第156話 芽生えた不安
1484年(1944年)7月7日 午後3時 ミスリアル王国エスピリットゥ・サント
第3艦隊司令長官であるウィリアム・ハルゼー大将は、やや不機嫌そうな表情を浮かべたまま、ニュージャージーの
作戦室に入った。
「長官、お帰りなさい。」
「お帰りっす。」
作戦室で地図と睨めっこしていた、航空参謀のホレスト・モルン大佐とラウスがハルゼーに挨拶する。
「長官、どうかされたのですか?」
モルン大佐は、ハルゼーが浮かぬ顔つきをしているのに気付き、尋ねた。
「ああ、ちょいとばかり、先の会議で不愉快な出来事があってね。」
「不愉快な出来事?」
モルン大佐が聞き返すと、ハルゼーはため息を吐きながら頷いた。
「インゲルテントの馬鹿野郎が自分勝手な事をぬかしやがったんだ。そのせいで、会議は一時、しらけ気味だったよ。」
この日、エスピリットゥ・サントでは、来る上陸作戦の打ち合わせのため、基地内に設けられた特設会議室で、
各国の作戦参加部隊の司令官を集めた会議が開かれた。
アメリカ側からは、太平洋艦隊司令長官であるチェスター・ニミッツ大将と第3艦隊司令長官であるウィリアム・ハルゼー大将、
陸軍北大陸派遣軍総司令官であるドワイト・アイゼンハワー大将が招かれた。
この他にも、バルランド側はシホールアンル討伐軍司令官であるウォージ・インゲルテント大将、ミスリアル側からは
マルスキ・ラルブレイト大将(43年10月に昇進)、カレアント側からはフェルデス・イードランク中将、レースベルン側は
ホムト・ロッセルト大将、グレンキア側はスルーク・フラトスク中将と、錚々たる人物達が集まった。
議長役は、上陸作戦の際に最大規模の戦力を有する、アメリカ側のアイゼンハワー大将が務めた。
会議は午前9時に始まり、最初は順調な滑り出しであった。
だが、作戦日時の決定事項をアイゼンハワーが伝え、皆に同意を願ったところで、騒動は起きた。
皆がアイゼンハワーの告げた決行日に同意したとき、ただ1人だけ・・・・インゲルテント大将が待ったをかけたのだ。
「アイゼンハワー閣下。それでは遅すぎます。昨年の総反攻の時、敵は我々が進撃した瞬間、砲撃を加えて
来たではありませんか。私の判断からして、先の攻勢時に、敵に不覚を取ったのは、一にも二にも、攻勢
開始時期が遅かったせいであると思われます。今回も、今月下旬に作戦決行と言っておりますが、そんな
悠長に構えていては、敵に防御を充分にやってくださいと言っているような物です!ここは、今月の上旬。
遅くても、15日までには作戦を開始するべきです!」
インゲルテントは、熱の入った口調で皆に言い放った。
「しかしインゲルテント閣下。上陸予定地の浜辺は、この時期は潮の流れが不安定になっていると聞きます。
それに加え、我が軍の部隊は16日までは、全部隊が揃い切りません。この作戦に必要な精鋭部隊も、
12日にならないとホウロナ諸島に辿り着きません。この精鋭部隊は、上陸作戦には欠かせない部隊です。
彼らなしで上陸作戦を行うと、当初予定した通りに事が進みません。」
「潮流ですと?潮流なぞ問題ではありません。それに、精鋭部隊が到着しなくても、我々北大陸派遣軍は、
あなた方からお受けした装備で身を固めた軍がおります。我々だけではありません。ここにおられる将軍各位が
率いる将兵達も、皆が最新鋭の装備が与えられています。火力、機動力共に充実した我々ならば、シホールアンル
軍なぞ、鎧袖一触です!!」
インゲルテントは、自信満々に言い返した。
その顔を、ハルゼーは憎々しげに見つめた。
1942年12月9日。アメリカ合衆国は南大陸に対して、秘密裏に武器援助を行う事を決定した。
当時、アメリカ合衆国軍には、北大陸から逃れてきた多数の志願兵と、南大陸各国から派遣された将兵が居た。
アメリカ側は、これらの将兵に本格的な訓練を積ませると同時に、軍からも数千人規模の軍事顧問団を、南大陸各国に派遣した。
これらの軍事顧問団は、各国の陸軍部隊に本格的な近代訓練を積ませ、最初こそは小さくない躓きもあちこちで出た物の、
訓練を進めていく内に次第に技術を呑み込み始めた。
アメリカ式の訓練は、南大陸連合に加入している全ての国で行われていたが、何も全ての部隊がアメリカ式の訓練を
受けられたわけではない。
米式訓練を施されたのは、各国の軍でも3分の1程度であり、残りは旧来の訓練を続けていた。
1943年9月に決行された11月攻勢作戦では、南大陸各国軍は全て、旧来の訓練を受けた部隊を投入した。
この部隊は、装備が旧式であるにも関わらず、シホールアンル軍相手に奮戦し、一部の部隊・・・・リーレイ・レルス准将
指揮下の第31騎兵旅団や、カレアント軍第103軍所属の第2軍団等は敵を圧倒すらした。
だが、装備の優劣は如何ともしがたく、各軍の損害は、日を重ねるごとに激増していった。
12月には、なんとかシホールアンル軍を追い出した物の、南大陸各国軍は既に気息奄々であり、攻勢開始前には
健在であった軍が、南大陸作戦終了時には半数以下に減っている事も珍しくはなかった。
この間、アメリカ式の訓練を受ける部隊は次第に増え始め、アメリカ本土で訓練に当たっていた派遣将校も次々に帰還し、
部隊の錬成に励んだ。
翌44年1月には、待望のアメリカ製兵器が多数配備され、最初にアメリカ製兵器を受け取ったのは、カレアント陸軍
第1機械化騎兵旅団である。
その後、アメリカ製兵器を使用した訓練も本格的に行われ、6月までにはなんとか使いこなせるまでに上達した。
これらの部隊は6月下旬には輸送船に乗り組み、出発地点であるファスコド島に送られている。
最初は無茶と思われた武器・装備の更新を、傍目から見れば比較的短期間(しかし、通常よりも訓練はかなりハードであり、
死者も出るほどであった)で成功させた南大陸軍各国将兵の闘志には、軍事顧問であるアメリカ軍将兵も驚きを隠せなかった。
インゲルテントは、装備が格段に向上した今の南大陸軍ならば、必ずや、シホールアンルを蹴散らせると確信していた。
そのインゲルテントの言葉に、南大陸各国の将軍達は、誰もが浮かぬ表情を表していた。
「インゲルテント閣下のありがたいお言葉に感謝致します。」
インゲルテントの右隣に座っていた、ミスリアル軍司令官のラルブレイト大将が頭を下げながら言う。
「しかし、現状では、インゲルテント閣下の言われる程の活躍は出来ぬかと思われます。」
「何ぃ?」
インゲルテントの目付きがきつい物に変わる。
「それはどういう事ですか?」
「正直に申しまして、我がミスリアス軍・・・・いや、各国の参加部隊の将兵は、確かに銃器や車輌の扱いには
慣れる事が出来ました。しかし、アメリカ製兵器を実戦で使ったことのない我々では、無茶は出来ぬかと思われます。」
「無茶を出来ぬですと?何を言われるのです!!」
インゲルテントはラルブレイトに噛み付いた。
「相手はあのシホールアンルです!無茶の1つや2つぐらいせねば、シホールアンル軍を破るのは夢のまた夢です!」
「しかし・・・・作戦の要であるアメリカ側の戦力が揃わない場合、予想よりも多い敵戦力が海岸に向かってくる
可能性があります。いや、確実に向かってきます。そうなった場合、まだ不完全な橋頭堡はたちまちのうちに破砕されます。
破砕はされなくても、大損害を被って、内陸への侵攻は大幅に遅れてしまう事すらあり得ます。ここは、万全を期して
作戦に当たるべきでは?」
「いや、現状の戦力でも充分でしょう。我々には、30隻以上の空母を保有する味方がついておるのですぞ?
