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福添光哲

福添光哲(ふくぞえみつてつ)〈1917年3月~1989年1月〉は、ハンナン代表取締役社長、ハンナン財団会長。日本食品産業協会名誉会長、経済団体連盟顧問、自由党総裁特別顧問、大日本在郷軍人会第9代会長。
退職後は、共和党片山愛康(内閣総理大臣)などの知遇を受けて、「昭和の参謀」と呼ばれていた。

来歴

1917年3月、東京都出身。軍人家系で育ち、叔父が陸軍大佐として戦死した関係から、海軍への道を開いた。海軍兵学校東京予科を経て、1934年に海軍兵学校を卒業。海軍少尉として艦船勤務、要港部勤務を経験。1945年の中佐昇進により、海軍軍令部の課長として終戦を迎える。戦後、復員業務を経て、日本炭田開発公団に移籍。復員業務の斡旋などを担当した。日本軍への誘いも固辞し、北海道の地で事業を起こした半田南吉の強い要請を受けて、北海道の地にわたる。

ハンナン

ハンナンへ入社後、穀物事業の立ち上げに携わり、ドル箱事業に成長させた。1965年取締役、1967年常務取締役として、立ち上げから業務本部の中心的な役割を果たす。1973年10月に、ハンナン創業メンバーで営業畑一筋の森英二から交代する形で、代表取締役社長に就任。

世界各国に事業所や営業所を設置することで国際的に強固な情報ネットワークを構築。日本の専門商社の中で随一の利益率を誇り、総合商社と遜色のない数値を上げるようになる。1975年の「特定穀物輸入自由化」の流れを読み切ることで、莫大な利潤を生みだした。世界的なハンナンの評価軸として挙げられる、「国際穀物資本(穀物メジャー)」としての事業規模の大きさである。

来歴

1932 3 海軍兵学校東京予科・卒
1934 3 海軍兵学校・卒
海軍少尉任官
4 戦艦扶桑・航海科士官
1936 10 戦艦長門・航海科士官
1938 7 海軍中尉昇進
練習艦鹿島・航海科士官
12 練習艦鹿島・実科教育班副班長
1939 1 巡洋艦北上・航海科士官
1940 10 海軍大尉昇進
大湊要港部補給課長
1942 7 大湊要港部庶務課長
1943 7 海軍少佐昇進
大湊要港部司令官・副官
1945 7 海軍中佐昇進
海軍軍令部軍事部艦隊補給線課長
9 軍事部艦隊操船課長
12 第二復員局官営企業課長
1946 10 日本炭田開発公団入社
労務部長(兼)復員支援事業課長
1947 7 採用部長
1950 4 理事会事務局長
1955 10 札内炭鉱事業所長
1958 1 札幌支店長

1960 4 ハンナン入社
食品部次長
1963 2 穀物本部長
4 穀物本部長(兼)業務本部長
1965 11 取締役・業務本部長
1967 4 常務取締役(業務担当)
1973 10 代表取締役社長
1978 3 社長退任
4 ハンナン財団会長
1988 3 会長退任

人物

日本炭田開発公団を経て、ハンナンへ入社後、元軍人としての戦略眼を期待されて半田南吉の意のままに動いた。今日、ハンナンが食品商社として国内最大手、世界市場に影響を及ぼす力を得たのは、福添の貢献という見方もある。ハンナンでの充実した活動の背景には、政界からのバックアップという側面が大きい。日本炭田開発公団での活躍は、炭鉱族として利権獲得に躍起になっていた共和党の議員を刺激することとなり、その後、経済団体連盟顧問への就任などにつながる。また、自由党片山愛康(内閣総理大臣)とは、北海道選出という地縁もあって懇意の中となる。経営センスを政治力で補ってきた福添のことを、政界の重鎮代議士たちはこぞって、「昭和の参謀」とあだ名することになる。片山愛康の個人的な相談役という立場にありながらも、元軍人の社会的地位向上運動に力を注ぎ、大日本在郷軍人会の9代目会長などに就任している。また、復員者支援協力協会には立ち上げから参画しており、1971年に成立した戦没者及び復員者救済措置推進法の成立のバックアップも行った。

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ハンナン
最終更新:2025年11月17日 14:29