【未来王、豪雪地に往く】


 小さい頃の、夢を見た。 まだ本気で自分が王様だと信じて疑わなかった、幼い頃の夢。

 おうさまになったら、でっかいおしろでふたりでくらすんだ。
 そんな、馬鹿げた事を約束した気もするが、遠い記憶の彼方だ。 相手方も覚えちゃおるまい。

 全ては時の彼方。 まだ世の中を何も知らなかった、知らなくて良かった。 そんな、まだ無垢でいられた頃の、夢を見た。


 自分が所詮何者にも為れない、所謂一村落民として生涯を終えるのだろうと理解したのは、何時のときだったろう。
 世の中にごまんといるヒトの9割以上が何者にもなれないまま終わるとしても、自分だけは違うはずだと信じていたかったのは、なぜだろう。
 それが無為な事だと知っていても、そう信じていたいと思っていたのは、なぜだろう。 世界への反抗、みたいな安っぽい感情だけではなかった気もするが、言葉にするには適わない。

 長い、永い、夢を見ていた。

 ふと振り返ると、誰かが声をかけてきている、気がした。
 このまま生を終えるのも、生に足掻くのも、君の自由だ。 だが少し、考えてもみてくれ。
 誰にも認められず、誰に看取られるでもなく、誰も知らない地で、誰にも知られず、生を終えることに、何の意味があるのか、と。

 ふざけるな、そんなのアンタの知ったこっちゃねぇだろうが、そう言い返した気がするが、それもそうだと返された気がした。
 だがしかし、自分の行き方を最終最後決めるのは全て自分の決定だ。 そこに一縷の後悔の余地もないなら、それこそ生を全うしたと言えるのではないか、と言われた気がしたが、そんなの知るかと返したと思う。

 それでいい、朗らかに高らかに笑いながら答えた声は、憎まれ口を叩く元気があるなら、まだやれるって事だろうな、と続いた。 なるほどその通り、と思ったのが運の尽きだった。

 さぁ試練の時間だ、心してかかるがよい。 なに、気に病むことはない、この私も試練で何度死に掛けたか知れないよ。
 気さくに声をかけて消え行く声の主は、幼い頃に夢見た憧れの人に、似ている気がした。



 世界は広い。 その広さは、「こちら側」に住まうヒトにとって、余りある程である。
 今ヒトが闊歩し、生を営み、行き交う国々は、世界の全土からすればまだまだ狭い。 地上のほぼ全てが詳らかにされている「向こう側」と違い、「こちら側」には今だ余人の知らぬ領域がある。
 そこは巨神の住まう地とも、龍の住まう地とも、創世樹の治める地とも言われているが、確かめたものはいない。
 まだ見ぬ生物との出会いを求めて、まだ見ぬ財を目指して、目的は様々あるが未踏の地に踏み込もうとするものは後を絶たない。 だが、それでもなお、余人の立ち入ることを許さぬ地はまだ広い。

