2004年5月11日10時15分 宮崎県宮崎市沖 輸送艦「おおすみ」
自衛隊の誇る輸送艦の前甲板で、海風に美しい金髪をなびかせているのはドローテア・ミランスだった。ガシリア王国の偉大なる大神官は目の前に見えてきた光景に万感の思いを込めて言った。
「見えてきたぞ!まもなく我が祖国だ」
「はい、ドローテア様」
後ろに控える騎士バルクマンが恭しく彼女に答える。答えると彼は懐から封書を取り出して困ったように首を傾げた。それを見た大神官は笑いながらバルクマンに言う。
「まだ美咲に返事を書いていなかったのか・・・」
「はあ、なにぶん・・・、子供に手紙をもらうのは初めてでして・・・」
ドローテアの冷やかすような言葉に苦笑いするバルクマンだったが、その和やかな空気はあまり上品でない音で突然破られた。
「うげえぇぇぇっぇぇええ!!」
重岡竜明二尉が我慢できずに海の上に嘔吐物を吐き出す音だった。思わずドローテアとバルクマンが顔をしかめる。それに気がついた重岡が真っ青な顔を向けた。
「す、すいません・・・。昔から船には弱いんです・・・・・うっっ、ぼぇぇぇぇっぇえ!!」
重岡はその場によれよれと倒れ込んだ。海はすばらしい凪で揺れもほとんどないというのに。
「情けないなあ重岡は」
缶ビールをドローテアとバルクマンに渡しながら村山が言う。彼もふらふらだったが、それは船酔いではない。今回は尾上二曹と田村美雪は留守番だった。こうるさい美雪から逃れた村山にとってはこれは経費がただの海外旅行に等しい。
「ほっといてくれ・・・・・」
重岡がやっとのことで言ったのと同時に、海上自衛官がドローテアのところに来て報告した。
「まもなく、サラミドに入港いたします。艦長からの伝言です。このたびのサラミド入港許可を感謝するとのことです」
「うむ・・・。ごくろうだった」
海上さんの報告を聞いて村山はちょっと疑問に思った。なんでサラミドとかいう港に入港するのにドローテアに感謝しなきゃいけないんだ?彼の疑問に思う表情を悟ったのだろう。バルクマンが彼に言った。
「サラミドはドローテア様の領地にある港です。王都のガシリアナにも港はありますが、サラミドには日本の船が多く停泊していますしガシリアで一番大きな港です。それに、王都にも近いのでこちらに入港することにしました。」
「え、じゃあ、ドローテアは領主様なのか?」
驚いた村山の言葉にバルクマンはくすっと笑った。
「もちろん。ドローテア様は大神官家のお家柄です。王都ガシリアナ郊外から続く広大な領地と、10万を越える領民をお持ちです。しかも、善政を施かれて領民の支持も高い名領主なんですよ」
誇らしげなバルクマンは缶ビールを開けると、ドローテアと乾杯した。
「麗しき我が祖国に!」
村山と船酔いでぼろぼろの重岡には、彼女が領主と言うことよりも名君主である方が驚きであった。
2004年5月11日11時04分 ガシリア王国サラミド港
「お疲れさまでした、お気をつけて!」
おおすみ艦長以下、幹部総出の見送りを受けて福岡から運んできた県庁の高級セダンは港を出発した。運転手はいないので村山が運転しているが、港の人々は見 慣れない異世界の自動車に視線を集中させている。当のドローテアと言えば、バルクマンに渡された黒マントで全身をすっぽりおおってしまっている。
「なんでそんな格好をしてんだい?」
飲酒運転を禁止する法律がないとは言え、さすがに飲みながら運転する気が起きなかった村山が缶コーヒーを飲みながらドローテアに尋ねた。
「私は領地を歩くときはお忍びで歩くのがモットーなのだ。そうしないと民の生の声は聞けないからな」
「でも、こんな車で移動していればばればれと思うけどな」
もっともな村山のつっこみにドローテアも少しとまどった。確かに、これでは目立ちすぎる。とはいえ、車は港町を抜けて田園道路に入りつつあった。
「うわっっ!!」
不意に村山が声をあげて急ハンドルを切った。その勢いで助手席の重岡はドアガラスで頭を打ち付け、ドローテアはバルクマンの胸に飛び込んだ。次の瞬間、車はすごい勢いで振動して一同は天井に頭を打ち付けそうになった。
「どうしたんだ?」
打ち付けたこめかみの痛みを我慢しながら重岡が怒鳴った。それを村山が答える前に、車はがたがたと振動を響かせながら停車した。村山は他人事のように言った。
「石を踏んじまった。パンクだ・・・」
2004年5月11日11時14分 ガシリア王国サラミド港郊外
石は思ったよりも大きかった。セダン車のタイヤはその衝突を防ぎきれなかったようだ。ホイールまで変形していた。村山は手動ジャッキで車を持ち上げタイヤを交換するという作業を想像してため息をついた。
「ちょっと休憩しよう」
タイヤ交換を余儀なくされた一同は小休止に入った。村山はタバコを吸いながら道の脇を覗いてみた。きれいな小川が道沿いに走っている。その向こうには豊か な田園が広がっていた。畑、農家、森。これだけが延々と地平まで続いている。日本では決して見ることのできないすばらしい光景だった。
「タバコを捨てるでないぞ」
振り返るとマントに身を包んだドローテアだった。村山はにやっと笑うと、携帯灰皿を取り出すとそれにタバコを放り込んだ。それを見てドローテアも満足そうな顔をする。
「その格好はなんだ?僧侶か何かか?」
「私の領地に誘致した魔道学校の生徒だ。私が領地を歩くときはいつもこの格好で歩く。」
彼女のポリシーなのだろう。村山は「俺の世界では旗本の三男坊に扮した将軍様が町を練り歩く話があるぞ」と冷やかそうとしたが、それは残念ながら未遂に終わった。なにか音が聞こえる。一同はその音の発信源を探し視線をあちこちに飛ばした。
「なんだ?」
バルクマンが警戒の表情を浮かべる。村山と重岡にはその音の正体が何となく推測できたが、船で2日かけてたどりついた異世界で聞くことはないだろうと思っていた音だ。
「あ、あれは・・・・」
重岡が思わずつぶやいた。無理もない。現れたのは福岡ナンバーの軽トラックだったのだ。それを運転する老人はセダン車を見てトラックを停車させ降りてきた。
「これはまた珍しいのぉ。自衛隊がこげんところまで来るっちゃなぁ・・・ほんなこて、ガイジンさんば連れて」
福岡でも県南の方言がもろに出ている老人はパンクしたセダン車をしげしげ観察した。
「タイヤを交換してから、いい時間じゃけんが、うちで昼御飯食っていかんね?」
佐久間と名乗る老人は重岡に提案する。マントで顔を隠したドローテアとバルクマンも無言でその提案に賛成した。
「じゃあ、修理ば手伝うけん、ついて来んしゃい」
麦わら帽子に作業服の老人はトラックからジャッキを取り出すと、のそのそとセダン車に歩み寄った。
2004年5月11日11時54分 ガシリア王国サラミド港郊外
タイヤの交換を終えて、未舗装の道を佐久間老人の運転する軽トラックについて運転しながら村山は疑問に思っていた。こんな中世の田園みたいな世界で、この老人は軽トラックに乗って何をしているんだろう。その疑問は重岡も抱いていたようだったが、あることを思い出した。
「あっ!ガシリア王国が、シルバー人材と農業に転職したい若者を受け入れたって聞きましたが・・・・」
重岡の察しのいい言葉に、ドローテアはフードの下で微笑んだ。
「私の領地を提供して彼らを受け入れたのだ。彼らはこの土地で農業をして、食料の生産品目の乏しい日本にそれを輸出する。多くの食料を日本に輸出するため、彼らの負担を少なくするため、関税も年貢もかけておらん。」
その言葉に、重岡はドローテアは名君主であるということを信じざるを得なくなっていた。異世界に飛ばされた九州地方が直面した食糧問題と失業問題を解決に 導く方策を聞いたときは、たいしたもんだと感心したが、まさか目の前の人物がその提唱者とは思ってもみなかった。浅川が初めて彼女を見たときの驚きも、彼 女がTシャツにGパンだったからだけではないということだ。
「領主の中には、企業に高額のマージンを要求してトラブルになっている者もいると聞くが、私はそういうことは嫌いなのでな・・・・。」
ドローテアの言葉には嫌悪感がこもっていると村山は感じた。彼女にも政敵がいるんだろうか。そう考えているうちに、佐久間老人の軽トラが止まった。
「ここは・・・・?」
大きな敷地だった。奥には日本家屋っぽい母屋。道路沿いにはこれまた和風建築の大きな建物が建っている。その前にあるスペースにはなんと、佐賀ナンバーのマイクロバスが停車しているではないか。
「ふふ、やはりな」
ドローテアがバルクマンと顔を見合わせて笑った。どうやら佐久間老人を知っているようだ。一同が車を降りると、その佐久間老人は表の玄関前で彼らを待っていた。
「はーい!4名様ご来店!!」
大声で老人が叫ぶと、和服姿で、金髪や赤い髪のガシリア人女性が数名出てきた。彼女らは整列するといっせいに礼儀正しくお辞儀した。
「いらっしゃいませ・・・・!」
村山と重岡は唖然とし、事情を知っているのであろうドローテアとバルクマンはにやにやしている。重岡は豪華に屏風で飾られた玄関わきに立てられた札を見て驚いた。
