自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

314 第231話 とあるアメリカ人捕虜の日常

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第231話 とあるアメリカ人捕虜の日常

1485年(1945年)3月18日 午前7時 シホールアンル帝国北東部

耳元に、けたたましい音が鳴り響いて来る。
サイレンのようでもありながら、そうでもない不快気な金属音は、眠る者の耳元に容赦なく突き刺さり、眠りの中に沈んでいる捕虜達の意識を、
夢の世界から現実世界に引き戻して行く。

「クソ……忌々しい音だ……」

アメリカ海軍大尉であるロナルド・ブガーリンは、寝ぼけた口調で呟いた後、耳を抑えて睡眠を続けようとする。
だが、不快気な金属音は尚も鳴り響き、彼が眠りに付く事を執拗に妨げた。

「ええい……!」

ブガーリンは、全身にかぶせていた粗末な毛布を思い切り吹き飛ばし、ベッドから姿勢を起こした。

「うるせえぞ馬鹿野郎!さっさとこの糞みたいな音を止めろ!!」

ブガーリンは、固く閉ざされた鉄製のドア目掛けて罵声を放った。
その直後、耳障りな金属音は鳴り止み、室内は再び、静寂に包まれた。

「おはよう。ブガーリン大尉。」

ドアの向こう側から、野太い声が聞こえた後、監視口が開かれ、そこから無機質な視線が室内に注がれた。

「今日もいい朝だな。」
「いい朝?ここにぶち込まれてから、いい朝なんてあるもんか。」

馴れ馴れしい口調で喋るシホールアンル人士官に対して、ブガーリンは憎々しげに返す。

「まっ、噂に聞いていた、捕虜の虐待とやらが殆ど無い事に関してはいいもんだなとは思ったがね。」
「ハッハッハ。そいつはどうも。我々も、捕虜の扱い方に関しては勉強しているのでね。」

シホールアンル人士官は、心地良さげに笑ってから、ドアの前から離れて行った。

「勉強している……ねぇ。じゃあ、昨日遅くまで、拷問室からうっすらと聞こえてきたあの悲鳴は、一体何だったのやら………」

ブガーリンは眉をひそめながら呟いた後、ゆっくりと固いベッドから立ち上がり、吹き飛ばした毛布を畳んでベッドの上に置いた。
彼は、青い捕虜服の袖を軽くはたいた後、警備兵がドアをノックするのを確認してから外に出た。
個室の外に出ると、そこには、長さ20メートルほどの通路が伸びており、その両側には8個もの独房が設けられ、中から彼と同じ
アメリカ人捕虜が出てきた。
通路の所々には、武装したシホールアンル兵が睨みを利かせながら立っている。
ブガーリンは、通路の右側に顔を向けた。
通路の右側は、他の区画に繋がる出入り口となっており、左側は壁で行き止まりとなっている。
出入り口付近には、士官と思しきシホールアンル将校が仁王立ちで8名のアメリカ軍捕虜を見回していた。

「おはよう諸君。これより、いつもの点呼を始める。」

幾分、猫撫で声のようにも思えるトーンの高い声音が通路に響く。ブガーリンと会話を交わした将校は、この男である。

「番号1!」
「2!」
「3!」

通路内の捕虜達が次々と自分に割り振られた番号を読み上げて行く。

「7!」

ブガーリンは、張りのある声音で自分の番号を言った。

点呼は10秒もかからぬうちに終わった。

「分長殿。緑3-5分区の点呼終わり。異常ありません。」
「よろしい。」

分長と呼ばれた男は、満足そうに頷いた。

「それでは諸君。これより朝食を取る事にしよう。今日の作業は午前8時から開始となっている。それまで、しっかりと英気を養っておくれ。」

シホールアンル将校はそう言った後、部下2人を連れて立ち去って行った。
ブガーリンも含めた8人の捕虜達は、シホールアンル兵に監視されたまま緑3-5区分と呼ばれた場所から食堂に移動していく。
程無くして、8人は収容所内にある食堂に辿り着くや、粗末な食器を持って今日の朝食を受け取った。
食堂内の大きさは、計300人程の人員が収容できる程で、捕虜達は、長テーブルの両側に置かれたイスに座り、そこで食事を取る。
給仕係は、捕虜達が交代で行っている。
ブガーリンは、2皿の食器に卵と肉を適当に混ぜた物とパンらしき物を入れて貰った後、とぼとぼと長テーブルに食料を置いて食べ始めた。
彼が半ば寝ぼけながら、あまり美味いとは言えない朝食を口に運んでいる時、向かいに別の捕虜が座った。

「おはようございます、大尉殿。」

若いエルフの男性が、にこやかな笑みを浮かべながら挨拶を送って来た。

「おはようさん。レンヴィスはいつも爽やかだな。」

ブガーリンは、半ば羨ましげな口調で、エルフの男性に言う。

「ええ。どんな状況でも常に元気であれ、というのが自分の心得ですからね。」

目の前のミスリアル人中尉の言葉に、ブガーリンはまたその言葉かと思いつつも、同時に感心もしていた。
レンヴィス・クルヴァウト中尉は、捕虜になる前はミスリアル軍第5機械化歩兵師団のいち小隊長として戦っていたが、昨年の7月、彼の率いる
小隊はシホールアンル軍の待ち伏せを受け、大損害を被った。