 だがしかし、その地に住まう者も、確かにいるのだ。


未来王、豪雪地に往く



「獲っったどぉーーー!」
 一面の白銀の野に、高らかな勝どきの声が上がる。 激しい生存競争に勝利したものにだけ許される、勝利の咆哮。
 血肉や内臓は食料、骨や牙は建材や装備、毛は防寒着にと、余すところなく使える、ゲウル・ディ・シエタ最大の自然の恵みであるフィルブリストル。 その息絶え横たわった巨躯に駆け上りひと吼えした後、この地の伝統的な狩衣装である戦装束《ヴァルカ・トラジェ》に身を包んだ少年は、手にしたナイフでまだ暖かい腸を軽く裂き、滲み出る血で喉を潤す。
<まるで死肉喰らいか吸血鬼のようで御座います。 なんと嘆かわしい・・・>
「やかましい、生き死に掛かってるのに贅沢言えるか!」
 その辺の雪でも口に含めばいいでしょうに、と頭のてっぺんあたりから声がするが、冷たすぎる雪は喉が潤せるほどに含めば腹を下しかねない。 それに、雪を大量に摂取すると体が内側から冷却され、それは冷たい外気に当たり続けるよりも身体へのダメージが大きくなることもある。 そういう意味では、多少なりとも暖かく栄養もある血液のほうが摂取する上では都合がいい。
「ミルジガクスの群れに掠め取られる前に、コイツを村まで運ばなきゃな」
 数こそが最大の暴力、を地で行くミルジガクス(ビッグアイ(仮称)の地元名)はとにかく厄介な生き物だ。 少年がまだ狩猟《ヤクト》に慣れていないころは、獲物を何度掠め取られたか知れない。 奪い返すのに躍起になり余計な体力を使い、ギリギリの帰還となったこともしばしばで、少年にとっては反省材料でもあり教訓ともなった。
「おー、デル、やったか」
「・・・ディエルだってのよ、ティオズマ。 何遍言い直したらわかってくれるんだ?」
「帰るぞ、デル。 ミルジガクス、来る」
「・・・はぁ。 オッケー、じゃ、フィルブリストルは頼む。 ミルジガクスが来たらメシが増えるな!」
「おー。 メシ増える、いいことだ」
 身の丈は「向こう側」で言えば3mはあろうかという巨体を、鋼の筋肉に鉄の鱗、さらには天然自然の武具に身を包んだ、ティオズマと呼ばれた龍人。 ディエルと呼ばれた少年と彼の猟果であるフィルブリストルに駆け寄る。
 そしてティオズマは、その身と比較してもなお巨大なフィルブリストルの亡骸の懐に潜り込み、亡骸の上に立ち周囲を警戒するディエルごと、両腕だけで亡骸を持ち上げ、移動を始める。
「デル、何か見えるか」
「ミルジガクスが5匹ほど来てるのは、予定通りだな。 それと、今夜は吹雪くな、こりゃ。 いやな色の雲が張り出してきてやがる」
「わかった」
 ティオズマとディエルは、軽く吹雪き始めた雪原で、猟果を携え岐路に着くのであった。


 ゲウル・ディ・シエタ。 
 大いなる11神の庇護にある国で言うところのイストモスクルスベルグ、ラ・ムール、エリスタリアの領土が属する大陸ヴェストヴァストゥーパ北西の果て。
 雲の上にまで至るという頂を臨んだものは先史以来誰一人としていないという、険しい山々が形作りと極寒の吹雪が彩る、前人未到の地。 その広さは、主要国家の国土にも匹敵する。

 二大陸の狭間にありミズハミシマスラヴィアを含む間隙海周辺地域に世界人口が集中する「こちら側」の地にあって、大陸の果てに挑むものは少ない。 いたとしても、戻ってきたものなどせいぜい神話か作り話くらいのもので、真偽は定かではない。 それゆえに、主要国家の外についてを知る者は、天より地を見下ろす神々を除けば極僅かに限られる。

 生命にとってあまりにも過酷な環境にあるゲウル・ディ・シエタだが、それでもなお、そこには生命が存在する。 先にも名の上がったフィルブリストルやミルジガクスのほかにも、ヒトが踏破した地とは大きく異なる生態系を育む生命が確かに存在している。
 そしてそれは、ヒトにも言えることである。 あまりに過酷な環境は、適応できる者にとっては、余人の関与を許さない聖域としての役割を果たすことにもなる。 神代以降俗世との関与を断絶する道を選んだ龍人《ドラグ》や機人《タイタニア》がまず住まい、「小ゲート」の影響で本人の意思とは別に訪れた者や、放浪の末に偶然が重なり到来したが帰れなくなった者が集い、ひとつの集落が出来た。 この地には、この集落以外にヒトが住まう地は存在していない。


