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逆撃吹雪を衝いて
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逆撃吹雪を衝いて
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)吹雪《ふぶき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)色|露西亜《ロシア》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)※[#感嘆符三つ、233-3]
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[#3字下げ]爆薬五百斤[#「爆薬五百斤」は中見出し]
吹雪《ふぶき》! 吹雪! 霏々《ひひ》たる吹雪。
北満洲の天地は荒れ狂う吹雪だ。半月以上も降りつづく雪は地の果まで白く積って、烈風がその上を白鬼のごとく狂いまわっている。
風雲急を告ぐる東支鉄道沿線、ピグメリンスク駅附近のクラスナヤ丘陵地帯に赤色|露西亜《ロシア》の駐屯兵営があった。いうまでもない、駐屯兵は惨虐《ざんぎゃく》飽《あ》くなきパルチザンである
夜だ――。この兵営の参謀会議室では、いま参謀長ソフロン大佐が、幕僚三名と共に額をあつめて、重大な密議に耽《ふけ》っている。
「日本軍の尖兵は、いつ宿営するのか」
「明日です!」
答えたのはベレゾフ少尉である。彼はいま支那服をきているとおり、支那人に化けて常に日本軍の行動を探査しているスパイだ。
「で、――、どうして日本軍を撃破しようというのかね、ベレゾフ少尉?」
「日本軍が進軍してくる前に、オーレル村の兵営の地下室へ、強烈な爆薬を五百斤埋設しておきます。そして日本軍が営舎の中にはいった時、電線を通じてこれを一時に、どかん[#「どかん」に傍点]とやっつけようという化掛けです!」
「うまい! 素的だ!」
聴いていた三人は、思わず手を拍《う》って叫んだ。
「しかし、日本軍が宿営するまでに、爆薬を埋設することができるかね少尉?」
「埋設はすでに終ったです!」少尉は莞爾《にっこり》として、
「そればかりでなく、もう導火線となる電線さえ、ここまで引いてきてあるのです!」
「どれ?」
「これがその電流線です! このスイッチをさっと押しさえすれば、オーレル村の兵営はどかん[#「どかん」に傍点]! と木葉微塵《こっぱみじん》ですよ!」
そういって少尉は壁にしかけてある一本の電流線を示した。参謀官一同は、思わずあっ! と云《い》って感歎の眼を瞠《みは》るのであった。
「そうか、いや感謝します、ベレゾフ少尉」
ソフロン大佐は少尉の手を犇《ひし》と握って云った。
「では君から合図があったら、このスイッチを押しさえすればいいのだな?」
「そうです!」
「これで日本軍撃滅は疑いなしだ。ではベレゾフ少尉、君はすぐ出発して、日本軍の行動を密偵してくれ給え。……誰だ!」
突然何を聞つけたか、ソフロン大佐が叫んだ。
「……?」
参謀官一同も血相を変え拳銃《ピストル》を握って突立上《つったちあが》った。
と――扉《ドア》が開いてはいってきたのは、花のように美しい顔《かんばせ》と、羊のように柔《やさ》しい眼を持った支那服の少年だった。
「なんだ、李芳《リイファン》か」
李芳《リイファン》はソフロン大佐の少年給仕であった。大佐も参謀官達もほっとして拳銃《ピストル》を下ろした。
「大佐殿、唯今《ただいま》カシアン大尉殿が、二十名ばかりの日本人を捕虜にして帰ってこられました!」李芳《リイファン》はそういってにっこり笑った。
「そうか、それはカシアン大出来だ、すぐにその日本人共を連れてここへくるようにいえ!」
「はい!」敬礼して李芳《リイファン》が出る――同時に、ベレゾフ少尉も支那服の上に毛皮の外套をひっかけて、日本軍の密偵をすべく、吹雪を衝《つ》いて出ていった。
間もなく、どやどやとパルチザン騎馬隊に取巻《とりま》かれて、二十人あまりの日本人が引入《ひきい》れられてきたこの人々は東支鉄道沿線|春潭《しゅんたん》駅にある日本製鉄所の所長とその所員達で所長秋山省二郎氏の家族の中には、夫人幸子、令嬢絹枝など、優しい女性もまじっていた。
「ふんふん、こいつらか、我々パルチザンを怖れず、飽くまで製鉄所に居残っていたという日本人共は?」
ソフロン大佐はそう云いながら、一列に並んだ日本人へにやりと冷笑をくれて、つと立上りざま、中央にいた製鉄所長秋山氏の横顔を、力任せにびしりと殴りつけた。あまりの乱暴、かっとなった瀬川という若い事務員が「何をする!」と叫んで出ようとするのを、秋山氏はしっかり抑えていった。
「待て! いますこしでも抵抗すれば、抗戦したと見なされて、ここにいる全部の者が殺されて了《しま》う。我慢しろ! どんな侮辱があっても反抗するな!」
「それでもあんまり――」
「頼む、我ら二十人のためだ!」
瀬川は拳を顫《ふる》わせながらうなだれた。日本人が反抗せぬと見たソフロン大佐、持前の惨虐性がむらむらとこみあげてきた。
「日本人は勇敢無比だと聞いたが、此奴《こいつ》らは臆病者とみえるな、ふふん! どうだ、ひとつ裸になって踊って見んか?」
「裸にしましょうか、大佐殿?」
傍から髯むしゃのカシアン大尉がいった。そして、野獣のような手で、まず秋山所長の外套をべりべりと引剥いた。
「裸になれ! 黄色人め! 裸だ!」
[#3字下げ]血に染む屈辱[#「血に染む屈辱」は中見出し]
悲惨とも、無残とも云いようがない。
見よ! 反抗すれば殺される、黙って忍べと所長の言葉に一同暗涙にむせんでいる所員達、それを鬼のようなパルチザンは片端《かたっぱし》から裸にして行った。一人二人――ついに所長の夫人、花のような令嬢までが、下着一枚に剥がれて了《しま》った! それ何たる非道ぞ。
「ああ、残念だ!」血気にはやる若い所員たちは、口惜《くや》しさのあまり我とわが唇を噛み裂くより、とうとうと流れる血潮だ!
