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【鯨都 -6品目・Montecristo No.4-】

ミレイがきょとんとした顔――表情はいつもの通りの鉄面皮だが――で言った。
「何、あんた煙草吸うの?」
「いえ、付き合いで吸える程度だけど」
店の前で立ち止まったわたしの返答へミレイが合点が行ったとばかりに頷く。
鯨都も2日目、昨日は見当たらなかった店が新しく出来ていたりとこの祭りも若干装いを変えていた。
いや、出来ていたというよりはやってきたと言うべきか。出来合いの屋台を輸送してくるのだから。
鎧鯨は相変わらず微動だにしないまま人々の祭りの中心で寛ぎ、切り出し工たちはえっちらおっちらとかの鯨の背中の上で鋸やノミを振るっている。
人の賑わいは衰えること無くその勢いを増し、祭りの熱は昨日に劣ること無い隆盛と混迷を見せていた。
ひとまずは1日目と同じく水上からと観光兼盗人探しに乗り出したわたしたちだったが、初めて早々に想像以上の人混みで思わず逸れかけた。
なんせ屋台と屋台を繋ぐ簡易桟橋の上は人でいっぱいなのだ。水の上に浮いているだけのそれは上に乗った人間たちの体重だけで沈みそうになっている。
曰く、年を経るごとにどんどん鯨都には人が増えているとのこと。わたしたち地球人の流入が主な増加の原因らしい。確かにこうしていても地球人の姿をちらほら見かける。
雑踏によってあの小さな背中が視界から遮られる。ミレイの姿を見失った――と思った瞬間、片手にひんやりとした感触。
氷細工の五指がわたしの左手を掴んでいた。傍らに視線を落とすといよいよ見慣れてきた銀糸の髪が目に入る。いつの間にかミレイはそこにいた。まるでわたしの影のよう。
手を煩わせるな、とでも言いたげな垂れ目がきゅっと細められわたしを一瞥すると、人混みの中を先立ち手を引っ張って歩いて行く。
そんなこともあってミレイと逸れることもなく今に至る。あの意外な力強さに面食らうことも、もう無い。
競泳選手のような均整の取れた筋肉があの馬力を産んでいるのも知っているし、ああ見えて面倒見がいいことも承知済みだ。
「そうだろう。
 あんたからは煙草の臭いはしなかったからな。だからここで立ち止まったのを不思議に思った」
「ミレイは吸うの?」
「私もさしては。
 だが仕事柄何かと検分はするんでな。こいつに関してはなかなか詳しいぜ」
ミレイの藍色の瞳が視線を落としたのは一見木屑にしか見えないものの瓶詰めのひとつである。
わたしたちが立っていたのはある屋台の前だ。珍しい食べ物や土産物を売る他の屋台とは一風変わった様相の、いや外見でこの店を語るのは不適当だ。そう、一風変わった『匂い』を放つ屋台である。
雰囲気は一日目に訪れた薬屋に近い。が、あの黒魔術の呪い師が目の色を変えて飛びつきそうな怪しさはない。
どちらかといえばコーヒーの販売店が近い。それもコーヒーを飲料として売る店ではなく、コーヒー豆の量り売りをやっているような店である。
それだけ芳しい香りに満ちていたのだ。様々な香りが混在して目眩がしそうなくらい。香りの正体は店の棚へ几帳面に並ぶ瓶詰めたちである。
店の前、手にとって品を確かめられる棚には試供品なのか小さな瓶が所狭しと詰め込まれ、奥の棚にはそれらの大瓶がどっしりと腰を下ろしている。
瓶の中に入っているのはほとんどが木屑、もしくは刻まれた葉っぱのようなものである。中には乾燥した何かの葉だったり花だったりが形を残しているのもあるが、たいていはそういったものだ。
これらの香草たちの匂いに混じってどことなく埃っぽさを感じるのはこれが海の上にある店とは思えない板張りの古びた店舗から受ける印象からだろうか。
店主も魚人や鱗人といった鯨都でもよく見かける人々ではなく、猫人の翁だった。小柄なミレイより更に小さな身体で、ふさふさの毛並みが両の瞳を隠している御仁である。あれで前が見えるのだろうか。
わたしたちの他にこの屋台の前にいる者たちは真剣な目つきで品定めを繰り返していた。すなわち、瓶詰めを手にとって眺めたり、陽の光に透かしたり、蓋を開けて臭ってみたりである。
わたしが地球人としての知識をこの屋台に当てはめてこれが何の店か判断するならば、およそ間違いなく煙草屋であると推察できた。
というのも。瓶の中身を首をひねって推察するまでもなく、棚の片隅には我が祖国において市井に流通している紙巻煙草の箱がいくつか鎮座していたのである。
「煙草はこの世界において重要な生産品のひとつだ。
 この生きていくだけなら全く必要のない代物で世界は鎬を削り合っている。歴史を紐解くとこれが実に面白い。
