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  • 藤次郎の恋

harukaze_lab @ ウィキ

藤次郎の恋

最終更新:2019年11月22日 04:27

harukaze_lab

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管理者のみ編集可
藤次郎の恋
山本周五郎

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)毎《いつ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)娘|小浪《こなみ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符二つ、1-8-75]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぜん/\
-------------------------------------------------------

[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]

 藤次郎が道場をあが[#「あが」に傍点]ったのは一番あとであった。毎《いつ》もなら稽古は日没まであるのだが、毎年一度の総試合が明日に迫ったので、今日は特に早く仕舞ったのである。
 井戸端にも、もう誰もいなかった、水を汲んで汗まみれの体を拭こうと、藤次郎が稽古着を押脱いだ時、――足早に人の近づく気配がして、
「成瀬《なるせ》さま、――」
 と呼ぶ者がある、振返って見ると師の一人娘|小浪《こなみ》であった。驚いて藤次郎が、
「あ是は……」
 と急いで肌を入れようとするのを、構わず、娘はさっと頬を染めながら、
「あのう、真に不躾なお願いなのですけど、あとで月心寺の墓地までおいで下さいませんでしょうか、折入って、――是非ともお話し申上げたい事がございますの」
「は、――月心寺の……」
「きっとお待ち申して居りますから」
 口早にそれだけ云うと、相手に答える暇も与えず、走るようにして小浪は母屋の方へ去って行った。
 余りに思いがけない事だった。
 ――どうしたのだ。
 藤次郎は暫く、殆ど茫然として娘の去った方を見戍っていた。――こんな事は曽てあった例がない、小浪は評判の美しい娘で、「河本道場の虞美人《ひなげし》」と云えばとの小田原城下で知らぬ者がないくらいである、然し河本勘右衛門《かわもとかんえもん》は非常に躾が厳しく、門人たちの前へ娘を出すような事は決してしなかった。
 勘右衛門は福井嘉平《ふくいよしひら》の直門で神道無念流に達し、江戸に道場を構えていた頃は府内十剣の一に数えられていたが、藩侯大久保|忠真《たださね》が小田原に迎えて五百俵を給し、家中の士《さむらい》二百石以上の者の師範役に任じたのである。現在その門人は六十余名に及んでいるが、成瀬藤次郎、田守《たもり》伝蔵、布目《ぬのめ》左平太、島崎数馬、津川作之進の五名は揃った腕利きで、
 ――河本の五人組。
 と呼ばれていたし、師の信望も極めて篤かったが、それでも誰一人として今日まで、直《じか》に小浪と言葉を交した者はなかった。――然し無論、若い彼等が小浪の美しい姿に心を惹かれなかった訳ではない、現に人一倍気の弱い藤次郎でさえ、いつからか秘かな思慕の情に悩んでいたのである。……こうした状態のところへ、不意に小浪の方から話しかけ、
 ――是非お話し申したい事があるから、月心寺の墓地まで来て貰いたい。
 と云う、密会にも等しい誘いを受けたのだから、藤次郎が驚いたのも無理はないだろう。彼には全く小浪の気持が分らなかった、――そしてそう云う時に、自分勝手な考え方をして悦ぶほど、楽天的な気質でも無かったのだ。
「――成瀬様、成瀬様」
 呼ばれてはっ[#「はっ」に傍点]と気付くと、内弟子の小三郎という少年が顔を出していた。
「先生がお呼びです」
「そうか、――直ぐに参る」
「囲爐裏《いろり》の方にいらっしゃいますよ、皆様は先へ行きました」
「皆って誰と誰だ」
「津川様に田守、布目様、それに泥亀……」
「なんだ泥亀とは」
 小三郎は首を竦めた、
「泥亀とは誰の事だ」
「……私が云ったんじゃ有りませんよ、私は皆から聞いたんです、だって此頃は酔っぱらって乱暴ばかりするもんだから、城下の者は誰でも泥亀々々って嫌がっているんです」
 島崎数馬の事だな、――藤次郎はそう気付いた。数馬は幼い頃からの親友で、藤次郎のおっとりした性質とは反対に鋭い才気を持ち、挙措動作も際立っていたし、五人組の中では群を抜いた美男であった。それが一年ほどまえから酒の味を覚えたらしく、稽古の時にも酒の匂いをさせているような事が多くなり、藤次郎の耳にまで悪い噂が伝わって来るようになっていた。
「そんな蔭口をきいてはいかん」
 藤次郎は苦々しく思いながら云った。
「他処《よそ》の者が云ってさえ聞苦しい事を、後輩のおまえが云う法はないではないか、――先生のお耳にでも入ったらどうする」
「御免なさい、もう云いません」
「悪気があって云った訳ではないだろうが、軽々しい事は慎まなくてはいけない」
 悄気《しょげ》て了った少年の肩を叩いてやってから、藤次郎は着換えの部屋へ入って行った。

[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]

