【盲目公記⑦】

「ティ トトトン ティ トトトン… (大河ドラマ平○盛のイントロ)」

ドラゴンは卵胎生であり、生まれた時から大人と変わらない姿になっている。
卵胎生は卵を母親の胎内で孵すことだが、養分はへその緒ではなく腹にくっ付いている卵から吸収する。
この間、呼吸は首の大きな襟巻の様な鱗に隠れたエラによって行う。

やがて大きくなるにつれ、胎内で兄弟同士で食い合う。
殆どのドラゴンは胎内で意識が芽生えるとされ、冷徹な性格が備わるように、生まれる前から淘汰される。

ドラゴンは生来のサイコパスである。

サイコパスの特徴は、尊大で自己中心的な発想。
そこから発生する反社会的思想。つまり自分さえよければ他人を殺しても構わないという考え方である。
他人への協調性、共感性が薄く、心情や道徳観念よりも理論を優先する傾向が強くなる。

もっとも彼らが育つ環境が、あまりに過酷である以上、それも止む無しという認識も持てる。



黒い長角のゲオルグは、幼い頃、ドニー・ドニーで育った。

当時はジョージ一族もあちこちに散らばっていて、今のように軍勢を作って亜人の国々を襲う事はなかった。
だが、自然界で十分なエサを取ることが難しいため、家畜や亜人を狙って村や町を襲った。

小城ほどもあるドラゴンたちが空を飛ぶと、その広げた翼のために、さらに大きく見える。
その姿は亜人たちから考えることを奪い、戦う気力も失わされる。

しかし今から900年以上前、ゲオルグが生まれた頃は悲惨な状況だった。
ドニー・ドニー建国、オルニトマセ・バズーク戦争に端を発する動乱は、亜人社会を混乱させ、ドラゴンたちも餌が不足していた。
亜人文明の育てる家畜がドラゴンの主な食糧源である以上、これは深刻だった。

ゲオルグは兄弟たちに食われる前に逃げ出し、亜人社会に溶け込んだ。

「おい、ワイバーンだぞ!」

「違う。足が四本あるぞ。ドラゴンだ!!」

建国間もないドニー・ドニーの比較的、大きな町だった。
まだ幼い黒い長角のゲオルグは、住民に見つかり、大勢の前に引っ立てられた。

「嘘だろ、ワイバーンじゃないのか?」

「いや本当に足が四本だ。ワイバーンじゃないぞ!!」

「スキュラかヒドラじゃないのか?」

「どっちも羽根がないだろ!」

オウガやオークたちが次々にゲオルグの周りに集まってくる。
亜人では巨躯の種族である彼らすら、子供のドラゴンでも比較にならないほど小さい。

「殺せ!」

「待て、親が来たらどうする?」

心配無用だ。
親や兄弟に食い殺されそうになったから、逃げ出して来たのだから。
亜人の常識はドラゴンには通用しない。親が子を愛し、子も親を愛するなどと、ドラゴンでは冷笑される甲斐無さだ。

「構うものか、やっちまえ!」

一斉に何人かがゲオルグに襲い掛かった。
瞬く間に辺りは血の海になったが、問題ない。ドラゴンの出血耐性は他の生物を圧倒する。
普通なら失神する様な出血でも、ドラゴンの生命活動には支障はない。

それどころか、あの悪魔の様なゲオルグが、情けを乞う甘い声を出して亜人たちに泣いて見せる。

「助けてください。やめてください。い、痛いよ!」

すると、さっきまで血気に流行っていたオウガ達さえ、武器を持つ手を緩めた。
子供相手に寄ってたかって、なんてことをするんだ。こんなに傷ついて可愛そうじゃないか。
そんな空気すら湧きあがってくる。

「も、もう止めようぜ。」

「馬鹿、殺すんだよ。」

「でも子供なんだぜ。逃がしてやろう。」

「あんなに血が出てるんじゃ、助からないよ。」

「助けてどうするんだって!」

荒れ狂う海に漕ぎ出す血に飢えた海賊たちだが、彼らの心には義侠心がある。
幾ら人食いの化け物でも、子供が助けを乞うているなら、聞き届けない訳にはいかない。

「こんなこと、男がすたるぜ!いいのかよ!?」

だが、今回ばかりは情け無用の相手だ。
受けた傷だってドラゴンにしてみれば軽傷だ。もともと亜人の腕力では間違っても殺すことなどできない相手だからだ。
憐れみを乞う演技も全てはヤツの策謀でしかない。

「た、助けてください…。」

目に涙を浮かべ、必死に弱り切った演技を見せるゲオルグに、皆が騙されていた。

「もう、いいだろう。」

「そ、そうだな。」

それから数日後、ゲオルグはこの街に住み着いた。

最初は怪我が癒えるまでという名目だったが、ドラゴンの再生能力からすれば、半日で治る傷だ。
それをゲオルグは、また誰かに襲われたといって生傷を自分で作って欺いた。

「まだいたのか、お前。」

ある日、街の住民がゲオルグに話しかけた。

「食い物にも困るだろう。今度、鯨獲りをやるぞ。鯨と言っても海獣だ。
 お前が良ければ、力を貸してくれないか?」

「いいの?」

幼いゲオルグは、恐る恐る答えた。
だが内心は街の住人の自分への警戒心が、徐々に低くなっていることにほくそ笑んだ。

馬鹿な奴らだ。
だが、そんなことはおくびにも出さず、ゲオルグは家族と離れた幼いドラゴンを演じる。

「そりゃ、ドラゴンは言葉が通じる上に力になりそうだからな。」

「まあ、仲間内で決まったらよろしく頼むぜ。」

ゲオルグに背を向けて街へ戻っていく青年たち。
なんと気持ちのいい連中だろう。海の男の中の男、ドニー・ドニーの快男児像が、そこにあった。

そのせいか弱者を装い、甘い声色で街の人々に溶け込んだ悪魔だが、やがて脳の歯車が緩みだした。

いつしか本当に亜人に交じって暮らしてもいい。
そんな風に考える様になっていたのである。

ただし人間的な発想からではない。
自分一人ではできないことが、何人も集まれば簡単にできるという利点。
何より自分の頭脳が導き出した答えに従って、誰もが思いのままに動くということに快楽を覚えていた。

だが、わずかにだがドラゴンの群れでは味わえない人の輪という、うま味にも触れていった。

それでも、彼は理不尽に追い出された。
狡賢い頭脳を危険視する人々や、あまりに大きすぎる身体、ドラゴンは亜人と一緒に暮らすには問題が多過ぎた。

ゲオルグは泣いた。

それが関心を得るための演技なのか、本心なのかは本人にも理解できなかった。
だが、生まれ育って体の一部となった故郷から切り離されるのは、ドラゴンでも耐え難い苦しみがあった。

この時の経験が、ジョージ一族をまとめ上げ、軍勢として各国を襲撃する梟雄としての彼を作り、
亜人への恐怖と裏返しともいえる強い興味を育てたのだった。



それから約400年後、今から420年前、ゲオルグはドニー・ドニーに居た。
里帰りなどという甘いものではない。当時、ラ・ムールミズハミシマと交戦し、弱体化したドニー・ドニーを襲うためだ。

「三国同盟が生きておる以上、ドニー・ドニーはスラフ島の利権を諦めざるを得まい。」

老いた族長は、しわがれ声で息子のジョージに語った。

ラ・ムール、エリスタリア、ミズハミシマの三国同盟は西大陸一体の海の利益を鑑みて成立し、
東大陸の国々と大きく対立した。

「暗い目を呼び戻した方が良いのでは?」

一族の宿老のひとりがいう。

「いや、暗い目は他にやって貰うことがある。」

ゲオルグは、カー・ラ・ムールに圧し折られた自慢の、鼻の上にあった長角の跡を見ながら、そういった。

暗い目のジョージ、盲目公はラ・ムールに派遣され、あろうことか次代のカー・ラ・ムール調査団に参加していた。
ドラゴンの飛行能力は、言うまでもなく他に並ぶもののない高速かつ長距離移動力である。

危険は承知でラ・ムール王国政府は、この魅力的な能力を借り受けることにした。

実際、その能力はドラゴンの最も優れた部分と言われるだけはあった。
どんなに過酷な天候であろうと、盲目公は数日で広大な砂漠の国土を端から端まで渡り切ってしまう。

何より、盲目公の人柄が調査団の役人たちの警戒心を解かせた。

「ジョージ殿、水をご用意しました。」

兵士がそういって、盲目公に水を入れた桶を差し出す。
ラ・ムールの奴隷市で手に入らない種族はないというが、まさかドラゴンまで雇うとは。
当の盲目公の方が困惑していたが、これも仕事である。

「痛み入ります。」

今は国情が安定し、商業大国として復興を遂げたラ・ムールの偵察が盲目公の目的である。
あの戦争から60年。全ては過去となり、豊かなラ・ムールにドラゴンが1頭現れても誰も驚かない。