 ミズハミシマは煙草に関しちゃ最底辺の後進国だから、かえって冷静に見れるんだよな」
刻み煙草の詰まった瓶を手にとって眺めながらミレイの目に怪しい光が宿る。
いつものである。喋りたがりの虫がミレイを突き動かしているのである。こうなったらもう止まらない。
語りを入れる機会に恵まれると彼女は立て板に水を流すかのごとく舌を回す。どことなくそれが普段の禁欲からの開放に見えるのは気のせいだろうか。
わたしに許可を取ることもなくミレイは喋りだした。たいてい話の内容は面白いからいいけれど。
「この世界において煙草というものの始まりはイストモスラ・ムールのどちらかだと言われる。
 風がそよいだだけでどちらから来た風か喧嘩しているようなケンタウロスと猫人どもの話だ、たぶんここから先何千年経っても発端がどちらなのかは定かにはならないだろう。
 興味深いのはどちらも同じ時期に喫煙の文化が始まった、ということだ。小競り合いを続ける内に戦争を通じて文化交流が果たされたんだろうな。皮肉な話だが。
 ともかく、この2つの国から煙草の葉を刻んで火をつけ煙を吸い込むという習慣が始まったのはいくつかの資料から察するにそれなりに信憑性のある話だ。
 ここに加わるのがイストモスとラ・ムールの双方に武器を卸していたクルスベルグドワーフたちだ。ケンタウロスと猫人、彼らの習慣を受けて吸い出したとされる。この3国がおおよその始まりというわけだ。
 もっとも当時の喫煙てのは精霊をより良く呼び寄せるための戦装束みたいなものらしい。今でもそういう使い方をしてる奴はそこそこいる」
なるほど精霊を呼び寄せるためと来た。精霊と共にあるこの異世界ならではの成り立ち方なのかもしれない。なんとも現実的かつ実用的な話である。
つい先日に竜宮城下の出店の前で『これ馬糞みたいだろ、灰糞という石で砕いて振りまけば闇妖精が寄ってくるんだ』と今みたいな調子で説明されたばかりだ。煙ひとつとっても馬鹿にはならないのだろう。
「で、この習慣を面白がった奴らがいた。エリスタリアの淫売ども、エルフの巫女たちだ。
 世界中どこにでも股ぐらに一物をぶち込める奴がいりゃ足を伸ばすあいつらはイストモスじゃケンタウロスやそのお付きの狗人、ラ・ムールじゃ猫人がふかしていた煙草に目をつけた。
 あの頃はもうラ・ムールじゃ煙草よりも水煙草が流行っていたらしいけどな。知ってるか?水煙草。ラ・ムールの素晴らしき悪癖さ、瓶の中で煙を一旦水に潜らせて吸うやつ。
 さてエルフの話に戻るが、受けが良かったんだよ。ぷかぷか煙を吹いてるのは当時格好良かったから。で、エルフどもはその文化を自分の国へ持ち帰った。
 その味のついた煙を吸い込むのが精霊を呼ぶだけじゃなく、どうにも気持ちがいいのを自覚したやつらは新しい煙草の開発に乗り出した。
 年中ヤることしか考えてないエルフどもの頭のなかでどういう心境の変化があってヤること以外の愉しみをそこに見出したのかは知らないよ。でもそうなっちまったんだ。
 栽培したのはエルフじゃなくホビットたちだけどな。元から薬草作りはピカイチの連中だ、エルフの後押しも有利に働いてあちこちで煙草畑が出来まくった。。
 そうこうしているうちに樹人まで乗り気になって新種開発に血道を上げた。で、現在世界における煙草の流通量は2位につけている」
語り続けるミレイの興味が煙草の葉の瓶詰めから逸れて地球産の煙草のところへ向かった。紙巻き煙草ではなく葉巻の箱に目をつけている。
しばらく品物を確かめていたがやがて一本だけバラ売りの葉巻を手に取り、店主の猫人へ金貨を投げる。
ふがふがと精霊による翻訳を通しても何事か分からない返答を返した猫人の翁に軽く手を上げて応えるとミレイは葉巻の吸口を懐から取り出した小刀で切った。
「エリスタリアのエルフどもの間で流行ったら後はあっという間だ。この世界のことわざで『エルフの流行りは世界の流行り』と言うくらいでな。
 あらゆるところで股を開いているエルフどもは異文化の発信源になってるんだよ。結果、世界中に喫煙の文化は広まった。
 ドニー・ドニーに広まるのはもう主神のウルサが瞬きをし終わるくらい一瞬だった。新しいものが好きな海賊どもの集まりだ、当然の帰結ですらあった。
 スラヴィアも同じだ。飲まず食わずでも顔色一つ変えない死人たちがこぞって欲するのはこういう嗜好品だ。
 必要なものは自給自足で賄えてしまうあいつらが唯一目の色を変えて輸入するもののひとつがこの煙草だ。スラヴィアに行けばどこでもかしこでも死人がぷかぷかやってるさ。
 オルニトもお偉いさんの飛べる鳥人のひとりが吸い出せば下層まで広がるのは時間の問題だった。
 延の国ではもともとあった薬学と結びついて健康のために喫煙が推奨されている。あっちじゃ煙草は食べ物と一緒なんだ。