「佐賀県武雄市議会様ご一行・・・・・?」
それを見て村山もようやく合点がいった。ここは飲食店だ。しかも日本人が経営して、ガシリアに視察に来る議員や企業、団体を迎えているのだ。
「さ、さ、離れにどうぞ!」
老人はガシリア人従業員に4人を離れに案内させた。本格的な和式の立派な造りだ。畳もしっかりと国産のモノを使っている。なにやら落ち着かないまま離れに通されてすぐに、従業員がグラスになみなみと注がれたビールを持ってきた。
「ガシリア産大麦で作りました地ビールでございます!」
重岡も村山も、いくら官庁御用達とはいえ、ただの自衛官にここまでもてなしをする佐久間老人の意図をわかりかねながら、目の前の地ビールの誘惑に負けてドローテアとバルクマンと乾杯していた。
2004年5月11日13時13分 ガシリア王国サラミド港郊外 佐久間老人の店
まさか、ガシリア王国で本格会席料理が堪能できるとは思わなかった4人は腹一杯になってぐったりとした。
「ドローテア様、ここはいったい?」
食事中もフードを取らなかったドローテアは熱いお茶をすすりながら重岡の質問に答えようとした。
「失礼します」
そこへ佐久間老人が入ってきた。先ほどまでの作業服姿ではなく、きっちりと上等な友禅の着物に身を包んでいる。彼はふすまを開けて軽く一礼するとささっと4人の座るテーブルのそばまで歩み寄った。
「いやあ、すみません。すっかりごちそうになりまして・・・・」
平身低頭する重岡に無言で会釈をして老人はフード姿のドローテアに正座して向き直った。そしてフードの中のドローテアの顔をのぞき込んで、びっくりしたように大声を出した。
「おい!おい!」
その声ですぐにふすまが開かれ、入ってきたのは割烹着姿の老婆だった。老婆は佐久間老人の手招きに応じて、一礼してから離れに入ると、老人と並んで正座してしげしげとドローテアの顔をのぞき込んだ。
「これはわしの女房です」
佐久間老人の言葉に老婆は三つ指ついて4人に挨拶した。そしてドローテアを再び見つめると驚いたような声をあげた。
「あれま!ドローテア様じゃなかとですか?」
驚く老婆に慌ててドローテアは否定する。
「いえ、私は魔道学校の生徒・・・、決してそのようなお方では・・・」
否定するドローテアに構わず老人と老婆はドローテアの顔をのぞき込んで、お互いに顔を見合わせる。どうやら確信しているようだ。
「まあまあ、わしらは言いふらしたりしませんけん・・・。もしかしてっち思うてご案内したとですよ」
バルクマンと顔を見合わせたドローテアは観念したようにフードを取って素顔をさらした。それを見て老人たちは自分たちの推理が間違いなかったことを確認して、畳に頭をすりつけるように土下座した。
「やっぱりドローテア様でしたかぁ!九州に向かう途中で遭難されたっち聞いたけんど、やっぱし生きておられましたかぁ」
「ああ、ありがたや、ありがたや・・・・、なんまんだぶ、なんまんだぶ」
老人たちの平身低頭っぷりにいささか困った表情を浮かべたドローテアは助けを求めるように村山に視線を向けた。それを見て村山もちょっと調子に乗ってみた。軽く咳払いしながら佐久間老人と老婆に言った。
「まあ、佐久間さん。ドローテア、いや大神官様は今回はお忍びで来られているので、ほどほどに・・・」
自衛官姿であることも幸いしたのだろうか、佐久間老人は村山の言葉にますます恐縮したようだった。
「うへぇぇ!これは失礼しました。ばってん、普段お世話になっとるドローテア様が来られたんじゃけん、こっちもできる限りのおもてなしばせんといかんと思って・・・」
あまりの佐久間老人の態度にドローテアも慌てて言葉をかける。
「い、いや。佐久間殿のご好意は大変感謝しておる。私が遭難して、こちらの自衛隊の協力でどうにか帰って来られた上に、佐久間殿のご好意に甘えては私も立つ瀬がないので、このような形をとったのだ」
とっさに考えついたドローテアのいいわけを佐久間老人はそのまま受け取ったようだ。感激の涙を浮かべている。
「あ りがたいお言葉ですばい・・・・。わしらがこっちで農業を始めるのにドローテア様はただ同然で土地を貸してくれんしゃって、作った作物は自由に九州に売ら せてもらって、税金はとらんっち言ってくれて・・・ホントに、生き神様じゃぁ・・・。なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・」
異世界の大神官様に「なんまんだぶ」はないだろうと村山は思わず苦笑したが、ドローテアがかつて見せたことのないくらい優しい表情で老夫婦を見ているのに気がついた。重岡もそれに気がついているようだ。
「すごいな・・・時代劇みたいだ」
村山の言葉に珍しく重岡も同意した。しかし、裏を返せばこちらに渡った日本人にそれだけドローテアが手厚い庇護をしていたことの証拠である。
「まあ、佐久間殿はこちらに渡った日本人の第一陣であるからな。私もいろいろ至らないところはあったと思うが、こうして大きな店まで構えてくれて、後に続く人々の手本になってくれておる。安心したぞ」
なるほど、それでドローテアは佐久間老人の顔を知っていたのか・・・。村山は心の中でつぶやいた。ドローテアの言葉に佐久間老人はますます感激したようだ。
「もったいない、もったいないお言葉です、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・。自分の孫にもこんな優しい言葉を言ってもらったことはないですけん、もう思い残すことはありません・・・」
村山と重岡はただただ佐久間老人の感激に目を奪われるばかりだった。
2004年5月11日13時39分 ガシリア王国サラミド港郊外 佐久間老人の店
感涙にむせぶ佐久間夫妻をいたわっていたドローテアが、夫妻が落ち着いたのを見計らってゆっくりと、優しく言葉をかけた。
「このように分別のある佐久間殿が、私がお忍びで戻ってきたにも関わらず、このようなことをするのも、なにか理由があるのだろう・・・」
その言葉に佐久間老人ははっとした。ドローテアにすべて見抜かれていたことを悟ったのだ。老人は再び畳の上にひれ伏した。
「す、すみません!でも、こうでもせんと、ブルトス公の耳に入ってしまいますけん・・・」
「なに?」
その言葉にドローテアは顔をぴくりとさせた。彼女は平伏する佐久間老人の肩を両手で優しく抱くとゆっくりと問いかけた。
「佐久間殿、ブルトス公が私の領地で何をしているのだ?」
「は、 はい・・・。ドローテア様が遭難されて、こっちにも生存っち情報は入ったけんが、安心はしちょったんですが、ブルトス公が兵隊ば率いてやってきて、「大神 官は死んだ」っち言うていろいろ悪さをしよるとです。わしら日本人に金をせびったり、ガシリア人にも税金を勝手にかけよるとです。こっちが拒否すると、畑 を夜中に荒らしたり、トラックのタイヤをパンクさせたり、嫌がらせされるもんじゃけん、困っとるとです・・・」
ブルトス公はもともとドローテアの政敵であった。ヴェート王の信頼厚いドローテアの失点を探っていたが、まさか彼女自身、彼がこのような直接行動に出るとは思ってもいなかった。
「ドローテア様、前々からあったブルトス公のお噂はやはり・・・・」
「バルクマン、今はそれを言うな」
状況のいまいちわからない村山は佐久間夫人に近寄って聞いてみた。
「ブルトス公の噂って?」
「ああ、それはねぇ」
ブルトス公にはアジェンダに通じているというまことしやかな噂があった。そして反日でガシリアの日本人には以前から有名だったというのだ。考え得る限り、 親日派であるドローテアの味方であるはずがない。そのブルトス公が、ドローテアの領地に半ば公然と権力を振りかざして、あまつさえ日本人移民を抑圧してい るという。これだけでもドローテアの怒りは爆発するに値した。
「ブルトスめ・・・許せん!」
佐久間老人の話ではブルトスは数十名の騎士を連れてサラミド郊外の屋敷に駐屯しているという。ドローテアは今にもその屋敷に剣を持って乗り込まんばかりだった。
「おまちください!」
それをバルクマンが必死で止めた。実際、彼女は剣を持って席を立とうとしていたのだ。忠実な騎士の静止でどうにかそれを収めて、ドローテアは座布団に座り直す。
「ブルトス公がここまでおおっぴらに行動を起こすのには訳があるはずです。私が王都に行き、ヴェート王にお会いしてきます。どうか、それまでご自重を・・・」
バルクマンの言葉にドローテアはまたしても村山を見やった。最近、彼女は判断に迷うと村山を見る癖がついている気がする。重岡はそう感じていた。当の村山はそれに気がついていないのか、のん気にビールを飲みながら彼女に言うのだった。
「バルクマンが王都に行く間、俺が探りを入れよう。君は大神官だ。変装しても佐久間さんにばれるくらいだ。ここにいた方がいい。重岡もだ。いかにも公務員って感じで雰囲気が浮くからな」
いかにも私立探偵らしい村山の意見に誰も反対意見が出なかった。それを確認したドローテアが佐久間老人に向き直った。
