第210話 一喜一憂の戦乙女
1484年(1944年)12月31日 午前9時 ホールアンル帝国首都ウェルバンル
シホールアンル帝国の首都であるウェルバンルは、帝国内でも有数の人口を誇る大都市であり、町には様々な渾名が付けられている。
その中でも、最も良く呼ばれる物が、貴族の街という渾名だ。
シホールアンル帝国内に多数居る貴族の内、名門と言われている貴族は、半数以上がこのウェルバンルに居住しており、その1つ1つは
普通の一般住民の家よりも遥かに大きく、かつ、煌びやかである。
だが、その煌びやかな住まいの数々にも、家々によって差がある。
特に、シホールアンル10貴族と呼ばれる、帝国内でも屈指の名家は、普通の貴族よりも大きな住居を構えている。
その中の1つ……モルクンレル家は、他の名家よりも一回り大きな居住を構えていた。
1484年も、残す所後僅かとなったこの日。ウェルバンルは、5日前より降り続いている雪のため、気温はマイナス3度に達していた。
そのため、広大なモルクンレル家の室内も、各所で暖を取っているとはいえ、気温はあまり高くは無かった。
そんな中、屋敷の隣にある1階建ての建物……道場と呼ばれる建物の中では、1人の人物が汗を流していた。
剣を両手で構え、前方に意識を集中する。
目の前に、見えざる敵の姿を思い起こし、その敵を討ち取るべく、素早い突きを見舞う。
その突きは早く、瞬きをした瞬間には、対峙していた相手の首を串刺しに出来るほどである。
攻撃はそれだけに留まらず、剣を一旦後ろに引いた後は、右斜め下から左上にかけて大きく振り、その後に、鋭い斬撃を何度も繰り出す。
敵が居れば、首に致命傷を受けた上に、胸や腹を切り裂かれて凄惨な光景をその場に表していただろう。
見えざる敵を切り刻んだ後も、攻撃は止まない。
剣撃が止んだと思うや、猫のように体を振り向かせ、瞬時に右の回し蹴り繰り出す。
体から滲み出た汗が、その動きで前方に飛び散り、浅黒い筋肉質の体が一瞬だけ輝いた。
「!」
咄嗟に、何かを感じ取った彼女は、自然な動作で後ろに飛び退いた。
唐突に何かの影が、彼女が居た空間に暴れ込み、床に持っていたナイフを突き立てる。
「チィ!」
突然の敵の襲撃に、彼女は憎らしげに顔を歪ませながら床に足を付き、その直後に剣を突きだす。
だが、敵はその動きを呼んでいたようで、上半身を思い切り反らせ、体が湾曲したような橋になったと思いきや、剣の腹を思い切り蹴飛ばした。
強い反動が紫色の女の右手に伝わり、彼女は剣を手放してしまった。
蹴り飛ばされた剣は、彼女から左斜め後ろに音立てて落下する。
「い…つぅ!」
右手の痛みに顔をしかめた彼女は、しかし、形勢が自らに有利になったと確信し、素早く足蹴りを食らわせようとした。
その刹那、彼女の顔目掛けて何かが飛んで来た。
(しまった!)
自身の不覚を悟った彼女は、咄嗟に右腕を顔の前に出した。
右腕に、紐の様な物が巻き付いたと思いきや、急に、後ろに腕が引っ張られる。
「グ……!」
彼女は姿勢を崩すまいと、足を踏ん張って、引き倒そうとする敵に抵抗する。
しばしの間、彼女は棒立ちの状態となるが、隙の多いこの瞬間を、敵が見過ごす筈が無かった。
「取ったぁ!!」
剣を蹴り飛ばした敵が、雄叫びを上げながらナイフで斬りかかって来る。
全く、無駄の無い動作だ。切っ先は、彼女の胸の真ん中に向けられている。一瞬の内に、彼女は串刺しにされるだろう。
「甘い!」
彼女は鋭く呟きながら、一気に全身の力を抜き、あろう事か、左腕を拘束している敵の所に向けて転がり込んだ。
「えっ!?」
予想できなかった彼女の動きに、敵は一瞬驚くが、ナイフの切っ先は、彼女が床に転がりこんだ事で虚しく空を切る羽目になった。
咄嗟に転がった彼女は、ナイフを振りかざす敵とあっという間に距離を置き、一瞬の内に、左腕を紐で拘束していた敵と相対する。
「はぁ!」
彼女は、敵が引っ張っていた紐を、逆に力任せに引っ張る。
だが、彼女の背中はがら開きであった。
ニヤリと笑ったナイフ使いが、すぐにその背中目掛けてナイフを投げようとする。
その刹那、彼女の猛烈な力で引っ張られた相棒が、いきなり目の前に現れた。
「ちょっと待ってぇ!?」
相棒が、半泣き状態で、自らの顔にナイフを投げ込もうとしていた相手目掛けて絶叫する。
相棒は一瞬の内に、女の盾となっていた。だが、ナイフ使いは躊躇しなかった。
「御免!」
ナイフ使いが目を閉じる事無く、ナイフを投げた。
ナイフは相棒の顔面に直撃し、短い悲鳴を発して仰向けに倒れた。
相棒が倒れるのを尻目に、もう1本のナイフを握り、背中を見せていた紫色の女目掛けて投げようとする。
が……
「遅い!!」
という声が聞こえるのと、ナイフを持っていた右手が、下方から思い切り蹴り上げられるのは、ほぼ同時であった。
敵が武器を失ったと見るや、紫色の女は一気に間合いを詰めて来た。
突発的に、素手を用いた格闘戦が始まる。
武器を失った敵は、素手での格闘戦も得意なのか、紫色の女に対して、初っ端から眼潰しを食らわせて来る。
だが、女は顔を横に反らせてその攻撃を避け、逆に回し蹴りを繰り出して来る。
敵もさる者で、右手で眼潰しを行う傍ら、左腕で鋭い蹴りを防いでいた。
それから1分程、互いに一歩も譲らぬ攻防戦が続くが、唐突に、拮抗した格闘戦は一気に崩れた。
敵が彼女の脇腹に決定的な一撃を加えた。突然の衝撃が右の横腹に決まり、彼女は顔を苦痛にゆがめる。
「が……はっ!」
彼女の姿勢が崩れたのを見計らって、敵は後ろに隠していたナイフを取り出し、すぐに首筋に突き立てる。
その瞬間、彼女の姿勢が更に崩れた。
いや、崩れたように見えた。
「わっ!?」
それは突然の出来事であった。
脇腹を抱えた彼女は、瞬時に体を沈みこませ、右足を素早く振りまわして、敵の両足を薙ぎ払った。
敵は、自分が吹き飛ばされた事も知らぬまま、背中から床に叩きつけられてしまった。
「しまっ……た!」
背中を床にぶつけた事で、一時的に呼吸困難に陥った敵は、それでも体を起き上がらせようと、首を上げる。
が、それは叶わなかった。
喉元に、持っていた筈の3本目のナイフが付けられている。刃先は皮膚に触れており、そのまま姿勢を起こせば、自らの動きで首を切り裂いてしまう。
眼前には、全身汗みずくとなりながらも、冷たい目付きで睨み付ける紫色の女が居た。
「………」
紫色の女は、恐ろしいまでの殺気を吐き出し、張り詰めた緊張が、道場の中を覆う。女は躊躇なく、刃先を押し込む。
敵が、紫色の女に殺される事は、ほぼ確実であった。
(……死ぬ……)
敵が、心中でそう呟いた瞬間、
「またあたしの勝ちね。」
いつも聞いている明るい声音が、耳元に響いた。
リリスティ・モルクンレルは、床に仰向けに倒れた、妹のサチェスティに穏やかな口調で勝利宣言を行った……が。
「……え?」
リリスティは、いきなり、目を潤ませるサチェスティを見て戸惑った。
「え、ええと……大丈夫?」
と、彼女が心配そうに声をかけた時、いきなりサチェスティは泣き出してしまった。
「ああああああ!また負けたぁ!!!!!!」
いきなり大声で泣き喚くサチェスティから、リリスティは仰天しながら後ろに飛び退いた。
「今度こそは行けると思ったのにぃぃぃぃぃ!悔しい!!!!」
まるで、赤子のように手足をじたばたさせながら、リリスティの妹は泣き喚く。
「うう……思いっ切り泣きたいのはこっちの方よぉ……」
リリスティは、後ろで声を上げた人物に顔を向ける。
彼女の後ろには、サチェスティに“捨て駒”として使われたもう1人の妹、レヴィリネがしくしくと涙を流している。
レヴィリネは、サチェスティが投げた木のナイフの柄が額に当たったため、そこの部分が赤くなっている。
「2人で今度こそは、と意気込んでやったのに、またあたしがこんな役回りとは……」
「ハハ、あんたも辛いもんねぇ。」
リリスティは苦笑しながらレヴィリネに言う。
「それはともかく、早くサチェスティを宥めてやんな。」
「はぁ……しょうがないなぁ。」
レヴィリネは深いため息を吐きながら起き上がり、負けた事でじたばたするサチェスティを宥めに掛かった。
リリスティは、2人の妹を見つめながら、内心でため息を吐く。
(今年の年末は嫌に大人しかったから大丈夫かなと思ってたけど……やっぱり襲って来たわね)
リリスティは2人から顔を背けた後、げっそりとした表情を浮かべた。
リリスティは、実家に帰った後は気晴らしに、この道場で汗を流している。
今日のリリスティは、竜母機動部隊を率いている時と違って、肩が露出し、主に胸の部分から腹の上部分までしか覆いが無い白い上着
(後にタンクトップと呼ばれるような物である)と、腰から膝の上部分までしか無い短い下着を身に付けており、足には靴下と、特注の
軽い靴を履いている。
リリスティは、実家に居る時はいつもその服装で運動を行うのだが、ただでさえスタイルが良い彼女は、肩や腹部(やや腹筋が割れている)
が露出しているこの恰好がかなり扇情的であり、しかも浅黒い肌の上に、伸ばしている艶やかな紫色の髪の毛を、ポニーテール状に束ねている
姿は、リリスティ本人の美貌と、凛々しさを一層際立たせている。
リリスティは、艦隊勤務でたまったストレスを、実家に帰る度にこの道場で発散させているのだが、そんな彼女のストレス発散を邪魔するのが、
サチェスティとレヴィリネである。
モルクンレル家は、リリスティの生みの親である父スラグド・モルンクンレル侯爵と、母アレスティナ夫人を始めとし、リリスティを含む7人
家族で構成されている。
モルクンレル家の第一子はリリスティであり、その2番目にサチェスティ、3番目にレヴィリネ、4番目にハウルスト、5番目にウィムテルス
となっている。
彼女の2人の弟であるハウルストとウィムテルスは、今では成人して、共に帝国軍の一員として任務に付いており、ハウルストは飛空挺隊の
搭乗員として、ウィムテルスはレスタン戦線の石甲師団の小隊指揮官として日々、務めを果たしている。
リリスティが、この4人の妹と弟の中で、最も手を焼かされているのがサチェスティとレヴィリネである。
サチェスティとレヴィリネは、首都にある国外相の職員として日々働いているが、彼女達は、リリスティが実家に帰る度に、何故か決闘を
申し込んで来る。
実家で羽を伸ばしたいと思っているリリスティにとって、妹2人の執拗な挑戦は迷惑千万もいい所であった。
「あんた達……その根性は確かに見上げたもんだけど…もう、諦めたら?」
「諦めない!!」
サチェスティが、顔を真っ赤に染めながら言い返す。
「12年前に姉さんから必ず、一本取ってやるって約束したんだもん!絶対に諦めないからね!」
「失礼ながら、私も同感……かな。」
レヴィリネも小声で相槌を打つ。
リリスティはその言葉を聞くなり、深いため息を吐いた。
きっかけは、リリスティが、格闘術を習って大分慣れてきたサチェスティとレヴィリネから練習試合を申し込まれた時である。
この時、リリスティは2人の妹達に対して、やや手加減しながら2対1の練習試合に臨み、見事勝利した。
だが、それがいけなかった。
リリスティに負けた事が非常に気に入らなかったサチェスティとレヴィリネは、この時から、リリスティに対して執拗に決闘を挑み始め、
今まで30戦もやって来た。
ここ2年程は、事前に挑戦状を叩き付ける事も無く、ほぼ奇襲ばかり仕掛けて来ている。
普通なら、ここで大人の対応とばかりに、1度か2度ほどは接戦を演じて負けてもよさそうなのだが、リリスティも大人気ないもので、
妹達の挑戦に全力で答え続け、30戦中、全勝という結果になっている。
リリスティの負けず嫌いを受け継いでいる2人の妹……特にサチェスティは、今日こそはとばかりに奇襲を仕掛けて来たのだが、結果は
いつも通りとなってしまった。
「とにかく、今回もあたしの勝ちね。ご苦労様です。」
リリスティの皮肉気な言葉が放たれ、それを聞いたサチェスティは、悔しげに拳を震わせた。
この最後のセリフが、何気にサチェスティの負けず嫌いを、大いに刺激させてしまっているのだが、リリスティはわざとそうしている。
性格的にあまり良い人間ではないようだ。
「まぁまぁ、サチェスティ姉さん。今日はこれぐらいにしようよ。ね?」
「うう……」
レヴィリネがサチェスティを宥める。
心優しい妹の説得に応じたサチェスティは、不承不承ながらも頷き、ゆっくりと立ち上がって道場から出ていく。
その後ろ姿を、リリスティは呆れながらも、確実に格闘術の腕を上げている2人の妹に感心していた。
(しかし……あの2人、完全に気配を立っていたわねぇ……一昔前までは、殺気を撒き散らしながら向かって来たから、軽くあしらえたけど。
まっ、今日の採点は、いつもよりも一番多めとして、49点ってとこかな)
リリスティは、2人の妹に足して、心中で微妙な点数を付けた。
2人の妹が道場の出入り口にまで歩いた時、不意にサチェスティが振り向いた。
サチェスティの目はやたらに吊り上がっていた。
「また来らぁ!!」
粗野な捨て台詞を吐いた後、サチェスティはレヴィリネを連れて道場を去って行った。
午前10時 モルクンレル家
朝の運動を終えたリリスティは、その後風呂に入り、9時30分頃には風呂から出、着替えもそこそこに朝食を取った後、慌ただしく
最後の支度に取り掛かった。
リリスティは、せわしない動きで家の応接間に出てきた。
「もう10時か。急がなきゃね。」
彼女は、時計に目を向けながら、紫色のシャツの上に軍服を羽織る。
「姉さん、今日も出勤なの?」
煌びやかな椅子に座って、妹のレヴィリネと談話していたサチェスティが何気無い口調で聞いて来る。
先程、彼女はリリスティに負けた事を大いに悔しがっていたが、彼女は早々と気分の切り替えたようだ。
「ええ。ちょっとばかり、海軍総司令部までね。」
「ふーん……軍人って忙しいわねぇ。」
サチェスティは他人事のような口ぶりで返答する。
サチェスティは、リリスティとは3歳年下の妹で、今年で30歳を迎えている。
背はリリスティより低めで、母親譲りの艶やかな紫色の髪を、三つ網状にして背中に垂らしている。
体のスタイルは、胸の部分はリリスティより若干劣るものの、全体の美貌さはリリスティに勝るとも劣らない。
「まっ、リリスティ姉さんは軍の中でもお偉いさんだしね。2か月前に、また1つ階級が上がっているし。」
姉とは違って、レヴィリネはおしとやかな口調でリリスティに言う。
彼女はサチェスティと違って、髪を肩に届くか届かない所で切っているため、サチェスティやリリスティと違って全体の印象が異なる。
体つきはサチェスティとほぼ同じだが、そのショートヘアのお陰で、2人の姉よりも活発そうな感がありそうなのだが、本人が発する
のんびりとした口調が、その印象をがらりと変えてしまっている。
年は28歳で、未だに華の20代を謳歌出来る事に喜びを感じているようだ。
「ああ、コレね。正直、あたしとしては別に、上がらなくても良かったんだけどね。」
リリスティはため息を吐きながら、羽織った軍服の肩の部分に付いている階級章を見つめる。
リリスティは、今年9月のレビリンイクル沖海戦で得た大勝利の立役者として広報誌に大々的に取り上げられ、いつしかレビリンイクルの
英雄と呼ばれるようになった。
それに加え、彼女は10月15日付けで海軍大将に昇進し、シホールアンル軍史上では初の女性の大将が登場する事となった。
これには、軍の首脳部や一部の貴族達から強い反感を買った物の、最終的には、皇帝オールフェスが承認するという声明が放たれた事と、
リリスティが引き続き、第4機動艦隊の指揮を執ると言う事で、何とか収まった。
本来であれば、リリスティは大将昇進後に、海軍総司令部のNo2である海軍部副総長に任ぜられる筈であった。
だが、リリスティはそのポストへの就任を固辞したため、彼女は大将に昇進したにもかかわらず、第4機動艦隊の指揮官という以前と
変わらぬポストに留まる事となった。
こうして、リリスティは依然と変わらぬ前線勤務に励む事になったのだが、軍服の肩に付いている、将星を現す紋章が4つに増えた事は、
彼女が海軍大将に昇進したと言う何よりの証拠である。
「じゃ、あたしは今年最後のご奉公に行って来るわ。」
「はいよ~。いってらっさい。」
サチェスティは気さくな口調でリリスティに言う。
「そのまま会議が長引いて、来年最初のご奉公もやりました、とかならなければいいけどね。ともかく、気を付けてね~。」
レヴィリネは、おしとやかな口調で、やや毒のある言葉をリリスティに言い放った。
「むむ……何か気にかかる言葉を聞いたような気がするけど、ひとまず。」
リリスティは軽く手を振ってから、ハンガーに掛けられているコートをひったくり、馬車が待っている正面玄関に向かって行った。
彼女の屋敷から、海軍総司令部までの距離は、馬車で15分程の距離にあり、時計の針が15分を過ぎた頃には、リリスティを乗せた馬車は、
赤紫色に彩られた海軍総司令部の正面玄関前に到着していた。
「お嬢様、目的地に到着しました。」
馬車を操っていた御者が、客車に乗っていたリリスティに声をかける。
「ありがとう、トリヴィク。また後でね。」
リリスティは、昔から親友同様に慣れ親しんだ御者にそう返しながら、馬車のドアを開く。
玄関前の左右に立っていた衛兵が、彼女が降りて来るのを見るなり、綺麗な海軍式の敬礼をする。
彼女は衛兵に答礼しながら、海軍総司令部の玄関をくぐった。
リリスティは、総司令部の職員達から奇異の視線を浴びせられるのを感じ取っていたが、彼女はそんな事を気にせず、2階の会議室に
向かって歩いて行く。
2階に上がった彼女は、そのまま会議室に向かい始めるが、会議室の手前にある廊下の前に出た時、不意に何か物音……まるで、慌てて
逃げるかのような足音が聞こえた。
(む?)
