【未来王と妖精郷】

 妖精たちの住まう都。 その言葉に人は神秘と憧憬を抱くことだろう。
 だがそれは、あくまでも「向こう側」の話。 「こちら側」では極当たり前に存在している。
 その名はエリスタリア。 ヴェストヴァストゥーパ東海岸の半島を主要な土地とし、大いなる生命の礎たる世界樹を中央に頂く、妖精と樹人の楽土である。

 エリスタリアは、「向こう側」の温帯気候地域が持つ「四季」という中長期的な気象・生態変遷に近しい環境を持つ4つの区域に大別され、それぞれの地域を領主が治める形となっている。
 その区分けは「あらゆる環境に対応する種族を創生するために、世界樹が神力を以って形成している」とする説もあるが、その真偽は定かではない。
 天を突く世界樹の麓に、樹人、妖精、エルフが息づく一大自然国家、それがエリスタリア。
 今日も妖精の都は、世界樹の木漏れ日の中に神秘を漂わせている。


未来王と妖精郷



「ま、さすがにこう何度も落ちると慣れてくるわな」
 故郷を発って早幾ヶ月、ディエル=アマン=ヘサー(16)は今、エリスタリアで、そして「こちら側」の全土でも最も高い場所のひとつに居た。 そこはエリスタリア国内の者もそうでない者も踏み込まない、というよりも踏み込めない領域。 つまるろころ、世界樹の頂である。
「絶景に御座いますな、カー・ディエル」
「ああ、まったくだ。 何というか、とりあえずヒトがまともに生きていける世界にやっと帰って来た、って気分だな。 腹さえ減ってなけりゃ」
 ウニャオーンと遠吠えする霊獣ヴァズハリムバズル(素霊)の喉を撫でてやりつつ、ディエルとその随臣たる神霊コロナは世界樹の頂から世界を眺める。
 久々のまっとうな地域への帰還を目で、耳で、肌で感じるディエルの背後から、声が掛かる。
「お気に召していただけたのなら、嬉しゅう御座います。 ようこそ我らが妖精郷へ、ラ・ムール王」
「いや、まだ王じゃないから畏まらなくていいっすよ」
 振り返ってみれば、そこに居るのはエルフの女性にも似た容姿の、ゆったりとしたローブに身を包んだ女性の姿があった。
「最近の王は面白い事を仰るのですね。 まぁいいでしょう。 それにしても、日頃の陽光の恵みに加えて王までお降らせになるとは、太陽神《ラー》様は本当に王に試練を課すのがお好きなようですね。 氷壁の牢獄からの生還を課す程には、貴方に期待を寄せている、ということかも知れませんが」
「つまり、余計な世話を焼いてくれてるってわけだ」
「うふふ、母の愛を子は疎ましく感じる時期もある、ということでしょう」
「・・・そういう言葉でまとめて良いものかどうか、甚だ疑問ではあるんだが」
 世界樹の頂にいるもう一人、それは世界樹の代弁者。 といってもそれは、世界樹が統治代行として生み出したエリスタリアの元首らではない。 名はイルミンスール。 世界樹の頂より下界を伺う任を負い、時に来訪者あればその対応を任せられた神霊である。 だが、エリスタリアの現国民は誰一人として、元首ですらその存在を知らない。 経緯はどうあれ世界樹の頂に辿り着いた者しかその存在を知覚出来ない、それが世界樹の神霊イルミンスールという存在である。

「さて、あちらに何があるのか、お分かりになりますか?」
 イルミンスールが指差した方角を、ディエルはじっと見つめてみる。 雲霞の合間、遥か西方に見ゆるは、先ほどまで居た氷壁の牢獄《ゲウル・ディ・シエタ》を覆う山々の頂。 それよりぐぐっと麓側に目線を向けていく。
「一面の土色・・・ありゃラ・ムールか」
「ご明察。 貴方が生まれ育ち、統治し死する地、ラ・ムールです」
「うんまぁ統治は余計だけどな。 この高さから見ると、あの四方八方何処見ても砂しかない砂漠もあんなちっちゃいんだな」
「それはどの国も同じで御座いましょう。 天にまします太陽神《ラー》様や星神《テミラン》様は、さらに上より我々を見下ろしておられます。 彼らからすれば、ヒトの生死、国のありようなど、些事でございましょう」
「それを言ったら、永遠を生きて生命を創造するコレもアンタも、だろ?」
「そうかも知れませんわね、うふふ」
 これまでの旅中に死神モルテ、座椅子《龍神シマハミスサノタツミノミコト》、ラーと会って来て、これでディエルと神族との対面は四度目となるわけだが、いよいよもって
「まったく、どうしてこう神ってヤツらは野放図なのかね・・・?」
「それを言うならば、ヒトも相応に野放図だと私は思いますが」
「生み出したアンタ、というかコレがそれを言うかね」
「ええ、だからこそ創造は至上の愉悦足りえるのですよ。 ヒトとて生命を創造することに楽しみを覚えるではありませんか」
「・・・まぁ、いろんな意味でそうかもしれんが」
「まぁ、顔を赤くされて。 初心でらっしゃるのですね」
「ぃやかましいわ!」
 図星である。

