第147話 モンメロ沖海戦(前編)
1484年(1944年)6月26日 午前6時20分 モンメロ沖南90マイル地点
第72任務部隊第1任務群に所属する正規空母イラストリアスは、今日も飛行甲板上から偵察機を発艦させようとしていた。
優美な肢体のS1Aハイライダーが、オレンジ色の朝日を浴びながら、折り畳まれた翼を展長する姿は、天使が大空にはばたく
姿を想像させる。
飛行甲板の中央にまでやって来たそのハイライダーは、機首の2000馬力エンジンを轟々と唸らせ、発艦の指示を待つ。
甲板士官が指示を下すと、ハイライダーはエンジンの出力を上げて、イラストリアスの飛行甲板を滑走。
そのまま甲板の端を過ぎ、大空に舞い上がっていった。
「おはよう艦長。」
発艦作業を見守っていたイラストリアス艦長、ファルク・スレッド大佐は、後ろから群司令であるジョン・マッケーン少将に声を掛けられた。
「おはようございます、司令。」
スレッド艦長は、にこやかな笑みを浮かべてマッケーンに挨拶しながら敬礼する。
彼も笑みを返しながら答礼した。
「よく眠れましたか?」
「まぁ、ぼちぼちといった所かな。睡眠時間は昨日よりも多いから大丈夫だと思う。」
スレッドが尋ねると、マッケーンは苦笑しながら答えた。
「今日も、偵察機の発艦で1日が始まる・・・か。」
マッケーンは、飛行甲板を滑走しようとする2番機を見つめながら言う。
「ああ、まったくだ。」
マッケーンは頷く。
「敵さんは、ここ2日間は消極的な動きばかりしとるからな。」
アメリカ機動部隊から発艦した偵察機が、マオンド側の機動部隊を捕らえたのは2日前の午前8時頃であった。
空母ボクサー所属のS1Aハイライダーが、偶然にもモンメロ沖南方400マイル(640キロ)、スメルヌから南西60マイル
離れた洋上を航行するマオンド機動部隊を発見した。
続く第2索敵隊と、午後1時に発艦した第3索敵隊も敵機動部隊を発見した。
だが、マオンド艦隊は300マイル以上の間隔を開けたまま、北上しようとはしなかった。
第72任務部隊司令部では、敵機動部隊は航続距離範囲内にあるため、今すぐに攻撃隊を送り込んではどうか?という意見が多かったが、
サマービル司令官は首を縦に振らなかった。
マオンド機動部隊は、確かに手の届く所にいる。
だが、その上空には、常時5、60騎。多いときには100騎以上のワイバーンが旋回していた。
それに、第3索敵隊の偵察機のレーダーには、陸地から多数のワイバーン隊が、当直のワイバーン隊と交代する様子が捉えられていた。
サマービル司令官は、敵機動部隊は陸上のワイバーン隊と共同作戦を行える状況にあると確信し、今、無闇に攻撃隊を出せば犠牲が多くなり、
攻撃は不本意な物になると判断し、この日の攻撃を中止した。
翌25日にも、アメリカ側は敵機動部隊を発見したが、敵はより陸地に近い海域を航行しており、上空のワイバーン隊も前日と同様、
多数が警戒に当たっていた。
25日の正午には、TG72.2のリーブス司令から、午後1時にはTG72.3のマレー司令から「直ちに攻撃隊発進の要ありと認む」
という意見具申が送られてきた。
さしものサマービルも、この相次ぐ意見具申には心が折れ、午後2時、全任務群から総計270機の攻撃隊が発艦した。
だが、アメリカ軍はツキに見放されていた。
アメリカ側は、偵察機から知らされた敵の位置と進路から敵の未来位置を割り出し、その海域に攻撃隊を向かわせた。
だが、現場海域に到達しても、攻撃隊は船どころか、ウェーキの一筋すら見つけられなかった。
攻撃隊はしばらく、敵機動部隊を探したのだが、燃料の関係で捜索活動を打ち切り、母艦に帰って行った。
攻撃隊が帰投できた時間は、陽も落ちた午後7時30分であり、各機は厄介な夜間着艦をしなければならなかった。
この夜間着艦で、着艦に失敗する機が続出し、計13機が失われてしまったが、13機の半数以上はTG72.3の搭載機であり、
また、13機という事故喪失数も予想よりも少ない数字であった。
これは、実戦が初経験の新米パイロットも、訓練で夜間飛行や着艦訓練を多く行っていたためであり、後年の戦史家には、こう言われている。
「アメリカ海軍航空隊が夜間飛行訓練をもっと遅い時期に始めるか、あるいは限定的な物に留めていれば、航空機の喪失数は更に
大きくなったであろう。また、空母が着艦誘導灯を標準装備していたことも、事故の軽減に繋がった。」
しかし、少ないとは言え、アメリカ機動部隊は戦わずして航空機を失ってしまった。
搭乗員の死者が、不幸中の幸いでゼロであったとしても、縁起の悪い出来事には違いがない。
1日目は敵の及び腰で戦えず、ただ待つだけに終始した。
2日目は敵がどこぞに消えてしまったため、攻撃隊を出しても見つけきれず、挙げ句の果てには着艦事故で艦載機を喪失するという、
まさに骨折り損のくたびれ儲けな展開になってしまった。
そして、3日目を迎えた。
今日もまた、雲隠れした敵を見つけるべく、偵察機が飛び立っていく。
イラストリアスの左舷600メートルの所を航行しているエセックス級空母のゲティスバーグも、イラストリアスと同様に偵察機を発艦させている。
「司令官、偵察機の発艦が終わりました。」
航空参謀のレイオット・マリガン中佐がマッケーンに報告してくる。
「今日こそは、敵を見つけられるといいんだが。」
「今日の索敵範囲は、昨日よりも大きくしてあります。昨日は、敵機動部隊が南方に居ると思い込んで索敵を行ったために、
空振りをするハメになりましたが、TF72司令部の指示通り、西方は勿論、東方にも索敵機を向かわせていますから、必ずや、
見つける事ができるでしょう。」
マリガン中佐は自信に満ちた口ぶりで言った。
この第1段索敵で、TF72は30機のハイライダーを発艦させることになっている。
昨日は、第1段索敵で使用されたハイライダー18機であった事から、TF72がいかに索敵に力を入れているかが伺える。
第2段索敵隊も含めれば、TF72は50機以上のハイライダーを飛ばす事になる。
マッケーンは、眉をひそめながら言う。
「祈るしかありませんな。」
スレッド艦長は、どこか開き直ったような口調でマッケーンに言った。
「祈った所で何もならんでしょうが、こうまでも待機待機が続くと、後は敵さんが見つかってくれと願うしかありますまい。」
「まっ・・・・それもそうだな。」
マッケーンは苦笑しながら言った。艦橋内に、オレンジ色の陽光が差し込んでくる。
ふと、彼はあることに気が付いた。それは、朝日の色合いが妙に違う事である。
朝日の陽光は、見惚れるほど鮮やかなのだが、今日のはいつもと違って陽光の色がより赤みを増しているように思えた。
それを見たマッケーンは、どこか不安げな気持ちになった。
(今日は・・・・本当に始まるかもしれんな。)
午前7時50分 南東130マイル沖
TG72.2のレーダーピケット艦を務める駆逐艦シゴーニーは、機動部隊から東に40マイル離れた海域を航行していた。
駆逐艦シゴーニー艦長、フラウト・デュンセン少佐は、東の上空を双眼鏡で見つめながらCICに連絡を取った。
「こちら艦長、レーダーに反応は無いか?」
「今の所、反応はありません。」
電話口から、ひどく機械的な言葉が返ってきた。
「わかった。引き続き監視を行え。」
デュンセン艦長は、幾度となく繰り返した言葉を言ってから受話器を置いた。
「東の空は・・・・いささか雲が多いな。」
彼は、窓越しに空を見つめながら呟いた。東の空には、所々雲が広がっており、その隙間からは青空が見える。
雲量は5ほどで、偵察機からは仕事のしにくい環境となっている。
「偵察隊の連中は、敵艦隊を見つける事が出来るかな?」
デュンセン艦長は、洋上の敵を探しながら飛んでいる偵察機が急に心配になってきた。
雲量が多ければ多いほど、海は見えにくくなる。
最悪の場合は、雲の下に降りて、2000メートルほどの高さで偵察をしなければいけない時もある。
(事実、偵察機はそうやって敵艦隊を見つけようとしている。)
そうなれば、敵の護衛に捕まる可能性が高くなり、必然的に偵察隊の危険度も増す。
敵側が偵察機の殲滅に力を入れていれば、被害は確実に出るであろう。
(あのハイライダーでさえ、昨日の偵察時には敵ワイバーンに攻撃されて、あわや撃墜、という所まで行ったからな)
デュンセン艦長は内心で思いながら、昨日のとある着艦風景を思い出す。
それは、昨日の午前10時、ちょうど、第1段索敵隊が戻ってきた時であった。
デュンセン艦長は、低空を危なげな動作で飛行する1機のハイライダーを見つけた。
ハイライダーは、シゴーニーの上空を通過して母艦に戻っていったが、彼はこの時、ハイライダーが手傷を負った事に驚いた。
ブリュースター社製の細長い優美な機体は、あちこちに生々しい弾痕を穿たれており、操縦席のガラスは半ば割れていた。
エンジンカウリングからは真っ黒なオイルが流れ出し、エンジン自体からも白煙を曳いていた。
どうやら、敵ワイバーンの光弾は、2000馬力の高出力エンジンを上手い具合に撃ち抜いたようだ。
ともすれば、スクラップヤードに打ち捨てられるポンコツ航空機を思わせるほどの重傷を、ハイライダーは受けていた。
ただ、2名の乗員は無事であったのだろう、死に体の機体とは対照的に、元気な笑みを浮かべながらシゴーニーに手を振っていた。
その後、あのハイライダーがどうなったのかは定かではないが、あの様子ではエンジン部にも相当な重傷を負っている事はほぼ確実と言えた。
海軍の中でも信頼のある高速艦偵として名を馳せているハイライダーでさえ、あのような状態にした剣呑な敵は、TF72に位置を悟られぬまま、
どこかを航行している。
数ある偵察隊のうち、何機かは確実に、死地に赴きつつある。
(せめて、敵の位置が分かれば、味方機動部隊も思い切って戦えるだろうに)
その時、唐突に電話の呼び出しベルがなった。
「こちら艦長。」
「こちらはCICです。艦長、レーダーが飛行物体のエコーを捉えました。」
