harukaze_lab @ ウィキ
女ごころ
最終更新:
harukaze_lab
-
view
女ごころ
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)郁之助《いくのすけ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)軍|吉宗《よしむね》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「たけ」に傍点]
-------------------------------------------------------
「郁之助《いくのすけ》さま」
思いつめたように、お由良《ゆら》はかすれた声でささやいた。冷めたい細い指がおののきながら、一膝《ひとひざ》にじりよって、華やかな夜具のすその方に、まるで友禅《ゆうぜん》の緋模様《ひもよう》に火傷《やけど》でもしそうに怖《こ》わ怖《ご》わ座っていた相手の膝の上に差し延された。
「そのような、私にはそのような恐ろしいことは……」
じりじりと後にさがる郁之助の身体《からだ》。
「ええ、何とおっしゃいます」
火のように燃えたお由良の切長《きれなが》の眼はこの時はっきりと見開かれて、相手の面長《おもなが》な、華奢《きゃしゃ》な顔だちの上にひたと据えられた。
漁火《いさりび》の点滅する沖合から肌冷えの夜風が、この品川の宿のさんざめきを掻《か》き乱すように吹いていた。
「それほどまでに、将軍さまとやらが怖《おそ》ろしいのでございますか。由良には判《わか》りません。何故《なぜ》連れて逃げるとおっしゃって下さらないのです。何故一緒に死のうといって下さらないのでしょうか。今宵《こよい》このような場所へおさそいしたのは、そうした郁之助さまのお覚悟をお聞きしたかったからですのに……」
お由良は品川宿の古い本陣、枡屋《ますや》平兵衛の一人娘だった。
この夏、八代将軍|吉宗《よしむね》は品川から大森にかけての海浜一帯で、汐干狩《しおひがり》を催した。もちろん江戸在勤の諸侯、麾下《きか》の旗本すべてが参加する規模の大きなものであった。その帰路、枡屋の前で駕籠《かご》を止めた吉宗はお傍衆に、
「あの者は何と申す?」
と声をかけた。近くにいた旗本馬場三郎次郎は遥《はる》かに平伏していた平兵衛の許《もと》まで走り寄ると、横に土下座している娘の名を問うた。
「由良、確《しか》と相違ないな。いずれご沙汰《さた》があろう」
いうなり飛んで帰って復命する。出発の触《ふれ》が下り、真夏の土埃《つちぼこ》りの中に一行の姿が消えてからも、へたばったように額を土にすりつけて平兵衛一家は動かなかった。
こうした場合、娘は手続をふんで大奥《おおおく》に上がることになるのが慣例だった。将軍のお目に止まる。つながる両親、親戚《しんせき》一統にとってそれは過大な名誉と報酬を意味している。いなやのあろう筈《はず》はなかった。
だが、由良にはいい交し、親も許した愛人がいた。尾崎郁之助二十三歳。備後《びんご》のくに福山藩の浪人尾崎高之進の次男であった。高之進は書画《しょが》骨董《こっとう》にも眼が利《き》き、同好の平兵衛とは常日ごろ親しく行き来していた。
「郁之助にはよく申聞かせました。ご心配なさらぬよう」浪人して長く、浮世の波にはもまれ尽した高之進はあっさりとそういった。それきりぴたりと父子の足は枡屋には近づかなかった。内心喜んでいる枡屋の空気がやはり堪え難かったのであろう。由良だけが周囲の浮き浮きしたざわめきの中で冷めたく心を閉じていた。郁之助に一眼会いさえしたら……。その一筋の願《ねがい》が乳母のたけ[#「たけ」に傍点]を動かして料亭|瓢《ひさご》での今夜の首尾になったのである。
朱塗りの絹行灯《きぬあんどん》の火がぼうと霞《かす》んだように柔い光を投げている中で由良の細い声だけが尾を引いた。
「郁之助さま。もう一度だけお尋ねします。由良はどうすればよろしいのでしょうか」
