来歴
1910年12月、56歳という高齢で出産した
村瀬美馬の子として
東京都に生まれる。生誕時には、両親ともに
東京大学の教員(父は
教授、母は助教授)であった。
1933年、
高等文官試験で
高文行政科に合格、女性のキャリア官僚第1号となる(
女性初)。合格の背景には、官界に顔が利く、母や父の口添えが大きい。入省の翌年に母を失う。女性という色眼鏡で見られたことから、男性同様の出世ルートになかなか乗れず、厄介払いの要領で1941年に
企画院へ出向。終戦後も、
終戦連絡事務局へそのまま移動扱いになった。終戦のこの時期、
関東圏企業労働委員会事務局長を務めていた
瀬川記之と結婚。瀬川は、母の
村勢愛子の熱心な信奉者であり、マクロ経済学者の側面も持っていた。両親に代わって、父違いの長男である
大阪大学教授・
東上彦一が参加した。
教育界へ
1971年4月、母校である
早稲田大学に招かれ、
政治経済学部教授・女性教育センター長に就任。1972年6月より
学校法人早稲田理事を兼任する。
1975年4月、
東京大学理事(男女平等)・
経済学部経営学科教授(中小企業経営論)・男女平等社会教育研究センター長・次世代協創本部長・男女平等推進委員長・組織改革推進委員長に就任。親子3代続けての東大教授は2人目(1人目は兄の
相山立義)、5人兄弟全員の
国立大学教授(3人兄弟全員なら過去に存在)は歴史上初。
1986年10月、
東京大学理事・経営学大学院
名誉教授に就任、現役の第一線を退陣する。
夫の
瀬川記之は、1989年10月に
内閣総理大臣に就任。自身は、
ファーストレディーとなる。歴史上最高齢かつ、初のキャリア官僚経験者、初の
東京大学教授経験者の就任となった。しかし、国内政治の潮流の中で、1990年6月の首相退陣に伴ってファーストレディーではなくなる。
略年歴
| 1933年3月 |
早稲田大学政治経済学部政治学科・卒 |
|
| 4月 |
商工省入省(行政科) |
女性初のキャリア入省 |
| 7月 |
軽工業局紙業課 |
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| 1936年4月 |
軽工業局紙業課・主務 |
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| 1938年4月 |
大臣官房文書課・主務 |
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| 1941年8月 |
企画院・出向 |
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|
総裁室会計課・主務 |
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| 1944年4月 |
総裁室文書課・主務 |
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| 1945年6月 |
国民労農本部動員計画課・主務 |
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| 8月 |
終戦連絡事務局・出向 |
|
|
官房文書課・主務 |
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| 1947年4月 |
調整部企画財政課・課長補佐 |
女性初の課長補佐級 |
| 1971年4月 |
早稲田大学政治経済学部教授 |
|
(兼任)女性教育センター長 |
| 1972年6月 |
(兼任)学校法人早稲田理事 |
| 1975年4月 |
東京大学理事 |
|
経済学部教授(中小企業経営論) |
|
男女平等社会教育研究センター長 |
|
次世代協創本部長 |
|
男女平等推進委員長 |
|
組織改革推進委員長 |
| 1986年10月 |
東京大学理事・経営大学院名誉教授 |
家族
最終更新:2026年03月10日 07:50