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雪崩
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雪崩
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)宝永《ほうえい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)雪|籠《ごも》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#5字下げ]
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[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]
宝永《ほうえい》四年(一七〇七)十一月に富士山が噴火した。そのとき噴き出たのが宝永山である、おなじ年の十二月はじめの或る日、信濃《しなの》のくに諏訪《すわ》郡下諏訪の伊那屋《いなや》という宿に、若い夫婦者とみえる旅の武士が草鞋《わらじ》をぬいだ。
「まあ綺麗《きれい》な御夫婦だこと、雛《ひな》のようだとはあんなお二人を云うのだろうね、旦那《だんな》さまはまるで役者のようだよ」
「そらはじまった、お梅さんはすぐひとの旦那さまに眼をつけるんだから、あたしは御新造《ごしんぞう》さまのほうがずっとお綺麗だと思うね、それにきっと御祝言《ごしゅうげん》がすんでほやほやに違いない、まだまるで初心《うぶ》らしいごようすじゃないの」
「御新造さんは十七か八くらいね」
女中たちがそんなことを話しあっていたにもかかわらず、宿帳につけたのをみると二人は兄妹だった。越前福井藩士で水野善之助二十三歳、同じく妹加代十八歳と書かれてあった。そういえばよく似ている、兄は細面《ほそおもて》だし妹はふっくりとした丸顔であるが、睫毛《まつげ》のながいどこかしらん控えめな眼もとや、少し薄手のひきしまった口つきなどそっくりである。しかしここは温泉の湧《わ》くので湯治客が主だったから、女中たちがかれらを若夫婦とみたのも無理ではないだろう、兄妹だとわかると、こんどはそれがまた不審の種になった。
「御兄妹で湯治にいらっしゃるなんてめずらしい話だね、本当の御兄妹かしら」
「ことによるとひと眼を忍ぶなんとやらかも知れないよ」
「お梅さんがまた気のもめることさ」
年頃の女中たちだし、口さがなくあれこれと話しあっているのを、広間へ飲みに来ていた高島藩士の一座の者が聞きとめた。……高島城はここから一里あまり離れた上諏訪の南にある。藩士たちが遊ぶためには、城からの距離もちょうどいいのでこの下諏訪へやって来る、そのときも八人づれの若侍たちが、午《ひる》さがりから表座敷で飲んでいた。燈《あかり》がはいって、かなり酔がまわってきたところでなかの一人が女中たちの話を耳にしたのである。
「そいつはかけおち者だ」
強情そうな眼つきの若侍が肩をつきあげながらそう云った、「越前の福井から、こんなところへ兄妹づれでなにをしに来るもんか、ふとどきなやつだ、おれがいって見届けてやる」
「よせよ太田、きさま酔ったぞ」
「酔ってもおれは性根《しょうね》は腐らんぞ、近来まるで士道の地におちたことをみろ、武士たるものが素性も知れぬ女とかけおち[#「かけおち」に傍点]をする、どこの何者か知らんが士道のためだ、これからいっておれが性《しょう》をつけてやる」
「おい待て、間違うと取り返しがつかんぞ」
「なにかまうものか、太田おれもいこう」
なかには唆《け》しかける者もあり、三人ばかりいっしょに兄妹の部屋へおしかけていった。だがさすがにその部屋の障子を前にすると、いきなりふみ込むわけにもゆかず、ちょっとためらい気味に顔を見合せた、そのときである、部屋の中から当の水野善之助という若者がなにげなく出て来て、そこに立っている三人とばったり顔を合せた、両方とも思いがけなかったのではっ[#「はっ」に傍点]としたが、善之助のほうはいきなり腰の脇差《わきざし》に手をかけて、
「なに者だ、誰だ」
とうわずった調子で叫んだ、尋常のおどろき方ではない、こちらは初めからかけおち[#「かけおち」に傍点]とみていたので、「さてこそ」と思い、高びしゃにあたまから呶鳴《どな》りつけた。
「騒ぐな、しずかに部屋へ戻れ」
「……加代、ゆだんするな」
善之助は部屋の中へ叫びながら、脇差へ手をかけたまま立ち塞《ふさ》がった。「名を名乗れ、貴公たちはなに者だ、どうしようというんだ」
「そんなに狼狽《うろた》えるな、われわれは高島藩の者だ。ちかごろこのあたりへ不義のかけおち[#「かけおち」に傍点]者などが入り込み、淳朴《じゅんぼく》な土地の風俗をみだすので見廻っているんだ、中へはいれ」
「では、……拙者共をかけおち[#「かけおち」に傍点]者と疑って来られたのか」
「疑うかどうかは二人並べて見てのことだ、いいから部屋へ戻れ、戻れというんだ」
太田という者が酔にまかせて肩を突いた、善之助は思わずかっ[#「かっ」に傍点]となり、乱暴をするなといいながらその手をつかんだ。
「こいつ手向いするか」
「貴公こそ理不尽ではないか」
「なにをぬかす」
叫ぶなり太田は相手の胸倉をつかむと、酔ってはいるが心得があるとみえ、いきなり躰《たい》を沈めたとみるとすばらしい早技で肩車にかけた。あっ[#「あっ」に傍点]という叫びを曳《ひ》いて、善之助のからだは廊下を隔てた南側の部屋へ、障子をつきやぶってだっと投げだされた。するとその部屋から、
「いいかげんにしないか、騒がしいぞ」
そう呶鳴って一人の若い武士が出て来た。
[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]
呶鳴っては出たがしずかな顔だった。六尺近い背丈で膚《はだ》の浅黒い、ひきしまった秀抜な躰躯《たいく》である、頬の線も眉《まゆ》もはっきりとまぎれがなく、ぜんたいにいってすっぱりとわり切れた感じの風貌《ふうぼう》である。
「ようすはあらまし聞いていた」
とかれは三人に向って云った。「若い婦人づれだというので酒の座興に来られたのだろう、それならもう充分まんぞくなすった筈《はず》だ、度を過ごすと、貴公たちご自身ただではすまぬ、もう引き取られたらどうだ」
言葉つきも態度もしずかだが、そのしずかなうちに有無を云わせぬ断乎《だんこ》たるものが感じられた、三人のなかでも太田という男はすぐにこの相手が容易ならぬ人物だと気付いたらしい、しいてにやりと会釈《えしゃく》を返し、
「仲裁は時の氏神《うじがみ》とも申す、仰《おお》せにまかせて引き取りましょう、みんないこう」
そう云うと伴《つ》れを促して去っていった。残った男はふりかえって、
「残念だろうが堪忍《かんにん》すべきですね、相手も場所も悪いですから、……いや礼には及びません、拙者は湯を浴びにゆくところだからこれで失礼します」
礼を云われるのが厭《いや》なのか、それとも初めからそのつもりで出て来たのか、見知らぬ武士は手拭《てぬぐい》をさげてそのまま階下《した》へ去っていった。……善之助はようやく起きあがったが、投げられたとき痛めたとみえて腰骨が刺すように痛んだ、加代という妹がすぐに走りよって、
「兄上さま、どこかお怪我《けが》でもなさいまして」
「なにちょっと、ここをちょっと挫《くじ》いたらしい」
「でも折よくあのお方がみえてようございました、わたくしどうなることかと思って……」
「ちょっと手を貸してくれ」
宿の番頭や女中たちが駈《か》けつけて来て、詫《わ》びを云ったり介抱したりしようとするのをおしのけ、自分たちの部屋へはいるなり、善之助は蒼《あお》くなった顔でひたと妹をみつめた。
「……加代、みつけなかったか」
「なんでございます」
「いまの男、八木真兵衛だ」
加代もあっと云い、額のあたりをさっと蒼くした。
「あの騒ぎで夢中だったが、声を聞いているうちに気がついた、それで腰骨を痛めたのを幸い、からだを伏せたまま注意してみると正しく八木真兵衛、……加代、三年の辛苦《しんく》の酬《むく》われるときが来たぞ」