激しい鳴《お》えつが薄い肩をふるわせる。おずおず延した郁之助の手がその肩に触れそうになったが、二、三度ゆらいで、宙に止まった。
それからちょうど、一年。今年も中秋に近い月光が澄んだ青空に波頭を輝やかせた。枡屋の人々の環境の上にも何の変化もなかった。あれきりお上《かみ》からは何のお達しもなかったのである。
むやみに親切になって、つまらぬ用事にもわざわざ自分でやって来ていた宿場役人も、もうこのごろは顔ものぞかせなくなった。聞き伝え、語り伝えては立ち寄った近隣の人々も忘れた顔であった。ただ平兵衛だけは伝手《つて》を求めてはあちこち駈け廻ってやっ気になっていた。大奥に入って将軍のお手がつく、直截《ちょくさい》にそう呑《の》みこんだ彼はこれまでも。一通りは仕込んであった芸ごとも江戸から有名な師匠をわざわざ招いてさらわせる、長持ち箪笥《たんす》の類を買いかえる、騒ぎであった。三月たち半年たって何の音沙汰もないと、彼はわざわざ馬場三郎次郎の許まで訪ねて行った。「上様は覚えがないといわれる」四度目に彼はそう突放された。吉宗は別に由良に目を止めて尋ねた訳ではなかったのだ。権威者の小さな気まぐれ。
平あやまりにあやまった平兵衛はやっと高之進親子に再びよりを戻してもらった。
だが、由良だけは、一室にこもったきり再び郁之助に会うとはどうしてもいわなかった。
「由良はもうあの時に死んでいるのです。恥しさをしのんでお目にかかった時に、郁之助さまは怖ろしいといわれました。あれから後の由良は由良ではありません。そんな由良では郁之助さまのご不幸です」
襖《ふすま》の外に郁之助が首うなだれて聞いているのを承知で、由良は平兵衛にきっぱりといい切るのだった。
[#地から2字上げ](「読切小説集」昭和二十八年十月号)
底本:「怒らぬ慶之助」新潮社
1999(平成11)年9月1日発行
2006(平成18)年4月10日八刷
底本の親本:「読切小説集」
1953(昭和28)年10月号
初出:「読切小説集」
1953(昭和28)年10月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)郁之助《いくのすけ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)軍|吉宗《よしむね》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「たけ」に傍点]
-------------------------------------------------------
「郁之助《いくのすけ》さま」
思いつめたように、お由良《ゆら》はかすれた声でささやいた。冷めたい細い指がおののきながら、一膝《ひとひざ》にじりよって、華やかな夜具のすその方に、まるで友禅《ゆうぜん》の緋模様《ひもよう》に火傷《やけど》でもしそうに怖《こ》わ怖《ご》わ座っていた相手の膝の上に差し延された。
「そのような、私にはそのような恐ろしいことは……」
じりじりと後にさがる郁之助の身体《からだ》。
「ええ、何とおっしゃいます」
火のように燃えたお由良の切長《きれなが》の眼はこの時はっきりと見開かれて、相手の面長《おもなが》な、華奢《きゃしゃ》な顔だちの上にひたと据えられた。
漁火《いさりび》の点滅する沖合から肌冷えの夜風が、この品川の宿のさんざめきを掻《か》き乱すように吹いていた。
「それほどまでに、将軍さまとやらが怖《おそ》ろしいのでございますか。由良には判《わか》りません。何故《なぜ》連れて逃げるとおっしゃって下さらないのです。何故一緒に死のうといって下さらないのでしょうか。今宵《こよい》このような場所へおさそいしたのは、そうした郁之助さまのお覚悟をお聞きしたかったからですのに……」
お由良は品川宿の古い本陣、枡屋《ますや》平兵衛の一人娘だった。
この夏、八代将軍|吉宗《よしむね》は品川から大森にかけての海浜一帯で、汐干狩《しおひがり》を催した。もちろん江戸在勤の諸侯、麾下《きか》の旗本すべてが参加する規模の大きなものであった。その帰路、枡屋の前で駕籠《かご》を止めた吉宗はお傍衆に、