その言葉に、デュンセン艦長は一瞬、頭の中がカッとなったが、それとは裏腹に、彼は冷静な、自分でも分かるような酷く
機械的な口調で、電話口の相手に尋ねていた。
「飛行物体はどこから飛んできている?数はどれぐらいだ?」
「飛行物体は北東の方角、方位50度の方向を高度4000メートル、時速200マイル(320キロ)で飛行中。
距離は我が艦より130マイル、数は1騎のみです。」
「1騎のみ・・・・・という事は、これは偵察騎だな。」
「そうなりますね。本隊に知らせましょうか?」
「勿論だとも。今すぐに連絡を送ろう。」
デュンセン艦長は快諾し、連絡を本隊・・・TG72.2に送らせた。
それから30分後。
「敵の偵察騎、本艦より距離30マイルまで接近。間もなく視認圏内に捉えられます。」
CICからレーダー員が、落ち着いた口調でデュンセン艦長に報告する。
「OK。上空の戦闘機隊に伝えろ、仕事に取りかかれとな。」
「アイアイサー。」
艦長からの指示を受け取ったレーダー員は、上官であるリンドン・サリバン中尉にその指示を伝えた。
「よし、これから上の連中と連絡を取り合ってみる。」
サリバン中尉はそう言うなり、自分のヘッドホンとマイクを取って連絡を始めた。
「こちらシゴーニー。クォックス聞こえるか?」
「こちらクォックス隊、充分聞こえる。感度良好だ。」
シゴーニーの上空。正確には、シゴーニーとTG72.2の中間地点を飛んでいる戦闘機隊と無線が繋がった。
各任務群の周囲には、常時12機の戦闘機が飛行しており、シゴーニーの上空にはボクサーから発艦した4機のF6Fが飛んでいる。
この小隊には、クォックスというコードネームが付いている。
この戦闘機隊の任務は、ピケットラインに居る駆逐艦の上空援護であり、敵の偵察機や敵編隊が現れれば、彼らは他の戦闘機隊と合流して迎撃に当たる。
「敵の偵察ワイバーンがTG72.2に迫りつつある。君達はマイリーが本艦の上空を通り過ぎるまでに撃ち落として欲しい。
方角は先ほどと全く変わっていない。そのまま行けば、敵の前方上方から接近できる。」
「わかった。俺達は敵さんを退治してくる。異常が見つかったらいつでも言ってくれ。」
「了解。敵さんに海水浴を楽しませてやれ。」
サリバン中尉の指示を受けた4機のF6Fが、やにわに速度を上げ、敵の偵察機に向かっていく。
その様子は、レーダー上にはっきりと映し出されている。
やがて、味方の光点が敵の光点と重なり合った。
「こちらクォックスリーダー。敵ワイバーンを発見した。これより攻撃に移る。」
「了解。一発で仕留めてやれ。」
サリバン中尉は、陽気な口ぶりで言ってから無線機のマイクを切った。
その直後、彼は驚くべき光景を目にした。
「・・・・なんてこった・・・・・!」
レーダー上には、味方戦闘機と敵の偵察ワイバーンが重なり合っている。その後方。
偵察ワイバーンとF6Fの交戦空域から80マイル離れた空域に夥しい光点が現れていた。
その瞬間、サリバン中尉には敵の考えが理解出来た。
(あの偵察ワイバーンは、恐らく、敵攻撃隊の前方警戒用のワイバーンかもしれない。このレーダー上に移る敵攻撃隊は、
随時偵察ワイバーンの位置を確認している。見たところ、敵ワイバーン編隊の数は、50~60騎程度しか居ない。だが、
あのマオンド側が、最初の攻撃を、“たったこれだけの戦力”でしか攻撃をするはずがない。奴らの最初の一撃は、常に
100騎以上の大編隊で行っている。恐らくは、敵は偵察攻撃を行っているのだろう。だとすれば、他の海域に、これと同様か、
少し劣るほどの敵編隊がいる事になる。もし、ここで偵察ワイバーンを撃墜したら・・・・・!)
TF72は、図らずして敵に位置を知らせることになる!
その瞬間、サリバン中尉は無線機のスイッチを入れていた。
「クォックス隊!そのワイバーンを攻撃しては」
彼は、最後まで言葉を発する事が出来なかった。
「ようし!撃墜したぞ!」
彼の気持ちとは正反対な、嫌に明るい声音がCICに響いた。
「・・・・・・・」
サリバン中尉は、思わず絶句してしまった。
本来ならば、よくやった。マイリーは今頃海水浴が出来て嬉しいだろうよ、と。下品な言葉でも発せられていたであろう。
だが、サリバン中尉の今の心境では、そんな言葉なぞ浮かぶ筈もない。
「クォックス隊、今撃墜したワイバーンは、攻撃隊の先導役だ。」
「ん?今何と言った?」
クォックスリーダーの口調ががらりと変わった。
「攻撃隊の先導役・・・・と言ったんだ。レーダーが後方に大編隊を捉えた。大編隊といっても、50~60騎程度の編隊だが、
敵のこれまでの出方からして、これは索敵攻撃だ。つまり、この5、60騎程度の攻撃隊は、他の海域・・・・それも、さほど
「・・・・畜生め・・・・!」
クォックスリーダーの小さな罵声が、ヘッドホンから聞こえた。
「君達が偵察ワイバーンを攻撃している時に、突然レーダーから現れたんだ。最悪のタイミングでな。」
「要するに、運が悪かった訳か。」
「そうだ。」
しばらく、沈黙が両者の間を支配する。やがて、クォックスリーダーが口を開いた。
「敵が向かってくるのならば、なお好都合だ。後から来る仲間と一緒に、敵さんを叩き落とせばいい。来るならいくらでも来い。
6丁のブローニングで七面鳥撃ちだ。」
どうやら、相手は思ったよりも好戦的な性格のようだ。
「その気概なら、大丈夫だ。戦闘機隊が君のようなパワフルな奴らばかりなら、俺達のやる事はないな。」
「ああ。あんたらはコーヒーでも飲みながら、俺達のショーを楽しんでくれよ。」
「OK。そうなるように期待しておくよ。」
最後には、2人とも陽気な口調に戻っていた。
シゴーニーからの敵編隊発見の報告は、すぐさまTG72.2に伝えられ、そこから第7艦隊及び、TF72司令部に伝えられた。
TF72司令部は、敵機動部隊が未だに発見できていない事と、敵の大編隊が迫っている事を考えた末、防御に徹する事を決定。
午前9時になると、各空母から迎撃の戦闘機隊が発艦を開始した。
その一方で、敵ワイバーン編隊は機動部隊に近付きつつある。
TG72.2の護衛に付いている巡洋戦艦コンスティチューションのレーダーには、3つの敵編隊が映っている。
3つの編隊のうち、2つは北や南から、北東側から進んでくる編隊に合流しようとしている。
おそらく、敵は偵察騎の消息が途絶えたことで、この方角にアメリカ機動部隊がいる事を察知したのであろう。
偵察騎の撃墜は、他の海域にも向かっていた敵編隊をも呼び寄せる結果となってしまった。
敵編隊の総数は、150以上はいるであろう。
マオンド軍攻撃隊は、シゴーニーより30マイルの距離に達した所で、他の編隊と合流。
ワイバーンの集団は、最終的には150騎以上の大編隊となって、艦隊との着々と距離を詰めつつあった。
午前9時20分 ピケット駆逐艦シゴーニー上空
空母エンタープライズから発艦した16機のF6Fは、他の母艦から発艦した戦闘機隊と合流し、迫りつつある敵編隊に向かっていた。
エンタープライズ戦闘機中隊の第2小隊を率いるリンゲ・レイノルズ中尉は、ようやく見え始めた敵の大編隊を見て、思わず武者震いをした。
「すごい数だ。マイリーの基地航空隊はまだまだ健在という事か。」
リンゲは感心したように呟いた。
マオンド軍基地航空隊は、先月下旬から始まった陸軍航空隊の空襲や、機動部隊による攻撃で激しく消耗していると言われていたが、
航空戦力にはまだまだ余裕があるのであろう。
そうでなければ、機動部隊に向けて150騎以上の大編隊を差し向けられるはずがない。
「敵は確かに多いですが、こっちも出迎えは多いですぜ。」
2番機のパイロットであるフォレスト・ガラハー少尉が、無線機越しにリンゲに言ってきた。
彼の言葉を耳にしていたのであろう。
「各任務群から4、50機の戦闘機が発艦し、総計で130機以上の迎撃機が敵に向かってます。俺達が一斉に襲い掛れば、
あの敵編隊なぞ目じゃありません。」
マオンド側攻撃隊は、全体の騎数のうち、半数近くか、それ以上を護衛のワイバーンで占めている。
常識からして、目の前の敵編隊は、最低でも60騎。多くて70騎以上の戦闘ワイバーンを要し、残りは爆弾を抱いた、動きの鈍い
攻撃役のワイバーンである。
マオンド側のワイバーンは、戦爆共用の汎用ワイバーンではあるが、爆弾を抱いているときは機動が鈍っている。
そこにヘルキャットやコルセアの大群が襲い掛れば、いかなワイバーンといえども、たまった物ではないだろう。
リンゲは周囲を見渡した。
翼の付け根が折れ曲がっている機体はコルセアで、ずんぐりとした機体はヘルキャットである。
ここ最近は、コルセアを装備する母艦も多くなっており、大西洋艦隊でも、正規空母ではイラストリアスとハンコック、レンジャーⅡが、
軽空母では新鋭のライトがF4Uを装備している。
この迎撃隊でも、コルセアが占める比率は多くなっており、ヘルキャットの数はコルセアより2、30機多いと言ったところである。
迎撃隊の飛行高度は、最下層の集団を形成するロング・アイランド隊が4500メートル。最上層を行くイラストリアス隊が5500メートルである。
それに対して、マオンド側は高度5000メートル付近を幾つもの挺団に別れながら飛行している。
アメリカとマオンド両軍が会敵してから、さほど間を置かぬうちに、戦闘は開始された。
先頭のイラストリアス隊が、翼を翻して500メートル下を行く敵の集団に立ち向かっていく。
それに対して、ワイバーンの先頭集団が航空機の物より遙かに軽快な動作で向きを変え、翼の折れ曲がった凶鳥に向かおうとする。
それがきっかけとなり、他の母艦航空隊も次々と戦闘を開始した。
コルセア、ヘルキャットのプラットアンドホイットニーR2800エンジンが猛々しく唸り、6丁の12.7ミリ機銃が敵に向かって火を噴く。
高速弾の奔流が、一気に数騎のワイバーンを捉える。
ワイバーンの周囲に展開された防御結界は見事に作動し、高速弾は目標を捉える事無く、あらぬ方向に弾き飛ばされていく。