「ほほう、どいつも此奴《こいつ》も黄色くって、痩せ狼のようにごつごつしているな、これではシチュウ鍋にも入れられんわい。わははははは」
ソフロン大佐は、いから愉快そうに、腹を揺って笑った。しかし、まだそんなことで満足したのではない。彼は急に鬼のような眼をカシアン大尉の方へ振向《ふりむ》けると、
「カシアン、此奴《こいつ》らを裸のまま火薬庫へ入れておけ、日本軍は真先に火薬庫を狙って大砲をうつに相違ない。そうすれば、此奴《こいつ》らは自分達の兄弟の大砲にうたれて、火薬と一緒に爆発するだろう! 早くしろ!」
「はっ!」大尉が答えたとたん、ずしんと地面を下から持上《もちあ》げられたような感じがして、窓から外がぱっと青白く光ったと思うと同時に、
「どどどどどど※[#感嘆符三つ、233-3]」と恐ろしい大爆発が起った。大地震のように震動した営舎の中で、ばたばた横倒しになった皆がようやく起上《おきあが》った時、衛兵の一人が駈けこんできて叫んだ。
「大佐殿、火薬庫が爆発いたしました※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「なんだ※[#感嘆符疑問符、1-8-78] 火薬庫の爆発※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
大佐の顔は紙のように白くなった。
「間抜けめ! 原因は何だ※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
「分りませんです※[#感嘆符三つ、233-9]」衛兵はがたがた顫えている。
「この鯖《さば》野郎め! すぐ捜査しろ、日本軍のスパイが入込《いりこ》んでいるに違いない、とっつかまえて銃殺だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「は※[#感嘆符三つ、233-12]」鯖野郎は横っ跳びに出ていった。
二名の衛兵は吹雪の中へ突進した。
大爆発をした後で、見るかげもなくなっている火薬庫の傍までくると、彼方《かなた》の白樺の木蔭を駈けてゆく怪しい人影がある。
「止れ! 撃つぞ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」衛兵の一人が叫びざま狙い撃ちに二発撃った。と、走っていた人影は雪の中へばったり倒れる、しめた! とばかり二人の衛兵は、大急ぎで際へ駈けつけた。見るとなかば雪に埋《うずも》れて倒れているのは? ――
「や! や! こりゃ李芳《リイファン》だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「李芳《リイファン》だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
覗いてみると、なる程、ソフロン大佐の給仕、支那少年|李芳《リイファン》である。
「李芳《リイファン》を殺しては、大佐殿に何といって叱られるかしれぬ。困ったことになったなあ」一人が案じていると、前のが、
「なあに此奴《こいつ》が日本軍のスパイで、火薬庫を爆発させた犯人だといえばすむさ!」
「ああそうか※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
なる程これでは大佐が鯖野郎と罵《ののし》るのも無理はない。二人がそんなことを話している隙だ。狙撃されて倒れていたはずの少年|李芳《リイファン》が、そっと半身を動かした。と思うとたん、
「そう! 私はいかにも日本のスパイです※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
低く力のある声で云った。
「やっ※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」吃驚《びっくり》してふり向く衛兵二人の眼の前へ、拳銃《ピストル》をつきつけてすっと立上ったのは李芳《リイファン》だ。
「やっ※[#感嘆符二つ、1-8-75] 貴様※[#感嘆符二つ、1-8-75]」あっけにとられて立竦《たちすく》んでいるのを尻眼にかけ、李芳《リイファン》はりん然として、
「さあ、今こそ見せてあげます。私は陸軍少佐大林次郎の妹|公子《きみこ》です。火薬庫を爆破したのは勿論、これからここにいるパルチザン全軍を木葉微塵にしてやるのも私です。さあ、日本少女の姿を見てお置きなさい※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
いい放つと共に、片手で支那服をかなぐり捨てた下から出たのは、日本の女学生服を着た大林公子その人の、凛々《りり》しく美しい姿だ。
「あっ!」――「あっ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」もろ声に驚きの叫びをあげた瞬間、公子の右手に握られた拳銃《ピストル》が、がん[#「がん」に傍点]! がん[#「がん」に傍点]! と火を放った。ううと呻《うめ》いて二三歩逃げ出したが、二人の衛兵いずれも見事心臓を射抜かれて雪の中へうち倒れた。
公子は脱兎のように、白樺の林の奥へ走っていった。そこには、昼のうち用意しておいた一頭の駿馬「隼《はやぶさ》」が蹄をならして待っていたのだ。雪を払ってとび乗る公子。
「隼! 駈けておくれ! 真直《まっすぐ》に日本軍へ! そら※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
鞭がなる、ひひひん、嘶《いなな》く隼だ。たたたと雪を蹶《け》って、美しい間諜を乗せた駻馬《かんば》は疾駆する、西へ! 西へ!