咄嗟に、彼女は右手の廊下に顔を向ける。
そこには誰も居ない。
(……今、誰か居たわね。あ、そういえば、この先に確か……)
不審に思った彼女は、廊下の先にある質素な休憩室に向けて足を進ませる。
ひょいと顔を覗かせると、そこには、何かを盗ろうとした瞬間に現場を抑えられたコソ泥のような表情を浮かべた誰か……
いや、彼女が良く知っている人であり……彼女の上司でもある人物が座っていた。
「あ……やっ。久しぶりだね。」
シホールアンル帝国皇帝オールフェス・リリスレイは、途端に爽やかな笑みを浮かべながら、リリスティに挨拶した。
「オールフェス……じゃなくて、陛下。何でこんなトコに?」
「ちょっとここにヤボ用があってさ。ていうか、今は別に、陛下とか言わなくていいぜ。」
元々、ネチネチとした性格であったサチェスティが見習ったほどの切り替えの良さに、リリスティは軽く溜息を吐いた。
「ホント、あんたは相変わらずねぇ。」
「そりゃこっちのセリフだぜ、リリスティ姉。あ、そう言えば、今日の会議、リリスティ姉も呼ばれてたんだな。」
「ええ、そうだけど……って、まさか、そのヤボ用って。」
「ああ。ちょいとばかり、海軍の連中がいい兵器を開発したと言うから、その報告を聞いてやろうかなと思って、こっちに
お邪魔したんだよ。」
「報告なら、わざわざここに来なくても……あんたの住まいでさせればいいじゃない。」
「いや、最近は運動不足で体が鈍っててね。ストレス解消も兼ねつつ、散歩がてらにいいかなって出向いて来たんだけど。」
「こっちには、事前に何か伝えた?」
「いんや。アポなしだよ。というか、俺はこの国の主なんだから、別に必要無いんじゃない?」
けろりとした表情で、オールフェスはそう言い放った。
それを聞いたリリスティは、呆れながらも、オールフェスらしいとばかりに微笑む。
「まぁ……それはそうだけど。こう言う時は、事前に何か言っておくべきよ。でないと、こっちの人もびっくりするじゃない。」
リリスティは、そこまで言ってから、不意に何かを思い出した。
「って、まさかあんた。勝手に城を抜け出したんじゃないでしょうね?」
「あ……バレた?」
「………」
オールフェスの悪気の無い言葉に、リリスティは今度こそ、心の底から呆れてしまった。
彼女の脳裏には、顔を真っ赤に染め上げながら、オールフェスの所在を確認するマルバ侍従長の姿が思い浮かんだ。
リリスティとおオールフェスが会議室に入った後、海軍総司令官のレンス元帥は、幾分緊張した面持ちで口を開いた。
「それでは、本日の会議を開く。」
ようやく始まった会議に、オールフェスとリリスティを除く参加者達は緊張を感じつつ、本来の職務をこなす顔に戻った。
(リリスティが来る前に、皇帝陛下が“来襲”して来たので、彼らは全員が極度に緊張していた)
「最初に、海軍各部隊のこれまでの状況を確認したい。」
「ハッ。では、私が説明いたします。」
海軍総司令部の主席参謀長が答える。
今日の会議では、海軍総司令官のレンス元帥を始め、海軍部副総長と総司令部主席参謀、情報参謀、航空参謀、補給参謀、
人事局長が集まっている。
「現在、我が海軍は、5個の艦隊を保有し、その内3個は臨戦態勢にあります。この3個艦隊は、いずれもヒーレリ北西部にある
ヒレリイスルィに集結しています。本来であれば、この艦隊はヒーレリ中西部沿岸のリリャンフィルクや、西南部のイースフィルクに
配置される筈でしたが、先月末より再び活動し始めた、アメリカ機動部隊の襲撃に備えるため、やむなくヒレリイスルィに根拠地を
移動させています。」
「リリャンフィルクとイースフィルク港の復旧具合はどうなっている?」
「は……一応、進んではおります。ですが、あまり芳しくはありません。」
主席参謀長は、やや声を曇らせながらレンス元帥に返答する。
リリャンフィルクとイースフィルクは、共にヒーレリ領内では有数の規模を誇る港で、シホールアンル帝国は、2ヵ月前まではここに
第4機動艦隊を始めとする主力艦隊を置いていた。
ヒーレリ領内は、他の属国と比べて戦場よりも遠い場所と言う事もあり、海軍基地のみならず、帝国軍の駐留部隊は、保養地さながらの
気楽さで日々の任務をこなしていた。
だが、11月も後半を迎えた時、そののんびりとした状況は一変した。
11月22日早朝。突如としてイースフィルク沖に現れたアメリカ軍の高速機動部隊は、早朝から午後2時までの間に、計3波、
総数700機以上に渡る艦載機でもってイースフィルク港や、その付近にあった軍事施設に猛爆撃を加え、港の港湾施設に蓄え
られていた膨大な各種補給物資がほぼ全滅すると言う事態に見舞われた。
イースフィルク空襲さるという報告を受けた時、シホールアンル海軍上層部は、アメリカ機動部隊の急な出現に仰天していた。
海軍上層部は、レビリンイクル沖海戦と、ホウロナ諸島沖海戦(アメリカ名サウスラ島沖海戦)で消耗し尽くした米機動部隊は、小手先だけの
作戦行動はいつでも行えるだろうが、戦線後方の要所を叩けるだけの大規模な艦隊行動を行えるのは、せめて来年の1月からであろうと
確信していた。
彼らは彼らなりに、アメリカの国力を見据えたうえでこう判断していたのだが、現実は残酷であり、彼らは、自身の判断が甘かった事を酷く後悔した。
来年1月頃に本格的な行動を開始する筈であった宿敵、米機動部隊は、予想よりも早い11月下旬、戦場にその堂々たる姿を現したのである。
イースフィルクを襲った米機動部隊は、同日正午前に偵察ワイバーンに発見されている。
敵機動部隊は、空母4隻ないし、5隻程度の陣形を少なくとも3つ組んでいた事が偵察ワイバーからの報告で明らかになっており、復仇の機会に
燃えた同地の航空部隊は、早速、敵機動部隊撃滅のためにワイバーン180騎からなる攻撃隊を発進させた。
だが、米機動部隊は艦載機を収容した後、いち早く海域から撤退したため、攻撃隊が敵機動部隊を発見する事はなかった。
それから12月下旬まで、アメリカ機動部隊はヒーレリ近海に姿を現さなかった。
シホールアンル側は、敵機動部隊が引っ込んだ事で安堵したが、その静寂も唐突に打ち破られた。
12月21日、冬の悪天候を付いてヒーレリ沿岸に最接近した米機動部隊は、再びイースフェルクを空襲した後、翌日にはリリャンフィルクにも
魔の手を伸ばし、大損害を与えた。
特に、このリリャンフィルクでは艦艇の損害が大きく、最新鋭の巡洋艦1隻を含む5隻の主力型の艦艇が失われた。
実を言うと、このリリャンフィルク空襲で撃沈された5隻の艦艇は、ある作戦を実行するに当たって、第4機動艦隊と、その他の主力部隊から
回された虎の子の戦力であった。
そのある作戦とは、シホールアンル軍が極秘で行っていた、連合軍捕虜輸送作戦である。
シホールアンル軍は、今後予想されるスーパーフォートレスの本土への戦略爆撃に対する手段として、主要な軍事施設や工業施設の周辺に
捕虜収容所を建設し、そこに今まで得て来たアメリカ兵を始めとする連合軍捕虜を収監し、それを大大的に喧伝して戦略爆撃を躊躇させよう
と考え、その作戦を実行に移した。
だが、作戦は、記念すべき第1回目の輸送から悲惨な結末を迎える事になった。
偽装対空艦を捕虜輸送船代わりに使って行われた第1次輸送作戦は、アメリカ海軍並びに、カレアント海軍、ミスリアル海軍の共同で行われた
捕虜奪取作戦であっけなく頓挫し、作戦に参加した駆逐艦2隻、偽装対空艦1隻は全てが未帰還となった。
シホールアンル軍上層部は、まさか、開始当初からこのような結果になるとは予想だにしておらず、輸送部隊全滅の報が伝えられた時は、
誰もが強いショックを受けていた。
だが、シホールアンル側は諦めなかった。
輸送部隊から送られてきた報告で、敵の捕虜奪取艦隊に、カレアント海軍の中でも随一の防御力を誇る巡洋艦(厳密には強襲艦である)
ガメランが加わっていた事。
それに加えて、米機動部隊から分派されたと思しき空母と、その艦載機も加わっていた事が明らかとなり、シホールアンル海軍は、連合国
海軍の再度の襲撃に対抗するため、作戦開始当初の予定であった、偽装対空艦に対する護衛戦力を駆逐艦2隻から、巡洋艦2隻、駆逐艦6隻
に改め、更に今年12月2日には、最新鋭の小型竜母も護衛に付ける事も決まった。
第2次捕虜輸送部隊は、輸送艦の役目を果たす偽装対空艦1隻を編成に加えた後、12月12日にリリャンフィルク港に入港し、小型竜母の
到着を待った。
捕虜輸送艦隊の指揮官は、連合軍の襲撃艦隊に、カレアント軍の小癪な巡洋艦どころか、アメリカ軍の巡洋艦が襲い掛かって来ても蹴散らしてやると、
作戦開始前から気合を入れていたが、現実は残酷であった。
小型竜母の到着が23日に決まり、いよいよ作戦開始という時に、アメリカ機動部隊がリリャンフィルク沖に出現し、同地を攻撃するために
艦載機を大挙出撃させたのだ。
米機動部隊は、早朝から午後1時までの間に、実に4波、800機以上の艦載機を出撃させ、リリャンフィルク港に停泊していた在泊艦船や
港湾施設を猛爆した。
第2次捕虜輸送部隊も、この艦載機の波状攻撃の前に手も足も出ず、巡洋艦1隻、駆逐艦4隻、偽装対空艦1隻が撃沈され、巡洋艦1隻大破、
駆逐艦2隻中破という大損害を受けて壊滅してしまった。
リリャンフィルク港に元々居た在泊艦船も17隻が撃沈破され、港湾施設も6割が破壊されると言う甚大な損害を受け、リリャンフィルク港は
事実上、壊滅状態に陥った。
第2次輸送部隊は、小癪なマオンド巡洋艦ばかりか、米軍の水上部隊さえも返り討ちに出来るほどの戦力を有していたが、彼らは本来の任務を
開始する前に、襲撃艦隊とは比べ物にならぬほどの凶暴な、米機動部隊によって、たちまちのうちに戦力を食らい尽くされたのである。
米機動部隊はリリャンフィルク港を猛爆した後、返す刀でシェリキナ連峰の航空戦にも乱入し、同地の基地航空部隊や航空基地に大損害を与えた後、
悠々と引き上げて行った。
この、一連の猛攻で受けたシホールアンル側の損害は甚大であり、シホールアンル海軍は否応なしにヒレリイスルィに引っ込まざるを得なくなった。
「やはり……連日、悪天候が続いては、復旧作業も思うように捗らないか。」
「それもありますが、敵機動部隊が差し向けた敵艦載機が、徹底した空爆を加えた事にも、作業に遅れを来す要因の1つでもあります。
米艦載機は、こちら側が破壊されたら嫌な目標……倉庫や物資集積所は勿論の事、輸送船の荷降ろしを行う専用の昇降機材をも片端から
狙い撃ちにしていきます。これによって、本来であれば真っ先に復旧しなければならない荷揚げ用の昇降機材が多すぎる上、この悪天候で
作業員の労働時間が自然的に短くなるという悪循環が起こっているため、港の復旧は、遅れに遅れているようです。」
「今の所、第4機動艦隊を含む3個艦隊は、ヒレリイスルィにて待機状態にあります。先の空襲で、我が方は甚大な損害を被りましたが、
幸いにも、敵機動部隊がイースフィルクとリリャンフィルクだけに的を絞ったお陰で、竜母や戦艦といった決戦兵力には、何ら損害を
受けておりません。従って、一連の空襲で受けた我が海軍の被害は、決して重い一撃であったと言う事は無いと、思われます。」
総司令部副総長の言葉を聞いたリリスティは、むっとなった。
「主席参謀長。確かに竜母と戦艦は無傷だったけど、私の艦隊から分派した巡洋艦と駆逐艦は、5隻が沈み、3隻が損傷してドック送りになっている。
この艦隊は、第4機動艦隊の第3群と第4群の司令に無理を言って抽出させている。私としては、これらが失われただけでも、艦隊の防空戦力に穴が
開いたと思っているのに、貴方の口ぶりでは、この損害は微々たるものだ、と言っているように思える。」
「モルクンレル司令官。私は何も、喪失した艦艇に対して、何ら感じていないとは言っておりません。提督が指揮される第4機動艦隊は我が海軍の
主力です。その主力の一員である艦艇が、敵の空襲で失われた事は、本当に残念であると思います。」
副総長は、リリスティから視線をそらさぬまま、そう語る。
ふと、彼女は一瞬だけ、主席参謀長の目に影が過ったような気がした。
(へぇ……普段は、駆逐艦や巡洋艦など、ただの召使程度にしかならんとかいっている奴が、そんな事言うんだ。)
リリスティは内心、弁解する主席参謀長を嘲笑ったが、顔は無表情のまま主席参謀を見つめ続ける。