「兄上さま」
妹は思わず兄の膝《ひざ》へすがりついた、美しい眉がひきつり、艶《あで》やかなからだがわなわなとふるえた。善之助は妹の手をしかと掴《つか》んで、
「この宿を立とう、湯から戻ればだまってはいられない、挨拶《あいさつ》に出ればこっちを知られてしまう、今のうちに、別の宿へ移って機会を覘《ねら》おう」
「でも兄上さま、その挫いたお腰で大丈夫でございますか」
「おれは大丈夫だ、おまえこそしっかりするんだぞ、いいか、……ではこれを持っていって帳場で勘定をして来てくれ、気付かれるな」
はいと云って加代は、震える足をふみしめるように出ていった。善之助はすぐに手荷物をまとめ、着替えをし大小をひき寄せた。妹が戻って支度をすませると、兄妹はすばやくその宿をひきはらった。
「あんな騒ぎがあっては此処《ここ》に居にくいから、気のどくだが宿を変える」
善之助は亭主にそう云った。「ついては仲裁にはいってくれた御仁《ごじん》の名が知りたい」
亭主は不調法を詫びながらすぐに宿帳をしらべてくれた、越前福井の浪人で八木真兵衛という、堂々と本名を名乗っていた。
「明日にでもお礼にまいるから」
そういって二人はそこを出た。
伊那屋から二軒おいて桔梗屋《ききょうや》というその土地では大きな宿がある、水野兄妹はそこへ宿をとってその夜は寝た。挫いたといってもそれ程ひどくはないのだが、立ったり歩いたりするとかなり痛む、しかしいざというときになれば、勿論《もちろん》そのくらいのことはなんでもなくなるだろう、善之助はかたくそう信じていた。……明くる朝の食事がすむとすぐ、加代が手土産を持って礼にいった。
「おまえは見知られていない筈だから、よくよく八木の顔を覚えて来い。そして滞在するか、出立するとすればいつかということを、それとなくたしかめるんだ」
「はい、いってまいります」
加代はつきつめた顔つきで出ていったが、間もなく土産の包を持ったまま馳《か》け戻って来た、善之助は敏感にようすを察した。
「しゅったつしたか」
「はい……」
加代の声は戦《おのの》いていた。「朝はやく、まだ暗いうちに出かけたと申します」
「すぐ支度をしろ、精《くわ》しいことはあとだ」
善之助は、叱《しか》りつけるように云って立った。
[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]
茅野《ちの》から矢崎《やさき》という部落をぬけて、山へかかる頃にちらちらと雪が舞いだした。晴れていれば一望の美しい八岳《やつがたけ》も見えず、あたりは皚々《がいがい》と白ひと色の景色だった。……八木真兵衛は合羽《かっぱ》を着た肩へ桐油《とうゆ》で包んだ荷を負い、横から吹きつける雪に笠も傾《かた》げず、しっかりした大股《おおまた》で道を登っていった。鼠《ねずみ》色の埃《ほこり》のように、空から舞い落ちてくる雪のほかには動くものとてもなかったが、しばらくするとしゃんしゃんと鈴の音《ね》が聞え、上から馬をひいた一人の農夫が下りて来た。かれは真兵衛の姿をみつけると慇懃《いんぎん》に腰をかがめ、馬を道の脇へ避けながら挨拶した。
「権二郎どのか」
と真兵衛が声をかけた。「降るのに精がでるな、どこへゆかれる」
「上諏訪まで米を持ってまいります。先生もおでかけでございましたか」
「新田《しんでん》のことで奉行所へ出たついでに、下諏訪で一日湯に浸って来たよ。これでもう当分は雪|籠《ごも》りだろうな」
「さようでござります。四五日はつづくことでござりましょう」
「この馬はあの鼻黒だな」
真兵衛は手をのばしてまだ若そうな馬の鼻を撫《な》でた。「見違えるように逞《たくま》しくなったではないか、去年の春はまだ乳をしゃぶりたがっていたのに、早いものだな。これならもう今年はしっかり稼げるぞ」
「おふくろ似で癇《かん》が強くていけません」
「じゃあいってまいれ」
「へえ、ごめん下さいやせ」
低頭してすれ違ったが、権二郎という農夫はすぐ振り返って叫んだ。
「ああ先生、四五日うちに餅《もち》を搗《つ》いて持ってあがりますぞ」
有難うと答えて真兵衛は坂を登っていった。
それからさらに半刻《はんとき》、車山の東の中腹へかかって道の岐《わか》れるところに、埴原《はにはら》地蔵という地蔵堂がある。そこでひと休みして、立とうとしたときだった。降りしきる雪のなかを、急ぎ足に登って来た男女ふたり伴《づ》れの武士が、真兵衛をみつけてあっ[#「あっ」に傍点]と声をあげ、道の上にぴたりと足を止めた。
――なんだ、こんなところへ、道にでも迷って来たのか。
そう思いながら真兵衛が堂から出てゆくと、向うの二人は手早く笠と合羽をぬぎ、いきなり刀を抜いて呼びかけた。
「見忘れたか八木真兵衛、水野久右衛門の子善之助、妹加代だ、父のかたき、勝負」
真兵衛は大きく眼《まなこ》を瞠《みは》った。まぎれもなくゆうべ伊那屋で自分が助けた兄妹である。そしてあのときは気付かなかったが、今あらためてよく見ると正しく水野善之助だった。妹のほうは知らないが善之助の顔には見覚えがある。……そうか、と思ったが敵《かたき》と呼ばれるのは不審だった。
「しばらく待て」
かれはしずかに制した。「いかにも八木真兵衛だが敵と呼ばれる覚えはない。御尊父とは心ならず争いとなり、よんどころなく足へ一刀いれたのは事実だ。しかし軽い一刀で片輪にもならぬほどの傷だった」
「だまれ、その言訳はきかぬぞ」
善之助はひきつったように叫んだ。「きさまの一刀は浅くとも父は面目を失って割腹した。遺恨はきさまの上にある。抜け真兵衛」
「いや抜くまい。居合せた者に聞いてみろ。争いの根源も久右衛門どのの横車、斬《き》りかけたのも久右衛門どの、おれは無法の太刀をさけたまでのことだ、まして自ら腹を切った水野どのに、おれが敵と呼ばれる筋はないぞ」
「問答無用、加代、ぬかるな」
絶叫すると共に、善之助は歯をくいしばりながら斬りつけて来た。真兵衛は避けなかった、むしろ前へ一歩大きく踏みだし、善之助の利腕《ききうで》を掴んでぐいと右へ、捻《ひね》るように引き倒すと、
「おれは勝負はせんぞ。帰れ」
そう怒鳴りつけ、大股にずんずん坂を登っていった。善之助は「待て」と叫び、はね起きようとしたが腰骨に激痛を感じてあっ[#「あっ」に傍点]と前へのめり倒れた。加代は真兵衛の後を追おうとしたが、兄の苦痛の呻《うめ》を聞いて本能的に駈《か》け戻った。
「兄上さま、しっかりして下さいまし」
「おれはかまわぬ、八木を追え」
「でも、兄上さまをこのまま置いてはまいれませぬ。しっかりして下さいまし」
「ええこの腰が!」
兄妹の援《たす》け合う声が、遠のいてゆく耳にかすかながら聞えた。真兵衛は「可哀《かわい》そうに」と呟《つぶや》きつつ、しかし振り向きもせずにぐんぐん坂を登りつづけた。……雪はますますはげしくなったが、気温はいつかゆるみはじめたようである。この地方は冬季に三寒四温を繰り返すことがある。四五日ひどく凍《い》てたから、そのゆるみが来たのかも知れない。そういえば、はげしく降る雪も湿気のあるぼたぼたした感じだった。
――そうか、久右衛門は割腹したか。
真兵衛はふと、あのときの不快な場面を思いうかべながらそっと呟いた。
[#5字下げ]四[#「四」は中見出し]
三年まえ元禄十七年二月(この年三月宝永となる)の末、福井藩の老職木村|甲斐《かい》の家で祝宴があった。城南和田郷の二百町歩にあまる桑圃《そうほ》を、稲田に作換《さくが》えする事業が終った祝いである。福井の製絹業は重要なもので「北荘紬《きたのしょうつむぎ》」といえば古くから諸国に知られていたが、そのため農民が無節制に田を潰《つぶ》して割のよい桑圃にするので、年々と産米の高が減ずる一方だった。勘定奉行所に勤めていた八木真兵衛は、この弊を除かなければ藩政の根幹が危《あやう》くなるとみて、しばしば重役へ献言し、ついに二百町歩作換えの業を興すまでにこぎつけたのである。
――農は米作を以《もっ》て根本とする。養蚕は従である。元《もと》と末《すえ》とを顛倒《てんとう》することは農の精神を喪失することだ。
