第78話 カレアント戦線
1483年(1943年)8月12日 午前9時 カレアント公国東ループレング
この日、ポーラインの空は昨日と引き続き、雨模様であった。
ループレング戦線に駐屯する第20軍は、戦線の左翼に布陣している軍である。
シホールアンル側は、第3軍、第8軍、第14軍、第20軍の計4個軍を配備し、残りは後方で待機していた。
第20軍は、前線から4ゼルド離れた、石造りの建物の多い東ループエング市に司令部を構えていた。
軍司令官であるムラウク・ライバイスツ中将は、青色の軍服に身を纏い、窓ガラスの外に見える最新式のゴーレムに見入っていた。
そのゴーレムは、ストーンゴーレムに属しているが、外見は犬か、猫のような形をしており、8体が伏せているような状態で置かれている。
背中の後ろには、大砲らしき物と、人が3人乗れる台座が設けられている。
これは、今年始めに出来たばかりの機動用のゴーレムであり、通称はキリラルブスと呼ばれている。
キリラルブスは、シホールアンル帝国内にいる犬型の肉食動物の名前であり、その姿形が件の肉食動物に似ている事からこの名が付けられた。
キリラルブスの前面には、新式の野砲がずらりと並べられている。
このゴーレムと野砲は元々、前線部隊に運ばれる途中であったのだが、街道が空襲を受けて破壊され、工兵部隊の修復が出来ていないため、
一時的に軍司令部のある市庁舎前に置かれている。
(満足に、兵器も運べぬ状態なのだ。上からの決定も、致し方ないのだろうが・・・・)
ライバスツ中将は苦しげな表情でそう思った。
彼の年齢は既に50を超えている。黒髪で短い身長、厳つい顔にでっぷりと太った体系であるが、温和な性格から彼はおやじさんという渾名を頂戴している。
指揮官としての才能はシホールアンル有数であり、彼が佐官時代、尉官時代の頃には様々な戦場で抜群の戦功を挙げてきている。
また、彼は部下の面倒見も良く、最近シホールアンル帝国内にも増えてきた、20代後半から30代前半の若い将官も、彼の薫陶を受けて育った者が多い。
そんなライバスツ中将ではあるが、彼は今、悩んでいた。
(これほど、後ろを振り返るという動作が辛いとは・・・・・)
彼は今、司令部の会議室で、各軍団長、師団長を集めて作戦会議を開こうとしていた。
集まった者達には、前もって重大な知らせがあるから至急司令部に集合せよと命じてあるが、その詳細は教えていない。
詳細は、軍団長、師団長の全てが集まってから話すつもりであった。
内心、彼は戦いたかった。新式のゴーレムは、従来のストーンゴーレムよりも機動性は上で、敵戦車に対抗できると見込まれている。
新式の野砲は、シホールアンル軍で初めて3.8ゼルドの射程距離を誇り、近距離の対戦車戦闘にも応用できる。
このような装備は、第20軍のみならず、前線部隊や後方部隊全てに行き渡っていた。あとはそれを支えるものが揃えば、攻勢に持ち込めた。
なのに・・・・・
「軍司令官閣下。全員集まりました。」
彼の傍で、参謀長が声をかけてきた。
「そうか。」
ライバスツ中将はそう言うと、重そうな体を振り向けた。
第20軍団は、第109軍団、第32軍団で編成されている。
この編成を細かくすると、第109軍団は第202歩兵師団、第122重装騎士師団、第21騎兵旅団。
第32軍団は第173歩兵師団、第123石甲騎士師団、第82石甲機動旅団となる。
総兵力は実に76000人を数える。この2個軍団を1個軍にまとめているのが、第20軍だ。
第20軍は今年の2月にカレアント公国ループレング戦線に配備された。
今日まで最前線に配備された第20軍は、アメリカ軍機の空襲によって若干の損害は受けているが、被害の度合いは
第20軍全体から見れば、かすり傷にすらなっていない。
他の第3軍、第8軍はそれほど幸運でもなく、第8軍では1個師団が空襲のため消耗が魅し出来ぬほどまで大きくなり、後方の師団と入れ替えられた。
第3軍の方では1個旅団が、7月の大空襲で丸々壊滅するという損害を被り、これもまた後方の部隊と交替された。
そんな中でも、シホールアンル軍前線部隊の将兵は、それほど士気を落とさなかった。
だが、2日前に各軍司令部に送られてきた魔法通信が、ループレングのみならず、南大陸全ての戦線を揺るがしていた。
「忙しい中、急に呼び出して済まなかった。」
ライバスツ中将は、始めにそう切り出した。
「今日は皆に重大な発表がある。先日、本国の司令部から、各軍司令部宛の命令を受け取った。内容はこの紙に書いてある。」
彼は、懐から1枚の紙を取り出した。この紙は、その時知らされた命令文が一字一句もらさずに書き込まれている。
「どのような命令なのでしょうか?」
第32軍団司令官がライバスツに聞いてきた。
「それを今から教える。」
ライバスツはそう言いながら、紙に書かれた命令文を読み始めた。
「発 本国総司令部 宛 南大陸侵攻軍各軍司令部
南大陸各侵攻部隊は、8月15日を期して順次撤退準備に入られたし。撤退開始日は、ヴェリンス方面部隊は9月2日、
カレアント方面部隊は9月5日とする。尚、連合軍に撤退を察知させぬため、撤退は後方待機部隊から小部隊ずつに分かれて順次行う事。」
紙に書かれていたのは、たった数行程度の文章。
されど、数行程度だ。
この淡々と書き綴られた命令文は、第20軍の軍団長、師団長を驚愕させた。
「て、撤退ですと!?」
「我々は再び、南進するために派遣されたのではないのですか!?」
「どうしてです!?装備の質も以前より上がっているのに何故!」
将官たちが、信じられないと言った口調で次々と質問して来る。
「落ち着け!」
ライバスツ中将は鋭い声音で一喝する。ざわめいていた会議室はシーンと静まり返った。
「君達は思っているだろう。どうして撤退するのか?戦わずに逃げるのか?と。しかし、そうやらざるを得ない状況に落ち込んでいるのだ。
パルメイカル君、先月の補給量は定量に達していたか?」
彼は、第32軍団長のパルメイカル少将に聞いた。
質問を受けたパルメイカル少将は、一瞬答えるのを躊躇ったが、意を決して答えた。
「いえ、達していません。補給量は定量の7割、いや、6割ほどです。」
「そうか。マレィンパル君、君の所はどうだったかね?」
「私の所も、先月は定量に達しませんでした。」
「先月も、だろう?」
ライバスツ中将は被せるように言い放った。