 離室《はなれ》造りになっている囲爐裏の間には、もう四人の者が来て待っていた。――勘右衛門は机に向って、いつものように、写経をしていたが、藤次郎が入って来て、
「遅くなりまして」
 と会釈して座に就くと、筆を措いて静かに向直った。何方かと云うと痩せた体つきで、声も柔かく動作も物憂げな方だったが、人を見る眼光には独特の底深い威力があって、大抵の者はひと睨みされると身が竦むと云っていた。
「いずれも、疲れているところを御苦労」
 勘右衛門は低い声で云った。
「話というのは明日の総試合に就てだが、そのまえに一応皆に訊いて置きたい事がある、それは娘小浪のことだ」
「――――」
「年頃ではあるし、もう縁附けても宜いと思っているが、若し各々に異存が無ければ、明日の総試合で、勝抜いた者に……小浪を娶って貰いたいと思う」
 意外な言葉だった。殊に藤次郎にはたったいま小浪から思いがけぬ誘いを受けたその意味が、初めて分るように思えたので、熱い血が一時に顔へのぼるのを抑えきれなかった。
「こんな仕方は不謹慎と云われるかも知れない、然し他に些か仔細もあるので、儂としてはそれが一番公平だと思うのだ、――尤も各々の方で小浪を娶る事が厭なれば、それはまた自然と話は別になる。訊きたいと云ったのは此点だが、どうであろうか……腹蔵なく意見を聞きたいが」
「結構でございますな」
 いきなり端の方から島崎数馬が、まるで挑みかかるように云った。
「先生と我々とは、兵法を以て師弟の縁につながるものでござる、されば一番兵法に抽《ぬき》んでた者がお嬢様を頂くのは当然、決して不謹慎などという事はないと思います、他の者は不知《しらず》との数馬は喜んでお受け致します」
「私も異存ございません」
「拙者もお受け仕ります」
 みんな数馬について答えた。――勘右衛門はさっきから俯向いて黙っている藤次郎に眼をやった。
「――成瀬、其許《そこもと》はどうだ」
「は、……私も、む、無論、――」
 藤次郎は慌てて低頭した。
 道場を出た五人は、みんなそれぞれに亢奮《こうふん》していた。日頃厳格な師匠が、勝負に愛嬢を賭けるなどという、突飛な事を考えだしたのが不審である。
「どう考えても妙だぜ」
「尤も先生自身も、是には少し仔細があると云って居られたが」
「その仔細というのが分らん」
「そんな事は何方《どっち》でも宜いじゃないか」
 数馬が乱暴に皆を遮《さえぎ》って云った。
「河本の虞美人《ひなげし》が貰えるんだ、といつに不服のある奴は無いだろう、あの虞美人なら総試合に勝抜くだけの値打はあるぜ」
「それあ勝てば宜いがね」
「そうだ」
 田守伝蔵が云った、「全く勝てば宜いが、勝負は時の運だからなあ。いまをは誰の物でもない人だから多少でも希望を持つ事が出来たけれど、負けて他人に取られたらそれでお了いだからな」
「おいおい皆」
 数馬は再び押しつけるように、
「それでも貴公たち勝つ積りでいるのか」
「誰が負ける積りでいるものか」
「大笑いだ、失敬だがこの勝負は己のものだぞ。第一貴公たちが勝ったってお嬢さんは決して喜びやあしない、提灯に釣鐘というが、虞美人に鍾馗じゃあ始めから節句違いだ」
 縹緻《きりょう》の佳い者が縹緻自慢をするのは聞苦しいものである、然もこう真正面からずけずけ云われては、それが本当なだけに皆の不快は一層だった。
「――拙者は此処で失礼する」
「拙者もそっちから行こう」
 田守と津川が白けた顔で云った、――それを機会に、さっきから月心寺の方へ廻る折を待っていた藤次郎も、
「では拙者も立寄る所があるから」
 と云って別れを告げた。
「なんだおい、皆怒ったのか、――ちえっ、尻の穴の小さい奴等だな」
 数馬の声を背に聞流して五人は三方へ別れた。
 藤次郎は武家屋敷を出端《ではず》れた処から左へ折れて、堀添いに烏の森の方へ急いだ、――足が地に着かぬような気持だった。小浪は知っていたに違いない、明日勝抜いた者に妻《めあわ》すという事を……既にあの時は勘右衛門から聞いて知っていたのだ、そして藤次郎に二人だけで人眼を避けて会いたいと云ったのだ。
 ――是非お勝ちになって……。
 そう云う小浪の顔が見えるように思えた、そして若い胸は暴々しい血の騒ぎでいっぱいになり、恥しいほど顔が熱くなるのを感じた。

[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]