「…我々の負けか。」

そう思いながら涼んでいると、向こうから金切り声の疾呼(しっこ)が聞こえてくる。
どうやら、新しい新興宗教か何かの様だ。

「神は居ませり!神は居ませり!!」

道行く人の雑踏が割れ、奇妙な集団が大通りを行く。
それぞれが不気味なホーリーシンボルを手にもって、大声をあげて練り歩く。

「我らの前に、真の楽園が開かれるのだ!恐れるな!!」

「参加せよ!楽園の創造に、王道楽土の誕生にこぞって集まるのだ!!」

「我々が求め、待ち焦がれた偉大なる神のご帰還だ!
 新しい秩序が生まれる時代がやって来たのだ!!」

不吉なローブの信者たちは、そのまま盲目公の目の前を通り過ぎていった。
そしてまた、しばらくすると何事もなかったかのように大通りには人が溢れ出した。

「新しい時代か。」

そういえば、新しい弟が生まれたという。
運が良ければ食い殺されずに自分と引き合わされることだろう。



一方、ドニー・ドニーでは、その新しい時代の混乱が始まっていた。

「何だと!?」

雪風のチャールズが眼をむいた。
市場が大混乱している。大量に金が流入して、価格が大暴落している。

「誰がこんなに大量の金を~ッ!?」

「誰だか知らんが、血迷ったなスーパー貧乏人どもッ!」

「出所を洗え!これ以上、金の価格が暴落する様な事があれば、カバンいっぱいの金貨でもパンひとつ買えんぞ!」

早速、ゴブリンたちが書類を改めるが、流れは巧妙に隠されている。
分かっているのは誰かが信じられない量の金塊を流通させ、莫大な資金を動かしているということだけ。

「これだけの金を動かせるのはチャールズ一族しか考えられません。」

額の汗をぬぐうゴブリンの銀行家たちを前に、チャールズは紛糾する。

「そんな馬鹿なことがあるか!」

「とにかく動け!考えろ、経済破綻を避けるベストな選択を、だ!」

いまや世界経済を守る最期の要塞の司令官になったようにチャールズは怒鳴った。
ゴブリンたちも、この短気な将軍が、こと金については常に誠実で真剣だと知っている。
だからこそ、着いて来ているのだし、面と向かっては言わないが誇りに思える上司である。

「しかし、冗談じゃなくチャールズ一族でもない限り、これだけの金塊を流せるかな?」

「もしくは新しい金鉱山でも見つかったとか?」

「それでもこんなに急に大量に見つかるかなぁ。」

ゴブリンたちは首をひねったが、答えは分からず仕舞い。
結局、そのままいそいそと自分たちの職場に戻っていった。

その後、各地の銀行や商人は奔走するが、経済の混乱は収まりどころを知らず、乱れに乱れた。

アリとキリギリスの童話には大きな前提がある。
つまり、餌さえ集めていればアリは安泰に暮らせるのだという大前提である。

人間でいう金がこれに当たる訳だが、それが崩れる時には誰がアリの幸福を保証してくれるのだろうか。
これまで信じて来た価値観が、崩れ去ろうとしていた。



同じころ、クルスベルグは限界に達していた。
チャールズ一族によって資本的に支配されたクルスベルグは鉄のトライアングルによって腐敗の一途を辿った。

鉄のトライアングル。
すなわち政治家、選挙、金。有力な大企業が組織票を集め、政治家を送り込むという至極単純な図式。
より大きな資金を動かせるものが社会を動かす。この単純なパワーバランスのもと、人々は困窮していた。

「働けども、働けども、生活は楽にはならない。」

若いドワーフたちが仲間内で話し合っている。

「何もかもドラゴンたちが上手くやりやがるせいだ。」

「金の力で政府を言いなりにしてるのさ。」

「脆弱な中央政府を打倒するんだ。」

「どうやって?」

「そんなものは決まっている。革命だ。もう一度、クルスベルグは生まれ変わるんだ。」

政治不安のせいでクルスベルグは、次々に政党が出来ては、すぐに解散を繰り返した。
その中には穏健な普通の政党もあれば、武力蜂起を企てる剣呑な過激派まであった。

クルスベルグ、第2共和政府の首都ザワーベルグでは、各地の一揆(プッチ)の対策に追われていた。

「ノルトベルグ、ホルテンベルグの一揆はラッカ、ローフまで支配地域を広げています。」

「軍警察は何をしている。」

「その警官が一揆に参加しておるのですよ。」

ドワーフの将軍たちは頭を抱えた。
送り込んだ陸軍の部隊が、そっくり敵に寝返って中央政府に弓を引くという異常事態。

対するホルテンベルグの第3共和政府は第2共和政憲法の停止を求め、進軍を続けていた。
そう。今やクルスベルグは各地に国家首班を名乗る政府が乱立し、自らを正当な政府と主張した。

既に第1共和制政体が解体され、ザワーベルグに国民議会は移り、新たな憲法が開かれた。
だが、真新しさを感じない新政府に嫌気がさした民衆は、軽薄にも次の政府を支持した。

いまや二つの政府が、正当な地位を占めるべく、睨み合いを続けている。

「諸君、惰弱な中央政府は打倒せよ!」

「おお!」

軍服に身を包んだドワーフが演説する。
彼こそ第3共和政府の大統領、チップ国家元帥である。

クルスベルグは技術立国であり、職人の国である。
それはラ・ムールと同じく国家や軍隊より、商人や職人、民衆の力が強い気風を示す。

当然、軍人に対する民衆の信頼は低い。
誰も将軍など尊敬していないし、戦争屋がリーダーなどと、普通は誰も認めない。

「金満主義のチャールズ一族を追放するのだ!それ以外に、国家の再生はありえなーい!!」

チップ元帥を人々が指示する理由は、これだけだった。
ある意味では人種差別とも取れる発言だが、相手は亜人ではない。まして正式には国民ですらない。

それでも50年前であれば、人々はチャールズ一族の深い知恵と叡智に尊敬を持っていた。
だが、今の若者にしてみれば、彼らは労働者から生き血をすする悪徳銀行家である。

「国王は死んだ!国家万歳!!」

「国王は死んだ!国家万歳!!」

「国王は死んだ!国家万歳!!」

寝返った軍警察や陸軍の兵士たちも元帥に追従する。
熱に浮かされた若者や、労働者たちも集まって第2共和政府打倒を支持している。

だが、少し離れた場所では老人たちが苦言を呈している。

「そもそも効率だのと言って職人が腕を磨かないから、こうなったのじゃ。」

「何が分業じゃ。職人一人で全てを仕上げてこそ、一人前じゃないか。
 若いものは技術も覚えず、小賢しいことばかり抜かすのう。」

チャールズ一族は、効率を上げるために職人制度やギルドを解体させた。
これは熟練工が経営者と対立して、邪魔になったからだ。

最初は作業者ひとりひとりが一つの作業工程をマスターすれば働けると仕事が広がり、経済も潤った。
だが、チャールズ一族は賃金をどんどん下げ、逆らう者は退職させた。

ギルドが解体され、職人を守るシステムもなく、法改正が知らない間に進んでいた。
銀行は金利を下げ、大企業は投資家に利潤を回し、その金で政府を飼い犬とした。

だが、クルスベルグ内で争っているうちは、まだマシだった。

「我々は分離独立を唱える!北政府の間抜け共とは、これ以上、相容れない!!」

そう主張するのはラ・ムールと接するフエロである。
その名の通り、クルスベルグ領だが谷ではなく、平野の地域で歴史的にもラ・ムールと親しい。

彼らはフエロ州を中心とする幾つかの隣接する街を併合して、新国家の建設を主張した。

これに対し、第2共和政府は全くリアクションを起こせなかった。
そのことに対し、第3共和政府は、既に彼らに国家の大事に対応力がないと主張するのだった。

「ど、どうすればいい?」

「フエロ独立派を抑え込まなければ、こちらの信頼は失墜する。」

批判を受ける第2共和政府だが、意見がまとまらず、何も出来ずにいた。

第2共和政府、大統領ルッペンはチャールズ一族の口添えで大統領になっただけの男である。
何の対応能力もない愚鈍な三流政治家であった。

しかも、この傀儡の飼い主は第2共和政府を完全に見限って、第3共和政府に投資し始めていた。
とんでもない裏切りである。あれだけ自分たちを焚き付け、第1共和政府を解体させておきながら。

「なぜドラゴン排斥を掲げる第3共和政府にチャールズ一族は味方する!?」

「恐らく、出来はしないとたかをくくっているのでしょうよ。」

「ホルテンベルグの反逆者どもの首をねじ切ってやりたいわ!」



口は動くが、頭の鈍い第2共和政府の高官たちが話し合っている間に、チップ元帥は素早かった。
同志を募り、フエロ州の独立派を制圧するべく、義勇軍を送り込んだのである。

「これは全てクルスベルグが強力な政府を持ちえないから起こる不幸だ。
 正当な理由もなく第1共和政府を解体した第2共和政府を民衆が支持せぬ証である。

 国家は、どれだけ詭弁を弄そうとも、一番の厄介事を果たすことを誰もが望んでいるのだ。
 それが戦争であり、死刑制度であり、ドラゴンどもの追放である。

 私はこれら国民の思いを受け止め、必ずや遂行することを固く約束する。
 今日は同じ国の兄弟と争うことになろうとも、明日の国家新生の崇高な犠牲である!」

元帥の演説に兵士たちが声援を送る。
だが、古くからの職人たちや、一揆に賛同しない民衆は苦々しい表情だ。

不安はあるものの、ホルテンベルグ第3共和政府軍は南のフエロへ向かった。
足取りは軽く、兵士たちの表情はまるで正義の戦争に従事するように晴れやかだが、結果は違った。

