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USPT

人物詳細説明型
画像 ロロドンド・シーハ・ゾストロメ
出生 591年4月11日
アーキル連邦、
ザイリーグ軍管区、
コダート自治共和国、パラマグラス
死没 659年13月22日
コダート国、パラマグラス
配偶者 ヴァーナ・ダ・パーラマ
子女 4人
出身校 連邦土木学院
ラオデギア陸軍士官学校
政党 (無所属→)
コダート汎ザイル人党
コダート国
第3代大統領
任期 650年8月10日~659年13月22日
コダート国
初代国家閣僚会議議長
任期 650年8月10日~650年10月2日
軍歴
軍歴 アーキル連邦陸軍
ザイリーグ陸軍
コダート国軍
610年4月~650年8月12日
最終階級 少将


USPT-MP

人物簡易紹介型

■加那梨 笛灯 (627年14月5日-681年10月18日)
メル=パゼルのハイタテ県生まれの空軍軍人。681年4月22日にカドランで発生した四月反乱の首謀者の一人。
陸戦にも造詣が深く有能な空軍指揮官であったが、思った事をすぐに口にする性格であったとされ、一度昇進の機会を逃している。

■南斗 納琥 (632年7月25日-681年10月18日)
メル=パゼル領エウル=ノアのカドラン近郊のトン・セナ生まれの空軍軍人。681年4月22日にカドランで発生した四月反乱の首謀者の一人で、同反乱の首謀者の中で唯一の新エウルノア人である。

■凄倶 挫椎 (614年1月17日-681年10月18日)
メル=パゼルのヤツセ県生まれの陸軍軍人。681年4月22日にカドランで発生した四月反乱の首謀者の一人。
667年に少将となり、72年に退役していたが、エウル=ノア大乱においてメルパゼル政府が独立容認に舵を切ると、大メルパゼルの崩壊を憂い客将として反乱に参加した。

■柑赫 出 (624年10月1日-703年8月24日)
メル=パゼルのコトラギ県生まれの陸軍軍人。681年4月22日にカドランで発生した四月反乱の首謀者の一人。
経済学部を出ていたことから反乱軍の会計としてカドランにて留守を預かっていたが、経済的にエウルノアを切り離したほうがメルパゼルにとって利益がでることを知り、政府側へ寝返った。

■レン・グ・ダーロン (644年15月29日-731年3月6日)
メル=パゼル領エウル=ノアのカドラン県出身のエウル=ノア自治共和国初代大統領でエウルノア王国初代首相。ノア人。
エウル=ノア大乱中はエウルノア民族共立戦線の指導者として新エウルノア人とメルパゼル政府と武装闘争を繰り広げた。
最終更新:2023年08月24日 13:48