2004年4月13日23時32分 福岡県遠賀郡岡垣町国道495号線
深夜の国道を1台のワンボックスカーが疾走していた。国道とは言え、片側1車線で数キロも信号のない田舎道だ。運転者の若者は缶ビール片手にステレオの音 量を全開にして疾走している。助手席の男もその音楽にノリノリだった。これから海の中道まで行って女の子でもナンパするつもりだった。
「おい!あれ!」
不意に助手席の男が指さした先には、道路にぽつんとたたずむ男が見えた。慌てて運転者は急ブレーキを踏んだ。ワンボックスカーは半分スピンしながらどうにか停車した。
「あの野郎!」
運転者は怒りにまかせて缶ビールを投げ捨ててドアを開けた。そのまま路上の男につかみかかった。
「てめえ!危ねえだろうがぁ!」
助手席の若者もくわえタバコでにやけながら車を降りた。やれやれ、ヤツが切れたらなだめるのに時間がかかる。どんな事情か知らないが道路の真ん中に突っ立ってるのは正気の沙汰じゃない。
「おい!てめえ、ふざけんなよ!」
運転者は男のむなぐらをつかもうとして一瞬躊躇した。その男は黒いマントで身を包んでいたのだ。
「コスプレか?おい!」
運転者はその男のマントをめくった。マントの中は銀色に輝く西洋風の鎧だった。運転者はそれを見て言葉が続かなくなった。次の瞬間、彼の首は胴体から切り離され、アスファルトの地面に転がった。
「ひ、ひい!」
助手席の男は運転者の無惨な最期を見るとその場にしりもちをついた。マントの男は無言で彼に歩み寄った。
2004年4月15日8時9分 北九州市小倉北区京町の某雑居ビル
村山次郎はソファーに座り込んで頭を抱えていた。決して二日酔いだけではない。それ以上に彼が目を覚ましてから見舞われた状況に対して、頭を抱えているのだ。
「だれだ、こいつ・・・」
迎え酒の缶ビールをあおりながら思わずひとりごちた。村山の職業は私立探偵。浮気調査やペットの捜索などが仕事だ。夕べは大手企業の重役から依頼された浮 気調査の報酬が入って街に繰り出した。そしてしこたまに飲んだ後、事務所兼自宅のここに帰ってきたはずだった。だが、今彼のベッドには金髪の美しい女性が すやすやと寝息をたてているのだ。
「まずい、もうすぐ美雪が来る・・・」
村山は時計を見てつぶやいた。田村美雪は知り合いの派遣会社の 社長に回してもらった秘書だった。大学を出たばかりの彼女だったが語学堪能、パソコンも使える有能な秘書だった。時給1300円では安いくらいだったが、 彼女は文句も言わずにこんなうらぶれた探偵事務所に勤務してくれている。時給の代わりに週に1,2度、特別ボーナスを提供しているのだ。そして今日がその ボーナスの「支給日」だった。
その時、村山の携帯が鳴った。相手は大学の同期で自衛官の重岡竜明だった。今度二尉に昇進したと聞いた。けっこうなことだが、今の村山にそれを喜ぶ余裕もない。
「おう、今近所にいるんだが・・・」
重岡のその言葉は村山にとって神の救いに等しかった。
「今すぐ来い!待ってるぞ!」
そう言うと村山は一方的に電話を切った。そしてベッドルームに入ると、床に脱ぎ散らかされたシャツとネクタイを取ってそそくさと身につけた。
2004年4月15日8時11分 北九州市小倉北区モノレール平和通り駅前
つっけんどんというより、ほとんど失礼な旧友の電話に重岡はいささか怒りを覚えた。モノレール駅から路上に降りてタバコに火をつけた。朝の小倉はラッシュが始まって、サラリーマンや高校生、大学生が大勢歩いている。大通りのバスも人々を満載して行き来する。
「俺も仕事じゃなきゃ、こんなヤツに連絡なんてしないよ・・・」
くわえタバコで駅前を行き来する女子学生を見ながら重岡がつぶやいた。通りすがりの彼を女学生が好奇心いっぱいの目で見ながら通り過ぎていく。無理もない。彼は陸上自衛隊の幹部である。濃い緑のスーツに身を包んでいるのだ。
「まあ、一頃に比べると落ち着いたよな・・・」
朝のラッシュの町並みを見ながら重岡がつぶやいた。彼の記憶は1年前の4月にさかのぼっていた。
重岡は早くも疲労で倒れそうだった。未明から問い合わせの電話が殺到しているのだ。対岸の下関の明かりが見えない。自衛隊の訓練じゃないのか?戦争か?テ ロか?災害か?この世の厄災がすべて自衛隊のせいではないのかと言わんばかりの電話攻撃で非番も含めて手の開いた隊員はみな、かり出されていた。
連隊も混乱していた。本州との連絡は未明から寸断していた。幸い、春日の方面隊とは連絡が可能でそっちからの情報はちらほらと入っていた。それでも、この九州だけが孤立した原因はわからないままだった。
「うちの、息子は今日初めて下関の市立大に行くのに関門トンネルも関門橋も通行止めってどういうこと?」
電話の向こうの子供の大学生活に自衛隊はまったく関係ないことは明白だが、電話に出た幹部はなんとかなだめようと必死だ。
隣にある大学の学生からは実家と連絡が取れないと、半分泣きながら電話をかけてくる。テレビやラジオもローカル以外は砂嵐。スーパーとガソリンスタンドには車の長蛇の列ができた。
やがて、九州は完全に孤立したことが判明すると治安は極端に悪化した。一時は自衛隊の治安出動まで検討されたが、各県警の努力でどうにか沈静化した。民心 の安定は県警の努力だけではなかった。その日の午後、テレビのニュースで重岡も知ったのだが。未知の大陸を海上保安庁が発見したという。「未知の大陸」と いうにはそれなりの根拠があった。保安庁は宮崎県沖に巨大な大陸を発見したのだ。地図上では太平洋にあたる地域に現れた大陸。そして海上保安庁は、その大 陸の住民とおぼしき一団と接触していたのだ。治安悪化は人々の予想を超えた事態のため、収まると言うより一時停止したのだ。