「佐久間殿、この離れをしばらく私に貸してくれぬだろうか・・・・。礼はする。ブルトスの目的を知るための拠点にしたいのだ」
この言葉に佐久間老人は二つ返事で快諾した。何か変な展開になってきたと感じる重岡は居心地悪そうにお茶をすするばかりだった。
2004年5月11日14時10分 ガシリア王国サラミド港 フリーマーケット会場
バルクマンから即席のガシリア人講座を受け、魔道学校の黒マントにフードをかぶった村山は人々でにぎわうフリーマーケットの会場にいた。ドローテアの方針 でここではすべての商売が自由だった。日本円で500円。出店料を払えば自由に店を出していいのだ。ガシリア人、日本人が混じって店を出し、ガシリア人、 日本人、アメリカ兵が掘り出し物を求めて歩いている。港に、在日米軍の艦船を見たのでさして驚きはしなかったが、意外とアメリカ兵が多いのだ。
日本人は電気製品以外は自由に商売をしている。暫定政府から電気製品や石油製品の販売は禁止されている。そのかわり、Tシャツなどの衣服、雑貨、食器や農産品、加工製品が大量に売られている。
「どけ!どけ!」
そこへ、甲冑姿の騎士が人並みを押し分けてやってくるのが見えた。数名の騎士は竹細工を売る茶髪の若者がやっている店を取り囲むようにして立っている。
「貴様、誰の許可を得て出店した?」
「え?ここは自由に出店できるんでしょ?」
反論する若者を騎士が殴りつけた。集まっていた市民がざわめきながら後ずさった。村山もフードをかぶった状態でしっかりとそれを観察している。倒れ込んだ若者の傍らにある網かごを騎士は取り上げて、売り上げらしい金貨を懐に納めた。
「これからはブルトス様に上納するのを忘れるな!異世界人!」
高らかに笑う騎士の態度にさすがにむかついた村山は、打ちひしがれる若者が広げている商品の中に、けん玉を見つけて、千円札を彼に渡した。
「お釣りはいらない・・・、あああ!いい買い物をしたなぁ!」
大声で叫ぶ村山の声に、先ほどの騎士が振り返る。例の若者から買い物をした村山を明らかな敵意の目で見ている。騎士の1人がフード姿の村山に近づいてにらみながら言った。
「おい、魔導師見習い。我々がこらしめた男の店でこれ見よがしに買い物をするとは・・・ブルトス様に喧嘩を売っているのか?」
騎士の言葉に村山は大げさに怯えて見せた。それを見て騎士は薄笑いを浮かべながらさらに村山に詰め寄った。
「ブルトス様は亡くなられたミランス大神官の領地を、おそれ多くもギラーミン侍従様のご裁可の下で引き継いでお治めくださるのだぞ!」
ほほお、と村山は心の中で思った。バルクマンから受けた即席ガシリア人講座は多いに役に立っている。ギラーミン侍従とは、ブルトス公と共に反日派で王宮ではドローテアと対立関係にある人物だ。やはり、彼女の領地での彼らの振る舞いは、政治的なにおいがした。
「これは失礼いたしました!しかし、大神官様がお亡くなりになっていたとは・・・。その発表はいつの話でございますか?それにブルトス公のお優しいお心遣いも、私は存じ上げませんでした。そんな発表がなかったモノですから・・・」
周りの市民たちがざわめいた。彼らはそんな公式発表など聞いてはいないし、ましてやブルトス公がそんなことをするはずがないと知っているのだ。痛いところを突かれた騎士は村山に殴りかかろうとした。
「きさま!屁理屈ばかりこねおって!」
「待て!」
その騎士の振り上げられた腕をサングラスをかけたアメリカ兵がつかんだ。彼以外の騎士も突然の乱入者に敵意をむき出しにしている。
「騎士ともあろうモノが、丸腰の魔道学校の生徒を相手に大人数で喧嘩か?」
流ちょうな日本語をしゃべるアメリカ兵の迷彩服の襟に大尉のマークが付いているのを村山は見逃さなかった。騎士たちも屈強な米兵の勢いと正論に気勢をそがれた格好になった。
「ふん!あまり調子に乗るな!」
捨て台詞を残して彼らは立ち去った。それを認めて市民たちも三々五々散っていった。サングラスの大尉は村山を見てにやっと笑った。
「魔道学校の生徒にしてはうかつだったな。気をつけるんだぞ」
そう言って彼は雑踏の中に消えた。黒髪に彫りの深い顔。おそらくイタリア系の将校だ。気を取り直した村山はアメリカ兵とは反対方向に歩くさっきの騎士を適度な距離を保って尾行し始めた。
2004年5月11日15時08分 ガシリア王国サラミド港郊外
騎士たちはサラミドから少し離れた大きな邸宅に入っていった。周囲は塀で囲まれ、門には騎士が見張りについている。この邸宅が誰のモノであるか、村山は門にいる騎士に近づいた。
「おい!ここはブルトス公の宿所である!近寄るな!」
「それは失礼いたしました・・・・」
彼の期待通りに答えを言ってくれた騎士に心の中で感謝して、とりあえずは佐久間老人の店に戻ることにした。しかし、村山には心配な点があった。王都ガシリ アナに向かったバルクマンだ。ギラーミン侍従がブルトス公とぐるである可能性が高い。そうなれば、のこのこと王宮に出向いたバルクマンは危険ではないだろ うか?
「こいつは手を打たなきゃな」
そう言いながらも村山は久しぶりの「本業」をこなすことに喜びを感じていた。
2004年5月11日16時12分 ガシリア王国サラミド港郊外 佐久間老人の店
村山の話を聞き終わったドローテアは腕組みをして考え込んだ。やはり、王宮にも手が回っているようだ。そうでなければ、王に情報が入らない理由がない。ギ ラーミン侍従がうまく情報を操っていることは明白だ。ドローテアは紙とペンを取り出すとすばやくバルクマンに状況を知らせる手紙をしたためた。
「佐久間殿、バルクマンは徒歩で王都に向かっている。今からなら車ですぐに追いつけるはずだ。この手紙を持ってブラムス大公に会うように伝えてくれぬか?」
ブラムス大公はドローテアのよき理解者でヴェート王の信頼も厚い人物だ。まずは彼に接触した方が安全であろうと思ったのだ。
「わかりました。じゃけんが、車は目立ちすぎて危ないですけん・・・。馬で行かせましょう・・・。おおい!田所君にこれを持って馬で王都に向かう騎士に渡して来いっち言ってくれんね!」
「田所君とは?」
話に余りついて行けない重岡が口を挟んだ。夫人にドローテアの手紙を渡した佐久間老人はまるで我が息子を自慢するかのようにそれに答える。
「田所君は、我々農業組合の青年部長ばしよる人物です。若いけんど、しっかりしとる男じゃけん、心配いらんでしょう」
そう言う老人に村山はさっきから考えていた作戦を佐久間老人に相談してみようと思った。なるほど、この現状はたしかに、ブルトス公と裏で糸を引くギラーミ ン侍従が、日本人を圧迫し、無理矢理領民から税金をむしり取っている状況だ。だが、決定的な証拠が足りない。彼らがアジェンダ帝国と通じているという証拠 だ。それには、先ほど確かめた屋敷に忍び込む必要がある。
「佐久間さん、町のはずれにあるブルトス公の邸宅に出入りする業者を知りませんか?」
突然の村山の質問に佐久間老人は少し考え込んだが、やがて思いついたのだろう。手をぽんと叩いた。
「うちの店で働く店員の旦那が、あの屋敷で掃除夫ばしよるとです!」
村山はその答えに満足げに頷いた。彼の考えが読めないドローテアが怪訝そうな顔をして質問してきた。
「村山殿、いったい何をする気だ?」
「これさ。」
そう言って村山は携帯電話と小さな黒い物体を自慢げにドローテアに見せた。彼女は当然それらの活用法はわからない。だが、重岡がそれを察したのだろう。大声をあげた。
「む、村山!おまえ?」
「そう、その掃除夫にブルトス公の家の天井裏にこいつを仕掛けてもらう。俺が張り込んで、ギラーミン侍従が来るのを見張る。来たら携帯を使って盗聴器のスイッチを入れて盗聴。掃除夫に回収してもらえば完璧だ。」
日本の法律ではこのような不法な手段で得た証拠は証拠足り得ない。しかし、ここにはそんな法律はない。重岡はそれでも納得できないのか、さらに疑問を村山にぶつけた。
「だが、ここには携帯の充電器なんかないぞ。携帯のバッテリーが切れたらどうすんだ?」
重岡の質問は村山にとってはまじめな人間の発想にすぎなかった。にやっと笑うと彼はドローテアもびっくりするような答えを口にした。
「だめだったら?残ったバッテリーでヤツの適当な言葉を盗聴して、うまく編集すればいいだろ?どうせ限りなくクロに近いんだ。それをドローテアが王様に聞かせれば、後は王様がしっかり叩いて埃を出してくれるだろうさ。」
村山は恐ろしく腹黒いアイデアをまるで子供のいたずらのように楽しそうに語った。彼は事実そんな方法でいろんな修羅場をくぐり抜けてきている。
「おお!なるほど!」
意外にもドローテアは村山の案に賛成の様子だ。うなだれる重岡に、村山はにこやかに向き直った。
「重岡、おまえにも仕事があるんだ」
「まじで?」
「大仕事だ・・・」
まじめな重岡はそんな違法な捜査の片棒を半分担いでいる自分に気がついて頭を抱えた。このことがばれれば、やっぱり彼はクビだろう・・・
2004年5月12日14時26分 ガシリア王国サラミド港郊外 新日鐵ガシリア出張所