「貴官がそこまで言うなら、私は何も言わない。話を続けて。」
「はっ。ありがとうございます。」
副総長は軽く一礼する。
彼の代わりに、今度は主席参謀長が口を開く。
「現在、第4機動艦隊並びに第2艦隊、第3艦隊はいつでも出動が可能な状態にあります。もし、アメリカ側が新たな進行作戦を
開始したとしても、遅くて2日以内には軍港から出撃が出来るよう、準備は整っております。第4機動艦隊の状況については、
モルクンレル司令官からご説明をお願いします。」
話を振られたリリスティは、軽く咳払いをしてから状況を説明し始める。
「第4機動艦隊は現在、正規竜母7隻、小型竜母8隻、戦艦5隻、巡洋戦艦3隻、巡洋艦17隻、駆逐艦69隻を保有しています。
艦隊が有するワイバーンは総計870騎で、練成も既に終えています。艦隊将兵の士気は意気軒高であり、いつでも決戦に臨めます。」
「提督の方から、今の艦隊編成に関して、何か意見はありますかな?」
「率直に申し上げますが……第4機動艦隊に必要とされる対空艦の数が、未だに足りません。」
「対空艦の数が足りぬだと?君の艦隊には、先日も最新鋭のマルバンラミル級巡洋艦を3隻送った筈だが。」
「その厚意に付いては、深く感謝しています。ですが、マルバンラミル級は確かに対空火力が強力である物の、フリレンギラ級に比べると、
敵に向けられる対空火力は幾らか劣ります。私が以前申し上げた話では、フリレンギラ級の改良型であるウィリガレシ級巡洋艦2隻を、
我が艦隊に配備して欲しいと述べた筈ですが……」
リリスティは、やや目を細めながらレンス元帥に言う。
ウィリガレシ級巡洋艦とは、フリレンギラ級巡洋艦の準同型艦的な位置にある防空巡洋艦であり、1482年2月に5隻が起工され、
その最新鋭艦である2隻が、11月下旬に就役している。
ウィリガレシ級巡洋艦は、基本的な兵装はフリレンギラ級と変わらないが、機関部の装甲強化や、艦の動揺を抑える等の改良を施しており、
基準排水量は6300ラッグ(9450トン)と、前級よりもやや重くなっている。
しかし、主砲は、フリレンギラ級の54口径4ネルリ砲よりも性能が高い61口径4ネルリ砲を搭載しており、これによって砲弾の初速が
早くなり、敵機の迎撃がよりやり易くなった他、対艦戦闘でも、その高初速によって敵巡洋艦の装甲を貫き、例えクリーブランド級や
ブルックリン級相手に戦っても撃ち負けないと期待されている。
リリスティは、この2隻の防空巡洋艦を第4機動艦隊に組み込んでほしいと、再三再四に渡って上層部に頼み込んでいた。
彼女は、9月のレビリンイクル沖海戦で、指揮下の竜母部隊を従え、米機動部隊の撃破に大きく貢献したが、同時にまた、敵艦載機の
脅威を改めて痛感していた。
指揮下の竜母をこれ以上犠牲にしたくないと考えるリリスティは、艦隊防空力の更なる向上を行うため、各方面に対空戦闘力の向上した
艦を回してもらうように働きかけた。
その甲斐あってか、リリスティの機動部隊は、巡洋艦17隻のうち、7隻がマルバンラミル級、5隻がフリレンギラ級で占められ、
駆逐艦は69隻中20隻が、新鋭のスルイグラム級駆逐艦が配備され、20隻はマブナル級駆逐艦で占められる状態までになった。
それでも、リリスティは満足しておらず、更に対空艦の増派を司令部に要請した。
しかし、新鋭のウィリガレシ級は第3艦隊に配属された。
彼女は、この事に大きな不満を抱いたが、既に上層部が艦の配備を決定した事と、第4機動艦隊だけがいい物を独り占めしているという
声が上がっている事も考慮した上で、この件に関しては何も言わぬ事を決めた。
「ですが、その件に関しては、もう既に上層部で話が決まっておりますから、私としてはこれ以上、言う事はありません。無論、現状の
戦力で足りぬと言う認識は変わりません。しかし、私も一帝国軍人である以上、いつまでも同じ事に固執する事はありません。よって、
私としましては、戦力補充等に関する意見具申はありません。」
「そう言いつつ、言いたい事はしっかり言ってるじゃないか。」
それまで、黙って話を聞いていたオールフェスが口を開く。
「これは陛下……」
リリスティは、先とは違って、公の場で話すような口調でオールフェスに言う。
「私としましては、これが当然の事だと思いますので。」
「ふむ。モルクンレル大将とは長い付き合いだが、そこの所は本当に、昔から変わらない物だな。」
オールフェスは苦笑しながらそう言った。
「おっと、途中で割り込んでしまったね。どうぞ、話を続けてくれ。」
彼はおどけた口調で、会議の再開を促した。
「ひとまず、第4機動艦隊の状況は良好、という事でよろしいかな?」
「はっ。そのように理解していただければ。」
リリスティは、冷たい口調でレンス元帥に返した。
「第2艦隊、第3艦隊の方でも、第4機動艦隊と同様です。」
「うむ。準備は整っている訳だな。」
レンス元帥は満足そうに頷く。
「これで、フィレヴェリド級戦艦も早く完成していれば、まさに言う所無しだったのですが。」
「主席参謀長。君の言いたい事は良く分かるが、早くて1月。遅くても2月頃に予定されている敵の大規模作戦には間に合うまい。」
「……となると。後は、戦艦部隊に配備されつつある、切り札に頼るしかないですね。」
「ほう、もしかして、その切り札って言うのが、最近開発されたばかりの新兵器って奴かな?」
「流石は陛下。既に聞き及んでおりましたか。」
レンス元帥が慇懃な口調で言う。
「聞いたと言っても、その詳細までは分からないがね。それで、その切り札とは一体、何なのかな?」
「切り札と言いましても、限定された戦域でしか使えぬ物ですが……」
レンス元帥は、その切り札の詳細をオールフェスに話した。
5分後、説明を聞き終えたオールフェスは、満足気な顔を浮かべていた。
「……ほほう。確かに、万能兵器って奴じゃないみたいだが、それでも、戦艦同士の砲撃戦では役に立つかもしれねえな。」
「問題は、アイオワ級戦艦にも通用するかどうかです。」
「今後就役するフィレヴェリド級を除く我が方の戦艦が、敵戦艦の主砲口径より小さい口径の砲しか持たぬ以上、出来る事はそれぐらい
しかありませぬので。もし相手がアイオワ級戦艦の場合は、新兵器が相手を撃ちのめす間に、こちら側が手痛い損害を受ける場合もあります。
そのため、現段階では、ネグリスレイ級が互角に撃ち合う事が出来るのはサウスダコタ級並びにノースカロライナ級が限度となります。」
「まっ、それでも、対抗できる手段が出来たって事はいい事だ。少なくとも、マオンド海軍の新鋭戦艦のようにはならないさ。」
オールフェスは愉快そうな口調でレンス元帥に言った。
「ところで、モルクンレル提督。君に話がある。」
「はっ、何でしょうか。」
リリスティは抑揚の無い口調で答える。
「今後の艦隊編成の事に付いてだが、我々も色々と話し合った結果、君達の艦隊に、第3艦隊に配属されていた巡洋艦全てと、駆逐艦の半数を
回す事に決めた。」
「……え?」
リリスティは、レンス元帥の言葉の前に半ば唖然となった。
「それはつまり、第3艦隊に配属されているルオグレイ級巡洋艦3隻のみならず、ウィリガレシ級巡洋艦2隻と、駆逐艦8隻も我が艦隊
に下さると言う訳ですか?」
「そうだ。」
レンス元帥は即答した。
「だが、その代わり。君の艦隊に配属されているネグリスレイ級戦艦は、全て第2艦隊に回す。」
その言葉を聞いたリリスティは、今度は失望の余り、言葉を失ってしまった。
「しかし、これは君の手元にある戦艦を永遠に取り上げると言う事では無い。この戦艦部隊は、機動部隊同士の航空戦の場合は、各竜母群の
護衛艦として働いてもらう。編成上、第2艦隊は第4機動艦隊とは別の部隊だが、実戦の場合は臨時に第2艦隊の指揮下に組み込み、来年1月
初旬に戦力化するプルパグント級竜母3番艦ラルマリアと、未成巡洋艦から改装した2隻の小型竜母を付けて、新たに1個機動部隊編成する。
水上砲戦となれば、巡洋艦5隻、駆逐艦12隻で編成された第2艦隊に、君の部隊から戦艦を回して敵艦隊に決戦を挑む。水上砲戦が終われば、
再び護衛艦として機動部隊に戻って来るだろう。」
「要するに、貴官の指揮官にある竜母群が、更に1つ増えると言う事ですよ。」
主席参謀長が穏やかな口調でリリスティに言う。
「竜母群が、もう1個部隊……ですか。」
リリスティにとって、今告げられた事は正直に喜べる内容だった。
だが、彼女は素直に喜べなかった。
「総司令官閣下。第4機動艦隊に対するこの厚遇は、誠にあり難き事ではありますが……戦力の面……特に、小型竜母のワイバーン搭載量や、
ワイバーン隊の錬度について、私は幾らか不安を感じるのですが。」
リリスティは、未成艦から改装された小型竜母……もとい、新鋭竜母のヴィルニ・レグ級がどのような性能なのかを熟知している。
ヴィルニ・レグ級小型竜母は、2年前より建造が始まった戦時急造型竜母であり、シホールアンル帝国造船界ではNo.2の規模を誇る
ヴィンドラゴ造船商会から贈られた(帝国造船界最大手のイン・ヴェグト商会に対抗して行われている)大型船用の船体を利用して作られた物だ。
全長89グレル(178メートル)、全幅13.2グレル(26.4メートル)、基準排水量が5700ラッグ(8550トン)と、船体は
ライル・エグ級竜母よりも一回り程小さい。
搭載ワイバーンは30騎、武装は両用砲5門に魔道銃24丁と、いずれもライル・エグ級竜母よりも劣り、防御力も並みの巡洋艦程度しかない。
速力は15リンルと、ライル・エグ級と同等であり、機動部隊に随伴するには、何とか合格点を与えられる性能ではある。
だが、全体的な性能は、ライル・エグ級と比べて一段落ちる印象があり、1番艦ヴィルニ・レグと2番艦グンニグリアは、共に今年の9月に
竣工したばかりとあって、乗員の錬度も未知数である。
また、新たに編成されたワイバーン隊も、今年の9月下旬に本格的な戦闘訓練を開始したため、ワイバーン隊の竜騎士は、新鋭正規竜母である
ラルマリアも含めて新米が大多数を占めており、いざ実戦となれば任務を果たせられるか大いに疑問が残る。
第2艦隊自体は、元々がリリスティの機動部隊に所属していたルオグレイ級やオーメイ級巡洋艦と、駆逐艦が全てであるため、対空戦闘は勿論、
水上戦闘も満足に行えるだろう。
しかし、第2艦隊に守られる筈の主力竜母3隻が心許ないとあっては、万全と思える布陣でも、リリスティにはそれが、ただのはりぼてで出来た
簡素な作り物にしか見えなかった。
(この人達……ただ戦力の頭数だけ揃えればいいと思っているの?)
リリスティは、心中でそう思った。
「ふむ、確かに君の言う通りだ。だが、この竜母3隻は、防空任務を主体に作戦行動を行わせる。要するに、君に護衛専門の機動部隊を1つ付けて
やると言う訳だ。ただ、この3隻の竜母にも、少数ながら攻撃役のワイバーンを付けている。敵機動部隊を戦う際には、この攻撃ワイバーンも付けて、
敵の空母を叩いて貰いたい。」
「はぁ……しかし、相手は戦力を盛り返してきたアメリカ機動部隊です。あたし達の艦隊に、竜母が3隻も加わるのは誠に嬉しい限りですが、
相手も当然、猛攻を加えて来るはず。行けと言われれば、無論、私は行きます。ですが……本当に、この竜母群も戦列に加えてよろしいのでしょうか?」
「なに。今度の決戦では、我が海軍のみならず、陸軍からもワイバーン隊の協力を行うよう約束を取り付けてある。無論、敵も空母20隻以上を含む
大機動部隊だが、こちらもやっとの事で、敵と互角の竜母戦力を得ている。」
「陸軍のワイバーン隊ですか……確かに数はありますが、錬度は海軍航空隊ワイバーン隊よりも下回る部隊が多いと聞いています。」
リリスティは尚も食い下がる。
虎の子の3隻の竜母と、そのワイバーン隊も不安が残る航空隊だが、彼らは着艦技術と言う海軍航空隊独自の特殊技能を身に付けている分、まだ使える。
だが、陸軍のワイバーン隊は海軍のワイバーン隊よりも厳しい訓練を受ける機会が少なく、昔は陸海軍共、互角と思われていた航空隊同士の演習でも、
最近では海軍ワイバーン隊の方が勝利する事が多くなっている。
錬度が更に低い部隊が多分に混じっている陸軍ワイバーン隊が、果たして味方機動部隊との連携を果たせるのか?
