BBLLAASSTT!!

比那名居天子
【午前】D-1 エア・サプレーナ島 リサリサの館


「じいちゃんがね……死んだんスよ。町の殺人鬼に殺されました」


赤を基調に彩られた上質な寝室の静かなる気配の中、東方仗助は箪笥を物色しながらそう零した。
感情の篭っていない、というよりかは敢えて感情を押し殺すような無感情さを纏う声色。
天蓋ベッドの上から足をブラブラさせながら天子は、そんな男の背中をまじまじと眺めている。

彼の表情は見えない。
男心という物は天子にとっていまだ未知なる領域だが、こういった話の時はきっと女には見られたくないような顔をしているのだろう。
そんな感情を天子にも悟らせるほどに、彼の話しだした内容は重い事実から始まったのだった。


最初は軽い気持ちで始めた会話だった。
友を失い、傷付き悲しむ仗助を慰めるため、己に出来得る限りの愛情を含ませた抱擁。
その後どういうわけか互いに殴り殴られ、二人して草のベッドで大の字に転がる青春を満喫したは良い。
良いのだが、後から思い返せば自分は年頃の男子に何をしてしまったのだろうという、甘酸っぱくも気恥ずかしい思いが頭をもたげてきた。

仗助など所詮、自分よりも遥か子供…いや幼いといっても過言ではないほどの『お子様』。
大人の女を自負する自分がこんなお子様を抱きしめたところで、どうということはない……ハズだったのに。
道中を共に歩けば歩くほど、段々と恥ずかしくなってきたのだ。

どうして自分はあんな大胆な行動を披露してしまったのだろうか。
仗助は何とも思っていないのだろうか。それはそれで腹が立つ。
そんな幼稚な感情が心を埋め尽くしていくと共に、会話も減って顔すら合わせ辛くなってきた。
ある意味微笑ましいその光景は、この広大な湖の中心に聳えるエア・サプレーナ島の地に踏み入れるまで続いた。

島内や館内を捜索し、めぼしい成果も獲得できず、そろそろ引き上げようかという佳境に入ったところで、天子は半ば余興のように会話の種を要求した。
いい加減、この空気にも限界が来たのだ。いつまでもこのままではこちらの身が持たない。
ここは一息入れる意味も兼ね、リサリサの館内にて天子は出来る限りの平常を装い、何気なく仗助に尋ねてみたのだ。

「仗助はどうして吉良吉影と戦っていたの?」と。

一介の学生である仗助が、町に潜む殺人鬼と戦っている。
天子が仗助の過去について知っている情報は、思い返せばただのそれだけだ。
スタンド使いの少年たちと、スタンド使いの殺人鬼。そこには如何なる激闘があったのか。
退屈嫌いの天子は純粋なる疑問も持ち合わせながら、少し仗助について知りたくなった。
色々と吐き出させてやることも大事だと、一際の優しさも込めて。

そして仗助は暫しのあいだ無言を通し、やがて口を開いた。
祖父が殺された、と。

「おじい様が? 吉良に?」

内心、しまったと天子は焦る。
友を喪ったばかりの彼の傷口に塩を塗るような真似をしてしまったかもしれない。
まさか身内の死から始まるような出来事とは思わなかったとはいえ、少々迂闊だったか。



「……いえ、吉良じゃありません。別の殺人鬼です」

しかし天子の予想に反して、仗助はこれをあっさり否定した。
吉良に祖父が殺されたというのなら、その恨み辛みやら何やらから奴を追うことになった経緯は簡単に想像できる。
だが実際には仗助の祖父と吉良にはなんら因果関係は無かったらしい。
ならば益々分からない。スタンド使いである以外は、仗助はただの子供。
彼が殺人鬼・吉良吉影と戦うようになった経緯とは一体なんだったのだろうか。

「……おれのじいちゃん、東方良平は町の警官でした。
 35年間、毎日毎日休むことなく杜王町を『悪』から守り続けてきた。
 あんまり口には出さなかったスけど……おれの誇りだった」

