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メモリーズオフ~T-wave~(前編)

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メモリーズオフ~T-wave~(前編) ◆LxH6hCs9JU


 夢を、夢を見ていました。

 夢の中のあなたは、とても健気に私を見つめていて。

 夢の中のあなたは、泣きそうな顔で私を見つめていて。

 夢の中のあなたは、変わらぬ微笑で私を見つめていて。

 夢の中のあなたは、拒むように私を見つめていて。

 夢の中のみんなは、決して私を見つめることをやめない。

 ――どうして?

 そんな風に私を見つめないで。

 みんなには、もっと先を見据えて欲しいから。

 もっと、前を。

 ここにいるみんなに、前を向いて欲しいから。

 この想いを伝えるには、どうしたらいいの?

 届けたい。

 届いて。

 ――私の、声。


 ◇ ◇ ◇


「……ん」

 蕩けるような感覚が、脳髄をガンガンとノックする。
 警鐘にも似た現世への覚醒は、今の今まで眠りの中にあった少女を、奮い立たせた。

 ――そうして、蘭堂りのは起き上がる。

 自身にかけられた毛布と羽毛布団、メルヘンちっくなメイド服から様変わりを果たした和装の寝巻き、横に伏していた体。
 いぐさの匂いが香る和室は、畳の数が数え切れないほどの広さ。旅館の宴会部屋かなにかだろうか。

「私……どうしてたんだっけ」

 虚ろな意識をそのままに、りのは思考を再開する。
 眠りに落ちる直前の記憶……それを辿ってみれば、

「あ……」

 りのの小さな総身を、怖気が駆け巡った。
 極寒の地に立たされたような、心で感じる寒さが、身を蝕む。

 鬼――殺人鬼と相対した恐怖。
 襲撃され、殺されそうになったという恐怖。
 今こうしていることが、生き永らえた証明であるという安心。
 あの殺人鬼は、私の手を引いてくれていた人は、散り散りになってしまった仲間たちは――という不安。

 綯い交ぜになった恐怖心は、再起したばかりのりのを容赦なく襲い、沈めた。
 全身を包み込むようにぎゅっと縮こまり、布団を被る。
 このままこうしていれば、もうあんな怖い思いをする心配もないのだろうか。
 少女らしい等身大の考えを胸に抱き、りのは再び眠りに落ちようとして、

「ん……りの、さん」

 零れた音に、ビクッと体を震わせる。
 飼い主に叱られた子犬のように、おそるおそる布団から顔を出すと、傍らには母のような寝顔があった。

ユメイ、さん?」

 蝶々の柄が入った藍色の和装を纏う少女が、りのの寝ている布団の横で眠りこけていた。
 その寝顔はりのと比べても大差のない、あどけない少女のものであったが、どこか既視感を覚えてしまうのはなぜだろうか。
 この顔は、そう……まだりのが宮神島に訪れる以前の暮らしで、よく目にしていたような気がする。

「ユメイさん……私のことを、守ってくれてたんだ」

 眠りながらに西洋剣の鞘――治癒に用いていた道具――を抱くユメイを見て、りのは推察する。
 殺人鬼から逃げるとき、りのの手を引いてくれたのはユメイだった。
 その意識が闇に没する直前まで、彼女はりのを守り通してくれたのだ。
 そして今、闇に没した後も、りのの守護を貫いたのだ……痛感する。

「私は、結局……」

 守られてばかり、というフレーズを喉の奥に飲み込み、溢れ出そうになった涙を目尻で溜める。
 代わりに込み上げてきた、役立たずだ――という言葉も、ギッと噛み殺した。
 命の価値まで考え出してしまって、りのは自分の頭をぽかぽかと殴る。
 涙は、結局溢れてきた。

「……っ」

 されど声は漏らさず、ユメイを起こさぬよう布団から這い上がり、そっと和室の襖を開ける。
 廊下に備えられていたスリッパを履くと、そのままなにも持ち出さず外へと飛び出していった。

 空は月光。空気は冷たく、音は静寂。
 夕暮れはいつしか夜へと転じ、あの忌まわしい事件から結構な時間が経過したのだということを知らせる。
 あそこで離れ離れになってしまったみんなは、いったいどうなってしまったのだろうか。
 源千華留は、大十字九郎は、直枝理樹は、橘平蔵は、杉浦碧は……決意を同じくした、リトルバスターズのみんなは、