フエロ独立派のほうが装備も数も遥かに上だったのだ。
おまけに防衛戦の相手の方が戦意も士気も高く、地の利もあった。

加えてフエロ独立派の方がどんどん数が増え、装備が整っているという話が流れるにつけ、
怖気づいた連中は、第3共和政府軍から、次々と逃げ出していった。

そして戦闘。瞬く間に警官隊と実戦経験の薄い陸軍兵士の混合部隊は壊滅した。
第3共和政府軍の650名のうち、80名が戦死し、大半は捕虜となった。



クルスベルグ、ホルテンベルグ州の第3共和政府の義勇軍、フエロ独立派に完敗する。

この報告を受けた、ラ・ムールの丞相カウは大臣たちを集めて意見を出させた。
あくまでカウは会議の様子を見守るだけということになっていたが、結局は意見を求められた。

「フエロに使者を送って第2共和政府に恭順するように説得しましょう。」

「いや、第3共和政府の勢いは止まらん。フエロ攻略は失敗したが、ラーブベルグも向こうに着いた。
 第2共和政府は大義のない政権である上に、閣僚は皆、金の力で仕立て上げられた無能揃いだ。」

「んー、でもクーデター派を僕らが支持して良いんスか?」

「うむ、トルフ君の言うとおりだよ。大義はともかく正当な政府は第2共和政府なのだ。
 口出しするべきじゃないと私も思うね。」

「神官団はそう思うだろうが、軍部としてはフエロを占領するのも魅力的だ。」

「書記官団としては、それは予算がないのでやめて欲しい。」

口々に意見が出そろうが、全員、カウの意見を待っている。
そしてとうとう、ついにカウも我慢が限界になって口を開いた。

「あのさぁ。ボクちんとしては…。」

それでも、やっぱり止めようと考え直して口を閉じる。
だが、明らかに彼が育てた高官たちは、彼の言葉を待って目を輝かせている。

もう、どうにでもなれ。カウは再び言葉を繋ぐ。

「ボクちんはクーデターについては詳しいから良く分かってるんだけどよぉ。
 第3共和政府に目はない。でも、第2共和政府も長くはない。」

「では、クルスベルグの混乱はどうなるんスか!?」

質問を受けて、カウは続ける。

「結局は暴力で解決される。だから今のクルスベルグには自分で事態を解決できない。
 まして文明社会の血液ともいえる金をチャールズ一族に支配されてるんじゃねえ。」

「つまりはチャールズ一族が本気で動かなければ、国家崩壊ということもあり得ると。」

軍部首座の将軍が腕組みした。
普通、目上の人の前では慎むべき行為だが、カウからしてお調子者である。
こういった細かいことには口を出さない空気が、この時代のラ・ムール王国政府高官にはあった。

「そうだ。美味しいお茶があるんスよ!」

そういって一人が席を離れる。
実はこのトルフ少年は政府高官ではなく、ただの王宮の使用人である。

それがなんとなくこういった政府高官の居並ぶ会議で意見を述べる辺り、カウの人柄か。

「急がんでいいぞ!意見は出尽くしたからな。」

「私、手伝って来ますね。」

そういって席を離れるのは神官団の首座、大神官である。

隣国は大混乱だというのに、なんというか和やかなものだ。
縦割り行政まるだしで書記官や神官、軍人や大臣たちがお互いに言い争うこともない。

「息子が結婚するんだがな。」

「へえ。将軍もこれで安心して死ねますね。」

「予算が増えれば死なずに済むわい。」

会議と関係ない砕けた会話。
これも全員、カウという人間だから出来ることだと感じている。
きっと他のカー・ラ・ムールや丞相、国王代理のもとでは、こんな空気の中、仕事は出来ないだろう。

「丞相、長生きしてくださいね。」

突然、書記官長がいった。
席に着いている、誰もが首を縦に振って答える。

「け!これ以上、俺様が長生きできるかってんだい、全くもう。
 ボクちんは十分に長生きしたぜ。お前ら、冗談でも俺が長生きして欲しいなんてお天道様に言うんじゃねえぞ。
 やっこさんがマジになっても困るからなぁ。ったく、馬鹿野郎が。」

カウは嬉しそうに苦笑いする。
だが、深刻に悩んでいる。もう何人も自分より若い連中の死に顔を見て来た。
長生きしたことで、周囲からは気味悪がられるという堪えられない苦しみに襲われることもある。

「でも、丞相って子供居ませんよね?」

「仕事一筋の人だからな。」

高官たちがそういうと、カウががなった。

「うるせえや!勝手にさせろい!!」

「でも私、丞相の子供欲しいですよ。」

突然の発言に、凍り付く王宮。
そこに戻ってくるトルフ少年。

「あれ?どうか、しましたか?」



それから5年が経った。
クルスベルグの混乱は、表向きには終息したが、新政権、第4共和政府もまた脆弱な中央政権だった。

大規模な金の価格崩壊も治まらず、各国は通貨の流通量を減らして対策を取ったが、間に合わず、
ラ・ムールは通貨の価値を半分に減らした。

即ち一番高価な大金貨に対し、次の通貨である小金貨を1:10から1:22にするという決定だ。
またその下の銀貨も小金貨との交換比率は1:35に改変された。

つまり銀貨770枚が大金貨1枚と交換されることになる。

それに合わせてイストモスも両替を考えることになったが、こちらは大ハンの皇統が遂に途絶えた。
今は各部族の首長が集まって合議を取る議会制国家に移行しており、馴れない政治運営に混乱があった。

もともと経済に明るくない人材が多く、どうしても通貨危機に大きな舵取りが出来ない。

エリスタリアはすんなりと意見交換して、ラ・ムールに合わせて通貨の流通量を調整した。
あちらは1000年以上生きるハイエルフの女王が支配する国だ。
カウよりも遥かに政治運営の経験は上だ。

オルニトはクルスベルグと同じく中央政府が統制のとれない状態が続いており、
経済の混乱は収まる時期の見通しが取れないままになっていた。

ドニー・ドニーは長い造船ローンの焦げ付きが解消され、経済が再構築された。
だが造船の発注件数はどんどん少なくなり、経済が縮小していく一方の様だ。

マセ・バズークに至っては、まるで内情が掴めない。

だが、この5年で大きく変わったのは、ミズハミシマだった。
まず長らく乙姫が良かれと思って隣国の戦争や紛争に龍神と援軍を送り続けた、
世界の警察気取りに国民は、遂に我慢の限界に達した。

「俺たちもラ・ムールのように国王なしでも政治運営が出来る様にしよう!」

「乙姫に頼るような国家運営は反対!」

「デモクラシーだ!」

「そうだ、民主主義の時代だ。デモクラシー!」

各地では乙姫の権限を奪い、ミズハミシマにも民主的な国民議会を設置するべきという左翼派が隆興。
逆に乙姫を崇敬し、彼女を尊重するべきという右翼派と衝突した。

だが実態は魔女裁判のような吊し上げだった。

「乙姫様を侮辱する左翼野郎!」

「身の程を知りやがれ!!」

保守的な地域では、民主的な革新を望む発言とは関係なく、気に入らない者は左翼とされ、私刑にあった。
無論逆に革新的な地域で乙姫を擁護しようものなら、あっという間に吊し上げられた。

「市長、これは乙姫の御真影だな。市庁舎から撤去して貰おうか?」

市庁舎に殴り込んで来たのは、街のゴロツキどもだ。
各地のデモクラシー運動とは関係ない、全くの素寒貧だ。

「御真影は民主的な思想と関係あるのかね?乙姫様を侮辱するな、若僧ども!!」

流石はミズハミシマの男だ。
暴力を前にして、主張を曲げるようなことはしない。
だが、結果は惨めな無駄死だ。

その日のうちに市長は街の広場に吊るされ、乙姫の姿を描いた御真影は燃やされた。

だが、本当に心を痛めたのは乙姫と龍神だった。
国民の憎悪はふたりに向けられている。下手に発言すれば、事態の悪化を招くだけだ。
二人の傍に仕える魚人たちも、日々ふたりの苦しみに胸を痛めた。



各国の混乱に乗じて成長する勢力があった。
悍ましい闇の勢力、死の神を奉ずるモルテ教団であった。

彼らは不死の貴族と屍姫と呼ばれる最高幹部を頂点に、彼らに命を捧げることで幸福を得るという教義を掲げていた。
通貨の崩壊、政治混乱に希望を失った人々は、こぞってこの教団に入信した。

死の軍と噂される教団の私設部隊は、彼らのホーリーシンボルである絞首刑台の首吊り縄を掲げていた。

「おい、あれ、首吊り縄じゃないか?」

イストモスのある街角で、街路樹に首吊り縄がかけられていた。
それを指差したふたりの人馬たちが噂する。

「例のモルテ教団の幹部たちが、この街にもやって来たって訳か。」

「気味が悪いぜ。」

顔が青くなった二人は、街路樹の傍にある安宿を見上げた。
2階の窓が、嫌になるほど蒸し暑い日だというのに固く閉じられている。

「連中は昼間は出歩かないって話だぜ。」

「友達が入信したいって言ってたんだよなぁ。」

顔を見合わせると、嫌なものを見たという表情で二人は回り道した。

各地で拒否反応はあったものの、モルテ教団の拡大は治まらず、このまま続いた。
そして次の時代を待つように、ゆっくりと闇の中でその時を伺っていた。



フォンベルグ。
クルスベルグ連邦、クルスベルグ州の主邑にして、第1共和政府の首都である。
かつて神聖ドワーフ帝国の帝都であったこの街は、今は灰色に包まれていた。

チャールズ一族は自分たちに逆らった国民議会を解体、憲法を停止し、第2共和政府をザワーベルグに樹立。
私兵軍を派遣して、街の大部分を焼き尽くした。

仕事を求めて集まる浮浪者、あふれる犯罪、政党支持者同士の激しい乱闘、テロまがいの戦闘。
無政府状態が続いた5年の間に、街は醜くただれていった。

それからは州知事によって統治されているが、政治活動は厳しく監視されていた。
だが、第2共和政府もホルテンベルグ第3共和政府も倒れると、フォンベルグ第4共和政府が復権した。