多くの企業がガシリア王国のサラミドに支店や出張所を構えていた。重岡は今その中のひとつの前にいる。この企業は鉄を使ってガシリア向けの弓矢や剣、槍、 甲冑を生産しているが、日本の法律では武器の輸出はできない。従って、九州からは「工芸品」として輸送される。これらの武器はここサラミドで最終的に加工 されてガシリアに引き渡される。ここはその最終的な加工を担当する出張所だった。
「ふう・・・」
重岡は事前に村山とドローテアとで打ち合わせたシナリオを思い出して深呼吸した。そこへ、県庁の公用車で乗り付けた自衛官に向かって所長とおぼしきスーツの男が駆け寄ってきた。
「これはこれは!ごくろうさまです!」
所長は重岡を、彼が何の用事できたのかも確認しないままに、出張所の応接室に案内した。
「いやあ、遠いところからご苦労様です。私、所長の峰岸ともうします。」
「こちらこそ、陸上自衛隊の重岡です」
女子社員からお茶を出され、名刺交換して一通りの儀式を終えると峰岸は重岡に向き直った。
「いや、つい先日本国の社員から、死んだはずの大神官が生放送でテレビに出たと聞きまして・・・」
峰岸は自衛隊が調査に来たと思ったようだ。彼はあのドローテアの生中継まで彼女の生存を知らなかったそうだ。彼女は死亡したとされて、彼女に代わりブルトス公がこの地域を治めることになり、方針が変わったという。
「どういう風に変わったんです?」
「は あ、それが、今まで最終加工していた武器の一部をギラーミン侍従に直接納めるようにとの通達があったんです。それまでは一括でミランス様に納めていたんで こっちもてんやわんやで、その上この事務所と工場の土地賃貸料まで請求されておりまして・・・・。今月末までに払えということでして、どうなっているんで すかねぇ」
重岡はポケットに忍ばせたレコーダーのスイッチがちゃんと「REC」になっていることを確認した。これは決定的な証拠だ。
「しかし、どうしてギラーミン侍従に武器の一部を直接納入するんです?」
重岡のつっこんだ質問に峰岸も事情をよく飲み込めていないようで、しどろもどろしながらようやく答えた。
「そ れが、今度王宮にヴェート王直属の部隊を創設するとかで、それで武器が必要になったとか言うんですが、何しろ向こうは情報を全然開示せずにブルトス公やそ の騎士が来て一方的に言うばかり、ミランス大神官の時とは全然対応が変わってしまって苦労しておる次第なんです・・・。しかも、拒否すれば今後の貴社の安 全は保障できないとか脅迫まがいのことまで・・・・。ミランス大神官が行方不明になったすぐ後からですら、たった1ヶ月弱でここまでいろいろ変わってしま うと対応できませんよ・・・」
最後は半分峰岸の愚痴だろうが、これだけでも十分な証拠になりうる。重岡は違法ながらも村山方式の情報収集のおもしろさを感じている自分に気がつき、思わず姿勢を正した。
2004年5月14日18時42分 ガシリア王国サラミド港郊外 ブルトス公邸宅
村山は魔道学校のマントを着た張り込み2日目を迎えていた。騎士に見つからないように少し離れた木立から双眼鏡でブルトス公の屋敷を偵察しているが、いっこうに動きがない。盗聴器と一緒に仕掛けた携帯のバッテリーがそろそろ心配になってくる。
「今日あたり来そうなんだけどなぁ」
村山にはある程度確信があった。掃除夫が盗聴器を仕掛けて2日。その前日にも村山は数度、ブルトス公の屋敷を訪れていた。彼は見張りの数や屋敷に出入りす る人間の数を調べていた。今日は見張りの数が違う。見張りが多いということは見られたくないこと、もしくは重要人物の来訪のどちらかだ。
「おっ」
彼の推測は正しかった。王都の方角から数騎の騎士に護衛された馬車が到着した。そこから降りた人物は豪奢なマントに身を包んだ黒髪の男。見張りの騎士の対応からギラーミン侍従であろう事が推測された。
「ビンゴだな・・・」
村山は侍従とおぼしき人物が屋敷に入ってからすぐに、仕掛けた携帯電話に電話した。すぐにつながって、盗聴器も電源が入ったようだ。彼の耳にはめたイヤホンから屋敷からの会話が聞こえてきた。
「遠路はるばる恐れ入ります、ギラーミン侍従」
「いやいや、それもこれも我々の未来のためだ」
やはり、さっきの身分の高そうな人物はギラーミン侍従だったのだ。村山は自分のもくろみがうまくいったことに満足げな笑みを浮かべた。会話は続く。
「異世界のテレビとやらでミランスの姿が流されたと聞いたが・・・」
「異世界人がいろいろ言っておりますが、問題ありますまい。力で押さえつけておりますし、奴らの軍隊。自衛隊と言いましたか・・・。奴らもこっちでは武器も使えない連中です。移民した日本人には若干手を焼いております」
「おお、あの佐久間とか言う老人がまとめる組合か・・。やっかいだな」
「目下は力で押さえておりますが、万が一、向こうで大神官の生存が確認されるとやっかいです」
どうやら、彼らはドローテアの生存を疑っているようだ。だからこそ、ここまで表だった行動に出ている訳か。かなりあくどい連中かと思いきや、村山にしてみれば幼稚な連中と言えた。
「ドボレク大臣もとっておきの魔法攻撃を準備されている。我々はガシリアと異世界の足並みを乱すのが任務だ。それさえ果たせば、ドボレク大臣が究極の魔法でガシリアを滅ぼした後、この土地は我々のモノだ。」
この言葉を村山は聞き逃さなかった。かつてドローテアが口にした疑問。ドボレクの方向性の一端がかいま見えた。ドボレクは九州以外で武力行使できない自衛 隊を軽視している。それで、九州に召還魔法で魔獣を送り込んで混乱させ、国内の警備に自衛隊を集中させ、その一方でガシリア本国に何か強力な反撃を用意し ているのだ。それが何かはわからないが、ガシリアの中枢の人物も寝返らせるほどの隠し玉であることは事実のようだ。
「こいつはとんだ拾いモノだな」
村山は内部の会話がたわいもない世間話になったことを確認すると長居は無用とそこを後にした。一応、こっちでもMDに録音したが、マスターがあるにこしたことはない。掃除夫に回収してもらうつもりだった。
2004年5月14日22時01分 ガシリア王国サラミド港郊外 佐久間老人の店
「むう、ギラーミンとブルトスめ。なんということを」
ドローテアは村山と重岡の報告を聞いて怒りで身体をふるわせた。彼らの行為は保身や利益を求める行為以上の反逆行為だ。しかもその事実は侍従のギラーミンが握りつぶしていることが想像にたやすい。
「バルクマンがなんとか、ブラムス大公に接触できれば今まで集めた証拠で奴らをつぶせるんだがな」
「それは、彼を信じてくれ。私は彼を信じている。」
村山の呈した疑問にドローテアは確信を持った表情で答える。もはや、ギラーミンとブルトスの野望は明白だった。「死んだ」とされるドローテアの情報を利用 して、彼女の領地にやってきた日本人から財産や技術、物資を奪い取り、ドボレクのもくろむガシリアナ殲滅魔法が実行された後は、ドローテアの領地を拠点に この国を支配しようともくろんでいるのだ。
「だが・・・・」
ドローテアは静かに微笑みながら言う。
「奴らは、日本という国をなめてかかりすぎた・・・」
確かに、ドローテア自身最初はこの国を見る目は違っていた。彼女にとってはたかだか「軍事支援」で大騒ぎし、官僚も政治家も右往左往。国民もおびえ、マス コミは恐ろしげに書き立てるばかりだった。だが、一度既成事実ができてしまえば、自衛隊は恐ろしい武器をいとも簡単に使用していく。そのことをブルトスも ギラーミンも知らなかった。ドローテアが本当に生きていることを知らないように。
「重岡殿、村山殿、明日屋敷から盗聴器を回収したら王都へ行くぞ。すべてをヴェート王に打ち明けよう。それで終わりだ」
もはや、情勢はドローテアにとってチェックメイトと思われた。
2004年5月15日9時01分 ガシリア王国サラミド港郊外 ブルトス公邸宅
村山は例の木立で掃除夫を待っていた。MDで録音した昨夜の会話のマスターとも言うべき盗聴器を回収するためだ。だがいつもの時間を過ぎても掃除夫は出てこない。
「ちくしょう・・・早くしろよ」
村山はじりじりと腕時計を見ながら待ち続けた。しばらくして、壺を神妙に抱えた掃除夫が出てくるのが見えた。盗聴器と携帯電話をよりによって壺に隠したようだ。村山は舌打ちした。これじゃあ、見張りの騎士に怪しまれる。
「おい!待て」
彼の予想通り、見張りの騎士は掃除夫を呼び止めた。しばらく問答を続けていたが、掃除夫は答えに窮したのか、壺を抱えたままあろうことか逃げ出したのだ。
「あのバカ野郎!」
そう言いながら村山も木立から、魔道学校のマントのまま走り出していた。掃除夫の後を追って数名の騎士が走っている。掃除夫は村山の姿を見つけて壺を思いっきり投げた。
「村山様!受け取ってください!」
大きな弧を描いた壺は見事村山がキャッチしたがその十数メートル先で掃除夫は騎士に取り押さえられていた。残りの騎士が壺を受け取った村山をにらんでいる。
「やべえ!」
逃げ出した村山に抜刀した騎士が後に続いた。このまま佐久間老人の店には帰れない。村山は一計を案じてフリーマーケットが催される通りに駆け込んだ。