レンヴィスは、自ら囮となって部下を逃したが、彼は逃げ切れずに捕虜となった。

「しかし大尉殿も、本当に運が良いですな。私なんかは、ここに来る前に別の収容所に入れられていましたが、そこでは看守共の捕虜虐待なんかは
日常茶飯事です。その捕虜収容所も、アメリカ軍爆撃機の誤爆で吹き飛ばされてしまいましたが、そのお陰で、自分はここに来る事が出来ましたよ。
不幸中の幸い、って奴ですね。」
「ありゃ痛恨のミスだったと俺は思う。俺は海軍所属だから詳しい話は知らんが、B-29の爆撃手は恐らく下手糞だったのだろうな。」
「でしょうね。」

レンヴィスは相槌を打った後、朝食を取り始める。

「とはいえ、この国もそろそろ、詰み始めていますね。レスタン領はもはや失われ、本土の中部にまでスーパーフォートレスが飛び始めているんじゃ、
この戦争の行く末は決まったも同然です。もしかしたら、今年中までには、自分達は祖国に帰れるかもしれませんよ?」
「ハハ、そうだと良いんだがなぁ。」

レンヴィスの言葉に、ブガーリンは苦笑しながら答える。
彼は再び、卵と肉を混ぜ合わせた料理を口に運んだが、相変わらず、味は良くなかった。
(幸運か……確かに、俺は運が良かったな。本当なら……俺は1月23日の時点で、死んでいる筈だったからな)
ブガーリンは心中で呟きながら、自らがここに来るきっかけとなった、ある出来事を思い出した。

ロシア系アメリカ人であるロナルドは、1941年に海軍航空隊に入隊した後、42年中盤まで訓練を行い、42年12月末には、当時最新鋭の
空母であったエセックスの艦攻隊の一員として前線配備され、以後、各地の戦線を転々としていった。
レーミア沖海戦時には、空母エセックス艦攻隊の一小隊長として敵機動部隊攻撃に参加したが、彼の乗機は対空砲火によって撃墜された。
機体が光弾をもろに浴びて火を噴いた時、操縦を担当していた彼はこの時、自らの死を覚悟した。
機体が海面に激突した瞬間、彼の意識はぷっつりと消え、ロナルドは自らの生命が終わったのだと、否応無しに思わされた。
だが……幸運な事に、彼は生きていた。
次に気が付いた時には、彼はシホールアンル駆逐艦の医務室で寝かされていた。
ロナルドはそこで、シホールアンル駆逐艦の軍医に自らが救助された時の状況を伝えられた。
軍医の話によれば、ロナルドの機体は、竜母に魚雷を発射した後、対空砲火を食らって火を噴き、そのまま滑り込むような形で海水に着水した。
ロナルドのアベンジャーは、その1分後に水没したが、偶然にも、ロナルドは自力で機体から這い出して来たという。

その後、駆逐艦の艦長は独断でロナルドの救助を命じ、彼はその10分後に、駆逐艦に拾い上げられたようだ。
その時の記憶は、ロナルドには全く無かった。
ロナルドは、自分が機体から脱出し、救助されて医務室に転がされるまでの記憶が全く無い事を軍医に言うと、軍医は首をかしげた。

「全く覚えていないのかね?君は、救出された後、うちの水兵から2発ほどぶん殴られていたんだが。もしかして、それがきっかけで一時的な
記憶喪失が起きたのかな。」

その時、ロナルドは微かに、右頬の辺りに痛みを感じたが、その後に湧いたのは、自分が生き残る事が出来たという感情と……他の2人は
どうなったかという不安であった。

「軍医長。自分の仲間2人は………2人は、どうなったのでありますか?」
「……機体から脱出して来たのは、君だけだったよ。」

軍医の口から吐き出された残酷な現実の前に、その時のロナルドは、一瞬、目の前が真っ白になった。

シホールアンル軍は、彼が事前に聞いていた噂とは違い、ロナルドを丁重に扱った。
ロナルドは、脱出の際、右腕を負傷していたが、軍医は敵であるロナルドに手当てを施し、温かい食事を与えてくれた。
シホールアンル駆逐艦は、その後、戦闘海域から離れ、1月27日にはシホールアンル本土西部にあるヒレリイスルィに到着し、そこで、
ロナルドは身柄をシホールアンル陸軍に引き渡され、途中で簡単な尋問を受けながら、このシホールアンル本土北東部にあるフレイラング捕虜収容所に
移送された。
ロナルドは、フレイラング捕虜収容所に移送される間、シホールアンル兵に虐待を受けるのではないかと思っていた。
だが、シホールアンル兵は、彼を口汚く罵りはしたものの、それ以外は何ら暴行を働く事もなく、旅路の後半では、彼と少しばかり親しくなったほどである。
この収容所に来てから、ロナルドの捕虜生活は始まった。
フレイラング捕虜収容所には、総計で2000名の連合軍捕虜が捉えられており、そのうち、半数はアメリカ軍人であった。
ロナルドは、心中では捕虜生活を憂鬱に思ってはいたが、それでも、捕虜生活には必要な、親しい知り合いを作る事には全力を尽くした。
その親しい知り合いの1人が、目の前にいるエルフの青年である。

「今日もまた、鉄道建設をやらされるのかなぁ。」
「ここ1週間はそればかりですから、今日もそうでしょう。」

ロナルドの言葉に対して、レンヴィスは爽やかな口調で答える。

「まったく、面倒な物だな。鉄道建設はシホット共だけでやればいいのに。」
「大尉殿は動くのが苦手ですか?」
「ああ、苦手だよ。」

ロナルドは自嘲気味に答える。

「特に、自分が望んでいない仕事を無理やりやらされるのは大嫌いだ。俺達は捕虜なんだから、独房で寝そべっているだけで十分だろうに。」
「そうですかね……私は、適度に運動が出来て良いと思いますよ。作業自体はきついですが。」
「運動なんて、収容所のど真ん中にある広場を散歩するだけでいいだろう。わざわざ重労働をさせるのは、俺達に対する嫌がらせだと思うんだが。」
「まぁ……そう言われれば確かに。」