これが現在まで続く、クルスベルグの政府であり、首都となっている。

第4共和政府は、やはり脆弱な政府で各地の政治混乱は続いていた。
労働条件の悪化やインフレ、一揆(プッチ)は収まらず、それを抑え込む政治的、軍事力もなかった。

だが、大きく前進したことがあった。
チャールズ一族の追放である。

経済的に各地の工房を支配し、ギルドを解体させたチャールズ一族を追放することで状況打開を図ったのだ。
力づくで彼らの財産を没収し、国外追放を最高法院に認めさせ、一切の政治、経済活動を締め出した。

反動は大きかった。
文明社会の血液ともいえる資本を失い、これまで政治を裏から操っていたチャールズ一族を失ったのだ。

素人同然の政治運営は大混乱、先立つ物がなければ工房も仕事が始められない状態になった。
それでもドワーフたちが希望を失わなかったのは、ここが新しい出発点と考えていたからだ。

そして、この混迷するクルスベルグの舵取りは、一人の大統領に委ねられた。

シフ・ヒルシャー。
政権与党、セダル・ヌダ職工党の党首にして、第4共和政府の大統領である。



彼を語るには、25年の歳月を振り返らねばならない。

現在から430年前、シフ・ヒルシャーはドワーフの職人として落ちぶれ、浮浪者となっていた。
それから十数年の間、彼はあちこちの工房に入ったが、仕事の覚えが悪いといって追い出され続けた。

第1共和政府が崩壊すると、彼はホルテンベルグ第3共和政府を支持した。
そして、フエロ独立派に差し向けられた第3共和政府の制圧部隊に従軍したが、味方が大敗。
彼は大怪我を負って、二度と職人として腕を振るうことは出来なくなった。

それから5年間で彼は何をしていたのか?

懲りずにあちこちの政治結社に参加しては、ゲバ棒を振り回して敵対する政党を攻撃して回っていた。
といっても名誉の負傷兵として仲間内では尊敬される従軍経験者の彼は、後ろで威張っているだけだったが。

彼は政党支持者や党員たちが乱闘を始めると椅子を引いて来て、将軍のように仲間に指示を出すのだった。

「俺はフエロ独立派と戦ったんだ。あれに比べれば、今日の喧嘩はお遊びよ!」

そういっては管をまくシフは英雄のように踏ん反り返った。
だが、どうにも面白くない。いつまでもこんな事をしていてはいけない。

一念発起して、彼は政治活動に邁進するようになった。

「いつまでもガキの遊びをやってるんじゃない!」

彼は所属するセダル・ヌダ職工党の党幹部会議で大演説を打った。
名前だけは立派なこの集団は、政党というよりは大人になり切れない中年のお友達クラブだった。
幹部会議も名ばかりで、安酒場に集まって騒いでいるに過ぎない。

「貴様らのせいで偉大な才能が埋没してしまったではないか!」

シフは知らず知らずのうちに扇動者としての才能を開花させた。
そんな彼に目を付けたのが党の実力者アント・ブレナーズだった。

彼は大きな工房の名工で、彼の作る指輪は国宝として、現代でも保管されている。
口よりも腕がドワーフの第一の信条だったが、彼はシフの弁論に興味を持った。

「ヒルシャー、君は腕は振るえないが弁が立つな。」

「止せよ、ブレナーズ。ドワーフは腕が第一なんだぜ?」

「だが、君の場合は戦傷が原因じゃないか?」

アントがそういうと、シフは大笑いして膝を打って首を振りながら答えた。

「はははは!俺はこうなる前から三流なのさ。歯車ひとつ磨けやしない。
 戦争で怪我したって言っても、本当は働けるんだぜ?」

自傷するシフに、アントは続ける。

「確かにドワーフは技術が一番と言われてる。だが、これからは弁舌だって必要だ。
 それにクルスベルグはノームたちだって暮らしてるんだ。君の才能は党の武器になるぜ。」

アントに励まされ、シフは街頭に立って演説した。
当然、口だけのドワーフは、ドワーフたちが最も嫌う低俗な存在だった。
だが、シフにはそんな風習を取っ払うだけの花があった、スター性があったのである。

しかし、シフとアントがセダル・ヌダ職工党をまともな政党に作り替え、寄付金を集め、
パンフレットやポスターを配り、党員や支持者を増やすことに不満を抱く連中が居た。

ルーズボーイズ、クズの吹き溜まりだったセダル・ヌダ職工党が、列記とした政党に代わり、
居場所を失いつつある古参の党員や創設者で初代党首のヘルマン・キュライスだった。

ヘルマンはアントと比べ物にならない二流の装飾職人だった。
だが、アントは創設者であり、年長者のヘルマンを立てていた。

それでも彼を気に入らないヘルマンは、遂に内ゲバに動き出した。

「おい、アント。若い連中が勝手なことするんじゃねえ!!」

筋肉隆々、オウガと見紛うほどの巨漢で見事な髭を蓄えたヘルマンがアントを捕まえた。
周りには大岩の様なドワーフたちが取り巻きで着いていた。

「キュライスさん、僕たちは政党としての方針や要綱を作ったんです。
 これまで先輩方が何も決めてないのが悪いんじゃないですか。」

「それが勝手だって言ってるんだよ!!」

古株の党員たちがアントを手加減なしでぶん殴った。
岩の様なドワーフの拳は、武器がなくとも凶器そのものだ。

倒れたアントは苦痛のあまりに言葉がでない。
腫れあがった顔が青黒くなっている。

「次はシフ・ヒルシャーだ。」

「戦場帰りだとか、最初から気に入らなかったぜ!」

「ドワーフの年功序列ってものを教えてやる!」

ヘルマン率いる古参党員たちが向かったのは、シフが仲間内でつるんでいる百獣屋だ。

百獣屋、これで「ももんじゃ」と読む。

江戸時代に出来た肉料理を食わせる専門店で、肉食の文化の無い日本では、馴染みの薄い珍しい商売だった。
取り扱っているのは鹿や猪などのジビエである。特に猟師の繁盛期の冬には賑わったが、
あまり人気のある商売ではなかったらしい。

ここクルスベルグでは猟師が持ち寄った肉を小売りしている店である。
居酒屋のように買った肉を客がその場で食えるサービスをやっている。

ちなみに居酒屋も、最初はただの酒屋だったのが、その場で酒を飲み始めたのが始まりであるとか。

「シフ!」

古参の党員たちが乗り込んでいくと、シフはいつもの様に、将軍にでもなったような気迫でいった。

「うるさいぞ!」

シフの大声には、人にはない魔力があった。
まず大きさ、発声。次にその重音は、聞く者に異様な圧力をかけることが出来たのである。

「この兵隊気取りが。どてっぱらに気を着けろよ。」

古参党員やそのガラの悪い友達たちが百獣屋になだれ込んでいく。
すると待っていたと言わんばかりシフの仲間たちが鉄兜を被り、つるはしを持って躍り出た。

「や、ヤロー!!」

これが発端となり、セダル・ヌダ職工党は党員と支持者が内ゲバを続け、大部分が刷新された。
事の顛末としては、創設者であるヘルマン・キュライスが追い出され、アント・ブレナーズが党首に就いた。

「おめでとう!ブレナーズ!!」

「ブレナーズ!!」

支持者たちの集まった百獣屋で、新党首に就いたアントは万雷の拍手に包まれた。
彼の立つ演壇に登って、握手を求めたのはシフだった。

「ブレナーズ、君こそ我が政党の党首に相応しいよ。」

「いや、党がここまで大きくなったのもヒルシャーのお陰だ。」

戦友同士の固い握手が結ばれた。
シフがセダル・ヌダ職工党に入党してから、たった1年の出来事だった。



それ以降、アントは党を作り直し、弱小政党を取り込んで巨大化を進めた。
シフは演説を各地で行ったが、まだまだ他の政党の妨害が多く、乱闘になることは避けられなかった。
シフはセダル・ヌダ職工党の支持者と共に常に行動し、強行軍を繰り返した。

そんな中、彼が最大都市であるフォンベルグで演説を続けていると、党は彼抜きで次々に役員を決めていった。

「アント・ブレナーズは先生を抜きに勝手なことばかり進めています。」

取り巻きの党員がシフに迫った。
だが、党の混乱を共に乗り切った戦友を思うシフは首を縦には振らなかった。

「ブレナーズは上院議員にもなろうという男だ。
 党をグリップするには、そういう強引さも必要だろう。僕らは彼のバックアップをするだけさ。」

そしてさらに1年後、セダル・ヌダ職工党は各地の政党を吸収し、どんどん巨大化した。
それに比してシフ派は小さくなり、党首のアントさえ、後から入って来た党員たちに振り回され始めた。

これがこの時代のクルスベルグのありきたりな政党の最期だった。
多少の困難を乗り切っても、それは一時の事。
蜜月の日々は終わり、空中分解する。これの繰り返しだ。

耐えられないシフ派の党員や支持者たちはシフに決心を促そうと動き出した。

「先生、アント・ブレナーズはマイヤーの言いなりです。」

マイヤー・ベルグはカリュアベルグの上院議員で、空気産業党から何人かの下院議員を伴って移籍してきた大物だ。
セダル・ヌダ職工党の抱える数少ない上院議員であり、新人のアントとしては先輩議員である。