2004年4月15日8時43分 北九州市小倉北区京町の某雑居ビル
村山の事務所に入った重岡は思わず目を疑った。ソファーにはぐったりとした村山、奥のベッドにはすっ裸の金髪の女性が寝ているのだ。
「やあ、いいところに来てくれたな・・・」
村山は朝から缶ビールを飲んでいる。顔をしかめながら重岡は勧められたソファーに座った。
「仕事の依頼に来たんだが。今、だいじょうぶか?」
村山の勧める缶ビールを「勤務中だ」と断ってから彼は言った。
「おい、ありゃだれだ?」
重岡はベッドに横たわる金髪の女性を見て尋ねた。村山は言いにくそうにタバコに火をつけた。
「いや、夕べお持ち帰りしたみたいなんだが・・・・。覚えてないんだ。ロシアンパブの子でもないしな・・・」
「言葉がよく通じたな」
彼女が寝返りを打った。美しい金髪が顔にかかっているがその間から見える顔はかなりきれいだ。村山め。独身なのをいいことにいろいろやっていやがる。
「いや、日本語はペラペラだった。聞いたこともない国だったけど・・・思いだせん・・・」
そこで彼の背後のドアが乱暴に開かれる音がした。
「おはよー!センセー!」
黒っぽいスーツに長い茶髪をとりあえずアップにしてまとめた女子大生みたいなかわいい女の子だった。そのスカートの短さに重岡は思わず目をそらした。
「やべえ!」
村山はソファーから素早く身を乗り出すと奥の部屋に通じるドアを急いで閉めた。女の子は「センセー」の素早い動きに怪訝な表情を浮かべた。
「なに?誰かいるの?」
「いや!いない!いないよ!・・・・と、仕事のお客様だ」
村山は慌てて話題をそらした。女の子は濃い緑色の制服を着た重岡をしげしげと見つめた。そして彼が傍らに置いた帽子を見て大きく目を見開いた。
「お客さんって自衛隊の人?センセーを兵隊に引っ張るの?」
自衛隊は不況の現在、最も人気のある職種だ。こんなよれよれスーツの男を雇わなくても有望な人材はいくらでもいる。もっとも、現在交戦中のガシリア王国と アジェンダ帝国の戦争に巻き込まれないように微妙な立場でもあるが。特に海上自衛隊は困難な任務を強いられている。佐世保の護衛艦群は現在、ガシリア王国 首都ガシリアナ沖に展開して王国軍の後方支援を行っている。あくまで、非戦闘地域での活動に限定されているが、すでにアジェンダ軍の竜騎兵を数十騎撃墜し ていた。時折空爆にやってくる敵軍だった。
航空自衛隊も暫定的にもうけた防空識別圏を警戒しているが、アジェンダ竜騎士団は威力偵察も兼ねてす でに100回近く侵入していた。陸上自衛隊は首都ガシリアナに連絡部隊と護衛の普通科中隊を派遣しているだけで、大した事態に巻き込まれてはいなかった。 すでに、ガシリア王国軍は敵の聖地であるアジャトゥーパを陥落させる勢いだった。アジャトゥーパは敵の魔導師の根拠地で魔導大臣ドボレクが治めている。そ こを陥落させれば戦争の帰趨はガシリア王国に完全に傾くと言っていい。
「はっはは!こんなヤツ、兵隊にしたって役に立たないよ!俺が来たのは人捜しの依頼だよ」
それを聞いて女の子は表情を変えた。たちまち、模範的な営業スマイルを浮かべて深々と重岡にお辞儀した。
「大変失礼いたしました。私、当事務所の秘書をさせていただいております田村美雪ともうします。ただいまコーヒーをお持ちいたします。先生、後はお願いします」
そう言って美雪はパーテーションでかくしてあるキッチンに消えた。村山はとりあえずは彼女にベッドに寝ている女性のことで詰問される瞬間が遠ざかったことにほっとしていた。
「仕事の話をしていいかな・・・」
そう言って重岡はバッグから一枚の書類を取り出した。村山はそれを受け取ると隅々までそれに目を通した。
「行方不明者の捜索か。しかもガイジンか」
村山の言う「ガイジン」とは正確にはガシリア王国の国民を指す。一般の市民でもニュースなどでガシリアの高官や軍人が九州を来訪していること。九州の知事や県議会議員、鉱山会社や大手のゼネコン社員がガシリアに渡航していることを知っていた。
「ああ、しかも高官だ。ドローテア・ミランス。ガシリア王国大神官。写真はないが、肖像画のキャプがあるだろ」
重岡の言葉に村山は渡された書類の下を見た。デジカメからの画像だろう。少々荒いがその大神官とやらの顔は確認できた。美しい金髪に青い目。高貴な高い鼻・・・。いわゆる美女のたぐいだ。
「こんなに若いのに大神官様か?」
「うむ。彼女の両親はこの戦役でどちらも戦死されたそうだ。そこで彼女が先年、両親の称号を受け継いだそうだ。こっちに向かう途中に敵の竜騎士に不意をつかれてな。船団は壊滅状態になったんだが、彼女は行方不明になったままだ。覚えてるだろ?」
重岡の言葉にコーヒーを持ってきた美雪が答えた。
「ああ、4,5日前に椎田沖であった戦闘ですね」
低空侵入してきた竜騎士が、九州を訪問しようとしていたガシリア船団を襲ったという新聞記事を彼女は覚えていた。重岡は頷いた。
「まだ遺体はあがっていないし、生存の可能性がある。自衛隊でも県警と共同で捜索しているが、おまえは人捜しの腕前はぴかいちと聞いた。報酬ははずむから頼むよ!」
「センセー!引き受けてあげましょ!」
村山は頭をぼりぼりかいて考えていたが、ため息をついて了承した。
2004年4月15日9時48分 北九州市小倉南区北方 陸上自衛隊第40普通科連隊