天も地も吹雪だ! 真白だ! その風その雪を衝いて、人馬一団は西へ飛ぶ。
[#3字下げ]恐るべきスパイ[#「恐るべきスパイ」は中見出し]
そのころ、大林少佐の指揮する満洲守備隊の尖兵五百人は、吹雪を衝いて進軍、オーレル村を占拠し、全兵員は露軍の捨てていった兵営に入って、宿営することになった。
「孫文伝《そんぶんでん》君はいるかね?」
夕食をしまった大林少佐は、明日の進軍計画をたてるために、土地の案内役として雇い入れた支那人を叫んだ。
「お呼びですか?」
「そこへかけ給え!」
孫文伝は黒い眼鏡をかけ、毛皮の防寒帽を深く冠《かぶ》ったまま椅子《いす》にかけた。どこやらにひと癖ありげな男である。
「兵士方は、みんな兵営へ入られたですか――少佐殿」
椅子にかけると共に訊いた。
「皆宿営したはずだよ。そして明日の進軍路の相談だが、君の考えではいま露軍はどの辺にいると思うかね」
「さあ、多分――」云いかけた時だ。だだと雪煙を蹶立《けた》てて駈け来《きた》った馬上の少女、驚く歩哨に馬を預けると脱兎のように少佐の室《へや》へ跳《おど》りこんだ。ひとめ見るより、「やや公子※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」叫んで立つ少佐。同時に少女は拳銃《ピストル》を孫文伝に突つけて叫んだ。
「手をあげろ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「な、なにありますか?」孫文伝はまごまごして手をあげる、公子は片手で孫文伝を威脅《おど》しながら、
「兄さん、早く全員を兵舎の外へ出して下さい。一刻も早くです※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「よし※[#感嘆符二つ、1-8-75] 喇叭《らっぱ》兵、非常召集を吹け※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
命令一下、非常召集の喇叭《ラッパ》は吹かれた。既に横になろうとしていた全軍は、倉皇《そうこう》として営舎をとび出した。
「皆外へ出ましたか?」
「出た!」
「では、この支那人の正体を見せてあげます」
云うと共に、公子は歩みよって孫文伝の防寒帽をぐいと引剥いだ。意外! 帽子の下に現われたのは、碧眼《へきがん》紅毛の欧洲人ではないか。
「パルチザンの将校スパイ、ベレゾフ少尉です!」
そう云って公子がにっこり笑った。
「や! 貴様スパイか※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」少佐が呆れるよりも、当のベレゾフは肝玉を潰すほど吃驚《びっくり》して呻《うな》った。
「おう、お前は李芳《リイファン》」
云うと見るや、さっと右手をズボンのポケットへ突込んだ。ずん! と鳴る拳銃《ピストル》。しかし、それより疾《はや》く、公子の拳銃《ピストル》が火花を散らせていた。がん! がん!
「おう! 祖国! ロシア!」
呻《うめ》くようにいってベレゾフ少尉は口から血を吐きながらうち倒れた。少佐は素晴しい妹の働きに、思わず拍手して叫んだのである。
「あっぱれ※[#感嘆符二つ、1-8-75] 今|巴御前《ともえごぜん》※[#感嘆符三つ、237-15]」
「兄さん、このベレゾフは兵営の地下室に五百斤の強烈な火薬をしかけておいて、そこへ日本軍を案内したのです。そして合図の狼火《のろし》をあげると、彼方《かなた》クラスナヤの兵営でスイッチを入れ、五百斤の爆薬に点火して兵営もろ共、日本軍を空へ吹き飛ばそうと云う企てだったのです」
「そうか、憎んでも余りある奴だ。しかし、お前のお蔭で助かった。ではすぐにこの兵営を立退くことにしよう」
「それがいいでしょう。それから――」と公子は、クラスナヤ兵営に日本製鉄所員が二十名監禁されていること、自分が火薬庫を爆破したから、今が絶好の攻撃の機会であることなどを手短に語った。
「よし、直ちに進軍だ、こん度こそ暴戻《ぼうれい》なパルチザンを一気に撃破してやる。行こう公子」
「兄さん※[#感嘆符三つ、238-7]」兄と妹とは固く握手をした。
[#3字下げ]逆撃吹雪を衝いて[#「逆撃吹雪を衝いて」は中見出し]
日本軍がオーレル村の兵営を五|哩《マイル》ばかり進軍した時だ、地軸も裂けんばかりの大音響と共に、オーレル兵営は大爆発をした。偽りの狼火《のろし》を信じて、クラスナヤの兵営で五百斤の爆薬に火を伝えたのだ。烈々たる大火焔を見ると五百の勇士は銃を高く捧げて絶叫した。
「万歳! 万歳!」
「我が兵士諸君!」
大林少佐が全軍に向っていった。
「彼方クラスナヤには我同朋二十名が、聞くに耐えぬ侮辱を受け、まさに虐殺されんとしている。我らは余りに多くパルチザンの暴虐を見てきた。最早これまでだ。日本《やまと》魂がどんなものか今こそ見せてやる。急げクラスナヤへ! そして同朋を救え※[#感嘆符三つ、239-1]」
「わあっ! クラスナヤへ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
兵士は嵐のごとく喚いた。と、全軍の先頭へ馬を駆って颯々《さつさつ》と進み出た一少女がある。
「クラスナヤへ!」と叫ぶや、古《いにし》えのオルレアンの乙女ジャンヌダアクを見るごとく、雪を蹶《け》って突進した。公子の勇姿を見るや、全軍の意気天に沖《ちゅう》し、わあっ! わあっ! と喚きながら、真一文字に吹雪を衝いての進軍だ!