レンヴィスは肩を竦めた。

「でも、自分達は敵に囚われの身となっていますから、今は、命があるだけでも儲け物ですよ。ちょっと前までは、自分と大尉殿が、こうして
自由に話しただけでも、即刻処刑された事もあったようですから。これは別の収容所での話ですが。」
「ホント、シホット共は野蛮だよな。」

ロナルドは忌々しげに言った後、残った不味い朝食を一気にかきこんだ。

午前8時からは、収容所から4キロほど離れた北の森林地帯で鉄道の建設を行った。
鉄道建設に駆り出されたのは400名で、1個中隊のシホールアンル兵が目を光らせている中での重労働であった。
午前12時になると、1時間半の大休止が命ぜられ、捕虜達は、その場その場で休憩を取った。

ロナルドは、休憩中の間、東の方角を見続けるのが最近の日課となっていた。

「……あの、海の向こうには、アリューシャンがあるんだよなぁ。」

彼は、作業場である森林地帯から見える海岸線を見ながら、遥か向こうにある合衆国領に思いを馳せて行く。

ロナルドは、アリューシャン列島のウラナスカ島で生を受け、少年時代は父と共に、外海へよく漁に出ていた。
その際、アリューシャン列島沿いの島に立ち寄る事もあり、列島の西端部に位置するキスカ島やアッツ島にも寄港した事がある。
キスカやアッツは、北の何も無い島と言う記憶しか無かったが、今では、その2つの島が恋しくて仕方が無かった。

「あそこに行けば、俺は、シホットの土地から解放された事になる。あんな島でも、あそこはアメリカ合衆国の領土だ。だが、俺は、
合衆国でなく、敵国の土地で、こうして捕虜生活を送っている……若い時は、別に無くてもいいとすら感じていたあの島を、これほど
恋しく、そして、羨ましく思う時が来るとはね。」

ロナルドは深く溜息を吐いた。
気温が低いせいで、彼の口からは真っ白な煙が吐き出される。
アリューシャン列島よりもやや高い緯度にあるこの地域は、3月はまだまだ冬の季節である。
彼らの作業場である森林地帯には、所々に雪が積もっている。
今日は晴れであるため、気温はまだ高いが、それでも8度しかない。
普段の作業をするにも、分厚い防寒服を付けなければまともに働けない季節である。
ただ、今日は晴れと言う事もあり、防寒服を少しばかり着崩した形で休憩を取る事が出来た。
勿論、隣に暖房用の焚火を焚いてからだが。

「おや……こんな所にいたのか。」

ロナルドは、声が聞こえた方向に目を向けた。

「やあ、隊長さん。こんな所と言っても、作業場からは大して離れていないと思うが。」

隊長と呼ばれたシホールアンル軍将校は、そう言われてから苦笑を浮かべた。
フリスラ・ヴェイスグ大尉は、収容所内を警備する警備大隊に属する中隊の指揮官である。
昨年の9月より採用された、緑と茶色の混ざったシホールアンル軍野戦迷彩服に身を包んだ彼は、身長が180センチほどと高く、体つきも
がっしりとしているが、顔つきはどこか柔和である。
ただ、過去の戦で受けたと思しき右目の傷跡は、その柔和そうに見える顔つきを精悍な物にしていた。

「歩いて50歩ほどしか離れていないが、それでも少し遠すぎるな。せめて、俺達の目に付く所に居て貰わなければ。」
「む。目に付く所に居てくれだと?あんたらの事はしっかり考えた筈だがね。」

ロナルドはそう言いながら、焚火に指をさした。

「俺達は捕虜だ。逃げはせんよ。」

彼はそう言いながら、仰向けに寝転がった。

「いつになるかは分からんが、この戦争も終わるだろう。」
「ああ。そうだろうね。」

フリスラも肩を竦めながら相槌を打った。
ロナルドは、この若い中隊長が気に入っていた。
フリスラは、シホールアンル軍人には必ず見られるような、尊大な態度や、捕虜に対する悪態を全く付かなかった。
それどころか、フリスラはどのような捕虜に対しても親しげに喋り、常に自分の事を謙遜する紳士であった。
彼は、一見すれば戦場でも名を馳せた歴戦の戦士に見え、実際、北大陸統一戦初期から、昨年の8月まではエルネイル戦で戦ってきた文字通りの強者である。
だが、フリスラの性格は、歴戦の勇士には似合わない、心優しい物であり、捕虜達の間でも、フリスラは人間の出来たいい奴だ、という評判を得ていた。

「しかし、不思議だよなぁ。」

ロナルドは、何気無い口調で言葉を紡ぐ。

「この収容所の連中は、人にはよるが、俺が今までに聞いて来たシホールアンル軍人とは全く印象が異なるな。収容所の連中には、俺達に対して
あからさまな態度を取る奴も当然いるが、そんな奴も、裏では捕虜に作業の仕方を真摯に教えたりと、なかなかに出来た奴でね。まっ、素行不良な
捕虜には当然容赦ねえが、何もしなければ、連中も何の危害も加えない。隊長さん、この収容所には、他と違って、いい奴ばっかりが集められてるのかね?」
「いい奴……俺達が、かね?」
「ああ、そうだ。」