リリスティはこの点が非常に気になっていた。
「果たして、このような戦法でよろしいのでしょうか?」
「大丈夫だ、問題無い!」
レンス元帥は低く、しかし、叩き付けるような口調でリリスティに言った。
彼の口調は、まるで黙れと言わんばかりであった。
「モルクンレル提督。君の不安は良く分かる。だが、このように戦備は整っておる。後は、敵がどう出て来るか待つだけだ。その時こそ、敵に
講和を結ばなかった事を後悔させるチャンスだ。決戦の時には、君が再び活躍するチャンスでもある。私は、君に期待しているぞ。」
レンス元帥は、穏やかな口調でリリスティに言ったが、リリスティには、それが何らかの脅しにしか聞こえなかった。
会議は正午前までには終わった。
オールフェスは会議が終わると、
「今日はなかなか面白い話が聞けて良かったぜ。じゃ、俺はこれでおいとまするよ。」
と、軽やかな口調で言ってから、海軍総司令部を出て行った。
リリスティは、会議が終わった後、半ば放心しながら総司令部の出口に向かって行った。
「……竜母が増えて、アメリカの機動部隊に対抗し易くなったのはいいけど、場合によっちゃ戦艦を殆ど取り上げるぞ、なんて抜かしやがって……
それに、増えた竜母も、乗員と竜騎士も含めてほぼ“新品”となっちゃってる……あれで鬼畜三姉妹(連合国海軍の言うヨークタウン三姉妹である)
の航空隊とぶつかったら、どうなるかわかってんのかなぁ……まぁ、軍艦の所有者はあたしでは無いんだけど……ああ、胃が痛い。」
リリスティは、きりきりと痛む腹を抑えながら、ゆっくりと階段を下りていく。
途中で、眼鏡をかけ、軍服を着崩した女性士官とすれ違った。
「……あ。アンタもしかして、リリスティ?」
後ろから唐突に声がかかった。
振り向いたリリスティは、声をかけた女性の顔をまじまじと見つめた。
その女性士官の肌は白く、髪を後ろに束ねている。
眼鏡をかけたその顔は理知的に見えるが、その目の下にあるクマのお陰で、鬱病患者のような印象を受ける。
軍服は着崩されているため、袖や裾がだらしなく垂れ下がり、開かれたシャツの胸元からはひっそりと豊満な胸の谷間が見えていたりする。
一目で見ればまあ美人であるが、そのだらしない姿のせいで、軍服を脱げば浮浪者と見間違えられるのは、ほぼ確実と言えた。
「ええと……だれだっ……あ!思い出した!」
その瞬間、リリスティは、そのだらしない姿をした女性が、士官学校の同期生である事を思い出した。
「あんたは……まな板のヴィル!!」
「そっちかよ!」
知らず知らずのうちに、リリスティは眼鏡の女性に頭をはたかれていた。
所変わって、ここは海軍総司令部の地下室に設けられた海軍情報室。
「ここが、私めの執務室であります。大将閣下。」
シホールアンル海軍総司令部情報室主任である、ヴィルリエ・フレギル中佐は、リリスティを自らの仕事部屋に案内した。
「ちょっと、今は2人しか居ないんだから、敬語なんていいわよ。」
「ハハ、本当、あんたは相変わらずだねぇ。」
フレギル中佐は、悪戯っぽい笑みを浮かべながら部屋の中に進む。
彼女の仕事部屋には、7つの執務机があるが、どの机の上にも、まるで狂ったように集めまくったかのような、夥しい数の紙の束が
置かれている。
書類は机の上だけでは無く、床中にも散らばっているため、まるで、物盗りに荒らされた被害者の家のごとき様相を呈していた。
「ごめんね。部屋中がちらかってるけど、適当な椅子に座っていいよ。」
彼女は、6つ並べられている椅子に手を差し向けながら、リリスティに勧める。
「じゃ、遠慮なく。」
リリスティは、適当にイス1つを取って、それに腰を下ろした。
「しっかし、こうして会うのは、一体何年ぶりだろうねぇ。」
ヴィルリエは、口に加えたキセルに火を付けながら、リリスティに向けて言う。
「士官学校卒業以来だから……かれこれ13年になるかな。」
リリスティはヴィルリエに返事しながら、彼女の胸元を注視する。
「しかし、上手い具合に成長したなぁ。士官学校時代は、皆に言われまくってたのに。」
「フッ。人間、努力すれば変われる物なのさ。というか、何で皆は、あたしの顔を見るなり、まな板まな板って言うのよ!今じゃこんな
体つきになって、男なんか釣り放題って言うのに!」
「まぁ……あの時のあんたは、見事なまでにまっ平らだったからねぇ。」
リリスティはしみじみとした顔つきでそう言い放った。
「正直、そんな格好になるなんて予想できなかったわよ。」
「はぁ……ホント、皆変わらないんだから。」
ヴィルリエは、紫煙と共にため息を吐き出した。
「しかし、あんたはまた、上手い具合に出世したわね。同期生の中で、リリスティのように大将まで昇りつめた人はまだ居ないよ。
一番の出世頭と言われた奴でも、少将止まりなんだからね。」
「本当は、大将になんてなりたくなかったわ。前線でワイバーンを操って、敵と戦っていた時の方が気分は楽だったわ。」
「良く言うよ。あたしなんか、日蔭者のいち中佐だよ?しかも、仕事はきっちりこなしているのに、その成果を認めたがらない馬鹿上司
ばっかりだから、もう、うんざりよ。」
「こっちはこっちで大変だよ?今日の会議で、あたしはあまり頼りになるとは言えない竜母部隊も抱え込めとか言われたし。」
「おっ、新しい竜母が増えたのかい?ならおめでとう……と言いたいけど、あんたとしてはそうも言えないみたいだね。」
「当然よ!」
リリスティは憤りの余り、頬を赤くする。
「竜母自体が新品ならまだしも、それを操る乗員も、そして搭載するワイバーン隊も新品ってどういう事なのよ!?あたしはこんな事、
初めてだわ!」
「……やっぱり、レビリンイクル沖海戦後の影響を、まだ引き摺っているみたいだね。」
「……やはり……か。」
リリスティは表情を曇らせる。
彼女は、レビリンイクル沖海戦後、機動部隊の航空戦力の再編に全力を尽くし、何とか今日までに、一応まともと言える航空戦力を
準備する事が出来た。
だが、あの海戦の後から、艦隊航空隊の技量が以前よりも低下している事は、実際に訓練に立ち会った彼女から見ればはっきりと分かる。
今ではまともになったとはいえ、戦力再編が行われ始めた9月下旬頃は、母艦への着艦の仕方が危ないワイバーンが少なからず居た。
あの海戦前にも、幾度かワイバーンの補充はあったが、補充されたワイバーンや竜騎士は、満足に着艦出来ていた。
それに加えて、空戦技能もなかなかの物だったが、最近補充されたワイバーン隊では、初歩的な戦法ですら満足に行えない者が少なくなかった。
リリスティは、新米連中にも猛訓練を行わせ、急速に技量を向上させているが、今度の新鋭竜母はそれを行う暇すら満足に与えられずに、
実戦に投入されようとしている。
レビリンイクル沖海戦で、シホールアンル軍は確かに、強大な米機動部隊を打ち破った。
しかし、その代償は余りにも大きく、多くのベテラン竜騎士やパイロットの喪失は、後方の教育航空隊の基本方針にも大きな影響を与えている。
前線に必要な、優秀な竜騎士やパイロットは、今や不足しつつあり、代わりに、まだ赤子同然のような竜騎士、パイロット達が、前線の荒波に、
容赦なく揉まれ、少なからぬ者がその命を散らしていた。
「まぁ……竜母の数が揃っただけでも、一応は良しとするべきかもしれないけど……本音を言えば、あの竜母群は、一人前になるまで、実戦に出したくない。」
「………」
リリスティの痛切な本音に対して、ヴィルリエは無言のまま、ただキセルをくゆらせるしかなかった。
「ごめんなさい。こんな、湿っぽい言葉を言っちゃって。」
「いいんだよ。言いたい事は、躊躇せず吐き出したらいいんだ。」
ヴィルリエはキセルを置き、眼鏡を外してハンカチでレンズの表面を拭き取る。
「ところで、あたしはさっき、リリィに面白い事を聞かせてあげると言ったわよね?」
「ええ。そう聞いたね。」
レンズの汚れをふき取ったヴィルリエは、眉間を軽く押さえてから眼鏡をかけた。
「あんた、アメリカ軍の動きが、どこかおかしいと思わない?」
「おかしい……と、言うと?」
「なんか、いい具合に動いていない?まるで……こっちの動きを見透かしているかのような。」
「見透かしている……ちょっと待って、ヴィル。貴方は一体、何が言いたいの?」
「話は簡単さ。正直、あたしはそうと仮定してから、敵のこれまでの不可解な動きを、ようやく理解する事が出来た。ここ3日間、
あたしは仮設を裏付けるために、あらゆる資料を集めて、調べに調べた。我が国は勿論の事、マオンドから寄越された情報に関してもね。
そして、私はある結論に達したの。」
「結論……まさか、ヴィル。あんた……」
リリスティは、自らが出したその結論を信じられなかった。
「流石はリリィ。その冴えた勘は相変わらずね。」
ヴィルリエは、妖艶な笑みを浮かべる。彼女の眼鏡に照明の明かりが反射する。
「私としても、信じたくは無かった。でも、これまでの情報で、私はそう確信したわ。こちら側の情報は、敵に筒抜けだって事をね。」
「……そんな……じゃあ、あたし達が極秘扱いで送った報告とかは……」
「何らかの形……それもスパイでは無く、もっと堂々とした形で漏れているとしか考えられないわ。そうでなければ、マオンド戦線での
アメリカ軍の素早い立ち回りや、敵機動部隊が執拗に、哨戒網の穴を“偶然”に突破する筈は無い。」
「なんて……こと……」
リリスティはショックの余り、目の前が真っ白になった。
彼女自身、これまで、アメリカ機動部隊があっさり、ヒーレリ近海に侵入できる事を不審に思っていた。
だが、彼女はただ、運が悪かったかぐらいにしか思っていなかった。
しかし、ヴィルリエの言う事が正しければ、アメリカ機動部隊が、敵側の制海権内にも関わらず、派手に暴れられる事も理解できる。
「情報が漏れている……それじゃあ……あたし達は、敵の軍人達と一緒に作戦会議をやっているような事を、何度も何度もやっていた事になる……!」
「ああ。本当に恐ろしい事さ。」
絶望に打ちひしがれるリリスティを見つつ、ヴィルリエは単調な声音で呟く。
「あたしはこの事をしっかり、上に伝えようと、情報参謀に伝えたんだ。だが、あいつは何と言ったと思う?地下籠りの平民モグラが何を
言っているのか、だってさ。」
「……え?それは本当なの?」
「実際に言われたあたしが言ってるんだ。間違い無い。」
ヴィルリエがその言葉を言い終えた瞬間、いきなりリリスティは席から立ち上がった。
「この国の一大事って時に、そんな下らない事を抜かしやがって!!!!」
リリスティは目尻を吊りあがらせ、ドアを突き飛ばさんばかりの勢いで出入り口に駆け寄った。
怒りに駆られたリリスティの動きを、ヴィルリエが羽交い絞めにして何とか止める。
「ちょっと、リリィ!一体どうしたっていうの!?」
「情報参謀に、あんたから聞いた話を伝える。そして、またくだらない事を言うのなら、その横っ面ぶん殴ってでも話を信じさせる!」
「暴力を振るうつもり?それじゃ駄目だよ!」
「でも、ヴィル!あんたは悔しくないの!?士官学校も卒業し、立派に任務をこなしているのに侮辱されたんだよ!」
「悔しくない筈が無い!」
ヴィルリエが叫び返す。
「いっそ、ぶん殴ってやろうかと思った!でも、それをやったらおしまいよ。リリィ、あんたは大将になった。でも、大将って、
そう簡単に暴力を振るっちゃいけないんだよ!何故だかわかる?」
「……そんな事分かってるわ。」
「いや、分かって無い!分かってないから、情報参謀に暴力を振るおうとするのよ!大将といえば、所属する軍を代表する軍人でもあり、
場合によっては政治家代わりにすらなる。そんな自覚を持たないと、リリィ、あんたは大将の資格は無いとすら言われてしまう。
それでもいいの!?」
「く……」
リリスティは、親友の厳しく、しかし、筋の通った正論に対して、何ら言い返す事が出来なかった。
「う……ごめん、ヴィル。」
「ふぅ……やっと大人しくなったか。」
暴れるリリスティを抑えていたヴィルリエは、やれやれとばかりにリリスティを離した。
「リリィの気持ちは嬉しいけど、今は冷静にならないと。」
「そうだね……はぁ、またヴィルに説教されたなぁ。」
リリスティは恥ずかしげに顔を赤らめる。
「その暴走し易い性格は何とかならないの?あんた、もしかして、体の中に凶暴な男が入ってたりしない?」
「流石にそれは無いわね。」
リリスティはあっさりと否定した。
「まっ、それはともかく。今はまず、情報を整理する必要があるわ。でないと、また情報参謀に門前払いを食らいかねない。」
「報告するなら、あたしも連れて行けばいいよ。大将が一緒にやって来たとなれば、情報参謀も慌てるだろうし………」
リリスティは、そこまで言ってから急に体を固くした。そして、そのまま椅子に座りこむなり、顔を俯かせながら何か考え事を始めた。
「……」
「リリィ……?」
ヴィルリエは、心配そうに声をかけるが、リリスティは反応しない。
「……リリィ?どこか、体の具合が悪いの?」
ヴィルリエが再度声をかけた時、リリスティが急に顔を向けた。
「い……!?」
ヴィルリエは思わず仰天してしまった。
リリスティの瞳には光が宿っていない。彼女の眼は、明らかに死んでいた。
「今考え中。邪魔しないで。」
リリスティは、無機質な声音でそう答えた。
(ちょ……まさか、病んでる?)
ヴィルリエは、恐怖感に苛まれながらも、心中で呟く。
再び顔を俯かせたリリスティ。10秒ほど経つと、微かに笑った。
(笑ってる?一体、何にデレているのって……何考えてんだあたし!)
ヴィルリエは、一瞬、的外れな考えをした自分を責める。
再び、リリスティが顔を上げた。
「……何か、いい考えが浮かんだかもしれない。」
リリスティは、額に汗を滲ませながらヴィルリエに言う。
その目は、さっきのような光を失った目では無く、活路を見出せた勇者が浮かべるような、輝きのある目だった。
「いい考え?」
「ええ。でも、連合軍相手に、どこまで通用するかは知らないけど。でも、このまま手をこまねいているよりは、遥かにマシだと思うわ。」
リリスティはそう言うと、今しがた考えた事をヴィルリエに伝えた。
1485年(1945年)1月3日 午前8時 バージニア州ノーフォーク
この日、休養のためノーフォーク軍港に寄港していた、第7艦隊第72任務部隊所属の空母イラストリアスでは、雪が降っているにも関わらず、
飛行甲板や右舷の張り出し通路には、多くの乗員が内陸の水道からゆっくりと出て来る大物に目を奪われている。
空母イラストリアス艦長、ファルク・スレッド大佐は、防寒服を着ながら、艦橋の張り出し通路から副長と共に、大物を見物していた。
「いやはや……でかいですなぁ。」
「ああ…こいつは凄いぞ。」
驚きの声を上げる副長に、スレッド艦長も驚きの声で返事した。
「あの艦の性能を聞いてから、本当にあんな大型艦が出来上がるのかと思っていましたが、それを本当に……しかも、起工から僅か2年3カ月で
作り上げるとは。アメリカの工業力は恐ろしい物ですな。」
「同感だよ。」
スレッド艦長は頷く。
「しかも、このイラストリアスと同じ装甲空母でありながら、遥かにでかい大物が2年3カ月で完成、だからな。前の世界のチャーチル首相が
見たら、驚きの余り椅子から転げ落ちてたかも知れんな。」
スレッド艦長は感嘆しながら、水道から出て来る大物……CV-41リプライザルを見つめ続けた。
リプライザルは、アメリカが満を持して竣工させた最新鋭の大型正規空母である。
全長295メートル、全幅34.4メートル。基準排水量は45000トンと、その大きさは前級のエセックス級空母はおろか、
レキシントン級空母すらも超えている。
武装は舷側に最新式の54口径5インチ単装両用砲を16基、40ミリ4連装機銃21基、20ミリ機銃28丁と、新鋭戦艦並みの重武装を
施されており、遠距離対空火力は勿論の事、近距離火力においても、これまでの空母を遥かに凌駕している。
搭載機数は実に145機と、エセックス級よりも40機以上も多い。
リプライザル級を特徴付ける性能はこれだけに留まらない。
リプライザルには、これまでの戦訓を反映して、飛行甲板に最大89ミリの装甲を施しており、アメリカ海軍に在籍する正規空母の中では、
TF72のイラストリアスを始めとして2番目の装甲空母である。
飛行甲板の装甲部分は、シホールアンル軍の300リギル爆弾に充分に耐えうると判断されているため、従来の空母のように、数発の被弾で
作戦遂行能力を失う事は無いと期待されている。
それに加えて、水雷防御も本格的に施されており、艦隊側は戦艦並みの防御力を有した正規空母として、リプライザルに高い評価を与えていた。
この巨体を動かすのは、212000馬力の高出力を誇る最新式の蒸気タービンであり、速力は最大で33ノットを発揮出来ると言われている。
リプライザルは、まさに、世界最大の大型装甲空母と言えた。
正規空母リプライザル艦長、ジョージ・ベレンティー大佐は、ノーフォーク軍港に停泊している1隻の空母から、発光信号が送られている事に
気付いた。
「あれは……イラストリアスか。何か信号を送って来ているな。」
ベレンティー艦長は、古参の空母から送られて来る信号を読み取るなり、その気品ある気遣いに思わず苦笑してしまった。
「艦長!イラストリアスより発光信号です!」
艦橋の張り出し通路に立っていた見張り員が、きびきびとした声で艦橋に伝えてきた。
「我、リプライザルの誕生を祝す。貴艦の実力を、思う存分敵に思い知らせたし。」
「……イラストリアスに向けて返信。我、その言葉通りに活躍する事を約束する。我らの活躍、大いに期待されたし。」
ベレンティー艦長の言葉は、すぐさま、発光信号となってイラストリアスに返された。
「流石は先輩艦だ。このような、でかいだけの若輩者にも、良い言葉を掛けてくれるな。」
「艦は確かに新しいですが、中身はそうでもありませんぞ。」
副長ホセ・ジェイソン中佐が自信ありげな口調でベレンティー艦長に言う。
「艦長は以前、サラトガで艦の指揮を、私はバンカーヒルで任務をこなして来ました。この艦の乗員も、半数以上はレビリンイクル沖で
乗艦の喪失という屈辱を味わった者ばかりです。軍艦は、例えなりは大した事無くても、中身がしっかりしてさえすれば、必ず良い働きが
出来ます。そして、この艦は、あらゆる装備が整った最新鋭艦です。彼らは短い期間で、このリプライザルを満足に動かす事が出来ますよ。」
「うむ。艦は新品だが、乗員は経験豊富な兵が多いからな。確かに、彼らならやってくれるだろう。そして、彼らに全てを習う新米達も、
良く育ってくれるだろう。」
ベレンティーはそう呟いた後、今日から行う慣熟訓練を、どう上手く流して行くか思案し始めた。
リプライザルはその威容をノーフォーク港の在泊艦船に見せ付けるかのように、ゆっくりと外海に向かって行った。
1484年(1944年)12月31日 午前9時 ホールアンル帝国首都ウェルバンル
シホールアンル帝国の首都であるウェルバンルは、帝国内でも有数の人口を誇る大都市であり、町には様々な渾名が付けられている。
その中でも、最も良く呼ばれる物が、貴族の街という渾名だ。
シホールアンル帝国内に多数居る貴族の内、名門と言われている貴族は、半数以上がこのウェルバンルに居住しており、その1つ1つは
普通の一般住民の家よりも遥かに大きく、かつ、煌びやかである。
だが、その煌びやかな住まいの数々にも、家々によって差がある。
特に、シホールアンル10貴族と呼ばれる、帝国内でも屈指の名家は、普通の貴族よりも大きな住居を構えている。
その中の1つ……モルクンレル家は、他の名家よりも一回り大きな居住を構えていた。
1484年も、残す所後僅かとなったこの日。ウェルバンルは、5日前より降り続いている雪のため、気温はマイナス3度に達していた。
そのため、広大なモルクンレル家の室内も、各所で暖を取っているとはいえ、気温はあまり高くは無かった。
そんな中、屋敷の隣にある1階建ての建物……道場と呼ばれる建物の中では、1人の人物が汗を流していた。
剣を両手で構え、前方に意識を集中する。
目の前に、見えざる敵の姿を思い起こし、その敵を討ち取るべく、素早い突きを見舞う。
その突きは早く、瞬きをした瞬間には、対峙していた相手の首を串刺しに出来るほどである。
攻撃はそれだけに留まらず、剣を一旦後ろに引いた後は、右斜め下から左上にかけて大きく振り、その後に、鋭い斬撃を何度も繰り出す。
敵が居れば、首に致命傷を受けた上に、胸や腹を切り裂かれて凄惨な光景をその場に表していただろう。
見えざる敵を切り刻んだ後も、攻撃は止まない。
剣撃が止んだと思うや、猫のように体を振り向かせ、瞬時に右の回し蹴り繰り出す。
体から滲み出た汗が、その動きで前方に飛び散り、浅黒い筋肉質の体が一瞬だけ輝いた。
「!」
咄嗟に、何かを感じ取った彼女は、自然な動作で後ろに飛び退いた。
唐突に何かの影が、彼女が居た空間に暴れ込み、床に持っていたナイフを突き立てる。
「チィ!」
突然の敵の襲撃に、彼女は憎らしげに顔を歪ませながら床に足を付き、その直後に剣を突きだす。
だが、敵はその動きを呼んでいたようで、上半身を思い切り反らせ、体が湾曲したような橋になったと思いきや、剣の腹を思い切り蹴飛ばした。
強い反動が紫色の女の右手に伝わり、彼女は剣を手放してしまった。
蹴り飛ばされた剣は、彼女から左斜め後ろに音立てて落下する。
「い…つぅ!」
右手の痛みに顔をしかめた彼女は、しかし、形勢が自らに有利になったと確信し、素早く足蹴りを食らわせようとした。
その刹那、彼女の顔目掛けて何かが飛んで来た。
(しまった!)