ワイバーンも口から光弾を放ち、コルセア、ヘルキャットを落とそうとする。
1機のヘルキャットが、運悪く操縦席に纏めて複数の光弾を叩き付けられた。
防弾ガラスは、許容限界を遙かに超える衝撃を叩き付けられたため、瞬時に破砕され、光弾がパイロットを無残にも引き裂く。
パイロットが被弾のショックで仰け反り、叩き割られたガラス片がきらきらと空中に舞う。
その直後に、コルセア、ヘルキャット各1機が新たに被弾する。
今度は胴体中央や後部に光弾が突き刺さったが、頑丈な機体は光弾の1発や2発を受けてもかすり傷程度の被害しか与えなかった。
アメリカ軍機の第一撃を終えた先頭のワイバーン隊は、後続の米戦闘機から次々と機銃を撃ちかけられる。
防御魔法は、12.7ミリの高速弾を次々に受け止めるが、耐久力は加速度的に弱まっていき、ついには防御結界が破られた。
猛速で突進してきた12.7ミリ弾が、憎きアメリカ軍機を睨み付ける竜騎士の腹をぶち抜く。
一瞬、腹に受けた強い衝撃に顔色を失ったその竜騎士は、激痛を感じる暇もなく、新たに襲い掛ってきた12.7ミリ弾を浴びて上半身を破砕された。
次いで、ワイバーンにも機銃弾が襲い掛る。
ワイバーンの体は固い鱗で覆われており、通常の剣や弓矢等ではなかなか傷を付けにくい。
しかし、ジュラルミンの装甲板を撃ち抜く目的で作られた12.7ミリ機銃弾には、頑丈な作りの鱗も耐えられなかった。
続けざまに10発以上の機銃弾を全身に受けたワイバーンは、血煙を吹き出しながら海上に向かって墜落していった。
空戦が始まって少しばかり時間が経ってから、リンゲ達がいるエンタープライズ隊は、第2集団を攻撃目標に定め、一目算に突っ込んでいった。
第2集団は30騎ほどのワイバーンで構成されていた。この第2集団に襲い掛ったのは、エンタープライズとボクサーの戦闘機隊である。
32機のコルセア、ヘルキャットは、敵の斜め前方上方から襲い掛った。
第1小隊を直率する“キラー”ケイン中佐が、敵ワイバーン目掛けて12.7ミリ機銃を撃ち放つ。
それに習って、列機も機銃を撃ちかける。
1騎のワイバーンに機銃弾の火箭が集中され、しばし防御結界が機銃弾の嵐を防ぐが、短時間で破られて、竜騎士、ワイバーン共々射殺される。
敵の第2集団は、全てが戦闘機隊に向きを変えていた。
「あの敵編隊には、攻撃ワイバーンはいないのか。」
リンゲはてっきり、攻撃ワイバーンも含まれているだろうと思っていたのだが、敵の第2集団は戦闘ワイバーンのみしかいないようだ。
リンゲは、1騎のワイバーンに狙いを付ける。ケイン中佐の小隊が、敵の第一波とすれ違う。
彼は、第一波の3番騎を狙っていた。距離700に迫ったところで、リンゲは機銃を発射しようとしたが、12.7ミリ機銃が火を噴く
よりも先に、敵3番騎が光弾を放ってきた。
「やるな!」
リンゲは目の前の3番騎にそう言いながら,機銃の発射ボタンを押した。
ドダダダダという音と振動がヘルキャットの機体を揺らし、6条の火箭が敵3番騎を捉える。
敵に機銃弾が命中したと思った直後、機体にガン!という振動が伝わった。
同時に、敵3番騎の右の翼が千切れ飛ぶのが見えた。両者はそのまますれ違ったが、風防ガラスにポタポタッと、数滴の緑色の血が付いた。
リンゲはすかさず、機体に異常がないか確かめたが、敵弾は防御の固い胴体部に命中したようで、何ら異常は認められなかった。
「次だ!」
リンゲは咄嗟に、正面からやって来る新たなワイバーンに狙いを定める。
今度は距離800に縮まった所で機銃を発射する。
6条の火箭が、翼を上下させる敵目掛けて注がれるが、敵ワイバーンは独特の急機動で機銃弾を避けながら、光弾を放ってきた。
しかし、あてずっぽうで放ったためか、光弾は見当外れの所を通過していった。
リンゲは、この敵ワイバーンに何らダメージを与えられぬまま、そのまますれ違った。
一通り、正面攻撃が終わった後は互いの特性を生かした戦いが繰り広げられる。
ワイバーンは、航空機にはなし得ない急激な機動でヘルキャットやコルセアの後ろを取ろうとする。
後ろを取ったワイバーンは、すぐさま無防備な後ろ姿に光弾を放ってくるが、アメリカ軍機は敵が後ろに回ったと思うや、すぐに増速して
光弾の追い撃ちから逃れようとする。
大抵が600キロオーバーの速力を有するアメリカ軍機は、容易に敵ワイバーンを引き離す。
特に650キロの最高速度を有するコルセアは加速力が段違いであり、ワイバーンがやっとの思いで後ろを取ったと思えば、ハイスピードで
逃げられてしまったという事が多々ある。
この時も、そのような傾向は現れており、実際に敵を逃したワイバーンの竜騎士は、相棒の遅さを酷く呪った。
だが、中には運の悪いアメリカ軍機もあり、気付かぬうちに後ろを取られた瞬間、ワイバーンの一撃を食らって叩き落とされてしまう機もある。
一方で、アメリカ軍機は持ち前の高速を利した一撃離脱戦法でワイバーンに立ち向かう。
湾曲したコルセアが上空から襲い掛る姿は、多くのマオンド軍竜騎士達に恐怖心を与えていく。避けるタイミングが遅れた1騎のワイバーンが、
全身に12.7ミリ弾を浴びてずたずたに引き裂かれ、全身血達磨となって洋上に墜落していく。
マオンド側も負けじと、正面に向き合って撃ち合う騎や、急降下をやしるごして、巧みに後ろを取る騎も居る。
そんな中、リンゲの小隊も、荒れ狂う乱戦の巷に飛び込んでいった。
「ガラハー!ウィーブだ!」
「了解!」
リンゲは、2番機であるガラハー少尉にいつもの指示を伝える。
ガラハー機が、リンゲ機より800メートルほど離れた後方に付くと、2機の戦闘機はジグザグに飛行を始めた。
早速、1機のワイバーンが雲から飛び出し、横合いからリンゲ機に襲い掛ってきた。
「隊長!3時方向!」
リンゲは3時方向に目を向ける。
横合いから、ワイバーンが急速に接近しつつある。距離はぱっと見で500か400。あと1、2秒もすれば光弾を放つだろう。
リンゲは機体を左に傾け、旋回降下に映る。その直後、右の翼端を光弾が掠めて飛んでいった。
彼は首を思い切り後ろに向ける。僅かながらだが、視界の片隅で敵ワイバーンが後ろに付くのが見えた。
「ケツに1匹付いたぞ!」
「OK!今片付けます!」
2番機のガラハー少尉は、リンゲにそう言いながら、照準器にワイバーンの後ろ姿を捉える。その瞬間、6丁の12.7ミリ機銃を発射した。
6条の火箭が敵ワイバーンにまつわりつき、血混じりの白煙が、怪異な体のあちこちから吹き出す。
機銃弾にしたたかに浴びたワイバーンは、ぐらりと体を回転させ、空に腹を見せたままの状態で墜落していった。
「隊長!1騎撃墜です!」
「ようし、良い腕だ!」
リンゲはそう言いながら、ガラハーの撃墜数がこれで9になったなと思った。
ガラハー少尉は、これまでに8騎のワイバーンを撃墜し、エースの称号を得ている。
リンゲは17騎を撃墜しているが、この撃墜数は2年間を通して、ようやく得られた物だ。
それに対してガラハー少尉は、リンゲと出会って僅か半年ちょっとで7騎を落とした。
スコアの伸びの早さはリンゲよりも上である。
(この調子で行けば、戦争が終わるまでには俺のスコアを抜くな)
リンゲは、うかうかしてられないなと思う反面、相棒がとても頼もしい事は良い事だとも思った。
「隊長!自分のケツにワイバーンがくっついて来ました!」
「選手交代だな。今行くぞ!」
リンゲは、列機がワイバーンに捕まったと知るや、咄嗟に右旋回をして列機とワイバーンの後方に回ろうとした。
その瞬間、左上方から別のワイバーンが襲い掛ってきた。
「くそ!こっちにも来た!!」
「隊長はその敵機を片付けて下さい!自分はケツに噛みついている奴を片付けます!」
ガラハーからの提案に、リンゲは了解と返したが、内心ではサッチウィーブを崩された事で腹が立っていた。
リンゲは咄嗟に、機を急降下させた。リンゲを狙っていたワイバーンも後を追ってくる。
高度が2500から2300、2300から2100と、急速に下がっていく。
ワイバーンも必死に食い下がるが、なかなか追い付けない。
追い付けないどころか、徐々に引き離されていく。
マオンド側のワイバーンは、速度も580キロほど出せるのだが、急降下性能はヘルキャットの方に分があった。
高度1500まで下がった所で、リンゲは機体を引き起こした。
急激なGがかかり、体がずしりと重くなる感覚があるが、リンゲはそれに耐えながら愛機を操る。
水平飛行に入ったとき、敵ワイバーンはリンゲ機から500メートルほど高い高度を旋回している。
リンゲ機が水平飛行に入ったのを確認したのだろう、急に向きを変えて、距離を詰めてきた。
敵は、急降下性能ではかなわぬと判断し、ヘルキャットが水平飛行に移ってから高度差を利用して一気に襲い掛ろうとしたのだろう。
「そう簡単にやられるかよ!」
リンゲは吠えるように言うと、愛機を上昇させ、敵と真正面から向かい合った。
互いに高速なため、距離はみるみる縮まってくるが、敵のほうが高度は上のため、リンゲ機は必然的に不利な態勢となっている。
彼我の距離が300メートルまで縮まった時、リンゲは12.7ミリ機銃を放った。
同時に、敵ワイバーンも光弾を放つ。
6条の火箭と、1条の光の束がすれ違う。
リンゲは、ワイバーンの周囲に展開された防御魔法が作動するのを見た瞬間、機体にバリバリ!という鉄を引き裂くような音と振動が伝わったのを感じた。
「やられたか!」
リンゲはしまったと思った。もし重要な部位を撃ち抜かれていれば、愛機はたちまち機動力を衰えさせ、敵ワイバーンに撃墜数1を献上する事になる。
だが、リンゲの不安は杞憂に終わった。
ワイバーンの光弾は、ヘルキャットの右主翼に着弾していた。
着弾した光弾は、あわや燃料タンクに達しようとしていたが、間一髪の所で光弾は届かなかった。
互いに決定打を与えられず、両者はすぐにすれ違う。この時、リンゲはワイバーンの竜騎士と目が合った。