そういうかれの説が徹《とお》ったのだ。しかし反対者がなかったわけではない。「福井の絹は天下の名産だ。これを増進して藩政を豊かにすれば、今さら米などに拘《かか》わる必要はない」そういって作換えを旧弊の説とする者もあった。水野久右衛門もその一人だった。かれは酒癖のある老人で、癇強くわがままの一徹人だったが、若い真兵衛の説が勝ったのを根にもち、木村邸の祝宴の席でしつこくからんできた。
――利益の多寡《たか》もたしかに問題ですが、政治の根元を匡《ただ》すのはもっと重大でしょう。米はわが国のおおみたから[#「おおみたから」に傍点]で、これを作るところに農民の精神がある。利に走るあまりおおみたから[#「おおみたから」に傍点]を作るべき田をみだりにつぶすのは農の精神にもとります。それでは正しい政治とは云えないと信じます。
かれはそう答えたまま相手にならなかった。水野老人は云い負かされたと思い、逆上して無法にも抜き討ちをしかけた。真兵衛は危く躰を躱《かわ》したが防ぎきれず、やむなく抜き合せたが、老人のあまりの無法さに思わず怒気を発し、つい手に力がはいって高腿《たかもも》へ一刀入れてしまった。……仲裁がはいって、老人はすぐ家へ運び去られたが、そのあとで木村老職が真兵衛に退国をすすめた。「こんどの事では不平家がだいぶある。製絹業の御用商人などがうしろ盾で、つまらぬ企《たくら》みもあるようだ。そこるとは年来の望みを達したのだから、無用の紛争を避けるためにしばらく退国されたらどうか。あとは自分がひき受けるし、騒ぎが鎮《しず》まれば帰参の手筈《てはず》をつける」情理をつくしてそう云われ、多額の銀子《ぎんす》まで出してくれた。……水野老人との間違いがそのまますむとは思えなかったし、家中の利に走る人々の不平も知っているので、真兵衛はすすめられるままにその場から福井を退国したのであった。
かれは越前から飛騨へゆき、木曾を廻ってその年の夏に諏訪へ来た、そして高島藩が米作地に恵まれぬのをみて、ひそかに耕地の開拓を思いつき、領内の殆《ほと》んど北隅にあたる神川の奥にその土地を求めた。……まず人の眼につかぬところで、しかも急斜面の、開墾には困難な場所へ棚田《たなだ》を作り、「どんな処《ところ》でも田が作れる」ということを実際にみせようとしたのだ。そこは最も近い玉川村からでも二里奥にあり、東南にややひらけた深い谿谷《けいこく》で、まったく人煙《じんえん》から隔絶した場所である。真兵衛はみずから貧しい小屋を建て、農具を買って、ひとりこつこつと開墾をはじめたのだった。……それからあしかけ三年になる、今では附近の農民たちも「かんば沢の八木先生」といって慕い、農作のことについて教えを乞《こ》いに来るほどになった。しかもこんどは藩へ届け出て、正式に土地|恩借《おんしゃく》のゆるしも得たのである。かれのつもりでは福井へ帰参せずとも、ここで農夫となって一生を土と共に生きる覚悟ができていたのだ。
――ばかな。なにが敵だ。酒に酔って逆上し、無法に抜き討ちをしかけ、みずから招いた不面目に自害した。そんな者のためにおれが責《せめ》を負う筋がどこにある。
真兵衛はあのときの老人の無法さを思いうかべながら、声をあげて叱咤《しった》したいような気持でそう思った。……そのとき、ふと、うしろのほうでずずずんという低い無気味な地響きがおこった。低いけれどかなり力強い地響きだった。真兵衛は足を止めて振り返った。すると再び、どっどっどどっという幅の広い崩壊音が聞え、立っている足にはげしい震動が伝わって来た。地震かと思った刹那《せつな》、いま通り過ぎて来た横岳《よこだけ》の断崖《だんがい》のあたりに濛々《もうもう》と雪煙のふきあがるのが見えた。
――雪崩《なだれ》だ。
まるで爆煙のように噴きあがる凄《すさま》じい雪煙を見ながら、真兵衛はさすがに竦然《しょうぜん》と息をのんだ、そして次ぎの瞬間には「水野兄妹」ということが光のように頭にひらめいた。
――あれから追って来たとすれば、ちょうどあの崖下《がけした》の道へかかる頃だ、雪崩にやられたかも知れぬぞ。
自分でも抑えようのない気持だった。肩の荷をそこへ投げ、大剣をとり笠を抛《ほう》ると、真兵衛はつきのめされたように道を走《は》せもどっていった。
[#5字下げ]五[#「五」は中見出し]
直立する横岳の断崖から、道を埋めて深い谿谷まで、幅五十間ほどもある凄じい雪崩が伸びていた。断崖の上にはまだ庇《ひさし》のように、非常な量のある雪がのしかかっていて、今にもどっと崩れかかるかと思えた。……走せつけて来た真兵衛はおのれの危険を忘れて、
「おーい水野、おーい、いるか」
そう叫びながら、ひっしに雪崩のそこ此処《ここ》を捜しまわった。道のすぐ下のところに、千切れた女の片袖《かたそで》が落ちていた。兄妹がやられたことはたしかである。真兵衛はずぶずぶともぐる雪の中を泳ぐように下へおりていったが、間もなく呻《うめ》きごえが聞え、拳《こぶし》を握った男の片手をみつけた。雪を掻《か》きわけてゆくと谷のほうへのめった恰好《かっこう》で善之助のからだが出てきた。
「おい水野、しっかりしろ」
肩をつかんでひき起そうとすると、善之助は苦痛の叫びをあげ、しかし我にかえったようすで眼をみひらいた。
「雪崩はまた来るぞ。早く起きろ」
「いや……おれはだめだ」
善之助は首を振った。「おれはだめだから、妹をたのむ。加代が、この下にいるから、加代を助けてやってくれ」
真兵衛はさらに雪を掻きのけた。すると善之助の右手がなにかつかんでいる。女の扱帯《しごき》の端らしい。それを伝って掘り進んでゆくと、這《は》い上ろうとでもするような恰好で加代の埋まっているのを発見した。
「加代さん、しっかりするんだ。加代さん」
呼びかけながらひき起こした。加代はすぐ気付いた。眼をあいてこちらを見たが、低く呻くとそのまま意識を喪《うしな》っていきそうだった。真兵衛は娘の腕を肩にかけて、なかば抱《いだ》くようにしながら雪の斜面を登りだした。娘のからだの柔かい温《ぬく》みは感じられるが、なかば意識を喪っているのでひどく重かった。そのうえ斜面は崩れかかった雪で、ともすればずるずると下へ滑ってしまう。真兵衛はひと足ずつ雪を踏み固めながら、文字どおり一寸二寸と這い登らなければならなかった。
こうしてようやく道の下まで辿《たど》り着いたとき、ざあっという滝の落ちかかるような音がし、断崖の上へのしかかっていた雪庇《せっぴ》の一部が崩れ落ちて来た。真兵衛は全身の血が冰《こお》るかと思った。それが大きな雪崩になれば万事終りである。だが幸いそれは庇の一部だった。頭からざっとひと浴びしただけで、雪崩にまでならずにすんだ。
「加代さん気をたしかに、加代さん」
ようやく道の上へ這い登り、安全な崖下の蔭《かげ》のところへおろすと、真兵衛は娘の背を叩《たた》きながら叫んだ。娘は再び眼をみひらいた。
「これから善之助どのを救って来る。あなたは此処で待っておいでなさい。気をしっかりもって、いいか。しっかりしないと死んでしまうぞ」
加代は微《かす》かに頷《うなず》いて半身を起こした。真兵衛はすぐに斜面をおりていった。そこまで道から五十尺あまりある。ゆき着いて、おいと呼びかけながらひき起こした。
「水野、しっかりしろ」
「ああ……」
善之助は苦しげに呻いた。「構わないでくれ、おれはもういけない。妹を……加代を」
「加代さんは助けた。元気をだせ」
「いやだめだ。おれは足を折ったようだ。胸もひどくやられている。もう動けないんだ」
「なにを云う水野」
真兵衛は烈《はげ》しく叱咤した。「きさまはそんな未練者か。おれは此処に生きているぞ。父のかたきを討たなくていいのか、八木真兵衛はきさまの眼の前にいるんだぞ。水野、きさまそれでも武士か」
「それでも……動けないんだから……」
「ばか者!」
叫びざまかれは善之助の高頬を平手で打った。ぴしぴしと三つ四つ打ち、衿《えり》をつかんでひき起こした。そのときごーっという地鳴りが起り、上のほうからばらばらと雪が飛び散って来た。真兵衛は血走った眼でふり仰いだ。断崖の上の雪庇はずっと大きくのしかかって来ている。ごーっ、ごーっという地鳴りの音は、断崖の上へ大量の雪崩が押し迫っている証拠だった。