「あの者は何と申す?」
と声をかけた。近くにいた旗本馬場三郎次郎は遥《はる》かに平伏していた平兵衛の許《もと》まで走り寄ると、横に土下座している娘の名を問うた。
「由良、確《しか》と相違ないな。いずれご沙汰《さた》があろう」
いうなり飛んで帰って復命する。出発の触《ふれ》が下り、真夏の土埃《つちぼこ》りの中に一行の姿が消えてからも、へたばったように額を土にすりつけて平兵衛一家は動かなかった。
こうした場合、娘は手続をふんで大奥《おおおく》に上がることになるのが慣例だった。将軍のお目に止まる。つながる両親、親戚《しんせき》一統にとってそれは過大な名誉と報酬を意味している。いなやのあろう筈《はず》はなかった。
だが、由良にはいい交し、親も許した愛人がいた。尾崎郁之助二十三歳。備後《びんご》のくに福山藩の浪人尾崎高之進の次男であった。高之進は書画《しょが》骨董《こっとう》にも眼が利《き》き、同好の平兵衛とは常日ごろ親しく行き来していた。
「郁之助にはよく申聞かせました。ご心配なさらぬよう」浪人して長く、浮世の波にはもまれ尽した高之進はあっさりとそういった。それきりぴたりと父子の足は枡屋には近づかなかった。内心喜んでいる枡屋の空気がやはり堪え難かったのであろう。由良だけが周囲の浮き浮きしたざわめきの中で冷めたく心を閉じていた。郁之助に一眼会いさえしたら……。その一筋の願《ねがい》が乳母のたけ[#「たけ」に傍点]を動かして料亭|瓢《ひさご》での今夜の首尾になったのである。
朱塗りの絹行灯《きぬあんどん》の火がぼうと霞《かす》んだように柔い光を投げている中で由良の細い声だけが尾を引いた。
「郁之助さま。もう一度だけお尋ねします。由良はどうすればよろしいのでしょうか」
激しい鳴《お》えつが薄い肩をふるわせる。おずおず延した郁之助の手がその肩に触れそうになったが、二、三度ゆらいで、宙に止まった。
それからちょうど、一年。今年も中秋に近い月光が澄んだ青空に波頭を輝やかせた。枡屋の人々の環境の上にも何の変化もなかった。あれきりお上《かみ》からは何のお達しもなかったのである。
むやみに親切になって、つまらぬ用事にもわざわざ自分でやって来ていた宿場役人も、もうこのごろは顔ものぞかせなくなった。聞き伝え、語り伝えては立ち寄った近隣の人々も忘れた顔であった。ただ平兵衛だけは伝手《つて》を求めてはあちこち駈け廻ってやっ気になっていた。大奥に入って将軍のお手がつく、直截《ちょくさい》にそう呑《の》みこんだ彼はこれまでも。一通りは仕込んであった芸ごとも江戸から有名な師匠をわざわざ招いてさらわせる、長持ち箪笥《たんす》の類を買いかえる、騒ぎであった。三月たち半年たって何の音沙汰もないと、彼はわざわざ馬場三郎次郎の許まで訪ねて行った。「上様は覚えがないといわれる」四度目に彼はそう突放された。吉宗は別に由良に目を止めて尋ねた訳ではなかったのだ。権威者の小さな気まぐれ。
平あやまりにあやまった平兵衛はやっと高之進親子に再びよりを戻してもらった。
だが、由良だけは、一室にこもったきり再び郁之助に会うとはどうしてもいわなかった。
「由良はもうあの時に死んでいるのです。恥しさをしのんでお目にかかった時に、郁之助さまは怖ろしいといわれました。あれから後の由良は由良ではありません。そんな由良では郁之助さまのご不幸です」
襖《ふすま》の外に郁之助が首うなだれて聞いているのを承知で、由良は平兵衛にきっぱりといい切るのだった。
[#地から2字上げ](「読切小説集」昭和二十八年十月号)
底本:「怒らぬ慶之助」新潮社
1999(平成11)年9月1日発行
2006(平成18)年4月10日八刷
底本の親本:「読切小説集」
1953(昭和28)年10月号
初出:「読切小説集」
1953(昭和28)年10月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