それに、強力な陸軍機の支援も受けられる。彼らが居る限り、今動いても作戦は成功します!!」
インゲルテントの熱を帯びた演説のお陰で、会議室は白けた雰囲気が流れた。
そんな中、一人だけ笑い声を上げる人物が居た。
「ハッハッハッ!」
その声は、葉巻を吹かしながら話を聞いていたハルゼーであった。
「確かに!確かに俺達は強い!インゲルテント閣下の言われていることは当を得ておりますな!」
ハルゼーは満面の笑みを浮かべながらインゲルテントに言った。
「おお、流石は猛将と謳われているハルゼー閣下。あなたもそう思われておりますでしょう?」
インゲルテントは強い味方を得たとばかりに、ハルゼーに微笑みかけた。
しかし、ハルゼーはインゲルテントの質問に答えなかった。
ハルゼーは、急に顔から笑みを消した。
「とでも言うと思いましたかな?」
「・・・・へ?」
急な言葉に、インゲルテントは思わず、間抜けな言葉を発してしまった。
「お言葉ですが閣下。あなたの考えておられることは、現時点で非現実的すぎます。」
ハルゼーの指摘に、インゲルテントは顔を真っ赤にした。
「な、なんですと!?」
「我々の大将が、今はまずいと言っとるのです。空挺師団はこの作戦に無くてはならぬ存在だ。彼らがいるからこそ、
あの土地への上陸作戦は初めて実行可能になる。私は海軍軍人であり、陸さんの事は思うようにわかりませんが、
この私でも、少しだけは理解できます。それなのに、陸戦の専門家でもあるあなたが、諸々の意見を無視して
作戦を決行せよというのは、少しおかしいではありませんか?」
ハルゼーは言葉を選びながら、穏やかな口ぶりでインゲルテントに言った。
この時、ニミッツは、意外にも温厚なハルゼーにやや驚いていた。
気に入らないことがあればすぐに怒鳴り出す“ブル”ハルゼーが、連合軍内では荒武者と噂されているインゲルテントに
対して、大人しく対応している。
その事が、ニミッツにとっては半ば信じられなかった。
だが、ハルゼーの大人らしい対応も、インゲルテントの罵声によって打ち砕かれた。
「ふざけるな!!貴官は、この私を侮辱するのか!?」
インゲルテントはそう怒鳴りながら、手の平をテーブルに叩き付けた。
それに、さしものハルゼーも本性を表した。
「いえ、そんなつもりじゃありませんよ。」
ハルゼーは灰皿に置いてあった葉巻を口にくわえた。
「私は相手に敬意を表しながら喋ってますぜ。まっ、相手のオツムが小さけりゃ、どんな言葉も侮辱になるんだろうがね。」
インゲルテントは双眸に殺気を滲ませてハルゼーを睨み付けた。
当のハルゼーも、目を細めてインゲルテントの目を見つめ続ける。
2人が睨み合いを続ける間、会議室には険悪な空気が充満しつつあった。
「議論はひとまず、ここで終わりにしましょう。」
そんな空気を払拭したのが、アイゼンハワーの柔和な声であった。
「インゲルテント閣下の言われることは、確かにわかります。相手は、我々でさえ手を焼く屈強なシホールアンル軍です。
彼らがこの大作戦の事を察知するというのも、充分にあり得るでしょう。敵は恐れているはずです。いつ、連合軍の
大上陸部隊が襲ってくるか、と。」
「彼らの恐れは、戦場では闘志に変わります。それも、あらゆる形で。それを不完全にするには、早急なる作戦の開始が
最も効果的です。」
インゲルテントが言うが、アイゼンハワーは首を横に振った。
「申し訳ありませんが、今の時点ではまだ早すぎます。肝心の部隊が、まだ到着していないのですから。しかし、
このままでは、敵が防御を固めてしまうでしょう。」
「では・・・・?」
インゲルテントは、怪訝な表情を浮かべながらアイゼンハワーを見つめる。
アイゼンハワーは答えた。
「ですが、方針に変更はありません。この際、敵に防御を固めて貰いましょう。」
「なっ!?」
アイゼンハワーの答えに、インゲルテントは戸惑いの表情を見せた。
「どうしてです!?上陸軍にいらぬ損耗が出てしまいますぞ!!」
インゲルテントは詰め寄らんばかりの勢いでアイゼンハワーに言った。
「心配は無用です。」
アイゼンハワーは相変わらず、柔和な表情を崩さぬまま、隣のニミッツ大将に目配せする。
それを見たハルゼーは、
(・・・・こりゃあ、どっかで聞いたことがある光景だなぁ)
と、内心でほくそ笑んでいた。
「現在、我が太平洋艦隊には、ハルゼー提督の率いる第3艦隊がおります。第3艦隊は正規空母を主力とする第37、
第38任務部隊を擁しており、この2個任務部隊は高速空母20隻を主力とする大機動部隊です。この他にも、
護衛空母24隻を主力とする護衛部隊もおりますし、ホウロナ諸島の陸軍航空隊もおります。我々は、これらの部隊で
もって、ジャスオ領南部を集中的に叩きます。」
「南部?」
インゲルテントのみならず、南大陸軍各国の将軍も首を傾げた。
上陸地点は、ジャスオ領中西部のエルネイルだ。それなのに、遠く離れた南部地区を何故?