自衛隊の誇る輸送艦の前甲板で、海風に美しい金髪をなびかせているのはドローテア・ミランスだった。ガシリア王国の偉大なる大神官は目の前に見えてきた光景に万感の思いを込めて言った。
「見えてきたぞ!まもなく我が祖国だ」
「はい、ドローテア様」
後ろに控える騎士バルクマンが恭しく彼女に答える。答えると彼は懐から封書を取り出して困ったように首を傾げた。それを見た大神官は笑いながらバルクマンに言う。
「まだ美咲に返事を書いていなかったのか・・・」
「はあ、なにぶん・・・、子供に手紙をもらうのは初めてでして・・・」
ドローテアの冷やかすような言葉に苦笑いするバルクマンだったが、その和やかな空気はあまり上品でない音で突然破られた。
「うげえぇぇぇっぇぇええ!!」
重岡竜明二尉が我慢できずに海の上に嘔吐物を吐き出す音だった。思わずドローテアとバルクマンが顔をしかめる。それに気がついた重岡が真っ青な顔を向けた。
「す、すいません・・・。昔から船には弱いんです・・・・・うっっ、ぼぇぇぇぇっぇえ!!」
重岡はその場によれよれと倒れ込んだ。海はすばらしい凪で揺れもほとんどないというのに。
「情けないなあ重岡は」
缶ビールをドローテアとバルクマンに渡しながら村山が言う。彼もふらふらだったが、それは船酔いではない。今回は尾上二曹と田村美雪は留守番だった。こうるさい美雪から逃れた村山にとってはこれは経費がただの海外旅行に等しい。
「ほっといてくれ・・・・・」
重岡がやっとのことで言ったのと同時に、海上自衛官がドローテアのところに来て報告した。
「まもなく、サラミドに入港いたします。艦長からの伝言です。このたびのサラミド入港許可を感謝するとのことです」
「うむ・・・。ごくろうだった」
海上さんの報告を聞いて村山はちょっと疑問に思った。なんでサラミドとかいう港に入港するのにドローテアに感謝しなきゃいけないんだ?彼の疑問に思う表情を悟ったのだろう。バルクマンが彼に言った。
「サラミドはドローテア様の領地にある港です。王都のガシリアナにも港はありますが、サラミドには日本の船が多く停泊していますしガシリアで一番大きな港です。それに、王都にも近いのでこちらに入港することにしました。」
「え、じゃあ、ドローテアは領主様なのか?」
驚いた村山の言葉にバルクマンはくすっと笑った。
「もちろん。ドローテア様は大神官家のお家柄です。王都ガシリアナ郊外から続く広大な領地と、10万を越える領民をお持ちです。しかも、善政を施かれて領民の支持も高い名領主なんですよ」
誇らしげなバルクマンは缶ビールを開けると、ドローテアと乾杯した。
「麗しき我が祖国に!」
村山と船酔いでぼろぼろの重岡には、彼女が領主と言うことよりも名君主である方が驚きであった。
2004年5月11日11時04分 ガシリア王国サラミド港
「お疲れさまでした、お気をつけて!」
おおすみ艦長以下、幹部総出の見送りを受けて福岡から運んできた県庁の高級セダンは港を出発した。運転手はいないので村山が運転しているが、港の人々は見 慣れない異世界の自動車に視線を集中させている。当のドローテアと言えば、バルクマンに渡された黒マントで全身をすっぽりおおってしまっている。
「なんでそんな格好をしてんだい?」
飲酒運転を禁止する法律がないとは言え、さすがに飲みながら運転する気が起きなかった村山が缶コーヒーを飲みながらドローテアに尋ねた。
「私は領地を歩くときはお忍びで歩くのがモットーなのだ。そうしないと民の生の声は聞けないからな」
「でも、こんな車で移動していればばればれと思うけどな」
もっともな村山のつっこみにドローテアも少しとまどった。確かに、これでは目立ちすぎる。とはいえ、車は港町を抜けて田園道路に入りつつあった。
「うわっっ!!」
不意に村山が声をあげて急ハンドルを切った。その勢いで助手席の重岡はドアガラスで頭を打ち付け、ドローテアはバルクマンの胸に飛び込んだ。次の瞬間、車はすごい勢いで振動して一同は天井に頭を打ち付けそうになった。
「どうしたんだ?」
打ち付けたこめかみの痛みを我慢しながら重岡が怒鳴った。それを村山が答える前に、車はがたがたと振動を響かせながら停車した。村山は他人事のように言った。
「石を踏んじまった。パンクだ・・・」
2004年5月11日11時14分 ガシリア王国サラミド港郊外
石は思ったよりも大きかった。セダン車のタイヤはその衝突を防ぎきれなかったようだ。ホイールまで変形していた。村山は手動ジャッキで車を持ち上げタイヤを交換するという作業を想像してため息をついた。
「ちょっと休憩しよう」
タイヤ交換を余儀なくされた一同は小休止に入った。村山はタバコを吸いながら道の脇を覗いてみた。きれいな小川が道沿いに走っている。その向こうには豊か な田園が広がっていた。畑、農家、森。これだけが延々と地平まで続いている。日本では決して見ることのできないすばらしい光景だった。
「タバコを捨てるでないぞ」
振り返るとマントに身を包んだドローテアだった。村山はにやっと笑うと、携帯灰皿を取り出すとそれにタバコを放り込んだ。それを見てドローテアも満足そうな顔をする。
「その格好はなんだ?僧侶か何かか?」
「私の領地に誘致した魔道学校の生徒だ。私が領地を歩くときはいつもこの格好で歩く。」
彼女のポリシーなのだろう。村山は「俺の世界では旗本の三男坊に扮した将軍様が町を練り歩く話があるぞ」と冷やかそうとしたが、それは残念ながら未遂に終わった。なにか音が聞こえる。一同はその音の発信源を探し視線をあちこちに飛ばした。
「なんだ?」
バルクマンが警戒の表情を浮かべる。村山と重岡にはその音の正体が何となく推測できたが、船で2日かけてたどりついた異世界で聞くことはないだろうと思っていた音だ。
「あ、あれは・・・・」
重岡が思わずつぶやいた。無理もない。現れたのは福岡ナンバーの軽トラックだったのだ。それを運転する老人はセダン車を見てトラックを停車させ降りてきた。
「これはまた珍しいのぉ。自衛隊がこげんところまで来るっちゃなぁ・・・ほんなこて、ガイジンさんば連れて」
福岡でも県南の方言がもろに出ている老人はパンクしたセダン車をしげしげ観察した。
「タイヤを交換してから、いい時間じゃけんが、うちで昼御飯食っていかんね?」
佐久間と名乗る老人は重岡に提案する。マントで顔を隠したドローテアとバルクマンも無言でその提案に賛成した。
「じゃあ、修理ば手伝うけん、ついて来んしゃい」
麦わら帽子に作業服の老人はトラックからジャッキを取り出すと、のそのそとセダン車に歩み寄った。
2004年5月11日11時54分 ガシリア王国サラミド港郊外
タイヤの交換を終えて、未舗装の道を佐久間老人の運転する軽トラックについて運転しながら村山は疑問に思っていた。こんな中世の田園みたいな世界で、この老人は軽トラックに乗って何をしているんだろう。その疑問は重岡も抱いていたようだったが、あることを思い出した。
「あっ!ガシリア王国が、シルバー人材と農業に転職したい若者を受け入れたって聞きましたが・・・・」
重岡の察しのいい言葉に、ドローテアはフードの下で微笑んだ。
「私の領地を提供して彼らを受け入れたのだ。彼らはこの土地で農業をして、食料の生産品目の乏しい日本にそれを輸出する。多くの食料を日本に輸出するため、彼らの負担を少なくするため、関税も年貢もかけておらん。」
その言葉に、重岡はドローテアは名君主であるということを信じざるを得なくなっていた。異世界に飛ばされた九州地方が直面した食糧問題と失業問題を解決に 導く方策を聞いたときは、たいしたもんだと感心したが、まさか目の前の人物がその提唱者とは思ってもみなかった。浅川が初めて彼女を見たときの驚きも、彼 女がTシャツにGパンだったからだけではないということだ。
「領主の中には、企業に高額のマージンを要求してトラブルになっている者もいると聞くが、私はそういうことは嫌いなのでな・・・・。」
ドローテアの言葉には嫌悪感がこもっていると村山は感じた。彼女にも政敵がいるんだろうか。そう考えているうちに、佐久間老人の軽トラが止まった。
「ここは・・・・?」
大きな敷地だった。奥には日本家屋っぽい母屋。道路沿いにはこれまた和風建築の大きな建物が建っている。その前にあるスペースにはなんと、佐賀ナンバーのマイクロバスが停車しているではないか。
「ふふ、やはりな」
ドローテアがバルクマンと顔を見合わせて笑った。どうやら佐久間老人を知っているようだ。一同が車を降りると、その佐久間老人は表の玄関前で彼らを待っていた。
「はーい!4名様ご来店!!」
大声で老人が叫ぶと、和服姿で、金髪や赤い髪のガシリア人女性が数名出てきた。彼女らは整列するといっせいに礼儀正しくお辞儀した。
「いらっしゃいませ・・・・!」
村山と重岡は唖然とし、事情を知っているのであろうドローテアとバルクマンはにやにやしている。重岡は豪華に屏風で飾られた玄関わきに立てられた札を見て驚いた。
「佐賀県武雄市議会様ご一行・・・・・?」