「……もう、わかんないよ」

 いくら考えたところで、結末など知れない。
 時刻を鑑みれば、既に第三回放送は通り越し、第四回放送すら聴き逃したかもしれない。
 部屋に戻り、荷物を確認してみれば、きっとユメイが死者や禁止エリアをチェックしていることだろう。
 だが、知りたいとは思わなかった。
 誰が死に誰が生き残ったのかも、今の時刻も、ここがどこなのかさえも。

 ――知るのが、怖かっただけなんだと思う。

 守られ、逃がされ、背負われした挙句の結末など、りのにとっては重荷でしかない。
 疲労困憊で寝ていたユメイを思えば、ふらふらな足取りでまだ生を謳歌している自分自身を思えば、答えなど知る必要もなく、自責の念だけが駆り立てられる。
 子供は誰だって、叱られることを怖がる。
 いけないことをしたという罪悪感が、一生の後悔となって残る年頃なのだ。
 好き好んで良心の呵責を増やすなど、臆病者の子供にはできるはずもなかった。

 空虚な気持ちのまま、りのは夜の街をスリッパで闊歩する。
 時折見かける街灯が、りのの狼狽した顔を不気味に照らし、本人は気にも留めず歩を進めていく。
 今はなにも考えたくない。なにもしたくない。
 だけどただ蹲っているだけではいられない。どこかに行かなければいけない。
 いったいどうするべきなのか、いったいどうしたいのか、それすらもわからずに、徘徊を続ける。

「きゃっ!?」

 意志を伴わない歩みは、まっさらなアスファルトの上の空を引っかけ、りのの体を転倒させた。
 反射的に出た両手が固い地面に突き刺さり、じくじくとした痛みが込み上げてくる。
 ドジっ子のりのが満足な受け身を取れるはずもなく、膝も肘も擦り剥けてしまっていた。
 どうにか激突を避けた顔面が、間近にある大地と睨めっこし、数秒流れる。
 失笑も零れない、見るも無残な己の醜態に、りのは笑いではなく泣きたくなった。

「ねぇ、あなた。大丈夫?」

 自力で起き上がる気力もない。誰か起こしてくれないだろうか――そう願った矢先、りのに手が差し出される。
 赤色と土色、それに濁ったような黒色が肌色を支配する、一見しただけでもおぞましい手。
 りのはその手の先を目で辿っていき、ゾッとする。

「あ、あたし? あたしは神宮司奏。別に怪しい人じゃないよ? って、見ればわかるよね~」

 どこにでもいそうな女子高生が、体に蛆を飼っている――とでも言い表せばいいのだろうか。
 一言で言って異常。風貌が異常な上に、傍らに立つ見るからに『生を終えている少女』が、さらなる不安を齎した。
 なにより、絶対に本名ではありえないその名乗りが、りのの心を闇へと葬る。

 彼女の福音は、どこに消えてしまったのか。


 ◇ ◇ ◇


 二十四時間運行を掲げる完全無欠の交通機関を経て北へ。
 中心街と明記された北東の区域は、多くの参加者たちにとって馴染み深い、言うなれば普通の街。
 雑貨店や大型ビル、標識や自動販売機、電柱や路上駐車された車など、それこそ見慣れたものばかりが目に映る。
 まだ零時前のこの時刻、夜遊びに興じる好奇心旺盛な若者たちの姿が見当たらないというのは嘆かわしいが、状況を考えればそれも致し方ない。

「まー、人気のない夜の街をぶらぶらするってのも乙なもんよねぇ。ふぁ~」

 そう、のんきに欠伸などしつつ街中を闊歩するのが、杉浦碧だった。
 物臭な態度の割になまめかしい姿態を晒し、歩みを進めるごとに一つ結びの髪が馬の尾のように揺れる。
 なにも考えていないように見えて、その実周囲への警戒は怠らず、ここが殺し合いをする場であるということをちゃんと認識していた。
 第三者が見る印象としては決してよくないだろうが、これが杉浦碧という女性の自然体であり、性分だった。

「……はぁ」

 う~ん、と背伸びをする碧の後方、誰とも知らぬ溜め息の音が漏れ、三人が項垂れていた。
 碧に比べても小柄な、少女と呼ぶに相応しい顔ぶれが三つ。
 じゅうななさいを自称する碧からして見ても未熟な……未熟だからこそ際立つ外見年齢を備えた三者は、ほんの数時間前に出会った新たな同行者たちだった。