「・・・それにしても、凄まじいまでに濃密な神気だな」
「直上よりここに至り、平静を崩さない貴方も大概で御座いますよ、ラ・ムール王」
「そりゃま、神気で身を覆わなきゃ寒くてやってられない場所で、伊達に半年近く狩猟《ヤクト》生活してたわけじゃないっすからね」
 世界樹の頂に人々が訪れない理由、それは単に敬虔な理由、現界する神への畏敬からだけではない。 精神的、信仰的な理由よりも直接的な原因があるのだ。
 第一に、常人が晒されれば正気を確実に失うほどに濃密な、世界樹が呼吸として吐き出す神気。 その他の障害が無いとしても、これだけで並のヒトであれば、正気を失ったまま地面に激突できれば幸福であったであろう、という程である。
 第二に、俗にハイランダーと呼ばれるエルフの民の存在。 彼女らは世界樹を信奉し、心酔しているが故に、世界樹への余人の干渉を極端に毛嫌いしている。 過激派ともなれば近づくことすら許さないと信じるものも居るほどだ。 世界樹に近づけば、彼女らの襲撃は免れない。
 第三に、世界樹の中層以上に自生する生命体の存在。 それは樹獣や花獣ばかりであるが、生態はもはや人跡未踏の地の生態系にすら近いものがある。 濃密な神気と空気の薄い高地に適応し、樹上活動に特化し、世界樹の恩恵を賜る、恐るべき狩人が跋扈する。 その強大なまでの生命力・戦闘能力は、地上向けに生み出される生命体の比ではない。
 他にも並みの高山装備では太刀打ち出来ない程の標高、薄くなる空気、登坂に要する日数、その他諸事情あるが、概ねこの3つの理由で、世界樹の頂に辿り着ける者はそうそう居ない。

「さて、そろそろまともなヒトの世に戻るとするか。 海のド真ん中とか大氷原とかデッカイ木の上とかもう勘弁だからな!」
「左様ですか。 それであれば、土産という程の物ではありませんが、こちらなど如何でしょう?」
 そう言ってイルミンスールが太陽に向かって叫ぶディエルに差し出したのは、ひとつの果実。
「かつて金羅様には枝ごと半ば強引にもぎ取られたりもしましたが、下界では貴重な、世界樹の実で御座います。 どうぞお召し上がり下さい」
「・・・そんなもんがこうホイホイ出るとは、どうにも話が出来すぎてるな。 そもそもスーパー大食神が食うようなシロモノで、しかも産地直送ときたもんだ・・・何か隠してないか」
「チッ、キヅカレタカお気に召しませんでしたか?」
「おい今『キヅカレタカ』とか言ったよな! なぁオイ!!」
「空耳では御座いませんか?」
「いや間違いなく言っただろ! ちくしょう、これだから神霊は信用ならないんだ!」
「「何故にで御座いますか!?」」
 コロナとイルミンスール、神霊2名の声が見事に調和する。
「・・・頭痛い。 俺は地上に帰るぞ! こなくそぉぉ!」
 ディエルはイルミンスールに背を向け一目散に駆け出し、そして地上へ向けてのダイブを敢行する!

「あらあら、せっかちで御座いますのね。 まぁいいでしょう。 うふふ・・・」
 世界樹の神霊イルミンスールは、足元に広がる樹幹の奥にある「永遠の琥珀の夢《サンプルリング・シード》」を一瞥し、再び世界樹の頂から世界を、地表に蠢く生命を観察する本来の仕事に戻るのであった。

 半ばヤケクソ気味に飛び降りたディエルだが、着地したのもまた世界樹の枝葉の上。 雄々しく広々と伸びる世界樹の枝葉は、真上から見ればエリスタリア国土にも比肩しうる広さになる。 猫人一人が駆け回ったところで、そうそう端に辿り着けるものではない。
「つか・・・何で、世界樹に、バケモンが、住んでん、だよぉ!」
 世界樹土着の戦闘生命体が次々と襲い掛かっては、ディエルと一般的な巨獣サイズに調整されたヴァズハリムバズルの攻撃の前に散ってゆく。 その身はまた世界樹の養分となり、新たな生命体を育む。
「くっそ、コイツらほとんど木と葉っぱでやんの。 喰えそうなところはない、か・・・ハラ減った・・・」
 とにかく地面に辿り着いて、結局使わないまま懐に収まっている路銀でメシ喰って、とディエルは考えつつ、時に飛び降り、時に枝葉に潜り、幹の間を飛び渡り、着実に地面を目指すのであった。 