「ほれ、出来たぞデル。 おまいさん考案の戦装束だ。 ジメジデーハの鱗皮に爪牙、ディスクノベーガの背甲に鞣革、スパーノタイスの甲殻と飛翼、それに星神の恵みたる隕鉄《メテオライト》で作った、おまいさんのための特注品《ワンオフ・メイド》じゃ!」
 ティオズマと共に集落へ帰還したディエルは、フィルブリストルと結局襲撃してきたミルジガクスを村落民の狩人や女衆と協力して解体し、それぞれ食用の必要分を分配。 その後、狩人のため開かれた工房に、職人らの食用部分の取り分と食用に適さない骨やら爪やら皮やらを提供しに訪れた。
 工房の主であり集落のナンバー2でもあるザナティザが、この厳寒の地に住まう生物で考えられる最高の素材で作り上げた、一世一代の大作を自称するほどの出来栄えとなった戦装束。 それを高らかに掲げ、発注主であるディエルにこれでもかと見せつけに来る。
 ザナティザはディエルに先立つほど数百年前にこの地に訪れることとなったドワーフの末裔である。 彼は弟子のウセニクら共々この集落でも数少ない工芸ならびに武飾の職人を営んでいるわけだが、基本的に土着の狩人が持ち込む先祖伝来使いまわしてきた戦装束を補修するだけの仕事ばかりであった。 だがそこに突如現れた新参の猫人が「俺専用の戦装束を作ってくれよ! つか俺用ないから何とかしてくれよ!」と駆け込んできたのが数ヶ月前のこと。
 弟子らが回想するに、「あのときのデル君と大将が戦装束のことで打ち合わせる姿は鬼気迫るというか、変なクスリでもキめてるんじゃないかって凄みがありましたね、ええ。 だって考えてもみてくださいよ、ただ戦装束の素材や仕様を考えるってだけなのに、あの二人仕事も狩猟もほっぽり出して、あーだこーだと5日くらい飲まず喰わずで激論交わしてたんですよ? おかげでいい迷惑ですよ。 とはいえ・・・あんなに生き生きとした大将を見るのは初めてでしたけどね」とのことだ。
「お、マジか! これでやっとこの借り物の戦装束を返せるな・・・とと、その前にザナティザのじーさん、こっちが工房のみんなの分の食料で、こっちが戦利品」
「おう、いつもすまんなデル」
「気にすんなって。 これも命を救ってくれたお礼の一部さ」
「礼ならルカ爺に言えと何度も言っとろうに」
 ディエルとザナティザにとっては、戦果と食料を持参した際のお決まりとなった問答を交わし、ディエルは工房の奥で特注の戦装束の試着をすることとなった。 

 新天地を旅立つ直前に発生した「小ゲート」に呑まれ、この厳寒の凍土ゲウル・ディ・シエタを訪れることとなったディエル。
 訪れた矢先にミルジガクスの大集団に襲われ命を削っての奮戦も空しく最期は吹雪の中に倒れた・・・かに思えたが、ややあった後に集落の長である機人ルカヴィス老の指示を受けてやってきたティオズマが彼を回収し、集落まで持ち帰っていた。
 ディエルが九死に一生を得たのは、発見が早かったこともそうだが、彼の随臣たる神霊コロナの助力があったこともある。 僅かに射す陽光や照り返しの光から熱を作り、凍死寸前のところで食い止めることに成功していたのだ。 とはいえもし死のうものなら即座に帰還する準備もしていたのだが。
 ティオズマに拾われ集落で蘇生術を施され、ようやく息を吹き返したディエル。 ルカヴィス老の勧めもそうだが、完全なる自給自足で成り立つ集落には働くことが出来るのに働かないヒトは必要ない、ということで、ディエルは復調を待ち、身体能力を生かせる狩猟にて修練を兼ねた恩返しをすることとなった。
 今は着る者がいない戦装束を借りて雪原に繰り出したディエルは、ラ・ムールはおろかこの雪原の向こう側自体を知る者がいないのを良い事に、改めて王の証たる左目の力を繰り神気を練り扱う術を徹底的に鍛えることにした。 特異な環境とそれに適応した生物との激闘は、時に生死を彷徨う重症を伴うこともあったが、スラヴィアでアンデッド相手に身に付けた俄仕込みの戦技戦術に神気を用いた戦法を組み込むことで、ひとつ上の段階へ昇華することとなった。