「ん~? どしたん溜め息なんてついて。幼き少女ゆえの悩み事なら、碧ちゃんが相談に乗るよ?」
「おお、そうか。ならその緩い思考を今すぐ引き締めてもらいたいのだが、どうか」
「えー。ぶーぶー、誰がユルユルだって?」
「汝だ、杉浦碧だ!」

 アル・アジフ羽藤桂菊地真
 碧がビルの屋上でありったけの魂を込めた主張を終えた後、彼女たちは駆けつけてきた。

「まったく、出会いからして慎重派の人間ではないと見ていたが……それにしても、緊張感が足りなさすぎる」
「気張ってばっかじゃもたないよ? それに緊張感って言うんなら、桂ちゃんにあーんな恥ずかしい格好させてたアルちゃんのほうが……」
「あ、あれはマギウス・スタイルっていう正装で……正装? あ、あれ正装だよねアルちゃん!?」
「汝もなにを顔を赤らめているのだ。もっと堂々とせんか」

 自らの思いの丈を外に放出し、さあ行きますか、とビルの外に出た瞬間、黒いボディコンスーツの少女による来訪をくらった。
 碧は挨拶も疎かなままその少女に腕を掴まれ、半ば拉致されるような形で駅へ。待ち構えていた二人の少女と共に、電車へと乗り込む羽目になった。
 その後、三人の少女の中でリーダー的立場にいたアル・アジフから安易な拡声器の使用を叱られ、下車後は適当な喫茶店でそれぞれの身の上を語り合い、今に至る。

「結構時間取られちゃったし……ボクとしては、早く教会に行きたいんだけど」
「そう憂うな真。ここから教会へは西へ一直線。何事もなければ、放送までには辿り着けるだろう」
「そうそう。やよいちゃんって子を守りたいんでしょ? だったら、いつまでもうじうじしてちゃ駄目だって」
「遅れを齎した張本人である汝がそれを言うのか!?」

 杉浦碧――クリスが直に対面し、玖我なつきの元々の知り合いでもあった、風華学園非常勤講師の肩書きを持つ女性、いや美少女。
 情報どおりの茶目っ気の強い性格に、正義を心情とする人柄、加えて拡声器による熱血な放送内容を鑑みれば、アルたちとしても仲間に加えて然るべき人物だった。
 故に、放送を耳にしたアルたちは駅への道のりを一時逸れ、マギウス・スタイルとなった桂の手で放送の主を即座に回収、即時撤退、予定通り駅を経由して教会へのルートを辿る、という策を取った。
 先を急ぐとはいえ、なつきの知り合いであり味方とするにも有能な存在を放置しておくのは忍ばれる。拡声器で居場所をアピールしているともなれば、なおさらだ。
 そのような考えから、アルは咄嗟に『拉致』という選択を下し、詳しい話は電車で移動してから、ということになった。

「それは悪かったってばー。でもさ、あたしとしてもアルちゃんたちと出会えたことは損じゃなかったよ? みんなもそうでしょ?」
「それは、まあ……杉浦先生がユメイさんや九郎さんに会ってた、っていうのは意外だったけど……」
「そっちも、なつきちゃんやクリスくんと知り合いなんでしょ? あー、もうちょい早く叫んどきゃ二人にも会えたのになー」
山辺美希さん、大十字九郎さん、ユメイさん、蘭堂りのさん、源千華留さん……襲われて散り散りなったみんなは、無事なのかな?」
「それが心配なんだよねぇ。捜そうにもどこ行ったかわからないし……とはいえ、立ち止まってる碧ちゃんじゃあありませんよ」
「杉浦先生、やたらポジティブなんですね……」
「元気出さなきゃやってけないってーの。それから桂ちゃんに真ちゃん。あたしのことを呼ぶときは、以後碧ちゃんと呼ぶよう気をつけるように。おーけい?」

 杉浦碧と、アル・アジフら三人の持ちかけた情報を重ね合わせた結果、島内における人間関係の構図はさらに緻密なものとなった。
 情報を書き加えた紙を眺めながら、一同は西への進行を続けていく。

 真の願いに反して、情報を纏め上げるのに必要以上の時間を食ってしまったのが難だが、この結果は誰にとっても利益となりえた。
 主だった着眼点は人間関係について。
 碧が接触した理樹率いるリトルバスターズの面々が保有する細部の情報については、途中で横槍が入ったこともあり、人間関係ぐらいしか確固としたものがないとも言えた。
 理樹が「じゃあ皆……詳しい事だけど」と話し合いを進めようとした矢先の事態を、碧は苦々しく思い出す。