少し、声に感情がこもった気がした。
尊敬する祖父だったのかもしれない。天子も自分の家族、家系に対しては誇りがある。
共感の念と共に天子は、しかしそんな仗助の尊敬する祖父を奪った杜王の殺人鬼に怒りを覚えた。
町を守る警官であり、家族を愛するただの男がどうして殺されなければならない。
その祖父はきっと、心に眩い正義を灯す尊い人物だったのだろう。この自分と同じに。

「そんな男がある日、町に潜むスタンド使いに殺されました。
 おれを狙っていた敵が、おれのうっかりで……じいちゃんは無残に殺されたんス。
 ……おれの、おれのせいでっ!」

背中越しでも彼の表情が分かるほどに、声を通して昂ぶりの感情を撒き散らす。
天子は何も言えなかった。
自分だって家族が殺されたりすれば怒り心頭。必ずや報復し、その罪は死で以て償わせるだろう。

チクリと、心臓に針が刺されたみたいで気分が悪い。

「その時からおれは決めました。じいちゃんが愛したその町を、おれが代わりに守ろうと。
 この世のどんな悪が襲いかかろうと、おれがぜってーブッ飛ばしてやるんだと。
 おれ達みたいなスタンド使いにしか出来ねーことがある。だったらせめておれは、自分の腕の中で守れる範囲だけでも全員守ると決めたんす。
 それがじいちゃんから受け継いだ……おれなりの『正義の心』だと思ってます。」


―――そう、決めたはずなのに……おれは……康一を……っ!


そこで仗助は語りをやめた。
否。堪らなくなって言葉が出なくなった。


(……なるほどね)


天子は心の中でそう呟き、納得した。
つまりは、この仗助は優しすぎるのだ。
他人を威嚇するような攻撃的な容姿とは裏腹に、彼は自分で必要以上に物事を背負いすぎている。
康一が死んだ時も思ったが、この男は何事も自分のせいにする悪いクセがある。
罪を求め、罰を求め、己の弱い心だけは決して他人に見せようとしない。

男というものは皆こうなのか。意地張ってないで泣きたいなら泣けばいいのに。
仗助に悟られぬようそっと溜息を吐きながら立ち上がり、


「仗助」


一言、そう呟いて彼の頭を振り向かせる。


「なんすか」
それだけの短い返答で仗助はほんの少しだけ首を回すも、表情を見られたくないのか、完全には振り向かなかった。

だが、“それがいい”。その角度が最高に丁度いい。

ニタリと天子は不気味に笑い、見蕩れるほどのそれはそれは鮮やかなトルネード・キック――
いわゆる『旋風脚』が仗助の右頬へと華麗に放たれた。



メ キ ャ !



☆★ 永江衣玖さんの特別課外解説 ★☆
[トルネード・キック]
 別名、旋風脚。身体を素早く回転させながら跳躍して蹴り上げる、飛び蹴りのひとつですね。
 逆波動拳コマンド+Kボタンで竜巻を纏うあの蹴り技のようなものだと思ってください。
 間違ってもいたいけな少年の背後から不意打ちでかますような技ではありません。総領娘様には後でキツく言っておきます。


閑話休題。
あまりにも不意な一撃は過去最大級のハリケーンとなり、大部屋を一薙ぎする仗助の自慢の頭は記憶が飛びかねないほどの衝撃に襲われる。
一瞬遅れて轟く爆音。壁を破壊して貫通した仗助はそのまま隣の客間にまで吹き飛ばされた。
ガラガラと崩れる壁穴から覗く天子の表情は至って通常……いや、群れるスライムを全体魔法で蹴散らせた勇者のような、どこか満足感すら感じる。


「あら、退屈なあまり普段意味なく練習していた必殺技、思いの外効いたみたいね」

「――――――――ま、た……やりやがったなテメエエェェェーーーーーーーーーッッッ!?!?」

「アンタがいきなり暗い話をするからいけないんじゃない」

「あんたが話せっつったんでしょォオーーーーーッ!!? さっきからおれの顔に何の恨みがあるんすか!!
 今の流れの何処におれを蹴り飛ばす理由があったっつーの!? おれは都合の良いサンドバッグじゃねーんスよ!?」