――いかん、間に合わぬかも知れんぞ。
いまそのまま独りで登れば間に合う。それはわかっているが善之助を捨ててゆく気はなかった。かれは加代のときと同じように、相手の腕を肩にひきかけた。「あっ」と善之助は絞りだすような声で呻いた。傷が痛むのに違いない。しかし構わず背へもたせ掛け、懸命の力で斜面を登りだした。足掛りのない雪の中を、泳ぐように、片手と両足で精根をつくして這い登ってゆく頭上には、脅《おびや》かすような地鳴りの響きがごーごーと起り、先触れの雪塊《せっかい》が絶えずばらばらと飛んで来る。
――八幡《はちまん》、もうしばらく。
真兵衛は神を念じた。もうしばらくである。道はそこにみえているのだ。
「加代さん、加代さん」
「……はい」
真兵衛に自分の力がいまに限度に達しかかっているの知った。雪崩の来る前に登りつけそうもないと気づいたのである。
「あなたの扱帯がある筈だ。帯も解いて、ふたつを結んで下さい。早く、それから、その端をどこでもよい。岩角でも、あなたのからだへでも縛りつけて下さい。急いで」
できたら一方の端を投げろと云いつつ、さいごの力をふるって登りつづけた。
「はい……投げます」
加代の声がして、扱帯の一端が投げられた。真兵衛はそれで善之助の脇《わき》から肩へかけてしっかりと縛りつけ、ふり仰いで娘を見た。……加代は道から身を乗りだしていた。そして真兵衛のふり仰いだ顔をみると、急に泣くような表情をみせた。二人は一瞬くいいるように互いの眼を覓《みつ》めた。
「その端をしっかり持っていて下さい。いまあがりますから」
真兵衛はそう云って身を起こした。そのとき雪崩が襲いかかったのである。まるで巨大な雪の山がそのまま倒れかかるようだった。なんとも形容しようのない地鳴りと、突風の来るような空気の震動につれて、眼の前がどっと鼠色の雲で掩《おお》われ、大地を粉砕するかと思える勢《いきおい》で雪の激流が谷を叩いた。……加代は悲鳴をあげた。その鼠色の激流の中に、仰《のけ》ざまになって押し伏せられる真兵衛の姿がちらと見えたのである。あとは轟音《ごうおん》と濛々たる雪煙だった。なにも見えず人のこえも聞えなかった。加代はそこへ気を失って倒れた。
[#5字下げ]六[#「六」は中見出し]
かんば沢の「八木先生の小屋」には六七人の農夫が集って、炉の火を囲みながらしめやかに話していた。……手作りらしい粗末な仏壇には、燈明がともり香の煙がゆれている。あれから一年の月日がめぐって、その日がちょうど亡《な》き真兵衛の命日に当っているのだ。
「……水野さまはからだを縛りつけられていたので、雪崩に流されずに助かりなすった。もっとも五郎七が通りかからなかったら、御兄妹もあのまま凍え死をなすったことだろうが」
「そうだ、呑《の》んだくれが男をあげたからな」
「当分あの自慢でうるさかったっけ」
しずかな笑いごえが起り、炉の火がぱちぱちはぜ[#「はぜ」に傍点]た。
「だが先生はおりっぱだった」
権二郎という若者が云った。
「あたりまえの仲なら別だが、かたき[#「かたき」に傍点]と呼ばれている身で、云わばこっちの命を覘《ねら》っている者をお助けなすった。ご自分の命を捨ててお助けなすったんだ。普通の者にできることじゃあない。かたき[#「かたき」に傍点]同士だったんだからな。……これだけは飽きるほど云っても云い足りないよ」
「そうだ、まったく普通の者にできることじゃあない」
「惜しい方だった。この村だって見知らぬ土地なのに、ああして誰に頼まれたわけでもなく田地をおこし、おらたちに棚田の作れることを教えて下すった。このまわりだけでも集めれば二十町歩は田ができたろう。それがみんな先生のおかげなんだからな」
「惜しい人は早く亡くなるという。だがまだおらには夢のようにしか思えない」
「……去年の今日」
権二郎が溜息《ためいき》をつきながら云った。「おらは先生と道で会った。四五日うちに餅《もち》を搗《つ》いてあがりますとお約束したっけだ。茂八のいうとおりまったく夢のようだ」
ひきいれられるように、みんないっとき口を噤《つぐ》んで故人を偲《しの》んだ。
「御兄妹はまだお墓かね」
しばらくして茂八という若者が云った。
「吹雪《ふぶ》いてるだから往き来にかかるだ。もう帰ってみえるだろうが、……なあみんな。今のうちに云っとくが、水野さまは八木先生のお志を継いで、生涯このかんば沢で百姓をして終ると仰《おっ》しゃる。嘘《うそ》でない証拠はこの一年でよくわかる。いわば八木先生の跡継ぎだ。みんなそのつもりで、これからは先生とかたき[#「かたき」に傍点]同士だったなどとこれっぱかりも云わねえようにするだぞ。わかったか」
「わかっただよ。水野さま御兄妹は先生も同じことだ。いまにきっと村に無くてならない方になって下さるだろう」
「お加代さまに婿《むこ》をとってな……」
明るい笑が小屋のなかに溢《あふ》れ、仏壇の香の煙がゆらゆらと揺れた。そこへ人の話しごえが近づいて来た。御兄妹がお帰りなすったといって、みんなが立つと、戸が明いてさっと吹き込む雪と共に水野兄妹がはいって来た。
「お帰りなさいまし。大変だったでしょう」
そう云いながら、みんなで笠をとったり蓑《みの》をとったりしてやった。それから炉端でしばらく話をしたのち、農夫たちはいとまを告げ、伴《つ》れだって雪のなかを帰っていった。
兄妹は燈明をあげ直したり、香を替えたりして、やがて二人ひっそりと炉端に向き合って坐った。
「……加代、あらためて云うことがある」
善之助はふと顔をあげて云った。妹は泣き腫《は》らしたような眼で兄を見た。
「われわれが八木|氏《うじ》をかたき[#「かたき」に傍点]と呼んだのは、実を云うとその理由《わけ》がなかったのだ」
「まあ、兄上さまなにを仰しゃいます」
「いや本当なんだ」
善之助に胸の中の苦しいものを吐きだすような調子で云った。「父上が御自害なすったとき、おれに宛《あ》てて遺書が一通あった。それにはあのときの争いの責任がご自分にあること、乱酔したご自分の不始末だということが認《したた》めてあり、八木どのに恨みを持ってはならぬという意味のことが繰り返し書いてあった」
「……まあ」
加代は意外な話におどろいて眼を瞠った。「でも兄上さま。もしそれが本当なら、どうして」
「どうして仇討《あだうち》に出たというのか。それは、それはなあ加代。子として父上の不始末を世間に知られたくなかったからだ。御遺書を世間に披露すれば仇討に出ずともすむ。しかし同時に父上の恥を世人《せじん》に示す結果となるだろう。おれは子としてそれに堪《た》えられなかった。御遺書のことはおまえにも秘して出て来たのだ」
加代は云いようのない感動で胸をしめつけられた。兄のとった態度は人の子として、また武士として誤ってはいない。そうするほかに道はなかったであろう。けれど、それでは八木さまがいかにもお気のどくだ。
――かたき[#「かたき」に傍点]と呼ばれる覚えはない。
あのときそう仰しゃった。本当にそう呼ばれる覚えのないお顔つきだった。まざまざと眼に残っているそのときの真兵衛の顔がお加代の心をうちのめすのだった。
「われわれは伊那屋で助けられ、雪崩で命を救われた、おれがもうだめだと云ったとき、八木氏は『敵討をどうする』と自分では望まぬことまで云って励ましてくれた、あのときの平手打ちは、――おれには生涯忘れることができない」
「兄上さま。いつまでも八木さまのお志を継いでまいりましょう。八木さまはお百姓の道のためにおはたらきなさいました。わたくしたちでそのお志を継いでまいりましょう。それがなによりの御恩がえしだと存じます」
「そうだ。いつまでも、おれたちの生きる道はこのかんば沢のほかにはないんだ」
加代はそっと立って、仏壇の前に坐《すわ》った。合掌しながらじっとなにか念じているのは、いま聞いた兄の告白を伝えているのであろうか。……昏《く》れかかる谷のかなたから、そのとき遠くずずずんとにぶい雪崩の音が聞えて来た。
[#地から2字上げ](「陣中倶楽部」昭和十九年二月号)
底本:「怒らぬ慶之助」新潮社
1999(平成11)年9月1日発行
2006(平成18)年4月10日八刷
底本の親本:「陣中倶楽部」
1944(昭和19)年2月号
