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太田立志

太田立志(おおたりっし、1892年9月11日~1971年9月)は、警察官、警察官僚。
1946年12月に発生した茅岡事件の中心人物。
生誕 1892年9月11日
兵庫県神戸市
死没 1971年9月
東京都品川共連病院
称号 政治学士(東京大学
1945年10月から警察庁次長

来歴

曾祖父は、である太田小水。父は、双子の兄には、最高軍法官を務めた陸軍太田宗彦

1892年9月11日生まれ。兵庫県神戸市出身。東京大学法学部政治学科、高等文官行政科を経て、内務庁へ入庁。警察官僚としてのキャリアを歩み、宮城県警察本部長、警視庁刑事部長、企画院警務部次長、警察庁次長。1946年12月、茅岡事件の重要容疑者として拘留され、失職。1948年に禁固12年が求刑された。1953年に仮釈放。

略年歴




  • 1934年1月_警視正昇任、新潟県警察本部保安部長
  • 1935年1月_中日本管区警察局警務部次長
  • 1937年1月_中日本管区警察局警務部長
  • 1938年10月_警視局出版課長
  • 1940年4月_警視庁刑事部長
  • 1941年1月_宮城県警察本部副本部長



家族・親族

  • 妻-水窪サチ

 明治日本における警察権力導入の第1人者。国費留学生としてイギリスに学び、内閣審議会司法官、警視庁警視。1914年より警視総監、1919年1月に林内閣内務長官
 陸軍創設の第一人者。衛士府第2師団長、第1師団長、近衛師団長を経て、参謀総長陸軍大将
 平城事変の主導的人物の1人。太田宮家の出自で、東京府金沢府を経て衛士府出仕。平城事変では、クーデター側の兵団長として前線指揮を担当。

 海軍中将戦艦長門艦長、大湊鎮守府最高司令官、横須賀鎮守府最高司令官。
最終更新:2026年05月30日 16:32