「重岡です、入ります」
連隊長に呼ばれて重岡は会議室に入った。会議室には連隊長の丸山他幕僚が控えている。
「重岡君、今回知事から要請された件について、君の信用できる興信所に寄ってきたそうだな」
丸山が重岡に尋ねた。重岡は起立したまま彼に答える。
「はっ、市内では右に出る者がいない業績のある興信所です」
それを聞いて春日から出向いていた西部方面隊総監部の田島三佐が鋭い視線を重岡に向けた。
「まさか、村山とか言う探偵ではないだろうな?」
よもやこの場でその名前が出るとは全く予想していなかった重岡はいささか返答に窮した。
「は、はあ・・・。何か問題が・・・?」
その返答に田島はテーブルを叩いた。書類に目を通していた幹部たちが一斉に肩をびくっとさせた。
「よりにもよってあの男に依頼しただと!さっさと自衛隊を退職して興信所を始めたような節操のない男にか?」
田島の怒りっぷりに重岡も心の奥でなっとくした。そう言えば、総監部の幹部で奥さんから浮気調査を依頼された人物がいると聞いた。まさか、その調査対象が 田島で、依頼を受けたのが村山とは・・・。証拠はないが、彼の異常なリアクションは半分答えを言っているようなものだった。今後のことを考えて重岡は慎重 に田島に答えた。
「はあ、自分もうかつでした。早速この件はキャンセルしてきます・・・」
村山と田島の個人的な確執に巻き込まれてはたまらないと重岡は思った。とっととヤツに電話を入れてキャンセルしよう。
「当たり前だ。それと、このドローテア・ミランス大神官の画像だが。もっと鮮明にできんのか?」
ようやくイスに腰掛けた重岡に田島が続けていちゃもんをつけてきた。肖像画をデジカメで撮影したものだ。これ以上画像を鮮明にするのは困難なはずだ。お茶をすすりながら田島が文句を言っている画像を見た。きれいな金髪に青い目。よくわかるじゃないか・・・
「あっっっ!あああああああああああああああああああっっっっっっ!!!!」
お茶を吹き出しながら重岡が絶叫した。そのまま彼はイスごと後ろにひっくり返った。
「いったい何事だ!?」
連隊長の丸山が重岡に大声で叫んだ。重岡は両隣の幹部に助け起こされながらどうにか丸山に答えた。
「そ、そ、それが・・・・。このド、ドローテア・ミランス大神官を・・・・、自分は、その発見しておりました」
重岡の言葉に今度は丸山がイスからひっくり返りそうになった。
「まちがいないのか?」
「はい、本日訪問した村山の事務所で・・・・、そのぉ・・・。一糸まとわない姿で休んでおられました・・・」
重岡の報告に今度は田島がお茶を吹き出した。大事な国賓が、うらぶれた探偵事務所のベッドですっ裸で寝ているなんて。しかも独身男の寝泊まりしている雑居ビルでだ。そこで繰り広げられた行為を想像するのはたやすい。先方にばれれば知事の首が飛ぶどころの騒ぎではない。
「む、村山・・・・。やつは疫病神かぁ・・・」
田島が思わずひとりごちた。彼は門司港に到着する大神官一行を出迎える役を仰せつかっていたのだ。知事の首が飛ぶ前に彼の出世コースが危ないことは明白だった。
「し、重岡二尉!す、すぐに、警務隊を連れてお迎えに行くのだ!」
丸山も大慌てで命令した。しかし、それを横にいた幹部が耳打ちした。それを聞いて連隊長は大声で怒鳴った。
「だっ たら、すぐに小倉北警察署に電話しておけ!パトカーで先導してもらえば自衛隊の車列なんて問題ないだろ!市長にも電話しておけ!全部すんだら知事に報告す るんだ。こっちの責任じゃないことにしておくんだ、なにぼうっとしてんだ!大神官をお迎えする準備をせんかぁ!!」
丸山の悲壮な叫びを合図に会議室に集まった幹部たちはそれぞれの仕事をするために部屋から飛び出した。
2004年4月15日10時16分 北九州市小倉北区京町 村山事務所
「ね~え、センセー」
美雪がソファーに座る村山に猫のように甘えてきた。今日は「特別ボーナス」の日だ。村山はタバコをくわえたまま、重岡の残した書類の一点を見ているだけだった。
「センセー?今日はないんですかぁ?」
美雪の再度の質問に彼は内ポケットからメモ用紙を取り出して彼女に渡した。メモの中身は、駅前のパチンコ屋の店員から聞き出した明日のモーニング設定台の 情報だ。美雪はその情報を仕入れて「特別ボーナス」をゲットしていたのだ。パチンコ屋の店員とは以前、闇金融にひっかかったのを助けてからの関係だった。
「センセー最高!」
美雪は書類に目を通す村山の頬にちゅっとキスをすると携帯電話にその情報を登録した。いつもはうれしい御礼のキスだが、今の村山にとってはそれどころではなかった。鮮明ではないがこの画像の人物。見たことがある。それも遠い過去ではない・・・。
「センセー。どうしたの?」
様子のおかしい村山に気がついた美雪が彼の背後から抱きついたときだった。ベッドルームと事務所を隔てるドアが不意に開かれた。カギをかけていなかったことを今更思い出して村山は顔をひきつらせた。
「誰?この人?」
村山の首に抱きついたままの美雪が呆然としたまま言った。ドアを開けたのはシーツに身体をくるんだ金髪で目の青い女性だった。そして村山はその女性が誰であるか、知っていた。
「ガシリア王国大神官・・・、ドローテア・ミランス様・・・・ですね・・・」
怪訝そうな顔をしている美雪と、彼女に抱きしめられて顔をひきつらせる村山を交互に見やって、金髪の女性、ドローテアは優雅に髪の毛をかきあげた。
「ゆ、ゆうべは、どうも・・・・」
その美しい仕草に昨晩のことを思い出しながら村山はどうにか挨拶した。