初出:「陣中倶楽部」
1944(昭和19)年2月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)宝永《ほうえい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)雪|籠《ごも》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#5字下げ]
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[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]
宝永《ほうえい》四年(一七〇七)十一月に富士山が噴火した。そのとき噴き出たのが宝永山である、おなじ年の十二月はじめの或る日、信濃《しなの》のくに諏訪《すわ》郡下諏訪の伊那屋《いなや》という宿に、若い夫婦者とみえる旅の武士が草鞋《わらじ》をぬいだ。
「まあ綺麗《きれい》な御夫婦だこと、雛《ひな》のようだとはあんなお二人を云うのだろうね、旦那《だんな》さまはまるで役者のようだよ」
「そらはじまった、お梅さんはすぐひとの旦那さまに眼をつけるんだから、あたしは御新造《ごしんぞう》さまのほうがずっとお綺麗だと思うね、それにきっと御祝言《ごしゅうげん》がすんでほやほやに違いない、まだまるで初心《うぶ》らしいごようすじゃないの」
「御新造さんは十七か八くらいね」
女中たちがそんなことを話しあっていたにもかかわらず、宿帳につけたのをみると二人は兄妹だった。越前福井藩士で水野善之助二十三歳、同じく妹加代十八歳と書かれてあった。そういえばよく似ている、兄は細面《ほそおもて》だし妹はふっくりとした丸顔であるが、睫毛《まつげ》のながいどこかしらん控えめな眼もとや、少し薄手のひきしまった口つきなどそっくりである。しかしここは温泉の湧《わ》くので湯治客が主だったから、女中たちがかれらを若夫婦とみたのも無理ではないだろう、兄妹だとわかると、こんどはそれがまた不審の種になった。
「御兄妹で湯治にいらっしゃるなんてめずらしい話だね、本当の御兄妹かしら」
「ことによるとひと眼を忍ぶなんとやらかも知れないよ」
「お梅さんがまた気のもめることさ」
年頃の女中たちだし、口さがなくあれこれと話しあっているのを、広間へ飲みに来ていた高島藩士の一座の者が聞きとめた。……高島城はここから一里あまり離れた上諏訪の南にある。藩士たちが遊ぶためには、城からの距離もちょうどいいのでこの下諏訪へやって来る、そのときも八人づれの若侍たちが、午《ひる》さがりから表座敷で飲んでいた。燈《あかり》がはいって、かなり酔がまわってきたところでなかの一人が女中たちの話を耳にしたのである。
「そいつはかけおち者だ」
強情そうな眼つきの若侍が肩をつきあげながらそう云った、「越前の福井から、こんなところへ兄妹づれでなにをしに来るもんか、ふとどきなやつだ、おれがいって見届けてやる」
「よせよ太田、きさま酔ったぞ」
「酔ってもおれは性根《しょうね》は腐らんぞ、近来まるで士道の地におちたことをみろ、武士たるものが素性も知れぬ女とかけおち[#「かけおち」に傍点]をする、どこの何者か知らんが士道のためだ、これからいっておれが性《しょう》をつけてやる」
「おい待て、間違うと取り返しがつかんぞ」
「なにかまうものか、太田おれもいこう」
なかには唆《け》しかける者もあり、三人ばかりいっしょに兄妹の部屋へおしかけていった。だがさすがにその部屋の障子を前にすると、いきなりふみ込むわけにもゆかず、ちょっとためらい気味に顔を見合せた、そのときである、部屋の中から当の水野善之助という若者がなにげなく出て来て、そこに立っている三人とばったり顔を合せた、両方とも思いがけなかったのではっ[#「はっ」に傍点]としたが、善之助のほうはいきなり腰の脇差《わきざし》に手をかけて、
「なに者だ、誰だ」
とうわずった調子で叫んだ、尋常のおどろき方ではない、こちらは初めからかけおち[#「かけおち」に傍点]とみていたので、「さてこそ」と思い、高びしゃにあたまから呶鳴《どな》りつけた。
「騒ぐな、しずかに部屋へ戻れ」
「……加代、ゆだんするな」
善之助は部屋の中へ叫びながら、脇差へ手をかけたまま立ち塞《ふさ》がった。「名を名乗れ、貴公たちはなに者だ、どうしようというんだ」
「そんなに狼狽《うろた》えるな、われわれは高島藩の者だ。ちかごろこのあたりへ不義のかけおち[#「かけおち」に傍点]者などが入り込み、淳朴《じゅんぼく》な土地の風俗をみだすので見廻っているんだ、中へはいれ」
「では、……拙者共をかけおち[#「かけおち」に傍点]者と疑って来られたのか」
「疑うかどうかは二人並べて見てのことだ、いいから部屋へ戻れ、戻れというんだ」
太田という者が酔にまかせて肩を突いた、善之助は思わずかっ[#「かっ」に傍点]となり、乱暴をするなといいながらその手をつかんだ。
「こいつ手向いするか」
「貴公こそ理不尽ではないか」
「なにをぬかす」
叫ぶなり太田は相手の胸倉をつかむと、酔ってはいるが心得があるとみえ、いきなり躰《たい》を沈めたとみるとすばらしい早技で肩車にかけた。あっ[#「あっ」に傍点]という叫びを曳《ひ》いて、善之助のからだは廊下を隔てた南側の部屋へ、障子をつきやぶってだっと投げだされた。するとその部屋から、
「いいかげんにしないか、騒がしいぞ」
そう呶鳴って一人の若い武士が出て来た。
[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]
呶鳴っては出たがしずかな顔だった。六尺近い背丈で膚《はだ》の浅黒い、ひきしまった秀抜な躰躯《たいく》である、頬の線も眉《まゆ》もはっきりとまぎれがなく、ぜんたいにいってすっぱりとわり切れた感じの風貌《ふうぼう》である。
「ようすはあらまし聞いていた」
とかれは三人に向って云った。「若い婦人づれだというので酒の座興に来られたのだろう、それならもう充分まんぞくなすった筈《はず》だ、度を過ごすと、貴公たちご自身ただではすまぬ、もう引き取られたらどうだ」
言葉つきも態度もしずかだが、そのしずかなうちに有無を云わせぬ断乎《だんこ》たるものが感じられた、三人のなかでも太田という男はすぐにこの相手が容易ならぬ人物だと気付いたらしい、しいてにやりと会釈《えしゃく》を返し、
「仲裁は時の氏神《うじがみ》とも申す、仰《おお》せにまかせて引き取りましょう、みんないこう」
そう云うと伴《つ》れを促して去っていった。残った男はふりかえって、
「残念だろうが堪忍《かんにん》すべきですね、相手も場所も悪いですから、……いや礼には及びません、拙者は湯を浴びにゆくところだからこれで失礼します」
礼を云われるのが厭《いや》なのか、それとも初めからそのつもりで出て来たのか、見知らぬ武士は手拭《てぬぐい》をさげてそのまま階下《した》へ去っていった。……善之助はようやく起きあがったが、投げられたとき痛めたとみえて腰骨が刺すように痛んだ、加代という妹がすぐに走りよって、
「兄上さま、どこかお怪我《けが》でもなさいまして」
「なにちょっと、ここをちょっと挫《くじ》いたらしい」
「でも折よくあのお方がみえてようございました、わたくしどうなることかと思って……」
「ちょっと手を貸してくれ」
宿の番頭や女中たちが駈《か》けつけて来て、詫《わ》びを云ったり介抱したりしようとするのをおしのけ、自分たちの部屋へはいるなり、善之助は蒼《あお》くなった顔でひたと妹をみつめた。
「……加代、みつけなかったか」
「なんでございます」
「いまの男、八木真兵衛だ」
加代もあっと云い、額のあたりをさっと蒼くした。
「あの騒ぎで夢中だったが、声を聞いているうちに気がついた、それで腰骨を痛めたのを幸い、からだを伏せたまま注意してみると正しく八木真兵衛、……加代、三年の辛苦《しんく》の酬《むく》われるときが来たぞ」
「兄上さま」
妹は思わず兄の膝《ひざ》へすがりついた、美しい眉がひきつり、艶《あで》やかなからだがわなわなとふるえた。善之助は妹の手をしかと掴《つか》んで、