「先月も、その先月も、そのまた先月も・・・・・前線にはアメリカ軍の爆撃や、地域住民の連合軍派民兵が妨害工作を行っているせいで、
送られて来る補給物資は減りつつある。今の所、我が軍や他の軍も、なんとか飢えぬ程度で収まっているが、食料の他に必要な衣類、靴や、
剣や魔法石などの必要物資は目減りする一方だ。これでは、攻勢が成功しても伸び切った補給線を断ち切られて侵攻軍全体が消耗してしまう。」
アメリカ側が行っていたシホールアンル側の補給線攻撃は、シホールアンル南大陸侵攻軍に重大な影響を及ぼしていた。
アメリカ軍は、太平洋艦隊所属の空母部隊や潜水艦部隊が1月から南大陸や、北大陸南部の主要部に散発的に空襲を加えるか、潜水艦によって輸送船を撃沈している。
陸軍はこれに呼応するかのように、前線は勿論、前線後方の物資集積所や街道を執拗に爆撃し続けた。
当然、シホールアンル軍もあらゆる対策を立てて猛反撃した。
今も続く補給線を巡る攻防は、アメリカ、シホールアンル双方に手痛い損害を与えている。
アメリカ側はしばしば沖の機動部隊にも打撃を与えられている。
陸軍航空隊の犠牲も大きく、米側の発表では1月に198機、2月に300機、3月に389機、4月に202機、5月に270機、6月に268機、
7月に201機、計1828機を失った。
対して、シホールアンル軍はこの半年以上の期間に戦闘ワイバーン1089騎、攻撃ワイバーン923騎、飛空挺4機を失っている。
一方、海上での戦いでは、アメリカ側が潜水艦19隻を撃沈され、シホールアンル側は輸送船53隻と巡洋艦1隻、駆逐艦4隻を撃沈された。
このように、双方の被害はかなり大きな物となっているが、アメリカ側の目論見通り南大陸侵攻軍の補給物資は、日を重ねる毎に減って行った。
補給物資の供給不足は、必要な武器や備品の整備状況に影響を及ぼし、第20軍に所属する各師団の砲兵隊の中には、部品が足りずにそのまま修理が
滞っている大砲等が出始めている。
特に高射砲や魔道銃は、アメリカ軍機が来襲する度に戦闘を行っているため消耗が激しく、8月現在までに21門の高射砲と42丁の魔道銃が、
整備不良で使い物にならなくなった。
7月からは、それまで一応満足に行われていた魔法石の供給も減少傾向にある。
戦闘状態にない時期でさえ、この有様だ。
これで戦闘状態に突入すれば、満足に戦えるのはほんの一時期で、遠からぬうちに補給不足で自滅するのは目に見えていた。
オールフェスは、アメリカ軍や民兵の妨害工作で、補給線が細くなりつつある南大陸侵攻軍の現状を憂慮していた。
シホールアンル軍は、陸軍の地上兵力が270万で編成されている。
そのうち、南大陸にはヴェリンス戦線に50万。カレアント戦線に90万を投入している。
ちなみに、カレアント戦線の要であるループレングには、第20軍のような軍が9個あり、総兵力は68万を超える。
合計140万の地上兵力が南大陸戦線に投入されているのだ。
しかし、この140万の兵員を生かす補給物資が減りつつあり、各部隊からは物資不足が次々に報告されていた。
シホールアンル軍上層部は、補給部隊を増やして定量を満たそうとしたが、アメリカ側の爆撃や、潜水艦の攻撃はより激化し、成果は一向に上がらなかった。
このまま敵の大攻勢を受ければ、補給不足によって継戦能力が低下しつつある南大陸侵攻軍は危ないかもしれない。
軍上層部には、撤退も視野に入れる者が増え始めたが、上級将官の大半は撤退を認めようとはしなかった。
「既に南大陸の過半は我らの領土だ。これを連合の蛮族共に引き渡す事なぞできるか!」
「状況は完全に不利という訳ではない!撤退する必要は無い!」
撤退論が出る度に、上級将官達は口々にそう言い放ち、撤退を認めようとはしなかった。
しかし、オールフェスは苦悩の末、南大陸侵攻軍の全部隊を、段階的に北大陸まで撤退させる事を決めた。
本来ならば、オールフェス自身も撤退を認めぬ立場にいたはずだった。
上級将官達の意見は、一昔前ならばそれで通じたであろう。
だが、シホールアンル地上軍の相手は、本気を出せば蹂躙できる南大陸軍のみではない。
連合軍には、去年4月の攻勢を頓挫させたアメリカ陸軍が含まれているのだ。
それも何十万という大軍である。
アメリカ軍には、シホールアンル軍には無い多数の戦車や自動車があり、それによって今までには考えられないスピードで前線を突破できる。
それに加え、砲兵隊も、シホールアンルのそれを上回っている。
このような状況で攻勢を行っても、前回以上の損害を出す事は確実だ。
それに、アメリカ軍に攻め込まれれば、更新された野砲やゴーレムを除き、未だに剣や弓、槍などを使用している地上部隊では太刀打ちできない。
一般の歩兵部隊にも、魔道銃や砲が配備されているが、これらは対空用であり、一部は対地用に手直しされているが、大半は南大陸軍と似たような装備だ。
これでは、アメリカ軍を始めとする連合軍を食い止める事は難しい。
いや、食い止めるどころか、戦線を各所で突破されて包囲される部隊が続出する可能性すらある。
そうなれば、何十万という兵員を失うだろう。
実戦経験を積んだ140万の軍は、失うには惜しい数だ。
犠牲を省みずに、あくまで南大陸防衛に固執するか。それとも、この140万の兵を有効活用すべく、一旦は後退させるべきか・・・・・
オールフェスは考えた末に、後者を選んだ。
前者なら、確かにアメリカ軍にも一泡吹かせられるかもしれない。だが、強力な装備を持つアメリカ軍相手には、一時的な作用でしかない。
結果、味方地上軍を、僻地同然の南大陸で無為に失う事になる。
そうなるよりは、補給もしやすく、地の利がある北大陸で戦ったほうが良い。
その事から、オールフェスは南大陸侵攻軍の撤退を決意したのである。
「この命令は、送り主こそ本国の総司令部だが、実際には皇帝陛下が熟慮の末、直々に下した物だ。諸君らも、足枷を付けられたまま
相手とは戦えないだろう。南大陸侵攻軍は今、補給不足という足枷を付けられている。このような状態で、あのアメリカ軍と戦えるかね?」
ライバスツ中将はそう言いながら席を立ち、窓を開けた。
窓の外には、彼が先ほどまで見ていた新型ゴーレムや野砲が置かれている。
「これを見たまえ。本来ならば、とっくに前線に付いてもいいはずの兵器だ。その兵器が、敵の空襲で足止めされ、この司令部の近くで
たむろしている。満足に補給が行っていない証拠だ。」
