党内派閥 > 雄伯会

雄伯会(おはくかい)は、協同共和党共和党自由党に渡って存在した政治派閥。

概要

雄伯会は、7個師団に数えられるほどの名門派閥。協同共和党共和党自由党の党内派閥として長い間日本政治の中枢に存在してきた。派閥の政策スタンスは、「中道左派」「国際協調・革命的外交路線」であり、明確な「親米路線」を掲げている。派閥として特殊な点は、会長の交代が激しい一方で派閥を牛耳っている派内の実力者が長い間権力を掌握しているため、「〇〇派」という名称が会長と一致しない時期が長い。
派閥の名称は、田中派→和光派→石川派→伊藤派→江藤派→若狭派→室堂派→佐野派

歴史

田中派

派閥の源流は、田中形堂(衆議院議員第34代内閣総理大臣)にぶつかる。1945年12月の第13回衆議院総選挙の後、国政政党に寄らない院内会派として、田中形堂や森定博昭などの大日本政治会の元メンバーを中心として「院内会派・協同会」が発足。この会派は、翌1946年に日本共和党の反海堂路線と合流して、協同共和党を結党する。この協同共和党において、党内派閥の「田中派」が結集される。この田中派には、協同会出身の18名の他、日本共和党出身の数名が関心を示し、「夕食会」と呼ばれる派閥会合に参加していた。

1948年11月、日本共和党から飛び出して、田中形堂を中心に協同党が発足。田中派のメンバーの多くは、協同党に参加していくが、独立の先にある大衆社会党との合流に賛同できなかった議員らが残留。共和党への名称変更後にも、大路晴雄の「対中強硬路線」に反対の姿勢を掲げる。1950年に、旧日本共和党勢力を引き連れた鶴田正弘共和党に合流すると、保守研を発足させる。これに対抗する形で、旧田中派の重鎮だった横溝大成(元協同共和党選挙副部長)と和光修次(元協同共和党政調会長)を中心に「雄伯会」が発足。初代会長には、横溝大成が就任する。

和光派

1953年ごろには、派閥会長代行の和光修次共和党総裁臨時代理に就任。

歴代会長

共和党 自由党
1 横溝大成 1950.10-1953.12 政調副会長 協同共和党選挙副部長
2 和光修次 1954.1-1954.12 総裁臨時代理・幹事長 協同共和党政調会長
3 松本剛一 1954.12-1957.8
江藤隆一 1971.8-1977.8 共同代表
中沢安夫 1977.8-1979.8 組織運動局長 総務会長代行
若狭健一 1987.5-1992.7 選対委員長 内閣官房長官
山城正弘 1992.7-1994.8 政審副会長 公衆衛生担当大臣 弁護士出身
室堂卓二 1994.8-2002.6 総裁 内閣総理大臣
最終更新:2025年08月12日 18:19