「――此方でございます」
 月心寺の山門を入って、鐘楼の横手から墓地の方へ曲って行くと、左手の竹林の小蔭からそう呼びながら小浪が出て来た。
「ようお越し下さいました」
「あ……お待たせしまして、――」
「不躾なお願いで、お出で下さらないのではないかと心配していましたの、本当にようこそ」
「否え、そんな事は有りません」
 近々と見る小浪の美しさに、藤次郎は眼をあげ得ないほど眩しさを感じながら、次に来る言葉を恐ろしくさえ思い始めた。
「あのう、父に気付かれぬ内に帰らねばなりませぬゆえ、お願いだけ申上げますが」
「――は」
「明日の総試合の事、父からお聞きになりましたでしょう?」
「伺いました」
「それで、――本当に、あのう」
 娘の小さい胸は眼に見えるほど波打っていた。
「こんな事を申上げて、本当にお蔑みなさいましょうけれど、実は、……明日の試合に、あのう――」
 云いかけて再び口籠ったが、藤次郎の促すような眼を見ると思い切ったという風で、
「申上げにくいのですけれど、島崎さまに勝ちを譲ってあげて頂きたいんですの」
「――島崎に!」
 全身の血が一時に抜けるような衝撃であった。藤次郎の顔がさっと蒼白《あおざ》めるのには気付かず、小浪は縋《すが》るような調子で、
「お打明け致しますけれど、わたくし疾《とう》から島崎さまをお慕い申して居りました。――こんな事を云っては、さぞ淫らな奴とお思いになりましょうけれど、数馬さまもわたくしを想っていて下さいますの。でもあの方は、父が貴方を贔負にしているのを知って、とても自分の望みは適わぬとお考えになり……それ以来あのように気持も荒《すさ》んで、ひどくお酒を召上ったり乱暴をなすったり、此頃はすっかり人違いのしたような有様、――泥亀などと云われる迄に自棄になっていらっしゃいますわ」
 心臓の真只中を、無情な一矢で射抜かれた藤次郎には、それからの一語一語がまるで命を削る刃のように思われた。――小浪は乙女の恋のひと筋に、相手の顔色を読むゆとりもなく続けた。
「それを思うとわたくしとても居堪《いたたま》れませんの、このままでは数馬さまは駄目になって了いますわ、そしてわたくしにはよくそれが分りますの、あの方をお救いする道はたった一つしかございません、――成瀬さま」
「――――」
「貴方はお立派な方ですわ、貴方には小浪の気持が分って頂けると思いますわ。どうぞ、どうぞ数馬さまに勝ちを譲って……」
「然し、――島崎は自分で勝つと云いました、……またそうで無いにしたところで誰が勝つか」
「否え、否え!」
 小浪は烈しく遮った。
「父がそう申して居りましたわ、五人の中では貴方と数馬さまが群を抜いて居るけれど、お二人の勝負になれば、数馬さまはとても貴方の敵ではあるまい――って。ねえ成瀬さま、あの方は貴方にとっても幼馴染の筈です、どうぞ小浪のお願いを肯いて下さいまし」
「貴女のお気持は、よく分ります」
 藤次郎は嗄《か》れた声で、呟くように云った。
「然し、それは到底出来ない事です」
「どうしてですの、何故――?」
「他の事と違い、武士が名誉を賭して行う勝負に、どんな理由があろうとも嘘偽《うそいつわり》は出来ません、とても赦されぬ事です」
「ですから小浪は恥を忍んでお願いを」
「いや! 何と仰せられても是許りはお引受け出来ません。また――島崎が幾ら身を持崩していても、拵《こしら》え勝負で勝って潔《いさぎよ》しとはしないでしょう、折角ですがお断り申すより致し方がありません」
 小浪の顔が遽《にわか》に蒼白めた。――若いながら分別の深い人、思遣りのある人、我儘を云っても兄のように許して呉れる人……そう思っていた相手だった。こんな風に手厳しく拒絶されようとは夢にも思っていなかったのだ。
「失礼ですが、かようなところを人に見られてはあらぬ噂の素《もと》、――お話がそれだけでしたら帰らせて頂きたいが」
「……どうぞ」
 力の抜けた声だった。
「では御免下さい」
 逃げるように藤次郎は踵を返した。
 藤次郎は自分を嗤《わら》った、どんなに嗤っても足りない気持だった。――月心寺まで来て呉れと云われたのを、直ぐに自分への好意と思い込んだ人の好さ、会えば必ず、「明日は是非お勝ちになって……」と云うだろうと信じた、あの軽卒な悦び。それがなんと無慚に打砕かれたことだろう。
 ――虞美人と鍾馗では始めから節句違いだ。
 そう云って嘲笑《あざわら》った数馬の声が、耳の底にまざまざと、針のように鋭く甦えって来た。

[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]