ライバスツ中将は鋭い口調で言いながら、参加者全員を見回す。
誰もが、失意の混じった表情を浮かべている。
「私も、この第20軍をもって敵と戦いたかった。この中で、敵との決戦を一番望んでいたのは、私かも知れん。だが、兵力はあっても、
支える物が満足に行かぬ状態で攻勢なぞできる筈もない。強行すれば、兵を無駄死にさせるだけだ。皇帝陛下は、それを知っていたのだろう。
それでも、君らは納得行かんか?」
ライバスツ中将は、皆に問うた。
失意の表情を浮かべる軍団長、師団長の面々であったが、同時に現状を理解したうえで、ライバスツ中将の言う事に納得していた。
「軍司令官閣下の言う事は良く分かりました。」
唐突に、第32軍団長のパルメイカル少将が言って来た。
「我々は、この地に派遣されてから敵との決戦を夢見ておりましたが、確かに現状は厳しく、攻勢に出ても頓挫する事は火を見るより明らかでしょう。
軍司令官閣下、それに皇帝陛下の言われるとおり、満足に力を発揮出来る状態で戦ってこそ、敵に最大の損害を与えられるでしょう。」
「軍団長閣下の意見に私も賛成であります。」
「私も同意見です。」
他の師団長や旅団長も賛成の意を表した。
やはり、彼らも減りつつある補給物資に何らかの不安を抱えていたのだろう。
「納得してくれたか。ならば、後は敵に悟られぬように撤収準備を進めたい所だが、先にも話したとおり、撤収準備は敵に悟られぬよう、
段階的に行う必要がある。我々最前線軍は10月まではここから動けん。まず、後方の予備軍が撤収し、最後に我々となるだろう。
敵の11月攻勢が始まる頃には、我が第20軍も北大陸に布陣している筈だ。」
11月攻勢。それは、連合軍の反攻作戦が開始される時期を示した言葉だ。
スパイからの情報によると、現在、連合軍は11月の反攻作戦に向けて着々と戦備を整えているようだ。
11月となると、今は8月であるから、後2ヶ月もない。
このような状況で11月を迎えていれば、南大陸侵攻軍は今よりも酷い物資不足に喘ぎ、まともな反撃が出来なくなったであろう。
アメリカ軍が空や海から、執拗に補給線を狙ったのは、この事も見越しての事であろう。
(アメリカと言う国は、なんて戦上手なものか・・・・)
ライバスツ中将は、内心でそう思った。
その後、ライバスツ中将は軍団長、師団長、旅団長と共に今後の事を話し合った。
話し合いは3時間にも及び、互いに納得した状態で会議は終わった。
8月14日 午後7時 カレアント公国ロゼングラップ
南西太平洋軍司令官であるドワイト・アイゼンハワー大将は、ロゼングラップ郊外の草原地帯に待機している
第4軍配下の第4機甲師団の視察を終えた。
彼はその後、第4軍司令官と話し合った後、割り当てられた宿舎で泊まる事になった。
午後7時 アイゼンハワーは個室で本を読んでいると、訪問客が彼の部屋に訪れた。
ドアが開かれると、第4軍司令官であるドニー・ブローニング中将と、参謀長のフリッツ・バイエルライン大佐が中に入ってきた。
「おお、来たか。待ち侘びていたよ。」
「先輩と勤務時間以外で飲むのは久しぶりですな。」
ブローニング中将は微笑みながら、持って来たバーボンを掲げた。
「1週間前にヴィルフレイングで手に入れたバーボンです。どうですか?」
「嬉しい手土産だね。まあ、そこに座りたまえ。」
アイゼンハワーは2人にソファーに座るように促した後、従兵にグラスを持って来るように命じた。
「先の視察時は、仕事上の話しか出来なかったが。それにしても立派になったな。」
「はい。士官学校時代やパナマ運河勤務時には大変世話になりました。自分がこうしていられるのも、先輩のお陰です。」
「買い被り過ぎだよ。私はただ、サポートしたまでさ。」
そう言うと、アイゼンハワーは苦笑した。
「司令官とアイゼンハワー閣下は昔なじみのようですな。」
隣で話を聞いていたバイエルライン大佐が、ブローニング中将に聞いた。
「ああ、そうだ。先輩には色々世話をかけてしまったよ。軍を辞めようとした俺を引き止めたのも、アイゼンハワー先輩のお陰さ。」
「パナマ運河勤務の時だな。あの時、君は心労から軍を辞めたいと言っていた。当時、君は少尉で、酷い大尉の下で働いていたな。」
「ええ。本当に酷い野朗でした。」
「その酷い大尉の下で、君は頑張っていたが。ある日、とうとう限界に近い状態になった。私はその時、たまたま彼と再会して相談に乗ったんだ。」
「その酷い大尉というのは、ゼークト流に言うと勤勉で無能な働き者、と言う感じの者ですか?」
バイエルライン大佐が口を挟んだ。
「そう!まさにその通りの奴だった。ろくに考えもしないで訳の分からない事ばかり抜かすものだから、何度ぶん殴ってやろうと思った事か。」
ブローニング中将はわが意を得たりとばかりに返事した。
「しかし、私の説得でブローニングはなんとか耐えた訳だ。」
「ええ。そうして、今の私がある。まあそう言う事かな。」
ブローニング中将は苦笑しながら、バイエルライン大佐に言った。
従兵がグラスと氷を持って来た。
「閣下、お持ちいたしました。」
「ありがとう。どれ、私がやろう。」
アイゼンハワーは従兵が持って来た酒と氷を置くと、ソファーの前にあるテーブルに置いた。
「ちなみに、その酷い大尉さんはどうなったのです?」
バイエルライン大佐はブローニングに聞いた。
「確か、先輩と相談して3ヵ月後に、窃盗を起こして逮捕。後は軍法会議に掛けられて軍から叩き出されたよ。その後は知らない。」
「なるほど。これが戦場なら、後ろから撃たれても文句は言えないでしょうな。」
「確かにそうだ。あの役立たずが逮捕された時は、それ見た事かと思ったよ。」
ブローニングはやや毒気のある口調で言った。彼はそれほど、その大尉の事が大嫌いであった。
「まっ、人間は生きている間に、一度や二度ほど馬鹿な上司に巡り合うものだ。」
アイゼンハワーはしんみりとした口調で言いながら酒を注ぎ終わると、音頭を取って3人で乾杯した。
「バイエルライン大佐。すっかりアメリカ軍の空気に馴染んで来たね。」
アイゼンハワーはバイエルライン大佐に話を振った。
「はあ。お陰さまで。」
バイエルライン大佐は照れ臭そうな表情で返事した。
フリッツ・バイエルライン大佐は、元はドイツ陸軍の将校であった。
彼は1940年1月に開始されたイギリス、フランスとの本格戦闘で、エルヴィン・ロンメル少将の指揮する第7装甲師団の作戦参謀として戦ってきた。