そんなことと知らぬクラスナヤ兵営では、スイッチを押すと共に遠く焔々《えんえん》とあがった火のてだ。
ずずずずんと伝わってくる地響きは、正にオーレル大爆破に相違ない。
「ブラボオ!」「ブラボオ!」ソフロン大佐はじめ、カシアン大尉以下十二名の幕僚は、それから夜通し大成功を祝って酒をたらふく飲み、踊れ歌えと大騒ぎで明かした。
「どうです大佐、こうなったらいっそのこと、二階に押籠《おしこめ》ておいた日本人共も、撃殺《うちころ》してやろうではありませんか」
カシアン大尉が、酔いにまかせて無謀なことを云い出した。ソフロンは大悦びだ。
「それは面白い、やろう! さっそく奴らをここへ引摺りおろしてき給え※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
しかし、その時吹雪の中に朝がきた。日本人を虐殺すべく、カシアン大尉が二階へ上って行こうとした時、血まみれの一兵士が駈けこんできて叫んだ。
「日本軍……襲撃です※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「なに?」俄然一同顔色を喪《うしな》った。とたん、ばりばりばりと窓|硝子《ガラス》を打破《うちやぶ》って弾丸の雨だ。
「なにをしている貴様ら! 戦闘準備だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
ソフロン大佐が叫んだ時、既に表門を押やぶって、わっわっと喚きながら大林支隊の兵士が突こんできた。
「もうこれまでだ。死ね※[#感嘆符三つ、240-4]」と叫んだソフロン大佐、軍刀を抜いて大股に進み出る、その鼻先へぬっ! と歩み寄った大男は――云うまでもない大林次郎少佐だ。
「悪魔ソフロン、今日までよくも我ら同朋を虐殺して廻ったな。今こそ大林次郎が、泉下に呻く兄弟の仇を討ってやる、さあこい※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「よし、望みどおり相手をしてやる!」
ぱっと抜討《ぬきう》ちに突いてくる軍刀、引っぱずして大林次郎さっと無雑作にソフロンの肩を斬る――少佐は音に聞えた剣術の達者だ。
「わあ!」
と云って軍刀を取落とす、ところをもう一刀、腰へさっと斬込《きりこ》んだ
一方では勇気満々たる兵士が、慌てふためくパルチザンを片端《かたっぱし》から斬って斬って斬り捲くる。
「お助けえ」
「おう神さま※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
醜く泣き叫びながら逃げようとする奴、追いすがって肩に担ぐと、力自慢の兵は「やっ!」と喚きながら二三間も先に放り出す。
がらがら、みし! ばりばり※[#感嘆符二つ、1-8-75] と兵営中をめちゃめちゃにしての乱闘だ。
しかし戦《たたかい》は瞬時にしてすんだ。主領を討たれた彼等が、いつまで反抗できよう。大半を我軍に討《うた》れたパルチザンはついに間もなく降服して了《しま》った。
「二階に日本製鉄所の人達がいるはずです。早く助け出して下さい!」
公子の言葉に、すぐ五名の兵士が駈け上って行って、そして間もなく秋山氏はじめ所員男女二十名が、喜色満面に駈けおりてきた。
「おう大林少佐殿」
秋山氏は歓喜に顫える声で叫ぶと、走り寄るようにして少佐の手を握った。
「お蔭で我ら二十名が救われました」
「いや、その礼でしたら私でなく、この公子に云ってやって下さい。公子は支那少年に化けてスパイとなり、我軍五百の生命を救い、同時に貴方《あなた》がたを救ったのです!」
「まあ、厭ですわ、お兄様、そんなに云われると私恥かしい……」
そう云って公子は、さっと顔を紅くした。人びとは声を合せて絶叫した。
「日本帝国万歳! 大林公子嬢万歳!」
その声は颯々《さつさつ》として北|満洲《まんしゅう》の野を、どこまでもどこまでも響いていった。
底本:「山本周五郎探偵小説全集 第六巻 軍事探偵小説」作品社
2008(平成20)年3月15日第1刷発行
底本の親本:「少年少女譚海」
1932(昭和7)年2月
初出:「少年少女譚海」
1932(昭和7)年2月
※以下7個の外字は底本では同じ文字です。※[#感嘆符三つ、233-3]、※[#感嘆符三つ、233-9]、※[#感嘆符三つ、233-12]、※[#感嘆符三つ、237-15]、※[#感嘆符三つ、238-7]、※[#感嘆符三つ、239-1]、※[#感嘆符三つ、240-4]
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)吹雪《ふぶき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)色|露西亜《ロシア》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)※[#感嘆符三つ、233-3]
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[#3字下げ]爆薬五百斤[#「爆薬五百斤」は中見出し]