 生れつき気弱で、日常何事も控えめに、自分を抑えて先ず他人を薦めるという性質の藤次郎にとっては、それだけ余計にその打撃は大きく、且つ辛辣であった。
 あの場合小浪からの誘いを、自分への好意と取ったのは果して藤次郎の罪だろうか。否、恐らく誰でもそう解釈したに違いあるまい。彼は慾目でなく、師の勘右衛門が常々自分に注目していて呉れるのを知っていた、それだからこそ彼は人一倍剣の道に精進したし、今では五人組の誰にも負けぬ自信を持つまでに到っているのだ、同時にその自信の裏には、
 ――小浪もいつかは自分の家に迎えられるのではあるまいか。
 という私《ひそ》かな希望を懐いていたのである。是は独り好がりの考え方かも知れない、然しかような条件の中に在ってそれくらいの希望を懐く事は常識ではあるまいか、――人間は弱点の多いものなのだ。
 藤次郎が引裂かれた心の痛みと、自分の愚さを憎み罵る思いとで、夜ひと夜を悩み明かしていた時、――小浪の方でも殆ど眠れずに朝を迎えていた。
 ――あんな事を頼まなければ良かった。若しかして成瀬さまがわたしを想ってでもいたとしたら、恋敵としてどんな事をなさるかも知れはしない。普通なら負ける勝負も、恨みを籠めて必死に掛かれば勝つ道理だわ。
 そう思うと自分の軽挙な仕方が重ね重ね悔まれた。兎に角、成瀬藤次郎を見る自分の眼が誤っていたのだ。あの人も世間普通の男に過ぎなかったのだ――そして恐らく明日は、遺恨を籠めて凄じく闘うだろう。
 ――でも、でも、数馬さまはお勝ちになるわ、きっと、きっとお勝ちになるわ、小浪の真心だけでも勝たせて差上げるわ。
 空が白んで来てから仮睡《まどろ》んだので、小浪が毎《いつ》もと違う物音にはっ[#「はっ」に傍点]と眼覚めた時には、既に道場の方では烈しい竹刀の音がしていた。――着換え身仕舞いもそこそこに、通い口へ出てみるともう総試合は始まっていて、十間に二十間の道場は、踏鳴らす足音、撃ち合う竹刀、叫び交わす気合の響きで殺気立っていた。
 小浪の眼が先ず捜したのは数馬だった、彼は西溜りに寄った方にいて、此頃得手にして使う上段からの烈しい撃ちに、小気味の良い冴えを見せながら勝抜いていた、――然し、女ではあるが幼い頃から試合振りを見馴れている小浪には、その颯爽たる数馬の竹刀の冴えが、自然に生れ出るものでない事に気附いた。
「――酔っていらっしゃる!」
 小浪は愕然として呟いた。
 藤次郎は殆ど中央にいた。彼の試合振りもまた数馬に劣らぬ水際立ったものだった、いや、彼のそんな凄じい太刀捌きは曽て誰も見た事はあるまい、勝負は一刀、それが判で押したように面である、然も相手の竹刀はてんで触らせもしないのだ。――数馬は力を出しきっている、その気合の冴えには酔いをかりた無理がある、それに引替えて藤次郎は充分に余裕を持ち、些かも気力に緩《ゆる》みが来ない。
「ああ! 駄目だろうか」
 小浪は胸苦しく呟いたが、見るに耐えなくなって居間へ引返した。
 試合は一刻毎に休憩を入れて昼食になり、食後半刻の間を置いて続けられた。小浪は気もそぞろになって、居間にも落着けず、と云って次第に疲れの見える数馬の様子を見ているのも苦しく、
 ――どうぞ勝って、どうぞ。
 とそれ許りを念じながら、通い口と居間とのあいだを生きた空もなく往ったり来たりしていた。
 午後三時《やつはん》近くになると数馬の疲労は頂点に達して見えた。呼吸も紊れて来たし、得意の上段攻めも威力を喪い、籠手を狙ったり無謀な体当りに出たり、必死の勇で辛うじて勝ちを取っているようだ。――もう駄目だ、小浪はそう思った、そしてきゅっと唇を噛み緊めながら何事か頷いた。
 休憩に入った時、小浪はそっと水口の方へ出て行った。さっきから数馬が頻りに水を呑みに出るらしいのを見ていたのである、――果して彼は井戸端にいた。
「――数馬さま」
 小浪は走り寄りざま云った。
「お怒り下さいますな、小浪は貴方さまがおいとしい許りに、昨日恥を忍んで成瀬さまに、勝ちを譲って下さいと未練なお願いを致しました。成瀬さまは……けれど、成瀬さまも小浪を欲しがっていらっしゃるのです、彼の方は意地でも勝つ積りです、貴方さまを恋敵と恨んで」
「――むう」
 数馬は呻き声をあげた。
「勝って、勝って下さいまし。貴方の妻になる他に生き甲斐のない小浪ですわ、その小浪は貴方のために、昨日生れて初めて恥を忍びました、どうぞ小浪のために」
 酔いのために血走った数馬の眼が、一瞬幽鬼のように凄じく光った。
「貴女は愚な事をなすった」
 数馬は喰いしばった歯のあいだから、
「然し、――宜しい、数馬は勝ちます」
 そう云ってぷいっと立去った。……その態度は剃刀のように冷たく鋭いものだった。