「本性を隠して集団の中に潜む危険人物ねぇ……あたしの印象じゃ、千華留ちゃんはそんな子には見えなかったけどなぁ」
「が、警戒を解く理由にはなるまい? これは汝の教え子、玖我なつきの言による忠告だぞ」
「なつきちゃんが、ってのがまた考えさせられるんだよねぇ。あの子、あれで結構早とちりが多いからさ」

 同じHiMEとして、オーファンを相手にしていた頃のなつきの素行を思い出し……碧は僅かに苦笑した。
 この地でHiMEであることが判明し、クリスづてにゲームに賛同していることを知ったなつきは、彼女に対してどう振舞うだろうか。
 関係者として募らせるのは、心配。子供ぶった大人の気心が、教え子二人の行く末を按じていた。

「まあ、それはいざ再会してから考えればいっか。あと……そうだ、真ちゃんにこれを授けてしんぜよう」
「なんですかこれ? ……め、メリケンサック?」
「うむ。あたしの支給品なんだけどさ、今の今まで持ってたのはいいんだけど、一向に使う機会がなくて。
 真ちゃん空手やってるんでしょ? だったらそいつで大切な子を守ってあげな、っていう碧ちゃんのご好意でさぁ」

 碧の支給品は、美希のもとに残してきたノートパソコンだけではなかった。
 真に手渡したメリケンサックは碧のもう一つの支給品で、カテゴリとしては武器に分類される。
 だからこそ今までポケットに忍ばせておいたのだが、碧では活用の機会がなかなかなかったのだ。

「それから、桂ちゃん。葛ちゃんのこと、なんだけど……」
「あっ……はい。なつきちゃんから、大体聞きました。碧ちゃんは、葛ちゃんの最期を看取ってくれたんですよね?」
「うん……ごめんね、湿っぽくて。けど、これだけは伝えときたかったから。葛ちゃん、最期に桂ちゃんやなつきちゃんの名前を呼んでた」

 乙女と別れ、美希を放って、碧はその先で若杉葛の死に際に出会った。
 なつきの証言によれば、伊達スバルに殺されたというその少女。
 スバルは乙女の話によれば、こんな殺し合いに踊らされる人間ではなかった。
 だが、当の乙女ですらあのような顛末を迎えたのだ。なつきのために、と謳い修羅になった静留のケースもある。
 元々の交流関係、確固たる自己すらも崩し、この島の人間模様は複雑に交差しつつある。
 真の言う並行世界云々についても、天に紅く煌く媛星を思っても、答えは出てこない。

(媛星については……なつきちゃんも気づいてないのか考えがあるのかわからないけど、なにも話してないみたいだし。
 なら、あたしも当分黙っておこう。いたずらに混乱させちゃうのもあれだし、まずはやよいちゃんたちを捜さなきゃだ)

 こんがらがってきた頭に窮屈感を覚え、碧は気合を入れるべく自分の頬をピシャンとはたく。
 悩み事は専門分野ではない。正義の味方はもっとシンプルに、目の前の仲間を危難から遠ざけてやればそれでいい。

「やよいちゃんと葛木先生って人に関しては、理樹くんも気にかけてた。あとは行方知らずのままの唯ちゃんが心配だけど……」
「別れた位置を考えれば、この辺りにいても不思議じゃないですよね。そういえば、この辺りやけに人気がないように思えるけど」
「ふむ。確かに真の言うとおりだな。中心街と銘打たれ、駅も配置されている。島内でも人が集まりやすい位置にはあるが……」
「もう夜だし、休憩してる人が多いんじゃないかなぁ? 一日中こんなところにいれば、怪我だってしちゃうだろうし」
「ユメイちゃんたちともあんな別れ方しちゃったし、どこかで逃げ隠れてくれてると安心できるんだけどねぇ」

 女四人が揃って憂うのは、やはり各々の大切な人に関してだ。
 遊園地での襲撃に遭い、分散されてしまった大十字九郎、ユメイ、蘭堂りの、源千華留。
 温泉にて碧と対峙し、今もなつきへの愛を原動力に活動を続けているだろう藤乃静留
 些細なすれ違いから大きな距離を開けてしまい、真に後悔としての指針を与えた高槻やよい
 クリスとの離別によって、今はどこにいるともわからない来ヶ谷唯湖
 理由はわからないが、殺し合いに乗ってしまっただろう可能性の高い千羽烏月
 その他にも、まだ見ぬ参加者たちの人間模様が着々と浮き彫りになってきた。
 次に対面するのは、信頼の置ける仲間か、相容れることは不可能な外敵か。