吹雪《ふぶき》! 吹雪! 霏々《ひひ》たる吹雪。
北満洲の天地は荒れ狂う吹雪だ。半月以上も降りつづく雪は地の果まで白く積って、烈風がその上を白鬼のごとく狂いまわっている。
風雲急を告ぐる東支鉄道沿線、ピグメリンスク駅附近のクラスナヤ丘陵地帯に赤色|露西亜《ロシア》の駐屯兵営があった。いうまでもない、駐屯兵は惨虐《ざんぎゃく》飽《あ》くなきパルチザンである
夜だ――。この兵営の参謀会議室では、いま参謀長ソフロン大佐が、幕僚三名と共に額をあつめて、重大な密議に耽《ふけ》っている。
「日本軍の尖兵は、いつ宿営するのか」
「明日です!」
答えたのはベレゾフ少尉である。彼はいま支那服をきているとおり、支那人に化けて常に日本軍の行動を探査しているスパイだ。
「で、――、どうして日本軍を撃破しようというのかね、ベレゾフ少尉?」
「日本軍が進軍してくる前に、オーレル村の兵営の地下室へ、強烈な爆薬を五百斤埋設しておきます。そして日本軍が営舎の中にはいった時、電線を通じてこれを一時に、どかん[#「どかん」に傍点]とやっつけようという化掛けです!」
「うまい! 素的だ!」
聴いていた三人は、思わず手を拍《う》って叫んだ。
「しかし、日本軍が宿営するまでに、爆薬を埋設することができるかね少尉?」
「埋設はすでに終ったです!」少尉は莞爾《にっこり》として、
「そればかりでなく、もう導火線となる電線さえ、ここまで引いてきてあるのです!」
「どれ?」
「これがその電流線です! このスイッチをさっと押しさえすれば、オーレル村の兵営はどかん[#「どかん」に傍点]! と木葉微塵《こっぱみじん》ですよ!」
そういって少尉は壁にしかけてある一本の電流線を示した。参謀官一同は、思わずあっ! と云《い》って感歎の眼を瞠《みは》るのであった。
「そうか、いや感謝します、ベレゾフ少尉」
ソフロン大佐は少尉の手を犇《ひし》と握って云った。
「では君から合図があったら、このスイッチを押しさえすればいいのだな?」
「そうです!」
「これで日本軍撃滅は疑いなしだ。ではベレゾフ少尉、君はすぐ出発して、日本軍の行動を密偵してくれ給え。……誰だ!」
突然何を聞つけたか、ソフロン大佐が叫んだ。
「……?」
参謀官一同も血相を変え拳銃《ピストル》を握って突立上《つったちあが》った。
と――扉《ドア》が開いてはいってきたのは、花のように美しい顔《かんばせ》と、羊のように柔《やさ》しい眼を持った支那服の少年だった。
「なんだ、李芳《リイファン》か」
李芳《リイファン》はソフロン大佐の少年給仕であった。大佐も参謀官達もほっとして拳銃《ピストル》を下ろした。
「大佐殿、唯今《ただいま》カシアン大尉殿が、二十名ばかりの日本人を捕虜にして帰ってこられました!」李芳《リイファン》はそういってにっこり笑った。
「そうか、それはカシアン大出来だ、すぐにその日本人共を連れてここへくるようにいえ!」
「はい!」敬礼して李芳《リイファン》が出る――同時に、ベレゾフ少尉も支那服の上に毛皮の外套をひっかけて、日本軍の密偵をすべく、吹雪を衝《つ》いて出ていった。
間もなく、どやどやとパルチザン騎馬隊に取巻《とりま》かれて、二十人あまりの日本人が引入《ひきい》れられてきたこの人々は東支鉄道沿線|春潭《しゅんたん》駅にある日本製鉄所の所長とその所員達で所長秋山省二郎氏の家族の中には、夫人幸子、令嬢絹枝など、優しい女性もまじっていた。
「ふんふん、こいつらか、我々パルチザンを怖れず、飽くまで製鉄所に居残っていたという日本人共は?」
ソフロン大佐はそう云いながら、一列に並んだ日本人へにやりと冷笑をくれて、つと立上りざま、中央にいた製鉄所長秋山氏の横顔を、力任せにびしりと殴りつけた。あまりの乱暴、かっとなった瀬川という若い事務員が「何をする!」と叫んで出ようとするのを、秋山氏はしっかり抑えていった。
「待て! いますこしでも抵抗すれば、抗戦したと見なされて、ここにいる全部の者が殺されて了《しま》う。我慢しろ! どんな侮辱があっても反抗するな!」
「それでもあんまり――」
「頼む、我ら二十人のためだ!」
瀬川は拳を顫《ふる》わせながらうなだれた。日本人が反抗せぬと見たソフロン大佐、持前の惨虐性がむらむらとこみあげてきた。
「日本人は勇敢無比だと聞いたが、此奴《こいつ》らは臆病者とみえるな、ふふん! どうだ、ひとつ裸になって踊って見んか?」
「裸にしましょうか、大佐殿?」
傍から髯むしゃのカシアン大尉がいった。そして、野獣のような手で、まず秋山所長の外套をべりべりと引剥いた。
「裸になれ! 黄色人め! 裸だ!」
[#3字下げ]血に染む屈辱[#「血に染む屈辱」は中見出し]
悲惨とも、無残とも云いようがない。
見よ! 反抗すれば殺される、黙って忍べと所長の言葉に一同暗涙にむせんでいる所員達、それを鬼のようなパルチザンは片端《かたっぱし》から裸にして行った。一人二人――ついに所長の夫人、花のような令嬢までが、下着一枚に剥がれて了《しま》った! それ何たる非道ぞ。
「ああ、残念だ!」血気にはやる若い所員たちは、口惜《くや》しさのあまり我とわが唇を噛み裂くより、とうとうと流れる血潮だ!