[#8字下げ]五[#「五」は中見出し]

 肉体の力というものには限度がある。人に依って多少の差はあろうが、力を出し切ったという状態は永続するものではない。然し精神の力がこれに加わると、体力は屡々驚くべき飛躍をしてその限度を遙に超越するものだ。
 疲労の頂点に来たと思われた数馬が、再び試合の始まると共に奇蹟の如く甦えった、上段攻めには戻れない迄も、突の手に凄じい許りの殺気が現われ、充分に入れられた者の中には道具を徹して喉を破られた者さえ出た。――小浪は初めて眉をひらいた。
 ――宜しい、数馬は勝ちます!
 挑むように云った男の声音が、その冷酷な鋭さを含んだ声音が、今は乙女の胸を淫らにまで妖しく唆《そそ》るのだった。
 勘右衛門の予言通り、勝抜いて残ったのは矢張り藤次郎と数馬であった。二人とも遉《さすが》に疲れていたし、時間も充分にあったので、一刻の休憩が与えられたうえ、いよいよ小浪を賭けての決勝試合が開始された。
 二間ほどの間を置いて藤次郎は青眼、是に対して数馬は上段、のしかかるような体勢である。他の門人たちはじめ勘右衛門までが息を引いて見戍《みまも》っている、小浪は通い口に膝をつき、うわずった眸子《ひとみ》を凝らしながら、まるで喪心したように口の内で神を念じ続けた。
 卒如、裂帛の気合と共に、数馬が颯《さっ》と空打を入れた、然し藤次郎は応えず、また身動きもしない、数馬は咄嗟に元へ跳び退って、今度は相青眼、やや籠手を右へ外して構えた。――と見る、藤次郎が、無言のまま不意にぐっと一歩出た。引絞った弓弦のように緊張していたものがその刹那に断ち切られた。
「――やあ!」
「とうーッ」
 ふたつの掛声と、二人の体とが、相撃つ電光のように躍動した、そして殆どその瞬間の間を、だだ! と床板が鳴り、
「参った」と叫びながら藤次郎が跳び退いた、彼の竹刀は四五間先へ飛んでからからと鳴った。然し次の刹那に、数馬は踏込みさまもう一刀、避ける隙も与えず相手の肩へ打を入れた、無法である、藤次郎は右へ開きながら再び、
「参った、参った」
 と叫ぶ。数馬はうわずった声で、
「た、慥《たしか》に参ったな! 拵え勝負だとは云わさんぞ※[#感嘆符二つ、1-8-75]
 と喚いた。――藤次郎の顔色が面格子の奥で颯と蒼くなった、異様な気配に見ていた人々も思わずはっ[#「はっ」に傍点]としたが、……藤次郎は直ぐ数馬から外向きながら、
「慥に、――参った……」
 と云うとそのまま静かに隅へ退いた。
 総試合は終った。毎年の例で試合の後には祝宴が開かれる、今年も無論その例の通り、風呂を浴びて着換えを済ますと、新参の者たちが支度の番に廻って、道場いっぱいに酒肴の用意が始められた。
 藤次郎が風呂から出て支度を直していると、内門弟の小三郎少年が来て、
「先生がお呼びです」
 と伝えた。
「そうか、直ぐに参るから――」
「御居間にいらっしゃいます」
「うん」
 藤次郎の眼に暗いものがさした。到底師の前へ出られる気持ではなかったのである、――頭から呶鳴られると思っていたのに、然し勘右衛門の眸子は意外にも温かく頬笑んでいた。
「――御苦労だった、ずっと寄れ」
「は、真に未熟千万な有様を、……」
「いやその話は止そう」
 勘右衛門は遮って云った。
「その話は止そう、そして今日の事は其許《そこもと》も忘れて呉れ。――詫びなければならぬのは、却ってこの勘右衛門かも知れぬ」
「勿体ない、左様な事が」
「いや知っている、知っていながら知らぬ顔でいなければならぬ儂の気持も。苦しい。――親は馬鹿な者だと云う、親馬鹿の味を、儂はこの年齢になって始めて知った」
「――――」
「小浪は儂にとって一粒種、恥を云えば眼に入れても痛くない気がする。然し親と子の心は互いに食い違っていた、親の求めるもの[#「もの」に傍点]は子のもの[#「もの」に傍点]では無かった、……そして、是許りは人の力で押抂げる事は出来なそうだ」
「――先生」
「小浪の喜びに耀く眼を見たよ、そのとき勘右衛門の舌は痺れて了った。成瀬……よくやって呉れた」
「もう、もう! 先生――」
 一瞬の静寂を縫って、道場の方から門人たちの賑かな笑い声が聞えて来た。

[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]