一瞬であったが、動体視力に優れていたリンゲは、相手の顔をはっきり見る事が出来た。
装飾の施された薄茶色の飛行服と飛行帽。その隙間からはピンク色の髪がはみ出していた。
風防グラスを付けたその顔は明らかに年若い女のものであり、その緑色の双眸は、リンゲを睨み付けていた。
(ホント、この世界は女の軍人が多いな)
リンゲは内心でそう思いながらも、後ろを振り返った。
微かながら、相手のワイバーンが急な機動に移ろうとしているのが見えた。
咄嗟にリンゲは操縦桿を引き寄せる。
愛機が2000馬力のエンジンを轟々と轟かせながら、鈍重そうな機体とは裏腹な機敏な角度で垂直旋回に移る。
操縦席の真上を、光弾が通り過ぎていくのが見えた。
(危なかったな)
リンゲは、自分の判断が正しかった事に少しばかり満足した。
敵ワイバーンは、通り過ぎた瞬間に急機動を行ってリンゲの後背につき、必殺の一撃を放ってきた。
だが、リンゲは咄嗟に垂直旋回を行ったため、光弾は虚空に飛び去るだけとなった。
相手のワイバーンも、リンゲを落とすべく背後に回ってくる。
リンゲはそれを振り切るため、宙返りを続ける。
海と空がたちどころに入れ替わり、風防ガラスの外で風がビュウビュウと音を立てて鳴る。急激なGで体や頭が無性に重くなる。
リンゲは苦しいのを堪えながら、宙返りを繰り返す度に後方や真上に顔を向ける。
相手側の竜騎士もなかなか強かであり、リンゲ機の後方にピッタリと張り付いてくる。
(このまま行けば、チェックメイトだな)
リンゲは内心、どこか人事のような気分でそう思った。
「たまには・・・・賭けでもやってみるか。」
リンゲはそう呟くと、もう1度垂直旋回をやった後に、水平飛行に入った。
その100メートルも離れていない後方に、敵ワイバーンは占位してきた。リンゲの命運は、竜騎士の判断に委ねられている。
もはや、ここまで。と、普通なら誰でも思うだろう。
だが、リンゲは違った。
「驚くな!」
彼はそう叫びながら、あるボタンを押した。それと同時に、なんと機を急減速させた。
高速で飛行していた愛機が急に減速し、リンゲはその衝撃でガクンと前のめりになった。
急なGに頭痛を催しながらも、リンゲは操縦席に移った光景を見て笑みをこぼした。
そこには、リンゲ機をオーバーシュートした敵ワイバーンがいた。
ほんの一瞬。だが、その一瞬が、敵にとって大きな痛手となった。
「もらった!」
リンゲは機銃の発射ボタンを押した。
両翼の12.7ミリ機銃がリズミカルな音と振動と共に火を噴き、6条の火箭がサーッとシャワーのように注がれる。
敵の追い越し際に発した射撃であるから、大半がそれたが、それでも何発かが命中した。
機銃弾のうちの1発は竜騎士に命中したのだろう、小さな人影が仰け反るのが見えた。
敵ワイバーンは、そのまま墜落するかと思われたが、予想に反してワイバーンは飛行を続けており、慌てふためいたようにリンゲ機から離れていった。
ワイバーンと竜騎士に与えたダメージは、さほど高くはなかったのであろう。
「ふぅ・・・・・賭けに勝ったか。」
リンゲは、安堵した口調で呟くと、車輪の収納ボタンを押した。
彼は、意外に手練れである敵ワイバーンと竜騎士に対して一計を案じた。
それは、こちらが疲労し、水平飛行しか出来ぬと相手に見せかけ、急減速によって敵を機の前方に突出させ、そこを狙い撃つ、というものであった。
オーバーシュートによる敵撃墜は、アメリカ側よりもマオンドやシホールアンル側が多様する手段であるが、リンゲはそれを逆手に取った。
彼は、敵ワイバーンが後方に占位したとき、エンジンの出力を落とすと同時に車輪を出して空気抵抗を増大させ、機速を一気に落とした。
これは、かなり危険な手段であるが、背に腹は代えられなかった。
かくして、リンゲは賭に勝ったのであるが、敵ワイバーンに与えたダメージは思ったよりも低かった。
とはいえ、敵に戦闘を諦めさせただけ事は出来た。
「隊長!やりました!敵を叩き落としてやりました!」
無線機に、ガラハー少尉の声が聞こえてきた。
「おっ、敵を落としたか!」
「ええ。きわどい勝負でしたが、最後は正面攻撃に持って行って、12.7ミリのシャワーを浴びせてやりました。」
「俺の方は敵さんを逃がしちまったよ。とはいえ、ダメージは与えたから、しばらくは戦闘に参加できないだろう。」
「とりあえず、ご無事でなによりです。」
「お前もな。」
リンゲは笑みを浮かべながらガラハーに返事をする。
リンゲ機とガラハー機が合流したのは、それから5分後の事である。
リンゲは、空戦域を見るなり、何かがおかしいと思った。
「隊長・・・・・なんか、いつも以上に激しい空中戦になっていますが。」
「というより、敵の攻撃ワイバーンはどこにいる?」
リンゲとガラハーの目の前には、乱戦を行っている両軍の航空部隊がいる。空戦を行っている事自体は、さほど不思議ではない。
だが・・・・・空戦域には必ずあるはずの物。
編隊を組みながら味方艦隊を目指して飛行を続ける攻撃編隊が全く見つからない。
通常ならば、半数ほどは敵の攻撃ワイバーンが占めているはずなのだが、この空戦域にはそれが見あたらない。
一瞬、リンゲは攻撃編隊を逃してしまったか、と思ったのだが、彼はその思いを打ち消した。
「攻撃編隊が通り過ぎた・・・・・にしては。空戦域がでかすぎるな。」
リンゲはそう呟いたが、この時、彼の脳裏の中にある言葉が浮かんだ。
「いつもなら、数の少ない敵ワイバーンを、味方戦闘機隊が押しているはずなのに。今日に限って押していない・・・・・いや、押すことができない。」
その言葉は、普段言い慣れた言葉であったが、この時に限っては、酷く呪わしい物に思えた。
「敵の戦闘ワイバーンが多すぎる・・・・・いや、戦闘ワイバーン“しか”いない・・・・つまり、この敵大編隊の任務は、
1機でも多くの戦闘機を落とすことだ。」
「要するに、マオンド側はファイターズスイープを仕掛けてきた、という事ですね。」
午前10時30分 第72任務部隊旗艦プリンス・オブ・ウェールズ
「マオンド軍も、我々の戦い方をしっかり見ていた、という事なのだろうな。」
第72任務部隊司令官であるジェームス・サマービル中将は、しぶい顔つきで、参謀長のフランク・バイター少将に言った。
サマービルは、今しがた、バイター参謀長から先の迎撃戦闘における報告を聞き終わった。
午前9時20分 第72任務部隊は、ピケット艦のレーダーで接近しつつある敵大編隊を捉えた。そ
れを迎え撃つため、TF72は各空母群から総計130機の戦闘機を繰り出し、敵攻撃隊の殲滅を行った。
だが、事態は予想していなかった方向に傾いた。
TF72に接近していた150騎以上の敵部隊は、全てが戦闘ワイバーンで編成されており、迎撃戦闘隊を見つけるや、たちまち襲い掛ってきた。
かくして、280機以上の戦闘機やワイバーンが乱舞する大乱闘となり、双方に被撃墜機が続出した。
戦闘は30分で終わったが、アメリカ側はF6F28機、F4U21機を撃墜され、F6F29機とF4U24機が損傷した。
このうち、着艦事故で失われた機や、修理不能機も含めると、全体の喪失数は65機にも上った。
それに対して、戦闘機隊は敵ワイバーン90騎を撃墜したと報告している。
この撃墜報告は、ある程度割引いたほうが良いが、それでも70騎程度のワイバーンを撃墜したことはほぼ確実である。
空戦の結果は、撃墜数が勝るアメリカ側が勝利した事になるが、各任務群とも、予想外の戦闘機大量喪失に頭を抱える事となった。
「こちらのお株を奪われた格好となりましたな。」
「マオンド側もファイターズスイープが有効であると判断したのだろう。現に、機動部隊の使える戦闘機の数は、一気に減ってしまった。
それでもまだ、十分な量の戦闘機を有してはいるが、敵がこれ以降もファイターズスイープを続ければ、我が機動部隊は空の守りを失い
続ける事になる。」
「敵の基地航空隊は、第1波の騎数からしてまだ相当数が温存されている物を思われます。司令官、この際、1個任務群を移動させて、
敵のワイバーン基地を覆滅したほうがよろしいかと。」
「敵機動部隊はどうするのだ?」
バイター少将の提案に、サマービルは眉をひそめながら逆に問うた。
「マオンド機動部隊は、確かに数は我々より少ないが、攻撃目標を自由に選べるのだぞ。もし、ここで敵機動部隊を取り逃がせば、
敵は輸送船団に向かう。その敵に対して、護衛空母部隊が立ち向かってくれるだろうが、彼らに犠牲が出る事は火を見るよりも明らかだ。
おまけに、数が少なくなった所を、基地航空隊と敵機動部隊に襲われたらどうする?それこそ、目も当てられぬ状況になる。悪いが、
その提案は受け入れられないな。」
サマービルはそう言って、バイター少将の提案を退けた。
そこに、通信士官が艦橋に飛び込んできた。
「偵察機より、敵発見の報が入りました!」
その言葉に、司令部要員の誰もが顔に喜色を滲ませる。
「敵機動部隊か?」
「いえ・・・・」
通信参謀が、その士官から紙を受け取る。通信参謀はざっと読んでから、サマービルに顔を向けた。
「マオンド機動部隊か?」
「・・・・残念ながら、発見された艦隊は敵機動部隊ではありません。」
「それを寄越してくれ。」
サマービルはそう言って、手を差し出した。通信参謀から紙を渡されると、サマービルは内容を読んだ。
「我、艦隊より南東、方位135度。距離250マイル地点に、敵戦艦部隊を発見せり。敵は戦艦2ないし3、巡洋艦12ないし13、
駆逐艦多数を伴えり。進路は北、方位340度方向を時速18ノットで航行中、か。こいつはまた、厄介な奴が出てきたな。」
サマービルは苦笑しながら、バイター参謀長に言った。
「これは恐らく、船団攻撃用の艦隊ですな。となると、敵機動部隊も近くに居るはずですが。」
バイター参謀長は一旦言葉を句切り、更に続けようとしたその時、
「ピケット艦より通信!敵大編隊、機動部隊に向けて接近しつつあり!」
新たなる敵編隊発見の報が、艦橋に飛び込んできた。