ロナルドは頷く。

「俺は正直言って、シホットが嫌いだった。でも、あんたらを見ていたら、いいシホールアンル人がいるんだなと思ったよ。」
「……あんたらアメリカ人も、いい奴らばっかりだよ。」

フリスラは、どこか、悲しげな口調でそう言う。

「だが……どうしてこうなってしまったのだろうか。何故、俺の祖国は、何の考えも無しに戦争なんて起こしたのだろうか……」
「………」

フリスラは、唯一動く左目を、しきりに瞬かせながら呟いた。

「あまり深く考えるなよ。」

ロナルドは、フリスラの肩を叩いた。

「戦争は、今も続いているんだ。どう終わらせるかは、お偉いさん達に任せるしかない。」
「……言われてみれば、確かにそうだが……」

口籠るフリスラを見たロナルドは、別の話題に切り替えた。

「そういや、あんたは、この戦争が終わったら何をしたいか考えているかい?」
「な……何を言うかと思ったら、いきなりそれか!」

突拍子もない事を言い出すロナルドに、フリスラはやや戸惑った。

「まあまあ、落ち着けよ。」
「うむむ……君のこう言う所は既に何度か経験しているが……本当に怖い物知らずだな。俺ならまだいいが、人によっては馬鹿にしているのか
と言われかねんぞ。」

「怖い物知らずじゃなきゃ、雷撃屋なんてやっとれんからね。」

ロナルドは誇らしげに言いながら、右手の親指を自分に向けた。

「はぁ……戦争が終わった後ねぇ。」

フリスラは仕方ないとばかりに、前々から考えていた戦後の身の振り方を話し始める。

「俺は、西部の商屋の生まれなんだが、16歳の時に軍に入って以来、常に前線で戦い続けた。だが、もう戦いに疲れてしまってね……良い面も見たが、
それ以上に悪い面も見せられたせいで、もう軍隊は嫌になってしまった。この戦争を生き延びる事が出来たのならば、軍を辞めて、親父の後を継ごうかなと
考えているよ。」
「軍を辞めるのか。あんた、シホールアンル軍内では、冷厳のウェイスグとか呼ばれて英雄視されているそうじゃないか。他の警備兵が噂話にしていたのを、
俺はちゃんと聞いたぜ。あんたなら、軍に残っても出世しそうなんだが。」
「そんな俺が、どうして、こんな僻地に居ると思う?」

フリスラは、自嘲気味な口調でロナルドに聞く。

「……?」
「左遷されたのさ。」

その時、ロナルドは自分が不味い事を聞いてしまったと思った。

「昨年8月末のジャスオ戦線で、俺は死守命令が下りていたにもかかわらず、独断で部隊を後退させたんだ。あの時、俺の中隊は既に8割が死傷し、
とても戦闘が続けられる状態じゃなかった。なんとか敵を追い返し、後方の大隊本部に後退の許可を願い出たら、死守せよの繰り返せ、だ。
当時は、前線に突出していた部隊は俺の中隊だけで、あとは後退するだけだった。だが、敵は何故か、俺の中隊に波状攻撃を仕掛けて来る。俺の中隊は、
何度も敵の攻撃を跳ね返したが、4度目の攻撃を撃退した所で部隊は大損害。もはや、防衛は無理と判断して後退許可を願い出たら、出てきたのは
死守命令と言う有様。俺はやっていられなくなって、負傷者を馬車に乗せて後退したんだ。だが、その後に待っていたのは、命令無視を名目にした、
大隊長殿の憂さ晴らしさ。」
「似たような話を、陸軍に行っている弟から聞いた事があるな。馬鹿な上官が居るのは、どこの国でも一緒か。」

「ま、そう言う事になるな。」

ロナルドは不意に、胸ポケットに手を入れる。そして、中身が無い事に気付き、恥ずかしさの余り顔を赤くした。

「お、どうかしたのか?」
「いや……まぁ、なんだ。」

彼は恥ずかしげに呟いた後、体を起こした。

「俺はね、捕虜になる前はタバコを吸ってたんだ。」
「タバコというと、紙で巻いた葉の事か?」
「ああ。さっき、胸ポケットに手を入れたのは、タバコを吸いまくっていた時の名残でね。」
「そういえば、俺の国は、アメリカほど紙巻きタバコが出回っていないどころか、キセルで吸う奴しかないからな。」
「そう。そして、そのような嗜好品は無いから俺達はタバコを吸えん。だが、おれのような重度のヘビースモーカーは、時として、あのような
恥ずかしい癖を見せてしまう物なんだ。まったく、タバコが吸えない事は辛いなぁ。」
「不便だろうが、我慢してくれる事を願うよ。」

フリスラの言葉に、ロナルドは不機嫌そうな口調で答える。

「わかっとるよ。俺達は、あんたらに捕えられた身なんだからな。贅沢言わずに、大人しく従うさ。」
「……俺達としても、君らを不自由にするのは心苦しい事だが、頼むよ。」
「はいはい。仰せの通りにいたしますよ、大尉殿。」

ロナルドは、わざとらしそうな口調でフリスラに言った。

「ひとまず、俺の戦後はこんな物だな。今は、中東部の辺りに家を構えているが、いつかは妻と子供と一緒に、西部の実家に戻りたいなぁ。」
「妻子持ちか、羨ましいねぇ。」
「おや?君はまだ、相手が居ないのかね?」