一番最初にアメリカ側の意図に気付いたのは、ラルブレイト大将であった。
ふと、ハルゼーはラルブレイト大将と目があった。
普通の青年と変わらないその美貌には、明らかに感服したような表情が浮かんでいた。
(流石はアメリカらしいですな・・・・と、心の中で呟いてやがるな)
ハルゼーはラルブレイトに、当然さとばかりに、ニヤリと笑う。それにラルブレイトも微笑みで返した。
「中西部には無視できぬ海岸要塞がある。それを放置するのですか?」
「放置はしません。機動部隊の艦載機は勿論、陸軍の爆撃隊にもここを叩いて貰います。ですが、我々は
南部地区をより重点的に叩きます。そして、この南部地区に敵の防衛部隊を集中させます。」
「なるほど、敵に南部に来ると思わせ、他の地区から兵力を抽出させるのですな!」
カレアント軍派遣部隊司令官であるイードランク中将が、頭の犬耳をピクリと動かしながら言った。
「そうです。事前攻撃は、上陸5日前から不定期に、そして大規模に行います。必要とあれば、
戦艦部隊も派遣して艦砲射撃を行わせる事も考えています。」
ニミッツの言葉に、誰もが納得していた。
「このように、我々は南部地区に猛爆を加え、敵の注意を南部に引き付けた上で、作戦を決行いたします。」
「・・・・・・」
インゲルテントは、寂として声が出なかった。
「インゲルテント閣下、どうかされましたか?」
アイゼンハワーは、顔をうつむかせたまま立ち尽くすインゲルテントが心配になり、声をかけた。
「いえ、別に。」
インゲルテントは、冷静な声音でそう返してから、席に着いた。
「アイゼンハワー閣下の作戦案は確かに良い物です。正直、私も感服いたしました。」
インゲルテントはすまなさそうに頭を下げた。
「私の考えは浅はかすぎました。どうやら、私もまだまだのようですな。」
「いえ、必要以上に自分を責め立てる事はありますまい。あなたのおっしゃられた事も、私には痛いほどよく分るのです。
私もあなたも、思っていることは同じだ。兵の被害を軽くしたいばかりに、ここで真剣に話し合っているのです。だから、
ここは熱くならず、冷静に議論を続けましょう。」
「あなたの言われるとおりですな。」
インゲルテントは納得したかのように表情を緩め、深く頷いた。
その後、会議は午後2時まで続けられ、作戦決行は7月23日に決定された。
しかし、会議終了までの間、ハルゼーはインゲルテントの内なる影を、ずっと感じ取っていた。
「と、言う事なのさ。」
ハルゼーは説明を終えるや、側に置いてあったコップの水を一息に飲み干す。
「はぁ、相変わらず、インゲルテントのおっさんは無茶しますねぇ。」
ラウスが呆れたとばかりにため息をついた。
「でも、話が纏まって良かったではありませんか。これで、第3艦隊も心置きなく戦えると言う物です。」
モルン大佐はラウスとは対照的に、やや安堵した表情でハルゼーに言った。
「しかし、インゲルテントの野郎は、どうもうさんくせえなぁ。ラウス、インゲルツェ・・・ああくそ、
さっきから言葉を噛んでしまうな。」
苦々しげに言うハルゼーを見て、モルンとラウスは互いに苦笑しあった。
「インゲルテントは確か、貴族様と繋がりがあったよな。」
「ええ。ていうか、インゲルテントさんも貴族出身ですから、そこら辺の繋がりはもうガッチリといってますよ。」
「もしかしたら、貴族連中に何か言われてるんじゃねえのか?早く上陸してくれよ、とか。」
「さぁ、そこの所は全くわかりませんね。でも、可能性は無いとも言えないっすね。バルランドの貴族にも、
性悪な奴が多いモンですから。」
「とにかく、話はうまく纏まったから良しとするか。最後の辺りは、俺も楽しく発言できたからな。」
ハルゼーは獰猛な笑みを浮かべた。
それを見たモルンとラウスは顔を見合わせた。
((この人、またぞろ派手な文句を言いまくったな))
当たりである。
終盤にシホールアンル海軍の動向について議論したとき、ハルゼーは乱暴な言葉を連発したのである。
言葉の締めにはいつもの如く、
「シホット共の艦隊なぞ、俺の第3艦隊が綺麗さっぱり水葬にしてやるから、安心して上陸作戦に集中してくれ。」
と、声高に言い放っていた。
(とはいえ、インゲルテントのあの嫌な発言には、今も不快な気持ちになるな)
ハルゼーの不快な気分は、会議を終えた今も、心中に残っていた。
彼の内心には、このインゲルテントが、いつか、彼が指揮する第3艦隊にも危険を持ち込まぬか?
という不安が芽生え始めていた。
1484年(1944年)7月11日 ホウロナ諸島ファスコド島南西90マイル沖
アメリカ軍は、来るべき上陸作戦に備えて、本国で空挺部隊の錬成に当たっていた。
作戦参加予定の空挺部隊は、6月下旬までは本国で訓練を行い、6月30日からはサンディエゴから、輸送船に乗って順次出港していった。
この日、ファスコド島の南西、90マイル沖に接近しつつあった10隻の輸送船団も、上陸作戦に参加する空挺部隊を満載していた。
「ふぅ~、船旅にも大分慣れてきたぜ。」
甲板上で、海のそよ風に撫でられていたアールス・ヴィンセンク軍曹は、ぼんやりとした表情を張り付かせたまま呟く。
そんな彼の肩を、誰かが後ろから叩いた。
振り返ったヴィンセンク軍曹は、顔に笑みを浮かべて肩を叩いた同僚に語りかけた。
「よぅ、元気にしてるかい?」
「ええ、なんとかね。」
ヴィンセンク軍曹の後ろには、同僚であるテレス・ビステンデル軍曹がにこやかな笑みを顔に浮かべていた。
顔立ちは端正で、まだ子供のようなあどけなさがあるが、慎重は167センチほどと、女性にしては意外と高い。
髪は短めで、肩まで伸ばしたショートスタイルだ。体のスタイルは胸元がやや大きく、それ以外は至って普通である。
どこにでもいそうな普通の女の子といった様相ではあるが、見る角度によっては見る者の心をくすぐる。
「船旅も、慣れると結構気持ちいいんだねぇ。」
テレスは両肘を手すりに置きながら言う。
「最初は悲惨だったな。みんなが船酔いで苦しんで、あちこちで吐きまくってた。この船の乗員は、あんな状態で
敵と戦えるのかね?と言ってたそうだ。」
「そりゃ仕方ないじゃない。あたし達は船に慣れていなかったんだから。」
テレスはやや顔を膨らませながら、頭を掻いた。
彼女の耳がアールスの視線に移る。その耳は、先端が尖って、全体的にやや長い。
そう言うアールスの耳も、エルフのような尖った形をしている。
「だが、体の調子はもう元通りだ。あとは、俺達、フライディング・ナイトマンズの実力を、シホールアンル野郎に
見せ付けるだけだな。」
彼はそう言うと、肩のワッペンを誇らしげに見つめた。
肩には、彼らの部隊章であるワッペンが縫い付けられている。
そのワッペンは、太めの十字架に夜空を飛ぶ黒ずくめの人物が描かれている。
若葉状の下地は淡い水色で染められ、その上に楕円形状の赤く長い下地の上に、黄色でAIRBORNEと記されていた。
このワッペンこそ、アメリカ陸軍第115空挺旅団。通称、フライディング・ナイトマンズの部隊章である。
アメリカ陸軍には、現在、5つの空挺部隊がある。そのうち、3つの部隊が今回の作戦に加わる。