「ルカ爺、ただいま」
「ほうほう、おかえりデル」
 ディエルの目下の悩みが「集落民の誰一人として自分の名前をきちんと呼んでくれない」という瑣末なレベルで済む程度まで、集落民と打ち解け狩猟の成果を出せるようになってきていた。
 それもひとえに機人でありこの集落を束ねるルカヴィス老の助力あってのものと言っても過言ではない。 来るもの拒まずだが役立てる要素を持ち合わせていないものはたとえ実子であろうと容赦なく集落外へ放り出し戦果を出しての帰還が無ければ死んだものとして扱う、という鉄の掟に順応するために必要なものを用立ててくれたルカヴィス老に対し、ディエルは感謝と敬意を以って接することにしている。
 ルカヴィス老は自らが語るには、現在で言うところのクルスベルグに当たる地に鍛冶神セダル・ヌグが遣わしたという機人《タイタニア》のひとり、らしい。 その真偽は本人にすら分からないほどに大昔の話である。 いずれにせよ、何かしらの都合により遣わされた地を離れ龍人やその他種族と共にこの極寒の大地に根付き、ヒトが住まう基盤を作ったのは間違いのない話である。
「そういえば、ザナティザがえらい剣幕で先ほど来てな。 ドワーフとしての血がいきり立ち煮上がるほどのいい仕事が出来たのは初めてだ、としきりに騒いでおったよ」
「はは、そうか。 そういやおっちゃん、『補修はいくらもしてきたが、親父達と違って戦装束を素材の段階から作ったことは一度もない』っつってたもんなぁ。 俺も無茶なオーダーを出したしけど、おっちゃんの仕事もすげぇもんだよ」
「・・・そうか。すると・・・いよいよ山神に挑むのか?」
「ああ、無茶だってことは分かってるが、それは俺がやらなきゃならないことだから」
「ふむ、ソレは・・・ヌシが、未来王《カー・マス・デバン》だからか?」
「半分はそうだし、もう半分は違う。 あるヒトから頼まれてることだから」
「ほうほう。 そこのちっこいのはそれで納得してるんかの」
「ああ、コイツは試練になりゃ基本的になんでもアリアリだから」
 流石に神より直々に生を授かる存在であり、かつ事情は大分変わっているとはいえ外界を知る数少ない存在だけあり、ルカヴィス老はディエルが未来王であることを初見で看破していた。 だが、それは集落の運営とは何ら関係のないこととして、ルカヴィス老はあくまでも「集落で暮らす民のひとり」としてディエルを扱っている。 ディエルに付き従う神霊コロナについても「なんとなく居るのが分かる」程度での認識でしかない。
「だとしても、山神たるヴァズハリムバズルは、氷河の力掌る大いなる霊獣。 その力は余人の敵うものではない。 集落に害をなすわけでもなし、なぜ立ち向かう必要がある。 かつてのヌシの国の王ハグレッキの真似事のつもりか?」
「何も考えてないわけじゃないさ。 そりゃまぁ真似事だって言われても仕方ないけど、だとしても挑んでみたいんだよ。 だって俺、生まれてこの方ラ・ムールっ子だもんよ」
「行くのは勝手にすればいいが、帰れぬ時は骨すら拾う気はないぞ」
「分かってる。 迷惑は掛けないさ」
 それだけ言って、ディエルはルカヴィス老の家に間借りしている自室へ戻ることにした。

「さて、ちょっと早いけど、そろそろ寝るかな」
「してカー・ディエル。 先ほど『頼まれ事がある』と仰られておりましたが、カー・ディエルにそのようなことを頼んだ方など覚えが御座いませぬが」
 常に寄り添い王の見聞きするもののを共有するコロナとしては、自分の感知しないところで持ち込まれた依頼というのが気になるようだ。
「さぁね? ま、男と男の約束だからな」
「はぁ・・・まぁ試練にはなりそうなので構いませぬが」
「そういうこった。 さぁ、寝るぞー!」
 寝るにしては不必要なまでに気合を入れて、ディエルは床に就いた。



「こうしてアンタに会うのも、もう何度目かな」
「この場においては、回数も時間も、それほど重要ではないよ」
 この世の何処でもない場所で、ディエルはいつもこの場に来るたびに出会う獅子の男と、今日も邂逅していた。

「その身を以って『死』と『再生』を体験して、生命の理である流転の円環をその身に刻んだことだろう。 この極限の大地での試練を経て、心身共に鍛えられたことだろう」
「気楽に言ってくれるなぁ・・・ま、アンタの伝説に比べたら大したことはないんだろうけどな」
「そんなことはない。 私が受けた試練は、ただ後世への伝わり方が大袈裟すぎただけさ」
「そんなもんかねぇ・・・だとしても、アンタがラ・ムール男子の憧れであることに変わりはないさ」
「その話はいいさ、聞いていて耳の裏がむず痒くなってくる。 そんなに煽てられるほどの事をしたつもりはまったくないんだよ、これがな。 さて・・・生命流転の円環の中で主ラーを垣間見たと思うが、どうだったかな」
「今度会ったらぶん殴ってやろうと思う」
「なるほど、そうか。 そう思うならば、いずれ・・・そうだな、カテナセーガ王墓を暴いてみるといい。 きっといいものが見つかる。 それはともかくとして、だ。 この世界を掌る理の具現たる神と生きながらにして邂逅したことは、君の魂にとっては大いなる財産となったはずだ」
「君の、っていうか、アンタのでもあるけどな」
「今の私は、君の中にある私に関する知識を基に、君が持つ魂の一部を間借りして具現しているに過ぎない。 本質的には君そのものさ」
「よくわかんねぇけど、まぁいいや」
 気楽に会話しているように見えるかもしれないが、ディエルと男の間では、太陽牙《ゾン・ブレザ》と太陽牙、獅子牙《ジンガ・ブレザ》と獅子牙、神気と神気が激しくぶつかり合い、火花を散らし、空間を歪めている。
 恐るべき膂力と卓越した戦技戦術、熟練の域に達する神気の扱いを見せる男に対し、ディエルも一歩も引かない姿勢で、決死の覚悟で応戦する。
 ディエルはこの何処でもない場所で男と邂逅するたびに、このような戦いを繰り返していた。