「そのことはよい。あれは私とそなたの「契約」だからな・・・」
多少顔を赤らめながらも優雅な仕草で髪の毛を整えながらドローテアは言った。それを聞いた美雪はたった今まで抱きしめていた「センセー」の首を締め始めた。
「センセー!どういうことよ!「契約」って?援助交際なんかしたんじゃないでしょうね!」
美雪はがっちりと村山をホールドしながら詰問した。当然と言っていいが、彼女は村山と関係があった。そうでもないと、こんなうらぶれた事務所で派遣社員をするはずがない。
「うううう・・・・、ギブ!ギブ!」
村山はソファーでもがきながら彼女の腕をぽんぽんと叩いた。本当にこのままじゃ殺されてしまう。ドローテアはそんな2人を見ながら無表情で立ったままだ。ようやく美雪は村山を締める腕をゆるめた。
「いや、美雪。これは勢いだ。男なら誰でも起こり得る勢いなんだ」
再び首を絞められてはたまらないと、とっさに村山は事務所の外に通じるドアに近づきながら弁明した。ここは外に脱出しないと命が危ない。そう思った村山がドアノブに手をかけようとする前にドアが勢いよく開かれた。
「命令あるまで撃つなよ!」
大声で叫びながら先頭で入ってきたのは重岡だった。その後に十数名の89式小銃で武装した警務隊員が続いた。村山はその場で立ちすくみ、美雪は目を丸くし ている。そしてドローテアはシーツが落ちないようにそれを手で持ったまま、相変わらず気品のある表情を浮かべているだけだ。
「重岡・・・」
呆然としたままの表情で村山はさっき彼の事務所に訪問したままの格好でシグを構える重岡に問いかけた。重岡は彼を一瞥すると目をそらした。
「おまえ、よりによってこの時期に一番お持ち帰りしちゃいけない人物をお持ち帰りしてしまったな」
重岡の言葉を聞いて思わず、村山は窓にとりついた。そして窓の下の光景を見て我が目を疑った。彼の事務所の前には10台以上のパトカーが停車して制服警官がびっしりとビルの入り口を固めている。美雪もこの光景を見て唖然としている。
「センセー、今度こそやばいよ・・・」
「君も一応、同行してもらうよ」
重岡は優しく美雪に言うと、ドローテアに近寄って一礼した。
「ガシリア王国大神官、ドローテア・ミランス様。私、陸上自衛隊二等陸尉、重岡です。お迎えにあがりました。」
それを聞いてドローテアは美しい微笑を浮かべてそれに答えた。
「重岡二尉、お役目ご苦労。準備したいので時間をくれぬか?」
「もちろんです」
そのやりとりを聞きながら村山はひとまず、この場から退散しようとこっそりと事務所のドアをくぐろうとしていた。それを見とがめたドローテアが声をかけた。
「村山殿!どちらへ?」
静かだが威厳ある声に村山は思わず動けなくなった。警務隊員も彼を見ている。
「な、なんか、自衛隊のみなさんに保護してもらったみたいだし。俺の役目も終わりかなって感じで・・・」
村山の言葉を聞いてドローテアは優しく微笑んだ。それを見てほっとした村山は騒ぎが落ち着くまで事務所から退散しようと警務隊をかきわけて外に出ようとした。
「村山殿・・・・。私との「契約」をお忘れのようだ」
そう言うと、ドローテアは何か口で呪文を唱えた。次の瞬間、村山の股間に強烈な痛みが襲いかかった。思わず彼はその場にへたりこんだ。
「いてててててててて!!!!」
もんどりうって転げ回る村山を見てドローテアは勝ち誇ったように笑った。それを見て重岡が恐る恐る彼女に声をかけた。
「あの・・・・、彼との「契約」とは・・いったい?できればそれに関しては我が自衛隊で代行したいのですが」
重岡の言葉を聞いてドローテアは少し頬を赤らめた。
「彼との契約は代行はできぬ。彼は私がこの九州で任務を果たすまで、私に同行し私を護衛することを契約した」
「ですから、その護衛は我々がやりますから」
重岡にとって旧友とは言え、これ以上村山とこの件で関わるのはごめんだった。ただでさえ、田島の心証を悪くしたのだ。だが、そんな重岡の希望を大神官の言葉は見事に打ち砕いた。
「彼と私は・・・その、肉体的な契約で結ばれておる。途中で解約などできぬ。その証拠に、今逃げ出そうとした彼を見なさい」
村山は警務隊の間で股間を押さえて半分泣きながらもがいている。美雪はあまりの出来事に目を白黒させるばかりだ。
「なんなんだ?ちぎれるところだったぞ!」
村山の悲壮な叫びを聞いて警務隊の1人が重岡に彼女の言う「契約」を推理した。
「これって孫悟空じゃないっすか?」
隊員の推理を重岡はドローテアに話した。彼女は無言で頷いた。
「彼が私を求めたときに説明したのだが、彼はよく聞いてなかったようだな。私は彼と交わるにあたり、契約魔法を彼の・・・・、その・・・・にかけた。この契約を履行すれば彼は私の契約魔法から解放される」
なんてことだ。村山が彼女と逢瀬を交わすときにした約束を果たさない限り、大神官とセットで彼がもれなくついて来るというわけだ。
「ドローテア様、いったい、彼とどんなご契約を?」
額に冷や汗を浮かべた重岡の質問にドローテアはあっけらかんとして答えた。
「決まっておるではないか。アジャトゥーパを逃れて九州に逃げ込んだアジェンダ帝国魔道大臣、ドボレクを捕まえるまでの私の護衛だ」
重岡はその答えに思わず泣きそうになった。もともと彼女が九州を訪問する目的は、行方知れずのドボレクの捜索だったのだから。つまり、重岡の任務完了までトラブルメイカー村山が彼に同行することがこの瞬間確定したのだ。
「俺、退職しようかな・・・」
野次馬の集まるビルの前で群衆整理始めた警官隊を見ながら重岡が思わずつぶやいた