1つめは、第82空挺師団、オールアメリカンズ。
2つめは、第101空挺師団、スクリーミング・イーグルズ。
最後の3つめが、第115空挺旅団、フライディング・ナイトマンズだ。
第115空挺旅団は、北大陸から逃れてきたレスタン軍の残余で編成されている。
部隊の錬成は1942年12月から、ワシントン州で始まった。
レスタン兵達の訓練はまず、英語の習得から始まり、その次に武器訓練、戦術訓練、空挺効果訓練等が行われた。
第115空挺旅団は、志願兵の数を中心に編成されたが、志願兵は陸軍航空隊にも行ったため、人員は他の空挺部隊よりも少ない。
82師団と101師団は3単位、あるいは4単位(単位とは、部隊主力となる歩兵連隊の事である)編成なのに対し、
115旅団は2単位編成のため、形式上旅団編成という事になった。
全体の人員数は7000人を超えているが、師団編成である82師団や101師団と比べると幾らか見劣りする。
だが、普段から本国解放を強く望む彼らの闘志は、他の部隊と比べてかなり強く、43年10月の演習の際には、
82師団や101師団の対抗部隊を散々に打ち負かしている。
44年以降は各師団の練度や技量も向上したこともあり、各師団対抗の演習でも良い勝負が見られたが、それでも、
115旅団の強さは折り紙付きであった。
ちなみに、115旅団はアメリカ陸軍の中でも最も戦力の少ない部隊として知られているが、それとは別の事由・・・
志願兵に女性が多い事でも知られている。
南大陸やシホールアンル軍に関わらず、この世界の軍隊では女性の従軍比率が少なくなく、前線でも武装した女性兵を
頻繁に見るほどだ。
それは亡命レスタン人にも言えることであり、訓練の際には、女性の扱いに慣れていないアメリカ人将校等は、
大いに手間取ったという。
115旅団でも、全体の3割近くが女性兵であり、女性は後方でお仕事、というのが常識なアメリカ軍にとって、
この部隊は異色であった。
とはいえ、115旅団フライディング・ナイトマンズの将兵は、米軍内でも屈指の精鋭部隊として成長し、今度の大作戦では
82師団や101師団の将兵と共に、攻撃の先鋒を任されるという栄誉を賜った。
115旅団は、82師団と101師団と共に第10空挺軍団を編成しており、この空挺部隊の任務は、上陸直前に敵後方の
要衝に降下し、それを確保。退路、または増援部隊の進撃路を阻む、という物だ。
今度の降下作戦では、他の2個師団もそうだが、元々がヴァンパイア・・・・いわゆる、夜の眷属で構成された115旅団にも
大きな期待が掛けられている。
作戦目標がどこであるかはまだ知らされていないが、レスタン人将兵達は、ようやく、あの屈辱の思いを返す日が来たと、
早くも奮い立っている。
「今度の作戦は、俺達の初めての実戦。厳密に言えば、大半は実戦を経験しているが、新装備、そして、新戦法を使った
作戦は今回が初めてだ。恐らく、厳しい戦いになるだろうな。」
「心配はいらないわ。何しろ、あたし達は夜の戦いが最も得意なんだから。」
テレスはそう言ってからニヤリと笑う。その際、レスタン人のもう1つの特徴である尖った犬歯が少しだけ見えた。
「まっ、お前の言うとおりだな。でも、俺達は最初から、敵に包囲された形で戦闘をする。もし、上陸部隊の来援が遅れ、
食料や弾薬が尽きたら、ちょいとばかし面倒な事になるぜ。」
「心配性ねぇ。」
テレスが目を細めながら言う。
「心配性になるのも仕方ない。俺はともかく、俺の部下達には今後も良い思いをさせたいんだ。」
「あなたって、本当に部下思いなんだから。」
「祖国がシホールアンルに攻められた時から、ずっと一緒になってきた奴らだからな。あいつらに祖国の土を踏ませるまでは、
決して死なせたくない。」
アールスの脳裏に、青天の霹靂とも言うべきあの時の記憶が蘇る。
盛んに沸き立つ悲鳴。業火に包まれる故郷。逃げ惑う人々を蹂躙するシホールアンル軍。
悪夢とも言うべきあの戦争から、早10年が経った。
当時は少年兵であったアールスは、今や仲間と共に新しい戦法を会得し、仇敵シホールアンルと再び相まみえようとしている。
「あんたの言う事は、よく分るわ。あたしも、仲間内じゃ部下思いって言われてるからねぇ。」
「別の意味で、という事もあるだろうが。」
アールスがそう言うと、テレスは顔を膨らませて彼の肩を叩いた。
「失礼ね。」
「ハハハ、いや、悪かった。」
起こるテレスに、アールスは謝った。
「まっ、弾が尽きれば、シホールアンル兵の武器を奪えばいいし、食料が無くなれば相手から徴集すればいいわ。
なんなら、これで手っ取り早く解決してもいいし。」
テレスは自らの尖った犬歯を指さした。
「それを使うのは、よく考えてからやれよ。吸血衝動が大きくなったら、えらい事になるからな。」
「了解です、軍曹殿。」
テレスは茶目っ気に満ちた表情で、アースルにそう言った。
「そういや、出港前に聞いた話なんだが、101師団506連隊のE中隊は知ってるよな?」
「知ってるよ。兵員の練度は師団の中でも最優秀だったけど、実戦を想定した訓練ではてんで駄目だった部隊でしょ?」
「ああ、そうだ。その中隊の指揮官が、何でも出港5日前に解任されて、左遷されたようだ。」
「へぇ~、何でまた?」
「101師団の奴から聞いた話だと、指揮官が実戦に弱いタイプで、地図がなかなか読めなかったそうだ。それで、
E中隊は訳の分らん所をぐるぐる回ったり、待機しても良いのにいきなり動いて、対抗部隊の待ち伏せにあったりしたらしい。
俺はこれを聞いて、やっぱりなと思ったよ。去年の10月の演習を見れば分るだろ?」
「そういえば、あの人達、何でこんな所をウロウロしてるんだろう?とは思ったけど、原因は指揮官にあったのね。」
テレスは自らの記憶をまさぐりながら、昨年の10月の演習を思い出す。
彼女の部隊は、アースル軍曹と共に101師団の対抗部隊と戦った。その日は夜間訓練であり、彼らは持ち前の能力と、
訓練によって洗練された戦術を用いて、対抗部隊を散々に打ち負かした。
その時の部隊が、あのE中隊であった。
「指揮官がまずい奴だと、部隊全体も危うくなる、という典型だな。」
「で、E中隊は新しい中隊長に代わったわけね。」
「ああ。前の中隊長より数段優秀とか言われてるらしい。でも、あの中隊は副隊長は勿論、下士官連中もしっかりして
いるからな。新しい中隊長が来た今では、ようやく本来の力を発揮できると思っているかもしれん。」
「重荷が取れて、身が軽くなった、という事ね。」
テレスの言葉に、アールスは思わず吹き出した。
「当たりだな。まっそれはともかく、俺達は俺達で、しっかり任務を果たさないとな。」
アースルは、自分に言い聞かせるようにそう言いはなった。
彼の脳裏には、早くも次の大作戦でシホールアンル軍相手に勇戦する自分達の姿が浮かび上がっていた。
1484年(1944年)7月7日 午後3時 ミスリアル王国エスピリットゥ・サント
第3艦隊司令長官であるウィリアム・ハルゼー大将は、やや不機嫌そうな表情を浮かべたまま、ニュージャージーの
作戦室に入った。
「長官、お帰りなさい。」
「お帰りっす。」