自身の不覚を悟った彼女は、咄嗟に右腕を顔の前に出した。
右腕に、紐の様な物が巻き付いたと思いきや、急に、後ろに腕が引っ張られる。
「グ……!」
彼女は姿勢を崩すまいと、足を踏ん張って、引き倒そうとする敵に抵抗する。
しばしの間、彼女は棒立ちの状態となるが、隙の多いこの瞬間を、敵が見過ごす筈が無かった。
「取ったぁ!!」
剣を蹴り飛ばした敵が、雄叫びを上げながらナイフで斬りかかって来る。
全く、無駄の無い動作だ。切っ先は、彼女の胸の真ん中に向けられている。一瞬の内に、彼女は串刺しにされるだろう。
「甘い!」
彼女は鋭く呟きながら、一気に全身の力を抜き、あろう事か、左腕を拘束している敵の所に向けて転がり込んだ。
「えっ!?」
予想できなかった彼女の動きに、敵は一瞬驚くが、ナイフの切っ先は、彼女が床に転がりこんだ事で虚しく空を切る羽目になった。
咄嗟に転がった彼女は、ナイフを振りかざす敵とあっという間に距離を置き、一瞬の内に、左腕を紐で拘束していた敵と相対する。
「はぁ!」
彼女は、敵が引っ張っていた紐を、逆に力任せに引っ張る。
だが、彼女の背中はがら開きであった。
ニヤリと笑ったナイフ使いが、すぐにその背中目掛けてナイフを投げようとする。
その刹那、彼女の猛烈な力で引っ張られた相棒が、いきなり目の前に現れた。
「ちょっと待ってぇ!?」
相棒が、半泣き状態で、自らの顔にナイフを投げ込もうとしていた相手目掛けて絶叫する。
相棒は一瞬の内に、女の盾となっていた。だが、ナイフ使いは躊躇しなかった。
「御免!」
ナイフ使いが目を閉じる事無く、ナイフを投げた。
ナイフは相棒の顔面に直撃し、短い悲鳴を発して仰向けに倒れた。
相棒が倒れるのを尻目に、もう1本のナイフを握り、背中を見せていた紫色の女目掛けて投げようとする。
が……
「遅い!!」
という声が聞こえるのと、ナイフを持っていた右手が、下方から思い切り蹴り上げられるのは、ほぼ同時であった。
敵が武器を失ったと見るや、紫色の女は一気に間合いを詰めて来た。
突発的に、素手を用いた格闘戦が始まる。
武器を失った敵は、素手での格闘戦も得意なのか、紫色の女に対して、初っ端から眼潰しを食らわせて来る。
だが、女は顔を横に反らせてその攻撃を避け、逆に回し蹴りを繰り出して来る。
敵もさる者で、右手で眼潰しを行う傍ら、左腕で鋭い蹴りを防いでいた。
それから1分程、互いに一歩も譲らぬ攻防戦が続くが、唐突に、拮抗した格闘戦は一気に崩れた。
敵が彼女の脇腹に決定的な一撃を加えた。突然の衝撃が右の横腹に決まり、彼女は顔を苦痛にゆがめる。
「が……はっ!」
彼女の姿勢が崩れたのを見計らって、敵は後ろに隠していたナイフを取り出し、すぐに首筋に突き立てる。
その瞬間、彼女の姿勢が更に崩れた。
いや、崩れたように見えた。
「わっ!?」
それは突然の出来事であった。
脇腹を抱えた彼女は、瞬時に体を沈みこませ、右足を素早く振りまわして、敵の両足を薙ぎ払った。
敵は、自分が吹き飛ばされた事も知らぬまま、背中から床に叩きつけられてしまった。
「しまっ……た!」
背中を床にぶつけた事で、一時的に呼吸困難に陥った敵は、それでも体を起き上がらせようと、首を上げる。
が、それは叶わなかった。
喉元に、持っていた筈の3本目のナイフが付けられている。刃先は皮膚に触れており、そのまま姿勢を起こせば、自らの動きで首を切り裂いてしまう。
眼前には、全身汗みずくとなりながらも、冷たい目付きで睨み付ける紫色の女が居た。
「………」
紫色の女は、恐ろしいまでの殺気を吐き出し、張り詰めた緊張が、道場の中を覆う。女は躊躇なく、刃先を押し込む。
敵が、紫色の女に殺される事は、ほぼ確実であった。
(……死ぬ……)
敵が、心中でそう呟いた瞬間、
「またあたしの勝ちね。」
いつも聞いている明るい声音が、耳元に響いた。
リリスティ・モルクンレルは、床に仰向けに倒れた、妹のサチェスティに穏やかな口調で勝利宣言を行った……が。
「……え?」
リリスティは、いきなり、目を潤ませるサチェスティを見て戸惑った。
「え、ええと……大丈夫?」
と、彼女が心配そうに声をかけた時、いきなりサチェスティは泣き出してしまった。
「ああああああ!また負けたぁ!!!!!!」
いきなり大声で泣き喚くサチェスティから、リリスティは仰天しながら後ろに飛び退いた。
「今度こそは行けると思ったのにぃぃぃぃぃ!悔しい!!!!」
まるで、赤子のように手足をじたばたさせながら、リリスティの妹は泣き喚く。
「うう……思いっ切り泣きたいのはこっちの方よぉ……」
リリスティは、後ろで声を上げた人物に顔を向ける。
彼女の後ろには、サチェスティに“捨て駒”として使われたもう1人の妹、レヴィリネがしくしくと涙を流している。
レヴィリネは、サチェスティが投げた木のナイフの柄が額に当たったため、そこの部分が赤くなっている。
「2人で今度こそは、と意気込んでやったのに、またあたしがこんな役回りとは……」
「ハハ、あんたも辛いもんねぇ。」
リリスティは苦笑しながらレヴィリネに言う。
「それはともかく、早くサチェスティを宥めてやんな。」
「はぁ……しょうがないなぁ。」
レヴィリネは深いため息を吐きながら起き上がり、負けた事でじたばたするサチェスティを宥めに掛かった。
リリスティは、2人の妹を見つめながら、内心でため息を吐く。
(今年の年末は嫌に大人しかったから大丈夫かなと思ってたけど……やっぱり襲って来たわね)
リリスティは2人から顔を背けた後、げっそりとした表情を浮かべた。
リリスティは、実家に帰った後は気晴らしに、この道場で汗を流している。
今日のリリスティは、竜母機動部隊を率いている時と違って、肩が露出し、主に胸の部分から腹の上部分までしか覆いが無い白い上着
(後にタンクトップと呼ばれるような物である)と、腰から膝の上部分までしか無い短い下着を身に付けており、足には靴下と、特注の
軽い靴を履いている。
リリスティは、実家に居る時はいつもその服装で運動を行うのだが、ただでさえスタイルが良い彼女は、肩や腹部(やや腹筋が割れている)
が露出しているこの恰好がかなり扇情的であり、しかも浅黒い肌の上に、伸ばしている艶やかな紫色の髪の毛を、ポニーテール状に束ねている
姿は、リリスティ本人の美貌と、凛々しさを一層際立たせている。
リリスティは、艦隊勤務でたまったストレスを、実家に帰る度にこの道場で発散させているのだが、そんな彼女のストレス発散を邪魔するのが、
サチェスティとレヴィリネである。
モルクンレル家は、リリスティの生みの親である父スラグド・モルンクンレル侯爵と、母アレスティナ夫人を始めとし、リリスティを含む7人
家族で構成されている。
モルクンレル家の第一子はリリスティであり、その2番目にサチェスティ、3番目にレヴィリネ、4番目にハウルスト、5番目にウィムテルス
となっている。
彼女の2人の弟であるハウルストとウィムテルスは、今では成人して、共に帝国軍の一員として任務に付いており、ハウルストは飛空挺隊の
搭乗員として、ウィムテルスはレスタン戦線の石甲師団の小隊指揮官として日々、務めを果たしている。
リリスティが、この4人の妹と弟の中で、最も手を焼かされているのがサチェスティとレヴィリネである。
サチェスティとレヴィリネは、首都にある国外相の職員として日々働いているが、彼女達は、リリスティが実家に帰る度に、何故か決闘を
申し込んで来る。
実家で羽を伸ばしたいと思っているリリスティにとって、妹2人の執拗な挑戦は迷惑千万もいい所であった。
「あんた達……その根性は確かに見上げたもんだけど…もう、諦めたら?」
「諦めない!!」
サチェスティが、顔を真っ赤に染めながら言い返す。
「12年前に姉さんから必ず、一本取ってやるって約束したんだもん!絶対に諦めないからね!」
「失礼ながら、私も同感……かな。」
レヴィリネも小声で相槌を打つ。
リリスティはその言葉を聞くなり、深いため息を吐いた。
きっかけは、リリスティが、格闘術を習って大分慣れてきたサチェスティとレヴィリネから練習試合を申し込まれた時である。
この時、リリスティは2人の妹達に対して、やや手加減しながら2対1の練習試合に臨み、見事勝利した。
だが、それがいけなかった。
リリスティに負けた事が非常に気に入らなかったサチェスティとレヴィリネは、この時から、リリスティに対して執拗に決闘を挑み始め、
今まで30戦もやって来た。
ここ2年程は、事前に挑戦状を叩き付ける事も無く、ほぼ奇襲ばかり仕掛けて来ている。
普通なら、ここで大人の対応とばかりに、1度か2度ほどは接戦を演じて負けてもよさそうなのだが、リリスティも大人気ないもので、
妹達の挑戦に全力で答え続け、30戦中、全勝という結果になっている。
リリスティの負けず嫌いを受け継いでいる2人の妹……特にサチェスティは、今日こそはとばかりに奇襲を仕掛けて来たのだが、結果は
いつも通りとなってしまった。
「とにかく、今回もあたしの勝ちね。ご苦労様です。」
リリスティの皮肉気な言葉が放たれ、それを聞いたサチェスティは、悔しげに拳を震わせた。
この最後のセリフが、何気にサチェスティの負けず嫌いを、大いに刺激させてしまっているのだが、リリスティはわざとそうしている。
性格的にあまり良い人間ではないようだ。
「まぁまぁ、サチェスティ姉さん。今日はこれぐらいにしようよ。ね?」
「うう……」
レヴィリネがサチェスティを宥める。
心優しい妹の説得に応じたサチェスティは、不承不承ながらも頷き、ゆっくりと立ち上がって道場から出ていく。
その後ろ姿を、リリスティは呆れながらも、確実に格闘術の腕を上げている2人の妹に感心していた。
(しかし……あの2人、完全に気配を立っていたわねぇ……一昔前までは、殺気を撒き散らしながら向かって来たから、軽くあしらえたけど。
まっ、今日の採点は、いつもよりも一番多めとして、49点ってとこかな)
リリスティは、2人の妹に足して、心中で微妙な点数を付けた。
2人の妹が道場の出入り口にまで歩いた時、不意にサチェスティが振り向いた。
サチェスティの目はやたらに吊り上がっていた。
「また来らぁ!!」
粗野な捨て台詞を吐いた後、サチェスティはレヴィリネを連れて道場を去って行った。
午前10時 モルクンレル家
朝の運動を終えたリリスティは、その後風呂に入り、9時30分頃には風呂から出、着替えもそこそこに朝食を取った後、慌ただしく
最後の支度に取り掛かった。
リリスティは、せわしない動きで家の応接間に出てきた。
「もう10時か。急がなきゃね。」
彼女は、時計に目を向けながら、紫色のシャツの上に軍服を羽織る。
「姉さん、今日も出勤なの?」
煌びやかな椅子に座って、妹のレヴィリネと談話していたサチェスティが何気無い口調で聞いて来る。
先程、彼女はリリスティに負けた事を大いに悔しがっていたが、彼女は早々と気分の切り替えたようだ。
「ええ。ちょっとばかり、海軍総司令部までね。」
「ふーん……軍人って忙しいわねぇ。」
サチェスティは他人事のような口ぶりで返答する。
サチェスティは、リリスティとは3歳年下の妹で、今年で30歳を迎えている。
背はリリスティより低めで、母親譲りの艶やかな紫色の髪を、三つ網状にして背中に垂らしている。
体のスタイルは、胸の部分はリリスティより若干劣るものの、全体の美貌さはリリスティに勝るとも劣らない。
「まっ、リリスティ姉さんは軍の中でもお偉いさんだしね。2か月前に、また1つ階級が上がっているし。」
姉とは違って、レヴィリネはおしとやかな口調でリリスティに言う。
彼女はサチェスティと違って、髪を肩に届くか届かない所で切っているため、サチェスティやリリスティと違って全体の印象が異なる。
体つきはサチェスティとほぼ同じだが、そのショートヘアのお陰で、2人の姉よりも活発そうな感がありそうなのだが、本人が発する
のんびりとした口調が、その印象をがらりと変えてしまっている。
年は28歳で、未だに華の20代を謳歌出来る事に喜びを感じているようだ。
「ああ、コレね。正直、あたしとしては別に、上がらなくても良かったんだけどね。」
リリスティはため息を吐きながら、羽織った軍服の肩の部分に付いている階級章を見つめる。
リリスティは、今年9月のレビリンイクル沖海戦で得た大勝利の立役者として広報誌に大々的に取り上げられ、いつしかレビリンイクルの
英雄と呼ばれるようになった。
それに加え、彼女は10月15日付けで海軍大将に昇進し、シホールアンル軍史上では初の女性の大将が登場する事となった。
これには、軍の首脳部や一部の貴族達から強い反感を買った物の、最終的には、皇帝オールフェスが承認するという声明が放たれた事と、
リリスティが引き続き、第4機動艦隊の指揮を執ると言う事で、何とか収まった。
本来であれば、リリスティは大将昇進後に、海軍総司令部のNo2である海軍部副総長に任ぜられる筈であった。
だが、リリスティはそのポストへの就任を固辞したため、彼女は大将に昇進したにもかかわらず、第4機動艦隊の指揮官という以前と
変わらぬポストに留まる事となった。
こうして、リリスティは依然と変わらぬ前線勤務に励む事になったのだが、軍服の肩に付いている、将星を現す紋章が4つに増えた事は、
彼女が海軍大将に昇進したと言う何よりの証拠である。
「じゃ、あたしは今年最後のご奉公に行って来るわ。」
「はいよ~。いってらっさい。」
サチェスティは気さくな口調でリリスティに言う。
「そのまま会議が長引いて、来年最初のご奉公もやりました、とかならなければいいけどね。ともかく、気を付けてね~。」
レヴィリネは、おしとやかな口調で、やや毒のある言葉をリリスティに言い放った。
「むむ……何か気にかかる言葉を聞いたような気がするけど、ひとまず。」
リリスティは軽く手を振ってから、ハンガーに掛けられているコートをひったくり、馬車が待っている正面玄関に向かって行った。
彼女の屋敷から、海軍総司令部までの距離は、馬車で15分程の距離にあり、時計の針が15分を過ぎた頃には、リリスティを乗せた馬車は、
赤紫色に彩られた海軍総司令部の正面玄関前に到着していた。
「お嬢様、目的地に到着しました。」
馬車を操っていた御者が、客車に乗っていたリリスティに声をかける。
「ありがとう、トリヴィク。また後でね。」
リリスティは、昔から親友同様に慣れ親しんだ御者にそう返しながら、馬車のドアを開く。
玄関前の左右に立っていた衛兵が、彼女が降りて来るのを見るなり、綺麗な海軍式の敬礼をする。
彼女は衛兵に答礼しながら、海軍総司令部の玄関をくぐった。
リリスティは、総司令部の職員達から奇異の視線を浴びせられるのを感じ取っていたが、彼女はそんな事を気にせず、2階の会議室に
向かって歩いて行く。
2階に上がった彼女は、そのまま会議室に向かい始めるが、会議室の手前にある廊下の前に出た時、不意に何か物音……まるで、慌てて
逃げるかのような足音が聞こえた。
(む?)