 患者ひとりひとりに処方された煙草があってその調合師までいる始末だ。効き目のほどは知らないぜ、私は延の国の人間じゃないからな」
葉巻を口に加えたミレイが「ああ。頼む」と小さく呟いた瞬間葉巻の先端に火種が灯る。
しばらくこの国、そしてこの女を観察していての見解だが、ミレイというこの女はミズハミシマの人間と比べても相当精霊の扱いに長けているようだった。
詳しいことは地球人のわたしには分からないことだが、何もないところに火妖精を言葉ひとつで呼び寄せるのは相当な難行のはずだ。
わたしにはひとつ確信がある。ミレイは只者ではない。役人であると鯨都の初日に看破したが、その情報は氷山の一角なのだろう。
ミレイが葉巻からひと口吸って煙を吐き出した。葉巻特有の香木を溶かし込んだような甘い香りが濃厚に漂う。だが海風に吹かれてすぐに消え去った。
行き交う人々の雑然とした流れへ紫煙は吸い込まれていく。その中の何人かはこの香りに首を傾げただろうが、誰ひとりとして足を止める者はいない。それだけ鯨都は刺激に満ちていた。
「後発になったのはミズハミシマとマセ・バズークだ。
 我が国、ミズハミシマが煙草の文化に関して遅れたのは実に分かりやすい理由だ。国民の多くが海中種族だったから。
 今となってようやく広まりつつあるが、まあこの位置は当分揺るがないだろう。愛煙家の欲する煙草もしばらくは輸入頼りだよ。
 マセ・バズーク、あの蟲人の国は逆にその有用性を遅れながらも理解した。
 植物の扱いに関しちゃエリスタリアにも引けを取らないやつらのことだ。気づくのは遅れたが、一度自覚しちまえば後はやつらが得意の縄張りだ。
 流通量1位の座を取るのに時間はそうかかりはしなかった。今じゃこの世界の煙草の3から4割くらいはマセ・バズークの煙草だ。
 実際美味いしな、あいつらの煙草。この屋台に並んでる煙草もその程度の割合でマセ・バズーク産だ。
 私はいずれ新天地もこの枠に噛んで来ると踏んでいる。時間はかかるだろうが……いつか、いつかはな。それが私が生きている間かどうかは大した問題じゃない」
そうしてミレイは、ただな、と葉巻をわたしの方へ向けて突きつけた。ミレイの細い指先に挟まれた葉巻が煙を燻らせていた。
「それより、そこに絡んできた第三勢力があんたらだ。
 どうなってるんだ?あんたら。地球人のおたくらだよ。
 実に美味いんだ、あんたの世界の煙草。今吸ってるこいつにしたってそう。大したもんだよ本当に。
 龍神が流通数を絞ってるせいか、あまり数は出回らないんだけどな。今吸ってるこれだって信じられないほど高いんだぜ」
ああ、そういえば金貨を投げていたか。彼女はどうも懐には余裕があるらしい。
ミレイの瞳がとろんと蕩けている。酔っているような、陶酔しているような。いや、きっとそれらとは違う感情。
伏し目がちな瞳は頼みにくいことを人に頼む時の遠慮を感じさせる。わたしから微妙に視線を外しながら彼女は言った。
「分かるぜ、あんたの世界にもあんたの世界なりの煙草の文化ってのがあったんだろ。
 そういう積み重ねがあってこの味がある。良いことだ、傑作だ。実績と歴史が作り出す味だ。私は気に入っている。たまに吸う分には最高だ。何にせよ美味いものは良い。
 つまり、だな。そう、なんと言えばいいのか」
珍しくミレイが言い淀んだ。
わたしはこれまで得られた断片的な情報からミレイの次なる言葉を推察する。
彼女にとっての異世界、つまり我が祖国とその世界の煙草に関する話を振り、それを褒め称えた挙句口を濁らすような話。
口ぶりからして吸わないと言う割には結構喫煙は好みと判断し、わたしは慎重に口を開いた。
「次に来る時はどの銘柄を買ってくればいいの?」
「『モンテクリスト』の4番を頼む」
「あ、はい」
早口だった。とっても。



  • いよいよごった返す鯨で意表を突かれた異世界の煙草事情。日本では風物詩的な風景の一つになってしまった店頭煙草売も異世界では大いに盛況 -- (名無しさん) 2016-10-29 07:03:30
  • 異世界の煙草も安いのから高いのまでピンキリなんだろうか -- (名無しさん) 2016-10-30 20:28:13
  • 異国情緒ならぬ異世界情緒が感じられて素直に面白い -- (名無しさん) 2016-10-31 11:37:26
  • 煙草の意味合いにしても種類にしても地球と同じかそれ以上の種類がありそう -- (名無しさん) 2016-11-03 07:08:46
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最終更新:2016年10月29日 18:12