「捜査の基本は足だよね、やっぱ! なんなら、みんなでこれ使って呼びかけてみるとか!?」
「それはやめておけ」
「それはやめたほうがいいと思います」
「ボクもやめたほうがいいと思う」
「ありゃりゃ」


 捜索の助力として碧が取り出した拡声器も、他三人に邪険にされ、渋々デイパックの中に仕舞い直す。
 安易な拡声器の使用についても、アルが出会いがしらに「このうつけが!」と咎めたとおり、色々とリスクがつきまとう手段だ。
 足での捜索が有効である以上、今はそれに専念したほうがいいだろう、と碧は妥協する。

「よーし、んじゃ張り切って…………って、どしたのアルちゃん。急に立ち止まっちゃったりして」

 と、息巻きながら先頭を歩く碧だったが、ふと後ろを振り返ってみれば、アルの足が止まっていることに気づいた。
 なにやら辛辣な表情で、明後日の方向を睨んでいる。碧、桂、真の三人も足を止めアルの視線の先を追うが、特になにかがあるわけではなかった。

「アルちゃん? なにか心配事でもあるの?」
「……いや、なんでもない。おそらく妾の気のせいだ。先を急ごう」

 桂の問いかけを受けて、アルは歩みを再開する。
 その顔に不穏な色を塗りたくって、ほんの些細な違和感を噛み潰す。

 ――アルにしか気づけなかったその街の違和感を、彼女以外の三人が気にかけるはずもなく。

 四人の少女たちは進路を西へ。渦中で起こっている惨事にも気づかぬまま、為すべき事項を消化してく。
 このとき、アルが覚えた違和感を他者にすぐ伝えていれば……結末は、幾らか変わったのだろうか。


 ◇ ◇ ◇


 ――その惨状は、まるで野原の兎狩りだった。

 趣向の捻じ曲がった金持ち貴族が猟銃片手にサバンナにでも繰り出せばお目にかかれるだろう光景が、夜の市街地にある。
 全精力を傾けた抹殺ではなく、一撃のチャンスを狙いに狙っての必殺でもなく、じわじわと甚振る快感を重点に置いた虐殺。
 与える者を獅子、与えられる者を兎と例えるなら、獅子は少女で兎もまた少女だ。
 女児同士の殺し合い。この街は、そんな異常な行為が当然のように罷り通る。

「はははっ! だめだよもっと逃げなきゃ。そんなよちよち歩きじゃ、すぐに追いついちゃうんだから!」

 周辺住民の被害など考えず、夜の街で弾けるように呵呵大笑するのは、西園寺世界
 衣服の調達のため街へ下りた彼女は、適当な量販店から目的のものをくすね、そして獲物を発見した。
 支倉曜子との待ち合わせ場所の下見、自身のスペックの測定、休息、以上を一旦棚に上げ、世界はその少女を『獲物』と断定したのだ。

「ぐっ、ひっ、うぅ……」

 泣きじゃくりながらも世界の前方数メートル先を歩くのは、寝巻き姿の蘭堂りのだ。
 優しい言葉を添えて手を差し伸べた世界に対し、『神宮司奏』という偽名を即座に看破してしまったのが彼女の運のつき。
 本人脆弱にして重傷の身でありながら、恐怖を訴え、抗うこともできず、ただのろのろと逃走する道しか選び取れない。
 世界はそんなりのの姿が癪に触り、思い知らせてやろう、と思い立った。

「寝巻きのまま飛び出してきちゃって、恥ずかしくないの? 私だったら耐えられないな。
 ねえ、なんだったら私がコーディネートしてあげようか? あなたよりはセンスあると思うけど」

 帯など逃げる途中で当に解け、りのは今、傷だらけの体に和装を羽織っているだけの形となっている。
 対して世界は温泉で得た浴衣など早々に破棄し、今はロングスリーブシャツにジーンズというさっぱりした出で立ちだ。
 年頃の女の子のセンスとしては納得のいかない点もあるが、仮にも妊婦である身の上を考えれば、欲望に任せて派手な衣服を纏う気にはなれなかった。
 こんなものでも、あの変な刺繍入りのパーカーよりはマシ、と母性で女性としての観点を捻じ伏せ、世界は行動する。
 この狩りとて、明らかな獲物を発見してしまったがための、胎児の栄養を思えばこその判断だ。