「男は砕かれることで強くなるって聞くわ。その手伝いをしてやっただけよ。
 知ってる? ダイヤって一番硬い物質だけど、結構簡単に砕けるのよ」

「物理的に砕いてどーすんスか!! そんなんで強くなるか! おれはサイヤ人じゃねーんすよ!?」

「サイヤ人だかダイヤ人だか知らないけど、アンタちょっと不器用すぎなのよ。
 人前で泣けないのなら、せめて私の前くらいでなら泣いたっていいじゃない。
 っていうか貴方忘れてない? 私は貴方の主人なんだから、これからはもう少し頼りにしなさいよ」

「た、頼りにだとぉ~~~?」


その通り。仗助は天子にとって子分同然で、そんな子分の情けない姿など天子は見たくなかったのだ。
自分で話を振った結果が全力の旋風脚とはまさしく天子の自分勝手ぶりがよく表されているが、そんなことよりも天子は少し怒っていた。
仗助と行動を共にしてしばらく経つが、彼は一向に自分を頼りにするだとか信頼するだとか、そんな素振りを見せてくれない。
口を開けば「おれのせいだ」とか「守ることが出来なかった」とか、ネガティブな感情ばかり。

だから天子は蹴った。とりあえず蹴ってみた。
案の定、喧嘩している今だけは仗助の本来の子供っぽい性格、その『根っこ』の姿を垣間見ることはできる。
しかしこの先こればかりでは、仗助の身体はあっという間にスクラップ街道一直線。
そろそろ何か別のアプローチが欲しいところだ。だから天子は気は進まないが、自分から一歩彼の心に近づいてみる措置を取った。


「そう、もう少し私に体なり心なり預けてみなさいな。
 アンタの見た目ばかりのデカイ双肩で、誰も彼もを救えるなんて自惚れもいいところ。
 自分の腕の中で守れる範囲だけでも全員守る、とか言ってたわね? 馬鹿なの? 腕二本じゃちっとも足りないでしょ。
 なんなら私も巻き込んで良いって言ってるの。二人一緒ならそれだけ沢山の人間を守れる。
 それともこんな簡単な事も分からないの?」


威風堂々。
今の天子を表すとしたならこんな言葉が相応しいのかもしれない。
横になった仗助を顎で見下しながら、しかしそんな彼と横に並んで立ち向かって行きたいと天子は思う。

ありとあらゆる全ての観点において自分は仗助より上等だとは信じている。
品性、知性、強さ、容姿、髪型。何をとっても天人である自分が仗助に劣るモノなどあるわけがない。
そんな十全十美の自分があえてこの男と肩を並べて歩いていきたいと思った理由は何なのだろう。
その感情の正体を天子はまだ知らない。しかしそれでも仗助はどこか放っておけない奴だった。

拳と拳での友情の確認も良いが、更にもう一歩先に進まなければ仗助の心はいずれ本当に砕け散るのかもしれない。
ダイヤモンドに傷は付かないけれども、砕け散るのは本当に一瞬なのだから。


「…………あーー、えっとぉ…ですねぇ、天子さん」

蹴られた頬を擦りながら、どこかばつが悪そうに仗助は喋り出す。
その視線は床に刺さったまま、天子には向けない。

「天子さんがそう言ってくれるのは正直嬉しいですし、おれはあんたを頼りにだってしていますよ。
 でもその、なんつーか……女を頼ってばかりじゃいけねーっつーか、そういう育て方させられてたせいかもしれねースけど、
 やっぱ男は女を守るモンっつーか……いや天子さんが強いのは知ってるつもりスけど……」

今度こそ天子は腹の底から思い切り溜め息が漏れ出た。
ここまで来るとこれはもう仗助の言う通り、親の教育の成果なのだろう。
彼の言うことは間違っていないし立派なのだが、その日本男児たる精神は今の天子にとっては少々煩わしく感じた。

そして“今回は”わざと、彼を刺激してやることにした。まだまだ殴り足りなかったせいかもしれない。


「言いたいことあるならハキハキ言いなさいよっ! このバッファロー頭!!!」


この自分も相当に不器用かもしれない。人のことは言えないと内心反省する天子だった。


「おれは天子さんを頼りにはしてますけどねぇ~~~……ッ!
 それはそれッ!! 一発は一発ってことが言いたかったんスよおれはよォォオオオーーーーーーーーーーッッッ!!!!」



やられた借りは返すとでも言いたげな咆哮が、第二ラウンドのゴングとして鳴った。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽




   ブロロロロロ……!