「で、地上まであと僅かだが・・・確か、『冬の国《イアーナ》』には世界樹を護る宗教団体みたいなエルフがいるって話だよな。 先生がそんなこと言ってた気がする」
「よく覚えておいでで御座いましたね、カー・ディエル」
「一言余計だぞ・・・お、花獣だ。 おるぁぁぁ蜜よこせぇぇ!」
 腹の足しに花獣の蜜を適宜頂きつつの木下りを始めて半月。 神気による下降速度の増減やヴァズハリムバズルの巨体を活用しつつ、自然落下を中心としての移動ということで、枝葉や幹を伝いながらの一般的な移動での所要日数1ヶ月以上に対して大幅に帰還を短くすることに成功していた。
「さて、腹も膨れたところで・・・どのあたりに下りるべきだろうか」
「まず考えますに、仰られるように『冬の国』は危険で御座いましょうな。 ハイランダーは世界樹に近づく者に対して等しく敵意を剥き出しにしますので、『世界樹から降りてきた』などと知られれば、地の果てまで追いかけられましょう」
「ソイツは厄介だな・・・じゃあ『冬の国』近辺は没、と」
「『春の国《フォラー》』は新都エリューシンを擁しており、妖精郷内で最も栄え人の集まる領。 それ故、領内どこに下りても人目に付きましょう」
「あまり目立つと、結局ハイランダー様のお世話にならざるを得なくなる、か」
「左様に御座います。 なれば、『夏の国《ヴェラン》』か『秋の国《ラングス》』のいずれかにございましょう」
「成る程な。 えっと、『夏の国』は昔っからのエルフ気質のままの領で、『秋の国』はホビットに妖精、移住したドワーフノームが中心の領だっけ」
「左様に御座います。 付け加えるならば、『夏の国』には王妃ユミルム様がおわします故、ハイランダーを始めとする不都合については、身の証を立てて保障を得る手もありましょう」
「ふむ・・・でも、そういうやり方は最終手段にしたいな。 万一ラ・ムールに知れたら面倒なことになる」
「ならば、旅程に『夏の国』を経由することを組み込みつつ、『秋の国』へ降り立つのが宜しいかと」
「よし、そうと決まれば、あとは」
 枝葉の隙間から下界を伺いつつ
「残る高低差、どうやって人目に付かずに降りるか、だな」
 人里近くなる中で最も困難となる課題に、ディエルは頭を抱えていた。
 数日の様子見と思案の末に、結局は夜目を盗んで地上に降り立つしかないと決意したところで、樹獣や花獣の枝葉を蔓で纏め上げてカモフラージュにして戦装束《ヴァルカ・トラジェ》の上から羽織ったディエルは、主幹伝いに地上に降りることにしたのである。
「・・・意外と上手くいくもんだな」
 樹獣に擬態するにあたって、その生態を多少なりとも真似してみた甲斐があったというものだ、とぼやきつつ、半月以上ぶりの地上に降り立ったディエルは、ハイランダーの哨戒に対しての警戒を緩めることなく、宵闇に包まれて尚その雄々しき巨体を世に知らしめる世界樹を後にしたのであった。
「もしかしたら、神霊はともかくとして、今まであった神の中で一番まともかも知れんな、アンタ。 じゃ、また縁があったら」
 現界せしめる神への畏敬を忘れず、秋の国へと向かうのであった。 

「それにしても、随分とまた長閑なところだな、秋の国ってのは」
 王制機能が集中する春夏の国と違い、秋冬の国は基本的に「向こう側」で言うところの農林水産業主体の町村的側面が非常に強い。 作物及び薬草・香草類が主産業となるエリスタリアの外資獲得の基幹は、その汎国家的用途に応える供給をただ「在る」だけで存分に湛えるだけあり、労働などという言葉とは縁の薄い生活を営んでいる。
 それゆえに、特に秋の国の民であるホビットらは、基本的に牧歌的かつ悠々自適な生活を営むばかりか、
「おお旅の人! 遠路遥々よくぞ来なすったな! ささ、疲れたろう、今日は我が家で休んでいくといい」
「そっすか? そんじゃ、お世話になりますわー」
 とまぁ、たまの刺激となる旅客をもてなすのが趣味にすらなっている始末だ。 とはいえせっかくの好意を無碍にするのも忍びなく、半月以上に渡る樹上生活に疲弊があったのもまた事実。 ディエルはさっそく駄賃代わりの旅の話と引き換えに、まだ日は高いが一宿一飯の恩義に預かることにした。
「そいで旅の人、どちらにお行きなさる? 『冬の国』経由でお国に帰りなさるんかの?」
 恩義に預かるお宅は典型的なホビット老夫婦のお宅。 長身の種族や異界のヒトには小さすぎるが、小柄なドワーフ、猫人、狗人らには丁度いい。 我が家とは趣は異なるものの、久々のまっとうなヒトの世の暮らしを、ディエルは久方ぶりに満喫していた。
「いえ、半島を辿って、『春の国』から船で帰ろうかと。 砂漠を横断するよりは気楽ですしね」
「ほうほう、さよかさよか。 それならば『夏の国』で王妃殿下にお会いになられるとよかろ。 あのお方も、旅人に寛容であらせられるでの」
「そっか、じゃ寄れたら寄ってみるよ」
「それがええ、ほっほ。 さて旅の方、今日はもう休みなされ。 『夏の国』も『春の国』も、まだまだ先は長いでな」
 ディエルの秋の国初日の夜長は、こうして更けていくのであった。

