相州戦神館學園万仙陣に登場した名も無き女性の台詞。
この女性は甘粕事件の夢を見たことで、これまで考えていなかった角度でものを見るようになった。
躾ける。育てる。しめる。総じて教育する。といった表現を恋人や配偶者に対して用いる人種を、
彼女は男女問わず軽蔑していたのだが、その理由を正しく認識することができるようになった。
その理由とは、
そういう輩はほぼ例外なく、相手の反撃をまったく考慮していないまま悦に入っているからである。
つまり、殴り返される覚悟もなしに殴っているのだ。
情や社会通念や法律の手前、相手が我慢し譲ってくれただけのことでしかないのに。
では彼女は、相手が反撃という選択肢を取る可能性を考えていたか?というと、
これまでは、きっと考えていなかった。それがみっともなく、恥ずかしい。と彼女は思う。
勿論、彼女は一般市民であるため、
この現代社会において、野蛮な行為に走ることがどれだけリスキーかは知っている。
これはあくまで理屈の話、実際に行動へ移すわけではなく気構えの話である。
そういう場において、互いにしっかりと覚悟を持っているか否か。
相手が行使できる権利をすべて把握した上で、そのリスクを承知しつつものを言う。
それでこそ対等だし、筋を通すということじゃないのか。
連夜、甘粕正彦の夢に触れ、彼女はそう思うようになっていた。
リスクを呑み込んで、屈さず向き合うからこそ勇気は輝く。
それこそ楽園であり、第一の盧生が天下を取れば、世界は色鮮やかで美しくなる。
彼女には覚悟がある。勇気がある。そこに広がるのは、誰もが人の輝きを尊ぶ世界なのだ。
登場人物の多くが否定する
甘粕正彦の
楽園(ぱらいぞ)だが、彼にもちゃんと賛同者はいるのである。