フリスラ質問すると、ロナルドは左手をひらひらと振った。

「生まれてから過ごした時間と、彼女いない歴が一緒だからな。何度か告白したんだが、全部駄目だったよ。」
「うむ……悪い事を聞いてしまったかな。」
「いや、いいさいいさ。女に恵まれない分、戦場では結構、運に恵まれていたからな。ただ、女のハートじゃなく、魚雷を当てるのだけ上手く
なっても、自慢にはならんがね。」

ロナルドは、後頭部をぼりぼりと掻きながら、半ば自嘲気味に話した。

「あんたは、戦争が終わったら実家に帰ると言ったが、俺の場合、国に帰ったらまず、彼女を探す事だな。生まれてから30年過ぎても、彼女の
1人すらいない状況じゃ、うちの両親に申し訳が立たんよ。まぁ、これまでの経験からして、雷撃を行うよりも難しいと、俺は思っているけどね。」
「いやいや、意外とすんなり行くかも知れんぞ?女という奴は、野生味のある男に惹かれるらしいぞ。君なんて、3回の魚雷攻撃に成功した歴戦の
勇士じゃないか。俺達の味方が犠牲になった事に関しては、幾らか憎い分はあるが、それを差し引いても、君は立派な奴だと思うな。」

今度はフリスラが、ロナルドの肩を叩いた。

「自信を持て。そうすりゃ、女の2、3人ぐらい、すぐに引っ掛けられるさ。」
「2、3人はやりすぎだな……女は1人で十分だと思うぞ。でなきゃ、どっちか一方に恨まれた挙句、馬乗りにされながらナイフでめった刺しに
されかねんぞ。いや、場合によってはショットガンで頭を吹き飛ばされるかも知れん。」
「ハハハ、また自信の無い事を言う。まぁ、要はそのような気概で行けば良いという事だよ。俺は実際、そんな気持ちで好きな人に告白したぞ。
何事も自信を持て。猛烈な対空砲火を幾度も掻い潜って来た君なら、恋人探しもちょろいもんだろう。」
「ほほぅ……そこまで言われると、俺もやれそうな気がして来たな。」

フリスラの言葉に勇気づけられたロナルドは、次第に自信が湧き始めて来た。

「よし!では、戦争が終わったらあんたの言う通りにやってみるよ!」
「おう、その調子だ。」

フリスラはそれに気を良くしたのか、にこやかな笑みを浮かべつつ、懐にしまってあった時計を取り出した。

「おっと、休憩時間はもう終わりだ。せっかく、良い気分になった所悪いが、午後もうんと働いて貰うぜ。」
「もう終わりか。時間の流れは早いねぇ……」

ロナルドは、先とは打って変わったつまらなそうな口ぶりでぼやきながら、素早く焚火を消して、足早に作業場に戻って行った。


3月20日 午後7時 フレイラング収容所内

その日、ロナルドは収容所の屋上に上がるため、ゆっくりとした足取りで階段を上がって行った。

「しかし、僅かながらとはいえ、収容所内を自由に歩ける場所があるのは良い事だな。昼間は所内の真ん中にある運動場で暇を潰せるし。
あと1週間は外の重労働も無いから、しばらくのんびり出来る。」

彼は、のほほんとした声音で呟きつつ、口元にくわえた小さな木の管を右手で掴む。

「はぁ……これでタバコが吸えれば、文句無しなんだが……贅沢は言っとれんな。」

ロナルドは小さなため息を吐いた後、再び木の管をくわえ始めた。
ヘビースモーカーであるロナルドは、せめてもの慰めとして、食事の際に出される小さな木の管をタバコ代わりにくわえているのだが、
最近は空しさばかりが増しているような気がするため、近々やめようかと考えていた。
3階の屋上に繋がる木製のドアの前に立った時、ドアの向こう側から声が聞こえてきた。

「それでは隊長、自分はこれで……」

そのような言葉を耳にした時、唐突にドアが開かれた。
ドアの向こう側からは、フリスラの副官であるシホールアンル軍軍曹が現れた。
その軍曹は、ロナルドと目が合うや、鋭い目つきで彼を見据えた。

「………何だよ。」

「………アメリカ人というのは、大した道化だな。」

軍曹は、皮肉気な口調でそう言うや、慌ただしい足取りでロナルドの側を通り過ぎて行った。

「一体、どうしたってんだ?」

ロナルドは首を捻った後、軍曹の言った言葉をさほど気にもせぬまま、ドアを開いて屋上に出た。
屋上には、冷たい風が吹いていた。ロナルドは、屋上の隅で、手すりにだらしなくもたれかかっている男がいる事に気が付いた。

「……おう、どうしたんだ?」

その男は、すっかり顔なじみとなったフリスラであった。
フリスラは、呆然とした表情のまま反応しない。不審に思ったロナルドは、もう1度声をかけた。

「おい、どうしたんだ?大丈夫か?」

ロナルドの声が聞こえたのか、フリスラが顔を向けて来た。

「……なんだ。俺に何か用か。」

フリスラは、無表情のまま答えて来た。いつもは、明るく、紳士的な態度を見せて来た彼であるが、この時は、まるで、抜け殻を
思わせるかのような姿であった。

「いや……用は無いんだが……それよりも、どこか調子が悪いのか?顔が真っ青だぞ。」
「……これが原因さ。」

フリスラは、いつからから持っていた紙をひらひらと振った後、いきなり、ロナルドの胸倉を掴んで来た。

「な……おい、何をするんだ!?」

「………!!」

ロナルドは、突然襲い掛かって来たフリスラの顔を見るなり、愕然とした。
フリスラの顔は、憎悪で歪んでいた。

「………ロナルド!あんたはいつだったか、アメリカはシホールアンルと違って後方にいる無垢な一般市民を最初から狙い撃ちにした事は無い、
と言っていたな?ならば……これは、どういう事なんだ?」
「どういう事だと?俺には意味がわからんが……」
「うるさい!!」