泥沼化の様相を呈していくフランス戦役の中で、第7装甲師団はよく戦い、イギリス、フランス軍の攻勢を頓挫させ、あるいは逆包囲する等、
イギリス、フランス軍にに多大な損害を与えてきた。
転機が訪れたのは1941年2月の事であった。
いつもの通り、前線で戦況を見ていたロンメルら司令部一行は、フランス軍機の空襲を受けてしまった。
ロンメル少将は全治8ヶ月、バイエルライン大佐は全治5ヶ月の重傷を負い、残りの司令部要員も半数が戦死し、半数が負傷すると言う事態に陥った。
それから半年後の8月。待命状態にあったバイエルライン大佐は、病気で倒れたアメリカ駐在陸軍武官の代わりにアメリカへと赴任した。
アメリカ駐在大使館には、海軍から3名、空軍4名、陸軍から7名の駐在武官がおり、まとめ役は陸軍のモーデル中将が担っていた。
当時、ドイツはアメリカの参戦を気にしていた。アメリカはイギリスやフランスに対し、駆逐艦50隻の供与や、必要物資の輸送を行っていた。
誰が見ても、アメリカがドイツを挑発している事が分かっていたが、アドルフ・ヒトラー総統はルーズベルトの企みに乗らなかった。
逆に、アメリカの駐在ドイツ大使館から情報を得ようと、有用な将校をアメリカに送り込んでいた。
万が一、アメリカと開戦しても、駐在武官は外交官であるため、交換船で悠々と本国に戻る事が出来る。
バイエルライン大佐は、いずれはドイツ本国に戻れると思い、アメリカの
しかし、思い掛けぬ事態が起こった。
10月、原因不明の突然の転移が起き、ドイツ大使館の面々は、他の大使館、領事館と同様に祖国を失った孤児と化したのだ。
アメリカ国内から貴重な情報を送るというドイツの試みは、有用な将校共々、アメリカ自体が消えた事で幕を閉ざされた。
駐在武官達は、しばらくは失意のどん底に叩き落された。
だが41年12月にアメリカが駐在武官の合衆国軍志願を認めた時、バイエルライン大佐は迷わず志願した。
バイエルライン大佐は42年3月には第4機甲師団の作戦参謀に任命され、自らがフランス戦で培った知識を、師団の参謀や部隊指揮官達に教え、
同師団の錬度向上に貢献した。
43年5月には、南西太平洋軍指揮下の第4軍参謀長に抜擢されて、6月に第4軍と共に南大陸に派遣されたのである。
「仕事のほうは順調かね?」
「ええ。万事順調です。あとは11月攻勢を待つばかりです。」
「そうか。」
アイゼンハワーは満足そうな表情を浮かべる。ふと、彼はある事が気になり、しばらく黙考した後、バイエルライン大佐に聞いた。
「そういえば、バイエルライン大佐とはあまり話す機会が無かったな。」
「ええ。私は南大陸に派遣されるまでは本土にいましたからね。何か聞きたい事でも?」
「あるよ。ドイツの軍人から見て、アメリカ陸軍と言う物はどう見えたかね?」
その質問に、バイエルライン大佐は一瞬戸惑った。
どう言って良いのか・・・・・
「なあに、正直に言っても構わん。オフレコだから心配するな。」
心中を察したのか、ブローニング中将が陽気な声で言って来た。
「そうだよ。ここには君とブローニング、それに私の3人しかいない。」
2人にそう言われると、離さない訳にもいかない。バイエルライン大佐は意を決して話し始めた。
「はあ、それでは・・・私が合衆国陸軍大佐の階級を得て、第4機甲師団の作戦参謀に任命されたのは、
今から1年半近く前の42年3月でした。最初、私はアメリカ陸軍がどのような軍隊であるか期待しながら
見定めようとしました。最初の3ヶ月間は、正直言って呆れてしまいました。
素行不良が目立つ者が余りにも多くて。」
アメリカ軍は、外見は立派ではあるが、実際は驚くほど不真面目な兵隊が多い。
バイエルラインが勤務した第4機甲師団も、例に漏れず不真面目な兵隊が散見された。
最も、陸軍や海軍はまだましなほうで、海兵隊になると素行不良の兵隊など部隊のあちこちにいる。
だが、勇敢さでは3軍の中で海兵隊を一番に挙げる者が多い。バイエルラインもその1人である。
バイエルラインはまず、徹底的な訓練によって師団の士気を高めると共に、ドイツ式戦法を師団に取り入れる事を決めた。
最初は試行錯誤の連続で、ミスを生む事もあったが、師団の士気は大いに上がった。
又、ドイツ式戦法の有用性を認めた他の機甲師団も、バイエルラインが教えた通りの物を師団の訓練で取り入れた。
「ですが、訓練を重ねる毎にそのような者も少なくなりました。私が驚いたのは、アメリカ兵の飲み込みの早さです。
最初、師団は私の提示した戦法に戸惑うばかりでしたが、慣れたら上達が早い。去年11月に行われた、第5機甲師団との
戦闘訓練では、ドイツ陸軍のお家芸をほぼマスターし、第5機甲師団を打ち負かしてしまいました。」
「その話なら私も知っている。第5機甲師団の師団長は、最初はドイツ式の戦法を取り入れなかったようだが、
この演習の結果がショックだったのか、12月の演習で早速取り入れていたようだな。第5機甲師団のみならず、
他の師団や、今や新設されたばかり機甲師団まで、君の教えた戦法を伝えようとしている。全く、大したものだよ。
第4軍に配属が決まった時、師団長は何か言わなかったかね?」
「はい。第4機甲師団から第4軍の参謀長に任命された時は、師団長からそんな命令書など屑篭に捨ててそのまま
居座って欲しいとまで言われましたよ。」
バイエルラインは苦笑しながらそう言った。
「その師団長の言葉はよく分かるよ。俺だって、同じ事を言うぞ。」
隣のブローニング中将も笑いながら言う。
「あの転移は災難だったが、こうして見ると、悪い事ばかりではなかったな。合衆国軍は君達のような駐在武官によって、確実に変わりつつある。
転移に巻き込まれた君らには悪いと思うが。」
「いえ、とんでもありません。むしろ、失意に暮れている我々駐在武官にも、働き場所を与えてくれたアメリカには本当に感謝しています。」
アイゼンハワーの言葉に、バイエルライン大佐は慌ててそう言った。
「そうか・・・そう言ってくれると、私も励みになるよ。こうして、君達駐在武官にも感謝されているのだから、今度の反攻作戦は絶対に失敗はできんな。」
彼はそう言いながら、来るべき反攻作戦に思いを馳せていた。
連合軍80万が参加する9月の一大反攻作戦。
作戦名11月攻勢の開始までは、あと16日。
アイゼンハワーにとって、その16日がとても長いように感じられた。