「ほほう、どいつも此奴《こいつ》も黄色くって、痩せ狼のようにごつごつしているな、これではシチュウ鍋にも入れられんわい。わははははは」
ソフロン大佐は、いから愉快そうに、腹を揺って笑った。しかし、まだそんなことで満足したのではない。彼は急に鬼のような眼をカシアン大尉の方へ振向《ふりむ》けると、
「カシアン、此奴《こいつ》らを裸のまま火薬庫へ入れておけ、日本軍は真先に火薬庫を狙って大砲をうつに相違ない。そうすれば、此奴《こいつ》らは自分達の兄弟の大砲にうたれて、火薬と一緒に爆発するだろう! 早くしろ!」
「はっ!」大尉が答えたとたん、ずしんと地面を下から持上《もちあ》げられたような感じがして、窓から外がぱっと青白く光ったと思うと同時に、
「どどどどどど※[#感嘆符三つ、233-3]」と恐ろしい大爆発が起った。大地震のように震動した営舎の中で、ばたばた横倒しになった皆がようやく起上《おきあが》った時、衛兵の一人が駈けこんできて叫んだ。
「大佐殿、火薬庫が爆発いたしました※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「なんだ※[#感嘆符疑問符、1-8-78] 火薬庫の爆発※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
大佐の顔は紙のように白くなった。
「間抜けめ! 原因は何だ※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
「分りませんです※[#感嘆符三つ、233-9]」衛兵はがたがた顫えている。
「この鯖《さば》野郎め! すぐ捜査しろ、日本軍のスパイが入込《いりこ》んでいるに違いない、とっつかまえて銃殺だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「は※[#感嘆符三つ、233-12]」鯖野郎は横っ跳びに出ていった。
二名の衛兵は吹雪の中へ突進した。
大爆発をした後で、見るかげもなくなっている火薬庫の傍までくると、彼方《かなた》の白樺の木蔭を駈けてゆく怪しい人影がある。
「止れ! 撃つぞ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」衛兵の一人が叫びざま狙い撃ちに二発撃った。と、走っていた人影は雪の中へばったり倒れる、しめた! とばかり二人の衛兵は、大急ぎで際へ駈けつけた。見るとなかば雪に埋《うずも》れて倒れているのは? ――
「や! や! こりゃ李芳《リイファン》だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「李芳《リイファン》だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
覗いてみると、なる程、ソフロン大佐の給仕、支那少年|李芳《リイファン》である。
「李芳《リイファン》を殺しては、大佐殿に何といって叱られるかしれぬ。困ったことになったなあ」一人が案じていると、前のが、
「なあに此奴《こいつ》が日本軍のスパイで、火薬庫を爆発させた犯人だといえばすむさ!」
「ああそうか※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
なる程これでは大佐が鯖野郎と罵《ののし》るのも無理はない。二人がそんなことを話している隙だ。狙撃されて倒れていたはずの少年|李芳《リイファン》が、そっと半身を動かした。と思うとたん、
「そう! 私はいかにも日本のスパイです※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
低く力のある声で云った。
「やっ※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」吃驚《びっくり》してふり向く衛兵二人の眼の前へ、拳銃《ピストル》をつきつけてすっと立上ったのは李芳《リイファン》だ。
「やっ※[#感嘆符二つ、1-8-75] 貴様※[#感嘆符二つ、1-8-75]」あっけにとられて立竦《たちすく》んでいるのを尻眼にかけ、李芳《リイファン》はりん然として、
「さあ、今こそ見せてあげます。私は陸軍少佐大林次郎の妹|公子《きみこ》です。火薬庫を爆破したのは勿論、これからここにいるパルチザン全軍を木葉微塵にしてやるのも私です。さあ、日本少女の姿を見てお置きなさい※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
いい放つと共に、片手で支那服をかなぐり捨てた下から出たのは、日本の女学生服を着た大林公子その人の、凛々《りり》しく美しい姿だ。
「あっ!」――「あっ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」もろ声に驚きの叫びをあげた瞬間、公子の右手に握られた拳銃《ピストル》が、がん[#「がん」に傍点]! がん[#「がん」に傍点]! と火を放った。ううと呻《うめ》いて二三歩逃げ出したが、二人の衛兵いずれも見事心臓を射抜かれて雪の中へうち倒れた。
公子は脱兎のように、白樺の林の奥へ走っていった。そこには、昼のうち用意しておいた一頭の駿馬「隼《はやぶさ》」が蹄をならして待っていたのだ。雪を払ってとび乗る公子。
「隼! 駈けておくれ! 真直《まっすぐ》に日本軍へ! そら※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
鞭がなる、ひひひん、嘶《いなな》く隼だ。たたたと雪を蹶《け》って、美しい間諜を乗せた駻馬《かんば》は疾駆する、西へ! 西へ!