作戦室で地図と睨めっこしていた、航空参謀のホレスト・モルン大佐とラウスがハルゼーに挨拶する。
「長官、どうかされたのですか?」
モルン大佐は、ハルゼーが浮かぬ顔つきをしているのに気付き、尋ねた。
「ああ、ちょいとばかり、先の会議で不愉快な出来事があってね。」
「不愉快な出来事?」
モルン大佐が聞き返すと、ハルゼーはため息を吐きながら頷いた。
「インゲルテントの馬鹿野郎が自分勝手な事をぬかしやがったんだ。そのせいで、会議は一時、しらけ気味だったよ。」
この日、エスピリットゥ・サントでは、来る上陸作戦の打ち合わせのため、基地内に設けられた特設会議室で、
各国の作戦参加部隊の司令官を集めた会議が開かれた。
アメリカ側からは、太平洋艦隊司令長官であるチェスター・ニミッツ大将と第3艦隊司令長官であるウィリアム・ハルゼー大将、
陸軍北大陸派遣軍総司令官であるドワイト・アイゼンハワー大将が招かれた。
この他にも、バルランド側はシホールアンル討伐軍司令官であるウォージ・インゲルテント大将、ミスリアル側からは
マルスキ・ラルブレイト大将(43年10月に昇進)、カレアント側からはフェルデス・イードランク中将、レースベルン側は
ホムト・ロッセルト大将、グレンキア側はスルーク・フラトスク中将と、錚々たる人物達が集まった。
議長役は、上陸作戦の際に最大規模の戦力を有する、アメリカ側のアイゼンハワー大将が務めた。
会議は午前9時に始まり、最初は順調な滑り出しであった。
だが、作戦日時の決定事項をアイゼンハワーが伝え、皆に同意を願ったところで、騒動は起きた。
皆がアイゼンハワーの告げた決行日に同意したとき、ただ1人だけ・・・・インゲルテント大将が待ったをかけたのだ。
「アイゼンハワー閣下。それでは遅すぎます。昨年の総反攻の時、敵は我々が進撃した瞬間、砲撃を加えて
来たではありませんか。私の判断からして、先の攻勢時に、敵に不覚を取ったのは、一にも二にも、攻勢
開始時期が遅かったせいであると思われます。今回も、今月下旬に作戦決行と言っておりますが、そんな
悠長に構えていては、敵に防御を充分にやってくださいと言っているような物です!ここは、今月の上旬。
遅くても、15日までには作戦を開始するべきです!」
インゲルテントは、熱の入った口調で皆に言い放った。
「しかしインゲルテント閣下。上陸予定地の浜辺は、この時期は潮の流れが不安定になっていると聞きます。
それに加え、我が軍の部隊は16日までは、全部隊が揃い切りません。この作戦に必要な精鋭部隊も、
12日にならないとホウロナ諸島に辿り着きません。この精鋭部隊は、上陸作戦には欠かせない部隊です。
彼らなしで上陸作戦を行うと、当初予定した通りに事が進みません。」
「潮流ですと?潮流なぞ問題ではありません。それに、精鋭部隊が到着しなくても、我々北大陸派遣軍は、
あなた方からお受けした装備で身を固めた軍がおります。我々だけではありません。ここにおられる将軍各位が
率いる将兵達も、皆が最新鋭の装備が与えられています。火力、機動力共に充実した我々ならば、シホールアンル
軍なぞ、鎧袖一触です!!」
インゲルテントは、自信満々に言い返した。
その顔を、ハルゼーは憎々しげに見つめた。
1942年12月9日。アメリカ合衆国は南大陸に対して、秘密裏に武器援助を行う事を決定した。
当時、アメリカ合衆国軍には、北大陸から逃れてきた多数の志願兵と、南大陸各国から派遣された将兵が居た。
アメリカ側は、これらの将兵に本格的な訓練を積ませると同時に、軍からも数千人規模の軍事顧問団を、南大陸各国に派遣した。
これらの軍事顧問団は、各国の陸軍部隊に本格的な近代訓練を積ませ、最初こそは小さくない躓きもあちこちで出た物の、
訓練を進めていく内に次第に技術を呑み込み始めた。
アメリカ式の訓練は、南大陸連合に加入している全ての国で行われていたが、何も全ての部隊がアメリカ式の訓練を
受けられたわけではない。
米式訓練を施されたのは、各国の軍でも3分の1程度であり、残りは旧来の訓練を続けていた。
1943年9月に決行された11月攻勢作戦では、南大陸各国軍は全て、旧来の訓練を受けた部隊を投入した。
この部隊は、装備が旧式であるにも関わらず、シホールアンル軍相手に奮戦し、一部の部隊・・・・リーレイ・レルス准将
指揮下の第31騎兵旅団や、カレアント軍第103軍所属の第2軍団等は敵を圧倒すらした。
だが、装備の優劣は如何ともしがたく、各軍の損害は、日を重ねるごとに激増していった。
12月には、なんとかシホールアンル軍を追い出した物の、南大陸各国軍は既に気息奄々であり、攻勢開始前には
健在であった軍が、南大陸作戦終了時には半数以下に減っている事も珍しくはなかった。
この間、アメリカ式の訓練を受ける部隊は次第に増え始め、アメリカ本土で訓練に当たっていた派遣将校も次々に帰還し、
部隊の錬成に励んだ。
翌44年1月には、待望のアメリカ製兵器が多数配備され、最初にアメリカ製兵器を受け取ったのは、カレアント陸軍
第1機械化騎兵旅団である。
その後、アメリカ製兵器を使用した訓練も本格的に行われ、6月までにはなんとか使いこなせるまでに上達した。
これらの部隊は6月下旬には輸送船に乗り組み、出発地点であるファスコド島に送られている。
最初は無茶と思われた武器・装備の更新を、傍目から見れば比較的短期間(しかし、通常よりも訓練はかなりハードであり、
死者も出るほどであった)で成功させた南大陸軍各国将兵の闘志には、軍事顧問であるアメリカ軍将兵も驚きを隠せなかった。
インゲルテントは、装備が格段に向上した今の南大陸軍ならば、必ずや、シホールアンルを蹴散らせると確信していた。
そのインゲルテントの言葉に、南大陸各国の将軍達は、誰もが浮かぬ表情を表していた。
「インゲルテント閣下のありがたいお言葉に感謝致します。」
インゲルテントの右隣に座っていた、ミスリアル軍司令官のラルブレイト大将が頭を下げながら言う。
「しかし、現状では、インゲルテント閣下の言われる程の活躍は出来ぬかと思われます。」
「何ぃ?」
インゲルテントの目付きがきつい物に変わる。
「それはどういう事ですか?」
「正直に申しまして、我がミスリアス軍・・・・いや、各国の参加部隊の将兵は、確かに銃器や車輌の扱いには
慣れる事が出来ました。しかし、アメリカ製兵器を実戦で使ったことのない我々では、無茶は出来ぬかと思われます。」
「無茶を出来ぬですと?何を言われるのです!!」
インゲルテントはラルブレイトに噛み付いた。
「相手はあのシホールアンルです!無茶の1つや2つぐらいせねば、シホールアンル軍を破るのは夢のまた夢です!」
「しかし・・・・作戦の要であるアメリカ側の戦力が揃わない場合、予想よりも多い敵戦力が海岸に向かってくる
可能性があります。いや、確実に向かってきます。そうなった場合、まだ不完全な橋頭堡はたちまちのうちに破砕されます。
破砕はされなくても、大損害を被って、内陸への侵攻は大幅に遅れてしまう事すらあり得ます。ここは、万全を期して
作戦に当たるべきでは?」
「いや、現状の戦力でも充分でしょう。我々には、30隻以上の空母を保有する味方がついておるのですぞ?