フリスラは叫ぶ。

「俺の……俺の妻と子供は、昨日。あんたらアメリカ軍の爆撃のせいで死んだんだ!!」
「!!!」

突然の告白に、ロナルドは仰天し、言葉に詰まってしまった。

「俺の家族は、軍需工場の近くに住んでいたが、爆弾が落ちた時は、家から1ゼルド(3キロ)も離れた待避所にいた。なのに、アメリカ軍機の
投下した爆弾は、待避所にも落下し、そこに避難していた300名の一般市民が死亡した……その中に、俺の家族も含まれていたんだ……!」
「………」
「今しがた、軍曹がこいつを渡してくれた。正直言って、俺は……この現実を受け入れ難い。いや、受け入れたくない。嘘だと信じたい……
でも、この書類には、死亡は確実であると明記されている。」

フリスラの声が、次第に震えて来た。

「俺は認めたくないのに……こいつは、はっきりと認めろ……と、書いてある……なぁ、ロナルド……これは認めるしかないのか?」
「……」
「何か……なにか言ったらどうなんだ!!」
「………」

「何か言えと言っているんだ!この虐殺者が……!」

フリスラは、激情に任せるまま、ロナルドの顔を殴ろうとしたが……その拳は、ロナルドの頬に当てられる事は無かった。

「……う………ぐ……」
「……殴っても良いぜ。それで気が晴れるんなら、俺は構わんさ。」
「……!」
「あんたの家族を殺したのは、俺と同じアメリカ人だ。そのアメリカ人を、あんたはぶちのめす権利がある。いや、あんたが腰に吊っている剣で
殺しても構わんだろう。復讐は何の意味も成さない愚かしい行為だが……少なくとも、心情的には満足する事が出来る。あんたは、それをする
権利がある。」
「………うう……」
「さぁ、気が晴れるまでやってくれ。」
「………」

フリスラは、再び拳を振り上げる。だが、拳はすぐに下げられ、フリスラはその場に蹲り、すすり泣いた。

「……いいや、いいんだ。こんな俺に、復讐をする権利なんて……元から無かった。」
「ん?それは、どういう事だ?」
「簡単な………話さ。」

フリスラは、服の袖で涙を拭いた後、俯いていた顔を上げた。

「俺は、このような事に遭って、当然の事をしでかしたんだ。」
「おいおい、一体、何を言っているんだ。」
「すまないが、俺の過去話に付き合ってくれんか?」
「な、何だと?」

フリスラの一方的な言葉の前に、ロナルドは戸惑ったが、フリスラはそれを気にする事無く、話を続けた。

「俺は、今から11年前……1474年2月に、一下士官としてレスタン戦争に参加した。俺達の部隊はある時、戦火から逃れた住民達から
保護してくれとお願いされた。俺は小隊長から許可を貰って、住民達を保護し、まだ残っていた民家に住まわせた……だが、後続の国内相軍部隊が、
何を血迷ったのか、住民達は敵だと決め付け、攻撃しようとしたんだ。」
「国内相軍……あの、悪名高いギャング共か。」
「俺は、必死に国内相軍を説得しようとしたが、駄目だった。それどころか、国内相軍の連中は、俺達を親レスタン派というレッテルまで貼って
激しく追及し始めた。最終的に、俺は彼らに屈するしか無く、国内相軍は、住民達を民家ごと焼き払ったんだ。あの時犠牲になった住民は、
俺の顔を見るなり、裏切者と罵っていた。そして、俺の家族も、自分達と同じように、虫けら同然に殺されていくがいい、と言う住民も、何人いた事か……」
「ちょっと待て、あんたは、ギャング共の脅迫に屈しただけで、手を下していないじゃないか。」
「俺が手を下したも同じだ。」

ロナルドの言葉を、フリスラはきっぱりと否定する。

「俺がもっと粘っていれば……国内相軍の連中を退けていれば、その場に居た、600名の住民達は助かったのかもしれない。それ以前に、
彼らにここは安全だと言って、もぬけの殻の村落に引き止めたのは俺だ。俺が引き止めさえしなければ、あの悲劇は起こらなかったんだ。」
「……」
「彼らが味わった事を、今度は俺自身が味わう事になった……それだけの話さ。」

フリスラは、諦観の念を浮かべた後、ゆっくりと立ち上がった。

「さっきはすまなかった。虐殺者は、君より、むしろ、俺の方だったな。」
「いや……その……」
「いや、いいんだ。勝手に八つ当たりした俺が悪かったよ。そうだ、君の言う通りだ。過ちを犯した俺に、君を殴る権利は全く無い。復讐なんて
おこがましい事だった。だから、先程の非礼は、許してくれ。」

フリスラは作り笑いを浮かべると、持っていた紙をびりびりと破き、その場に捨てた。

「俺は、そのようなつもりで言った訳じゃ……」

ロナルドは、フリスラとの会話を続けようとしたが、彼は、ロナルドに背を向け、それ以上話を聞かなかった。

173 :ヨークタウン ◆x6YgdbB/Rw:2011/09/24(土) 22:11:29 ID:8niukkLQ0
「じゃ、今日はこれで休むよ。またいつかな。」