深夜の国道を1台のワンボックスカーが疾走していた。国道とは言え、片側1車線で数キロも信号のない田舎道だ。運転者の若者は缶ビール片手にステレオの音 量を全開にして疾走している。助手席の男もその音楽にノリノリだった。これから海の中道まで行って女の子でもナンパするつもりだった。
「おい!あれ!」
不意に助手席の男が指さした先には、道路にぽつんとたたずむ男が見えた。慌てて運転者は急ブレーキを踏んだ。ワンボックスカーは半分スピンしながらどうにか停車した。
「あの野郎!」
運転者は怒りにまかせて缶ビールを投げ捨ててドアを開けた。そのまま路上の男につかみかかった。
「てめえ!危ねえだろうがぁ!」
助手席の若者もくわえタバコでにやけながら車を降りた。やれやれ、ヤツが切れたらなだめるのに時間がかかる。どんな事情か知らないが道路の真ん中に突っ立ってるのは正気の沙汰じゃない。
「おい!てめえ、ふざけんなよ!」
運転者は男のむなぐらをつかもうとして一瞬躊躇した。その男は黒いマントで身を包んでいたのだ。
「コスプレか?おい!」
運転者はその男のマントをめくった。マントの中は銀色に輝く西洋風の鎧だった。運転者はそれを見て言葉が続かなくなった。次の瞬間、彼の首は胴体から切り離され、アスファルトの地面に転がった。
「ひ、ひい!」
助手席の男は運転者の無惨な最期を見るとその場にしりもちをついた。マントの男は無言で彼に歩み寄った。
2004年4月15日8時9分 北九州市小倉北区京町の某雑居ビル
村山次郎はソファーに座り込んで頭を抱えていた。決して二日酔いだけではない。それ以上に彼が目を覚ましてから見舞われた状況に対して、頭を抱えているのだ。
「だれだ、こいつ・・・」
迎え酒の缶ビールをあおりながら思わずひとりごちた。村山の職業は私立探偵。浮気調査やペットの捜索などが仕事だ。夕べは大手企業の重役から依頼された浮 気調査の報酬が入って街に繰り出した。そしてしこたまに飲んだ後、事務所兼自宅のここに帰ってきたはずだった。だが、今彼のベッドには金髪の美しい女性が すやすやと寝息をたてているのだ。
「まずい、もうすぐ美雪が来る・・・」
村山は時計を見てつぶやいた。田村美雪は知り合いの派遣会社の 社長に回してもらった秘書だった。大学を出たばかりの彼女だったが語学堪能、パソコンも使える有能な秘書だった。時給1300円では安いくらいだったが、 彼女は文句も言わずにこんなうらぶれた探偵事務所に勤務してくれている。時給の代わりに週に1,2度、特別ボーナスを提供しているのだ。そして今日がその ボーナスの「支給日」だった。
その時、村山の携帯が鳴った。相手は大学の同期で自衛官の重岡竜明だった。今度二尉に昇進したと聞いた。けっこうなことだが、今の村山にそれを喜ぶ余裕もない。
「おう、今近所にいるんだが・・・」
重岡のその言葉は村山にとって神の救いに等しかった。
「今すぐ来い!待ってるぞ!」
そう言うと村山は一方的に電話を切った。そしてベッドルームに入ると、床に脱ぎ散らかされたシャツとネクタイを取ってそそくさと身につけた。
2004年4月15日8時11分 北九州市小倉北区モノレール平和通り駅前
つっけんどんというより、ほとんど失礼な旧友の電話に重岡はいささか怒りを覚えた。モノレール駅から路上に降りてタバコに火をつけた。朝の小倉はラッシュが始まって、サラリーマンや高校生、大学生が大勢歩いている。大通りのバスも人々を満載して行き来する。
「俺も仕事じゃなきゃ、こんなヤツに連絡なんてしないよ・・・」
くわえタバコで駅前を行き来する女子学生を見ながら重岡がつぶやいた。通りすがりの彼を女学生が好奇心いっぱいの目で見ながら通り過ぎていく。無理もない。彼は陸上自衛隊の幹部である。濃い緑のスーツに身を包んでいるのだ。
「まあ、一頃に比べると落ち着いたよな・・・」
朝のラッシュの町並みを見ながら重岡がつぶやいた。彼の記憶は1年前の4月にさかのぼっていた。
重岡は早くも疲労で倒れそうだった。未明から問い合わせの電話が殺到しているのだ。対岸の下関の明かりが見えない。自衛隊の訓練じゃないのか?戦争か?テ ロか?災害か?この世の厄災がすべて自衛隊のせいではないのかと言わんばかりの電話攻撃で非番も含めて手の開いた隊員はみな、かり出されていた。
連隊も混乱していた。本州との連絡は未明から寸断していた。幸い、春日の方面隊とは連絡が可能でそっちからの情報はちらほらと入っていた。それでも、この九州だけが孤立した原因はわからないままだった。
「うちの、息子は今日初めて下関の市立大に行くのに関門トンネルも関門橋も通行止めってどういうこと?」
電話の向こうの子供の大学生活に自衛隊はまったく関係ないことは明白だが、電話に出た幹部はなんとかなだめようと必死だ。
隣にある大学の学生からは実家と連絡が取れないと、半分泣きながら電話をかけてくる。テレビやラジオもローカル以外は砂嵐。スーパーとガソリンスタンドには車の長蛇の列ができた。
やがて、九州は完全に孤立したことが判明すると治安は極端に悪化した。一時は自衛隊の治安出動まで検討されたが、各県警の努力でどうにか沈静化した。民心 の安定は県警の努力だけではなかった。その日の午後、テレビのニュースで重岡も知ったのだが。未知の大陸を海上保安庁が発見したという。「未知の大陸」と いうにはそれなりの根拠があった。保安庁は宮崎県沖に巨大な大陸を発見したのだ。地図上では太平洋にあたる地域に現れた大陸。そして海上保安庁は、その大 陸の住民とおぼしき一団と接触していたのだ。治安悪化は人々の予想を超えた事態のため、収まると言うより一時停止したのだ。
