
| パテナ型空母 Patena type Aircraft Carrier | |||
| 基本情報 | |||
| 種別 | 軽空母 | 命名規則 | 山 |
| 前級 | クラーソー | 次級 | クルストヴァ型 |
| 設計 | ギルドマジャル | 所属 | 自由パンノニア共和国→統一パンノニア王国 マン王国 |
| 製造 | X隻 | 世代 | 第三紀後期 |
| 性能諸元(就役時) | |||
| 全長 | XXmlt | 全高 | XXmlt |
| 機関 | ドゥミンエンジン 4基 液化ドブルジャ浮遊筒 |
機関最大出力 | |
| 最高速度 | 220km/h | 航続距離 | XXgaias |
| 武装 | 13fin連装砲 3基 30mull六連装機関砲 4基 30mull 4連装機関砲 10基 艦首長距離空雷発射管 4門 |
補助装備 | 艦載機 32~40機 |
| 乗員 | 420名+330名(航空要員) | ||
| 性能諸元(冷戦期) | |||
| 全長 | XXmlt | 全高 | XXmlt |
| 機関 | カルマンVIII型エンジン 6基 液化ドブルジャ浮遊筒 |
機関最大出力 | |
| 最高速度 | 220km/h | 航続距離 | XXgaias |
| 武装 | 13fin連装速射砲 2基 28mull三銃身機関砲 6基 ミリアCs-13 個艦防空SAM 4セル型ユニット×8(32セル) ラーリシャイF2 近接防空SAM |
補助装備 | 艦載機 定数36機(固定翼機32、回転翼機4) |
| 乗員 | 320名+390名(航空要員) | ||
| 二次創作 | |||
| 作者名 | 六方晶ダイヤモンド | ||

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628年シルクダット戦役でのクラーソー喪失後、自由パンノニア軍はこの損失を補填する空母計画を開始した。この計画は629年内には元となる設計が完成していたが、内政上の混乱により起工は遅延し続けることになった。しかし、631年のエリツィア戦役(カシェルブルク攻勢)においてパンノニア亜大陸西部全域で大規模な突破を許し、救援に来たアーキル艦隊が多数の空母を喪失したことから、自前での機動艦隊戦力の用意は急務となった。このことを受けて空軍と大蔵省は重い腰を上げ、いくつかの戦艦建造計画を中止しつつ異例の大軍拡となる5隻の建造を決定する。
基礎設計はクラーソーを踏襲しつつも、初の本格的空母決戦となったシルクダット戦役と、空母が当たり前の時代となったエリツィア戦役の両経験を反映したものとなった。甲板化は単一化され、この運用の合理化のためにに、アーキルより一時的に供与されていた衛星級も参考とした。(このため、建造当時は煙突が艦橋後ろ右舷側にまとめられていた)搭載機数はクラーソーと同様の30~35機程度で、正規空母としては小型の設計となった。クラーソーから特に改良された点は耐久面と設計の”余裕”であり、このことは本クラスが長く運用された理由にもなった。また、クラーソーの死因となった誘導弾対策として、初期には多くの対空装備が搭載され、装甲やダメージコントロールも改善された。こうした一連の設計改善にともない、パテナ級は、アーキルの大型戦略空母群には匹敵しないまでも、大型の正規空母となった。
1番艦パテナは632年、2番艦リシュトニヤは翌633年にそれぞれ起工、635年と636年に就役し、大戦末期に何度か小さな戦闘を経験した。3番艦ピャウトリヴァと4番艦ドヴナはそれぞれ636年、637年に起工したが、それぞれ643年、646年の就役となり、実戦には参加しなかった。638年に起工した5番艦は、終戦に伴い644年にキャンセルされた。艦名はすべて北パンノニアの河川に由来する。
650年代には順次近代化改修が実施され、ジェット機に対応するようになったほか、エンジンが強化され、飛行甲板にはアングルドデッキが追加された。654年のパンノニア動乱では、4隻中2隻(リシュトニヤとピャウトリヴァ)は改修のためドックにいたこともあり、いずれもめだった戦闘への参加は記録されていない。アーキルの圧力による北西地域の独立にあたっては、ドヴナは僚艦とともに北西地域のサリャウ港にいたが、避難民を乗せて交戦なくバスタンナまで撤収した。その後、ドヴナ川を含むドヴナ市が独立地域に含まれていたことから、同艦はルィカーチャと改名された。
664年には建造再開されたより大型のツァトラトヴァール級の就役を目前に、軽空母へ分類変更された。大戦型空母としては大型空母であったパテナ級も、時代の流れとともにその地位を失っていた。666年には、マン王国のオリエント条約機構への加盟に伴い、同国へ事実上の供与として売却された(空母「エゲリア」として就役)。これは、670年代から後継となるクルストヴァ型軽空母への更新にともない、パテナ級を順次退役させていくことを念頭においたものだった。しかしながら、水晶戦争にともなう冷戦のはじまりによって、パンノニア軍は大規模な軍拡を求められ、残る3隻のパテナ級はさらなる改装を実施しつつ90年頃まで運用されることが決まった。これにより、パテナ級3隻は小型・老朽ながらも、冷戦中の主要な戦役において、主要空母戦力の一角であり続けてきた。
パテナ級最後の晴れ舞台は目覚め作戦であった。3隻は護衛艦を伴って東海遠征分遣隊を編成し、諸島海軍の上空護衛任務に就き、南東地域東海岸の上陸作戦などに参加した。この部隊には「エゲリア」以下マン王国艦隊も参加し、姉妹艦4隻が集合する形となった。目覚め作戦中、パテナは多数のビーム被弾により浮力を喪失し洋上墜落ののち修復を諦め放棄、ルィカーチャは暴走旧兵器の体当たりを受けて船体が寸断、その後しばらく浮遊していたが、20分後に後部側弾薬庫大爆発を起こして轟沈した。ピャウトリヴァはほぼ無傷で目覚め作戦を終えたが、計画通り、692年には退役が決まった。最終的にはシルナトリツェ市が購入し、空軍博物館にて保存展示されている。マン王国のエゲリアは艦尾を喪失する損傷を負ったものの致命傷にはならず、目覚め作戦後に修理され、あわせて大規模な改装を受け693年に現役復帰している。
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