「駄目だ、彼奴はもう駄目だ」
「どうしてあんなに成ったろう、小田原随一の美人を妻にし、河本道場の師範代にまで成りながら、何が不平でああ暴れるのだ」
「呑み始めると三日も四日も家へ寄り着かんそうではないか」
「五日ほどまえには西浜の漁師手合と大喧嘩をやって、なんでも二三人怪我をさせたらしい、先生が横目へ頼んで大分療治代を払ったので表沙汰にならずに済んだと云う事だ」
「あれでは虞美人《ひなげし》がお気の毒だぞ」
 聞くまいとする耳ほど噂の集るは無い。――小浪を娶ってから半年と経たぬうちに、暫く落着いていた数馬の行状が再び崩れ始めて、夜も昼もなく酒を呷《あお》り、師範代となって道場へ出ると、酔った勢の狂暴な稽古振りで、若い門人たちの恐怖の的になる許り、然も此頃では、諸方へ不義理まで拵えているという評判さえ有るのだ。……藤次郎はあれから間もなく、御納戸方出仕を命ぜられたのを機に、道場からその席を退いていた。それは勘右衛門からも勧めた事で、数馬と顔を合せる時の辛さを察しての計いだった、然し道場へは出なくとも噂は聞えて来る。
「おい成瀬、――」
 噂をしていた連中が呼びかけて、
「貴公どうして総試合のとき島崎を叩きのめしてやらなかったんだ、あんな奴に小田原一の美人を奪られるという法は無いじゃないか」
「そうだとも、お蔭であの女《ひと》は涙のかわく日はないと云うし、先生だって不面目至極だ」
「こうなると試合に負けた貴公にも一半の責任はあるぞ」
「己はいま思出しても腸《はらわた》が煮える、あの時成瀬が参ったと云うのに、構わず重ね打ちを喰わせたではないか。あの時の高慢な面にもう今日ある事は分っていたよ」
「成瀬は温和しいから黙っていたが、拙者なら唯は置かぬところだ」
「誰にしたってそうだろう」
 藤次郎は丁度退出の刻になっていたので、噂話には宜い程の合槌を打って置いて其処を起った。
「――貴公にも一半の責任がある」
 恐らく不用意に云ったのであろうが、この一言は藤次郎の心を鋭く突刺した。
 ――そうかも知れぬ。
 黄昏の迫る道を下城しながら、藤次郎は息苦しいような後悔を感じた。――己は間違っていたかも知れない、なまじあんな弱気を出した己が悪かったのかも知れない、勝つべきは勝ったうえで、縁組だけを辞退していたら、そうしたら……。
 だがそうしたとてどうなろう。あの時若し負けたら自尊心の強い数馬は剣道を抛《なげう》っていたろうし、小浪への恋も(例え死ぬほどの熱情ではあっても)恐らく殺して了ったに違いない、あのとき小浪は、
「数馬さまを救うたった一つの道」
 だと云った、自分と結婚さえすれば、必ず数馬は甦生するからと云った。あの小浪のひたむきな愛情をどうして見殺しにする事が出来よう、……小浪の幸福になるなら、それで幼友達が救われるなら、――そう思ったからこそ敢て武道を汚したのではないか。
 ――然し責任の一半が己にあるという事は免れない、不徹底な愛情などでは、どうしようもない大きな掟が人生にはあるのだ。己は中途半端な愛情のために、却ってあの女に見せずともよい悲しみを見せて了った。
 結婚の出来なかった悲しみには未だ救がある。男の醜い奥底を知り、自分が取返しのつかぬ失策をしたのだと気付く事に比べれば、その方がどんなに美しいか知れないだろう。自分は小浪に悲しみを与えると共に、乙女の胸に描いていた絵のような偶像をも打壊して見せたのだ。己があの女に捧げた愛情は、結果に於てこんな無慈悲な事にしか役立たなかったのだ。
「――己は馬鹿だった」
 藤次郎は呻くように呟いた。
 是が若し他の人間なら、此処まで己を責める事は無かったろう。また藤次郎にしたところで、若し彼が小浪を恋していたのでなかったら、恐らくもっと楽な考え方があったに違いない。彼の恋は珍しいほど純粋だった。それゆえその受ける苦しさもまたその程度では済まなかったのである。
 その日から五日めに当る夜の事だった、藤次郎が夕食の後で、居間に引取って日誌を認《したた》めていると、庭木戸の明く音がして、
「成瀬、――成瀬……」
 と呼ぶ声がした。
「そんな処から誰だ、田守か?」
「――己だ、数馬だ」
 藤次郎はその声を聞いたとたんに、背から水を浴びせられたような寒気を感じた、――何か異常な事が起ったぞ、そういう直感が閃めいたのである。直ぐに立って障子を明けると、果して……縁先へのめるように倒れている数馬は血みどろだった。

[#8字下げ]七[#「七」は中見出し]