エア・サプレーナの湖上、島から西へ向けて一艇の船が波紋と共に激しいエンジン音を轟かせている。
天子と仗助が湖東の船着場で発見した、真新しいモーターボートであった。
これも主催の気遣いだろうか。それは中々に良い性能とお値段の物らしく、天子たちはこれに乗って島内に上陸し、今また陸を目指して一直線に走っている最中だ。

そのコックピット内部、顔中に腫れた痕や引っ掻きキズが痛々しく残り仏頂面で操縦桿を握っているのは東方仗助。
船の操作経験など皆無の彼だったが、船内には都合よくも簡単な操作説明マニュアルが張られており、上司である天子から半ば命じられる形で船の操作を任されていた。

そして船首にて仁王立ちのように構え、水上の風を全身に受けて美しい長髪を靡かせているのは比那名居天子。
彼女も仗助と同じに顔中にケンカの痕が見られ、これまた仏頂面でボートの行く先を見据えている。そしてその視線は決して仗助には見向けようとしない。


そも、彼女らが孤島とも言えるべきこの島に足を踏み入れた理由としては、当初の目的を果たすため。
即ち霊夢・紫の捜索と、この会場に眠る強大な魔力の集合地を発見するためである。
結果から言うとこの島は完全に『ハズレ』であり、したことと言えば無駄に体力を消費した子供げんかのみだ。
霊夢・紫どころか人っ子一人見付からず、気になることがあるなら既に何者かが物色した後だったことくらいであり、故に収穫もゼロ。
こうして両者不機嫌な顔を取りながら、島を背にのうのうと湖上を走っている現実が今だ。


“つまんない”。

天子は瞼にかかる前髪を意にもせずに心の中だけで呟く。
このゲームが始まった当初こそ意気揚々と『悪』を挫き、『正義』を掲げることを誓って動き始めた彼女である。
殺しに乗っている者も乗っていない者も、ともかく相手が自分の邪魔をするようであれば、誰であれ殴り飛ばして異変を解決しようと試みていた天子にとってこの現状は甚だ退屈な催しであった。
ホテルでは魔女パチュリーが集団の中核としてほとんど勝手に指示を出し、この自分に命令を下し。
明らかに『悪側』の吉良吉影に手を出すことも禁じられ。
こうしてようやく本格的に始動し始めた現在も、今のところただの名所観光にしかなっていない。

何より退屈を嫌う天子にとって、今この時ですら不満が募りゆく時間にしかならない。
加えて先の仗助との喧嘩。ストレス発散にはなったが、それが天子の不満なる心持ちを解消するまでには至らなかった。
『もしやゲームに乗っている奴は案外少ないんじゃないか』
『こうしている間にもあの博麗の巫女が全てを解決しているのではないか』
このような不安な思考が段々と心を占有していく。
だが天子とて先の放送内容を忘れるほど愚かではない。
18人。康一やにとりを含めれば既に20人の参加者が死亡している。

自分は何をしている?
いち早くこの異変を解決するのではなかったのか。

そんな焦燥に蝕まれ始めた時。


天子の望むような“相手”が、いつの間にかそこに『居た』。




「ねーーえーーっ! そこのアンターーっ! 確か妖怪山の神よねーーっ!」


声高らかに叫んだ方向に、一艇の小船。
その船の上で片膝を組み、さも退屈そうに釣り糸を垂らしていたのはなんとも変わった風体の女。
巨大な浮き輪の代わりにでもなりそうな背の注連縄は、彼女の印象をより強力に脳に植えつける特徴のひとつ。
天子も何度か地上に暇潰しに来た際、彼女を見たことがある気がするし聞いたこともある。