「に、してもだ」
 先に世話になった家を後にして数日。 ディエルは秋の国の街道を一人、のんびりと歩く。 「旅人」という体面が戦装束の物々しさを程よく中和しており、何処へ行っても旅人待遇甚だしい。
「ここまで寝食に困らんというのも、逆に怖いわ・・・食事が草食ばっかりっつーのは、やっぱり物足りないけどな」
 ホビットもそうだが、エリスタリアの主たる住人であるフェアリーやエルフは基本的に草食、又は自らの内で体機能維持に必要な養分を生成して生活することができる。 それ故に、食文化という点では、食においても豪放磊落なドニー・ドニーや肉類を特に好む種族が多いラ・ムールとは相性は好ましくない。
「とりあえず肉は『春の国』まで我慢ってところかな、と・・・お、客車じゃねーか。 おーい、すんませーん!」
 『夏の国』方面へ向かう乗合客車を発見したディエルは猛ダッシュで駆け寄り、御者のエルフに駄賃を払い早速乗り込む。 旅行者に対し態度が温和で、しかも(世界樹に干渉しない限りは)気質も平穏安寧なエリスタリアは、「こちら側」のヒトからも「向こう側」のヒトからも旅行地としての支持は高い。 現に、この度ディエルが乗り合わせた客車にも「向こう側」の客がおり、風景を絵にして収めるという「でじかめ」とかいう箱で頻りに窓の外を写し取っている。
 所は領の境。 間も無く季節は秋より夏へと巡る。 御者が客に対し、領土の境を通達し、客は羽織り物を仕舞い込んで夏の到来に備える。 勧告を受けても極寒地仕様の戦闘武装を脱ごうともしないディエルに対して客たちは怪訝な目線を向けるが、ディエルとしては、霊獣ヴァズハリムバズルとの契約にて得た、土耳古石《ターコイズ》由来の青き輝き放つ指輪「虎氷の護」の加護により、旅中の艱難辛苦に対する耐性を得ていることもあり、衣服と気候のミスマッチはさして気に触るほどではない。
(とはいえ、ラ・ムール程ではないとはいえ暑い気候の『夏の国』で、この極寒用装備は流石に目立ちすぎるな。 客車降りたら少し脱ごう)
 そんなことをディエルが考えているうちに、境界を越えて客車は『夏の国』へと入る。
 境界は文字通り「境」であり、その見えない線、見えない壁により生態も気候もまるで変わってしまう。 この現象は、他ならぬエリスタリア固有の現象であり、エリスタリアを訪れる旅客を魅了する要素のひとつともなっている。
「さて御客人方、この客車は『夏の国《ヴェラン》』が領都アルシェロンにて終点となりますが、そこまでの間でお立ち寄りになりたい地所などございますかな?」
 客人からは特段ご指名の地名は上がらない。 皆一様に目的地は『夏の国』領都アルシェロンということで、旅程はここより特段何も無ければ3日もあれば到着するとだけ客に伝えた御者は、客車を牽引する樹獣の手綱を引き、アルシェロンへの旅程を進む。
(たまにはこんな、のんびり旅もいいもんだね・・・さて、一眠りするかね)
 砂漠や大氷原のような寒暖極端な環境でもなく、新天地のように1日歩けば押しかけ強盗3グループのような状況でもなく、ミズハのように世話好きのおっさんに半ば拉致気味に連行されることもない。 その上高低差も大したことがない。 ようやく訪れた「極々まっとうな旅行」を満喫するディエルであった。

 客車の行く道はいたって平穏。 ついに到達したのは「夏の国」の領都アルシェロン。
「こいつは・・・たまげたな」
 花が歌い、鳥が歌い、風は踊る。 風精と妖精が風に乗り舞い踊り、遠くのエルフの美歌は鳥の囀りと共に風に乗り都を包み、草木は風に乗り静かに揺れる。 筆舌に尽くし難い風光明媚な光景、「向こう側」の者達が口を揃えて「幻想郷」と称えるエリスタリアが、そこにあった。
 目に映る全てのものが壮麗にして雄大、優麗そのもの。 古都アルシェロンの光景に、ディエルはただただ感嘆の唸りをあげることしかできない。
「海一つ隔てた向こうはもう砂漠しかないってのに、ここまで違うもんなのかね。 すごいもんだねぇ~」
<全くもって、その通りに御座いますな、カー・ディエル>
 ディエルはコロナの言に耳を傾けつつ、欠伸を漏らすハリムの喉を撫でてやりつつ、目に付く限りの全てを見ようと四方八方振り向きながらアルシェロンの街並みを歩く。 おのぼりさんみたいだが気にすることはない。 何故ならアルシェロンへの来訪暦が浅い者はみなそうだからだ。
 ひとしきりアルシェロンを回り、王妃ユミルム住まう水晶宮《パレ・ファーレ》を眼前に納める大広場に出たディエルは、荘厳な気配を漂わす水晶宮を眼前に据える絶好のポイントでひとまずの休憩をとり、今後の旅程を検討することにした。
「さて、と・・・これからどうするかな」
 ベンチに腰掛け財布を取り出し中を見てみる。 新天地にて労働の対価としてゴンザレスから頂いた給金は、アルシェロンに来るために使った客車で初めて使った、というくらいに使う機会に恵まれなかったこともあり、元々が新天地からラ・ムール東海岸への船賃+αということを鑑みれば、余裕はあると言えばある。
 地理的都合もあって、エリスタリアから国外に出るのであれば半島付け根の「冬の国」から陸路でラ・ムールに入るか、半島先端の「春の国」から商船・旅客船に乗るかのいずれかだ。 今更「冬の国」へ進路を変えるのも都合が悪いので、当初の予定通り「春の国」から海路を頼ることになるのだが、
「船に乗るってことでこんだけくれたってことは、船賃って相当なモンなんだろうなぁ・・・」
 これから何日かけて「春の国」まで行くのか、「春の国」からラ・ムールの港まで船に乗るとして如何程の船賃が必要になるのか、少し前まで内地の村民だったディエルにはあまりに情報が少ない。 しかも、船賃だけならともかく、宿代や食費も当然必要になる。 御相伴に預からせてくれる家がそうそうあるわけでもなければ、ゲウル・ディ・シエタのように産地直送狩って即食なんてことが出来るはずもない。
「最悪、宿賃は野宿でこなすとしても、メシ代はどうにもならないよなぁ。 『秋の国』で泊めてくれたおいちゃんおばちゃんからは日持ちのするメシ貰ってはいるけど、いずれはこれも腹に収まるし」
 そこを行くと、エルフやフェアリーの類は、基本的に陽光を浴びて自分で自分が生きる糧を作ってるっていうんだからメシに困らなくてうらやましい話だ、と思いつつ、あーだこーだと思慮するディエルに、不意に声がかかる。
「おこまりですか~?」
 声の主は眼前にいた。 しかもコロナ並みに小さい・・・つまるところ、妖精である。 何故に声をかけられたのかはよく分からんが、そんなに困ってるように見えたんだろうか、とお困りオーラ全開だったことに反省しつつ、ディエルは声の主に応答する。
「ええ、まぁ・・・旅ってのは難しいもんだな、と」
「ほえ~、ネコさんは旅の方でしたか~。 それにしても、そんなに着込んで暑くないんですか?」
「着心地がいいもんだから、脱ぐのすっかり忘れてたわ。 まぁでも、この位ならラ・ムール砂漠のド真ん中に比べたらまだまだ、だな」
「おぉ~!」
 ぱちぱちぱち、と相槌と拍手で応える妖精っ子に、ディエルは当然の疑問を投げかける。
「で、だ。 アンタ誰?」
「おおう!? これは失礼、私はチカ=シズニペリですの。 あなたはどなた?」
「俺はディエル。 ディエル=アマン=ヘサー」
「ふむ・・・デルさんですね! 私はチカと呼んで下さいな」
 もう慣れた。
「はて? どうかしましたかデルさん?」
「いや別に」
「そうですか! そういえばユミルム様にはもうお会いになりましたか? ちょうど真正面に水晶宮もあることですし、行ってみましょう!」
「『秋の国』のホビットのじーちゃんも会ってみれとは言ってたが・・・王妃様だろ? ホイホイ会いに行って迷惑にならんのか?」
「だーいじょーぶですよ! ユミムル様は大らかな方ですから!」
「・・・忙しそうだったり、駄目だって言われたらすぐ引き上げるからな」
「おっけーおっけーです! それじゃ、いっきましょー!」
 なぜか話しかけてきた妖精チカの後を追い、ディエルは今後の話を後にして、水晶宮へ向かうことにした。