1483年(1943年)8月12日 午前9時 カレアント公国東ループレング
この日、ポーラインの空は昨日と引き続き、雨模様であった。
ループレング戦線に駐屯する第20軍は、戦線の左翼に布陣している軍である。
シホールアンル側は、第3軍、第8軍、第14軍、第20軍の計4個軍を配備し、残りは後方で待機していた。
第20軍は、前線から4ゼルド離れた、石造りの建物の多い東ループエング市に司令部を構えていた。
軍司令官であるムラウク・ライバイスツ中将は、青色の軍服に身を纏い、窓ガラスの外に見える最新式のゴーレムに見入っていた。
そのゴーレムは、ストーンゴーレムに属しているが、外見は犬か、猫のような形をしており、8体が伏せているような状態で置かれている。
背中の後ろには、大砲らしき物と、人が3人乗れる台座が設けられている。
これは、今年始めに出来たばかりの機動用のゴーレムであり、通称はキリラルブスと呼ばれている。
キリラルブスは、シホールアンル帝国内にいる犬型の肉食動物の名前であり、その姿形が件の肉食動物に似ている事からこの名が付けられた。
キリラルブスの前面には、新式の野砲がずらりと並べられている。
このゴーレムと野砲は元々、前線部隊に運ばれる途中であったのだが、街道が空襲を受けて破壊され、工兵部隊の修復が出来ていないため、
一時的に軍司令部のある市庁舎前に置かれている。
(満足に、兵器も運べぬ状態なのだ。上からの決定も、致し方ないのだろうが・・・・)
ライバスツ中将は苦しげな表情でそう思った。
彼の年齢は既に50を超えている。黒髪で短い身長、厳つい顔にでっぷりと太った体系であるが、温和な性格から彼はおやじさんという渾名を頂戴している。
指揮官としての才能はシホールアンル有数であり、彼が佐官時代、尉官時代の頃には様々な戦場で抜群の戦功を挙げてきている。
また、彼は部下の面倒見も良く、最近シホールアンル帝国内にも増えてきた、20代後半から30代前半の若い将官も、彼の薫陶を受けて育った者が多い。
そんなライバスツ中将ではあるが、彼は今、悩んでいた。
(これほど、後ろを振り返るという動作が辛いとは・・・・・)
彼は今、司令部の会議室で、各軍団長、師団長を集めて作戦会議を開こうとしていた。
集まった者達には、前もって重大な知らせがあるから至急司令部に集合せよと命じてあるが、その詳細は教えていない。
詳細は、軍団長、師団長の全てが集まってから話すつもりであった。
内心、彼は戦いたかった。新式のゴーレムは、従来のストーンゴーレムよりも機動性は上で、敵戦車に対抗できると見込まれている。
新式の野砲は、シホールアンル軍で初めて3.8ゼルドの射程距離を誇り、近距離の対戦車戦闘にも応用できる。
このような装備は、第20軍のみならず、前線部隊や後方部隊全てに行き渡っていた。あとはそれを支えるものが揃えば、攻勢に持ち込めた。
なのに・・・・・
「軍司令官閣下。全員集まりました。」
彼の傍で、参謀長が声をかけてきた。
「そうか。」
ライバスツ中将はそう言うと、重そうな体を振り向けた。
第20軍団は、第109軍団、第32軍団で編成されている。
この編成を細かくすると、第109軍団は第202歩兵師団、第122重装騎士師団、第21騎兵旅団。
第32軍団は第173歩兵師団、第123石甲騎士師団、第82石甲機動旅団となる。
総兵力は実に76000人を数える。この2個軍団を1個軍にまとめているのが、第20軍だ。
第20軍は今年の2月にカレアント公国ループレング戦線に配備された。
今日まで最前線に配備された第20軍は、アメリカ軍機の空襲によって若干の損害は受けているが、被害の度合いは
第20軍全体から見れば、かすり傷にすらなっていない。
他の第3軍、第8軍はそれほど幸運でもなく、第8軍では1個師団が空襲のため消耗が魅し出来ぬほどまで大きくなり、後方の師団と入れ替えられた。
第3軍の方では1個旅団が、7月の大空襲で丸々壊滅するという損害を被り、これもまた後方の部隊と交替された。
そんな中でも、シホールアンル軍前線部隊の将兵は、それほど士気を落とさなかった。
だが、2日前に各軍司令部に送られてきた魔法通信が、ループレングのみならず、南大陸全ての戦線を揺るがしていた。
「忙しい中、急に呼び出して済まなかった。」
ライバスツ中将は、始めにそう切り出した。
「今日は皆に重大な発表がある。先日、本国の司令部から、各軍司令部宛の命令を受け取った。内容はこの紙に書いてある。」
彼は、懐から1枚の紙を取り出した。この紙は、その時知らされた命令文が一字一句もらさずに書き込まれている。
「どのような命令なのでしょうか?」
第32軍団司令官がライバスツに聞いてきた。
「それを今から教える。」
ライバスツはそう言いながら、紙に書かれた命令文を読み始めた。
「発 本国総司令部 宛 南大陸侵攻軍各軍司令部
南大陸各侵攻部隊は、8月15日を期して順次撤退準備に入られたし。撤退開始日は、ヴェリンス方面部隊は9月2日、
カレアント方面部隊は9月5日とする。尚、連合軍に撤退を察知させぬため、撤退は後方待機部隊から小部隊ずつに分かれて順次行う事。」
紙に書かれていたのは、たった数行程度の文章。
されど、数行程度だ。
この淡々と書き綴られた命令文は、第20軍の軍団長、師団長を驚愕させた。
「て、撤退ですと!?」
「我々は再び、南進するために派遣されたのではないのですか!?」
「どうしてです!?装備の質も以前より上がっているのに何故!」
将官たちが、信じられないと言った口調で次々と質問して来る。
「落ち着け!」
ライバスツ中将は鋭い声音で一喝する。ざわめいていた会議室はシーンと静まり返った。
「君達は思っているだろう。どうして撤退するのか?戦わずに逃げるのか?と。しかし、そうやらざるを得ない状況に落ち込んでいるのだ。
パルメイカル君、先月の補給量は定量に達していたか?」
彼は、第32軍団長のパルメイカル少将に聞いた。
質問を受けたパルメイカル少将は、一瞬答えるのを躊躇ったが、意を決して答えた。
「いえ、達していません。補給量は定量の7割、いや、6割ほどです。」
「そうか。マレィンパル君、君の所はどうだったかね?」
「私の所も、先月は定量に達しませんでした。」
「先月も、だろう?」
ライバスツ中将は被せるように言い放った。