「それにしても、なんで急にアンタが出てくるようになったんだ? やっぱり俺が死にかけるほど弱っちぃから、だろうなぁ・・・」
「それは違う。 死と再生の理を知り、君の神霊力が増したから、それを制御するための術を身につけさせるためさ。 世間一般でも、九死に一生の危機から生還することで、それまでには持ち得なかった力に目覚めたり、持っていた力が大幅に拡大、あるいは変革することもある」
「へぇ、そんなもんなのか・・・っ、とと! あぶねぇなぁ!」
「はっはっは、危なくなかったら鍛錬にならないだろう? それに主ならこう言うさ、『試練だ』ってね」
「違ぇねぇや!」
 ディエルと男は笑いながら、爪牙を振るい合う。


 この場所にあっては、時間の概念は意味を持たない。それは一瞬であったか、それとも永劫であったか。 しかして、終わりのときは来る。
「これで、私から君に伝えたいこと、伝えられることは、全て伝えたと思う」
「神代の技法、生き抜く術、数多くを賜りまして、誠に感謝の至り」
「止してくれよ、急にそんな畏まられても困っちまう。 お互い右目が虎目石だからって王にさせられただけじゃないか。 そうだろう?」
「それもそうっすね」
「それじゃ、これにてさらばだ。 遣り残しを押し付けてしまって申し訳ないんだが、アイツのこと、よろしく頼む」
「分かった。 それじゃ、そろそろ朝だから、行くよ」
「ああ、達者でな。 次に会うときは・・・そうだな、君が天寿を全うしたときにしよう」
「ああ、モチのロンだ。 俺だってまだ16で死にたきゃないからな!」
 意気高く、男と手を打ち合わせ、男に背を向け歩き出す。
 視線の先には、燦然と輝く明日。それと、そこに至るまでの道のりにずらりと並んだ、猫人虎人獅子人ら、老若男女織り交ざった総勢にして百は下らない行列。
 彼ら彼女らに見送られながら、ディエルは明日への道を歩き出す。



「朝だー!」
「お早う御座います、カー・ディエル。 本日も絶好の試練日和にございますれば」
「ということは今日は朝から吹雪か」
 天候が荒れれば荒れるほど、日が高く眩しければ眩しいほど試練日和だということは、ディエルにとってはもはや常識である。 それに朝から吹雪くなど、ゲウル・ディ・シエタでは珍しくもない。 

 朝飯に昨日集落の畑で取れた野菜と自ら狩ってきたフィルブリストルの焙り肉を食い、戦装束を身に付け、数日分の食料となる干し肉等やキャンプ道具を鞄に積め、出立の準備を整える。
「行くのか、デル」
「ああ、行ってくる。 約束を、代わりに果たしてやるために」
 ルカヴィス老への挨拶もそこそこに、ディエルは、初めてこの地を訪れたときと同じ、光射さぬほどの厚い暗雲に覆われた吹雪の中へ、果敢にも踏み出した。


 集落を出て程なくした頃。
「まったく、お前らも懲りない奴らだな!」
 吹雪でも平素と変わらず集団行動で襲い来るミルジガクスの群れを、以前のような泥仕合ではなく、無駄を省いた的確な動きで、ディエルは蹴散らす。 戦装束のおかげで寒さには耐性が付き、雪上での戦い方も大分慣れたとはいえ、この先を考えると無駄な体力を使うわけには行かない。
 ディエルは腹に息と神気を溜め込み、咆哮の要領で周囲に吐き出す。 いつぞやラ・ムール王都でゴロツキ相手に神気をぶつけた行為を、より威嚇的に、攻撃的にしたものである。 ミルジガクスは基本的に「質より量」を信条に襲い来る生物であるが、「量より質」と判断させるだけのものが相手にある際には襲ってこない。
「さて、これで落ち着いたかな」
 一目散に逃げ行くミルジガクスの群れを追撃することなく、ディエルはさらに吹雪の中を進む。