「この宿を立とう、湯から戻ればだまってはいられない、挨拶《あいさつ》に出ればこっちを知られてしまう、今のうちに、別の宿へ移って機会を覘《ねら》おう」
「でも兄上さま、その挫いたお腰で大丈夫でございますか」
「おれは大丈夫だ、おまえこそしっかりするんだぞ、いいか、……ではこれを持っていって帳場で勘定をして来てくれ、気付かれるな」
はいと云って加代は、震える足をふみしめるように出ていった。善之助はすぐに手荷物をまとめ、着替えをし大小をひき寄せた。妹が戻って支度をすませると、兄妹はすばやくその宿をひきはらった。
「あんな騒ぎがあっては此処《ここ》に居にくいから、気のどくだが宿を変える」
善之助は亭主にそう云った。「ついては仲裁にはいってくれた御仁《ごじん》の名が知りたい」
亭主は不調法を詫びながらすぐに宿帳をしらべてくれた、越前福井の浪人で八木真兵衛という、堂々と本名を名乗っていた。
「明日にでもお礼にまいるから」
そういって二人はそこを出た。
伊那屋から二軒おいて桔梗屋《ききょうや》というその土地では大きな宿がある、水野兄妹はそこへ宿をとってその夜は寝た。挫いたといってもそれ程ひどくはないのだが、立ったり歩いたりするとかなり痛む、しかしいざというときになれば、勿論《もちろん》そのくらいのことはなんでもなくなるだろう、善之助はかたくそう信じていた。……明くる朝の食事がすむとすぐ、加代が手土産を持って礼にいった。
「おまえは見知られていない筈だから、よくよく八木の顔を覚えて来い。そして滞在するか、出立するとすればいつかということを、それとなくたしかめるんだ」
「はい、いってまいります」
加代はつきつめた顔つきで出ていったが、間もなく土産の包を持ったまま馳《か》け戻って来た、善之助は敏感にようすを察した。
「しゅったつしたか」
「はい……」
加代の声は戦《おのの》いていた。「朝はやく、まだ暗いうちに出かけたと申します」
「すぐ支度をしろ、精《くわ》しいことはあとだ」
善之助は、叱《しか》りつけるように云って立った。
[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]
茅野《ちの》から矢崎《やさき》という部落をぬけて、山へかかる頃にちらちらと雪が舞いだした。晴れていれば一望の美しい八岳《やつがたけ》も見えず、あたりは皚々《がいがい》と白ひと色の景色だった。……八木真兵衛は合羽《かっぱ》を着た肩へ桐油《とうゆ》で包んだ荷を負い、横から吹きつける雪に笠も傾《かた》げず、しっかりした大股《おおまた》で道を登っていった。鼠《ねずみ》色の埃《ほこり》のように、空から舞い落ちてくる雪のほかには動くものとてもなかったが、しばらくするとしゃんしゃんと鈴の音《ね》が聞え、上から馬をひいた一人の農夫が下りて来た。かれは真兵衛の姿をみつけると慇懃《いんぎん》に腰をかがめ、馬を道の脇へ避けながら挨拶した。
「権二郎どのか」
と真兵衛が声をかけた。「降るのに精がでるな、どこへゆかれる」
「上諏訪まで米を持ってまいります。先生もおでかけでございましたか」
「新田《しんでん》のことで奉行所へ出たついでに、下諏訪で一日湯に浸って来たよ。これでもう当分は雪|籠《ごも》りだろうな」
「さようでござります。四五日はつづくことでござりましょう」
「この馬はあの鼻黒だな」
真兵衛は手をのばしてまだ若そうな馬の鼻を撫《な》でた。「見違えるように逞《たくま》しくなったではないか、去年の春はまだ乳をしゃぶりたがっていたのに、早いものだな。これならもう今年はしっかり稼げるぞ」
「おふくろ似で癇《かん》が強くていけません」
「じゃあいってまいれ」
「へえ、ごめん下さいやせ」
低頭してすれ違ったが、権二郎という農夫はすぐ振り返って叫んだ。
「ああ先生、四五日うちに餅《もち》を搗《つ》いて持ってあがりますぞ」
有難うと答えて真兵衛は坂を登っていった。
それからさらに半刻《はんとき》、車山の東の中腹へかかって道の岐《わか》れるところに、埴原《はにはら》地蔵という地蔵堂がある。そこでひと休みして、立とうとしたときだった。降りしきる雪のなかを、急ぎ足に登って来た男女ふたり伴《づ》れの武士が、真兵衛をみつけてあっ[#「あっ」に傍点]と声をあげ、道の上にぴたりと足を止めた。
――なんだ、こんなところへ、道にでも迷って来たのか。
そう思いながら真兵衛が堂から出てゆくと、向うの二人は手早く笠と合羽をぬぎ、いきなり刀を抜いて呼びかけた。
「見忘れたか八木真兵衛、水野久右衛門の子善之助、妹加代だ、父のかたき、勝負」
真兵衛は大きく眼《まなこ》を瞠《みは》った。まぎれもなくゆうべ伊那屋で自分が助けた兄妹である。そしてあのときは気付かなかったが、今あらためてよく見ると正しく水野善之助だった。妹のほうは知らないが善之助の顔には見覚えがある。……そうか、と思ったが敵《かたき》と呼ばれるのは不審だった。
「しばらく待て」
かれはしずかに制した。「いかにも八木真兵衛だが敵と呼ばれる覚えはない。御尊父とは心ならず争いとなり、よんどころなく足へ一刀いれたのは事実だ。しかし軽い一刀で片輪にもならぬほどの傷だった」
「だまれ、その言訳はきかぬぞ」
善之助はひきつったように叫んだ。「きさまの一刀は浅くとも父は面目を失って割腹した。遺恨はきさまの上にある。抜け真兵衛」
「いや抜くまい。居合せた者に聞いてみろ。争いの根源も久右衛門どのの横車、斬《き》りかけたのも久右衛門どの、おれは無法の太刀をさけたまでのことだ、まして自ら腹を切った水野どのに、おれが敵と呼ばれる筋はないぞ」
「問答無用、加代、ぬかるな」
絶叫すると共に、善之助は歯をくいしばりながら斬りつけて来た。真兵衛は避けなかった、むしろ前へ一歩大きく踏みだし、善之助の利腕《ききうで》を掴んでぐいと右へ、捻《ひね》るように引き倒すと、
「おれは勝負はせんぞ。帰れ」
そう怒鳴りつけ、大股にずんずん坂を登っていった。善之助は「待て」と叫び、はね起きようとしたが腰骨に激痛を感じてあっ[#「あっ」に傍点]と前へのめり倒れた。加代は真兵衛の後を追おうとしたが、兄の苦痛の呻《うめ》を聞いて本能的に駈《か》け戻った。
「兄上さま、しっかりして下さいまし」
「おれはかまわぬ、八木を追え」
「でも、兄上さまをこのまま置いてはまいれませぬ。しっかりして下さいまし」
「ええこの腰が!」
兄妹の援《たす》け合う声が、遠のいてゆく耳にかすかながら聞えた。真兵衛は「可哀《かわい》そうに」と呟《つぶや》きつつ、しかし振り向きもせずにぐんぐん坂を登りつづけた。……雪はますますはげしくなったが、気温はいつかゆるみはじめたようである。この地方は冬季に三寒四温を繰り返すことがある。四五日ひどく凍《い》てたから、そのゆるみが来たのかも知れない。そういえば、はげしく降る雪も湿気のあるぼたぼたした感じだった。
――そうか、久右衛門は割腹したか。
真兵衛はふと、あのときの不快な場面を思いうかべながらそっと呟いた。
[#5字下げ]四[#「四」は中見出し]
三年まえ元禄十七年二月(この年三月宝永となる)の末、福井藩の老職木村|甲斐《かい》の家で祝宴があった。城南和田郷の二百町歩にあまる桑圃《そうほ》を、稲田に作換《さくが》えする事業が終った祝いである。福井の製絹業は重要なもので「北荘紬《きたのしょうつむぎ》」といえば古くから諸国に知られていたが、そのため農民が無節制に田を潰《つぶ》して割のよい桑圃にするので、年々と産米の高が減ずる一方だった。勘定奉行所に勤めていた八木真兵衛は、この弊を除かなければ藩政の根幹が危《あやう》くなるとみて、しばしば重役へ献言し、ついに二百町歩作換えの業を興すまでにこぎつけたのである。
――農は米作を以《もっ》て根本とする。養蚕は従である。元《もと》と末《すえ》とを顛倒《てんとう》することは農の精神を喪失することだ。
そういうかれの説が徹《とお》ったのだ。しかし反対者がなかったわけではない。「福井の絹は天下の名産だ。これを増進して藩政を豊かにすれば、今さら米などに拘《かか》わる必要はない」そういって作換えを旧弊の説とする者もあった。水野久右衛門もその一人だった。かれは酒癖のある老人で、癇強くわがままの一徹人だったが、若い真兵衛の説が勝ったのを根にもち、木村邸の祝宴の席でしつこくからんできた。