1484年(1944年)6月26日 午前6時20分 モンメロ沖南90マイル地点
第72任務部隊第1任務群に所属する正規空母イラストリアスは、今日も飛行甲板上から偵察機を発艦させようとしていた。
優美な肢体のS1Aハイライダーが、オレンジ色の朝日を浴びながら、折り畳まれた翼を展長する姿は、天使が大空にはばたく
姿を想像させる。
飛行甲板の中央にまでやって来たそのハイライダーは、機首の2000馬力エンジンを轟々と唸らせ、発艦の指示を待つ。
甲板士官が指示を下すと、ハイライダーはエンジンの出力を上げて、イラストリアスの飛行甲板を滑走。
そのまま甲板の端を過ぎ、大空に舞い上がっていった。
「おはよう艦長。」
発艦作業を見守っていたイラストリアス艦長、ファルク・スレッド大佐は、後ろから群司令であるジョン・マッケーン少将に声を掛けられた。
「おはようございます、司令。」
スレッド艦長は、にこやかな笑みを浮かべてマッケーンに挨拶しながら敬礼する。
彼も笑みを返しながら答礼した。
「よく眠れましたか?」
「まぁ、ぼちぼちといった所かな。睡眠時間は昨日よりも多いから大丈夫だと思う。」
スレッドが尋ねると、マッケーンは苦笑しながら答えた。
「今日も、偵察機の発艦で1日が始まる・・・か。」
マッケーンは、飛行甲板を滑走しようとする2番機を見つめながら言う。
「ああ、まったくだ。」
マッケーンは頷く。
「敵さんは、ここ2日間は消極的な動きばかりしとるからな。」
アメリカ機動部隊から発艦した偵察機が、マオンド側の機動部隊を捕らえたのは2日前の午前8時頃であった。
空母ボクサー所属のS1Aハイライダーが、偶然にもモンメロ沖南方400マイル(640キロ)、スメルヌから南西60マイル
離れた洋上を航行するマオンド機動部隊を発見した。
続く第2索敵隊と、午後1時に発艦した第3索敵隊も敵機動部隊を発見した。
だが、マオンド艦隊は300マイル以上の間隔を開けたまま、北上しようとはしなかった。
第72任務部隊司令部では、敵機動部隊は航続距離範囲内にあるため、今すぐに攻撃隊を送り込んではどうか?という意見が多かったが、
サマービル司令官は首を縦に振らなかった。
マオンド機動部隊は、確かに手の届く所にいる。
だが、その上空には、常時5、60騎。多いときには100騎以上のワイバーンが旋回していた。
それに、第3索敵隊の偵察機のレーダーには、陸地から多数のワイバーン隊が、当直のワイバーン隊と交代する様子が捉えられていた。
サマービル司令官は、敵機動部隊は陸上のワイバーン隊と共同作戦を行える状況にあると確信し、今、無闇に攻撃隊を出せば犠牲が多くなり、
攻撃は不本意な物になると判断し、この日の攻撃を中止した。
翌25日にも、アメリカ側は敵機動部隊を発見したが、敵はより陸地に近い海域を航行しており、上空のワイバーン隊も前日と同様、
多数が警戒に当たっていた。
25日の正午には、TG72.2のリーブス司令から、午後1時にはTG72.3のマレー司令から「直ちに攻撃隊発進の要ありと認む」
という意見具申が送られてきた。
さしものサマービルも、この相次ぐ意見具申には心が折れ、午後2時、全任務群から総計270機の攻撃隊が発艦した。
だが、アメリカ軍はツキに見放されていた。
アメリカ側は、偵察機から知らされた敵の位置と進路から敵の未来位置を割り出し、その海域に攻撃隊を向かわせた。
だが、現場海域に到達しても、攻撃隊は船どころか、ウェーキの一筋すら見つけられなかった。
攻撃隊はしばらく、敵機動部隊を探したのだが、燃料の関係で捜索活動を打ち切り、母艦に帰って行った。
攻撃隊が帰投できた時間は、陽も落ちた午後7時30分であり、各機は厄介な夜間着艦をしなければならなかった。
この夜間着艦で、着艦に失敗する機が続出し、計13機が失われてしまったが、13機の半数以上はTG72.3の搭載機であり、
また、13機という事故喪失数も予想よりも少ない数字であった。
これは、実戦が初経験の新米パイロットも、訓練で夜間飛行や着艦訓練を多く行っていたためであり、後年の戦史家には、こう言われている。
「アメリカ海軍航空隊が夜間飛行訓練をもっと遅い時期に始めるか、あるいは限定的な物に留めていれば、航空機の喪失数は更に
大きくなったであろう。また、空母が着艦誘導灯を標準装備していたことも、事故の軽減に繋がった。」
しかし、少ないとは言え、アメリカ機動部隊は戦わずして航空機を失ってしまった。
搭乗員の死者が、不幸中の幸いでゼロであったとしても、縁起の悪い出来事には違いがない。
1日目は敵の及び腰で戦えず、ただ待つだけに終始した。
2日目は敵がどこぞに消えてしまったため、攻撃隊を出しても見つけきれず、挙げ句の果てには着艦事故で艦載機を喪失するという、
まさに骨折り損のくたびれ儲けな展開になってしまった。
そして、3日目を迎えた。
今日もまた、雲隠れした敵を見つけるべく、偵察機が飛び立っていく。
イラストリアスの左舷600メートルの所を航行しているエセックス級空母のゲティスバーグも、イラストリアスと同様に偵察機を発艦させている。
「司令官、偵察機の発艦が終わりました。」
航空参謀のレイオット・マリガン中佐がマッケーンに報告してくる。
「今日こそは、敵を見つけられるといいんだが。」
「今日の索敵範囲は、昨日よりも大きくしてあります。昨日は、敵機動部隊が南方に居ると思い込んで索敵を行ったために、
空振りをするハメになりましたが、TF72司令部の指示通り、西方は勿論、東方にも索敵機を向かわせていますから、必ずや、
見つける事ができるでしょう。」
マリガン中佐は自信に満ちた口ぶりで言った。
この第1段索敵で、TF72は30機のハイライダーを発艦させることになっている。
昨日は、第1段索敵で使用されたハイライダー18機であった事から、TF72がいかに索敵に力を入れているかが伺える。
第2段索敵隊も含めれば、TF72は50機以上のハイライダーを飛ばす事になる。
マッケーンは、眉をひそめながら言う。
「祈るしかありませんな。」
スレッド艦長は、どこか開き直ったような口調でマッケーンに言った。
「祈った所で何もならんでしょうが、こうまでも待機待機が続くと、後は敵さんが見つかってくれと願うしかありますまい。」
「まっ・・・・それもそうだな。」
マッケーンは苦笑しながら言った。艦橋内に、オレンジ色の陽光が差し込んでくる。
ふと、彼はあることに気が付いた。それは、朝日の色合いが妙に違う事である。
朝日の陽光は、見惚れるほど鮮やかなのだが、今日のはいつもと違って陽光の色がより赤みを増しているように思えた。
それを見たマッケーンは、どこか不安げな気持ちになった。
(今日は・・・・本当に始まるかもしれんな。)
午前7時50分 南東130マイル沖
TG72.2のレーダーピケット艦を務める駆逐艦シゴーニーは、機動部隊から東に40マイル離れた海域を航行していた。
駆逐艦シゴーニー艦長、フラウト・デュンセン少佐は、東の上空を双眼鏡で見つめながらCICに連絡を取った。
「こちら艦長、レーダーに反応は無いか?」
「今の所、反応はありません。」
電話口から、ひどく機械的な言葉が返ってきた。
「わかった。引き続き監視を行え。」
デュンセン艦長は、幾度となく繰り返した言葉を言ってから受話器を置いた。
「東の空は・・・・いささか雲が多いな。」
彼は、窓越しに空を見つめながら呟いた。東の空には、所々雲が広がっており、その隙間からは青空が見える。
雲量は5ほどで、偵察機からは仕事のしにくい環境となっている。
「偵察隊の連中は、敵艦隊を見つける事が出来るかな?」
デュンセン艦長は、洋上の敵を探しながら飛んでいる偵察機が急に心配になってきた。
雲量が多ければ多いほど、海は見えにくくなる。
最悪の場合は、雲の下に降りて、2000メートルほどの高さで偵察をしなければいけない時もある。
(事実、偵察機はそうやって敵艦隊を見つけようとしている。)
そうなれば、敵の護衛に捕まる可能性が高くなり、必然的に偵察隊の危険度も増す。
敵側が偵察機の殲滅に力を入れていれば、被害は確実に出るであろう。
(あのハイライダーでさえ、昨日の偵察時には敵ワイバーンに攻撃されて、あわや撃墜、という所まで行ったからな)
デュンセン艦長は内心で思いながら、昨日のとある着艦風景を思い出す。
それは、昨日の午前10時、ちょうど、第1段索敵隊が戻ってきた時であった。
デュンセン艦長は、低空を危なげな動作で飛行する1機のハイライダーを見つけた。
ハイライダーは、シゴーニーの上空を通過して母艦に戻っていったが、彼はこの時、ハイライダーが手傷を負った事に驚いた。
ブリュースター社製の細長い優美な機体は、あちこちに生々しい弾痕を穿たれており、操縦席のガラスは半ば割れていた。
エンジンカウリングからは真っ黒なオイルが流れ出し、エンジン自体からも白煙を曳いていた。
どうやら、敵ワイバーンの光弾は、2000馬力の高出力エンジンを上手い具合に撃ち抜いたようだ。
ともすれば、スクラップヤードに打ち捨てられるポンコツ航空機を思わせるほどの重傷を、ハイライダーは受けていた。
ただ、2名の乗員は無事であったのだろう、死に体の機体とは対照的に、元気な笑みを浮かべながらシゴーニーに手を振っていた。
その後、あのハイライダーがどうなったのかは定かではないが、あの様子ではエンジン部にも相当な重傷を負っている事はほぼ確実と言えた。
海軍の中でも信頼のある高速艦偵として名を馳せているハイライダーでさえ、あのような状態にした剣呑な敵は、TF72に位置を悟られぬまま、
どこかを航行している。
数ある偵察隊のうち、何機かは確実に、死地に赴きつつある。
(せめて、敵の位置が分かれば、味方機動部隊も思い切って戦えるだろうに)
その時、唐突に電話の呼び出しベルがなった。
「こちら艦長。」
「こちらはCICです。艦長、レーダーが飛行物体のエコーを捉えました。」