 水晶宮《パレ・ファーレ》。 山のように巨大な水晶を磨き上げ、刳り貫き、建て付け、居城としたものである。 水晶宮自体は居城となってからも水晶としての特性を失っておらず、神秘の結晶と言えよう。
 遥か昔には妖精王ディオマーもここに住んでいたが、諸々ありディオマーは「春の国」へ転居し、ここには王妃ユミルムと側近達が集っている。 国政自体はディオマーらが担当しているが、ユミルム支持層の厚さとディオマーの対外政策に馴染めない者の多さから、水晶宮はミズハミシマと繋がる「向こう側」の国に曰く「駆け込み寺」のようなものになっている。 国内で発生するの種族間調整や交渉事は水晶宮に持ち込まれることが多く、国政遂行機関としての責はまだ負っているのである。
 なお、構造体の殆どが水晶とは言え、内部を透かして見る事はできない点については、無粋な期待を寄せる諸兄のために断っておきたい。
 そんな水晶宮の内部、荘厳でありつつも華美ではない、絶妙なバランスの保たれた内装に感心感服しつつ、ディエルはチカを追いホールを進んでいく。
「すげぇもんだな・・・外から見てもだが、中もまた・・・」
 外観に負けず劣らず荘厳麗美な内装に嘆息するばかりのディエルを先導するチカはなぜかえっへんと偉そうな態度を見せているが、「いやオマエの家じゃねぇだろ」という無粋なツッコミは控え、ディエルは面会受付に向かう。
 見てくれの物々しさに若干警戒されたものの、それ以外には特段問題なく受付は済む。 ディエルは数組分の待ち時間の後、謁見の間に通されることとなった。