それに、強力な陸軍機の支援も受けられる。彼らが居る限り、今動いても作戦は成功します!!」
インゲルテントの熱を帯びた演説のお陰で、会議室は白けた雰囲気が流れた。
そんな中、一人だけ笑い声を上げる人物が居た。
「ハッハッハッ!」
その声は、葉巻を吹かしながら話を聞いていたハルゼーであった。
「確かに!確かに俺達は強い!インゲルテント閣下の言われていることは当を得ておりますな!」
ハルゼーは満面の笑みを浮かべながらインゲルテントに言った。
「おお、流石は猛将と謳われているハルゼー閣下。あなたもそう思われておりますでしょう?」
インゲルテントは強い味方を得たとばかりに、ハルゼーに微笑みかけた。
しかし、ハルゼーはインゲルテントの質問に答えなかった。
ハルゼーは、急に顔から笑みを消した。
「とでも言うと思いましたかな?」
「・・・・へ?」
急な言葉に、インゲルテントは思わず、間抜けな言葉を発してしまった。
「お言葉ですが閣下。あなたの考えておられることは、現時点で非現実的すぎます。」
ハルゼーの指摘に、インゲルテントは顔を真っ赤にした。
「な、なんですと!?」
「我々の大将が、今はまずいと言っとるのです。空挺師団はこの作戦に無くてはならぬ存在だ。彼らがいるからこそ、
あの土地への上陸作戦は初めて実行可能になる。私は海軍軍人であり、陸さんの事は思うようにわかりませんが、
この私でも、少しだけは理解できます。それなのに、陸戦の専門家でもあるあなたが、諸々の意見を無視して
作戦を決行せよというのは、少しおかしいではありませんか?」
ハルゼーは言葉を選びながら、穏やかな口ぶりでインゲルテントに言った。
この時、ニミッツは、意外にも温厚なハルゼーにやや驚いていた。
気に入らないことがあればすぐに怒鳴り出す“ブル”ハルゼーが、連合軍内では荒武者と噂されているインゲルテントに
対して、大人しく対応している。
その事が、ニミッツにとっては半ば信じられなかった。
だが、ハルゼーの大人らしい対応も、インゲルテントの罵声によって打ち砕かれた。
「ふざけるな!!貴官は、この私を侮辱するのか!?」
インゲルテントはそう怒鳴りながら、手の平をテーブルに叩き付けた。
それに、さしものハルゼーも本性を表した。
「いえ、そんなつもりじゃありませんよ。」
ハルゼーは灰皿に置いてあった葉巻を口にくわえた。
「私は相手に敬意を表しながら喋ってますぜ。まっ、相手のオツムが小さけりゃ、どんな言葉も侮辱になるんだろうがね。」
インゲルテントは双眸に殺気を滲ませてハルゼーを睨み付けた。
当のハルゼーも、目を細めてインゲルテントの目を見つめ続ける。
2人が睨み合いを続ける間、会議室には険悪な空気が充満しつつあった。
「議論はひとまず、ここで終わりにしましょう。」
そんな空気を払拭したのが、アイゼンハワーの柔和な声であった。
「インゲルテント閣下の言われることは、確かにわかります。相手は、我々でさえ手を焼く屈強なシホールアンル軍です。
彼らがこの大作戦の事を察知するというのも、充分にあり得るでしょう。敵は恐れているはずです。いつ、連合軍の
大上陸部隊が襲ってくるか、と。」
「彼らの恐れは、戦場では闘志に変わります。それも、あらゆる形で。それを不完全にするには、早急なる作戦の開始が
最も効果的です。」
インゲルテントが言うが、アイゼンハワーは首を横に振った。
「申し訳ありませんが、今の時点ではまだ早すぎます。肝心の部隊が、まだ到着していないのですから。しかし、
このままでは、敵が防御を固めてしまうでしょう。」
「では・・・・?」
インゲルテントは、怪訝な表情を浮かべながらアイゼンハワーを見つめる。
アイゼンハワーは答えた。
「ですが、方針に変更はありません。この際、敵に防御を固めて貰いましょう。」
「なっ!?」
アイゼンハワーの答えに、インゲルテントは戸惑いの表情を見せた。
「どうしてです!?上陸軍にいらぬ損耗が出てしまいますぞ!!」
インゲルテントは詰め寄らんばかりの勢いでアイゼンハワーに言った。
「心配は無用です。」
アイゼンハワーは相変わらず、柔和な表情を崩さぬまま、隣のニミッツ大将に目配せする。
それを見たハルゼーは、
(・・・・こりゃあ、どっかで聞いたことがある光景だなぁ)
と、内心でほくそ笑んでいた。
「現在、我が太平洋艦隊には、ハルゼー提督の率いる第3艦隊がおります。第3艦隊は正規空母を主力とする第37、
第38任務部隊を擁しており、この2個任務部隊は高速空母20隻を主力とする大機動部隊です。この他にも、
護衛空母24隻を主力とする護衛部隊もおりますし、ホウロナ諸島の陸軍航空隊もおります。我々は、これらの部隊で
もって、ジャスオ領南部を集中的に叩きます。」
「南部?」
インゲルテントのみならず、南大陸軍各国の将軍も首を傾げた。
上陸地点は、ジャスオ領中西部のエルネイルだ。それなのに、遠く離れた南部地区を何故?