「先月も、その先月も、そのまた先月も・・・・・前線にはアメリカ軍の爆撃や、地域住民の連合軍派民兵が妨害工作を行っているせいで、
送られて来る補給物資は減りつつある。今の所、我が軍や他の軍も、なんとか飢えぬ程度で収まっているが、食料の他に必要な衣類、靴や、
剣や魔法石などの必要物資は目減りする一方だ。これでは、攻勢が成功しても伸び切った補給線を断ち切られて侵攻軍全体が消耗してしまう。」
アメリカ側が行っていたシホールアンル側の補給線攻撃は、シホールアンル南大陸侵攻軍に重大な影響を及ぼしていた。
アメリカ軍は、太平洋艦隊所属の空母部隊や潜水艦部隊が1月から南大陸や、北大陸南部の主要部に散発的に空襲を加えるか、潜水艦によって輸送船を撃沈している。
陸軍はこれに呼応するかのように、前線は勿論、前線後方の物資集積所や街道を執拗に爆撃し続けた。
当然、シホールアンル軍もあらゆる対策を立てて猛反撃した。
今も続く補給線を巡る攻防は、アメリカ、シホールアンル双方に手痛い損害を与えている。
アメリカ側はしばしば沖の機動部隊にも打撃を与えられている。
陸軍航空隊の犠牲も大きく、米側の発表では1月に198機、2月に300機、3月に389機、4月に202機、5月に270機、6月に268機、
7月に201機、計1828機を失った。
対して、シホールアンル軍はこの半年以上の期間に戦闘ワイバーン1089騎、攻撃ワイバーン923騎、飛空挺4機を失っている。
一方、海上での戦いでは、アメリカ側が潜水艦19隻を撃沈され、シホールアンル側は輸送船53隻と巡洋艦1隻、駆逐艦4隻を撃沈された。
このように、双方の被害はかなり大きな物となっているが、アメリカ側の目論見通り南大陸侵攻軍の補給物資は、日を重ねる毎に減って行った。
補給物資の供給不足は、必要な武器や備品の整備状況に影響を及ぼし、第20軍に所属する各師団の砲兵隊の中には、部品が足りずにそのまま修理が
滞っている大砲等が出始めている。
特に高射砲や魔道銃は、アメリカ軍機が来襲する度に戦闘を行っているため消耗が激しく、8月現在までに21門の高射砲と42丁の魔道銃が、
整備不良で使い物にならなくなった。
7月からは、それまで一応満足に行われていた魔法石の供給も減少傾向にある。
戦闘状態にない時期でさえ、この有様だ。
これで戦闘状態に突入すれば、満足に戦えるのはほんの一時期で、遠からぬうちに補給不足で自滅するのは目に見えていた。
オールフェスは、アメリカ軍や民兵の妨害工作で、補給線が細くなりつつある南大陸侵攻軍の現状を憂慮していた。
シホールアンル軍は、陸軍の地上兵力が270万で編成されている。
そのうち、南大陸にはヴェリンス戦線に50万。カレアント戦線に90万を投入している。
ちなみに、カレアント戦線の要であるループレングには、第20軍のような軍が9個あり、総兵力は68万を超える。
合計140万の地上兵力が南大陸戦線に投入されているのだ。
しかし、この140万の兵員を生かす補給物資が減りつつあり、各部隊からは物資不足が次々に報告されていた。
シホールアンル軍上層部は、補給部隊を増やして定量を満たそうとしたが、アメリカ側の爆撃や、潜水艦の攻撃はより激化し、成果は一向に上がらなかった。
このまま敵の大攻勢を受ければ、補給不足によって継戦能力が低下しつつある南大陸侵攻軍は危ないかもしれない。
軍上層部には、撤退も視野に入れる者が増え始めたが、上級将官の大半は撤退を認めようとはしなかった。
「既に南大陸の過半は我らの領土だ。これを連合の蛮族共に引き渡す事なぞできるか!」
「状況は完全に不利という訳ではない!撤退する必要は無い!」
撤退論が出る度に、上級将官達は口々にそう言い放ち、撤退を認めようとはしなかった。
しかし、オールフェスは苦悩の末、南大陸侵攻軍の全部隊を、段階的に北大陸まで撤退させる事を決めた。
本来ならば、オールフェス自身も撤退を認めぬ立場にいたはずだった。
上級将官達の意見は、一昔前ならばそれで通じたであろう。
だが、シホールアンル地上軍の相手は、本気を出せば蹂躙できる南大陸軍のみではない。
連合軍には、去年4月の攻勢を頓挫させたアメリカ陸軍が含まれているのだ。
それも何十万という大軍である。
アメリカ軍には、シホールアンル軍には無い多数の戦車や自動車があり、それによって今までには考えられないスピードで前線を突破できる。
それに加え、砲兵隊も、シホールアンルのそれを上回っている。
このような状況で攻勢を行っても、前回以上の損害を出す事は確実だ。
それに、アメリカ軍に攻め込まれれば、更新された野砲やゴーレムを除き、未だに剣や弓、槍などを使用している地上部隊では太刀打ちできない。
一般の歩兵部隊にも、魔道銃や砲が配備されているが、これらは対空用であり、一部は対地用に手直しされているが、大半は南大陸軍と似たような装備だ。
これでは、アメリカ軍を始めとする連合軍を食い止める事は難しい。
いや、食い止めるどころか、戦線を各所で突破されて包囲される部隊が続出する可能性すらある。
そうなれば、何十万という兵員を失うだろう。
実戦経験を積んだ140万の軍は、失うには惜しい数だ。
犠牲を省みずに、あくまで南大陸防衛に固執するか。それとも、この140万の兵を有効活用すべく、一旦は後退させるべきか・・・・・
オールフェスは考えた末に、後者を選んだ。
前者なら、確かにアメリカ軍にも一泡吹かせられるかもしれない。だが、強力な装備を持つアメリカ軍相手には、一時的な作用でしかない。
結果、味方地上軍を、僻地同然の南大陸で無為に失う事になる。
そうなるよりは、補給もしやすく、地の利がある北大陸で戦ったほうが良い。
その事から、オールフェスは南大陸侵攻軍の撤退を決意したのである。
「この命令は、送り主こそ本国の総司令部だが、実際には皇帝陛下が熟慮の末、直々に下した物だ。諸君らも、足枷を付けられたまま
相手とは戦えないだろう。南大陸侵攻軍は今、補給不足という足枷を付けられている。このような状態で、あのアメリカ軍と戦えるかね?」
ライバスツ中将はそう言いながら席を立ち、窓を開けた。
窓の外には、彼が先ほどまで見ていた新型ゴーレムや野砲が置かれている。
「これを見たまえ。本来ならば、とっくに前線に付いてもいいはずの兵器だ。その兵器が、敵の空襲で足止めされ、この司令部の近くで
たむろしている。満足に補給が行っていない証拠だ。」