――利益の多寡《たか》もたしかに問題ですが、政治の根元を匡《ただ》すのはもっと重大でしょう。米はわが国のおおみたから[#「おおみたから」に傍点]で、これを作るところに農民の精神がある。利に走るあまりおおみたから[#「おおみたから」に傍点]を作るべき田をみだりにつぶすのは農の精神にもとります。それでは正しい政治とは云えないと信じます。
かれはそう答えたまま相手にならなかった。水野老人は云い負かされたと思い、逆上して無法にも抜き討ちをしかけた。真兵衛は危く躰を躱《かわ》したが防ぎきれず、やむなく抜き合せたが、老人のあまりの無法さに思わず怒気を発し、つい手に力がはいって高腿《たかもも》へ一刀入れてしまった。……仲裁がはいって、老人はすぐ家へ運び去られたが、そのあとで木村老職が真兵衛に退国をすすめた。「こんどの事では不平家がだいぶある。製絹業の御用商人などがうしろ盾で、つまらぬ企《たくら》みもあるようだ。そこるとは年来の望みを達したのだから、無用の紛争を避けるためにしばらく退国されたらどうか。あとは自分がひき受けるし、騒ぎが鎮《しず》まれば帰参の手筈《てはず》をつける」情理をつくしてそう云われ、多額の銀子《ぎんす》まで出してくれた。……水野老人との間違いがそのまますむとは思えなかったし、家中の利に走る人々の不平も知っているので、真兵衛はすすめられるままにその場から福井を退国したのであった。
かれは越前から飛騨へゆき、木曾を廻ってその年の夏に諏訪へ来た、そして高島藩が米作地に恵まれぬのをみて、ひそかに耕地の開拓を思いつき、領内の殆《ほと》んど北隅にあたる神川の奥にその土地を求めた。……まず人の眼につかぬところで、しかも急斜面の、開墾には困難な場所へ棚田《たなだ》を作り、「どんな処《ところ》でも田が作れる」ということを実際にみせようとしたのだ。そこは最も近い玉川村からでも二里奥にあり、東南にややひらけた深い谿谷《けいこく》で、まったく人煙《じんえん》から隔絶した場所である。真兵衛はみずから貧しい小屋を建て、農具を買って、ひとりこつこつと開墾をはじめたのだった。……それからあしかけ三年になる、今では附近の農民たちも「かんば沢の八木先生」といって慕い、農作のことについて教えを乞《こ》いに来るほどになった。しかもこんどは藩へ届け出て、正式に土地|恩借《おんしゃく》のゆるしも得たのである。かれのつもりでは福井へ帰参せずとも、ここで農夫となって一生を土と共に生きる覚悟ができていたのだ。
――ばかな。なにが敵だ。酒に酔って逆上し、無法に抜き討ちをしかけ、みずから招いた不面目に自害した。そんな者のためにおれが責《せめ》を負う筋がどこにある。
真兵衛はあのときの老人の無法さを思いうかべながら、声をあげて叱咤《しった》したいような気持でそう思った。……そのとき、ふと、うしろのほうでずずずんという低い無気味な地響きがおこった。低いけれどかなり力強い地響きだった。真兵衛は足を止めて振り返った。すると再び、どっどっどどっという幅の広い崩壊音が聞え、立っている足にはげしい震動が伝わって来た。地震かと思った刹那《せつな》、いま通り過ぎて来た横岳《よこだけ》の断崖《だんがい》のあたりに濛々《もうもう》と雪煙のふきあがるのが見えた。
――雪崩《なだれ》だ。
まるで爆煙のように噴きあがる凄《すさま》じい雪煙を見ながら、真兵衛はさすがに竦然《しょうぜん》と息をのんだ、そして次ぎの瞬間には「水野兄妹」ということが光のように頭にひらめいた。
――あれから追って来たとすれば、ちょうどあの崖下《がけした》の道へかかる頃だ、雪崩にやられたかも知れぬぞ。
自分でも抑えようのない気持だった。肩の荷をそこへ投げ、大剣をとり笠を抛《ほう》ると、真兵衛はつきのめされたように道を走《は》せもどっていった。
[#5字下げ]五[#「五」は中見出し]
直立する横岳の断崖から、道を埋めて深い谿谷まで、幅五十間ほどもある凄じい雪崩が伸びていた。断崖の上にはまだ庇《ひさし》のように、非常な量のある雪がのしかかっていて、今にもどっと崩れかかるかと思えた。……走せつけて来た真兵衛はおのれの危険を忘れて、
「おーい水野、おーい、いるか」
そう叫びながら、ひっしに雪崩のそこ此処《ここ》を捜しまわった。道のすぐ下のところに、千切れた女の片袖《かたそで》が落ちていた。兄妹がやられたことはたしかである。真兵衛はずぶずぶともぐる雪の中を泳ぐように下へおりていったが、間もなく呻《うめ》きごえが聞え、拳《こぶし》を握った男の片手をみつけた。雪を掻《か》きわけてゆくと谷のほうへのめった恰好《かっこう》で善之助のからだが出てきた。
「おい水野、しっかりしろ」
肩をつかんでひき起そうとすると、善之助は苦痛の叫びをあげ、しかし我にかえったようすで眼をみひらいた。
「雪崩はまた来るぞ。早く起きろ」
「いや……おれはだめだ」
善之助は首を振った。「おれはだめだから、妹をたのむ。加代が、この下にいるから、加代を助けてやってくれ」
真兵衛はさらに雪を掻きのけた。すると善之助の右手がなにかつかんでいる。女の扱帯《しごき》の端らしい。それを伝って掘り進んでゆくと、這《は》い上ろうとでもするような恰好で加代の埋まっているのを発見した。
「加代さん、しっかりするんだ。加代さん」
呼びかけながらひき起こした。加代はすぐ気付いた。眼をあいてこちらを見たが、低く呻くとそのまま意識を喪《うしな》っていきそうだった。真兵衛は娘の腕を肩にかけて、なかば抱《いだ》くようにしながら雪の斜面を登りだした。娘のからだの柔かい温《ぬく》みは感じられるが、なかば意識を喪っているのでひどく重かった。そのうえ斜面は崩れかかった雪で、ともすればずるずると下へ滑ってしまう。真兵衛はひと足ずつ雪を踏み固めながら、文字どおり一寸二寸と這い登らなければならなかった。
こうしてようやく道の下まで辿《たど》り着いたとき、ざあっという滝の落ちかかるような音がし、断崖の上へのしかかっていた雪庇《せっぴ》の一部が崩れ落ちて来た。真兵衛は全身の血が冰《こお》るかと思った。それが大きな雪崩になれば万事終りである。だが幸いそれは庇の一部だった。頭からざっとひと浴びしただけで、雪崩にまでならずにすんだ。
「加代さん気をたしかに、加代さん」
ようやく道の上へ這い登り、安全な崖下の蔭《かげ》のところへおろすと、真兵衛は娘の背を叩《たた》きながら叫んだ。娘は再び眼をみひらいた。
「これから善之助どのを救って来る。あなたは此処で待っておいでなさい。気をしっかりもって、いいか。しっかりしないと死んでしまうぞ」
加代は微《かす》かに頷《うなず》いて半身を起こした。真兵衛はすぐに斜面をおりていった。そこまで道から五十尺あまりある。ゆき着いて、おいと呼びかけながらひき起こした。
「水野、しっかりしろ」
「ああ……」
善之助は苦しげに呻いた。「構わないでくれ、おれはもういけない。妹を……加代を」
「加代さんは助けた。元気をだせ」
「いやだめだ。おれは足を折ったようだ。胸もひどくやられている。もう動けないんだ」
「なにを云う水野」
真兵衛は烈《はげ》しく叱咤した。「きさまはそんな未練者か。おれは此処に生きているぞ。父のかたきを討たなくていいのか、八木真兵衛はきさまの眼の前にいるんだぞ。水野、きさまそれでも武士か」
「それでも……動けないんだから……」
「ばか者!」
叫びざまかれは善之助の高頬を平手で打った。ぴしぴしと三つ四つ打ち、衿《えり》をつかんでひき起こした。そのときごーっという地鳴りが起り、上のほうからばらばらと雪が飛び散って来た。真兵衛は血走った眼でふり仰いだ。断崖の上の雪庇はずっと大きくのしかかって来ている。ごーっ、ごーっという地鳴りの音は、断崖の上へ大量の雪崩が押し迫っている証拠だった。
――いかん、間に合わぬかも知れんぞ。