一番最初にアメリカ側の意図に気付いたのは、ラルブレイト大将であった。
ふと、ハルゼーはラルブレイト大将と目があった。
普通の青年と変わらないその美貌には、明らかに感服したような表情が浮かんでいた。
(流石はアメリカらしいですな・・・・と、心の中で呟いてやがるな)
ハルゼーはラルブレイトに、当然さとばかりに、ニヤリと笑う。それにラルブレイトも微笑みで返した。
「中西部には無視できぬ海岸要塞がある。それを放置するのですか?」
「放置はしません。機動部隊の艦載機は勿論、陸軍の爆撃隊にもここを叩いて貰います。ですが、我々は
南部地区をより重点的に叩きます。そして、この南部地区に敵の防衛部隊を集中させます。」
「なるほど、敵に南部に来ると思わせ、他の地区から兵力を抽出させるのですな!」
カレアント軍派遣部隊司令官であるイードランク中将が、頭の犬耳をピクリと動かしながら言った。
「そうです。事前攻撃は、上陸5日前から不定期に、そして大規模に行います。必要とあれば、
戦艦部隊も派遣して艦砲射撃を行わせる事も考えています。」
ニミッツの言葉に、誰もが納得していた。
「このように、我々は南部地区に猛爆を加え、敵の注意を南部に引き付けた上で、作戦を決行いたします。」
「・・・・・・」
インゲルテントは、寂として声が出なかった。
「インゲルテント閣下、どうかされましたか?」
アイゼンハワーは、顔をうつむかせたまま立ち尽くすインゲルテントが心配になり、声をかけた。
「いえ、別に。」
インゲルテントは、冷静な声音でそう返してから、席に着いた。
「アイゼンハワー閣下の作戦案は確かに良い物です。正直、私も感服いたしました。」
インゲルテントはすまなさそうに頭を下げた。
「私の考えは浅はかすぎました。どうやら、私もまだまだのようですな。」
「いえ、必要以上に自分を責め立てる事はありますまい。あなたのおっしゃられた事も、私には痛いほどよく分るのです。
私もあなたも、思っていることは同じだ。兵の被害を軽くしたいばかりに、ここで真剣に話し合っているのです。だから、
ここは熱くならず、冷静に議論を続けましょう。」
「あなたの言われるとおりですな。」
インゲルテントは納得したかのように表情を緩め、深く頷いた。
その後、会議は午後2時まで続けられ、作戦決行は7月23日に決定された。
しかし、会議終了までの間、ハルゼーはインゲルテントの内なる影を、ずっと感じ取っていた。
「と、言う事なのさ。」
ハルゼーは説明を終えるや、側に置いてあったコップの水を一息に飲み干す。
「はぁ、相変わらず、インゲルテントのおっさんは無茶しますねぇ。」
ラウスが呆れたとばかりにため息をついた。
「でも、話が纏まって良かったではありませんか。これで、第3艦隊も心置きなく戦えると言う物です。」
モルン大佐はラウスとは対照的に、やや安堵した表情でハルゼーに言った。
「しかし、インゲルテントの野郎は、どうもうさんくせえなぁ。ラウス、インゲルツェ・・・ああくそ、
さっきから言葉を噛んでしまうな。」
苦々しげに言うハルゼーを見て、モルンとラウスは互いに苦笑しあった。
「インゲルテントは確か、貴族様と繋がりがあったよな。」
「ええ。ていうか、インゲルテントさんも貴族出身ですから、そこら辺の繋がりはもうガッチリといってますよ。」
「もしかしたら、貴族連中に何か言われてるんじゃねえのか?早く上陸してくれよ、とか。」
「さぁ、そこの所は全くわかりませんね。でも、可能性は無いとも言えないっすね。バルランドの貴族にも、
性悪な奴が多いモンですから。」
「とにかく、話はうまく纏まったから良しとするか。最後の辺りは、俺も楽しく発言できたからな。」
ハルゼーは獰猛な笑みを浮かべた。
それを見たモルンとラウスは顔を見合わせた。
((この人、またぞろ派手な文句を言いまくったな))
当たりである。
終盤にシホールアンル海軍の動向について議論したとき、ハルゼーは乱暴な言葉を連発したのである。
言葉の締めにはいつもの如く、
「シホット共の艦隊なぞ、俺の第3艦隊が綺麗さっぱり水葬にしてやるから、安心して上陸作戦に集中してくれ。」
と、声高に言い放っていた。
(とはいえ、インゲルテントのあの嫌な発言には、今も不快な気持ちになるな)
ハルゼーの不快な気分は、会議を終えた今も、心中に残っていた。
彼の内心には、このインゲルテントが、いつか、彼が指揮する第3艦隊にも危険を持ち込まぬか?
という不安が芽生え始めていた。
1484年(1944年)7月11日 ホウロナ諸島ファスコド島南西90マイル沖
アメリカ軍は、来るべき上陸作戦に備えて、本国で空挺部隊の錬成に当たっていた。
作戦参加予定の空挺部隊は、6月下旬までは本国で訓練を行い、6月30日からはサンディエゴから、輸送船に乗って順次出港していった。
この日、ファスコド島の南西、90マイル沖に接近しつつあった10隻の輸送船団も、上陸作戦に参加する空挺部隊を満載していた。
「ふぅ~、船旅にも大分慣れてきたぜ。」
甲板上で、海のそよ風に撫でられていたアールス・ヴィンセンク軍曹は、ぼんやりとした表情を張り付かせたまま呟く。
そんな彼の肩を、誰かが後ろから叩いた。
振り返ったヴィンセンク軍曹は、顔に笑みを浮かべて肩を叩いた同僚に語りかけた。
「よぅ、元気にしてるかい?」
「ええ、なんとかね。」
ヴィンセンク軍曹の後ろには、同僚であるテレス・ビステンデル軍曹がにこやかな笑みを顔に浮かべていた。
顔立ちは端正で、まだ子供のようなあどけなさがあるが、慎重は167センチほどと、女性にしては意外と高い。
髪は短めで、肩まで伸ばしたショートスタイルだ。体のスタイルは胸元がやや大きく、それ以外は至って普通である。
どこにでもいそうな普通の女の子といった様相ではあるが、見る角度によっては見る者の心をくすぐる。
「船旅も、慣れると結構気持ちいいんだねぇ。」
テレスは両肘を手すりに置きながら言う。
「最初は悲惨だったな。みんなが船酔いで苦しんで、あちこちで吐きまくってた。この船の乗員は、あんな状態で
敵と戦えるのかね?と言ってたそうだ。」
「そりゃ仕方ないじゃない。あたし達は船に慣れていなかったんだから。」
テレスはやや顔を膨らませながら、頭を掻いた。
彼女の耳がアールスの視線に移る。その耳は、先端が尖って、全体的にやや長い。
そう言うアールスの耳も、エルフのような尖った形をしている。
「だが、体の調子はもう元通りだ。あとは、俺達、フライディング・ナイトマンズの実力を、シホールアンル野郎に
見せ付けるだけだな。」
彼はそう言うと、肩のワッペンを誇らしげに見つめた。
肩には、彼らの部隊章であるワッペンが縫い付けられている。
そのワッペンは、太めの十字架に夜空を飛ぶ黒ずくめの人物が描かれている。
若葉状の下地は淡い水色で染められ、その上に楕円形状の赤く長い下地の上に、黄色でAIRBORNEと記されていた。
このワッペンこそ、アメリカ陸軍第115空挺旅団。通称、フライディング・ナイトマンズの部隊章である。