咄嗟に、彼女は右手の廊下に顔を向ける。
そこには誰も居ない。
(……今、誰か居たわね。あ、そういえば、この先に確か……)
不審に思った彼女は、廊下の先にある質素な休憩室に向けて足を進ませる。
ひょいと顔を覗かせると、そこには、何かを盗ろうとした瞬間に現場を抑えられたコソ泥のような表情を浮かべた誰か……
いや、彼女が良く知っている人であり……彼女の上司でもある人物が座っていた。
「あ……やっ。久しぶりだね。」
シホールアンル帝国皇帝オールフェス・リリスレイは、途端に爽やかな笑みを浮かべながら、リリスティに挨拶した。
「オールフェス……じゃなくて、陛下。何でこんなトコに?」
「ちょっとここにヤボ用があってさ。ていうか、今は別に、陛下とか言わなくていいぜ。」
元々、ネチネチとした性格であったサチェスティが見習ったほどの切り替えの良さに、リリスティは軽く溜息を吐いた。
「ホント、あんたは相変わらずねぇ。」
「そりゃこっちのセリフだぜ、リリスティ姉。あ、そう言えば、今日の会議、リリスティ姉も呼ばれてたんだな。」
「ええ、そうだけど……って、まさか、そのヤボ用って。」
「ああ。ちょいとばかり、海軍の連中がいい兵器を開発したと言うから、その報告を聞いてやろうかなと思って、こっちに
お邪魔したんだよ。」
「報告なら、わざわざここに来なくても……あんたの住まいでさせればいいじゃない。」
「いや、最近は運動不足で体が鈍っててね。ストレス解消も兼ねつつ、散歩がてらにいいかなって出向いて来たんだけど。」
「こっちには、事前に何か伝えた?」
「いんや。アポなしだよ。というか、俺はこの国の主なんだから、別に必要無いんじゃない?」
けろりとした表情で、オールフェスはそう言い放った。
それを聞いたリリスティは、呆れながらも、オールフェスらしいとばかりに微笑む。
「まぁ……それはそうだけど。こう言う時は、事前に何か言っておくべきよ。でないと、こっちの人もびっくりするじゃない。」
リリスティは、そこまで言ってから、不意に何かを思い出した。
「って、まさかあんた。勝手に城を抜け出したんじゃないでしょうね?」
「あ……バレた?」
「………」
オールフェスの悪気の無い言葉に、リリスティは今度こそ、心の底から呆れてしまった。
彼女の脳裏には、顔を真っ赤に染め上げながら、オールフェスの所在を確認するマルバ侍従長の姿が思い浮かんだ。
リリスティとおオールフェスが会議室に入った後、海軍総司令官のレンス元帥は、幾分緊張した面持ちで口を開いた。
「それでは、本日の会議を開く。」
ようやく始まった会議に、オールフェスとリリスティを除く参加者達は緊張を感じつつ、本来の職務をこなす顔に戻った。
(リリスティが来る前に、皇帝陛下が“来襲”して来たので、彼らは全員が極度に緊張していた)
「最初に、海軍各部隊のこれまでの状況を確認したい。」
「ハッ。では、私が説明いたします。」
海軍総司令部の主席参謀長が答える。
今日の会議では、海軍総司令官のレンス元帥を始め、海軍部副総長と総司令部主席参謀、情報参謀、航空参謀、補給参謀、
人事局長が集まっている。
「現在、我が海軍は、5個の艦隊を保有し、その内3個は臨戦態勢にあります。この3個艦隊は、いずれもヒーレリ北西部にある
ヒレリイスルィに集結しています。本来であれば、この艦隊はヒーレリ中西部沿岸のリリャンフィルクや、西南部のイースフィルクに
配置される筈でしたが、先月末より再び活動し始めた、アメリカ機動部隊の襲撃に備えるため、やむなくヒレリイスルィに根拠地を
移動させています。」
「リリャンフィルクとイースフィルク港の復旧具合はどうなっている?」
「は……一応、進んではおります。ですが、あまり芳しくはありません。」
主席参謀長は、やや声を曇らせながらレンス元帥に返答する。
リリャンフィルクとイースフィルクは、共にヒーレリ領内では有数の規模を誇る港で、シホールアンル帝国は、2ヵ月前まではここに
第4機動艦隊を始めとする主力艦隊を置いていた。
ヒーレリ領内は、他の属国と比べて戦場よりも遠い場所と言う事もあり、海軍基地のみならず、帝国軍の駐留部隊は、保養地さながらの
気楽さで日々の任務をこなしていた。
だが、11月も後半を迎えた時、そののんびりとした状況は一変した。
11月22日早朝。突如としてイースフィルク沖に現れたアメリカ軍の高速機動部隊は、早朝から午後2時までの間に、計3波、
総数700機以上に渡る艦載機でもってイースフィルク港や、その付近にあった軍事施設に猛爆撃を加え、港の港湾施設に蓄え
られていた膨大な各種補給物資がほぼ全滅すると言う事態に見舞われた。
イースフィルク空襲さるという報告を受けた時、シホールアンル海軍上層部は、アメリカ機動部隊の急な出現に仰天していた。
海軍上層部は、レビリンイクル沖海戦と、ホウロナ諸島沖海戦(アメリカ名サウスラ島沖海戦)で消耗し尽くした米機動部隊は、小手先だけの
作戦行動はいつでも行えるだろうが、戦線後方の要所を叩けるだけの大規模な艦隊行動を行えるのは、せめて来年の1月からであろうと
確信していた。
彼らは彼らなりに、アメリカの国力を見据えたうえでこう判断していたのだが、現実は残酷であり、彼らは、自身の判断が甘かった事を酷く後悔した。
来年1月頃に本格的な行動を開始する筈であった宿敵、米機動部隊は、予想よりも早い11月下旬、戦場にその堂々たる姿を現したのである。
イースフィルクを襲った米機動部隊は、同日正午前に偵察ワイバーンに発見されている。
敵機動部隊は、空母4隻ないし、5隻程度の陣形を少なくとも3つ組んでいた事が偵察ワイバーからの報告で明らかになっており、復仇の機会に
燃えた同地の航空部隊は、早速、敵機動部隊撃滅のためにワイバーン180騎からなる攻撃隊を発進させた。
だが、米機動部隊は艦載機を収容した後、いち早く海域から撤退したため、攻撃隊が敵機動部隊を発見する事はなかった。
それから12月下旬まで、アメリカ機動部隊はヒーレリ近海に姿を現さなかった。
シホールアンル側は、敵機動部隊が引っ込んだ事で安堵したが、その静寂も唐突に打ち破られた。
12月21日、冬の悪天候を付いてヒーレリ沿岸に最接近した米機動部隊は、再びイースフェルクを空襲した後、翌日にはリリャンフィルクにも
魔の手を伸ばし、大損害を与えた。
特に、このリリャンフィルクでは艦艇の損害が大きく、最新鋭の巡洋艦1隻を含む5隻の主力型の艦艇が失われた。
実を言うと、このリリャンフィルク空襲で撃沈された5隻の艦艇は、ある作戦を実行するに当たって、第4機動艦隊と、その他の主力部隊から
回された虎の子の戦力であった。
そのある作戦とは、シホールアンル軍が極秘で行っていた、連合軍捕虜輸送作戦である。
シホールアンル軍は、今後予想されるスーパーフォートレスの本土への戦略爆撃に対する手段として、主要な軍事施設や工業施設の周辺に
捕虜収容所を建設し、そこに今まで得て来たアメリカ兵を始めとする連合軍捕虜を収監し、それを大大的に喧伝して戦略爆撃を躊躇させよう
と考え、その作戦を実行に移した。
だが、作戦は、記念すべき第1回目の輸送から悲惨な結末を迎える事になった。
偽装対空艦を捕虜輸送船代わりに使って行われた第1次輸送作戦は、アメリカ海軍並びに、カレアント海軍、ミスリアル海軍の共同で行われた
捕虜奪取作戦であっけなく頓挫し、作戦に参加した駆逐艦2隻、偽装対空艦1隻は全てが未帰還となった。
シホールアンル軍上層部は、まさか、開始当初からこのような結果になるとは予想だにしておらず、輸送部隊全滅の報が伝えられた時は、
誰もが強いショックを受けていた。
だが、シホールアンル側は諦めなかった。
輸送部隊から送られてきた報告で、敵の捕虜奪取艦隊に、カレアント海軍の中でも随一の防御力を誇る巡洋艦(厳密には強襲艦である)
ガメランが加わっていた事。
それに加えて、米機動部隊から分派されたと思しき空母と、その艦載機も加わっていた事が明らかとなり、シホールアンル海軍は、連合国
海軍の再度の襲撃に対抗するため、作戦開始当初の予定であった、偽装対空艦に対する護衛戦力を駆逐艦2隻から、巡洋艦2隻、駆逐艦6隻
に改め、更に今年12月2日には、最新鋭の小型竜母も護衛に付ける事も決まった。
第2次捕虜輸送部隊は、輸送艦の役目を果たす偽装対空艦1隻を編成に加えた後、12月12日にリリャンフィルク港に入港し、小型竜母の
到着を待った。
捕虜輸送艦隊の指揮官は、連合軍の襲撃艦隊に、カレアント軍の小癪な巡洋艦どころか、アメリカ軍の巡洋艦が襲い掛かって来ても蹴散らしてやると、
作戦開始前から気合を入れていたが、現実は残酷であった。
小型竜母の到着が23日に決まり、いよいよ作戦開始という時に、アメリカ機動部隊がリリャンフィルク沖に出現し、同地を攻撃するために
艦載機を大挙出撃させたのだ。
米機動部隊は、早朝から午後1時までの間に、実に4波、800機以上の艦載機を出撃させ、リリャンフィルク港に停泊していた在泊艦船や
港湾施設を猛爆した。
第2次捕虜輸送部隊も、この艦載機の波状攻撃の前に手も足も出ず、巡洋艦1隻、駆逐艦4隻、偽装対空艦1隻が撃沈され、巡洋艦1隻大破、
駆逐艦2隻中破という大損害を受けて壊滅してしまった。
リリャンフィルク港に元々居た在泊艦船も17隻が撃沈破され、港湾施設も6割が破壊されると言う甚大な損害を受け、リリャンフィルク港は
事実上、壊滅状態に陥った。
第2次輸送部隊は、小癪なマオンド巡洋艦ばかりか、米軍の水上部隊さえも返り討ちに出来るほどの戦力を有していたが、彼らは本来の任務を
開始する前に、襲撃艦隊とは比べ物にならぬほどの凶暴な、米機動部隊によって、たちまちのうちに戦力を食らい尽くされたのである。
米機動部隊はリリャンフィルク港を猛爆した後、返す刀でシェリキナ連峰の航空戦にも乱入し、同地の基地航空部隊や航空基地に大損害を与えた後、
悠々と引き上げて行った。
この、一連の猛攻で受けたシホールアンル側の損害は甚大であり、シホールアンル海軍は否応なしにヒレリイスルィに引っ込まざるを得なくなった。
「やはり……連日、悪天候が続いては、復旧作業も思うように捗らないか。」
「それもありますが、敵機動部隊が差し向けた敵艦載機が、徹底した空爆を加えた事にも、作業に遅れを来す要因の1つでもあります。
米艦載機は、こちら側が破壊されたら嫌な目標……倉庫や物資集積所は勿論の事、輸送船の荷降ろしを行う専用の昇降機材をも片端から
狙い撃ちにしていきます。これによって、本来であれば真っ先に復旧しなければならない荷揚げ用の昇降機材が多すぎる上、この悪天候で
作業員の労働時間が自然的に短くなるという悪循環が起こっているため、港の復旧は、遅れに遅れているようです。」
「今の所、第4機動艦隊を含む3個艦隊は、ヒレリイスルィにて待機状態にあります。先の空襲で、我が方は甚大な損害を被りましたが、
幸いにも、敵機動部隊がイースフィルクとリリャンフィルクだけに的を絞ったお陰で、竜母や戦艦といった決戦兵力には、何ら損害を
受けておりません。従って、一連の空襲で受けた我が海軍の被害は、決して重い一撃であったと言う事は無いと、思われます。」
総司令部副総長の言葉を聞いたリリスティは、むっとなった。
「主席参謀長。確かに竜母と戦艦は無傷だったけど、私の艦隊から分派した巡洋艦と駆逐艦は、5隻が沈み、3隻が損傷してドック送りになっている。
この艦隊は、第4機動艦隊の第3群と第4群の司令に無理を言って抽出させている。私としては、これらが失われただけでも、艦隊の防空戦力に穴が
開いたと思っているのに、貴方の口ぶりでは、この損害は微々たるものだ、と言っているように思える。」
「モルクンレル司令官。私は何も、喪失した艦艇に対して、何ら感じていないとは言っておりません。提督が指揮される第4機動艦隊は我が海軍の
主力です。その主力の一員である艦艇が、敵の空襲で失われた事は、本当に残念であると思います。」
副総長は、リリスティから視線をそらさぬまま、そう語る。
ふと、彼女は一瞬だけ、主席参謀長の目に影が過ったような気がした。
(へぇ……普段は、駆逐艦や巡洋艦など、ただの召使程度にしかならんとかいっている奴が、そんな事言うんだ。)
リリスティは内心、弁解する主席参謀長を嘲笑ったが、顔は無表情のまま主席参謀を見つめ続ける。
