばいいだろう!
攻城 -
落城 -
贈り物① 借金は明日返す! 本当だって!
俺が嘘ついてるように見えるか!?
贈り物② ひっく……笑いに来たのか? 日輪も俺を
笑い者にしてんだもんな。好きなだけ笑えよ……
贈り物(お正月) -
贈り物(バレンタインデー) -
贈り物(ホワイトデー) -
贈り物(ハロウィン) -
友好度上昇 まだ早いんじゃねえか?
寵臣 -
絆武将獲得 -
軍飾 -

贈り物の特殊演出
対象武将琥006北政所
会話武将 台詞
琥006北政所 金吾、また外で飲み歩いて来たね?
身体に悪いって何度も言ってるのに!
琥111小早川秀秋 やべ……叔母上もお見えでしたか。
明日からは控えますよ……
琥006北政所 いつもそう言ってごまかすんだから。
隆景殿にも伝えて見張ってもらうよ!
琥111小早川秀秋 ヒッ……なんで俺はどこに行っても
説教好きから逃げられないんだ~!
琥006北政所 説教されるようなことするから!

情報提供・誤った点に気付いた等、何かありましたら気楽にコメントしてください。

  • 北政所と出陣で特殊台詞あり - 名無しさん (2026-07-15 19:03:01)
  • 解説、少し個人的な主観が混じりすぎてない? - 名無しさん (2026-06-24 18:38:05)
  • イラストをよく見るとカラーリングや片眼鏡、胸に矢の意匠らしきものがあり、豊臣家と毛利家両方のイラストルールが片方ずつ入ったキャラデザになってる? - 名無しさん (2026-06-01 13:46:34)
    • 本当だ。ちゃんと豊臣のひょうたんは持ってるし、面白いデザインね。 - 名無しさん (2026-06-01 16:43:37)

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最終更新:2026年07月12日 23:30