その言葉に、デュンセン艦長は一瞬、頭の中がカッとなったが、それとは裏腹に、彼は冷静な、自分でも分かるような酷く
機械的な口調で、電話口の相手に尋ねていた。
「飛行物体はどこから飛んできている?数はどれぐらいだ?」
「飛行物体は北東の方角、方位50度の方向を高度4000メートル、時速200マイル(320キロ)で飛行中。
距離は我が艦より130マイル、数は1騎のみです。」
「1騎のみ・・・・・という事は、これは偵察騎だな。」
「そうなりますね。本隊に知らせましょうか?」
「勿論だとも。今すぐに連絡を送ろう。」
デュンセン艦長は快諾し、連絡を本隊・・・TG72.2に送らせた。
それから30分後。
「敵の偵察騎、本艦より距離30マイルまで接近。間もなく視認圏内に捉えられます。」
CICからレーダー員が、落ち着いた口調でデュンセン艦長に報告する。
「OK。上空の戦闘機隊に伝えろ、仕事に取りかかれとな。」
「アイアイサー。」
艦長からの指示を受け取ったレーダー員は、上官であるリンドン・サリバン中尉にその指示を伝えた。
「よし、これから上の連中と連絡を取り合ってみる。」
サリバン中尉はそう言うなり、自分のヘッドホンとマイクを取って連絡を始めた。
「こちらシゴーニー。クォックス聞こえるか?」
「こちらクォックス隊、充分聞こえる。感度良好だ。」
シゴーニーの上空。正確には、シゴーニーとTG72.2の中間地点を飛んでいる戦闘機隊と無線が繋がった。
各任務群の周囲には、常時12機の戦闘機が飛行しており、シゴーニーの上空にはボクサーから発艦した4機のF6Fが飛んでいる。
この小隊には、クォックスというコードネームが付いている。
この戦闘機隊の任務は、ピケットラインに居る駆逐艦の上空援護であり、敵の偵察機や敵編隊が現れれば、彼らは他の戦闘機隊と合流して迎撃に当たる。
「敵の偵察ワイバーンがTG72.2に迫りつつある。君達はマイリーが本艦の上空を通り過ぎるまでに撃ち落として欲しい。
方角は先ほどと全く変わっていない。そのまま行けば、敵の前方上方から接近できる。」
「わかった。俺達は敵さんを退治してくる。異常が見つかったらいつでも言ってくれ。」
「了解。敵さんに海水浴を楽しませてやれ。」
サリバン中尉の指示を受けた4機のF6Fが、やにわに速度を上げ、敵の偵察機に向かっていく。
その様子は、レーダー上にはっきりと映し出されている。
やがて、味方の光点が敵の光点と重なり合った。
「こちらクォックスリーダー。敵ワイバーンを発見した。これより攻撃に移る。」
「了解。一発で仕留めてやれ。」
サリバン中尉は、陽気な口ぶりで言ってから無線機のマイクを切った。
その直後、彼は驚くべき光景を目にした。
「・・・・なんてこった・・・・・!」
レーダー上には、味方戦闘機と敵の偵察ワイバーンが重なり合っている。その後方。
偵察ワイバーンとF6Fの交戦空域から80マイル離れた空域に夥しい光点が現れていた。
その瞬間、サリバン中尉には敵の考えが理解出来た。
(あの偵察ワイバーンは、恐らく、敵攻撃隊の前方警戒用のワイバーンかもしれない。このレーダー上に移る敵攻撃隊は、
随時偵察ワイバーンの位置を確認している。見たところ、敵ワイバーン編隊の数は、50~60騎程度しか居ない。だが、
あのマオンド側が、最初の攻撃を、“たったこれだけの戦力”でしか攻撃をするはずがない。奴らの最初の一撃は、常に
100騎以上の大編隊で行っている。恐らくは、敵は偵察攻撃を行っているのだろう。だとすれば、他の海域に、これと同様か、
少し劣るほどの敵編隊がいる事になる。もし、ここで偵察ワイバーンを撃墜したら・・・・・!)
TF72は、図らずして敵に位置を知らせることになる!
その瞬間、サリバン中尉は無線機のスイッチを入れていた。
「クォックス隊!そのワイバーンを攻撃しては」
彼は、最後まで言葉を発する事が出来なかった。
「ようし!撃墜したぞ!」
彼の気持ちとは正反対な、嫌に明るい声音がCICに響いた。
「・・・・・・・」
サリバン中尉は、思わず絶句してしまった。
本来ならば、よくやった。マイリーは今頃海水浴が出来て嬉しいだろうよ、と。下品な言葉でも発せられていたであろう。
だが、サリバン中尉の今の心境では、そんな言葉なぞ浮かぶ筈もない。
「クォックス隊、今撃墜したワイバーンは、攻撃隊の先導役だ。」
「ん?今何と言った?」
クォックスリーダーの口調ががらりと変わった。
「攻撃隊の先導役・・・・と言ったんだ。レーダーが後方に大編隊を捉えた。大編隊といっても、50~60騎程度の編隊だが、
敵のこれまでの出方からして、これは索敵攻撃だ。つまり、この5、60騎程度の攻撃隊は、他の海域・・・・それも、さほど
「・・・・畜生め・・・・!」
クォックスリーダーの小さな罵声が、ヘッドホンから聞こえた。
「君達が偵察ワイバーンを攻撃している時に、突然レーダーから現れたんだ。最悪のタイミングでな。」
「要するに、運が悪かった訳か。」
「そうだ。」
しばらく、沈黙が両者の間を支配する。やがて、クォックスリーダーが口を開いた。
「敵が向かってくるのならば、なお好都合だ。後から来る仲間と一緒に、敵さんを叩き落とせばいい。来るならいくらでも来い。
6丁のブローニングで七面鳥撃ちだ。」
どうやら、相手は思ったよりも好戦的な性格のようだ。
「その気概なら、大丈夫だ。戦闘機隊が君のようなパワフルな奴らばかりなら、俺達のやる事はないな。」
「ああ。あんたらはコーヒーでも飲みながら、俺達のショーを楽しんでくれよ。」
「OK。そうなるように期待しておくよ。」
最後には、2人とも陽気な口調に戻っていた。
シゴーニーからの敵編隊発見の報告は、すぐさまTG72.2に伝えられ、そこから第7艦隊及び、TF72司令部に伝えられた。
TF72司令部は、敵機動部隊が未だに発見できていない事と、敵の大編隊が迫っている事を考えた末、防御に徹する事を決定。
午前9時になると、各空母から迎撃の戦闘機隊が発艦を開始した。
その一方で、敵ワイバーン編隊は機動部隊に近付きつつある。
TG72.2の護衛に付いている巡洋戦艦コンスティチューションのレーダーには、3つの敵編隊が映っている。
3つの編隊のうち、2つは北や南から、北東側から進んでくる編隊に合流しようとしている。
おそらく、敵は偵察騎の消息が途絶えたことで、この方角にアメリカ機動部隊がいる事を察知したのであろう。
偵察騎の撃墜は、他の海域にも向かっていた敵編隊をも呼び寄せる結果となってしまった。
敵編隊の総数は、150以上はいるであろう。
マオンド軍攻撃隊は、シゴーニーより30マイルの距離に達した所で、他の編隊と合流。
ワイバーンの集団は、最終的には150騎以上の大編隊となって、艦隊との着々と距離を詰めつつあった。
午前9時20分 ピケット駆逐艦シゴーニー上空
空母エンタープライズから発艦した16機のF6Fは、他の母艦から発艦した戦闘機隊と合流し、迫りつつある敵編隊に向かっていた。
エンタープライズ戦闘機中隊の第2小隊を率いるリンゲ・レイノルズ中尉は、ようやく見え始めた敵の大編隊を見て、思わず武者震いをした。
「すごい数だ。マイリーの基地航空隊はまだまだ健在という事か。」
リンゲは感心したように呟いた。
マオンド軍基地航空隊は、先月下旬から始まった陸軍航空隊の空襲や、機動部隊による攻撃で激しく消耗していると言われていたが、
航空戦力にはまだまだ余裕があるのであろう。
そうでなければ、機動部隊に向けて150騎以上の大編隊を差し向けられるはずがない。
「敵は確かに多いですが、こっちも出迎えは多いですぜ。」
2番機のパイロットであるフォレスト・ガラハー少尉が、無線機越しにリンゲに言ってきた。
彼の言葉を耳にしていたのであろう。
「各任務群から4、50機の戦闘機が発艦し、総計で130機以上の迎撃機が敵に向かってます。俺達が一斉に襲い掛れば、
あの敵編隊なぞ目じゃありません。」
マオンド側攻撃隊は、全体の騎数のうち、半数近くか、それ以上を護衛のワイバーンで占めている。
常識からして、目の前の敵編隊は、最低でも60騎。多くて70騎以上の戦闘ワイバーンを要し、残りは爆弾を抱いた、動きの鈍い
攻撃役のワイバーンである。
マオンド側のワイバーンは、戦爆共用の汎用ワイバーンではあるが、爆弾を抱いているときは機動が鈍っている。
そこにヘルキャットやコルセアの大群が襲い掛れば、いかなワイバーンといえども、たまった物ではないだろう。
リンゲは周囲を見渡した。
翼の付け根が折れ曲がっている機体はコルセアで、ずんぐりとした機体はヘルキャットである。
ここ最近は、コルセアを装備する母艦も多くなっており、大西洋艦隊でも、正規空母ではイラストリアスとハンコック、レンジャーⅡが、
軽空母では新鋭のライトがF4Uを装備している。
この迎撃隊でも、コルセアが占める比率は多くなっており、ヘルキャットの数はコルセアより2、30機多いと言ったところである。
迎撃隊の飛行高度は、最下層の集団を形成するロング・アイランド隊が4500メートル。最上層を行くイラストリアス隊が5500メートルである。
それに対して、マオンド側は高度5000メートル付近を幾つもの挺団に別れながら飛行している。
アメリカとマオンド両軍が会敵してから、さほど間を置かぬうちに、戦闘は開始された。
先頭のイラストリアス隊が、翼を翻して500メートル下を行く敵の集団に立ち向かっていく。
それに対して、ワイバーンの先頭集団が航空機の物より遙かに軽快な動作で向きを変え、翼の折れ曲がった凶鳥に向かおうとする。
それがきっかけとなり、他の母艦航空隊も次々と戦闘を開始した。
コルセア、ヘルキャットのプラットアンドホイットニーR2800エンジンが猛々しく唸り、6丁の12.7ミリ機銃が敵に向かって火を噴く。
高速弾の奔流が、一気に数騎のワイバーンを捉える。
ワイバーンの周囲に展開された防御結界は見事に作動し、高速弾は目標を捉える事無く、あらぬ方向に弾き飛ばされていく。