「マイヤー大先生は党の大幹部だぞ。」

シフは戦傷の古傷をさすりながら怒鳴った。
といっても、それほど痛い訳ではない。面倒事が起こると人を追い返すためにやる彼の常套手段だ。

「僕らは強力な指導者を望んでいます!」

「では、マイヤー先生を押したまえ。僕はアントを裏切る真似はできないよ。」

シフは取り巻きの要請を固辞すると、彼らを下がらせた。

無論、彼にも不満はあった。
自分はフォンベルグを中心に、地方を回って各地を遊説しているというのに
連中は未だに第3共和政府のあったホルテンベルグに本拠を置いている。

無政府状態になって2年目。既にザワーベルグの第2共和政府も第3共和政府も有って無きが如き物。
各地には一揆(プッチ)が横行し、あちこちの州政府が半独立状態になっていた。

「そもそもホルテンベルグは急進左派の影響力が強い。
 反転左派、王冠派の我がセダル・ヌダ職工党はフォンベルグに移るべきだ。」

シフは自らの思いを手紙に書いて、戦友アントに送った。

だが、帰って来たのは怒りの手紙だった。
この2年間、シフは政党の考えとは異なる演説を繰り返しているという党の非難状だった。

「シフ。おお、友よ。
 君が我が党のために戦っているから皆も納得していたというのに。
 党の本部をフォンベルグに移すなどとは、君はどうかしているとしか思えない。

 我が政党の政治思想に反する演説の数々や他の政党との乱闘騒ぎは、我が党の足を引っ張るばかりだ。
 今のままでは君が出馬する予定のスタンベルグの選挙区は、ライツラーに譲ることにする。」

この手紙の内容に、シフは愕然とした。

「ライツラー!?あの薄ら馬鹿に席を譲るだって!!」

シフ派の支持者たちも狼狽えた。
彼の取り巻きは退役軍人や炭鉱夫など、職人らしいドワーフもノームも皆無だ。
皆、彼と同じ、腕を持たない故に苦しんでいる者たちだった。

彼らの願いはセダル・ヌダ職工党の掲げるギルド復興、ドラゴン排斥などに次いで、
帝国時代の技術を取り戻し、腕だの何だのと理屈を並べずに、豊かで強大な祖国の再生である。

「ライツラーは名工だ。職人たちの覚えも良い。」

「だが、無学な脳タリンだぜ!」

「くっそ!また職人の議員なんて、政治が遅れるだけだとなんで分からないんだよ!!」

「選挙に負けるからだよ!」

ザワーベルグで手紙を受け取ったシフと彼の取り巻き達は、通夜のように泣きわめいた。
これまでの苦労を踏みにじられた気分だった。

「こうなったらホルテンベルグに乗り込んで、党本部と話し合うしかない。」

シフは決心を固めると、党に対し、自分がそちらに向かうので主なった幹部を集めるよう手紙を返した。

しかし、ともかく無策では勝ち目がない。
シフは党の大物マイヤー・ベルグに夜半に面会すると自分に味方してくれるように説いた。

だが、当然のように拒絶された。

「ヒルシャー君。それはブレナーズ先生への謀反だよ。
 わしは仮にも余所者だ。家主と争うような真似は出来んのだよ。」

そんじょそこらのドワーフとは比べ物にならぬ見事な髭。
思わず圧倒されるその髭を愛おしそうになでながら、彼の眼は座っている。

「ですが、ベルグ先生。ライツラーは無能です。」

「君、自分の腕を考え給え。
 君の様な職人としての名声の無い男が、党の一派を占めるのは、ブレナーズ先生の友情だよ。」

痛い所を突かれ、シフは茫然とする。

結局、他の議員や党員たちも、彼とは手を組めないとはねつけて来た。
そうしている間にも、シフが要請した党の幹部会は目前まで迫っている。

「どうすればいいんだ。」

頭を抱える彼の所に、ひとりのノームがやって来た。
彼は偉大なるチャールズ一族の使用人で、あの銀職人のシャルロットの使いだった。

「あのドラゴンの使者だって。私はドラゴン排斥を掲げる政党の党員だぞ!」

「ですが、今にも除籍されそうだ。」

そう言われると、シフは青くなった。
意気地を砕かれたシフに、ルビー色のドラゴンの使者は死神のように、こういった。

「ベルテ・キュラッサーに会うと、良いでしょう。」

ノームはそう言って立ち去って行った。

シフはその言葉の意味を理解し、数時間悩んだが、それを実行することにした。
約束の日を破って幹部会に姿を現さないシフに、党員たちは不満を抱いたが、不気味な気配を感じた。

そして、次の情報に戦慄することになった。
シフが復古勤皇党の党首であるベルテ・キュラッサーと面会していたという話である。



復古勤皇党は、その名の通り、王冠派、反転急進派の旗頭である。
神聖ドワーフ帝国の革命による滅亡から、帝国時代の技術は忌み嫌われ封印された。
これを復活させようというのが反転急進派である。

ベルテ・キュラッサーは『航空戦争』を著し、クルスベルグの飛行船の戦争における優位性、
海運に代わる強力な産業、商業の柱となると力説し、支持を伸ばした。

彼自身、飛行技術を人目をはばからずにおおっぴらに研究し、政府から指弾される立場でありながら、
影では英雄視される技術者である。

だが権威を重んじる彼が、職工としての名声無き、シフごときには会おうともしないのは眼に見えていた。

「シフ・ヒルシャー?
 なんだ、その小僧は。ネジの一つも満足に作れんような奴が名士を気取るとは。」

ベルテは不快そうに唸った。
だが、対面しているのはシフではない。銀職人のシャルロットだ。

「ベルテ君。私の願いを聞き入れてくれますね?」

ルビー色のレッドドラゴンは、犬に芸当でも教え込むような調子でいった。
これにはベルテも気分を害するが、彼女に投資を打ち切られてはたまらない。

「分かりました。御令嬢の要請となれば。」

こうしてベルテはシフと面会した。

名士の中の名士、大偉人であるベルテ・キュラッサーに会うにつけ、シフは苦しんでいた。
それほどの人物に会うには、あまりに自分の髭は貧相過ぎる。

だが、腕の無いドワーフが不釣り合いな髭を蓄えることは許されない。
過度な衣装も、己の身の丈を知らない愚挙とされている。

「しかし、これではマイヤー・ベルグと会った時の二の舞だ。
 第1印象で相手にされなければ、交渉も演説も上手くいかないんだ。」

落ち込むシフに、救いの手を差し出したのは、あのロック・ユニーズだった。

ロック・ユニーズは不世出のデザイナーで、この時代を代表する芸術家であった。
無論、職人としての名声は比類ないものだったが、政界にもギルドにも興味を示さない。

いわく「獣の様な男」である。

寡黙で、昔ながらのドワーフ然としているいぶし銀のような壮年の人物だ。
気に入らなければ、どんな名士でも殴りつける。それがドラゴンであろうとも。
だが、その反骨を認められる腕を持ち、孤高に生きていた。

銀職人のシャルロットに至ってさえも
「彼の文句を言わさぬ腕の冴えに、神にも挑戦した我が祖先の気高さを見た。」
と褒められたほどであった。

だが、彼はシフとは真逆の男だ。
それだけにシフは驚いた。

「ろ、ロック・ユニーズさん!」

思わず飛び上がって彼を迎えたシフに、噂通り愛想のない表情で彼は答えた。
そのままシフに案内されて一室に向かうと、椅子にも座らずに若いドワーフを見つめた。

「座んなさい。」

始めて口を開いたロックは、逆にシフに椅子を薦めた。
恐々とするシフが椅子に座ると、ロックは鋭い目で彼を見続けた。

そして、彼の身体の寸法を測ると上着や小物類まで用意してくれた。
日がないので彼がこれまでに作った作品から選んで来ただけだが、どれもピッタリと調和した。

「ベルテ・キュラッサーが、本当に世間で言われるほどの男か。
 君が行けば分かることじゃ。」

「は、はい!」

シフは生ける伝説ともいうべき名匠ロックを見送ると、熱く震えるのだった。



シフがベルテ・キュラッサーの工房に姿を現した。
彼の姿は、彼の人となりを超えない程度でありながら、もっとも均整の取れた気品を持っていた。

ベルテの弟子は、名匠ロック・ユニーズの作品で固めれば、誰でも一端の名士に見えるわ。
といって軽蔑し、やはりこの若い三流職人を師匠に会わせるべきではないと追い返した。

「ま、待ってください!」

シフは食い下がるが、弟子たちは頑なだ。

「先生に取り入って、余所の政党の争いに巻き込むな。」

「帰れ、嘘つき戦傷兵!!」

しかし、工房の戸口で争っていると奥からベルテ本人が姿を現した。

いきなりの登場に弟子たちも、シフも面食らった。
驚き混乱する一同を尻目に、ベルテはずいずいと歩いてシフの目の前に立った。

「君に会おうとは思わなかったが、ロックの作品を生きたドワーフが身についているという。
 彼の作品が、彼の美的センスで配置された姿を見たいという熱望。
 それがワシの職人としての興味をそそったのだ。」

