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国家民主主義
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Red Flood
国家民主主義 | ||
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英名 | National Democracy |
別名 | ||
登場作品 | Red Flood(Hoi4) | |
上位イデオロギー | 多頭政体 | |
主要なイデオローグ |
理想主義者が何と言おうと、国家間の競争はゼロサムゲームである。先の大戦はそれを十分に証明した。その本質的な真理を忘れ、現在の闘争を無視することは、全てを危険にさらすことになる。国家の混乱と政治的な行き詰まりの助産師である堕落した自由主義は、このことを典型的に示している。しかし、代表民主制、すなわち無関心な貴族ではなく、政府に対して国民が声を届けられるという概念は、本質的に欠陥があるわけではない。かつてのアテネやローマの市民民主制は、選挙権を愛国心や兵役と密接に結びつけていた。自由主義的な装飾品――つまり、弱点――を取り除けば、その概念が純化され強化された実行形態が現れる。それが国家民主主義である。
しかし、この傾向を定義するものは、曖昧な非自由主義的共和主義という概念以外に何があるだろうか?恐らく、その名前を最初に造語した理論家はポーランドの民族主義者であるロマン・ドモフスキであった。彼の経歴はロシア帝国への妥協によって傷つけられたが、彼のエンデツィア組織は民主的でありながら反多元主義で中央集権的なポーランドという概念を推進した。戦後のフランスの短命な極右政権は、主に君主主義と結びついていたが、第三共和制の派閥争いを同じくらい声高に非難する共和派の派閥もその政権内に存在していた。彼らの後継者の一部は民主制を完全に放棄したが、他の後継者は国民と国家の統一が政党や民主的過程、時には人民の化身としての指導者を通して発現され得ることを見出した。
実践的には、国家民主主義は政府権力の強化を支持する。指導者や政党が国民を体現するというならば、自由主義的立憲主義が多数派の意志に課す制限を一部撤廃することが可能であるべきだ。こうして強化された体制は、政治的、文化的な国家統一への脅威とみなされるものを排除する能力を持つ。このことは時にイデオロギーの名前の二つの半分(国家と民主主義)を対立させることもある。しかし、このラベルは政党内外で民主的構造を維持する政府を指すものであり、反対勢力がいかに抑圧されようとも関係ないのである。自由主義の構造的腐敗から解放されれば、彼らはこう反論するだろう。このイデオロギーこそが歴史の数ページに埋もれない代表政府を可能にする唯一の種類なのだと。
(RF日本語化Modより引用)