ワイバーンも口から光弾を放ち、コルセア、ヘルキャットを落とそうとする。
1機のヘルキャットが、運悪く操縦席に纏めて複数の光弾を叩き付けられた。
防弾ガラスは、許容限界を遙かに超える衝撃を叩き付けられたため、瞬時に破砕され、光弾がパイロットを無残にも引き裂く。
パイロットが被弾のショックで仰け反り、叩き割られたガラス片がきらきらと空中に舞う。
その直後に、コルセア、ヘルキャット各1機が新たに被弾する。
今度は胴体中央や後部に光弾が突き刺さったが、頑丈な機体は光弾の1発や2発を受けてもかすり傷程度の被害しか与えなかった。
アメリカ軍機の第一撃を終えた先頭のワイバーン隊は、後続の米戦闘機から次々と機銃を撃ちかけられる。
防御魔法は、12.7ミリの高速弾を次々に受け止めるが、耐久力は加速度的に弱まっていき、ついには防御結界が破られた。
猛速で突進してきた12.7ミリ弾が、憎きアメリカ軍機を睨み付ける竜騎士の腹をぶち抜く。
一瞬、腹に受けた強い衝撃に顔色を失ったその竜騎士は、激痛を感じる暇もなく、新たに襲い掛ってきた12.7ミリ弾を浴びて上半身を破砕された。
次いで、ワイバーンにも機銃弾が襲い掛る。
ワイバーンの体は固い鱗で覆われており、通常の剣や弓矢等ではなかなか傷を付けにくい。
しかし、ジュラルミンの装甲板を撃ち抜く目的で作られた12.7ミリ機銃弾には、頑丈な作りの鱗も耐えられなかった。
続けざまに10発以上の機銃弾を全身に受けたワイバーンは、血煙を吹き出しながら海上に向かって墜落していった。
空戦が始まって少しばかり時間が経ってから、リンゲ達がいるエンタープライズ隊は、第2集団を攻撃目標に定め、一目算に突っ込んでいった。
第2集団は30騎ほどのワイバーンで構成されていた。この第2集団に襲い掛ったのは、エンタープライズとボクサーの戦闘機隊である。
32機のコルセア、ヘルキャットは、敵の斜め前方上方から襲い掛った。
第1小隊を直率する“キラー”ケイン中佐が、敵ワイバーン目掛けて12.7ミリ機銃を撃ち放つ。
それに習って、列機も機銃を撃ちかける。
1騎のワイバーンに機銃弾の火箭が集中され、しばし防御結界が機銃弾の嵐を防ぐが、短時間で破られて、竜騎士、ワイバーン共々射殺される。
敵の第2集団は、全てが戦闘機隊に向きを変えていた。
「あの敵編隊には、攻撃ワイバーンはいないのか。」
リンゲはてっきり、攻撃ワイバーンも含まれているだろうと思っていたのだが、敵の第2集団は戦闘ワイバーンのみしかいないようだ。
リンゲは、1騎のワイバーンに狙いを付ける。ケイン中佐の小隊が、敵の第一波とすれ違う。
彼は、第一波の3番騎を狙っていた。距離700に迫ったところで、リンゲは機銃を発射しようとしたが、12.7ミリ機銃が火を噴く
よりも先に、敵3番騎が光弾を放ってきた。
「やるな!」
リンゲは目の前の3番騎にそう言いながら,機銃の発射ボタンを押した。
ドダダダダという音と振動がヘルキャットの機体を揺らし、6条の火箭が敵3番騎を捉える。
敵に機銃弾が命中したと思った直後、機体にガン!という振動が伝わった。
同時に、敵3番騎の右の翼が千切れ飛ぶのが見えた。両者はそのまますれ違ったが、風防ガラスにポタポタッと、数滴の緑色の血が付いた。
リンゲはすかさず、機体に異常がないか確かめたが、敵弾は防御の固い胴体部に命中したようで、何ら異常は認められなかった。
「次だ!」
リンゲは咄嗟に、正面からやって来る新たなワイバーンに狙いを定める。
今度は距離800に縮まった所で機銃を発射する。
6条の火箭が、翼を上下させる敵目掛けて注がれるが、敵ワイバーンは独特の急機動で機銃弾を避けながら、光弾を放ってきた。
しかし、あてずっぽうで放ったためか、光弾は見当外れの所を通過していった。
リンゲは、この敵ワイバーンに何らダメージを与えられぬまま、そのまますれ違った。
一通り、正面攻撃が終わった後は互いの特性を生かした戦いが繰り広げられる。
ワイバーンは、航空機にはなし得ない急激な機動でヘルキャットやコルセアの後ろを取ろうとする。
後ろを取ったワイバーンは、すぐさま無防備な後ろ姿に光弾を放ってくるが、アメリカ軍機は敵が後ろに回ったと思うや、すぐに増速して
光弾の追い撃ちから逃れようとする。
大抵が600キロオーバーの速力を有するアメリカ軍機は、容易に敵ワイバーンを引き離す。
特に650キロの最高速度を有するコルセアは加速力が段違いであり、ワイバーンがやっとの思いで後ろを取ったと思えば、ハイスピードで
逃げられてしまったという事が多々ある。
この時も、そのような傾向は現れており、実際に敵を逃したワイバーンの竜騎士は、相棒の遅さを酷く呪った。
だが、中には運の悪いアメリカ軍機もあり、気付かぬうちに後ろを取られた瞬間、ワイバーンの一撃を食らって叩き落とされてしまう機もある。
一方で、アメリカ軍機は持ち前の高速を利した一撃離脱戦法でワイバーンに立ち向かう。
湾曲したコルセアが上空から襲い掛る姿は、多くのマオンド軍竜騎士達に恐怖心を与えていく。避けるタイミングが遅れた1騎のワイバーンが、
全身に12.7ミリ弾を浴びてずたずたに引き裂かれ、全身血達磨となって洋上に墜落していく。
マオンド側も負けじと、正面に向き合って撃ち合う騎や、急降下をやしるごして、巧みに後ろを取る騎も居る。
そんな中、リンゲの小隊も、荒れ狂う乱戦の巷に飛び込んでいった。
「ガラハー!ウィーブだ!」
「了解!」
リンゲは、2番機であるガラハー少尉にいつもの指示を伝える。
ガラハー機が、リンゲ機より800メートルほど離れた後方に付くと、2機の戦闘機はジグザグに飛行を始めた。
早速、1機のワイバーンが雲から飛び出し、横合いからリンゲ機に襲い掛ってきた。
「隊長!3時方向!」
リンゲは3時方向に目を向ける。
横合いから、ワイバーンが急速に接近しつつある。距離はぱっと見で500か400。あと1、2秒もすれば光弾を放つだろう。
リンゲは機体を左に傾け、旋回降下に映る。その直後、右の翼端を光弾が掠めて飛んでいった。
彼は首を思い切り後ろに向ける。僅かながらだが、視界の片隅で敵ワイバーンが後ろに付くのが見えた。
「ケツに1匹付いたぞ!」
「OK!今片付けます!」
2番機のガラハー少尉は、リンゲにそう言いながら、照準器にワイバーンの後ろ姿を捉える。その瞬間、6丁の12.7ミリ機銃を発射した。
6条の火箭が敵ワイバーンにまつわりつき、血混じりの白煙が、怪異な体のあちこちから吹き出す。
機銃弾にしたたかに浴びたワイバーンは、ぐらりと体を回転させ、空に腹を見せたままの状態で墜落していった。
「隊長!1騎撃墜です!」
「ようし、良い腕だ!」
リンゲはそう言いながら、ガラハーの撃墜数がこれで9になったなと思った。
ガラハー少尉は、これまでに8騎のワイバーンを撃墜し、エースの称号を得ている。
リンゲは17騎を撃墜しているが、この撃墜数は2年間を通して、ようやく得られた物だ。
それに対してガラハー少尉は、リンゲと出会って僅か半年ちょっとで7騎を落とした。
スコアの伸びの早さはリンゲよりも上である。
(この調子で行けば、戦争が終わるまでには俺のスコアを抜くな)
リンゲは、うかうかしてられないなと思う反面、相棒がとても頼もしい事は良い事だとも思った。
「隊長!自分のケツにワイバーンがくっついて来ました!」
「選手交代だな。今行くぞ!」
リンゲは、列機がワイバーンに捕まったと知るや、咄嗟に右旋回をして列機とワイバーンの後方に回ろうとした。
その瞬間、左上方から別のワイバーンが襲い掛ってきた。
「くそ!こっちにも来た!!」
「隊長はその敵機を片付けて下さい!自分はケツに噛みついている奴を片付けます!」
ガラハーからの提案に、リンゲは了解と返したが、内心ではサッチウィーブを崩された事で腹が立っていた。
リンゲは咄嗟に、機を急降下させた。リンゲを狙っていたワイバーンも後を追ってくる。
高度が2500から2300、2300から2100と、急速に下がっていく。
ワイバーンも必死に食い下がるが、なかなか追い付けない。
追い付けないどころか、徐々に引き離されていく。
マオンド側のワイバーンは、速度も580キロほど出せるのだが、急降下性能はヘルキャットの方に分があった。
高度1500まで下がった所で、リンゲは機体を引き起こした。
急激なGがかかり、体がずしりと重くなる感覚があるが、リンゲはそれに耐えながら愛機を操る。
水平飛行に入ったとき、敵ワイバーンはリンゲ機から500メートルほど高い高度を旋回している。
リンゲ機が水平飛行に入ったのを確認したのだろう、急に向きを変えて、距離を詰めてきた。
敵は、急降下性能ではかなわぬと判断し、ヘルキャットが水平飛行に移ってから高度差を利用して一気に襲い掛ろうとしたのだろう。
「そう簡単にやられるかよ!」
リンゲは吠えるように言うと、愛機を上昇させ、敵と真正面から向かい合った。
互いに高速なため、距離はみるみる縮まってくるが、敵のほうが高度は上のため、リンゲ機は必然的に不利な態勢となっている。
彼我の距離が300メートルまで縮まった時、リンゲは12.7ミリ機銃を放った。
同時に、敵ワイバーンも光弾を放つ。
6条の火箭と、1条の光の束がすれ違う。
リンゲは、ワイバーンの周囲に展開された防御魔法が作動するのを見た瞬間、機体にバリバリ!という鉄を引き裂くような音と振動が伝わったのを感じた。
「やられたか!」
リンゲはしまったと思った。もし重要な部位を撃ち抜かれていれば、愛機はたちまち機動力を衰えさせ、敵ワイバーンに撃墜数1を献上する事になる。
だが、リンゲの不安は杞憂に終わった。
ワイバーンの光弾は、ヘルキャットの右主翼に着弾していた。
着弾した光弾は、あわや燃料タンクに達しようとしていたが、間一髪の所で光弾は届かなかった。
互いに決定打を与えられず、両者はすぐにすれ違う。この時、リンゲはワイバーンの竜騎士と目が合った。