ベルテはそういうとシフを奥の私邸へ招いた。

工房から離れたベルテの私邸。
そこは彼の空への憧れを閉じ込めた、永久の遊園地とでもいうべきもの。

飾り付けられている模型は、彼の挑戦の軌跡を物語っている。
中には見たこともない器具や装置もあり、恐らく部外者には公開されていない帝国時代の遺産だろう。

「ベルテだ。」

戸棚から酒とグラスを持ち出して勧めながら、上院議員は若僧に挨拶した。

「シフ・ヒルシャーです。」

グラスを受け取ったシフが返事する。

「君が客だ。」

落ち着かないシフに、ベルテは声で体を押さえつける様にいった。

「ロックは私の恋人を寝取った男でね。私は以来、独身だ。
 奴が彼女という心の潤滑油を得て作った作品は、いわば彼女なしでは地上に生まれ出るはずのない作品だ。」

ベルテが唸るようにそういうと、シフはなんと答えればいいのか、困惑する。

「セダル・ヌダ職工党の話は知っている。弱小政党の寄り合いだ。
 党首のアント・ブレナーズは、意志薄弱の愚か者だよ。
 戦友である君を裏切って、後から入って来た議員たちのコントロールも出来ぬ。」

「僕が党首となれば、セダル・ヌダ職工党は復古勤皇党と手を結びたいと考えています。」

若いドワーフの言葉に、大物議員は鼻で笑った。

「ありきたりな手土産だ。
 こういう場合、どうすればいいのか君は知らんのだな。」

シフは混乱した。
彼の言う通り、職人世界から弾き出された彼は、彼らのやり方を知らない。

「我々のような名工が利権を巡るような話をするときは、お互いの手の内を見せるのだよ。
 弟子にも明かしたことのない、自分の技術をな。」

この言葉に、シフは血の気が引いた。
ベルテは素っ気なく続ける。

「議員としての、政治家としての君の手腕は、まだ未知数だが、期待値は大きい。
 君がラ・ムールの商人だったら、もっと早く出世できたろう。

 だがイストモスは騎士の国、オルニトは鳥人の国、そして我が国は職人の国だ。

 イストモスでは人馬は騎士としての心構えや戦闘技術、狗人は従士としての身体能力が、
 オルニトであれば空を飛ぶ能力、そして我が国では職人としての腕がなければ一人前ではない。

 確かに理不尽だが、君はそれを理に合わぬと言って突っぱねてばかりで、
 一度でも職人としての腕を磨き、周りに自分を認めさせようとしてきたかね?」

痛い所を突かれた。
シフは反論しようとも悩んだが、自分の立場では無理だ。

苦虫を潰したようになったシフにベルテは続ける。

「ワシの弟子になり給え。
 党は移らんでもいい。」

「そん…!」

シフは切羽詰まった。
ベルテの提案は、理にかなう。だが、この時期に弟子入りなどしている場合ではない。
自分は職人ではない。その欠点を補うのが演説であり、弁だったのだ。

「お言葉は有難いと思いますが、自分が今更、腕を磨いても無駄です。
 自分には弁しかないのです!」

「ならば、諦め給え。
 何も弁で食っていきたいならラ・ムールで商人になるがいい!」

ベルテが報いるが、シフは譲らない。

「僕は名声や成功を望んではいません!いや、あります!!
 ですが、この国を良くするのが望みである僕にとって、この国の大統領以外に意味はない!!」

それがシフの本心だった。
だが、ベルテは許さなかった。

「笑止。
 一頭追う者、二頭を得ずというが、それは平々凡々な人間の在り様。
 国を動かす者、あらゆる苦難から理屈ばかりで逃げ果(おお)せはせぬ。

 己の腕を磨くを棄て、口先ばかりで世の中を渡るとは不届きものよ。
 その上、腕など政治の役には立たぬと、この国の伝統を馬鹿にしているくせに、国を憂う等と良く言える。」

結局、ベルテとシフは喧嘩別れに終わった。



シフはホルテンベルグに戻った。
再び開かれる党幹部会に出席することになったのだ。

党本部の買い取った古いホテルの宴会場に集まった党の役員たち。
彼らを虚ろな目で見ながら、シフは口を開いた。

「僕は、このセダル・ヌダ職工党をやめようと思う。」

この発言を受け、立ち上がって意見する者があった。
党の全国委員長オルト・グラフである。

「待ってください、ヒルシャー君。
 我々としては遊説によって君が我が党に、これまで貢献して来たことを大と認めます。
 よって、君をアント・ブレナーズ君に代わって党首に推しても良い。」

シフが目を丸くして、アントの顔を覗き込むと彼は暗い顔をして、目線を外した。
続けて党の大物マイヤー・ベルグも立って発言する。

「ヒルシャー君がこのような苦境に立たされたのも、ブレナーズ君の党首としての力量不足だ。
 それに彼に代わる党のメンバーは、ヒルシャー君が相応しい。

 彼を侮る者は少なくないが、彼の様な男こそ、我が政党のイメージにピッタリだ。
 新しい政治、これまでと違うクルスベルグの若々しい姿に。」

ベルグの発言が終わると役員たちは拍手で新党首を迎えた。
だが、シフはただ一人、かつての戦友を見つめていた。

シフの立場が悪化するにつれ、党内では彼の人気が余所の党に移ることを恐れた。
そこで彼らは何としてもシフを党から離れない様にこのようなお粗末な交代劇を用意したのだ。



さらに3年後、第2、第3共和政府が倒れ、フォンベルグに第4共和政府が樹立された。
新憲法、新国民議会が開設され、そこには与党となって政治首班に就いたセダル・ヌダ職工党があった。

だが、初代大統領の座を争う4人のドワーフたちがあった。

政権与党は、あくまで国民議会の上院下院の過半を握っているに過ぎない。
特にセダル・ヌダ職工党は弱小政党を吸収して大きくなっただけであって、世論は荒れた。

「あの寄せ集め政党から首相を出すのか!?」

「大統領に首相を指名する権限を与えよ!」

「馬鹿な、それじゃまるで皇帝じゃないか!」

「首相なんてどうでもいいぜ。大統領に強大な権限を与えよ!!」

「議会を無視して権限をひとつの役職に集めるのは危険と、まだ分からないのか!?」

意見が別れる中、新大統領に新憲法の素案を決定し、その後のクルスベルグの大枠を決める重要な課題が課せられていた。
もはやこれ以上、政府が出来ては滅びるのには耐えられない国民の期待ははかり知れない。

では、その大統領候補は次の男たちだ。

まずロック・ユニーズ。
当世では並ぶもののない大師匠であるが、議員ではない彼を推すことに反対意見があった。
しかし、本人も望まぬままに、その名前はエントリーされてしまった。

次にベルテ・キュラッサー。
復古勤皇党の党首であり、政治家としてもロックより高名な彼こそ、第1候補と言っていい。
だが、極端な反転急進派路線を危険視する意見も多く、大統領には推せないという見方があった。

次にパン・オットー。
中道派の国家労働党の党首で、第2共和政府の首相を務めた人物。
有名で国政運営の経験者だが、その失敗もあって、まるで期待されていない。

そしてマイヤー・ベルグ。
カリュアベルグ選出の上院議員で空気産業党からセダル・ヌダ職工党に変わり身した大物議員。
セダル・ヌダ職工党が推薦した大統領候補であり、キュラッサーとの一騎打ちというのが現実的だろう。



大統領選を前に、マイヤーはシフを訊ねた。

かつては共闘を拒んだシフとマイヤーだが、彼を党首に推したのはマイヤーだ。
現状、マイヤーが大統領になれば、シフも晴れて首相職に就くことは間違いない。

だが、この会合は全くの逆だった。

「僕は大統領選に出馬したい。」

シフの爆弾発言にマイヤーは眉をひそめた。

「君は党首だぞ。
 党のトップである君が、国政のトップを兼ねようというのは困難な話だとワシは思うね。」

「僕の望みは破滅か、全てか、だ。」

シフは頑として譲らない。
党首となり、上院議員に正式に選出され、世論を味方に着けて彼はこの3年で変わった。

マイヤーもここで身内と争っている場合ではないと分かっている。
しかし、いくら何でもこの若僧の要求を呑む訳にはいかない。

「ならば破滅するが良い。」

マイヤーは、シフの好きにさせることにした。
その後、彼は色々暗躍したが、結局は党を動かすことは出来なかった。

だが選挙戦が進むにつれ、ロック・ユニーズが優勢となった。
そこで名誉職に追いやられたアント・ブレナーズは、自分に近い党員を通じてシフに提案した。

「ベルテ・キュラッサーに副首相の地位を約束して大統領選をおろせ。」

シフに近い党員たちも話し合ったが、決断が出来ず、マイヤーに話をするべきという意見が出た。

「キュラッサーに副首相を任せるというのは党首といえど、ヒルシャー先生の独断では出来ない。」

「ベルグ先生や他の役員とも話し合うべきだ。」

「だが、ベルグはヒルシャー先生と、ここのところ反目しあっている。」

「では、オルト・グラフに打診してみよう。」

オルト・グラフはセダル・ヌダ職工党の全国委員長である。
これと言って目立たないが、党内ではマイヤーに次ぐ派閥を形成している灰色の男だ。

「ヒルシャー先生、副首相は僕だと思っていたんだが?」

年齢はシフと変わらないオルトだが、裕福な家庭に生まれ、苦労を知らずに育った。
何処となくシフは、自分が見下されているような気がしていた。

「無論、ベルグ先生が大統領になれれば、グラフ先生が副首相で間違いないでしょう。
 しかし、今はロック・ユニーズが優勢です。」

シフは苦手そうにしていることが相手に伝わりはしないかと気を揉みながら話す。
それに対し、相手は何を考えているのか、ぼーっとしているように見える。

「他党と取引するのも止む無しと言うことですか。」

そういって、しばらくオルトはあごを揉んで考えている。

この男、ドワーフの癖に酒もタバコも一切やらない。
シフは自分より高名な名工たちが、見栄を張るために高級な酒や細巻きを出すので、内心は楽しみにしていたが、
オルトの場合はアルコール抜きで、いい年した男二人が仏頂面を突き合わせなければならない。