 大雪山の只中にある、集落の者達が「氷河の座する場《バズル・ウル》」と名づけた場所。 そこには、集落の皆が山神と崇める、氷河の霊獣ヴァズハリムバズルが住まうという。 集落民は誰も近寄らない地を、2日の旅程を経て、あえてディエルは訪れた。
「さぁ、約束を果たしに来たぜ。 待たせてしまって悪かったな」
 ディエルが左目を開き両手の神器を抜刀するのと、咆哮と共に氷河がディエルめがけて奔るのは、同時であった。
 針葉樹林を薙ぎ倒し迫り来る雪崩と、それに乗り迫り来る巨大な氷塊。 ディエルはその流れにあえて逆らい、八艘跳びの如くに氷塊を跳び伝い、氷河の生まれいずる場所へと翔ける。

 果たして氷河の出所へたどり着いたディエルが目撃したのは、
「・・・よう、お待たせ」
 この極寒の大地でも比較的巨躯を保つフィルブリストルやジメジテーハをさらに凌ぐ、大甲虫《メガクロウラー》の特に大型の個体にも匹敵する巨大な虎が、そこに居た。
「『いつかまた来るから、そのときは一緒に遊ぼうな』。 そう、約束したよな。 覚えてるか?」
 爛々と輝く翠玉の瞳と、低い唸り声だけが辺りを支配する。 例の男との約束、それが男と氷河獰虎との間で交わされた約束であった。
「忘れちまったか? だったら、俺と、遊ぼうぜ!」 
 吹雪を伴う氷虎の咆哮による返答にディエルは真正面から立ち向かい、駆け出す。