「どうした、島崎!」
 肩へ手をかけて呼ぶと、
「叱《し》ッ、騒がないで呉れ、そして、どうか、己の云うことをよく聞いて呉れ」
 数馬の呼吸はもう喘々《ぜん/\》たるものだった。ひと眼で分る肩を袈裟がけに斬られた傷、すばらしい一刀が明かに致命傷だ。
「よし、何でも聞くぞ、云ってみろ」
「忝い。――己は、殿の御上意で、今宵……塚原五郎兵衛を、御意討ちに向ったのだ」
 藤次郎は城中の噂を思出した。塚原五郎兵衛は一刀流の達者で、河本勘右衛門が迎えられる迄は藩の剣道師範役を勤めていた。腕は出来るが性質の粗傲な人物で、勘右衛門に席を奪われてから不平満々の日を送っていた。それがつい二日ほどまえ、主君忠真侯の御前で無礼の振舞をしたため、閉門を命ぜられたという事を聞いたが、遂にそれでは御意討を仰出《おおせいで》されたのであろう。
「して、首尾よく討取ったか」
「駄目だった、一太刀も合せず、抜討ちをかけられてこの態だ」
「貴公、――呑んで行ったな!」
「堪忍して呉れ。己は、己は、恥しい」
 数馬は肺腑から絞り出すように呻いて、がくりと縁へうち伏した。――藤次郎は素早く起って行って湯呑に白湯《さゆ》を注ぎ、半紙を引裂いて戻ると、白湯に浸して数馬を抱き起し、
「数馬、白湯だ、舌を湿めせ」
「うう――」
 数馬は視力の弱った眼を瞠《みひら》いて、藤次郎の顔を捜し求めるようにしながら、半紙の滴をようやく舌へ辷らした。
「さあ確《しっか》りしろ! 数馬云いたいというのは何だ?」
「頼みがある、是までにも、数えきれぬ迷惑をかけたが、最期にもう一つの頼みだ、――成瀬、どうか五郎兵衛を討って呉れ、このままでは、如何にやくざな己でも、死にきれないぞ、残念で、残念で」
「よし、それは慥に引受けた」
「やって呉れるか、しめた、是で数馬も、死ねる――やくざな生涯にも、是で安心しておさらば出来る、成瀬……己は貴公にとって、終いまで邪魔者でしか無かったなあ、――さぞ厭な奴だったろう、いや云わせて呉れ、己はよく知っていたんだ、小浪を譲って呉れた事だって知っていた……あの時、踏込んで行った重ね打ちの一本なあ、あれは、己が、己自身を打っていたのだぜ」
「貴公……己を泣かせるぞ」
「藤次郎は泣虫だ、昔からそうだった、だから貧乏籤を引くんだ、けれどもう……それも終りだ、己が死んだら、今度っから強く生きて呉れ、今度こそ藤次郎が伸《の》す番だ、――畜生、最期に泣虫の顔をひと眼見たいが、もうすっかり見えなくなった、もう左様ならだ、……小浪に云って呉れ、小浪に、数馬は――、――」
 云いきらずに数馬は落入った。藤次郎の頬には堰を切ったように涙が溢れていた、――彼は数馬の耳に口を寄せて、
「安心しろ数馬、貴公の面目は藤次郎が立派に立ててやるぞ、分ったか、分ったか数馬」
 繰返し囁くと、屍体を其処へ横たえて起ち、机に向って手早く一通の書面を認《したた》めた。そして家扶の部屋へ行って、
「是から一刻ほど経ったら、この書面を目附役まで届けて呉れ、夜中ながら御上意の件だと云えば受取るから」
「は、一刻後でござりまするな」
「成瀬の家の者だと申してはならんぞ、――それから拙者はちょっと出掛けるから」
 書面を渡して戻った。
 それから半刻ほど後のことである、御徒士組屋敷の端れにある塚原五郎兵衛の屋敷の門前へ、数馬の屍体を背負って藤次郎が現われた。凍てる夜で、道はもう真白に霜が結び、ひょうひょうと吹く風は骨を刺すように寒い、――藤次郎は屍体を門前に下ろすと、手早く襷、汗止めをし、袴の股立を固く取上げると、大剣を抜いて潜門《くぐりもん》に近づき、静かに叩きながら、
「御門番、御門番」
 と呼んだ。
「――誰だ」
 内側から殺気を含んだ応えがあった、藤次郎はわざと低めた声音で、
「城中より討手を差向けらるるとの風評を承わり、曽て先生より教えを受けた門人の一人として如何にも傍観し難く、些か御助勢のために参上仕った、――先生にお取次ぎ下さい」
「門人衆と云うか」
「渡辺金弥と申す」
 金弥は実在の人物だし、五郎兵衛とは最も近い間柄である、――その時玄関にいた五郎兵衛の弟の道十郎が是を聞いたから、
「よし、門を明けてやれ」
 と云った。――掛金を外して、番士が門をがらがらと明ける、刹那! 踏込んで来た藤次郎は物をも云わず、左右にいた番士二人を水もたまらず斬伏せた。
「や! 曲者」
 と仰天する道十郎、
「討手だあッ」
 と玄関に詰めていた五六名が総立ちになる、その混乱の真只中へ、
「上意だ、五郎兵衛出会え!」
 喚きながら藤次郎は斬込んだ。