「貴官がそこまで言うなら、私は何も言わない。話を続けて。」
「はっ。ありがとうございます。」
副総長は軽く一礼する。
彼の代わりに、今度は主席参謀長が口を開く。
「現在、第4機動艦隊並びに第2艦隊、第3艦隊はいつでも出動が可能な状態にあります。もし、アメリカ側が新たな進行作戦を
開始したとしても、遅くて2日以内には軍港から出撃が出来るよう、準備は整っております。第4機動艦隊の状況については、
モルクンレル司令官からご説明をお願いします。」
話を振られたリリスティは、軽く咳払いをしてから状況を説明し始める。
「第4機動艦隊は現在、正規竜母7隻、小型竜母8隻、戦艦5隻、巡洋戦艦3隻、巡洋艦17隻、駆逐艦69隻を保有しています。
艦隊が有するワイバーンは総計870騎で、練成も既に終えています。艦隊将兵の士気は意気軒高であり、いつでも決戦に臨めます。」
「提督の方から、今の艦隊編成に関して、何か意見はありますかな?」
「率直に申し上げますが……第4機動艦隊に必要とされる対空艦の数が、未だに足りません。」
「対空艦の数が足りぬだと?君の艦隊には、先日も最新鋭のマルバンラミル級巡洋艦を3隻送った筈だが。」
「その厚意に付いては、深く感謝しています。ですが、マルバンラミル級は確かに対空火力が強力である物の、フリレンギラ級に比べると、
敵に向けられる対空火力は幾らか劣ります。私が以前申し上げた話では、フリレンギラ級の改良型であるウィリガレシ級巡洋艦2隻を、
我が艦隊に配備して欲しいと述べた筈ですが……」
リリスティは、やや目を細めながらレンス元帥に言う。
ウィリガレシ級巡洋艦とは、フリレンギラ級巡洋艦の準同型艦的な位置にある防空巡洋艦であり、1482年2月に5隻が起工され、
その最新鋭艦である2隻が、11月下旬に就役している。
ウィリガレシ級巡洋艦は、基本的な兵装はフリレンギラ級と変わらないが、機関部の装甲強化や、艦の動揺を抑える等の改良を施しており、
基準排水量は6300ラッグ(9450トン)と、前級よりもやや重くなっている。
しかし、主砲は、フリレンギラ級の54口径4ネルリ砲よりも性能が高い61口径4ネルリ砲を搭載しており、これによって砲弾の初速が
早くなり、敵機の迎撃がよりやり易くなった他、対艦戦闘でも、その高初速によって敵巡洋艦の装甲を貫き、例えクリーブランド級や
ブルックリン級相手に戦っても撃ち負けないと期待されている。
リリスティは、この2隻の防空巡洋艦を第4機動艦隊に組み込んでほしいと、再三再四に渡って上層部に頼み込んでいた。
彼女は、9月のレビリンイクル沖海戦で、指揮下の竜母部隊を従え、米機動部隊の撃破に大きく貢献したが、同時にまた、敵艦載機の
脅威を改めて痛感していた。
指揮下の竜母をこれ以上犠牲にしたくないと考えるリリスティは、艦隊防空力の更なる向上を行うため、各方面に対空戦闘力の向上した
艦を回してもらうように働きかけた。
その甲斐あってか、リリスティの機動部隊は、巡洋艦17隻のうち、7隻がマルバンラミル級、5隻がフリレンギラ級で占められ、
駆逐艦は69隻中20隻が、新鋭のスルイグラム級駆逐艦が配備され、20隻はマブナル級駆逐艦で占められる状態までになった。
それでも、リリスティは満足しておらず、更に対空艦の増派を司令部に要請した。
しかし、新鋭のウィリガレシ級は第3艦隊に配属された。
彼女は、この事に大きな不満を抱いたが、既に上層部が艦の配備を決定した事と、第4機動艦隊だけがいい物を独り占めしているという
声が上がっている事も考慮した上で、この件に関しては何も言わぬ事を決めた。
「ですが、その件に関しては、もう既に上層部で話が決まっておりますから、私としてはこれ以上、言う事はありません。無論、現状の
戦力で足りぬと言う認識は変わりません。しかし、私も一帝国軍人である以上、いつまでも同じ事に固執する事はありません。よって、
私としましては、戦力補充等に関する意見具申はありません。」
「そう言いつつ、言いたい事はしっかり言ってるじゃないか。」
それまで、黙って話を聞いていたオールフェスが口を開く。
「これは陛下……」
リリスティは、先とは違って、公の場で話すような口調でオールフェスに言う。
「私としましては、これが当然の事だと思いますので。」
「ふむ。モルクンレル大将とは長い付き合いだが、そこの所は本当に、昔から変わらない物だな。」
オールフェスは苦笑しながらそう言った。
「おっと、途中で割り込んでしまったね。どうぞ、話を続けてくれ。」
彼はおどけた口調で、会議の再開を促した。
「ひとまず、第4機動艦隊の状況は良好、という事でよろしいかな?」
「はっ。そのように理解していただければ。」
リリスティは、冷たい口調でレンス元帥に返した。
「第2艦隊、第3艦隊の方でも、第4機動艦隊と同様です。」
「うむ。準備は整っている訳だな。」
レンス元帥は満足そうに頷く。
「これで、フィレヴェリド級戦艦も早く完成していれば、まさに言う所無しだったのですが。」
「主席参謀長。君の言いたい事は良く分かるが、早くて1月。遅くても2月頃に予定されている敵の大規模作戦には間に合うまい。」
「……となると。後は、戦艦部隊に配備されつつある、切り札に頼るしかないですね。」
「ほう、もしかして、その切り札って言うのが、最近開発されたばかりの新兵器って奴かな?」
「流石は陛下。既に聞き及んでおりましたか。」
レンス元帥が慇懃な口調で言う。
「聞いたと言っても、その詳細までは分からないがね。それで、その切り札とは一体、何なのかな?」
「切り札と言いましても、限定された戦域でしか使えぬ物ですが……」
レンス元帥は、その切り札の詳細をオールフェスに話した。
5分後、説明を聞き終えたオールフェスは、満足気な顔を浮かべていた。
「……ほほう。確かに、万能兵器って奴じゃないみたいだが、それでも、戦艦同士の砲撃戦では役に立つかもしれねえな。」
「問題は、アイオワ級戦艦にも通用するかどうかです。」
「今後就役するフィレヴェリド級を除く我が方の戦艦が、敵戦艦の主砲口径より小さい口径の砲しか持たぬ以上、出来る事はそれぐらい
しかありませぬので。もし相手がアイオワ級戦艦の場合は、新兵器が相手を撃ちのめす間に、こちら側が手痛い損害を受ける場合もあります。
そのため、現段階では、ネグリスレイ級が互角に撃ち合う事が出来るのはサウスダコタ級並びにノースカロライナ級が限度となります。」
「まっ、それでも、対抗できる手段が出来たって事はいい事だ。少なくとも、マオンド海軍の新鋭戦艦のようにはならないさ。」
オールフェスは愉快そうな口調でレンス元帥に言った。
「ところで、モルクンレル提督。君に話がある。」
「はっ、何でしょうか。」
リリスティは抑揚の無い口調で答える。
「今後の艦隊編成の事に付いてだが、我々も色々と話し合った結果、君達の艦隊に、第3艦隊に配属されていた巡洋艦全てと、駆逐艦の半数を
回す事に決めた。」
「……え?」
リリスティは、レンス元帥の言葉の前に半ば唖然となった。
「それはつまり、第3艦隊に配属されているルオグレイ級巡洋艦3隻のみならず、ウィリガレシ級巡洋艦2隻と、駆逐艦8隻も我が艦隊
に下さると言う訳ですか?」
「そうだ。」
レンス元帥は即答した。
「だが、その代わり。君の艦隊に配属されているネグリスレイ級戦艦は、全て第2艦隊に回す。」
その言葉を聞いたリリスティは、今度は失望の余り、言葉を失ってしまった。
「しかし、これは君の手元にある戦艦を永遠に取り上げると言う事では無い。この戦艦部隊は、機動部隊同士の航空戦の場合は、各竜母群の
護衛艦として働いてもらう。編成上、第2艦隊は第4機動艦隊とは別の部隊だが、実戦の場合は臨時に第2艦隊の指揮下に組み込み、来年1月
初旬に戦力化するプルパグント級竜母3番艦ラルマリアと、未成巡洋艦から改装した2隻の小型竜母を付けて、新たに1個機動部隊編成する。
水上砲戦となれば、巡洋艦5隻、駆逐艦12隻で編成された第2艦隊に、君の部隊から戦艦を回して敵艦隊に決戦を挑む。水上砲戦が終われば、
再び護衛艦として機動部隊に戻って来るだろう。」
「要するに、貴官の指揮官にある竜母群が、更に1つ増えると言う事ですよ。」
主席参謀長が穏やかな口調でリリスティに言う。
「竜母群が、もう1個部隊……ですか。」
リリスティにとって、今告げられた事は正直に喜べる内容だった。
だが、彼女は素直に喜べなかった。
「総司令官閣下。第4機動艦隊に対するこの厚遇は、誠にあり難き事ではありますが……戦力の面……特に、小型竜母のワイバーン搭載量や、
ワイバーン隊の錬度について、私は幾らか不安を感じるのですが。」
リリスティは、未成艦から改装された小型竜母……もとい、新鋭竜母のヴィルニ・レグ級がどのような性能なのかを熟知している。
ヴィルニ・レグ級小型竜母は、2年前より建造が始まった戦時急造型竜母であり、シホールアンル帝国造船界ではNo.2の規模を誇る
ヴィンドラゴ造船商会から贈られた(帝国造船界最大手のイン・ヴェグト商会に対抗して行われている)大型船用の船体を利用して作られた物だ。
全長89グレル(178メートル)、全幅13.2グレル(26.4メートル)、基準排水量が5700ラッグ(8550トン)と、船体は
ライル・エグ級竜母よりも一回り程小さい。
搭載ワイバーンは30騎、武装は両用砲5門に魔道銃24丁と、いずれもライル・エグ級竜母よりも劣り、防御力も並みの巡洋艦程度しかない。
速力は15リンルと、ライル・エグ級と同等であり、機動部隊に随伴するには、何とか合格点を与えられる性能ではある。
だが、全体的な性能は、ライル・エグ級と比べて一段落ちる印象があり、1番艦ヴィルニ・レグと2番艦グンニグリアは、共に今年の9月に
竣工したばかりとあって、乗員の錬度も未知数である。
また、新たに編成されたワイバーン隊も、今年の9月下旬に本格的な戦闘訓練を開始したため、ワイバーン隊の竜騎士は、新鋭正規竜母である
ラルマリアも含めて新米が大多数を占めており、いざ実戦となれば任務を果たせられるか大いに疑問が残る。
第2艦隊自体は、元々がリリスティの機動部隊に所属していたルオグレイ級やオーメイ級巡洋艦と、駆逐艦が全てであるため、対空戦闘は勿論、
水上戦闘も満足に行えるだろう。
しかし、第2艦隊に守られる筈の主力竜母3隻が心許ないとあっては、万全と思える布陣でも、リリスティにはそれが、ただのはりぼてで出来た
簡素な作り物にしか見えなかった。
(この人達……ただ戦力の頭数だけ揃えればいいと思っているの?)
リリスティは、心中でそう思った。
「ふむ、確かに君の言う通りだ。だが、この竜母3隻は、防空任務を主体に作戦行動を行わせる。要するに、君に護衛専門の機動部隊を1つ付けて
やると言う訳だ。ただ、この3隻の竜母にも、少数ながら攻撃役のワイバーンを付けている。敵機動部隊を戦う際には、この攻撃ワイバーンも付けて、
敵の空母を叩いて貰いたい。」
「はぁ……しかし、相手は戦力を盛り返してきたアメリカ機動部隊です。あたし達の艦隊に、竜母が3隻も加わるのは誠に嬉しい限りですが、
相手も当然、猛攻を加えて来るはず。行けと言われれば、無論、私は行きます。ですが……本当に、この竜母群も戦列に加えてよろしいのでしょうか?」
「なに。今度の決戦では、我が海軍のみならず、陸軍からもワイバーン隊の協力を行うよう約束を取り付けてある。無論、敵も空母20隻以上を含む
大機動部隊だが、こちらもやっとの事で、敵と互角の竜母戦力を得ている。」
「陸軍のワイバーン隊ですか……確かに数はありますが、錬度は海軍航空隊ワイバーン隊よりも下回る部隊が多いと聞いています。」
リリスティは尚も食い下がる。
虎の子の3隻の竜母と、そのワイバーン隊も不安が残る航空隊だが、彼らは着艦技術と言う海軍航空隊独自の特殊技能を身に付けている分、まだ使える。
だが、陸軍のワイバーン隊は海軍のワイバーン隊よりも厳しい訓練を受ける機会が少なく、昔は陸海軍共、互角と思われていた航空隊同士の演習でも、
最近では海軍ワイバーン隊の方が勝利する事が多くなっている。
錬度が更に低い部隊が多分に混じっている陸軍ワイバーン隊が、果たして味方機動部隊との連携を果たせるのか?