名前は何だったか……そう、確か―――


「守矢神社の八坂神奈子、だっけーーー?」


船首での天子の大声に、仗助は異常を感じ取り船を止めた。
慌てて操舵席から外に出た彼の目に映ったのは、小船の上でぼんやりと“釣り”を楽しんでいる女性。
ホテルを出て初めて目にした参加者の姿。当然最初に考えるのは彼女が『どちら側』の参加者なのか、ということ。
しかし横の天子は、判断に悩んでいる仗助を無視して調子よく声をかけ続けている。

「ねえ、ここ釣れるの? 魚なんて見た感じ居なさそうだけど」

目を細めて周囲の湖を見渡す天子を無視して、神奈子と呼ばれた女は湖面に垂らす釣り糸の先を眺めるだけで反応しない。
仗助がまず奇妙に思ったのは、これまで虫一匹見なかったこの会場に魚なんて存在するのかということ。
釣りなんかしたところで釣果に期待は出来ないだろう。あの女はそんなことにすら気付いていなかったのか。

そして仗助が次に奇妙に――というほどでもないが――気がついたことは、座る神奈子の隣。
床に置かれた青いシートは、何か筒状のようなものを乱雑に包んだようである。

兎にも角にも会話が無いと何も始まらない。
仗助が天子の前に身を乗り出し、まずは相手が何者なのかを確認しようとしたところで。


「―――ん。あぁ、どうやら釣れたみたいだよ。それも一度に『二匹』だ」


女の口の端がほんの少しだけ曲がり、そこから甘たるく親しみさえこもったような声が二人の耳に届いた。
その声に敵意は感じられなかったように思えたが、女が釣竿を左手に持ち替え、右手で傍のシートの包みを解き始めたとき。

仗助だけは一瞬で理解した。


「―――天子さんッ!! ここはひとまずアイツから離れるっスよッ!!!」


我が僕の、あまり聞き慣れない焦燥した声。
天子はしかし、仗助の様子に疑問や驚きを持つ前に、何より『不満』を露わにした。

「ちょっと仗助。アイツは『敵』だって言いたいわけ? だったら尚更ここで逃げるわけには……!」

「一旦退くんだよォ!!! 『アレ』はこの場所じゃあちとヤベェぜーーーッ!!」




ガ シ ャ ン


女――八坂神奈子が大振りの武器を無機質な音と共に構えたと同時に、仗助は操舵席に乗り込みエンジンを素早く回す。
逃亡の意を示す仗助に遺憾を覚えながらも、天子は目の前の神奈子を迎撃するため気を練り始める。
だが銀色に光を反射するその“筒状の機械”を彼女は見たことが無かった。

天子が事の深刻さに思考が回らないのは当然の流れ。
幻想郷に『重火器』の概念は薄い。故に天子は自分にその牙を向けられていても、一向には焦らず警戒するだけ。

神奈子がその肩に構える『無痛ガン』なるガトリング砲を天子に向けて引き金を引くより先に、仗助たちのボートが再び水飛沫を上げるのが一瞬早かった。


ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッ!!!!


普段聞くような弾幕音とは一線を画する轟音。
鼓膜を劈く破壊音に耳を塞ごうとするも、突然動き出したボートに天子がバランスを取られて足を崩したのは幸運だった。

今、天子が尻餅をつかなければ弾丸は間違いなく彼女の身体を貫通し、その生命活動を奪っていただろうから。

「……っ!? な、何あの武器!!」

「天子さん急いで中へ入ってくださいッ! 水上じゃあガトリング相手には分が悪すぎるッ!」

地の利は完全に向こうにあった。
こんな何も無く自在に身動きも取れない湖上では、狙い撃ちされて蜂の巣になるのが目に見えている。
三十六計逃げるに如かず。どうやら敵は自分ら二人を殺す気満々のようだ。

ミリタリー知識には詳しくない仗助だが、アレの恐ろしさは今まで観てきたアクション映画の世界で散々わからされている。
弾丸の一発や二発なら物ともしないのが近距離スタンドではあるが、あれほどの機銃ともなれば話は全く違う。
受けきれるわけがない。しかもクレイジー・ダイヤモンドには遠隔攻撃できる手段がかなり限られているのだ。
飛び道具が出せないわけではないが、どのみち性能の差で負ける。つまりここは逃げるが定石のはずだった。