ライバスツ中将は鋭い口調で言いながら、参加者全員を見回す。
誰もが、失意の混じった表情を浮かべている。
「私も、この第20軍をもって敵と戦いたかった。この中で、敵との決戦を一番望んでいたのは、私かも知れん。だが、兵力はあっても、
支える物が満足に行かぬ状態で攻勢なぞできる筈もない。強行すれば、兵を無駄死にさせるだけだ。皇帝陛下は、それを知っていたのだろう。
それでも、君らは納得行かんか?」
ライバスツ中将は、皆に問うた。
失意の表情を浮かべる軍団長、師団長の面々であったが、同時に現状を理解したうえで、ライバスツ中将の言う事に納得していた。
「軍司令官閣下の言う事は良く分かりました。」
唐突に、第32軍団長のパルメイカル少将が言って来た。
「我々は、この地に派遣されてから敵との決戦を夢見ておりましたが、確かに現状は厳しく、攻勢に出ても頓挫する事は火を見るより明らかでしょう。
軍司令官閣下、それに皇帝陛下の言われるとおり、満足に力を発揮出来る状態で戦ってこそ、敵に最大の損害を与えられるでしょう。」
「軍団長閣下の意見に私も賛成であります。」
「私も同意見です。」
他の師団長や旅団長も賛成の意を表した。
やはり、彼らも減りつつある補給物資に何らかの不安を抱えていたのだろう。
「納得してくれたか。ならば、後は敵に悟られぬように撤収準備を進めたい所だが、先にも話したとおり、撤収準備は敵に悟られぬよう、
段階的に行う必要がある。我々最前線軍は10月まではここから動けん。まず、後方の予備軍が撤収し、最後に我々となるだろう。
敵の11月攻勢が始まる頃には、我が第20軍も北大陸に布陣している筈だ。」
11月攻勢。それは、連合軍の反攻作戦が開始される時期を示した言葉だ。
スパイからの情報によると、現在、連合軍は11月の反攻作戦に向けて着々と戦備を整えているようだ。
11月となると、今は8月であるから、後2ヶ月もない。
このような状況で11月を迎えていれば、南大陸侵攻軍は今よりも酷い物資不足に喘ぎ、まともな反撃が出来なくなったであろう。
アメリカ軍が空や海から、執拗に補給線を狙ったのは、この事も見越しての事であろう。
(アメリカと言う国は、なんて戦上手なものか・・・・)
ライバスツ中将は、内心でそう思った。
その後、ライバスツ中将は軍団長、師団長、旅団長と共に今後の事を話し合った。
話し合いは3時間にも及び、互いに納得した状態で会議は終わった。
8月14日 午後7時 カレアント公国ロゼングラップ
南西太平洋軍司令官であるドワイト・アイゼンハワー大将は、ロゼングラップ郊外の草原地帯に待機している
第4軍配下の第4機甲師団の視察を終えた。
彼はその後、第4軍司令官と話し合った後、割り当てられた宿舎で泊まる事になった。
午後7時 アイゼンハワーは個室で本を読んでいると、訪問客が彼の部屋に訪れた。
ドアが開かれると、第4軍司令官であるドニー・ブローニング中将と、参謀長のフリッツ・バイエルライン大佐が中に入ってきた。
「おお、来たか。待ち侘びていたよ。」
「先輩と勤務時間以外で飲むのは久しぶりですな。」
ブローニング中将は微笑みながら、持って来たバーボンを掲げた。
「1週間前にヴィルフレイングで手に入れたバーボンです。どうですか?」
「嬉しい手土産だね。まあ、そこに座りたまえ。」
アイゼンハワーは2人にソファーに座るように促した後、従兵にグラスを持って来るように命じた。
「先の視察時は、仕事上の話しか出来なかったが。それにしても立派になったな。」
「はい。士官学校時代やパナマ運河勤務時には大変世話になりました。自分がこうしていられるのも、先輩のお陰です。」
「買い被り過ぎだよ。私はただ、サポートしたまでさ。」
そう言うと、アイゼンハワーは苦笑した。
「司令官とアイゼンハワー閣下は昔なじみのようですな。」
隣で話を聞いていたバイエルライン大佐が、ブローニング中将に聞いた。
「ああ、そうだ。先輩には色々世話をかけてしまったよ。軍を辞めようとした俺を引き止めたのも、アイゼンハワー先輩のお陰さ。」
「パナマ運河勤務の時だな。あの時、君は心労から軍を辞めたいと言っていた。当時、君は少尉で、酷い大尉の下で働いていたな。」
「ええ。本当に酷い野朗でした。」
「その酷い大尉の下で、君は頑張っていたが。ある日、とうとう限界に近い状態になった。私はその時、たまたま彼と再会して相談に乗ったんだ。」
「その酷い大尉というのは、ゼークト流に言うと勤勉で無能な働き者、と言う感じの者ですか?」
バイエルライン大佐が口を挟んだ。
「そう!まさにその通りの奴だった。ろくに考えもしないで訳の分からない事ばかり抜かすものだから、何度ぶん殴ってやろうと思った事か。」
ブローニング中将はわが意を得たりとばかりに返事した。
「しかし、私の説得でブローニングはなんとか耐えた訳だ。」
「ええ。そうして、今の私がある。まあそう言う事かな。」
ブローニング中将は苦笑しながら、バイエルライン大佐に言った。
従兵がグラスと氷を持って来た。
「閣下、お持ちいたしました。」
「ありがとう。どれ、私がやろう。」
アイゼンハワーは従兵が持って来た酒と氷を置くと、ソファーの前にあるテーブルに置いた。
「ちなみに、その酷い大尉さんはどうなったのです?」
バイエルライン大佐はブローニングに聞いた。
「確か、先輩と相談して3ヵ月後に、窃盗を起こして逮捕。後は軍法会議に掛けられて軍から叩き出されたよ。その後は知らない。」
「なるほど。これが戦場なら、後ろから撃たれても文句は言えないでしょうな。」
「確かにそうだ。あの役立たずが逮捕された時は、それ見た事かと思ったよ。」
ブローニングはやや毒気のある口調で言った。彼はそれほど、その大尉の事が大嫌いであった。
「まっ、人間は生きている間に、一度や二度ほど馬鹿な上司に巡り合うものだ。」
アイゼンハワーはしんみりとした口調で言いながら酒を注ぎ終わると、音頭を取って3人で乾杯した。
「バイエルライン大佐。すっかりアメリカ軍の空気に馴染んで来たね。」
アイゼンハワーはバイエルライン大佐に話を振った。
「はあ。お陰さまで。」
バイエルライン大佐は照れ臭そうな表情で返事した。
フリッツ・バイエルライン大佐は、元はドイツ陸軍の将校であった。
彼は1940年1月に開始されたイギリス、フランスとの本格戦闘で、エルヴィン・ロンメル少将の指揮する第7装甲師団の作戦参謀として戦ってきた。