一瞬であったが、動体視力に優れていたリンゲは、相手の顔をはっきり見る事が出来た。
装飾の施された薄茶色の飛行服と飛行帽。その隙間からはピンク色の髪がはみ出していた。
風防グラスを付けたその顔は明らかに年若い女のものであり、その緑色の双眸は、リンゲを睨み付けていた。
(ホント、この世界は女の軍人が多いな)
リンゲは内心でそう思いながらも、後ろを振り返った。
微かながら、相手のワイバーンが急な機動に移ろうとしているのが見えた。
咄嗟にリンゲは操縦桿を引き寄せる。
愛機が2000馬力のエンジンを轟々と轟かせながら、鈍重そうな機体とは裏腹な機敏な角度で垂直旋回に移る。
操縦席の真上を、光弾が通り過ぎていくのが見えた。
(危なかったな)
リンゲは、自分の判断が正しかった事に少しばかり満足した。
敵ワイバーンは、通り過ぎた瞬間に急機動を行ってリンゲの後背につき、必殺の一撃を放ってきた。
だが、リンゲは咄嗟に垂直旋回を行ったため、光弾は虚空に飛び去るだけとなった。
相手のワイバーンも、リンゲを落とすべく背後に回ってくる。
リンゲはそれを振り切るため、宙返りを続ける。
海と空がたちどころに入れ替わり、風防ガラスの外で風がビュウビュウと音を立てて鳴る。急激なGで体や頭が無性に重くなる。
リンゲは苦しいのを堪えながら、宙返りを繰り返す度に後方や真上に顔を向ける。
相手側の竜騎士もなかなか強かであり、リンゲ機の後方にピッタリと張り付いてくる。
(このまま行けば、チェックメイトだな)
リンゲは内心、どこか人事のような気分でそう思った。
「たまには・・・・賭けでもやってみるか。」
リンゲはそう呟くと、もう1度垂直旋回をやった後に、水平飛行に入った。
その100メートルも離れていない後方に、敵ワイバーンは占位してきた。リンゲの命運は、竜騎士の判断に委ねられている。
もはや、ここまで。と、普通なら誰でも思うだろう。
だが、リンゲは違った。
「驚くな!」
彼はそう叫びながら、あるボタンを押した。それと同時に、なんと機を急減速させた。
高速で飛行していた愛機が急に減速し、リンゲはその衝撃でガクンと前のめりになった。
急なGに頭痛を催しながらも、リンゲは操縦席に移った光景を見て笑みをこぼした。
そこには、リンゲ機をオーバーシュートした敵ワイバーンがいた。
ほんの一瞬。だが、その一瞬が、敵にとって大きな痛手となった。
「もらった!」
リンゲは機銃の発射ボタンを押した。
両翼の12.7ミリ機銃がリズミカルな音と振動と共に火を噴き、6条の火箭がサーッとシャワーのように注がれる。
敵の追い越し際に発した射撃であるから、大半がそれたが、それでも何発かが命中した。
機銃弾のうちの1発は竜騎士に命中したのだろう、小さな人影が仰け反るのが見えた。
敵ワイバーンは、そのまま墜落するかと思われたが、予想に反してワイバーンは飛行を続けており、慌てふためいたようにリンゲ機から離れていった。
ワイバーンと竜騎士に与えたダメージは、さほど高くはなかったのであろう。
「ふぅ・・・・・賭けに勝ったか。」
リンゲは、安堵した口調で呟くと、車輪の収納ボタンを押した。
彼は、意外に手練れである敵ワイバーンと竜騎士に対して一計を案じた。
それは、こちらが疲労し、水平飛行しか出来ぬと相手に見せかけ、急減速によって敵を機の前方に突出させ、そこを狙い撃つ、というものであった。
オーバーシュートによる敵撃墜は、アメリカ側よりもマオンドやシホールアンル側が多様する手段であるが、リンゲはそれを逆手に取った。
彼は、敵ワイバーンが後方に占位したとき、エンジンの出力を落とすと同時に車輪を出して空気抵抗を増大させ、機速を一気に落とした。
これは、かなり危険な手段であるが、背に腹は代えられなかった。
かくして、リンゲは賭に勝ったのであるが、敵ワイバーンに与えたダメージは思ったよりも低かった。
とはいえ、敵に戦闘を諦めさせただけ事は出来た。
「隊長!やりました!敵を叩き落としてやりました!」
無線機に、ガラハー少尉の声が聞こえてきた。
「おっ、敵を落としたか!」
「ええ。きわどい勝負でしたが、最後は正面攻撃に持って行って、12.7ミリのシャワーを浴びせてやりました。」
「俺の方は敵さんを逃がしちまったよ。とはいえ、ダメージは与えたから、しばらくは戦闘に参加できないだろう。」
「とりあえず、ご無事でなによりです。」
「お前もな。」
リンゲは笑みを浮かべながらガラハーに返事をする。
リンゲ機とガラハー機が合流したのは、それから5分後の事である。
リンゲは、空戦域を見るなり、何かがおかしいと思った。
「隊長・・・・・なんか、いつも以上に激しい空中戦になっていますが。」
「というより、敵の攻撃ワイバーンはどこにいる?」
リンゲとガラハーの目の前には、乱戦を行っている両軍の航空部隊がいる。空戦を行っている事自体は、さほど不思議ではない。
だが・・・・・空戦域には必ずあるはずの物。
編隊を組みながら味方艦隊を目指して飛行を続ける攻撃編隊が全く見つからない。
通常ならば、半数ほどは敵の攻撃ワイバーンが占めているはずなのだが、この空戦域にはそれが見あたらない。
一瞬、リンゲは攻撃編隊を逃してしまったか、と思ったのだが、彼はその思いを打ち消した。
「攻撃編隊が通り過ぎた・・・・・にしては。空戦域がでかすぎるな。」
リンゲはそう呟いたが、この時、彼の脳裏の中にある言葉が浮かんだ。
「いつもなら、数の少ない敵ワイバーンを、味方戦闘機隊が押しているはずなのに。今日に限って押していない・・・・・いや、押すことができない。」
その言葉は、普段言い慣れた言葉であったが、この時に限っては、酷く呪わしい物に思えた。
「敵の戦闘ワイバーンが多すぎる・・・・・いや、戦闘ワイバーン“しか”いない・・・・つまり、この敵大編隊の任務は、
1機でも多くの戦闘機を落とすことだ。」
「要するに、マオンド側はファイターズスイープを仕掛けてきた、という事ですね。」
午前10時30分 第72任務部隊旗艦プリンス・オブ・ウェールズ
「マオンド軍も、我々の戦い方をしっかり見ていた、という事なのだろうな。」
第72任務部隊司令官であるジェームス・サマービル中将は、しぶい顔つきで、参謀長のフランク・バイター少将に言った。
サマービルは、今しがた、バイター参謀長から先の迎撃戦闘における報告を聞き終わった。
午前9時20分 第72任務部隊は、ピケット艦のレーダーで接近しつつある敵大編隊を捉えた。そ
れを迎え撃つため、TF72は各空母群から総計130機の戦闘機を繰り出し、敵攻撃隊の殲滅を行った。
だが、事態は予想していなかった方向に傾いた。
TF72に接近していた150騎以上の敵部隊は、全てが戦闘ワイバーンで編成されており、迎撃戦闘隊を見つけるや、たちまち襲い掛ってきた。
かくして、280機以上の戦闘機やワイバーンが乱舞する大乱闘となり、双方に被撃墜機が続出した。
戦闘は30分で終わったが、アメリカ側はF6F28機、F4U21機を撃墜され、F6F29機とF4U24機が損傷した。
このうち、着艦事故で失われた機や、修理不能機も含めると、全体の喪失数は65機にも上った。
それに対して、戦闘機隊は敵ワイバーン90騎を撃墜したと報告している。
この撃墜報告は、ある程度割引いたほうが良いが、それでも70騎程度のワイバーンを撃墜したことはほぼ確実である。
空戦の結果は、撃墜数が勝るアメリカ側が勝利した事になるが、各任務群とも、予想外の戦闘機大量喪失に頭を抱える事となった。
「こちらのお株を奪われた格好となりましたな。」
「マオンド側もファイターズスイープが有効であると判断したのだろう。現に、機動部隊の使える戦闘機の数は、一気に減ってしまった。
それでもまだ、十分な量の戦闘機を有してはいるが、敵がこれ以降もファイターズスイープを続ければ、我が機動部隊は空の守りを失い
続ける事になる。」
「敵の基地航空隊は、第1波の騎数からしてまだ相当数が温存されている物を思われます。司令官、この際、1個任務群を移動させて、
敵のワイバーン基地を覆滅したほうがよろしいかと。」
「敵機動部隊はどうするのだ?」
バイター少将の提案に、サマービルは眉をひそめながら逆に問うた。
「マオンド機動部隊は、確かに数は我々より少ないが、攻撃目標を自由に選べるのだぞ。もし、ここで敵機動部隊を取り逃がせば、
敵は輸送船団に向かう。その敵に対して、護衛空母部隊が立ち向かってくれるだろうが、彼らに犠牲が出る事は火を見るよりも明らかだ。
おまけに、数が少なくなった所を、基地航空隊と敵機動部隊に襲われたらどうする?それこそ、目も当てられぬ状況になる。悪いが、
その提案は受け入れられないな。」
サマービルはそう言って、バイター少将の提案を退けた。
そこに、通信士官が艦橋に飛び込んできた。
「偵察機より、敵発見の報が入りました!」
その言葉に、司令部要員の誰もが顔に喜色を滲ませる。
「敵機動部隊か?」
「いえ・・・・」
通信参謀が、その士官から紙を受け取る。通信参謀はざっと読んでから、サマービルに顔を向けた。
「マオンド機動部隊か?」
「・・・・残念ながら、発見された艦隊は敵機動部隊ではありません。」
「それを寄越してくれ。」
サマービルはそう言って、手を差し出した。通信参謀から紙を渡されると、サマービルは内容を読んだ。
「我、艦隊より南東、方位135度。距離250マイル地点に、敵戦艦部隊を発見せり。敵は戦艦2ないし3、巡洋艦12ないし13、
駆逐艦多数を伴えり。進路は北、方位340度方向を時速18ノットで航行中、か。こいつはまた、厄介な奴が出てきたな。」
サマービルは苦笑しながら、バイター参謀長に言った。
「これは恐らく、船団攻撃用の艦隊ですな。となると、敵機動部隊も近くに居るはずですが。」
バイター参謀長は一旦言葉を句切り、更に続けようとしたその時、
「ピケット艦より通信!敵大編隊、機動部隊に向けて接近しつつあり!」
新たなる敵編隊発見の報が、艦橋に飛び込んできた。