2004年4月15日8時43分 北九州市小倉北区京町の某雑居ビル
村山の事務所に入った重岡は思わず目を疑った。ソファーにはぐったりとした村山、奥のベッドにはすっ裸の金髪の女性が寝ているのだ。
「やあ、いいところに来てくれたな・・・」
村山は朝から缶ビールを飲んでいる。顔をしかめながら重岡は勧められたソファーに座った。
「仕事の依頼に来たんだが。今、だいじょうぶか?」
村山の勧める缶ビールを「勤務中だ」と断ってから彼は言った。
「おい、ありゃだれだ?」
重岡はベッドに横たわる金髪の女性を見て尋ねた。村山は言いにくそうにタバコに火をつけた。
「いや、夕べお持ち帰りしたみたいなんだが・・・・。覚えてないんだ。ロシアンパブの子でもないしな・・・」
「言葉がよく通じたな」
彼女が寝返りを打った。美しい金髪が顔にかかっているがその間から見える顔はかなりきれいだ。村山め。独身なのをいいことにいろいろやっていやがる。
「いや、日本語はペラペラだった。聞いたこともない国だったけど・・・思いだせん・・・」
そこで彼の背後のドアが乱暴に開かれる音がした。
「おはよー!センセー!」
黒っぽいスーツに長い茶髪をとりあえずアップにしてまとめた女子大生みたいなかわいい女の子だった。そのスカートの短さに重岡は思わず目をそらした。
「やべえ!」
村山はソファーから素早く身を乗り出すと奥の部屋に通じるドアを急いで閉めた。女の子は「センセー」の素早い動きに怪訝な表情を浮かべた。
「なに?誰かいるの?」
「いや!いない!いないよ!・・・・と、仕事のお客様だ」
村山は慌てて話題をそらした。女の子は濃い緑色の制服を着た重岡をしげしげと見つめた。そして彼が傍らに置いた帽子を見て大きく目を見開いた。
「お客さんって自衛隊の人?センセーを兵隊に引っ張るの?」
自衛隊は不況の現在、最も人気のある職種だ。こんなよれよれスーツの男を雇わなくても有望な人材はいくらでもいる。もっとも、現在交戦中のガシリア王国と アジェンダ帝国の戦争に巻き込まれないように微妙な立場でもあるが。特に海上自衛隊は困難な任務を強いられている。佐世保の護衛艦群は現在、ガシリア王国 首都ガシリアナ沖に展開して王国軍の後方支援を行っている。あくまで、非戦闘地域での活動に限定されているが、すでにアジェンダ軍の竜騎兵を数十騎撃墜し ていた。時折空爆にやってくる敵軍だった。
航空自衛隊も暫定的にもうけた防空識別圏を警戒しているが、アジェンダ竜騎士団は威力偵察も兼ねてす でに100回近く侵入していた。陸上自衛隊は首都ガシリアナに連絡部隊と護衛の普通科中隊を派遣しているだけで、大した事態に巻き込まれてはいなかった。 すでに、ガシリア王国軍は敵の聖地であるアジャトゥーパを陥落させる勢いだった。アジャトゥーパは敵の魔導師の根拠地で魔導大臣ドボレクが治めている。そ こを陥落させれば戦争の帰趨はガシリア王国に完全に傾くと言っていい。
「はっはは!こんなヤツ、兵隊にしたって役に立たないよ!俺が来たのは人捜しの依頼だよ」
それを聞いて女の子は表情を変えた。たちまち、模範的な営業スマイルを浮かべて深々と重岡にお辞儀した。
「大変失礼いたしました。私、当事務所の秘書をさせていただいております田村美雪ともうします。ただいまコーヒーをお持ちいたします。先生、後はお願いします」
そう言って美雪はパーテーションでかくしてあるキッチンに消えた。村山はとりあえずは彼女にベッドに寝ている女性のことで詰問される瞬間が遠ざかったことにほっとしていた。
「仕事の話をしていいかな・・・」
そう言って重岡はバッグから一枚の書類を取り出した。村山はそれを受け取ると隅々までそれに目を通した。
「行方不明者の捜索か。しかもガイジンか」
村山の言う「ガイジン」とは正確にはガシリア王国の国民を指す。一般の市民でもニュースなどでガシリアの高官や軍人が九州を来訪していること。九州の知事や県議会議員、鉱山会社や大手のゼネコン社員がガシリアに渡航していることを知っていた。
「ああ、しかも高官だ。ドローテア・ミランス。ガシリア王国大神官。写真はないが、肖像画のキャプがあるだろ」
重岡の言葉に村山は渡された書類の下を見た。デジカメからの画像だろう。少々荒いがその大神官とやらの顔は確認できた。美しい金髪に青い目。高貴な高い鼻・・・。いわゆる美女のたぐいだ。
「こんなに若いのに大神官様か?」
「うむ。彼女の両親はこの戦役でどちらも戦死されたそうだ。そこで彼女が先年、両親の称号を受け継いだそうだ。こっちに向かう途中に敵の竜騎士に不意をつかれてな。船団は壊滅状態になったんだが、彼女は行方不明になったままだ。覚えてるだろ?」
重岡の言葉にコーヒーを持ってきた美雪が答えた。
「ああ、4,5日前に椎田沖であった戦闘ですね」
低空侵入してきた竜騎士が、九州を訪問しようとしていたガシリア船団を襲ったという新聞記事を彼女は覚えていた。重岡は頷いた。
「まだ遺体はあがっていないし、生存の可能性がある。自衛隊でも県警と共同で捜索しているが、おまえは人捜しの腕前はぴかいちと聞いた。報酬ははずむから頼むよ!」
「センセー!引き受けてあげましょ!」
村山は頭をぼりぼりかいて考えていたが、ため息をついて了承した。
2004年4月15日9時48分 北九州市小倉南区北方 陸上自衛隊第40普通科連隊
「重岡です、入ります」