フリスラは背を向けたままそう言うと、飄々とした足取りで屋上から立ち去って行った。

「……あんたは、本当は辛いんだろう?いっその事、あらん限りの声で鳴き叫びたいんだろう?」

ロナルドは、深い悲しみを背負った、フリスラの後ろ姿を思い浮かべながらそう言い放った。

「なのに、あんな作り笑いを浮かべて……馬鹿野郎が。無茶しやがって……」


3月22日 午後8時 同収容所内休憩室

ロナルドは、1人で考え事に耽っていた所に、唐突に、フリスラから声を掛けられた。

「やあロナルド。浮かない顔をしているな。」
「おお、あんたか。久しぶりだな。」
「久しぶりという程でもないだろう。」
「いや、この狭い収容所内で2日も顔を合わせなかったらそうなるよ。」

ロナルドは苦笑しながら、フリスラにそう言った。
彼は、2日前の事が気になり、フリスラに話をしようとしたが、寸での所で抑えた。
(うちの親父から聞いた話では、心に深い傷を負った奴には、迂闊な事は聞くなとあったな。今はまだ、ショックが抜けていない
だろうから、聞くのは止めよう……まぁ、聞きたい事は他にもあったんだが、それはまた、別の機会に。)

「あー………そういや、2日後にまた野外労働をやるそうだな。」
「この間の続きだな。今度は、線路敷設予定地点の木を伐採して貰う事になる。」
「木こりさんの真似事って訳かい。」
「なあに、木の数を数えながら切り倒して行く、簡単な仕事さ。」

「チェッ、言ってくれるね。実際にやるのは俺達なんだぜ。あんたらの課す労働はどれも重労働ばかりだぜ。」
「こっちも色々と考えながらやってるんだよ。それに、労働を課せと言っているのは上からの命令でね。」
「……ふむ、上からの命令とあらば、仕方ないって事か。」
「そういう事だな。」

フリスラは肩を竦めながら、ロナルドに言う。

「……じゃあ、それまではのんびりと過ごさせて貰うよ。」

ロナルドは、生あくびをしながらフリスラに返した。

「………ロナルド、君は私に、聞きたい事があるんだろう?」
「聞きたい事?何をだい?」
「あの時、俺が何故、君を殴らなかった事をだ。」
「……」

図星であった。
普通なら、ロナルドはフリスラに殴られて当然であった。
彼は、フリスラに対して何故、すぐに殴らなかったのかと疑問に思っていた。
最初、フリスラがロナルドを殴らなかったのは、単に殴るタイミングを逃しただけであり、その後は殴る気が失せただけだろう、としか思っていなかった。
それから、自らが迂闊な事を口にしなかった事も、フリスラがすぐに手を上げなかった原因にもなったのではないか?とも考えていた。
だが、よくよく考えてみると、それは少し違っていたような気がしていた。
この収容所内のシホールアンル兵は、見た所はいい奴が揃っているが、捕虜側が何らかの不手際を起こしたりした場合は、すぐに暴行を加える者も居る。
だが、フリスラは、他の捕虜達からも評判が良く、ある兵士は、フリスラを誤って転げさせた事があったが、フリスラはそれを気にする事無く、逆に、
転ばせた捕虜に怪我はないかと心配して来たという。
通常のシホールアンル将兵と違って、フリスラは何かが違っていた。
その違いが何であるか。ロナルドはそこが気になっていた。

「ロナルド、君はエルグマド将軍を知っているかい?」

「ああ。知ってるよ。確か、レスタン領駐屯軍の司令官だった人だよな?」
「そうだ。最も、今は軍の要職から解任され、予備役編入となったが……俺は、あの人の下で2年ほど働いた事があるが、その間、俺は色々と学んだよ。」

フリスラは、ロナルドに向けて顎をしゃくった。

「君をすぐに殴らなかったのも、エルグマド将軍が口ずさんでいた言葉を思い出したからさ。」
「ほほう……その言葉とは、何だい?」
「捕虜は決して傷付けたり、侮辱しようとはするな、とね。エルグマド将軍が言うには、最後まで戦場で戦い抜いて来た捕虜は、何にも劣らぬ戦士であり、
名誉ある存在だ。それを汚そうとするやつは、身も心も汚れた、ただの馬鹿者らしい。俺は、ただの馬鹿者にはなりたくなかった。」
「だから、俺を殴らなかったという事か。」
「……そう言う事だな。」

フリスラはそう言った後、右手の人差し指を地面に指した。

「ちなみに、ここの所長も、もとはエルグマド将軍の後輩だ。この収容所が他と比べてのんびりしているのも、所長の配慮のお陰さ。まぁ、最近は余所から
やって来た兵が馬鹿な事をしている事に悩んでいるようだが。」
「それはまた……シホールアンルにも、いい奴は居るんだなぁ。本当に、俺は運が良かったんだな。」

ロナルドは、ほっとした表情でそう呟く。

「それから、君に朗報だ。」

フリスラはニヤリと笑うと、持っていたカバンの中から四角い、小さな箱を取り出し、それをロナルドに投げた。

「うぉっと!いきなり物を投げて来るなよ……」
「いや、すまんすまん。ひとまず、その箱を見てくれ。」
「箱を見ろだと……って、コイツは……!?」

ロナルドは、思わず目を剥いた。

その箱は、紛れもなくタバコの入った箱であった。
彼が捕虜になる前に、頻繁に吸っていたタバコ。それも、大好きな銘柄、ラッキー・ストライクである。

「昨日、この近辺に駐屯していたうちの憲兵隊が軍の物資を横流ししていた馬鹿共を捉えてね、その際、馬車の中に入っていた物資の中に、
コイツを見つけたんだ。話によると、ケリストロルゼ作戦中に、アメリカ軍が遺棄した大量の物資の中にこのタバコも含まれていて、そいつを
接収した際に、裏からこっそりと持ち込まれたらしい。余りにも数が多いもんだから、憲兵隊の連中はどう処理しようか困ったようなんだが、
そこにうちの所長が気を利かして、大量のタバコを譲って貰ったんだ。」
「ヘイ、その所長さん大したもんだよ。俺が合衆国大統領なら、名誉勲章をあげたいぐらいだ。」
「ハハハ、そいつは光栄だね。」

