加藤豪将

1994.10.8生まれ アメリカ・カリフォルニア州出身
読み方は「かとう ごうすけ」
2022年ドラフト3巡目で指名

3歳で神奈川県に引っ越すも両親の仕事の都合で5歳に再びサンディエゴへ移り住む。
6歳からリトルリーグで野球を始める(後述)。
ランドバーナード高校進学後は通算.411/25本塁打/114打点を記録し全米セカンドチームゴールデングラブ賞を受賞した。

卒業後はカリフォルニア大の推薦入学が内定していたにも関わらず、メジャーリーグのドラフト会議で
ニューヨーク・ヤンキースから全体66番目となる2巡目で指名、13年6月19日にマイナー契約を結んだ。
その後ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースに合流し、同年6月21日のパイレーツ戦でホームランを放った。
50試合出場で.310/6本塁打25打点をあげ、この年のガルフコーストリーグベストナインとベースボールアメリカ誌選出の
来季チーム有望株10位にも選出された。12月にはTopps Short-Season/Rookie All-Starにも選出されている。

その後は
14年:チャールストン・リバードッグス(A級)
15年:5月より延長キャンプ→6月プラスキ・ヤンキース(ルーキー・アドバンスド級)
16年:5月よりチャールストン・リバードッグス(A級)
17年:4月より延長キャンプ→5月よりダンパ・ヤンキース(A+級)
18年:招待選手としてメジャーのスプリングキャンプ参加→5月トレントン(AA級)
19年:招待選手としてスプリングキャンプ参加→スクラントン(AAA級)とトレントン(AA級)を行ったり来たり。
マイナー契約6年に達して11月7日にマイナーリーグFAとなる。12月にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結ぶ。
20年:スプリングキャンプに招待選手として参加も、新型コロナウィルスの影響でリーグ戦の中止やチーム内の
   感染の影響等もあり、一時はサマーキャンプメンバーにも追加招集されるもメジャー昇格ならずで再びFAとなり、
   11月にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結ぶ。
21年:エルパソ(AAA級)でプレーもオフにマイナーFA、12月にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結ぶ。(AA級ニューハンプシャー)
22年:招待選手としてキャンプに参加し、同年4月7日に初の開幕ロースター入りを果たす。(後述)同年4月9日に代走としてメジャー初出場も、
   同年4月にトレードで獲得した選手を28人枠に登録する為、同年4月10日にバッファロー(AAA級)へ降格も14日に再びメジャー昇格、
   同年4月21日の対レッドソックスにて8番セカンドとしてメジャー初スタメンとして出場、同年4月27日に初安打を放つも、
   5月1日に再びバッファローへ降格しDFAとなった。ウェーバーを経てニューヨーク・メッツに移籍、シラキュース(AAA級)へ所属した。
   一度はメジャーに昇格も再び降格し再びDFA、同年6月20日に再びメッツに残留もその後自由契約となった。
同年11月4日に入団会見が開かれた(後述)。新人合同自主トレも免除となり春季キャンプに臨みさあ、これからという時に23年3月に右腹斜筋の肉離れが発覚し開幕は2軍スタート。
同年5月9日に2軍戦で復帰し、同年5月25日にようやく1軍に昇格し即、その日の対ソフトバンクにて本拠地エスコンFの試合に6番セカンドでスタメン出場。第1打席でNPB初ヒットを放ち、その後初打点も記録、翌日の26日に対楽天にてNPB初タイムリーを放った。
同年5月31日の対ヤクルトにおいて、本拠地初ムランがNPB初ムランとなりその後の打席でもホームランを放ち、日本球界初のお立ち台にも立った(後述)。同年6月2,3日の対巨人での2試合連続本塁打含め、6月4日でも安打を放ち、1軍デビューから連続8試合安打を達成、新記録を達成した(なおこれまでの記録は7試合連続のチームメイト清宮である)。同年6月8日の対広島にて記録は10で止まった。

エピソード

  • アメリカ生まれながらも両親は日本人である。
  • 日本語については少々苦手との模様。
  • ミドルネームは「ジョン」らしい
  • 実は小さい頃からハムファンだったとの事。理由はサンディエゴの家でたまたま札幌のテレビ番組だけが映ったから。SHINJOのプレーを見て胸をときめかせていた模様。
  • はじめは英会話ができなかったものの、野球を始めて英語やスペイン語を習得した。
  • 7歳の時にメジャーリーグのマリナーズ戦を観戦、イチローを見て感動。打席をまねて右打ちだったものを左打ちも取り入れて一時は両打ちであった(その後は左打ちになった)。
  • 日本国籍を有する選手がMLBドラフト指名経由の入団でメジャー昇格したのは初の事である。
  • 入団会見時に長文レターを発表した。またその際にJRの切符を購入したことがない事を明らかにした。
  • 入団会見後に背番号が3番に決まりいきなり鎌ヶ谷の練習に参加していた。また侍ジャパン強化試合の練習試合の練習にも参加、また終了後の秋季キャンプにも参加、選手に英語を教えて自身は日本語を学んでいる模様。
  • その秋季キャンプでは新人ながら手締めの大役を務めた。
  • また経歴から新人合同自主トレの参加は免除となる模様。
  • 現役時代の新庄監督同様にマイナー時代からグラブを補修して使っているとの事。
  • 日本球界初のお立ち台に立った時HBC山内アナに初のお立ち台の感想を求められ、緊張していて英語で感想を述べた後に、内容を日本語で言うと何かと質問され「通訳いないからわかりません」と返していた。
  • 23年のクリスマスには球団職員およそ200名にミスタードーナツのプリペイドカードをプレゼントと太っ腹。
  • その同じ年に12/31の大晦日に一般女性との入籍を発表。

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最終更新:2023年12月31日 23:37