それを見て村山もようやく合点がいった。ここは飲食店だ。しかも日本人が経営して、ガシリアに視察に来る議員や企業、団体を迎えているのだ。
「さ、さ、離れにどうぞ!」
老人はガシリア人従業員に4人を離れに案内させた。本格的な和式の立派な造りだ。畳もしっかりと国産のモノを使っている。なにやら落ち着かないまま離れに通されてすぐに、従業員がグラスになみなみと注がれたビールを持ってきた。
「ガシリア産大麦で作りました地ビールでございます!」
重岡も村山も、いくら官庁御用達とはいえ、ただの自衛官にここまでもてなしをする佐久間老人の意図をわかりかねながら、目の前の地ビールの誘惑に負けてドローテアとバルクマンと乾杯していた。
2004年5月11日13時13分 ガシリア王国サラミド港郊外 佐久間老人の店
まさか、ガシリア王国で本格会席料理が堪能できるとは思わなかった4人は腹一杯になってぐったりとした。
「ドローテア様、ここはいったい?」
食事中もフードを取らなかったドローテアは熱いお茶をすすりながら重岡の質問に答えようとした。
「失礼します」
そこへ佐久間老人が入ってきた。先ほどまでの作業服姿ではなく、きっちりと上等な友禅の着物に身を包んでいる。彼はふすまを開けて軽く一礼するとささっと4人の座るテーブルのそばまで歩み寄った。
「いやあ、すみません。すっかりごちそうになりまして・・・・」
平身低頭する重岡に無言で会釈をして老人はフード姿のドローテアに正座して向き直った。そしてフードの中のドローテアの顔をのぞき込んで、びっくりしたように大声を出した。
「おい!おい!」
その声ですぐにふすまが開かれ、入ってきたのは割烹着姿の老婆だった。老婆は佐久間老人の手招きに応じて、一礼してから離れに入ると、老人と並んで正座してしげしげとドローテアの顔をのぞき込んだ。
「これはわしの女房です」
佐久間老人の言葉に老婆は三つ指ついて4人に挨拶した。そしてドローテアを再び見つめると驚いたような声をあげた。
「あれま!ドローテア様じゃなかとですか?」
驚く老婆に慌ててドローテアは否定する。
「いえ、私は魔道学校の生徒・・・、決してそのようなお方では・・・」
否定するドローテアに構わず老人と老婆はドローテアの顔をのぞき込んで、お互いに顔を見合わせる。どうやら確信しているようだ。
「まあまあ、わしらは言いふらしたりしませんけん・・・。もしかしてっち思うてご案内したとですよ」
バルクマンと顔を見合わせたドローテアは観念したようにフードを取って素顔をさらした。それを見て老人たちは自分たちの推理が間違いなかったことを確認して、畳に頭をすりつけるように土下座した。
「やっぱりドローテア様でしたかぁ!九州に向かう途中で遭難されたっち聞いたけんど、やっぱし生きておられましたかぁ」
「ああ、ありがたや、ありがたや・・・・、なんまんだぶ、なんまんだぶ」
老人たちの平身低頭っぷりにいささか困った表情を浮かべたドローテアは助けを求めるように村山に視線を向けた。それを見て村山もちょっと調子に乗ってみた。軽く咳払いしながら佐久間老人と老婆に言った。
「まあ、佐久間さん。ドローテア、いや大神官様は今回はお忍びで来られているので、ほどほどに・・・」
自衛官姿であることも幸いしたのだろうか、佐久間老人は村山の言葉にますます恐縮したようだった。
「うへぇぇ!これは失礼しました。ばってん、普段お世話になっとるドローテア様が来られたんじゃけん、こっちもできる限りのおもてなしばせんといかんと思って・・・」
あまりの佐久間老人の態度にドローテアも慌てて言葉をかける。
「い、いや。佐久間殿のご好意は大変感謝しておる。私が遭難して、こちらの自衛隊の協力でどうにか帰って来られた上に、佐久間殿のご好意に甘えては私も立つ瀬がないので、このような形をとったのだ」
とっさに考えついたドローテアのいいわけを佐久間老人はそのまま受け取ったようだ。感激の涙を浮かべている。
「あ りがたいお言葉ですばい・・・・。わしらがこっちで農業を始めるのにドローテア様はただ同然で土地を貸してくれんしゃって、作った作物は自由に九州に売ら せてもらって、税金はとらんっち言ってくれて・・・ホントに、生き神様じゃぁ・・・。なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・」
異世界の大神官様に「なんまんだぶ」はないだろうと村山は思わず苦笑したが、ドローテアがかつて見せたことのないくらい優しい表情で老夫婦を見ているのに気がついた。重岡もそれに気がついているようだ。
「すごいな・・・時代劇みたいだ」
村山の言葉に珍しく重岡も同意した。しかし、裏を返せばこちらに渡った日本人にそれだけドローテアが手厚い庇護をしていたことの証拠である。
「まあ、佐久間殿はこちらに渡った日本人の第一陣であるからな。私もいろいろ至らないところはあったと思うが、こうして大きな店まで構えてくれて、後に続く人々の手本になってくれておる。安心したぞ」
なるほど、それでドローテアは佐久間老人の顔を知っていたのか・・・。村山は心の中でつぶやいた。ドローテアの言葉に佐久間老人はますます感激したようだ。
「もったいない、もったいないお言葉です、なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・。自分の孫にもこんな優しい言葉を言ってもらったことはないですけん、もう思い残すことはありません・・・」
村山と重岡はただただ佐久間老人の感激に目を奪われるばかりだった。
2004年5月11日13時39分 ガシリア王国サラミド港郊外 佐久間老人の店
感涙にむせぶ佐久間夫妻をいたわっていたドローテアが、夫妻が落ち着いたのを見計らってゆっくりと、優しく言葉をかけた。
「このように分別のある佐久間殿が、私がお忍びで戻ってきたにも関わらず、このようなことをするのも、なにか理由があるのだろう・・・」
その言葉に佐久間老人ははっとした。ドローテアにすべて見抜かれていたことを悟ったのだ。老人は再び畳の上にひれ伏した。
「す、すみません!でも、こうでもせんと、ブルトス公の耳に入ってしまいますけん・・・」
「なに?」
その言葉にドローテアは顔をぴくりとさせた。彼女は平伏する佐久間老人の肩を両手で優しく抱くとゆっくりと問いかけた。
「佐久間殿、ブルトス公が私の領地で何をしているのだ?」
「は、 はい・・・。ドローテア様が遭難されて、こっちにも生存っち情報は入ったけんが、安心はしちょったんですが、ブルトス公が兵隊ば率いてやってきて、「大神 官は死んだ」っち言うていろいろ悪さをしよるとです。わしら日本人に金をせびったり、ガシリア人にも税金を勝手にかけよるとです。こっちが拒否すると、畑 を夜中に荒らしたり、トラックのタイヤをパンクさせたり、嫌がらせされるもんじゃけん、困っとるとです・・・」
ブルトス公はもともとドローテアの政敵であった。ヴェート王の信頼厚いドローテアの失点を探っていたが、まさか彼女自身、彼がこのような直接行動に出るとは思ってもいなかった。
「ドローテア様、前々からあったブルトス公のお噂はやはり・・・・」
「バルクマン、今はそれを言うな」
状況のいまいちわからない村山は佐久間夫人に近寄って聞いてみた。
「ブルトス公の噂って?」
「ああ、それはねぇ」
ブルトス公にはアジェンダに通じているというまことしやかな噂があった。そして反日でガシリアの日本人には以前から有名だったというのだ。考え得る限り、 親日派であるドローテアの味方であるはずがない。そのブルトス公が、ドローテアの領地に半ば公然と権力を振りかざして、あまつさえ日本人移民を抑圧してい るという。これだけでもドローテアの怒りは爆発するに値した。
「ブルトスめ・・・許せん!」
佐久間老人の話ではブルトスは数十名の騎士を連れてサラミド郊外の屋敷に駐屯しているという。ドローテアは今にもその屋敷に剣を持って乗り込まんばかりだった。
「おまちください!」
それをバルクマンが必死で止めた。実際、彼女は剣を持って席を立とうとしていたのだ。忠実な騎士の静止でどうにかそれを収めて、ドローテアは座布団に座り直す。
「ブルトス公がここまでおおっぴらに行動を起こすのには訳があるはずです。私が王都に行き、ヴェート王にお会いしてきます。どうか、それまでご自重を・・・」
バルクマンの言葉にドローテアはまたしても村山を見やった。最近、彼女は判断に迷うと村山を見る癖がついている気がする。重岡はそう感じていた。当の村山はそれに気がついていないのか、のん気にビールを飲みながら彼女に言うのだった。
「バルクマンが王都に行く間、俺が探りを入れよう。君は大神官だ。変装しても佐久間さんにばれるくらいだ。ここにいた方がいい。重岡もだ。いかにも公務員って感じで雰囲気が浮くからな」
いかにも私立探偵らしい村山の意見に誰も反対意見が出なかった。それを確認したドローテアが佐久間老人に向き直った。
「佐久間殿、この離れをしばらく私に貸してくれぬだろうか・・・・。礼はする。ブルトスの目的を知るための拠点にしたいのだ」