「ようこそ水晶宮へ、旅の御方」
 重厚な扉が開かれ少し進んだところで、穏かな声が謁見の前に響く。 ハイエルフの長にしてエリスタリア王妃、ユミルムその人である。
「此度は拝謁の栄に預かり光栄に存じます、妖精王妃ユミルム様」
 恭しく一礼と共に、ディエルは挨拶の言葉を口にする。 故郷を出る際にラ・ムール仮王アフ・ネネへの謁見で恥をかかないようにと徹底的に幼馴染のメイレに仕込まれただけあり、さらりと言葉が出てくるあたりは慣れたものだ。 貴人との対面に場慣れした、というのもあるだろう。
「さて旅の御方、エリスタリアは如何でしょうか? ご出身のラ・ムールと違って何も無いところではありますが、どうぞごゆっくりお過ごしください」
「滅相も御座いません。 かくも美しく壮大な宮殿、絵画の中に迷い込んだのではいう光景、全てが素晴らしいものと存じます」
 世間話のような質問をいくつかされるが、ディエルはその質問の意図よりも、
(なぜ侍従が退室する・・・?)
 気付かぬうちに人払いをさせたのだろう、そのことが気にかかっていた。 ふと気が付けばチカの姿も見えない。 そして最後の侍従が御簾の脇より退室したところで、ユミルムから声がかけられる。
「申し訳ありません、人払いさせて頂きました。 して、即位の知らせは伺っておりませんでしたが、本日は如何な御用向でございましょう、ラ・ムール王」
「いえ、御用向などと言うものは御座いません。 自分は今だ王の器に足らぬ若輩の身、見聞見識を広めるべく、諸国を回遊しておるところです」
 我ながらおべんちゃらが上手くなったものだ、と自重しつつ、ディエルは謁見第二段階に臨む。 そこから先は、ミズハミシマ祀族長にして龍神の妻オトヒメとの謁見と同じく、多分に政治色を含みつつも「見聞見識を広める」というディエルの言葉に沿って、固すぎない程度にエリスタリアの情勢などについて教わったり、質疑応答などしたり、という内容となった。
 そして最後にユミルムから、ひとつ言葉を投げかけられる。
「してラ・ムール王、今だ見聞を広めるための旅の最中であるのなら、国の者を一人、旅の共をさせていただいても宜しいでしょうか?」
「見聞を広めるというのであれば、世事に明るい『春の国』の者を招く方が宜しいのでは? あえて危険な旅に同行させる必要もありますまい」
「・・・いえ、『あの人』の膝元の者では、多分に歌舞れておりましょう。 国外を知らぬ者が外を学ぶことにこそ意味がある、そうは思いませんか?」
「ええ、『向こう側』の言葉に曰く、『百聞は一見に如かず』というやつですね。 しかし、宜しいのですか?」
「構いませんよ。 そのものが見聞きし得たものが、いずれこの国の礎となりましょう」
「いえそうではなく、主に『コレ』関係で」
 右肩あたりでふよふよ浮んでるコロナの頭をつまんで突き出す。 何をなさいますかカー・ディエル、と非難がましい鳴き声がするが、あとでハリムと遊ばせてやれば気も治まるだろう。
 ユミムル王妃は世界樹の花実より生まれし、統治者としての格を備え千年の時を生きるといわれるハイエルフの長の一人。 神授の力持たぬ者には見えないコロナも見えているだろうし、千年の見聞で当然ラ・ムール主神の大好物も聞き及んでいよう。
「今のうちにお断りいたしますが、時には私自身生き残るのに精魂使い切ることもありましょう。 せっかくお預かりした方を護ることも出来ず、無事国元に帰してやることもできないとあっては」
「そういうときに便利な言葉が、ラ・ムールには伝わっておりましょう」
 嫌な予感がする。
「これも試練、違いまして?」
 退路を完全に絶たれてしまった以上、請けざるを得ないディエルであった。

「さて、こちらも無理を願い出た以上、それに対して便宜も図りましょう」
「いえ別にそこまでは」
「謙虚も過ぎると嫌味にすら聞こえることもありますよ。 覚えておくと宜しいでしょう、ラ・ムール王。 それに然したる事でもありません」
「して、それは」
「『冬の国』領主カラビアには、私から話を通しておきましょう」
「成る程、お見通しというわけですか。 そういう申し出ならばありがたい」
 エリスタリア国内外問わず、今後のネックになりうるハイランダーへの取り成しをしてもらえるというのなら有難い話だ。
「それで、同行させるという者は?」
「明日、水晶宮の正門前に待たせておきますので、お連れ下さい。 後のことは全て、貴方にお任せいたします。 今宵は『夏の国』の夜をご堪能下さいませ」
「委細、承知致しました。 そろそろ面会を待ち侘びている方もおりましょうから、私はこの辺りで」
「次にお会いするときは、戴冠の後になりましょうか。 ご研鑽を経た後の貴方にお目にかかれる日を、お待ちしております」
「ご期待に沿えるよう、精進してまいります。 それでは失礼致します」
 一度退室していた侍従の再入室と入れ違いで、ディエルは謁見の間を後にした。 謁見の他に用件もないので速やかに水晶宮を出て、ディエルは今日の宿を探すことにした。
「それにしても、今の俺の状況を分かった上で、それでも尚同行させてくれってのは、どういう思惑なんだろうか?」
 アルシェロンの街並みを歩きつつ、ディエルはユミルム王妃の申し出について思慮を巡らせる。 政治的志向で言えば保守に属するユミルム派ではあるが、国外の世事を知らず存ぜずでは良くない、という事だろうか。 だが、先にスラヴィアで出会ったダークエルフの女戦士もそうだが、特にエルフ種は国外での活動を積極的に行っている。
「国外のエルフを呼び戻して見聞を語らせればいいだけだと思うが、なぁ・・・」
 意図はいまいち掴めないが、受けてしまったものを今更「やっぱり辞めます」と放り出したとあっては沽券に関わる。 せめて自分の身は自分で護れるだけの技量はあって欲しい、と思わずにはいられないディエルであった。