泥沼化の様相を呈していくフランス戦役の中で、第7装甲師団はよく戦い、イギリス、フランス軍の攻勢を頓挫させ、あるいは逆包囲する等、
イギリス、フランス軍にに多大な損害を与えてきた。
転機が訪れたのは1941年2月の事であった。
いつもの通り、前線で戦況を見ていたロンメルら司令部一行は、フランス軍機の空襲を受けてしまった。
ロンメル少将は全治8ヶ月、バイエルライン大佐は全治5ヶ月の重傷を負い、残りの司令部要員も半数が戦死し、半数が負傷すると言う事態に陥った。
それから半年後の8月。待命状態にあったバイエルライン大佐は、病気で倒れたアメリカ駐在陸軍武官の代わりにアメリカへと赴任した。
アメリカ駐在大使館には、海軍から3名、空軍4名、陸軍から7名の駐在武官がおり、まとめ役は陸軍のモーデル中将が担っていた。
当時、ドイツはアメリカの参戦を気にしていた。アメリカはイギリスやフランスに対し、駆逐艦50隻の供与や、必要物資の輸送を行っていた。
誰が見ても、アメリカがドイツを挑発している事が分かっていたが、アドルフ・ヒトラー総統はルーズベルトの企みに乗らなかった。
逆に、アメリカの駐在ドイツ大使館から情報を得ようと、有用な将校をアメリカに送り込んでいた。
万が一、アメリカと開戦しても、駐在武官は外交官であるため、交換船で悠々と本国に戻る事が出来る。
バイエルライン大佐は、いずれはドイツ本国に戻れると思い、アメリカの
しかし、思い掛けぬ事態が起こった。
10月、原因不明の突然の転移が起き、ドイツ大使館の面々は、他の大使館、領事館と同様に祖国を失った孤児と化したのだ。
アメリカ国内から貴重な情報を送るというドイツの試みは、有用な将校共々、アメリカ自体が消えた事で幕を閉ざされた。
駐在武官達は、しばらくは失意のどん底に叩き落された。
だが41年12月にアメリカが駐在武官の合衆国軍志願を認めた時、バイエルライン大佐は迷わず志願した。
バイエルライン大佐は42年3月には第4機甲師団の作戦参謀に任命され、自らがフランス戦で培った知識を、師団の参謀や部隊指揮官達に教え、
同師団の錬度向上に貢献した。
43年5月には、南西太平洋軍指揮下の第4軍参謀長に抜擢されて、6月に第4軍と共に南大陸に派遣されたのである。
「仕事のほうは順調かね?」
「ええ。万事順調です。あとは11月攻勢を待つばかりです。」
「そうか。」
アイゼンハワーは満足そうな表情を浮かべる。ふと、彼はある事が気になり、しばらく黙考した後、バイエルライン大佐に聞いた。
「そういえば、バイエルライン大佐とはあまり話す機会が無かったな。」
「ええ。私は南大陸に派遣されるまでは本土にいましたからね。何か聞きたい事でも?」
「あるよ。ドイツの軍人から見て、アメリカ陸軍と言う物はどう見えたかね?」
その質問に、バイエルライン大佐は一瞬戸惑った。
どう言って良いのか・・・・・
「なあに、正直に言っても構わん。オフレコだから心配するな。」
心中を察したのか、ブローニング中将が陽気な声で言って来た。
「そうだよ。ここには君とブローニング、それに私の3人しかいない。」
2人にそう言われると、離さない訳にもいかない。バイエルライン大佐は意を決して話し始めた。
「はあ、それでは・・・私が合衆国陸軍大佐の階級を得て、第4機甲師団の作戦参謀に任命されたのは、
今から1年半近く前の42年3月でした。最初、私はアメリカ陸軍がどのような軍隊であるか期待しながら
見定めようとしました。最初の3ヶ月間は、正直言って呆れてしまいました。
素行不良が目立つ者が余りにも多くて。」
アメリカ軍は、外見は立派ではあるが、実際は驚くほど不真面目な兵隊が多い。
バイエルラインが勤務した第4機甲師団も、例に漏れず不真面目な兵隊が散見された。
最も、陸軍や海軍はまだましなほうで、海兵隊になると素行不良の兵隊など部隊のあちこちにいる。
だが、勇敢さでは3軍の中で海兵隊を一番に挙げる者が多い。バイエルラインもその1人である。
バイエルラインはまず、徹底的な訓練によって師団の士気を高めると共に、ドイツ式戦法を師団に取り入れる事を決めた。
最初は試行錯誤の連続で、ミスを生む事もあったが、師団の士気は大いに上がった。
又、ドイツ式戦法の有用性を認めた他の機甲師団も、バイエルラインが教えた通りの物を師団の訓練で取り入れた。
「ですが、訓練を重ねる毎にそのような者も少なくなりました。私が驚いたのは、アメリカ兵の飲み込みの早さです。
最初、師団は私の提示した戦法に戸惑うばかりでしたが、慣れたら上達が早い。去年11月に行われた、第5機甲師団との
戦闘訓練では、ドイツ陸軍のお家芸をほぼマスターし、第5機甲師団を打ち負かしてしまいました。」
「その話なら私も知っている。第5機甲師団の師団長は、最初はドイツ式の戦法を取り入れなかったようだが、
この演習の結果がショックだったのか、12月の演習で早速取り入れていたようだな。第5機甲師団のみならず、
他の師団や、今や新設されたばかり機甲師団まで、君の教えた戦法を伝えようとしている。全く、大したものだよ。
第4軍に配属が決まった時、師団長は何か言わなかったかね?」
「はい。第4機甲師団から第4軍の参謀長に任命された時は、師団長からそんな命令書など屑篭に捨ててそのまま
居座って欲しいとまで言われましたよ。」
バイエルラインは苦笑しながらそう言った。
「その師団長の言葉はよく分かるよ。俺だって、同じ事を言うぞ。」
隣のブローニング中将も笑いながら言う。
「あの転移は災難だったが、こうして見ると、悪い事ばかりではなかったな。合衆国軍は君達のような駐在武官によって、確実に変わりつつある。
転移に巻き込まれた君らには悪いと思うが。」
「いえ、とんでもありません。むしろ、失意に暮れている我々駐在武官にも、働き場所を与えてくれたアメリカには本当に感謝しています。」
アイゼンハワーの言葉に、バイエルライン大佐は慌ててそう言った。
「そうか・・・そう言ってくれると、私も励みになるよ。こうして、君達駐在武官にも感謝されているのだから、今度の反攻作戦は絶対に失敗はできんな。」
彼はそう言いながら、来るべき反攻作戦に思いを馳せていた。
連合軍80万が参加する9月の一大反攻作戦。
作戦名11月攻勢の開始までは、あと16日。
アイゼンハワーにとって、その16日がとても長いように感じられた。