いまそのまま独りで登れば間に合う。それはわかっているが善之助を捨ててゆく気はなかった。かれは加代のときと同じように、相手の腕を肩にひきかけた。「あっ」と善之助は絞りだすような声で呻いた。傷が痛むのに違いない。しかし構わず背へもたせ掛け、懸命の力で斜面を登りだした。足掛りのない雪の中を、泳ぐように、片手と両足で精根をつくして這い登ってゆく頭上には、脅《おびや》かすような地鳴りの響きがごーごーと起り、先触れの雪塊《せっかい》が絶えずばらばらと飛んで来る。
――八幡《はちまん》、もうしばらく。
真兵衛は神を念じた。もうしばらくである。道はそこにみえているのだ。
「加代さん、加代さん」
「……はい」
真兵衛に自分の力がいまに限度に達しかかっているの知った。雪崩の来る前に登りつけそうもないと気づいたのである。
「あなたの扱帯がある筈だ。帯も解いて、ふたつを結んで下さい。早く、それから、その端をどこでもよい。岩角でも、あなたのからだへでも縛りつけて下さい。急いで」
できたら一方の端を投げろと云いつつ、さいごの力をふるって登りつづけた。
「はい……投げます」
加代の声がして、扱帯の一端が投げられた。真兵衛はそれで善之助の脇《わき》から肩へかけてしっかりと縛りつけ、ふり仰いで娘を見た。……加代は道から身を乗りだしていた。そして真兵衛のふり仰いだ顔をみると、急に泣くような表情をみせた。二人は一瞬くいいるように互いの眼を覓《みつ》めた。
「その端をしっかり持っていて下さい。いまあがりますから」
真兵衛はそう云って身を起こした。そのとき雪崩が襲いかかったのである。まるで巨大な雪の山がそのまま倒れかかるようだった。なんとも形容しようのない地鳴りと、突風の来るような空気の震動につれて、眼の前がどっと鼠色の雲で掩《おお》われ、大地を粉砕するかと思える勢《いきおい》で雪の激流が谷を叩いた。……加代は悲鳴をあげた。その鼠色の激流の中に、仰《のけ》ざまになって押し伏せられる真兵衛の姿がちらと見えたのである。あとは轟音《ごうおん》と濛々たる雪煙だった。なにも見えず人のこえも聞えなかった。加代はそこへ気を失って倒れた。
[#5字下げ]六[#「六」は中見出し]
かんば沢の「八木先生の小屋」には六七人の農夫が集って、炉の火を囲みながらしめやかに話していた。……手作りらしい粗末な仏壇には、燈明がともり香の煙がゆれている。あれから一年の月日がめぐって、その日がちょうど亡《な》き真兵衛の命日に当っているのだ。
「……水野さまはからだを縛りつけられていたので、雪崩に流されずに助かりなすった。もっとも五郎七が通りかからなかったら、御兄妹もあのまま凍え死をなすったことだろうが」
「そうだ、呑《の》んだくれが男をあげたからな」
「当分あの自慢でうるさかったっけ」
しずかな笑いごえが起り、炉の火がぱちぱちはぜ[#「はぜ」に傍点]た。
「だが先生はおりっぱだった」
権二郎という若者が云った。
「あたりまえの仲なら別だが、かたき[#「かたき」に傍点]と呼ばれている身で、云わばこっちの命を覘《ねら》っている者をお助けなすった。ご自分の命を捨ててお助けなすったんだ。普通の者にできることじゃあない。かたき[#「かたき」に傍点]同士だったんだからな。……これだけは飽きるほど云っても云い足りないよ」
「そうだ、まったく普通の者にできることじゃあない」
「惜しい方だった。この村だって見知らぬ土地なのに、ああして誰に頼まれたわけでもなく田地をおこし、おらたちに棚田の作れることを教えて下すった。このまわりだけでも集めれば二十町歩は田ができたろう。それがみんな先生のおかげなんだからな」
「惜しい人は早く亡くなるという。だがまだおらには夢のようにしか思えない」
「……去年の今日」
権二郎が溜息《ためいき》をつきながら云った。「おらは先生と道で会った。四五日うちに餅《もち》を搗《つ》いてあがりますとお約束したっけだ。茂八のいうとおりまったく夢のようだ」
ひきいれられるように、みんないっとき口を噤《つぐ》んで故人を偲《しの》んだ。
「御兄妹はまだお墓かね」
しばらくして茂八という若者が云った。
「吹雪《ふぶ》いてるだから往き来にかかるだ。もう帰ってみえるだろうが、……なあみんな。今のうちに云っとくが、水野さまは八木先生のお志を継いで、生涯このかんば沢で百姓をして終ると仰《おっ》しゃる。嘘《うそ》でない証拠はこの一年でよくわかる。いわば八木先生の跡継ぎだ。みんなそのつもりで、これからは先生とかたき[#「かたき」に傍点]同士だったなどとこれっぱかりも云わねえようにするだぞ。わかったか」
「わかっただよ。水野さま御兄妹は先生も同じことだ。いまにきっと村に無くてならない方になって下さるだろう」
「お加代さまに婿《むこ》をとってな……」
明るい笑が小屋のなかに溢《あふ》れ、仏壇の香の煙がゆらゆらと揺れた。そこへ人の話しごえが近づいて来た。御兄妹がお帰りなすったといって、みんなが立つと、戸が明いてさっと吹き込む雪と共に水野兄妹がはいって来た。
「お帰りなさいまし。大変だったでしょう」
そう云いながら、みんなで笠をとったり蓑《みの》をとったりしてやった。それから炉端でしばらく話をしたのち、農夫たちはいとまを告げ、伴《つ》れだって雪のなかを帰っていった。
兄妹は燈明をあげ直したり、香を替えたりして、やがて二人ひっそりと炉端に向き合って坐った。
「……加代、あらためて云うことがある」
善之助はふと顔をあげて云った。妹は泣き腫《は》らしたような眼で兄を見た。
「われわれが八木|氏《うじ》をかたき[#「かたき」に傍点]と呼んだのは、実を云うとその理由《わけ》がなかったのだ」
「まあ、兄上さまなにを仰しゃいます」
「いや本当なんだ」
善之助に胸の中の苦しいものを吐きだすような調子で云った。「父上が御自害なすったとき、おれに宛《あ》てて遺書が一通あった。それにはあのときの争いの責任がご自分にあること、乱酔したご自分の不始末だということが認《したた》めてあり、八木どのに恨みを持ってはならぬという意味のことが繰り返し書いてあった」
「……まあ」
加代は意外な話におどろいて眼を瞠った。「でも兄上さま。もしそれが本当なら、どうして」
「どうして仇討《あだうち》に出たというのか。それは、それはなあ加代。子として父上の不始末を世間に知られたくなかったからだ。御遺書を世間に披露すれば仇討に出ずともすむ。しかし同時に父上の恥を世人《せじん》に示す結果となるだろう。おれは子としてそれに堪《た》えられなかった。御遺書のことはおまえにも秘して出て来たのだ」
加代は云いようのない感動で胸をしめつけられた。兄のとった態度は人の子として、また武士として誤ってはいない。そうするほかに道はなかったであろう。けれど、それでは八木さまがいかにもお気のどくだ。
――かたき[#「かたき」に傍点]と呼ばれる覚えはない。
あのときそう仰しゃった。本当にそう呼ばれる覚えのないお顔つきだった。まざまざと眼に残っているそのときの真兵衛の顔がお加代の心をうちのめすのだった。
「われわれは伊那屋で助けられ、雪崩で命を救われた、おれがもうだめだと云ったとき、八木氏は『敵討をどうする』と自分では望まぬことまで云って励ましてくれた、あのときの平手打ちは、――おれには生涯忘れることができない」
「兄上さま。いつまでも八木さまのお志を継いでまいりましょう。八木さまはお百姓の道のためにおはたらきなさいました。わたくしたちでそのお志を継いでまいりましょう。それがなによりの御恩がえしだと存じます」
「そうだ。いつまでも、おれたちの生きる道はこのかんば沢のほかにはないんだ」
加代はそっと立って、仏壇の前に坐《すわ》った。合掌しながらじっとなにか念じているのは、いま聞いた兄の告白を伝えているのであろうか。……昏《く》れかかる谷のかなたから、そのとき遠くずずずんとにぶい雪崩の音が聞えて来た。
[#地から2字上げ](「陣中倶楽部」昭和十九年二月号)
底本:「怒らぬ慶之助」新潮社
1999(平成11)年9月1日発行
2006(平成18)年4月10日八刷
底本の親本:「陣中倶楽部」
1944(昭和19)年2月号
初出:「陣中倶楽部」
1944(昭和19)年2月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