荒居平内

荒居平内(あらいへいない)〈1939.4-2007.11〉は、弁護士社会党所属の衆議院議員

来歴

1939年4月、奈良県五條市出身。両親は農家で、戦時中には食料徴収の憂き目にあって極貧生活を経験した。兄もいたが、戦後すぐに都会へ出稼ぎへ出たまま帰ってこなかった。この兄は、東京のクラブ王と呼ばれた荒居喜代三郎であった。

弁護士

極貧生活を耐え抜いて、父が出稼ぎに大阪へ出たため自身も勉学に励むことができた。奈良県立五條高等学校を経て、大阪大学に進学。1962年3月、法学部法律学科を卒業。卒業年の6月に司法試験予備試験に合格し、同年11月には司法試験本試験に合格する。1963年4月より司法修習生38期として東京で学び、修習生の同期には、町田修上沼聡斉藤清人などがいた。

1964年に帰郷して、奈良県弁護士会常勤弁護士として働く傍ら、市町村を周って法律相談業務などに従事。1969年に太田旭法律事務所に入所。1973年に退所。社会党衆議院議員影村胡伯から請われて、事務所付の弁護士を専任する。1978年から、オクラホマ州立大学法科大学院日本キャンパスの講師として、労務政策や政策立案過程などの授業を担当。1980年から、日本大学大阪校法科大学院客員准教授として「労働法」を担当。

衆議院議員

1984年に、社会党委員長の足立孝標と思いがけない形で出会ったことから、大学の先輩後輩という縁で、政治の世界に紹介された。「1985年社会党公認候補者全国公募会」に申し込み、小選挙区制度が始まる第27回衆議院総選挙において、奈良3区の公認候補者となった。
1987年5月1日に投開票が行われた第27回衆議院総選挙に立候補して初当選となる。衆議院法務委員会に所属。1989年より野党理事を務める。1992年、高橋健二社会党委員長に就任すると、団体運動本部次長に就任。1997年から、与野党協議一致のために衆議院法務委員長に就任。2000年10月の第32回衆議院総選挙まで務めることになる。

死没

任期中に議員辞職。奈良市長選挙への出馬などを模索していたが、最終的には政界への復帰を果たすことなく2007年に没する。
最終更新:2025年10月16日 22:56