「――あっ!?」

 なにせ、りのは獲物と断定するのに一分もかからないほど、纏う気配が弱々しい。
 元々の怪我と疲労、運動神経の悪さ、怯えが先行して逃げるにも千鳥足、という駄目さ加減だ。
 世界は嗜虐心がそそられる傍ら、ほのかな同情すら覚えた。

「あー、転んじゃった。大丈夫? なんなら手を貸そうか?」
「う、うぅ……」

 なにもないところで躓き、せっかく開いていた世界との距離も縮まり、りのはしばし地面に這い蹲る。
 喰らってしまうのは簡単だ。だがそれだけではあまりにももったいない。
 りのは、世界にとってあらゆる意味で『獲物』なのだ。

 弱すぎるが故、攻めるにも心配ない。したい放題。
 小振りだが健康的な人肉は、思わず涎が出てくる。舌なめずり。
 柚原このみに与えられた屈辱や鬱憤を晴らすいい機会。うさ晴らし。

「ああ、本当にもう」

 鉄乙女という悪鬼が食欲で我を失ってしまったように――悪鬼化という現象には、人肉への欲望がつきまとう。
 世界は乙女とは違い、『この世、全ての悪』や『妖蛆の秘密』の干渉も受けたイレギュラーケースではあったが、鬼としての根幹は変わらない。
 食欲に追随するほどの他者への恨みが、一時的にだが欲求を押さえつけ、嗜虐心へと転化させている。
 だからこそ世界はりのをすぐには喰らわず、甚振ることによって、自身がこれまでとは違う強者であるということを実感していた。
 それがたまらなく快感であり、彼女の笑みに恍惚を運ぶ。

「ほら、手、貸してあげるから……えいっ」
「……っ、ぎ、ぎにゃああああああ!?」
「あ、ごめーん。間違って刺しちゃった」

 世界は、倒れたりの目掛けて右手を――握ったエクスカリバーごと――差し出した。
 結果、刃はりのの背中を突き刺し、傷を作り上げる。幼い悲鳴は耳に触れ、世界の背筋をゾクゾクと震え上がらせた。

「さっさと手を出さないからこうなるんだよ。それにしてもさすがだなぁ。この剣すごい切れ味。
 やっぱり包丁なんかとは違うよね。今度あいつに会ったら、これでざくざくって、してあげよ。
 ふふふ……ふふ……ふ、ふはは、あれ、なんだか、はは、おかしいや。はは、はははははははははは」

 込み上げてくる謎の笑みに、世界は疑問符を浮かべながらも従った。
 狂気的な顔つきで笑い声を零しつつ、私ってこんなにサディスティックだっけ、と隣の異形に問う。
 いまや世界の付人である桂言葉――の死体は、無機質な瞳を浮かべたままなにも返しはしなかった。

「……ぐ、あ、あぁ……」
「あ、起き上がれそう? 助けてあげようか? はい」

 めげずに再起を試みるりのを視界の端で捉え、世界は再びエクスカリバーの剣先を差し向ける。
 子供がスコップで砂山をざくざくやるように、無邪気に、何度も、りのの後背部を串刺しにする。

「にゃあああああああああああああ!?」
「ぷっ……くく……ごめんね~。私、ちょっと不器用なのかも」

 笑みを堪えながらの謝罪には、罪悪感など欠片もなかった。
 心底楽しそうに、嗜虐こそが鬱憤を晴らす上で最上の方法なのだと知る。
 柚原このみやファルシータ・フォーセット、名も知らぬこのみの連れたちにも、同じ仕打ちをしてやりたいと願う。

「かっ、は……あ……う、うぅ……」

 もう何度目かもわからない吐血の後、りのは立ち上がるべく、再び全身に力を込めた。
 世界は今度はすぐには手を出さず、しばらくの間、りのの奮闘ぶりを眺めることにした。
 なんだか生まれたての子馬に似てるかも、と感想を漏らしつつ、ふぁいと、とりのを鼓舞する。
 りのは世界を正面から見ようとはせず、ただ立ち上がり、敵のいない方向へと歩を進めていった。
 再びりのと世界の距離が開き始める。世界はまだ追わず、りのの背中を眺め続けていた。