 その視線は氷の鑓を生み落とし、振るわれる爪牙は氷で作られた刃の如し。 吹雪の如くに疾く駆け、氷河の如くに獰猛かつ破壊的。 その存在、その挙動、それ自体が吹雪であり、雪崩であり、氷河である。 それこそが氷河の霊獣、ヴァズハリムバズル。
 言ってしまえば、ディエルは厳冬の地に起こりうるあらゆる自然現象そのものを相手取っているようなものだ。
「だとしても・・・アイツはそこに居る、なら、闘える!」
 己が身に宿る神気を熱気として身を護る盾とし、陽気として太陽牙に流し込み、光気として辺りを照らす。 夢中と現実、双方での鍛錬を経て、ディエルは神気の扱い方も卓越したものとなっていた。
 吹雪の速度に追いつくために、神気を放出して追い風とし、空に固めて足場として蹴ることで方向転換し、追い縋ると同時に霊獣の表皮に爪を突き立てる。 が、次の瞬間、振るわれた豪腕の直撃を受けることになる。
 強烈な衝撃にディエルは堪らず苦悶の声を上げるが、それすら置き去りにするほどの速さで樹林に叩き込まれる。
「がっは! げほ、ごほ・・・くっ、そ、ザナティザのおっちゃんが作ってくれたコレじゃなかったら、死んでたな、多分・・・うぉあ!?」
 すかさず打ち込まれる氷柱に雹霰から逃れ、距離をとる。
「こうもデカくて速いし、オマケにさみぃ、しかも向こうは体力無尽蔵と来たもんだ。 こりゃ詰んだか?」
 吹雪は一向に収まる気配はなく、むしろ更に勢いを増すばかり。 姿形はあるとしても、自然現象は神の事象にも等しい。
「いやいや、俺は別にアレを狩り倒しに来たわけじゃねぇ。 なんとかデカいの一発打ち込めれば・・・」
<恐れながらカー・ディエル、それは敗者が追い詰められた際の典型的な台詞に御座いますれば>
「だよなぁ・・・いやま、そう言いたくもなる気持ちがよく分かるわ。 ここまで来ると圧倒的過ぎるもんなぁ」
 相手の動きを拘束し、一点突破で相手の身体に衝撃と神気を叩き込む、そんな都合のいいことが出来る手段が
「・・・あったな、そんなのも」
 この長い試練の旅が始まる数ヶ月前、今や懐かしの我が家に異界からの家族が泊まりに来たときのこと。 シッポノハエタメタルニンジャという奇怪な生物を探しにきたらしい父親と、彼に連れられて異界を訪れた妻子の3人。 
 奥さんが最近のお気に入りのひとつだと言っていた「左目に力を宿した王子が、黒装束に身を包み、憎き祖国を打倒するために反逆軍を指揮して戦う」という伝承と、それに関連する図画へのおぼろげな記憶を基に、今着ている戦装束を発案して、ザナティザと協力して作った。 ちなみにそのとき奥さんが言っていた「私は断然ルル×スザ派」という言葉は、旦那さんから絶対に理解しちゃいけないとキツく念を押されたことはよく覚えている。
 それともうひとつ、息子さんが持っていた、手のひらよりちょっと大きな位で薄い、どういう仕組みかは分からないが絵が動く箱で、胸に獅子をあしらった、箱をくっつけてヒトのような形にしたモノが、ちょうど今やりたいことをやっていた、ような気がする。
「出来るかどうかは別として、とりあえず、やってみるかァ!」
 ディエルが裂帛の気合と共に硬く握り締めた拳を打ち合わせると、両の手に収まった星紅玉《スタールビー》と紅玉髄《カーネリアン》の指輪が一層激しく輝きを放ち、
「雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄ッ!!!!!」
 腰溜めの構えにて、陽・光・熱の神気を腹の底から搾り出し、練り上げ、両の足に、両の腕に、集中、集約させ、
「そんな生ぬるい風が、今の俺に届くと思うなァ!!」
 氷虎が放つ氷河の雪崩も、氷鑓乱舞も、ディエルの身から放たれる高光度の熱気に中てられ瞬時に蒸発する。
「コイツで駄目なら」
 陽の気を集めた左手と熱の気を集めた右手を握り合わせ、
「喰うなり何なり」
 両足に集めた熱の神気で気流を操り、
「好きにしろってんだァ!」
 神気を受け大きく長く輝き放つ太陽牙と獅子牙が形作る弓で打ち出すように、直接打撃に打って出た氷虎に火炎熱風《ファイヤストーム》の直撃を叩き込む!
<いけませんカー・ディエル! この地にも太陽を生み出すおつもりですか!>
「地上の太陽《アフド・クラジニー》のことか? 大丈夫、そうはならねぇ、安心して見てろ!」
 ディエルの行為を必死に制止しようとするコロナの言を遮り、
「これでも」
 地を蹴ると共に火炎熱風がディエルの全身を弾丸の如くに撃ち出し
「喰らえぇぇぇぇぇぇ!」
 神気を練り上げ、混ぜ合わせ、爆発的なエネルギーへと昇華させた一撃を、
「覇唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖ッ!!!!!」
 曝け出された氷虎のどてっ腹に叩き込む!