連隊長に呼ばれて重岡は会議室に入った。会議室には連隊長の丸山他幕僚が控えている。
「重岡君、今回知事から要請された件について、君の信用できる興信所に寄ってきたそうだな」
丸山が重岡に尋ねた。重岡は起立したまま彼に答える。
「はっ、市内では右に出る者がいない業績のある興信所です」
それを聞いて春日から出向いていた西部方面隊総監部の田島三佐が鋭い視線を重岡に向けた。
「まさか、村山とか言う探偵ではないだろうな?」
よもやこの場でその名前が出るとは全く予想していなかった重岡はいささか返答に窮した。
「は、はあ・・・。何か問題が・・・?」
その返答に田島はテーブルを叩いた。書類に目を通していた幹部たちが一斉に肩をびくっとさせた。
「よりにもよってあの男に依頼しただと!さっさと自衛隊を退職して興信所を始めたような節操のない男にか?」
田島の怒りっぷりに重岡も心の奥でなっとくした。そう言えば、総監部の幹部で奥さんから浮気調査を依頼された人物がいると聞いた。まさか、その調査対象が 田島で、依頼を受けたのが村山とは・・・。証拠はないが、彼の異常なリアクションは半分答えを言っているようなものだった。今後のことを考えて重岡は慎重 に田島に答えた。
「はあ、自分もうかつでした。早速この件はキャンセルしてきます・・・」
村山と田島の個人的な確執に巻き込まれてはたまらないと重岡は思った。とっととヤツに電話を入れてキャンセルしよう。
「当たり前だ。それと、このドローテア・ミランス大神官の画像だが。もっと鮮明にできんのか?」
ようやくイスに腰掛けた重岡に田島が続けていちゃもんをつけてきた。肖像画をデジカメで撮影したものだ。これ以上画像を鮮明にするのは困難なはずだ。お茶をすすりながら田島が文句を言っている画像を見た。きれいな金髪に青い目。よくわかるじゃないか・・・
「あっっっ!あああああああああああああああああああっっっっっっ!!!!」
お茶を吹き出しながら重岡が絶叫した。そのまま彼はイスごと後ろにひっくり返った。
「いったい何事だ!?」
連隊長の丸山が重岡に大声で叫んだ。重岡は両隣の幹部に助け起こされながらどうにか丸山に答えた。
「そ、そ、それが・・・・。このド、ドローテア・ミランス大神官を・・・・、自分は、その発見しておりました」
重岡の言葉に今度は丸山がイスからひっくり返りそうになった。
「まちがいないのか?」
「はい、本日訪問した村山の事務所で・・・・、そのぉ・・・。一糸まとわない姿で休んでおられました・・・」
重岡の報告に今度は田島がお茶を吹き出した。大事な国賓が、うらぶれた探偵事務所のベッドですっ裸で寝ているなんて。しかも独身男の寝泊まりしている雑居ビルでだ。そこで繰り広げられた行為を想像するのはたやすい。先方にばれれば知事の首が飛ぶどころの騒ぎではない。
「む、村山・・・・。やつは疫病神かぁ・・・」
田島が思わずひとりごちた。彼は門司港に到着する大神官一行を出迎える役を仰せつかっていたのだ。知事の首が飛ぶ前に彼の出世コースが危ないことは明白だった。
「し、重岡二尉!す、すぐに、警務隊を連れてお迎えに行くのだ!」
丸山も大慌てで命令した。しかし、それを横にいた幹部が耳打ちした。それを聞いて連隊長は大声で怒鳴った。
「だっ たら、すぐに小倉北警察署に電話しておけ!パトカーで先導してもらえば自衛隊の車列なんて問題ないだろ!市長にも電話しておけ!全部すんだら知事に報告す るんだ。こっちの責任じゃないことにしておくんだ、なにぼうっとしてんだ!大神官をお迎えする準備をせんかぁ!!」
丸山の悲壮な叫びを合図に会議室に集まった幹部たちはそれぞれの仕事をするために部屋から飛び出した。
2004年4月15日10時16分 北九州市小倉北区京町 村山事務所
「ね~え、センセー」
美雪がソファーに座る村山に猫のように甘えてきた。今日は「特別ボーナス」の日だ。村山はタバコをくわえたまま、重岡の残した書類の一点を見ているだけだった。
「センセー?今日はないんですかぁ?」
美雪の再度の質問に彼は内ポケットからメモ用紙を取り出して彼女に渡した。メモの中身は、駅前のパチンコ屋の店員から聞き出した明日のモーニング設定台の 情報だ。美雪はその情報を仕入れて「特別ボーナス」をゲットしていたのだ。パチンコ屋の店員とは以前、闇金融にひっかかったのを助けてからの関係だった。
「センセー最高!」
美雪は書類に目を通す村山の頬にちゅっとキスをすると携帯電話にその情報を登録した。いつもはうれしい御礼のキスだが、今の村山にとってはそれどころではなかった。鮮明ではないがこの画像の人物。見たことがある。それも遠い過去ではない・・・。
「センセー。どうしたの?」
様子のおかしい村山に気がついた美雪が彼の背後から抱きついたときだった。ベッドルームと事務所を隔てるドアが不意に開かれた。カギをかけていなかったことを今更思い出して村山は顔をひきつらせた。
「誰?この人?」
村山の首に抱きついたままの美雪が呆然としたまま言った。ドアを開けたのはシーツに身体をくるんだ金髪で目の青い女性だった。そして村山はその女性が誰であるか、知っていた。
「ガシリア王国大神官・・・、ドローテア・ミランス様・・・・ですね・・・」
怪訝そうな顔をしている美雪と、彼女に抱きしめられて顔をひきつらせる村山を交互に見やって、金髪の女性、ドローテアは優雅に髪の毛をかきあげた。
「ゆ、ゆうべは、どうも・・・・」
その美しい仕草に昨晩のことを思い出しながら村山はどうにか挨拶した。