天も地も吹雪だ! 真白だ! その風その雪を衝いて、人馬一団は西へ飛ぶ。
[#3字下げ]恐るべきスパイ[#「恐るべきスパイ」は中見出し]
そのころ、大林少佐の指揮する満洲守備隊の尖兵五百人は、吹雪を衝いて進軍、オーレル村を占拠し、全兵員は露軍の捨てていった兵営に入って、宿営することになった。
「孫文伝《そんぶんでん》君はいるかね?」
夕食をしまった大林少佐は、明日の進軍計画をたてるために、土地の案内役として雇い入れた支那人を叫んだ。
「お呼びですか?」
「そこへかけ給え!」
孫文伝は黒い眼鏡をかけ、毛皮の防寒帽を深く冠《かぶ》ったまま椅子《いす》にかけた。どこやらにひと癖ありげな男である。
「兵士方は、みんな兵営へ入られたですか――少佐殿」
椅子にかけると共に訊いた。
「皆宿営したはずだよ。そして明日の進軍路の相談だが、君の考えではいま露軍はどの辺にいると思うかね」
「さあ、多分――」云いかけた時だ。だだと雪煙を蹶立《けた》てて駈け来《きた》った馬上の少女、驚く歩哨に馬を預けると脱兎のように少佐の室《へや》へ跳《おど》りこんだ。ひとめ見るより、「やや公子※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」叫んで立つ少佐。同時に少女は拳銃《ピストル》を孫文伝に突つけて叫んだ。
「手をあげろ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「な、なにありますか?」孫文伝はまごまごして手をあげる、公子は片手で孫文伝を威脅《おど》しながら、
「兄さん、早く全員を兵舎の外へ出して下さい。一刻も早くです※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「よし※[#感嘆符二つ、1-8-75] 喇叭《らっぱ》兵、非常召集を吹け※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
命令一下、非常召集の喇叭《ラッパ》は吹かれた。既に横になろうとしていた全軍は、倉皇《そうこう》として営舎をとび出した。
「皆外へ出ましたか?」
「出た!」
「では、この支那人の正体を見せてあげます」
云うと共に、公子は歩みよって孫文伝の防寒帽をぐいと引剥いだ。意外! 帽子の下に現われたのは、碧眼《へきがん》紅毛の欧洲人ではないか。
「パルチザンの将校スパイ、ベレゾフ少尉です!」
そう云って公子がにっこり笑った。
「や! 貴様スパイか※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」少佐が呆れるよりも、当のベレゾフは肝玉を潰すほど吃驚《びっくり》して呻《うな》った。
「おう、お前は李芳《リイファン》」
云うと見るや、さっと右手をズボンのポケットへ突込んだ。ずん! と鳴る拳銃《ピストル》。しかし、それより疾《はや》く、公子の拳銃《ピストル》が火花を散らせていた。がん! がん!
「おう! 祖国! ロシア!」
呻《うめ》くようにいってベレゾフ少尉は口から血を吐きながらうち倒れた。少佐は素晴しい妹の働きに、思わず拍手して叫んだのである。
「あっぱれ※[#感嘆符二つ、1-8-75] 今|巴御前《ともえごぜん》※[#感嘆符三つ、237-15]」
「兄さん、このベレゾフは兵営の地下室に五百斤の強烈な火薬をしかけておいて、そこへ日本軍を案内したのです。そして合図の狼火《のろし》をあげると、彼方《かなた》クラスナヤの兵営でスイッチを入れ、五百斤の爆薬に点火して兵営もろ共、日本軍を空へ吹き飛ばそうと云う企てだったのです」
「そうか、憎んでも余りある奴だ。しかし、お前のお蔭で助かった。ではすぐにこの兵営を立退くことにしよう」
「それがいいでしょう。それから――」と公子は、クラスナヤ兵営に日本製鉄所員が二十名監禁されていること、自分が火薬庫を爆破したから、今が絶好の攻撃の機会であることなどを手短に語った。
「よし、直ちに進軍だ、こん度こそ暴戻《ぼうれい》なパルチザンを一気に撃破してやる。行こう公子」
「兄さん※[#感嘆符三つ、238-7]」兄と妹とは固く握手をした。
[#3字下げ]逆撃吹雪を衝いて[#「逆撃吹雪を衝いて」は中見出し]
日本軍がオーレル村の兵営を五|哩《マイル》ばかり進軍した時だ、地軸も裂けんばかりの大音響と共に、オーレル兵営は大爆発をした。偽りの狼火《のろし》を信じて、クラスナヤの兵営で五百斤の爆薬に火を伝えたのだ。烈々たる大火焔を見ると五百の勇士は銃を高く捧げて絶叫した。
「万歳! 万歳!」
「我が兵士諸君!」
大林少佐が全軍に向っていった。
「彼方クラスナヤには我同朋二十名が、聞くに耐えぬ侮辱を受け、まさに虐殺されんとしている。我らは余りに多くパルチザンの暴虐を見てきた。最早これまでだ。日本《やまと》魂がどんなものか今こそ見せてやる。急げクラスナヤへ! そして同朋を救え※[#感嘆符三つ、239-1]」
「わあっ! クラスナヤへ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
兵士は嵐のごとく喚いた。と、全軍の先頭へ馬を駆って颯々《さつさつ》と進み出た一少女がある。
「クラスナヤへ!」と叫ぶや、古《いにし》えのオルレアンの乙女ジャンヌダアクを見るごとく、雪を蹶《け》って突進した。公子の勇姿を見るや、全軍の意気天に沖《ちゅう》し、わあっ! わあっ! と喚きながら、真一文字に吹雪を衝いての進軍だ!