「ねー桂さん、どこかに石落ちてない? ……あった? うん、ありがと」

 言葉と能天気なやり取りを交わし、世界は言葉が拾った路上の石を受け取る。
 それを手中で二度ほどお手玉すると、前方のりの目掛けて投げ放った。

「ぎゃう!?」

 後頭部に命中。りのはずっこけ、また転ぶ。
 石をぶつけた世界は腹を抱えて爆笑、目尻には涙さえ浮かんだ。

「あーおかしい。あんなにダメダメで、よく今まで生き延びてこれたよねぇ」

 目元を人差し指で拭うと、世界は再び進軍を開始した。
 後頭部を穿たれたりのは、倒れたまま起き上がれない。
 きっと頭蓋骨が陥没でもしてしまったのだろう。小石とはいえ、悪鬼のパワーで放ればそれくらいはあり得る。

「これも母は強し、ってやつかな? やっぱ私、すごく強くなってるよ。これならもう、二度とあんな目には遭わないんだから」

 不倶戴天の怨敵――柚原このみの姿を思い出し、世界は笑みから一転、表情に憤怒の色を灯す。
 既に四回、今度会ったら五回。奇妙な縁による巡り合わせは、きっとまだ続いている。
 次こそは、必ず殺す。
 りの以上に苦汁を与え、残虐に四肢をもぎ取り、これまでの所業に対する侘びを入れさせた後、喰らう。

「楽しみだなぁ……あ」

 いつか訪れると信じてやまない、至高の光景を夢想し、世界はりのを見やった。
 いつの間にか起き上がっているふらふらな足取りのまま、今にも倒れそうだったが、どうにか逃走を再開している。

「へー、頑張るね。だったら、私たちも一生懸命追ってあげなきゃ。いこ、桂さん!」

 一定の距離を保ちながら、追いかけっこ気分を味わいながら、世界はりのを追走する。
 後ろを振り返ろうともしないりのは、もはや逃げるという意志だけしか残されていないのだろう。
 あれだけの重傷の身でありながら歩を前に進める姿は、人間の懸命さ、生命の神秘を感じすらもする。

 りのが、路地の角を曲がり、世界の視界から逃れる。必死だ。
 世界もそれに応えようと、りのが曲がった路地角を折れる。遊び半分で。


「えっ――」

 そんな世界に制裁が下されたのは、当然の報いだったのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


 暴漢をも一撃で沈める菊地真の左回し蹴りが――曲がり角の向こうから飛び出してきた西園寺世界の喉下へと、叩き込まれる。
 真としては、攻撃の機会を十分に窺っての。世界としては、予想だにしない不意打ちとしての。
 獅子と兎の構図を粉砕する一撃が、世界を派手に蹴り飛ばした。

「……!」

 地面に蹲る蘭堂りのを、守るように屹立する真。
 路上を滑り、むせながらもゆっくりと起き上がる世界を睨み、敵意を飛ばした。

「これ真! 勝手に先行するでない!」
「き、危機一髪だね……」

 佇まいに怒気すら含む真の傍ら、黒いボディコンスーツに身を包んだ羽藤桂が、
 ただでさえ小さい体躯をより小さくし、ちびちび化したアル・アジフが、
 両者互いに戦友として肩を並べ、呆然とする世界に相対した。

「な、なに……なんなのよ、あなたたち……?」

 震えた声で、世界は目の前の三人を凝視する。
 精悍な顔つきを怒りで歪めた、ジャージ姿のボーイッシュな女の子。
 大きな子供向けとも思えるコスプレ少女と、マスコットのコンビ。
 三人の影に守られ、もう安易には手を伸ばせなくなってしまったりの。
 一変する状況に世界は混乱を覚え、震えた。

「ねぇ桂さん、これ、どういう状況なの? なんで、なんで私、蹴り飛ばされてるの?
 なんなの……あいつらなんなのよ。知らない、私は知らない、私にはわからない……っ!」

 無邪気な餓鬼は、一転して叱られた子供のように、動揺で身を竦ませる。
 絶対の立場からの転落は、自己を最優先する少女にとって、思考の崩壊にも近い痛手を与えた。
 喉下を抉る打撃の余韻が、なおのこと世界の危機感を刺激する。

「わからない……か。ならば教えてしんぜよう。とくとその身に刻むがいい――!」

 混乱の渦と化した現場へ、さらなる介入者の声が響き入る。
 凛として厳格、雄々しくも穏やかな女声は、真たちの後方から。

「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ」

 西洋風の矛、ハルバードをぶんぶんと振り回し、ウェイトレスのような赤いスカートを翻すその姿。

「化け物倒せと、あたしを呼ぶ!」

 衆目を浴びつつ、声の主は真ら四名と世界ら二名の間に割って入た。
 レストランの店員がフランス革命にでも躍り出た――ような格好の女性が、猛々しく名乗り向上を上げる。