アメリカ陸軍には、現在、5つの空挺部隊がある。そのうち、3つの部隊が今回の作戦に加わる。
1つめは、第82空挺師団、オールアメリカンズ。
2つめは、第101空挺師団、スクリーミング・イーグルズ。
最後の3つめが、第115空挺旅団、フライディング・ナイトマンズだ。
第115空挺旅団は、北大陸から逃れてきたレスタン軍の残余で編成されている。
部隊の錬成は1942年12月から、ワシントン州で始まった。
レスタン兵達の訓練はまず、英語の習得から始まり、その次に武器訓練、戦術訓練、空挺効果訓練等が行われた。
第115空挺旅団は、志願兵の数を中心に編成されたが、志願兵は陸軍航空隊にも行ったため、人員は他の空挺部隊よりも少ない。
82師団と101師団は3単位、あるいは4単位(単位とは、部隊主力となる歩兵連隊の事である)編成なのに対し、
115旅団は2単位編成のため、形式上旅団編成という事になった。
全体の人員数は7000人を超えているが、師団編成である82師団や101師団と比べると幾らか見劣りする。
だが、普段から本国解放を強く望む彼らの闘志は、他の部隊と比べてかなり強く、43年10月の演習の際には、
82師団や101師団の対抗部隊を散々に打ち負かしている。
44年以降は各師団の練度や技量も向上したこともあり、各師団対抗の演習でも良い勝負が見られたが、それでも、
115旅団の強さは折り紙付きであった。
ちなみに、115旅団はアメリカ陸軍の中でも最も戦力の少ない部隊として知られているが、それとは別の事由・・・
志願兵に女性が多い事でも知られている。
南大陸やシホールアンル軍に関わらず、この世界の軍隊では女性の従軍比率が少なくなく、前線でも武装した女性兵を
頻繁に見るほどだ。
それは亡命レスタン人にも言えることであり、訓練の際には、女性の扱いに慣れていないアメリカ人将校等は、
大いに手間取ったという。
115旅団でも、全体の3割近くが女性兵であり、女性は後方でお仕事、というのが常識なアメリカ軍にとって、
この部隊は異色であった。
とはいえ、115旅団フライディング・ナイトマンズの将兵は、米軍内でも屈指の精鋭部隊として成長し、今度の大作戦では
82師団や101師団の将兵と共に、攻撃の先鋒を任されるという栄誉を賜った。
115旅団は、82師団と101師団と共に第10空挺軍団を編成しており、この空挺部隊の任務は、上陸直前に敵後方の
要衝に降下し、それを確保。退路、または増援部隊の進撃路を阻む、という物だ。
今度の降下作戦では、他の2個師団もそうだが、元々がヴァンパイア・・・・いわゆる、夜の眷属で構成された115旅団にも
大きな期待が掛けられている。
作戦目標がどこであるかはまだ知らされていないが、レスタン人将兵達は、ようやく、あの屈辱の思いを返す日が来たと、
早くも奮い立っている。
「今度の作戦は、俺達の初めての実戦。厳密に言えば、大半は実戦を経験しているが、新装備、そして、新戦法を使った
作戦は今回が初めてだ。恐らく、厳しい戦いになるだろうな。」
「心配はいらないわ。何しろ、あたし達は夜の戦いが最も得意なんだから。」
テレスはそう言ってからニヤリと笑う。その際、レスタン人のもう1つの特徴である尖った犬歯が少しだけ見えた。
「まっ、お前の言うとおりだな。でも、俺達は最初から、敵に包囲された形で戦闘をする。もし、上陸部隊の来援が遅れ、
食料や弾薬が尽きたら、ちょいとばかし面倒な事になるぜ。」
「心配性ねぇ。」
テレスが目を細めながら言う。
「心配性になるのも仕方ない。俺はともかく、俺の部下達には今後も良い思いをさせたいんだ。」
「あなたって、本当に部下思いなんだから。」
「祖国がシホールアンルに攻められた時から、ずっと一緒になってきた奴らだからな。あいつらに祖国の土を踏ませるまでは、
決して死なせたくない。」
アールスの脳裏に、青天の霹靂とも言うべきあの時の記憶が蘇る。
盛んに沸き立つ悲鳴。業火に包まれる故郷。逃げ惑う人々を蹂躙するシホールアンル軍。
悪夢とも言うべきあの戦争から、早10年が経った。
当時は少年兵であったアールスは、今や仲間と共に新しい戦法を会得し、仇敵シホールアンルと再び相まみえようとしている。
「あんたの言う事は、よく分るわ。あたしも、仲間内じゃ部下思いって言われてるからねぇ。」
「別の意味で、という事もあるだろうが。」
アールスがそう言うと、テレスは顔を膨らませて彼の肩を叩いた。
「失礼ね。」
「ハハハ、いや、悪かった。」
起こるテレスに、アールスは謝った。
「まっ、弾が尽きれば、シホールアンル兵の武器を奪えばいいし、食料が無くなれば相手から徴集すればいいわ。
なんなら、これで手っ取り早く解決してもいいし。」
テレスは自らの尖った犬歯を指さした。
「それを使うのは、よく考えてからやれよ。吸血衝動が大きくなったら、えらい事になるからな。」
「了解です、軍曹殿。」
テレスは茶目っ気に満ちた表情で、アースルにそう言った。
「そういや、出港前に聞いた話なんだが、101師団506連隊のE中隊は知ってるよな?」
「知ってるよ。兵員の練度は師団の中でも最優秀だったけど、実戦を想定した訓練ではてんで駄目だった部隊でしょ?」
「ああ、そうだ。その中隊の指揮官が、何でも出港5日前に解任されて、左遷されたようだ。」
「へぇ~、何でまた?」
「101師団の奴から聞いた話だと、指揮官が実戦に弱いタイプで、地図がなかなか読めなかったそうだ。それで、
E中隊は訳の分らん所をぐるぐる回ったり、待機しても良いのにいきなり動いて、対抗部隊の待ち伏せにあったりしたらしい。
俺はこれを聞いて、やっぱりなと思ったよ。去年の10月の演習を見れば分るだろ?」
「そういえば、あの人達、何でこんな所をウロウロしてるんだろう?とは思ったけど、原因は指揮官にあったのね。」
テレスは自らの記憶をまさぐりながら、昨年の10月の演習を思い出す。
彼女の部隊は、アースル軍曹と共に101師団の対抗部隊と戦った。その日は夜間訓練であり、彼らは持ち前の能力と、
訓練によって洗練された戦術を用いて、対抗部隊を散々に打ち負かした。
その時の部隊が、あのE中隊であった。
「指揮官がまずい奴だと、部隊全体も危うくなる、という典型だな。」
「で、E中隊は新しい中隊長に代わったわけね。」
「ああ。前の中隊長より数段優秀とか言われてるらしい。でも、あの中隊は副隊長は勿論、下士官連中もしっかりして
いるからな。新しい中隊長が来た今では、ようやく本来の力を発揮できると思っているかもしれん。」
「重荷が取れて、身が軽くなった、という事ね。」
テレスの言葉に、アールスは思わず吹き出した。
「当たりだな。まっそれはともかく、俺達は俺達で、しっかり任務を果たさないとな。」
アースルは、自分に言い聞かせるようにそう言いはなった。
彼の脳裏には、早くも次の大作戦でシホールアンル軍相手に勇戦する自分達の姿が浮かび上がっていた。