そんなことと知らぬクラスナヤ兵営では、スイッチを押すと共に遠く焔々《えんえん》とあがった火のてだ。
ずずずずんと伝わってくる地響きは、正にオーレル大爆破に相違ない。
「ブラボオ!」「ブラボオ!」ソフロン大佐はじめ、カシアン大尉以下十二名の幕僚は、それから夜通し大成功を祝って酒をたらふく飲み、踊れ歌えと大騒ぎで明かした。
「どうです大佐、こうなったらいっそのこと、二階に押籠《おしこめ》ておいた日本人共も、撃殺《うちころ》してやろうではありませんか」
カシアン大尉が、酔いにまかせて無謀なことを云い出した。ソフロンは大悦びだ。
「それは面白い、やろう! さっそく奴らをここへ引摺りおろしてき給え※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
しかし、その時吹雪の中に朝がきた。日本人を虐殺すべく、カシアン大尉が二階へ上って行こうとした時、血まみれの一兵士が駈けこんできて叫んだ。
「日本軍……襲撃です※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「なに?」俄然一同顔色を喪《うしな》った。とたん、ばりばりばりと窓|硝子《ガラス》を打破《うちやぶ》って弾丸の雨だ。
「なにをしている貴様ら! 戦闘準備だ※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
ソフロン大佐が叫んだ時、既に表門を押やぶって、わっわっと喚きながら大林支隊の兵士が突こんできた。
「もうこれまでだ。死ね※[#感嘆符三つ、240-4]」と叫んだソフロン大佐、軍刀を抜いて大股に進み出る、その鼻先へぬっ! と歩み寄った大男は――云うまでもない大林次郎少佐だ。
「悪魔ソフロン、今日までよくも我ら同朋を虐殺して廻ったな。今こそ大林次郎が、泉下に呻く兄弟の仇を討ってやる、さあこい※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
「よし、望みどおり相手をしてやる!」
ぱっと抜討《ぬきう》ちに突いてくる軍刀、引っぱずして大林次郎さっと無雑作にソフロンの肩を斬る――少佐は音に聞えた剣術の達者だ。
「わあ!」
と云って軍刀を取落とす、ところをもう一刀、腰へさっと斬込《きりこ》んだ
一方では勇気満々たる兵士が、慌てふためくパルチザンを片端《かたっぱし》から斬って斬って斬り捲くる。
「お助けえ」
「おう神さま※[#感嘆符二つ、1-8-75]」
醜く泣き叫びながら逃げようとする奴、追いすがって肩に担ぐと、力自慢の兵は「やっ!」と喚きながら二三間も先に放り出す。
がらがら、みし! ばりばり※[#感嘆符二つ、1-8-75] と兵営中をめちゃめちゃにしての乱闘だ。
しかし戦《たたかい》は瞬時にしてすんだ。主領を討たれた彼等が、いつまで反抗できよう。大半を我軍に討《うた》れたパルチザンはついに間もなく降服して了《しま》った。
「二階に日本製鉄所の人達がいるはずです。早く助け出して下さい!」
公子の言葉に、すぐ五名の兵士が駈け上って行って、そして間もなく秋山氏はじめ所員男女二十名が、喜色満面に駈けおりてきた。
「おう大林少佐殿」
秋山氏は歓喜に顫える声で叫ぶと、走り寄るようにして少佐の手を握った。
「お蔭で我ら二十名が救われました」
「いや、その礼でしたら私でなく、この公子に云ってやって下さい。公子は支那少年に化けてスパイとなり、我軍五百の生命を救い、同時に貴方《あなた》がたを救ったのです!」
「まあ、厭ですわ、お兄様、そんなに云われると私恥かしい……」
そう云って公子は、さっと顔を紅くした。人びとは声を合せて絶叫した。
「日本帝国万歳! 大林公子嬢万歳!」
その声は颯々《さつさつ》として北|満洲《まんしゅう》の野を、どこまでもどこまでも響いていった。
底本:「山本周五郎探偵小説全集 第六巻 軍事探偵小説」作品社
2008(平成20)年3月15日第1刷発行
底本の親本:「少年少女譚海」
1932(昭和7)年2月
初出:「少年少女譚海」
1932(昭和7)年2月
※以下7個の外字は底本では同じ文字です。※[#感嘆符三つ、233-3]、※[#感嘆符三つ、233-9]、※[#感嘆符三つ、233-12]、※[#感嘆符三つ、237-15]、※[#感嘆符三つ、238-7]、※[#感嘆符三つ、239-1]、※[#感嘆符三つ、240-4]
入力:特定非営利活動法人はるかぜ