「才色兼備にして獅子奮迅の実力を秘めたる美少女が、正義の味方を為さんといざ出陣!
 生業はオーファン退治だが、彼女らに正義ありと知れば、黙って見過ごすなどできようものか!
 なればこそ、正義の味方が悪に裁きを下す! さあさあ、臆さぬならば、かかってきませぇぇい!」

 ハルバート――否、彼女のエレメントたる『青天霹靂』を頭上で旋回させ、振り下ろし世界に構える。
 専用戦闘服――『リンデンバウム』の制服を身に纏い、使命に没頭する彼女はもはや、杉浦碧ではない。
 彼女こそ――数々の先人たちが目指した羨望の存在、『正義の味方』である。

「……み、碧ちゃん」
「ふふん、誰のことかなけ……可愛いお嬢さん。あたしは通りすがりの正義の味方だよ?」
「碧よ、一応訊いておくが、そのコスチュームはどこで入手したのだ?」
「ああ、これ。電車を降りてすぐ、アルちゃんたちと情報交換するために入ったファミレスあったじゃない?
 あれ、あたしの職場と内装まんまでさぁ。あ、職場っていっても副職ね。ウェイトレスやってたんだー。
 んで、正義の味方を実行するならいろいろと物入りだろうと思い拝借をば……ってぇ、だからあたしは正義の味方ぁー!」

 まるで緊張感の窺えぬ自称正義の味方こと杉浦碧に、真と桂は呆れ、ちびアルはげんなりした。
 HiMEとしての彼女の実力はまだ知らぬが、三人とも一応は碧を戦力として信用している。
 茶目っ気に見合った成果を発揮してくれれば文句はないが、不安になるなというのは無理があった。

「なによ……正義の味方? なにそれ……それじゃ、それじゃあまるで、私が悪者みたいじゃない……ッ!」

 一挙に現れた四人の外敵を前に、世界は焦燥感を募らせ、困惑した。
 狼狽した表情をそのままに一、二歩後退し、隣で立ち尽くす言葉に身を縋る。

「やはり戻ってみて正解だったな。不穏な魔力を感知してみれば、とんだ輩がいたものだ」
「アルちゃん、あの子何者なの? 鬼……じゃ、ないよね?」
「妾としてもなんとも言えん。異なる複数の術式を組み合わせ攪拌したような、異常としか言い表せんほどの禍々しさだ」
「魔術ってのはあたしもよくしんないけどさぁ……とりあえず人間やめちゃってる、ってことは確かなんだよね?」
「ああ。なにが原因であそこまで変質したのかは知らんが、あれはもはや異物だ。人間とは到底呼べまい」

 ――『悪鬼化』、『妖蛆の秘密』、『この世、全ての悪』。
 様々な事象と干渉を経て今日に至った世界は、魔術に理解の深いアルからしてみても、一言で称するには難しい存在へと変わり果てていた。
 存在に魔力の気配を纏い、その実態は掴めず、また形状はオーファンほどの異形でもなく、人間としての姿形を保っている。
 並行世界から齎された様々な術式が相乗した結果……いや、末路。それこそが、今の西園寺世界だった。

「まぁ……あの子がなんであれ、りのちゃんをこんな目に遭わせたってだけで戦う理由は十分よ。
 親交浅いけどさ、女の子がいじめられてるのを黙って見過ごせるほど、正義の味方こと碧ちゃんは優しくないんだよね」

 世界を明確な敵と定め、碧は青天霹靂を構え直す。

「桂よ、マギウス・スタイルでの初戦闘だ。妾はサポートに徹する。心してかかれよ」
「う、うん」

 世界を人間ならざる畏怖と定め、桂とちびアルが臨戦態勢に入る。

「ねぇ、ちょっと待ってよ」

 碧から託されたメリケンサックを手に嵌め、しかし真は、世界との対立を拒んだ。

「君、ひょっとして……西園寺世界さん、じゃない?」

 ◇ ◇ ◇


194:乙女はDO MY BESTでしょ?~じゅうななさいばーじょん~ 投下順 195:メモリーズオフ~T-wave~(中編)
192:love 時系列順
174:Little Busters! (後編) ユメイ
蘭堂りの
185:Good Samaritan 西園寺世界
194:乙女はDO MY BESTでしょ?~じゅうななさいばーじょん~ 杉浦碧
183:Mighty Heart、Broken Heart (後編) アル・アジフ
羽藤桂
菊地真


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