この言葉に佐久間老人は二つ返事で快諾した。何か変な展開になってきたと感じる重岡は居心地悪そうにお茶をすするばかりだった。
2004年5月11日14時10分 ガシリア王国サラミド港 フリーマーケット会場
バルクマンから即席のガシリア人講座を受け、魔道学校の黒マントにフードをかぶった村山は人々でにぎわうフリーマーケットの会場にいた。ドローテアの方針 でここではすべての商売が自由だった。日本円で500円。出店料を払えば自由に店を出していいのだ。ガシリア人、日本人が混じって店を出し、ガシリア人、 日本人、アメリカ兵が掘り出し物を求めて歩いている。港に、在日米軍の艦船を見たのでさして驚きはしなかったが、意外とアメリカ兵が多いのだ。
日本人は電気製品以外は自由に商売をしている。暫定政府から電気製品や石油製品の販売は禁止されている。そのかわり、Tシャツなどの衣服、雑貨、食器や農産品、加工製品が大量に売られている。
「どけ!どけ!」
そこへ、甲冑姿の騎士が人並みを押し分けてやってくるのが見えた。数名の騎士は竹細工を売る茶髪の若者がやっている店を取り囲むようにして立っている。
「貴様、誰の許可を得て出店した?」
「え?ここは自由に出店できるんでしょ?」
反論する若者を騎士が殴りつけた。集まっていた市民がざわめきながら後ずさった。村山もフードをかぶった状態でしっかりとそれを観察している。倒れ込んだ若者の傍らにある網かごを騎士は取り上げて、売り上げらしい金貨を懐に納めた。
「これからはブルトス様に上納するのを忘れるな!異世界人!」
高らかに笑う騎士の態度にさすがにむかついた村山は、打ちひしがれる若者が広げている商品の中に、けん玉を見つけて、千円札を彼に渡した。
「お釣りはいらない・・・、あああ!いい買い物をしたなぁ!」
大声で叫ぶ村山の声に、先ほどの騎士が振り返る。例の若者から買い物をした村山を明らかな敵意の目で見ている。騎士の1人がフード姿の村山に近づいてにらみながら言った。
「おい、魔導師見習い。我々がこらしめた男の店でこれ見よがしに買い物をするとは・・・ブルトス様に喧嘩を売っているのか?」
騎士の言葉に村山は大げさに怯えて見せた。それを見て騎士は薄笑いを浮かべながらさらに村山に詰め寄った。
「ブルトス様は亡くなられたミランス大神官の領地を、おそれ多くもギラーミン侍従様のご裁可の下で引き継いでお治めくださるのだぞ!」
ほほお、と村山は心の中で思った。バルクマンから受けた即席ガシリア人講座は多いに役に立っている。ギラーミン侍従とは、ブルトス公と共に反日派で王宮ではドローテアと対立関係にある人物だ。やはり、彼女の領地での彼らの振る舞いは、政治的なにおいがした。
「これは失礼いたしました!しかし、大神官様がお亡くなりになっていたとは・・・。その発表はいつの話でございますか?それにブルトス公のお優しいお心遣いも、私は存じ上げませんでした。そんな発表がなかったモノですから・・・」
周りの市民たちがざわめいた。彼らはそんな公式発表など聞いてはいないし、ましてやブルトス公がそんなことをするはずがないと知っているのだ。痛いところを突かれた騎士は村山に殴りかかろうとした。
「きさま!屁理屈ばかりこねおって!」
「待て!」
その騎士の振り上げられた腕をサングラスをかけたアメリカ兵がつかんだ。彼以外の騎士も突然の乱入者に敵意をむき出しにしている。
「騎士ともあろうモノが、丸腰の魔道学校の生徒を相手に大人数で喧嘩か?」
流ちょうな日本語をしゃべるアメリカ兵の迷彩服の襟に大尉のマークが付いているのを村山は見逃さなかった。騎士たちも屈強な米兵の勢いと正論に気勢をそがれた格好になった。
「ふん!あまり調子に乗るな!」
捨て台詞を残して彼らは立ち去った。それを認めて市民たちも三々五々散っていった。サングラスの大尉は村山を見てにやっと笑った。
「魔道学校の生徒にしてはうかつだったな。気をつけるんだぞ」
そう言って彼は雑踏の中に消えた。黒髪に彫りの深い顔。おそらくイタリア系の将校だ。気を取り直した村山はアメリカ兵とは反対方向に歩くさっきの騎士を適度な距離を保って尾行し始めた。
2004年5月11日15時08分 ガシリア王国サラミド港郊外
騎士たちはサラミドから少し離れた大きな邸宅に入っていった。周囲は塀で囲まれ、門には騎士が見張りについている。この邸宅が誰のモノであるか、村山は門にいる騎士に近づいた。
「おい!ここはブルトス公の宿所である!近寄るな!」
「それは失礼いたしました・・・・」
彼の期待通りに答えを言ってくれた騎士に心の中で感謝して、とりあえずは佐久間老人の店に戻ることにした。しかし、村山には心配な点があった。王都ガシリ アナに向かったバルクマンだ。ギラーミン侍従がブルトス公とぐるである可能性が高い。そうなれば、のこのこと王宮に出向いたバルクマンは危険ではないだろ うか?
「こいつは手を打たなきゃな」
そう言いながらも村山は久しぶりの「本業」をこなすことに喜びを感じていた。
2004年5月11日16時12分 ガシリア王国サラミド港郊外 佐久間老人の店
村山の話を聞き終わったドローテアは腕組みをして考え込んだ。やはり、王宮にも手が回っているようだ。そうでなければ、王に情報が入らない理由がない。ギ ラーミン侍従がうまく情報を操っていることは明白だ。ドローテアは紙とペンを取り出すとすばやくバルクマンに状況を知らせる手紙をしたためた。
「佐久間殿、バルクマンは徒歩で王都に向かっている。今からなら車ですぐに追いつけるはずだ。この手紙を持ってブラムス大公に会うように伝えてくれぬか?」
ブラムス大公はドローテアのよき理解者でヴェート王の信頼も厚い人物だ。まずは彼に接触した方が安全であろうと思ったのだ。
「わかりました。じゃけんが、車は目立ちすぎて危ないですけん・・・。馬で行かせましょう・・・。おおい!田所君にこれを持って馬で王都に向かう騎士に渡して来いっち言ってくれんね!」
「田所君とは?」
話に余りついて行けない重岡が口を挟んだ。夫人にドローテアの手紙を渡した佐久間老人はまるで我が息子を自慢するかのようにそれに答える。
「田所君は、我々農業組合の青年部長ばしよる人物です。若いけんど、しっかりしとる男じゃけん、心配いらんでしょう」
そう言う老人に村山はさっきから考えていた作戦を佐久間老人に相談してみようと思った。なるほど、この現状はたしかに、ブルトス公と裏で糸を引くギラーミ ン侍従が、日本人を圧迫し、無理矢理領民から税金をむしり取っている状況だ。だが、決定的な証拠が足りない。彼らがアジェンダ帝国と通じているという証拠 だ。それには、先ほど確かめた屋敷に忍び込む必要がある。
「佐久間さん、町のはずれにあるブルトス公の邸宅に出入りする業者を知りませんか?」
突然の村山の質問に佐久間老人は少し考え込んだが、やがて思いついたのだろう。手をぽんと叩いた。
「うちの店で働く店員の旦那が、あの屋敷で掃除夫ばしよるとです!」
村山はその答えに満足げに頷いた。彼の考えが読めないドローテアが怪訝そうな顔をして質問してきた。
「村山殿、いったい何をする気だ?」
「これさ。」
そう言って村山は携帯電話と小さな黒い物体を自慢げにドローテアに見せた。彼女は当然それらの活用法はわからない。だが、重岡がそれを察したのだろう。大声をあげた。
「む、村山!おまえ?」
「そう、その掃除夫にブルトス公の家の天井裏にこいつを仕掛けてもらう。俺が張り込んで、ギラーミン侍従が来るのを見張る。来たら携帯を使って盗聴器のスイッチを入れて盗聴。掃除夫に回収してもらえば完璧だ。」
日本の法律ではこのような不法な手段で得た証拠は証拠足り得ない。しかし、ここにはそんな法律はない。重岡はそれでも納得できないのか、さらに疑問を村山にぶつけた。
「だが、ここには携帯の充電器なんかないぞ。携帯のバッテリーが切れたらどうすんだ?」
重岡の質問は村山にとってはまじめな人間の発想にすぎなかった。にやっと笑うと彼はドローテアもびっくりするような答えを口にした。
「だめだったら?残ったバッテリーでヤツの適当な言葉を盗聴して、うまく編集すればいいだろ?どうせ限りなくクロに近いんだ。それをドローテアが王様に聞かせれば、後は王様がしっかり叩いて埃を出してくれるだろうさ。」
村山は恐ろしく腹黒いアイデアをまるで子供のいたずらのように楽しそうに語った。彼は事実そんな方法でいろんな修羅場をくぐり抜けてきている。
「おお!なるほど!」
意外にもドローテアは村山の案に賛成の様子だ。うなだれる重岡に、村山はにこやかに向き直った。
「重岡、おまえにも仕事があるんだ」
「まじで?」
「大仕事だ・・・」
まじめな重岡はそんな違法な捜査の片棒を半分担いでいる自分に気がついて頭を抱えた。このことがばれれば、やっぱり彼はクビだろう・・・
2004年5月12日14時26分 ガシリア王国サラミド港郊外 新日鐵ガシリア出張所