 いろいろと考えてはみたが、結局は「他所の国の偉いヒトの考えることは良く分からん」という結論に達したところで、ディエルは宿を取り体を休めることにした。
 明けて翌日、昨日の話の通りに水晶宮に赴いてみれば、
「あ、デルさん! おっはようございまぁす!」
「嫌な予感はしたんだよなぁ」
「ヒトの顔見るなりその態度、ちょっと酷くないですかぁ?」
 そこに居たのは、昨日出会ったチカであった。 身なりと荷物を見るに、「旅の共」ということで間違いなさそうだ。 謁見の受付をした頃から姿が見えなかったが、仕込みだったか!と今更ながらに気付くディエルだったが、チカはおでかけルンルン気分そのもの。
「で、チカ。 オマエがここに居るってことは、事情は聞いてるってことでいいんだよな?」
「はい! 昨日ユミルム様から『故あって世界中を旅している猫人の方がいらっしゃるので、その方のお供をして世界の姿をその目で見てきて欲しい』と頼まれちゃいました! 責任重大ですが、私がんばります!」
「よし分かった。 それじゃあ・・・」
 ディエルは朝早い水晶宮の周りにヒトがいないのを確認して、まだおねむ気味で毛玉そのもののハリムを放り投げて、
「こんなのが出たりもするが、逃げ出さない覚悟はあるか?」
 霊獣ヴァズハリムバズルの真なる姿を開放して、チカに見せてやる。 水晶宮にも匹敵する巨大な、氷山の如き獰虎の顕現に、チカは言葉を失うより他ないという表情だ。 チカが押し黙る姿を確認して、騒ぎになる前に早々にヴァズハリムバズルの姿を平時の毛玉に戻し回収したディエルは、改めてチカに問う。
「こちとらどっかの試練バカの趣味につき合わされてる真っ最中でな。 今のは俺が殺り合った中でも最上級のほうだが、あんなのと鉢合わせするのも良くある事だ」
「う・・・」
「それにだ、行く先もこんな平和な所ばっかりじゃないぞ。 陸地なんて見えやしない海のど真ん中に放り出されたり、何処見ても雪景色しかなくて『冬の国』すら暖かくていい所だと思う位の極寒の地に飛ばされたり、ドンパチやってる真っ最中のところに出たり、なんてのもありうる。 行き先だってロクに決められやしねぇ」
「え・・・」
「そうでなきゃ、こんな重装備を着込み続けての旅なんて出来たもんじゃないだろ」
「あうう・・・」
「・・・ま、付いてくるなら、俺の傍を離れないようにしてくれたら、可能な限り護ってやる。 後は自分で決めてくれ」
 これである程度は、自分の道中がどれだけ危険だったかは伝わったはず。 あとはチカの判断に任せるだけだ、とばかりにディエルは押し黙り、チカの出方を伺う。
「・・・ちょっと、作戦タイムとってきてもいいですか?」
「おう、行って来い」
 チカの申し出にディエルが快諾すると、チカは突風のように水晶宮へと入っていった。 恐らくは、この一件を持ちかけてきた役人に事の次第を問い合わせに行ったのだろう。
 それからややあって。
「ダメでした・・・それも勉強、ラ・ムール風に言えば試練だから、ってユミムル様に叱られました・・・」
「そかそか。 よし、じゃまずは『春の国』へ行って、船でラ・ムールに行くことにしよう」
「私のこの、やるせない気持ちはスルーですか・・・外のことはまったく分からないので、デルさんにお任せです!」
 かくして、こんなのはよくある話だとばかりに『春の国』行きの客車を探すディエルに、左肩の定位置で丸まってる毛玉、左肩の上で「さすが妖精王妃! 試練の偉大さ、重要さをご理解しておられる!」とか鳴いてる羽虫、収穫鞄に私物の入った鞄を仕舞い込み防寒帽の上に座り込むチカ、という構図で旅は続くこととなる。

 『春の国』行きの客車の発着場は、アルシェロン中央部からやや東よりに離れたところにあった。 流石に妖精王領と妖精王妃領を繋ぐだけあり、国内外で行きかうヒトに溢れている。
「チカ、『春の国』には行ったことあるのか?」
「一度だけユミルム様に頼まれてお使いに行ったことがありますけど、なんだか騒々しくて・・・お仕事済ませてすぐ戻ってきちゃいました」
「そか。 ま、今回はすぐ帰るのは勘弁な。 特に何も無けりゃ、すぐに船を捜そう」
「はいな!」
 ディエルとチカは、新都エリューシン行きの客車の中でまだ乗る余地が残っているものを探し、御代を払って速やかに乗り込んだ。 ここでもディエルの戦装束姿は怪訝な顔で迎えられたが、何時「小ゲート」で落ちて戦地に行く羽目になるか分かったものではない。
「あ、この客車、『大ゲート』区経由なんですね。 ちょっと遠回りになっちゃいますね・・・知ってますか? 妖精王ディオマー様が『春の国』を大きくしてるのって、『大ゲート』が理由の一つでもあるんですよ」
 チカが言うには、『大ゲート』で繋がった先にあった「ぐれぇとぶりてんおよびほくぶあいるらんどれんごーおーこく」という「向こう側」の国との折衝の中で 王ディオマーがえらく「向こう側」の文明文化に感銘を受けたことで、元々の派手好きに拍車がかかった、という経緯があるそうな。
「『大ゲート』が開く前にも、すっごい昔にぐれぇと・・・もう長いから『えげれす』でいいですよね? えげれすとほんのちょっとだけ交流があった時期があったみたいで、ディオマー様は『あの剣やっぱり手元に残しとけばよかったかなぁ・・・』とか仰ってたこともあるそうですよ」
「へぇ・・・」
 そんな話をしながら、ディエルとチカは客車の旅をゆったりまったりと過ごすのであった。