「そのことはよい。あれは私とそなたの「契約」だからな・・・」
多少顔を赤らめながらも優雅な仕草で髪の毛を整えながらドローテアは言った。それを聞いた美雪はたった今まで抱きしめていた「センセー」の首を締め始めた。
「センセー!どういうことよ!「契約」って?援助交際なんかしたんじゃないでしょうね!」
美雪はがっちりと村山をホールドしながら詰問した。当然と言っていいが、彼女は村山と関係があった。そうでもないと、こんなうらぶれた事務所で派遣社員をするはずがない。
「うううう・・・・、ギブ!ギブ!」
村山はソファーでもがきながら彼女の腕をぽんぽんと叩いた。本当にこのままじゃ殺されてしまう。ドローテアはそんな2人を見ながら無表情で立ったままだ。ようやく美雪は村山を締める腕をゆるめた。
「いや、美雪。これは勢いだ。男なら誰でも起こり得る勢いなんだ」
再び首を絞められてはたまらないと、とっさに村山は事務所の外に通じるドアに近づきながら弁明した。ここは外に脱出しないと命が危ない。そう思った村山がドアノブに手をかけようとする前にドアが勢いよく開かれた。
「命令あるまで撃つなよ!」
大声で叫びながら先頭で入ってきたのは重岡だった。その後に十数名の89式小銃で武装した警務隊員が続いた。村山はその場で立ちすくみ、美雪は目を丸くし ている。そしてドローテアはシーツが落ちないようにそれを手で持ったまま、相変わらず気品のある表情を浮かべているだけだ。
「重岡・・・」
呆然としたままの表情で村山はさっき彼の事務所に訪問したままの格好でシグを構える重岡に問いかけた。重岡は彼を一瞥すると目をそらした。
「おまえ、よりによってこの時期に一番お持ち帰りしちゃいけない人物をお持ち帰りしてしまったな」
重岡の言葉を聞いて思わず、村山は窓にとりついた。そして窓の下の光景を見て我が目を疑った。彼の事務所の前には10台以上のパトカーが停車して制服警官がびっしりとビルの入り口を固めている。美雪もこの光景を見て唖然としている。
「センセー、今度こそやばいよ・・・」
「君も一応、同行してもらうよ」
重岡は優しく美雪に言うと、ドローテアに近寄って一礼した。
「ガシリア王国大神官、ドローテア・ミランス様。私、陸上自衛隊二等陸尉、重岡です。お迎えにあがりました。」
それを聞いてドローテアは美しい微笑を浮かべてそれに答えた。
「重岡二尉、お役目ご苦労。準備したいので時間をくれぬか?」
「もちろんです」
そのやりとりを聞きながら村山はひとまず、この場から退散しようとこっそりと事務所のドアをくぐろうとしていた。それを見とがめたドローテアが声をかけた。
「村山殿!どちらへ?」
静かだが威厳ある声に村山は思わず動けなくなった。警務隊員も彼を見ている。
「な、なんか、自衛隊のみなさんに保護してもらったみたいだし。俺の役目も終わりかなって感じで・・・」
村山の言葉を聞いてドローテアは優しく微笑んだ。それを見てほっとした村山は騒ぎが落ち着くまで事務所から退散しようと警務隊をかきわけて外に出ようとした。
「村山殿・・・・。私との「契約」をお忘れのようだ」
そう言うと、ドローテアは何か口で呪文を唱えた。次の瞬間、村山の股間に強烈な痛みが襲いかかった。思わず彼はその場にへたりこんだ。
「いてててててててて!!!!」
もんどりうって転げ回る村山を見てドローテアは勝ち誇ったように笑った。それを見て重岡が恐る恐る彼女に声をかけた。
「あの・・・・、彼との「契約」とは・・いったい?できればそれに関しては我が自衛隊で代行したいのですが」
重岡の言葉を聞いてドローテアは少し頬を赤らめた。
「彼との契約は代行はできぬ。彼は私がこの九州で任務を果たすまで、私に同行し私を護衛することを契約した」
「ですから、その護衛は我々がやりますから」
重岡にとって旧友とは言え、これ以上村山とこの件で関わるのはごめんだった。ただでさえ、田島の心証を悪くしたのだ。だが、そんな重岡の希望を大神官の言葉は見事に打ち砕いた。
「彼と私は・・・その、肉体的な契約で結ばれておる。途中で解約などできぬ。その証拠に、今逃げ出そうとした彼を見なさい」
村山は警務隊の間で股間を押さえて半分泣きながらもがいている。美雪はあまりの出来事に目を白黒させるばかりだ。
「なんなんだ?ちぎれるところだったぞ!」
村山の悲壮な叫びを聞いて警務隊の1人が重岡に彼女の言う「契約」を推理した。
「これって孫悟空じゃないっすか?」
隊員の推理を重岡はドローテアに話した。彼女は無言で頷いた。
「彼が私を求めたときに説明したのだが、彼はよく聞いてなかったようだな。私は彼と交わるにあたり、契約魔法を彼の・・・・、その・・・・にかけた。この契約を履行すれば彼は私の契約魔法から解放される」
なんてことだ。村山が彼女と逢瀬を交わすときにした約束を果たさない限り、大神官とセットで彼がもれなくついて来るというわけだ。
「ドローテア様、いったい、彼とどんなご契約を?」
額に冷や汗を浮かべた重岡の質問にドローテアはあっけらかんとして答えた。
「決まっておるではないか。アジャトゥーパを逃れて九州に逃げ込んだアジェンダ帝国魔道大臣、ドボレクを捕まえるまでの私の護衛だ」
重岡はその答えに思わず泣きそうになった。もともと彼女が九州を訪問する目的は、行方知れずのドボレクの捜索だったのだから。つまり、重岡の任務完了までトラブルメイカー村山が彼に同行することがこの瞬間確定したのだ。
「俺、退職しようかな・・・」
野次馬の集まるビルの前で群衆整理始めた警官隊を見ながら重岡が思わずつぶやいた