「いいでしょう。ベルグ先生が反対しても僕がなんとかしてみましょう。」

当然、何か条件を出すと思っていたシフだが、オルトは何も言わない。
相変わらず掴み処のない奴だ。



「副首相の見返りに選挙を下りろと言うのかね?」

ベルテ・キュラッサーは、シフとの密会に応じた。

「ロック・ユニーズが優勢なのは、先生もご存知でしょう?」

「だが、おたくのマイヤー・ベルグが副大統領になれるかな。
 今のところ、ウチの党ではワシがロックに次ぐ得票を得られると踏んでおるが。」

会合場所は、シフが用意したレストランだが、ベルテは料理が気に要らない様子で、不機嫌だ。
どうも彼の好みには、この店の料理は合わないらしい。

「最近は洒落た西イストモス料理が流行っておるのだよ、ヒルシャー君。
 君は相変わらず小賢しいな。もっと職人社会を大切にしたまえ。
 老舗の高級レストランに老人を連れていけば喜ぶとでも思ったかな?」

皮肉たっぷりに文句を言うベルテだが、動揺していないハズがない。
シフも何とか食い下がろうとする。

「では、副大統領の椅子を用意すれば、先生は下りて頂けますか?」

「なら、マイヤーの小僧を下し給えよ。」

こんな調子で、二人は顔を突き合わせたまま小1時間は会談を続けた。
とうとう、この夜は意見が別れたが、後日、ベルテの方からまた声をかけて来た。

「ヒルシャー君、今日のワシは食事だけで、すぐに御暇させて貰うよ。」

自分で呼び出しておいて、何を言い出すんだこの爺と、シフは面食らった。

その日はベルテの選んだ店で流行りの料理や、評判のシェフの新メニュー、銘酒を楽しんだ。
ベルテは、自分の息子に接するように、事細かに料理や酒について教えるのだった。

「思えば、君には辛く当たり過ぎていたと思わないでない。
 今回も前回も申し出には答えられないが、仲良くやろうじゃないか。」

ベルテの本心は分からないが、シフはとにかくしてやられた気分だ。

取り引きはなし。おまけに自分は大事な時期に他党の大統領候補と密会しているという事実。
どうあっても彼の立場が危うい。

「先生、結局、キュラッサーを下すのは失敗したんですか!」

秘書や取り巻きの党員たちさえ、シフを指弾した。
当然のようにマイヤーは不愉快だろうし、オルトも援護するというより、遠巻きに見守る程度にトーンダウンした。

「策士、策に溺れるとはこの事だな。」

マイヤーは近い議員や党員の前で、そうこぼした。

「ベルグ先生が選挙に負けたら、党首交代もあり得る。」

そう発言したのは、アント・ブレナーズだった。
ただし、この爆弾発言は本人が否定したが、火消しが追いつかないほどに燃え上がった。



完全に窒息寸前まで追い込まれたシフだが、後世の人が思うように深刻に悩んではいなかった。

実は政治家としてのイメージを保つために隠されていたが、シフは性豪だった。
普段から多くのエルフを相手にご乱行が絶えない男だったが、この時期は際立って乱れていた。

「先生、そろそろお時間です。」

戦傷で体が不自由な彼を介護するために、十数人のエルフたちが家政婦として雇われていた。
この使用人たちを講演会や街頭演説の時でもシフは連れ歩いていた。

「うむ。」

だが、この日のシフは様子がおかしかった。
美しい使用人たちに手も触れない主人の様子に、エルフたちも首を傾げた。

そんな今日のシフが演台に立つと、党の支持者たちが彼を待っていた。
その群衆を目にして、彼は暴走を始めた。

「私は…!!」

その日のシフの演説は、党とも、マイヤー・ベルグの大統領選とも関係ない内容だった。
そう。自分が大統領選に出られないことに対する不満をぶちまけたのだ。

今日までセダル・ヌダ職工党は、自分の活動で第1党まで成長したのに、
大物議員たちは自分が職人としての名望が低いばかりに軽んじていると主張した。

「この国の伝統は間違っているとは言わない。

 だが、政治家に求められるのは行動力と実行力なのだ!
 断じて指輪や歯車を磨く技術ではない!!」

当然、セダル・ヌダ職工党は激怒した。
だが、シフは暴走を続け、大統領選が終わるまで自分の主張を繰り返した。

クルスベルグの端から端まで駆け回り、1日の間に何度も演説した。
普段なら文字通り頭から食べられるんじゃないかと思う位にエルフたちに飛びつく彼が、彼女たちに触れもしない。
まさに超人的なエネルギーで演説を続けた。

彼の発する人を惹きつけるエネルギー。
群衆は大統領選への関心を失い、彼の演説に熱狂した。

大統領選の最終日、投票所に向かわずにフォンベルグの中心部、シフの大演説会に10万人が集まった。

当然、各政党の支持者が殴り込みをかけ、会場には流血が起こった。
シフは歴戦の勇将のように語り、投票終了まで饗宴は続いたのだ。

選挙結果はロック・ユニーズの当選に決まった。
だが、人々はロック・ユニーズの得票よりもシフ・ヒルシャーの演説に応じて投票拒否した者の方が多いと主張した。

「ヒルシャーを大統領に!」

「ロックはヒルシャーに大統領を譲れ!!」

各地で一揆(プッチ)が起こり、再び中央政府には緊張が走った。
特にシフを上院議員に選出したワーゲンベルグでは州政府が中央政府に対し、敵対的な行動まで始めた。
州知事は州軍を動員し、フォンベルグに侵攻すると宣言した。

「大統領、軍部を動員し、反乱を制圧しましょう。」

連邦軍のトップ、ワイト・クロック国家元帥である。

「…考える。」

寡黙な大統領は、眼が血走った国家元帥を下がらせると愛する妻と信頼する弟子たちを呼び寄せた。
言葉少なげな彼の意思を妻のサンド・ユニーズが伝える。

「このタイミングで軍に行動の自由を与えれば、
 クーデターを起こす機会を与えることになります。

 ただちに事態の収拾を図り、シフ・ヒルシャーを大統領に。
 彼にワーゲンベルグの一揆を鎮静させるのです。」

この発言は雷のように中央政府を走った。
すぐにマイヤー・ベルグが大統領執務室に駆けこんだ。

だが先客がいた。ベルテ・キュラッサーだ。
彼と元大統領、元大統領夫人は何本も酒を空け、強かに酔っていた。

「だ、大統領!?」

「おう、マイヤーか。」

すっかり出来上がったベルテがグラスを傾けてあいさつする。
普段は生きているのか、石像なのかも判然としない、生気の失せたロックも上機嫌の様子だ。

「大統領、シフ・ヒルシャーに大統領を譲るというのはッ!?」

マイヤーはロックに迫るが、相変わらず返事はない。
夫の代わりにサンドが答えた。

「初めから、夫は大統領にはなりたくなかったのです。」

「では、ワシを!!」

そういってマイヤーはなおも迫った。
だが、元大統領夫人は冷たく言い放つ。

「国民の支持のないことは駄目です。」



議論は尽くされた。
結論としては、大物議員たちはシフは大きな派閥を持たない議員なので、
その気になれば自分たちが自由に操れるのではないか、という見解だ。

「彼ひとりでは国会運営は不可能だ。」

「考えようによっては、強力な大統領が生まれるより、独裁の危険が失せたといっていい。」

「ともかく、彼の人気を利用することだ。」

様々な思惑の交錯する中、シフは満願成就をフォンベルグの安宿で見届けていた。

「この日を待っていた。」

大統領選から3日間、興奮のあまりに寝付けなかった彼は近しい党員たちの前に姿を見せて、そう言った。

「しかし、仕上げが必要だ。」

大統領になったシフは、ロックの要請を無視し、ワーゲンベルグの動きを傍観した。
というよりも、今や各地で暴動を起こしている人間は、皆彼の魅力によって動いているのだ。

彼らが、シフに敵対的な勢力を黙らせてくれる。
そう考えた彼は、残酷な笑みを浮かべて微笑んだ。

「親愛なる党員諸君。まずジェリー、君らはノルトベルグに向かってくれたまえ。
 ロッソー、君はザワーベルグだ。ハイドはホルテンベルグを抑えてくれ給え。」

この最後の混乱の中で第3共和政府のチップ国家元帥、第2共和政府のルッペン大統領らが殺害された。
他にも第1共和政府の旧閣僚、党内でも数十名が抹殺された。

「君は正しい。」

アント・ブレナーズは自宅に押し入って来た党員たちに拳銃を突き付けられ、そう呟いたという。

訳が分からないのはビゴー・ライツラーである。
特に影響力もない上に、とっくにセダル・ヌダ職工党を除籍されていたにも関わらず、
新大統領は党員や支持者たちに彼をなんとしても見つけ出して殺せと命令したという。