多くの企業がガシリア王国のサラミドに支店や出張所を構えていた。重岡は今その中のひとつの前にいる。この企業は鉄を使ってガシリア向けの弓矢や剣、槍、 甲冑を生産しているが、日本の法律では武器の輸出はできない。従って、九州からは「工芸品」として輸送される。これらの武器はここサラミドで最終的に加工 されてガシリアに引き渡される。ここはその最終的な加工を担当する出張所だった。
「ふう・・・」
重岡は事前に村山とドローテアとで打ち合わせたシナリオを思い出して深呼吸した。そこへ、県庁の公用車で乗り付けた自衛官に向かって所長とおぼしきスーツの男が駆け寄ってきた。
「これはこれは!ごくろうさまです!」
所長は重岡を、彼が何の用事できたのかも確認しないままに、出張所の応接室に案内した。
「いやあ、遠いところからご苦労様です。私、所長の峰岸ともうします。」
「こちらこそ、陸上自衛隊の重岡です」
女子社員からお茶を出され、名刺交換して一通りの儀式を終えると峰岸は重岡に向き直った。
「いや、つい先日本国の社員から、死んだはずの大神官が生放送でテレビに出たと聞きまして・・・」
峰岸は自衛隊が調査に来たと思ったようだ。彼はあのドローテアの生中継まで彼女の生存を知らなかったそうだ。彼女は死亡したとされて、彼女に代わりブルトス公がこの地域を治めることになり、方針が変わったという。
「どういう風に変わったんです?」
「は あ、それが、今まで最終加工していた武器の一部をギラーミン侍従に直接納めるようにとの通達があったんです。それまでは一括でミランス様に納めていたんで こっちもてんやわんやで、その上この事務所と工場の土地賃貸料まで請求されておりまして・・・・。今月末までに払えということでして、どうなっているんで すかねぇ」
重岡はポケットに忍ばせたレコーダーのスイッチがちゃんと「REC」になっていることを確認した。これは決定的な証拠だ。
「しかし、どうしてギラーミン侍従に武器の一部を直接納入するんです?」
重岡のつっこんだ質問に峰岸も事情をよく飲み込めていないようで、しどろもどろしながらようやく答えた。
「そ れが、今度王宮にヴェート王直属の部隊を創設するとかで、それで武器が必要になったとか言うんですが、何しろ向こうは情報を全然開示せずにブルトス公やそ の騎士が来て一方的に言うばかり、ミランス大神官の時とは全然対応が変わってしまって苦労しておる次第なんです・・・。しかも、拒否すれば今後の貴社の安 全は保障できないとか脅迫まがいのことまで・・・・。ミランス大神官が行方不明になったすぐ後からですら、たった1ヶ月弱でここまでいろいろ変わってしま うと対応できませんよ・・・」
最後は半分峰岸の愚痴だろうが、これだけでも十分な証拠になりうる。重岡は違法ながらも村山方式の情報収集のおもしろさを感じている自分に気がつき、思わず姿勢を正した。
2004年5月14日18時42分 ガシリア王国サラミド港郊外 ブルトス公邸宅
村山は魔道学校のマントを着た張り込み2日目を迎えていた。騎士に見つからないように少し離れた木立から双眼鏡でブルトス公の屋敷を偵察しているが、いっこうに動きがない。盗聴器と一緒に仕掛けた携帯のバッテリーがそろそろ心配になってくる。
「今日あたり来そうなんだけどなぁ」
村山にはある程度確信があった。掃除夫が盗聴器を仕掛けて2日。その前日にも村山は数度、ブルトス公の屋敷を訪れていた。彼は見張りの数や屋敷に出入りす る人間の数を調べていた。今日は見張りの数が違う。見張りが多いということは見られたくないこと、もしくは重要人物の来訪のどちらかだ。
「おっ」
彼の推測は正しかった。王都の方角から数騎の騎士に護衛された馬車が到着した。そこから降りた人物は豪奢なマントに身を包んだ黒髪の男。見張りの騎士の対応からギラーミン侍従であろう事が推測された。
「ビンゴだな・・・」
村山は侍従とおぼしき人物が屋敷に入ってからすぐに、仕掛けた携帯電話に電話した。すぐにつながって、盗聴器も電源が入ったようだ。彼の耳にはめたイヤホンから屋敷からの会話が聞こえてきた。
「遠路はるばる恐れ入ります、ギラーミン侍従」
「いやいや、それもこれも我々の未来のためだ」
やはり、さっきの身分の高そうな人物はギラーミン侍従だったのだ。村山は自分のもくろみがうまくいったことに満足げな笑みを浮かべた。会話は続く。
「異世界のテレビとやらでミランスの姿が流されたと聞いたが・・・」
「異世界人がいろいろ言っておりますが、問題ありますまい。力で押さえつけておりますし、奴らの軍隊。自衛隊と言いましたか・・・。奴らもこっちでは武器も使えない連中です。移民した日本人には若干手を焼いております」
「おお、あの佐久間とか言う老人がまとめる組合か・・。やっかいだな」
「目下は力で押さえておりますが、万が一、向こうで大神官の生存が確認されるとやっかいです」
どうやら、彼らはドローテアの生存を疑っているようだ。だからこそ、ここまで表だった行動に出ている訳か。かなりあくどい連中かと思いきや、村山にしてみれば幼稚な連中と言えた。
「ドボレク大臣もとっておきの魔法攻撃を準備されている。我々はガシリアと異世界の足並みを乱すのが任務だ。それさえ果たせば、ドボレク大臣が究極の魔法でガシリアを滅ぼした後、この土地は我々のモノだ。」
この言葉を村山は聞き逃さなかった。かつてドローテアが口にした疑問。ドボレクの方向性の一端がかいま見えた。ドボレクは九州以外で武力行使できない自衛 隊を軽視している。それで、九州に召還魔法で魔獣を送り込んで混乱させ、国内の警備に自衛隊を集中させ、その一方でガシリア本国に何か強力な反撃を用意し ているのだ。それが何かはわからないが、ガシリアの中枢の人物も寝返らせるほどの隠し玉であることは事実のようだ。
「こいつはとんだ拾いモノだな」
村山は内部の会話がたわいもない世間話になったことを確認すると長居は無用とそこを後にした。一応、こっちでもMDに録音したが、マスターがあるにこしたことはない。掃除夫に回収してもらうつもりだった。
2004年5月14日22時01分 ガシリア王国サラミド港郊外 佐久間老人の店
「むう、ギラーミンとブルトスめ。なんということを」
ドローテアは村山と重岡の報告を聞いて怒りで身体をふるわせた。彼らの行為は保身や利益を求める行為以上の反逆行為だ。しかもその事実は侍従のギラーミンが握りつぶしていることが想像にたやすい。
「バルクマンがなんとか、ブラムス大公に接触できれば今まで集めた証拠で奴らをつぶせるんだがな」
「それは、彼を信じてくれ。私は彼を信じている。」
村山の呈した疑問にドローテアは確信を持った表情で答える。もはや、ギラーミンとブルトスの野望は明白だった。「死んだ」とされるドローテアの情報を利用 して、彼女の領地にやってきた日本人から財産や技術、物資を奪い取り、ドボレクのもくろむガシリアナ殲滅魔法が実行された後は、ドローテアの領地を拠点に この国を支配しようともくろんでいるのだ。
「だが・・・・」
ドローテアは静かに微笑みながら言う。
「奴らは、日本という国をなめてかかりすぎた・・・」
確かに、ドローテア自身最初はこの国を見る目は違っていた。彼女にとってはたかだか「軍事支援」で大騒ぎし、官僚も政治家も右往左往。国民もおびえ、マス コミは恐ろしげに書き立てるばかりだった。だが、一度既成事実ができてしまえば、自衛隊は恐ろしい武器をいとも簡単に使用していく。そのことをブルトスも ギラーミンも知らなかった。ドローテアが本当に生きていることを知らないように。
「重岡殿、村山殿、明日屋敷から盗聴器を回収したら王都へ行くぞ。すべてをヴェート王に打ち明けよう。それで終わりだ」
もはや、情勢はドローテアにとってチェックメイトと思われた。
2004年5月15日9時01分 ガシリア王国サラミド港郊外 ブルトス公邸宅
村山は例の木立で掃除夫を待っていた。MDで録音した昨夜の会話のマスターとも言うべき盗聴器を回収するためだ。だがいつもの時間を過ぎても掃除夫は出てこない。
「ちくしょう・・・早くしろよ」
村山はじりじりと腕時計を見ながら待ち続けた。しばらくして、壺を神妙に抱えた掃除夫が出てくるのが見えた。盗聴器と携帯電話をよりによって壺に隠したようだ。村山は舌打ちした。これじゃあ、見張りの騎士に怪しまれる。
「おい!待て」
彼の予想通り、見張りの騎士は掃除夫を呼び止めた。しばらく問答を続けていたが、掃除夫は答えに窮したのか、壺を抱えたままあろうことか逃げ出したのだ。
「あのバカ野郎!」
そう言いながら村山も木立から、魔道学校のマントのまま走り出していた。掃除夫の後を追って数名の騎士が走っている。掃除夫は村山の姿を見つけて壺を思いっきり投げた。
「村山様!受け取ってください!」
大きな弧を描いた壺は見事村山がキャッチしたがその十数メートル先で掃除夫は騎士に取り押さえられていた。残りの騎士が壺を受け取った村山をにらんでいる。
「やべえ!」
逃げ出した村山に抜刀した騎士が後に続いた。このまま佐久間老人の店には帰れない。村山は一計を案じてフリーマーケットが催される通りに駆け込んだ。