[#8字下げ]八[#「八」は中見出し]

 夜が明けかかっていた。
 目附役から遣わされた急使に案内されて、河本勘右衛門と小浪の二人は、雪のような霜を踏みながら塚原五郎兵衛の屋敷へ駆けつけた。――屋敷の廻りに警護していた目附方の者たちは、親娘を見るとみんな叮嚀に目礼して道を明け、玄関にいる目附役、高木謙六の方へ知らせた。
 謙六も河本道場の門人であった。
「お待ち申して居りました。さ、ずっと」
「お役目御苦労でござる」
 勘右衛門は会釈をして、
「御使者を頂き忝う存ずる、数馬が御意討ちを仕遂げたとの由でござるが」
「は、手前も書面に依って駆けつけましたが、既に御意を果し終られた後で、一応検分を致しましたうえお知らせ申上げた次第でございます」
「首尾よく致しましたろうか」
「どうぞ御覧下さい」
 提灯を持って謙六が案内に立った。
 玄関に三名斃れていた、家来と見えるが、いずれも真向に受けた一刀で絶命している、更に次の間に二名、広間へ入ると其処に四名。四辺は一面の血溜りである――尚よく見ると、床間の前に折重って斃れている屍体の、下が五郎兵衛、上にあるのが数馬だった。
「遖《あっぱ》れと申してよいやら、壮烈と申してよいやら、実に――」
 と謙六は声をつまらせて云った。
「唯一人にて十人に余る敵を、斯く見事に仕止めた腕前、遉《さすが》に先生の御婿がねと……僭越ながら感服仕りました、是こそ鬼神も及ばぬ御働き、先生にも御満足の事と、――憚りながら御胸中お察し仕ります」
「痛み入る、――痛み入る」
 勘右衛門は声を顫わせながら、
「小浪、見てやれ」
 と振返って云った。
「遖れやったぞ、数馬め、……果報な死態《しにざま》じゃの、果報な、――見い、泥亀の悪名も、是で綺麗に雪《そそ》がれるであろう。褒めてやれ」
「は、はい」
「泣く奴があるか、数馬は武士らしく死んだのだ、褒めてやれ、褒めてやれ」
「――旦那さま!」
 小浪は裂けるように云って、数馬の屍体の前へ手をついた。
「よう遊ばしました。貴方さまは、小浪のお信じ申上げました通り、矢張り立派なお方でございました。さぞ御本望でございましょう、小浪も、小浪も嬉しゅう存じます」
 切々たる声に、居並ぶ者一人として泣かぬは無かった。――窓の外に朝の光が動いて、雀の声が喧しく聞え始めていた。
 その夜であったが、勘右衛門は前触れもなく藤次郎を訪れた。底深い威力のある勘右衛門の眸子《ひとみ》が、その時もまた温かく露を含んでいた。
「――貴公の差料《さしりょう》は慥《たし》か忠吉であったな」
「は、無銘ではございますが……」
「――良く斬れるな」
 勘右衛門の顔にちらと微笑が浮んだ。藤次郎は眩しそうに瞬きをしながら、
「さあ、如何でございましょうか」
「不可《いか》ん不可ん、十一人殆ど全部、真向の一刀で仕止めるなんど、まるで手型を残したも同じ事じゃ、儂を騙すならもっと上手にやるがよい、――あの太刀口は勘右衛門の秘伝で、それを伝えた者は門弟中唯一人しか無い筈、……第一、数馬の剣には血こそ附いていたが、心得のある者が見ればひと眼で後から染ったものと分るぞ」
「それは不思議な……」
「不思議なのは――成瀬、寧ろ其許《そこもと》だ」
 勘右衛門は一瞬眼をうるませたが、急に頭を振って云った。
「然しそれは云わぬ事にしよう、言葉にするには余りに惜しいゆくたて[#「ゆくたて」に傍点]だ。ひと言だけ云わせて貰えば、勘右衛門は五十七歳にして初めて、こんなにも人間は頼母しいものかという事を感じて――泣いた」
「――――」
「数馬は小田原藩の武士の亀鑑と呼ばれるだろう、小浪も数馬の未亡人として、心足りた一生を送るに違いない。だがたった一つ、一番大事な事は誰も知らずに」
「――先生!」
「はははは、赦せ、愚痴だ!」
 最早抑えきれなかった、老勘右衛門の両眼から、熱いものがひたひたと溢《あふれ》落ちた。――今宵もまたひどく凍てる、朝になったらさぞ美しい霜であろう。



底本:「感動小説集」実業之日本社
   1975(昭和50)年6月10日 初版発行
   1978(昭和53)年5月10日 九版発行
底本の親本:「キング」
   1938(昭和13)年3月号
初出:「キング」
   1938(昭和13)年3月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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