 炸裂する烈光の中、ディエルには、夢に見た男と氷虎を小さくしたような氷精が再開を喜ぶ姿が、見えたような、気がした。



 ディエルが目覚めたのは、それから数日後。 ルカヴィス老の自宅に間借りした自室でのことであった。 もう夢は、見なかった。
「あれ、何で俺、ここに・・・?」
 起き上がろうとして身を起こすと、ニャスという鳴き声がして、何かが転がる感触があった。
「ん、何だコレ・・・?」
 ニャス!と応じる毛玉の首根っこを摘んで顔の前まで引き寄せると、ソレが何なのか理解する。
「・・・あんなデカかったのに、今はこんなちんまいのか、オマエ」
 ウニャ!と鳴いた毛玉からポンポンと手足が生え、首が伸びる。 ディエルが全身全霊込めて打ち込んだ轟炎猛火の一撃で冷氷の霊気を相殺され、素霊の姿に戻ったヴァズハリムバズルは、親猫にじゃれ付く子猫のように、ディエルに遊んでもらおうと暴れまわる。
 毛玉の喉をかいてやり首筋から背中までうりゃうりゃと撫で揉んでやっていると、ティオズマがノックもせずに部屋に入ってくる。
「おー、デル起きた! おいジジィ、デル起きた!」
「ほ、起きたか。 さすがは王たる者だな、デル」
「オヌシが生きて帰ってこれたのもワシが作った戦装束のおかげじゃぞ! 精々ワシに感謝するがいいわ! はぁっはっはぁ!」
 ティオズマに続き、ルカヴィス老とザナティザも入室し、部屋は一気に賑やかになる。
「ここのデカい物好きに感謝するんだな、デル。 コイツ、龍人だとしても入り込める戦ではないと言うても聞かぬでな。 オヌシが発った翌日に、居ても立ってもいられずにオヌシを追いかけてバズル・ウルに向かいおってな」
「デル倒れてた、だから持って帰ってきた。 毛玉、いっしょ」
「サンキューな、ティオズマ。 おかげで助かったわ」
「それにしてもオヌシ、一体何をやらかしてくれたんだ? 天まで届く火柱なんて、生まれてこの方見たことないぞ。 それとも、山の向こうじゃ当たり前のことなのか?」
「そんなわけがなかろう、ザナティザ。 デルが特殊なだけじゃて」
 ウニャスとひと声毛玉が鳴くと、部屋の皆がソレに注目する。
「それにしても・・・よもや山神様をそんなにしちまうとはのぉ」
「ま、これで男と男の約束はひとつ果たしたわけだ。 で、次の約束を果たさなきゃな」
「ほう、約束とな?」
「ああ、コイツに『俺と遊ぼうぜ』って、な」
「連れて行くか。 それもよかろう。 既に契約も済ませておるようだしの」
「契約?」
 ルカヴィス老に言われて気が付いたが、右手の星紅玉の指輪の隣に、朝露の結晶のように透き通った水色の宝玉を設えた指輪が嵌っていた。
「うむ、神獣に霊獣、神霊といった精霊より高位の存在との約定には、果たすべき責務を負う者としての証が与えられる。 オヌシも生まれつき、約定の証の中でもとびっきりのものを持っておるから、よく分かるじゃろう?」
「なるほど、そういうことね。 うりゃうりゃ、どうするオマエ。 俺はもうじきこの集落も、あの山も越えたところに行くけど、ついてくるか?」
 ウニャス!と張りのいい鳴き声が聞こえる。 どこまでも着いて行く、という意志の表れなのか、なんとなくドヤ顔してみただけなのかはよく分からかったが、
「約定の証がある以上は、コイツと遊んでやらなきゃならんからな」
 ということで、ディエルはおもむろにコロナに向けて毛玉を軽くを投げつけてみる。
<な、何をなさるのですかカー・ディエル! 喰われるかと思ったではないで・・・しっしっ、あっちに行くのです! ひぃ!?>
 絶好の遊び相手を見つけた、とばかりにウニャウニャ~とコロナにじゃれ付く毛玉。 じゃれ付かれてる当人にしたら決死の苦闘だが、見てる側からすれば和み系の光景である。
「さて、腹も減ったし、メシでも」
「ある訳なかろう。 オヌシ、先にこの集落を発ってからの猟果を言うてみぃ」
「・・・『向こう』の言葉に曰く、働かざるもの喰うべからず、ってか・・・しかたない、体も動くし、フィルブリストルでも狩りに行くか」
「おー、デル、狩り行く。 オレも行く」 
 ベッドから起き上がったディエルは、倒れている間にザナティザが報酬後払いで補修してくれていた戦装束を身に纏い、
「おい、行くぞハリム!」
 ウニャス!とひと鳴き、涎でデロデロになったコロナをあっさり放り投げて、毛玉もといハリムはしゅたっとディエルの背を伝い左肩に収まる。
「うっわオマエばっちぃぞ!?」
<誰のせいにで御座いますか!>
 批判がましい声の主は左肩に収まり、
「よしじゃあ行ってきま、おいラーてめぇ! せめてメシくらい食わせてくれたっていいだろぉぉぉぉぉ!!!!!」
 ルカヴィス老宅の玄関を開けたら、本日は晴天なり。 空には燦々と輝く太陽、足元には「小ゲート」。 未来王ディエル=アマン=ヘサー(16になりました)にとっては、よくあることであった。



  • 最初に想像したのはアラスカでした。自然の中で自然と共に生きる種族の生活がファンタジーな素材と一緒に語られていて胸が躍るようでした。ハリムとの顛末とその後の可愛らしさのギャップも面白かったですがこの試練の旅はディエルが王になるために必要な経験と仲間などを集めるためのものではないかとも思いました。しかしおそらくゲートにて向かわされる行き先は適当で過酷な地が選ばれているのではないかとも思いました -- (名無しさん) 2013-05-23 17:54:58
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最終更新:2012年05月03日 14:13