 客車に揺られて1週間ほど。 『大ゲート』区で主に「向こう側」のヒトの乗り降りがあって騒々しくなった以外には特段の問題もなく、『春の国』領都エリューシンが近づいてくる。
「それにしても、何時来ても霧が凄いですねぇ・・・『お客様』が仰るには、これが神秘的な雰囲気をさらに盛り上げてくれる、だそうですが、私は苦手なんですよぉ・・・湿気で体が重くなるから」
「妖精種ってのも、大変なもんなんだなぁ・・・飛べるし、日光に体を晒してると栄養が作れるんだっけ?」
 そんな話をしていると、「向こう側」のヒトたちがやけにこちらを見てくる。
「・・・うるさかった、ですかね?」
「いや、俺らが『向こう側』のヒトにとっちゃ珍しいだけさ。 今は俺らが猫人と妖精の代表だ、堂々としてようぜ」
「は、はいな!」
 好奇心旺盛の目線で射抜かれつつも過ごした客車も、あと少しで新都エリューシン。 あまりに平和で長閑な旅程に、ディエルも思わず欠伸が出てしまうほどであった。

 御者が客車の乗客に、まもなくエリューシンへ到達する旨を伝えると、客車の中は妖精郷の都に対する期待感で一気に熱を帯びる。 それまで言葉少なげであった人々は一斉に都のありようについて語り合い、これから赴く街への思いを語り合っている。
「ま、港に行って船に乗るのが目的の俺らにゃ、あんまし関係の無い話だな」
「ですねー」
 エリューシンの客車発着場に到着すると共に、乗客は我先にと客車の外へと向かう。 その姿を見送り、一番最後にゆっくりとディエルとチカは客車を降りる。
「さて、と・・・あ、すんません。 ラ・ムールに行きたいんスけど、港ってどっちになります?」
 港湾区への行き方を御者に教わり、チップと一礼を以って返礼として、二人は港湾区へ向かうことにした。
「で、ここがエリューシンか・・・アルシェロンとは違った意味で、すっげぇ街だな・・・」
 エリューシンもアルシェロン同様に都市としての美しさは形容に言葉が足りないほどのものであるが、こちらは「華麗」「豪華絢爛」という言葉が端的な表現としては相応しいだろう。
 精霊場に満ち満ちており、そこかしこで術式による派手な勧誘招致やら、魔術を使った大道芸やらが見て取れる。 都市の方向性としてはラ・ムール王都マカダキ・ラ・ムールの商業区や居住区の部位と同じだが、あえて違いをあげれば、「雑然」と「機能美」の両立と、「燦然」と「様式美」の両立と言ったところだろうか。
 エリスタリアの魔・美・財の結集した都市、それがエリューシン。 妖精王ディオマーが作り上げた、妖精郷の玄関口である。
「ま、とっとと国を出る俺らにゃあんまし関係ない話だけどな」
「ですねー」
 ディエルとチカはエリューシンの街中を、勧誘を交わし、大道芸には目もくれず、ひたすらに港湾区へ向けて歩を進める。 余計なことに金を落としたくない、というのがその凡そのの理由であることは言うまでも無い。
 「様式美」の都だけあり道筋は分かりやすく、鼻に潮の香りを感じ取るまでにはそう時間はかからなかった。
「さて・・・前はこのあたりでいつものアレが来たが、さて」
 ディエルが国を移動する頃合の恒例行事に警戒してる様子に、チカは当然の疑問を投げかける。
「『アレ』って何ですか?」
「試練バカの無茶振りの合図。 気にしてると持たないんだがな」
「よく分かりませんが・・・あ、あっちのほうでネコさんが船の手入れをしてますよ! アレじゃないですか?」
 チカが見つけた船員に駆け寄り話を聞けば、珍しいことに一発ビンゴ。 船券の発行所について教えてもらい、取り急ぎ券を猫人一枚妖精一枚で買うことにする。
「なんとか金は足りたな・・・思いのほか妖精一枚が安くて助かった」
「えっへん! 何といっても私、小さいですからね! しかも同行者割引付きですから!」
 そこは船旅を管理してる組合とか何とかの仕組みでそうなってるからであってオマエが偉いわけじゃ、とは突っ込まず、ディエルは残りの給金を確かめつつもう一度船に向かい、船券を見せて客室へ向かう。
「ラ・ムールまではここからまた1週間、か。 結構かかるもんだなぁ」
 ディエルとしては、ここまでの旅程は「小ゲート」による移動だったこともあり、初めての自力での国間移動となる。
「私、船も海も初めてなんですよー! 楽しみです!」
「ああ、海ね・・・」
 ヨニャ・ナーシは旨かったが、大海原ど真ん中で猫人の限界まで遊泳させられた件は今でも思い出す度に腸が煮えくり返る思いだが、船旅ならば関係なかろう。 そうディエルは結論付けて、安いながらも猫人一人と妖精一人には十分な三等客室で、出航の時を待つ。

 来るべき海原で繰り広げられる武侠活劇。 その始まりも終わりも、今はまだ誰も知らない。



  • 神や亜神と触れ合う国めぐりも何故かサバイバルになってしまうディエルの特製は楽しいですね。神霊の同調を見てもしあれを食していたらどうなったのかとよぎりました。エリスタリアの人たちから場所や小物までしっかりとエリスタリアらしいものになっているのは読んでいて驚きました。次の国でも多分サバイバルになってしまうんでしょうか -- (名無しさん) 2013-07-07 19:35:53
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最終更新:2013年07月07日 19:32