リリスティはこの点が非常に気になっていた。
「果たして、このような戦法でよろしいのでしょうか?」
「大丈夫だ、問題無い!」
レンス元帥は低く、しかし、叩き付けるような口調でリリスティに言った。
彼の口調は、まるで黙れと言わんばかりであった。
「モルクンレル提督。君の不安は良く分かる。だが、このように戦備は整っておる。後は、敵がどう出て来るか待つだけだ。その時こそ、敵に
講和を結ばなかった事を後悔させるチャンスだ。決戦の時には、君が再び活躍するチャンスでもある。私は、君に期待しているぞ。」
レンス元帥は、穏やかな口調でリリスティに言ったが、リリスティには、それが何らかの脅しにしか聞こえなかった。
会議は正午前までには終わった。
オールフェスは会議が終わると、
「今日はなかなか面白い話が聞けて良かったぜ。じゃ、俺はこれでおいとまするよ。」
と、軽やかな口調で言ってから、海軍総司令部を出て行った。
リリスティは、会議が終わった後、半ば放心しながら総司令部の出口に向かって行った。
「……竜母が増えて、アメリカの機動部隊に対抗し易くなったのはいいけど、場合によっちゃ戦艦を殆ど取り上げるぞ、なんて抜かしやがって……
それに、増えた竜母も、乗員と竜騎士も含めてほぼ“新品”となっちゃってる……あれで鬼畜三姉妹(連合国海軍の言うヨークタウン三姉妹である)
の航空隊とぶつかったら、どうなるかわかってんのかなぁ……まぁ、軍艦の所有者はあたしでは無いんだけど……ああ、胃が痛い。」
リリスティは、きりきりと痛む腹を抑えながら、ゆっくりと階段を下りていく。
途中で、眼鏡をかけ、軍服を着崩した女性士官とすれ違った。
「……あ。アンタもしかして、リリスティ?」
後ろから唐突に声がかかった。
振り向いたリリスティは、声をかけた女性の顔をまじまじと見つめた。
その女性士官の肌は白く、髪を後ろに束ねている。
眼鏡をかけたその顔は理知的に見えるが、その目の下にあるクマのお陰で、鬱病患者のような印象を受ける。
軍服は着崩されているため、袖や裾がだらしなく垂れ下がり、開かれたシャツの胸元からはひっそりと豊満な胸の谷間が見えていたりする。
一目で見ればまあ美人であるが、そのだらしない姿のせいで、軍服を脱げば浮浪者と見間違えられるのは、ほぼ確実と言えた。
「ええと……だれだっ……あ!思い出した!」
その瞬間、リリスティは、そのだらしない姿をした女性が、士官学校の同期生である事を思い出した。
「あんたは……まな板のヴィル!!」
「そっちかよ!」
知らず知らずのうちに、リリスティは眼鏡の女性に頭をはたかれていた。
所変わって、ここは海軍総司令部の地下室に設けられた海軍情報室。
「ここが、私めの執務室であります。大将閣下。」
シホールアンル海軍総司令部情報室主任である、ヴィルリエ・フレギル中佐は、リリスティを自らの仕事部屋に案内した。
「ちょっと、今は2人しか居ないんだから、敬語なんていいわよ。」
「ハハ、本当、あんたは相変わらずだねぇ。」
フレギル中佐は、悪戯っぽい笑みを浮かべながら部屋の中に進む。
彼女の仕事部屋には、7つの執務机があるが、どの机の上にも、まるで狂ったように集めまくったかのような、夥しい数の紙の束が
置かれている。
書類は机の上だけでは無く、床中にも散らばっているため、まるで、物盗りに荒らされた被害者の家のごとき様相を呈していた。
「ごめんね。部屋中がちらかってるけど、適当な椅子に座っていいよ。」
彼女は、6つ並べられている椅子に手を差し向けながら、リリスティに勧める。
「じゃ、遠慮なく。」
リリスティは、適当にイス1つを取って、それに腰を下ろした。
「しっかし、こうして会うのは、一体何年ぶりだろうねぇ。」
ヴィルリエは、口に加えたキセルに火を付けながら、リリスティに向けて言う。
「士官学校卒業以来だから……かれこれ13年になるかな。」
リリスティはヴィルリエに返事しながら、彼女の胸元を注視する。
「しかし、上手い具合に成長したなぁ。士官学校時代は、皆に言われまくってたのに。」
「フッ。人間、努力すれば変われる物なのさ。というか、何で皆は、あたしの顔を見るなり、まな板まな板って言うのよ!今じゃこんな
体つきになって、男なんか釣り放題って言うのに!」
「まぁ……あの時のあんたは、見事なまでにまっ平らだったからねぇ。」
リリスティはしみじみとした顔つきでそう言い放った。
「正直、そんな格好になるなんて予想できなかったわよ。」
「はぁ……ホント、皆変わらないんだから。」
ヴィルリエは、紫煙と共にため息を吐き出した。
「しかし、あんたはまた、上手い具合に出世したわね。同期生の中で、リリスティのように大将まで昇りつめた人はまだ居ないよ。
一番の出世頭と言われた奴でも、少将止まりなんだからね。」
「本当は、大将になんてなりたくなかったわ。前線でワイバーンを操って、敵と戦っていた時の方が気分は楽だったわ。」
「良く言うよ。あたしなんか、日蔭者のいち中佐だよ?しかも、仕事はきっちりこなしているのに、その成果を認めたがらない馬鹿上司
ばっかりだから、もう、うんざりよ。」
「こっちはこっちで大変だよ?今日の会議で、あたしはあまり頼りになるとは言えない竜母部隊も抱え込めとか言われたし。」
「おっ、新しい竜母が増えたのかい?ならおめでとう……と言いたいけど、あんたとしてはそうも言えないみたいだね。」
「当然よ!」
リリスティは憤りの余り、頬を赤くする。
「竜母自体が新品ならまだしも、それを操る乗員も、そして搭載するワイバーン隊も新品ってどういう事なのよ!?あたしはこんな事、
初めてだわ!」
「……やっぱり、レビリンイクル沖海戦後の影響を、まだ引き摺っているみたいだね。」
「……やはり……か。」
リリスティは表情を曇らせる。
彼女は、レビリンイクル沖海戦後、機動部隊の航空戦力の再編に全力を尽くし、何とか今日までに、一応まともと言える航空戦力を
準備する事が出来た。
だが、あの海戦の後から、艦隊航空隊の技量が以前よりも低下している事は、実際に訓練に立ち会った彼女から見ればはっきりと分かる。
今ではまともになったとはいえ、戦力再編が行われ始めた9月下旬頃は、母艦への着艦の仕方が危ないワイバーンが少なからず居た。
あの海戦前にも、幾度かワイバーンの補充はあったが、補充されたワイバーンや竜騎士は、満足に着艦出来ていた。
それに加えて、空戦技能もなかなかの物だったが、最近補充されたワイバーン隊では、初歩的な戦法ですら満足に行えない者が少なくなかった。
リリスティは、新米連中にも猛訓練を行わせ、急速に技量を向上させているが、今度の新鋭竜母はそれを行う暇すら満足に与えられずに、
実戦に投入されようとしている。
レビリンイクル沖海戦で、シホールアンル軍は確かに、強大な米機動部隊を打ち破った。
しかし、その代償は余りにも大きく、多くのベテラン竜騎士やパイロットの喪失は、後方の教育航空隊の基本方針にも大きな影響を与えている。
前線に必要な、優秀な竜騎士やパイロットは、今や不足しつつあり、代わりに、まだ赤子同然のような竜騎士、パイロット達が、前線の荒波に、
容赦なく揉まれ、少なからぬ者がその命を散らしていた。
「まぁ……竜母の数が揃っただけでも、一応は良しとするべきかもしれないけど……本音を言えば、あの竜母群は、一人前になるまで、実戦に出したくない。」
「………」
リリスティの痛切な本音に対して、ヴィルリエは無言のまま、ただキセルをくゆらせるしかなかった。
「ごめんなさい。こんな、湿っぽい言葉を言っちゃって。」
「いいんだよ。言いたい事は、躊躇せず吐き出したらいいんだ。」
ヴィルリエはキセルを置き、眼鏡を外してハンカチでレンズの表面を拭き取る。
「ところで、あたしはさっき、リリィに面白い事を聞かせてあげると言ったわよね?」
「ええ。そう聞いたね。」
レンズの汚れをふき取ったヴィルリエは、眉間を軽く押さえてから眼鏡をかけた。
「あんた、アメリカ軍の動きが、どこかおかしいと思わない?」
「おかしい……と、言うと?」
「なんか、いい具合に動いていない?まるで……こっちの動きを見透かしているかのような。」
「見透かしている……ちょっと待って、ヴィル。貴方は一体、何が言いたいの?」
「話は簡単さ。正直、あたしはそうと仮定してから、敵のこれまでの不可解な動きを、ようやく理解する事が出来た。ここ3日間、
あたしは仮設を裏付けるために、あらゆる資料を集めて、調べに調べた。我が国は勿論の事、マオンドから寄越された情報に関してもね。
そして、私はある結論に達したの。」
「結論……まさか、ヴィル。あんた……」
リリスティは、自らが出したその結論を信じられなかった。
「流石はリリィ。その冴えた勘は相変わらずね。」
ヴィルリエは、妖艶な笑みを浮かべる。彼女の眼鏡に照明の明かりが反射する。
「私としても、信じたくは無かった。でも、これまでの情報で、私はそう確信したわ。こちら側の情報は、敵に筒抜けだって事をね。」
「……そんな……じゃあ、あたし達が極秘扱いで送った報告とかは……」
「何らかの形……それもスパイでは無く、もっと堂々とした形で漏れているとしか考えられないわ。そうでなければ、マオンド戦線での
アメリカ軍の素早い立ち回りや、敵機動部隊が執拗に、哨戒網の穴を“偶然”に突破する筈は無い。」
「なんて……こと……」
リリスティはショックの余り、目の前が真っ白になった。
彼女自身、これまで、アメリカ機動部隊があっさり、ヒーレリ近海に侵入できる事を不審に思っていた。
だが、彼女はただ、運が悪かったかぐらいにしか思っていなかった。
しかし、ヴィルリエの言う事が正しければ、アメリカ機動部隊が、敵側の制海権内にも関わらず、派手に暴れられる事も理解できる。
「情報が漏れている……それじゃあ……あたし達は、敵の軍人達と一緒に作戦会議をやっているような事を、何度も何度もやっていた事になる……!」
「ああ。本当に恐ろしい事さ。」
絶望に打ちひしがれるリリスティを見つつ、ヴィルリエは単調な声音で呟く。
「あたしはこの事をしっかり、上に伝えようと、情報参謀に伝えたんだ。だが、あいつは何と言ったと思う?地下籠りの平民モグラが何を
言っているのか、だってさ。」
「……え?それは本当なの?」
「実際に言われたあたしが言ってるんだ。間違い無い。」
ヴィルリエがその言葉を言い終えた瞬間、いきなりリリスティは席から立ち上がった。
「この国の一大事って時に、そんな下らない事を抜かしやがって!!!!」
リリスティは目尻を吊りあがらせ、ドアを突き飛ばさんばかりの勢いで出入り口に駆け寄った。
怒りに駆られたリリスティの動きを、ヴィルリエが羽交い絞めにして何とか止める。
「ちょっと、リリィ!一体どうしたっていうの!?」
「情報参謀に、あんたから聞いた話を伝える。そして、またくだらない事を言うのなら、その横っ面ぶん殴ってでも話を信じさせる!」
「暴力を振るうつもり?それじゃ駄目だよ!」
「でも、ヴィル!あんたは悔しくないの!?士官学校も卒業し、立派に任務をこなしているのに侮辱されたんだよ!」
「悔しくない筈が無い!」
ヴィルリエが叫び返す。
「いっそ、ぶん殴ってやろうかと思った!でも、それをやったらおしまいよ。リリィ、あんたは大将になった。でも、大将って、
そう簡単に暴力を振るっちゃいけないんだよ!何故だかわかる?」
「……そんな事分かってるわ。」
「いや、分かって無い!分かってないから、情報参謀に暴力を振るおうとするのよ!大将といえば、所属する軍を代表する軍人でもあり、
場合によっては政治家代わりにすらなる。そんな自覚を持たないと、リリィ、あんたは大将の資格は無いとすら言われてしまう。
それでもいいの!?」
「く……」
リリスティは、親友の厳しく、しかし、筋の通った正論に対して、何ら言い返す事が出来なかった。
「う……ごめん、ヴィル。」
「ふぅ……やっと大人しくなったか。」
暴れるリリスティを抑えていたヴィルリエは、やれやれとばかりにリリスティを離した。
「リリィの気持ちは嬉しいけど、今は冷静にならないと。」
「そうだね……はぁ、またヴィルに説教されたなぁ。」
リリスティは恥ずかしげに顔を赤らめる。
「その暴走し易い性格は何とかならないの?あんた、もしかして、体の中に凶暴な男が入ってたりしない?」
「流石にそれは無いわね。」
リリスティはあっさりと否定した。
「まっ、それはともかく。今はまず、情報を整理する必要があるわ。でないと、また情報参謀に門前払いを食らいかねない。」
「報告するなら、あたしも連れて行けばいいよ。大将が一緒にやって来たとなれば、情報参謀も慌てるだろうし………」
リリスティは、そこまで言ってから急に体を固くした。そして、そのまま椅子に座りこむなり、顔を俯かせながら何か考え事を始めた。
「……」
「リリィ……?」
ヴィルリエは、心配そうに声をかけるが、リリスティは反応しない。
「……リリィ?どこか、体の具合が悪いの?」
ヴィルリエが再度声をかけた時、リリスティが急に顔を向けた。
「い……!?」
ヴィルリエは思わず仰天してしまった。
リリスティの瞳には光が宿っていない。彼女の眼は、明らかに死んでいた。
「今考え中。邪魔しないで。」
リリスティは、無機質な声音でそう答えた。
(ちょ……まさか、病んでる?)
ヴィルリエは、恐怖感に苛まれながらも、心中で呟く。
再び顔を俯かせたリリスティ。10秒ほど経つと、微かに笑った。
(笑ってる?一体、何にデレているのって……何考えてんだあたし!)
ヴィルリエは、一瞬、的外れな考えをした自分を責める。
再び、リリスティが顔を上げた。
「……何か、いい考えが浮かんだかもしれない。」
リリスティは、額に汗を滲ませながらヴィルリエに言う。
その目は、さっきのような光を失った目では無く、活路を見出せた勇者が浮かべるような、輝きのある目だった。
「いい考え?」
「ええ。でも、連合軍相手に、どこまで通用するかは知らないけど。でも、このまま手をこまねいているよりは、遥かにマシだと思うわ。」
リリスティはそう言うと、今しがた考えた事をヴィルリエに伝えた。
1485年(1945年)1月3日 午前8時 バージニア州ノーフォーク
この日、休養のためノーフォーク軍港に寄港していた、第7艦隊第72任務部隊所属の空母イラストリアスでは、雪が降っているにも関わらず、
飛行甲板や右舷の張り出し通路には、多くの乗員が内陸の水道からゆっくりと出て来る大物に目を奪われている。
空母イラストリアス艦長、ファルク・スレッド大佐は、防寒服を着ながら、艦橋の張り出し通路から副長と共に、大物を見物していた。
「いやはや……でかいですなぁ。」
「ああ…こいつは凄いぞ。」
驚きの声を上げる副長に、スレッド艦長も驚きの声で返事した。
「あの艦の性能を聞いてから、本当にあんな大型艦が出来上がるのかと思っていましたが、それを本当に……しかも、起工から僅か2年3カ月で
作り上げるとは。アメリカの工業力は恐ろしい物ですな。」
「同感だよ。」
スレッド艦長は頷く。
「しかも、このイラストリアスと同じ装甲空母でありながら、遥かにでかい大物が2年3カ月で完成、だからな。前の世界のチャーチル首相が
見たら、驚きの余り椅子から転げ落ちてたかも知れんな。」
スレッド艦長は感嘆しながら、水道から出て来る大物……CV-41リプライザルを見つめ続けた。
リプライザルは、アメリカが満を持して竣工させた最新鋭の大型正規空母である。
全長295メートル、全幅34.4メートル。基準排水量は45000トンと、その大きさは前級のエセックス級空母はおろか、
レキシントン級空母すらも超えている。
武装は舷側に最新式の54口径5インチ単装両用砲を16基、40ミリ4連装機銃21基、20ミリ機銃28丁と、新鋭戦艦並みの重武装を
施されており、遠距離対空火力は勿論の事、近距離火力においても、これまでの空母を遥かに凌駕している。
搭載機数は実に145機と、エセックス級よりも40機以上も多い。
リプライザル級を特徴付ける性能はこれだけに留まらない。
リプライザルには、これまでの戦訓を反映して、飛行甲板に最大89ミリの装甲を施しており、アメリカ海軍に在籍する正規空母の中では、
TF72のイラストリアスを始めとして2番目の装甲空母である。
飛行甲板の装甲部分は、シホールアンル軍の300リギル爆弾に充分に耐えうると判断されているため、従来の空母のように、数発の被弾で
作戦遂行能力を失う事は無いと期待されている。
それに加えて、水雷防御も本格的に施されており、艦隊側は戦艦並みの防御力を有した正規空母として、リプライザルに高い評価を与えていた。
この巨体を動かすのは、212000馬力の高出力を誇る最新式の蒸気タービンであり、速力は最大で33ノットを発揮出来ると言われている。
リプライザルは、まさに、世界最大の大型装甲空母と言えた。
正規空母リプライザル艦長、ジョージ・ベレンティー大佐は、ノーフォーク軍港に停泊している1隻の空母から、発光信号が送られている事に
気付いた。
「あれは……イラストリアスか。何か信号を送って来ているな。」
ベレンティー艦長は、古参の空母から送られて来る信号を読み取るなり、その気品ある気遣いに思わず苦笑してしまった。
「艦長!イラストリアスより発光信号です!」
艦橋の張り出し通路に立っていた見張り員が、きびきびとした声で艦橋に伝えてきた。
「我、リプライザルの誕生を祝す。貴艦の実力を、思う存分敵に思い知らせたし。」
「……イラストリアスに向けて返信。我、その言葉通りに活躍する事を約束する。我らの活躍、大いに期待されたし。」
ベレンティー艦長の言葉は、すぐさま、発光信号となってイラストリアスに返された。
「流石は先輩艦だ。このような、でかいだけの若輩者にも、良い言葉を掛けてくれるな。」
「艦は確かに新しいですが、中身はそうでもありませんぞ。」
副長ホセ・ジェイソン中佐が自信ありげな口調でベレンティー艦長に言う。
「艦長は以前、サラトガで艦の指揮を、私はバンカーヒルで任務をこなして来ました。この艦の乗員も、半数以上はレビリンイクル沖で
乗艦の喪失という屈辱を味わった者ばかりです。軍艦は、例えなりは大した事無くても、中身がしっかりしてさえすれば、必ず良い働きが
出来ます。そして、この艦は、あらゆる装備が整った最新鋭艦です。彼らは短い期間で、このリプライザルを満足に動かす事が出来ますよ。」
「うむ。艦は新品だが、乗員は経験豊富な兵が多いからな。確かに、彼らならやってくれるだろう。そして、彼らに全てを習う新米達も、
良く育ってくれるだろう。」
ベレンティーはそう呟いた後、今日から行う慣熟訓練を、どう上手く流して行くか思案し始めた。
リプライザルはその威容をノーフォーク港の在泊艦船に見せ付けるかのように、ゆっくりと外海に向かって行った。