フリスラはまんざらでもない様子で、ロナルドにそう返した。

「この収容所内に喫煙所って……いや、元から無かったか。となると、薄ら寒い屋上で吸うしかないな。」

ロナルドは、やれやれといった様子でイスから腰を上げたが、彼がわざわざ、遠い屋上(ロナルドからしたら、である)まで歩く必要はなかった。

「ここで吸っても構わんよ。」
「お、いいのか?」
「今日は特別さ。少しぐらいなら、部屋にタバコの匂いが染みつく事も無いだろう。」
「いやあ、そいつはあり難いね……あ、でも、ライターが無いな。」

ロナルドは、火を持っていない事に気付き、半ば落胆した。

「火ならあるぜ。ほら。」

そこで気を利かせたフリスラが、ランプを取って来た。

「……何から何まであんたに頼ってしまうとは、申し訳ないね。」
「気にするこたないさ。互いに、同じ人間なんだからな。」

ロナルドは、フリスラに軽く頭を下げた後、箱の包みを取って、タバコを1本取りだした。
タバコをくわえ、先端に火を付けた瞬間、懐かしい味と感覚が口の中に広がった。
思いきり煙を吸い込んだロナルドは、一気に紫煙を吐きだした。

「いやぁ……やはり、タバコはいいねぇ!」
「どれ、俺も1本貰っていいかな?」

フリスラの発した唐突の言葉に、一瞬、ロナルドは動きが止まった。

「む?あんた、タバコ吸えるのか?」
「こう見えても、ちょくちょくキセルは吸っているぞ。自分の愛用のキセルを持っているほどだ。君ほどは頻繁に吸って無いと思うが。」

フリスラは不敵な笑みを浮かべた。

「こりゃ嬉しい発見だね。敵とは言え、タバコ仲間が居るとは。では、仰せのままに。」
「すまないね。」
フリスラは、箱からタバコを1本取ると、ロナルドと同様、口にくわえ、先端に火を付けた。

「ふぅ~……これが紙巻きタバコの味か。悪くないね。」

フリスラは、初めて味わうラッキー・ストライクの味覚に早くも満足したようだ。
その時、休憩室に軍曹の階級章を付けた男が入って来た。

「中隊長!ここにおられましたか!!」
「おお、どうした軍曹。何かあったのか?」
「はい。大変な事が起こりました!」

その言葉を聞いたフリスラは、表情を固くした。

「大変な事だと?」
「はい!中隊長のご家族が……」

その瞬間、フリスラは、西部に居る実家に何かがあったのだと確信した。
そして、ほぼ同じ事をロナルドも考えていた。
(おいおい……まさか、フリスラは親にも不幸があったのか?)
ロナルドは心中で呟くと、フリスラに同情の念を抱いた。
だが、事態は思わぬ方向に進んだ。

「中隊長殿の妻子が、収容所の正門前に……」
「な、何ぃ!?それは確かか……!」

フリスラは、思ってもみなかった出来事に、飛び上がらんばかりに驚いていた。

「はい!ひとまず、こちらへ!」

フリスラは、その場にあった空き缶にタバコを押し付けると、軍曹の言われるがまま、すぐに収容所の正門前へと駆けて行った。
休憩室には、先程と同様、ロナルドただ1人だけが取り残された、と思いきや、中にレンヴィスが入って来た。

「あ、お疲れ様です大尉殿。」
「おう、お疲れさん。」

ロナルドは、これまでに無いほど陽気な口調でレンヴィスに挨拶した。

「大尉殿、それ、どうしたんですか?」
「ああ、これか。今しがた、飛び出して行ったシホールアンル将校からプレゼントされたんだ。どうだ?」

ロナルドは、ラッキー・ストライクの箱をレンヴィスに向けた。

「いえ、自分はタバコは吸いません。」
「そうか。それは残念だ。」
「さっきの将校はどうしたんですか?えらい勢いで部屋から飛び出して行きましたが。」
「ちょいと嬉しい事があったらしい。」
「嬉しい事……ですか。」

レンヴィスは、シホールアンル将校が飛び出して行ったドアに目を向けた。

「どこの国の人間も、嬉しい事がある時は、爽やかな顔になるんですねぇ。」
「人間は、悪逆非道な国に生まれようが、どえらいお花畑の国に生まれようが、基本は変わらんもんさ。」

ロナルドはタバコを口にくわえ、一息吸ってから言葉を続けた。

「今日は、俺にとってとんでもないラッキーデーとなったが、あいつにとってもラッキーデーになったか。こう言う事が起きるのも、
ある意味、戦争ならではなのかもしれんなぁ。」

ロナルドは、しみじみとした口調で喋りながら、紫煙を吐きだした。


戦後、フリスラはレスタン戦役時の戦争犯罪行為を指揮した罪で立件され、死刑を求刑される事になるが、最終的にはロナルドが証人
として証言台に立ったお陰で、フリスラは無罪が確定し、以降、数十年に渡って2人の親交は続く事になるが、それはまだ、遠い未来の話である。
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