最終的には1500名の人間が粛清された。
表向きには第4共和政府樹立にともなう混乱として片づけられたが、シフが私兵同然の彼の支持者にやらせたことである。

数ヶ月後、ロック・ユニーズは帰らぬ人となった。
騒がしくなった病床で、彼は文句こそ言わなかったが、腹立たしい思いで旅立った。

ヒルシャーは、新政府の閣僚を示すと組閣を始め、各政党の大物議員を手なずけた。
人々が望んでいるのは、強力な政府、強力な指導者だった。

いまだその羽ばたきは弱々しいものの、クルスベルグは強大な存在となって、再び飛び始めた。



迎春。
その年、ヒルシャーは大統領となって7年目を迎えた。
スラヴィア戦争の始まりである。



『付録』

「シフ・ヒルシャー」
セダル・ヌダ職工党の3代目党首。

政治に不満を持つ若僧の集まりだった頃の党に失望し、アント・ブレナーズと協力して党員を増やす。
また初代党首ヘルマン・キュライスに代わってアントを2代党首にしたが、反りが合わず、彼を名誉党首にし、
今度は自らが実権を握り、正式な党首に就く。

その後、精力的な活動とギルドの再興、ドラゴンの排斥を訴えて党の人気を伸ばす。
第4共和政府が樹立すると首相を経て、大統領に就任した。

戦争指導者、旧帝国時代の技術を蘇らせた大悪人として知られる。



「ベルテ・キュラッサー」
復古勤皇党の党首で、反動左派、王冠派の政治家であり、航空技術の大家。
旧帝国時代の技術を再生させるべく、活躍した科学者であり、技術者。

マッド・サイエンティストというイメージが強いが、皮肉屋で小心者な所がある。
空に対する憧れと強い関心を持つ。

ヒルシャー政権の副首相。
その主な政務は帝国時代の技術を解明することと、地下の遺物を掘り出すことであり、
数多くの特務機関を統率していたと言われる。



「ヒルシャー政権」
大統領:シフ・ヒルシャー(セダル・ヌダ職工党、党首)

首相:パン・オットー(国家労働党、党首)
副首相:ベルテ・キュラッサー(復古勤皇党、党首)

外務相:アスカ・ノーマン(銀の大鍵党)
内務相:オルト・グラフ(セダル・ヌダ職工党)
財務相:ツァン・マイヤー(東部溶接労働者連合)
司法相:リッチ・チップ(自由空気職人党)
経済相:クロ・クロイエ(鏡職工党)
労働相:リック・トパック(蛇口水管工房同盟)
郵政相:マッチ・オーシュ(ポスト職工党)
農業相:ヒム・ドロップ(真空管産業党)
文科相:マージ・ドルフ(金時計党)
軍需相:ルフ・ルウム・パーゴス(ライフル職人解放同盟)
航空相:マイヤー・ベルグ(セダル・ヌダ職工党)

国防相:ビンク・ノイラー(陸軍大将)
国防副相:ナット・レンチ(空軍大将)



「セダル・ヌダ職工党」
反動左派、王冠派。ドラゴン排斥、ギルド再興、帝国技術の再生を掲げる。
創設者はヘルマン・キュライス。当初は三流職人やろくでなしの集まりだったが、アント・ブレナーズが再建。
職人としても名声の高いブレナーズと、名演説で博したシフ・ヒルシャーによって一躍成長する。

しかし、ヒルシャーとブレナーズが対立。ブレナーズを名誉職に追いやって、ヒルシャーが党首に就く。
その後も快調に巨大化を続け、与党となる。



「国家労働党」
中道派。一連の中央政府消滅に伴う混乱以前からあった古い政党。
それだけに経験も人材もそろっているが、多くがチャールズ一族に飼い慣らされていた。



「復古勤皇党」
反動左派、王冠派。帝国時代の技術、特に航空技術に高い関心を示す。
党首はベルテ・キュラッサーで、航空技術の権威で、名工としても名高い。



「銀の大鍵党」
中央山脈帯の錠前職人の政党で、政治的な特色はなく、頭数が多いだけ。
アスカ・ノーマンがヒルシャー政権の外務大臣を務めた。



「東部溶接労働者連合」
中道左派。元は国家労働党から分派した政党。
フレッシュなイメージを押し出して支持を伸ばすが、結局は代わり映えしないと伸び悩んだ。
ツァン・マイヤーがヒルシャー政権の財務大臣を務めた。



「自由空気職人党」
工業用の酸素ボンベを作る職人の団体。
全国の工房にある機械を動かすための圧搾空気を取り扱うシステムを国の補助で改善したいと考えている。
リッチ・チップがヒルシャー政権の司法大臣を務めた。



「鏡職工党」
鏡の街ミュルベルグの職人たちの集まりで、地域政党の色合いが強い。
一部の議員が上院議員として選出され、中央議会にも席を持つが、党首は地方議員という変わり種。
クロ・クロイエがヒルシャー政権の経済大臣を務めた。



「蛇口水管工房同盟」
極左政党。反転左派である王冠派と真逆で帝国時代の技術を一層、封印すべきと主張する政党。
混乱の時代にあって、安易に危険な旧技術の復活を訴える政党に対し、危険性を指摘して来た。
セダル・ヌダ職工党とは敵対的な政党だが、敢えて閣僚に加えられ、リック・トパックが労働大臣を務めた。



「ポスト職工党」
郵便ポスト産業はあまりに売れ行きが悪いので当時は、国営になっていた。
そのため職人の待遇を改善するために、このような政党が誕生した。
マッチ・オーシュがヒルシャー政権の郵政大臣を務めた。


「真空管産業党」
帝国時代の技術であり、禁忌とされながらも完全に封印されなかった真空管製造業界を守る政党。
強烈な反動左派の急進派で、一刻も早く帝国時代の技術の再生を望んでいる。
ヒム・ドロップがヒルシャー政権の農業大臣と務めた。



「金時計党」
神聖ドワーフ帝国の皇帝の王冠と並んで、権威と富裕の象徴、金時計をシンボルとする政党。
一時期、王冠をシンボルとする事が法律で禁止された為、このような政党が生まれた。

他の反動政党と全く違うのは、貴族制度や帝室の再興を掲げており、技術的な分野に興味はない。
頭が痛くなるような右翼オタクの集団で、血統主義や専制政治を信奉する宗教団体のような連中。
魔術師と見紛うような怪しげな集団で、クルスベルグの恥ともいわれた。

マージ・ドルフがヒルシャー政権の文科大臣を務めた。



「ライフル職人解放同盟」
銃火器技術を研究する職人、というよりは科学者たちの政党。
共産主義を掲げており、国家社会主義を広め、クルスベルグの産業を国有化することを主張した。
ルフ・ルウム・パーゴスがヒルシャー政権の軍需大臣を務めた。



「第1共和政フォンベルグ中央政府」
神聖ドワーフ帝国を瓦解させた革命軍が樹立させた初の政府。
帝国時代の技術の封印、大統領制、憲法などを作り、その後の国家の大枠を作り出した。
だが、チャールズ一族に資本的に支配され、政治混乱と共に解体された。



「第2共和政ザワーベルグ中央政府」
フォンベルグ政府に代わって、ザワーベルグ州政府が国政を担うこととなって発足。
しかし、実態はよりチャールズ一族の言いなりになるような政府を作ることが目的だった。
その後の混乱の原因を作る。第3共和政府が出来ると統制能力の無さを露呈。自然消滅する。



「第3共和政ホルテンベルグ中央政府」
チャールズ一族の傀儡政権に過ぎない第2共和政府に代わってクルスベルグの国政機関になろうとした地方政権。
フエロ独立派の分派独立に行動を起こさない第2共和政府に業を煮やして私兵軍を差し向けるが、
大敗して組織力の無さを知られてしまう上に、勢いを失って崩壊。



「第4共和政フォンベルグ中央政府」
各地の革命勢力が頓挫し、フォンベルグに作り直された政権。



「クルスベルグ第4共和政連邦軍(400年前)」
階級
国家元帥…空軍と陸軍を統帥、1名
元帥…空軍、陸軍の総監などの幹部

大将…陸軍州軍、空軍艦隊の主な司令官
中将…副司令官など
大佐…陸軍連隊、空軍飛行船艦長
中佐…陸軍副連隊長
中尉…陸軍中隊長
少尉…陸軍小隊長

兵長…軍曹、曹長に相当する
兵士

少将、少佐、大尉に相当する階級がなく、陸軍は連隊を最も大きな編成単位とする。
各州に数個連隊が配置され、各州政府の州軍の元に統率される。
軍政を兼ね、州知事と州軍司令官が兼務されることがままある。

空軍は幾つかの基地が13の管区に分けられ、州政府からは独立しており、中央政府の直轄という性格が強い。
特にヒルシャー政権は航空戦力を拡充したため、現代では考えられないほどの飛行船を保有した。


  • 冒頭から中々思いつかない強烈な野生を醸し出す学説。大きな体であるはずのゲオルグの変化球な行動が今までにないドラゴン像 -- (名無しさん) 2015-08-11 00:01:08
  • いつにもましてボリュームたっぷり。毎回恒例の歴史構築もさることながら今回は特にドラゴンをただ強い生物としてではなく一つの個として描写していると感じた。他種族や国との係わり合いが斬新だった -- (名無しさん) 2015-08-12 02:33:58
  • そうであったかどうかは全部が全部賛成とは難しいけどこれだけの量と関係をまとめあげているのは素直に驚嘆と賞賛。登場したドラゴンの性質は人の中で生きてきた感情とかで変化してきたというのが面白かった -- (名無しさん) 2015-08-21 23:57:05
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最終更新:2015年08月10日 23:51