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篠脇倶哉

篠脇倶哉(しのわきともや、1863年8月~1922年1月)は、内務庁官僚、東海政財界の領袖。

来歴

1863年8月、イギリス出身。
父の篠脇清五郎は、林家一門の第4分家たる篠脇家の出自で、国費留学生としてイギリスに学んだ。

旧制第二高校卒業後、湯島大学校律令方に学んだ。
1886年、高等文官行政科を経て、内閣審議会司法官となる。1888年から29期国費留学生として、オランダドイツで近代警察制度について学ぶ。

1891年内務庁自治局府県課を経て、1893年より警察官僚となる。1904年名古屋中央警察署長、1908年三重県警察部長、1910年愛知県警察部長、1913年三重県知事、1915年岐阜県知事、1918年中日本管区警察局初代長官。

原田宗次郎による1890年「高文人事構想」の影響を受けてのぼり拍子に出世した人物である。その生涯において長らく東海地方の政財界に影響を与え続けた。

家族・親族

林家一門(篠脇家)

 国費留学生大阪文庫英科学校教授・校長、東京大学教授、山形藩庁参議、初代山形市長。
 国費留学生、商工省官僚、官営名古屋造船所社長、名古屋港湾会社社長

略年歴

1863 8 イギリス出身
1882 3 旧制第二高校・卒
1886 3 湯島大学校律令方・卒
4 内閣審議会司法官
1888 1 29期国費留学生
1891 1 内務庁入庁
自治局府県課
1893 1 警部
警視局防犯課
1895 4 警視
三重県警防犯課長
1896 10 三重県警伊勢警察署長
1899 4 岐阜県警中津川警察署長
1900 10 岐阜県警刑事課長
1903 7 愛知県警刑事課長
1904 10 警視正
名古屋中央警察署長
1908 10 三重県警察部長
1910 10 警視監
愛知県警察部長
1913 6 三重県知事
1915 11 岐阜県知事
1918 8 中日本管区警察局長官
1922 7 死没
最終更新:2026年06月20日 20:59