障害物も何も無い、水平のフィールドであの散弾の嵐をどこまで掻い潜れるか。
神奈子の反対方向へ爆進するボートの背後を、飛沫を弾かせながら弾丸が追ってくる。
キュインキュインと、鉄と鉛同士がぶつかり合って船尾の鉄板を引き剥がされるという一方的な展開。
ボート船尾部分は機銃によって、既に激しい損壊が始まっていた。
敵の狙いは大雑把ではあるが、当たればそれだけで致命傷に成りかねない。
幸いなのは、敵が乗り込んでいるのはただの木製の小船でモーター機能が搭載されていないこと。
つまりある程度距離を離せば、こっちのモーターボートに追いつかれることはない。

戦うという選択など、愚の骨頂。
ここはなんとしてでも逃げの一手を取り、態勢を立て直すことが肝心なのだ。


「仗助! 今すぐ船を戻してよ! 私があの女を吹き飛ばす!!」


だが天子はその行動を善しとしない。
操縦する仗助に食って掛かるような勢いで、戦う選択肢を取ろうとする。

「何言ってんスかッ! あのガトリングの破壊力見たでしょう! あんた今、危なかったんスよ!?」

「さっきのは不意打ち喰らっただけよ! 私が本気になればあんな奴、10秒あれば再起不能にできる!!」

「パチュリーさんからも言われたでしょう!! 戦闘は極力回避するようにって!!
 ここでおれ達がいきり立ったところで、返り討ちにあうのが関の山でしょうがッ!」

「だったらアンタだけ泳いで逃げればいいわ! 私は戦う!
 ゲームに乗った奴は全員叩き潰すッ! それがこの比那名居天子に課せられた正義で、使命なの!」

高い位置にある仗助の襟首を掴みながら、天子は憤る。
彼女は相手の力量を測れない無能ではない。
物事を軽く考えているように見えて、その実は逆。非常にしたたかな実力者なのだ。

神奈子を一目見た時から、高い潜在能力……その『格』を感じることが出来た。
それでも自分なら、あの山の神を鎮圧できる自信はある。絶対に勝てる。
その生まれ持ったとも言える自信を仗助から否定されたように感じ、この火急の場で天子の不満はとうとう爆発したのだ。

この異変を解決するはずの自分が、どうしていきなり逃走しなければならないのか。
パチュリーから言われたことがそんなに大事か。
自分とあの魔女の言うこと、優先すべきは自分のはずだろう。
数々の歯痒い思いが、心の壁に張り付いて膨らみあがっていく。
仮にも自分と仗助は主従という関係であるはずなのに、思い通りにならないことに怒るその気持ちはまるで、わめく子供。



「もう一度言うわ! 船を戻しなさい仗助!」

「お断りさせていただきます……! 天子さんをむざむざ見捨てるわけにはいきません。あんたは間違っています!」

今度こそ天子はその手に力を込め、服を破りかかる勢いで仗助の胸倉を掴んだ。
その表情は烈火の如き剣幕。非常時だという状況も忘れ、鉄壁すら突き通すような鋭い視線を目前の男に突き刺す。

「舐めんじゃないわよッ!! アンタから湖に叩き落とされたいっての!?」

「……天子さんの言う『正義』ってのは、高揚した自分の満足感を満たすことですか。
 あんたは『弱い者を守るため』などと体のいい主張をしきりに叫んでるみたいですが、本当はそんな立派なモンじゃねえ」 

熱くなる天子に対し、仗助は宥めるようにクールに言う。
その視線は天子の射抜く視線と交わい、段々と熱が灯るように語尾は荒くなっていく。


「ハッキリ言いますよ。天子さんはただ、気に入らねえ奴は全員ブッ飛ばしてえって意気込んでるだけだ。
 主催どもに反旗を翻すのも、ゲームに乗った参加者をブッ飛ばすのも、全部全部自分が『気に入らねえ』からだ。
 “異変を解決する自分カッケー”って、調子に乗りてえから意気揚々と軽率に戦おうとしていやがる。
 そんな勘違いしたお子様が掲げる使命とやらの………何が正義だコラァッ!!!!」


熱く、威圧を含んだ声が響き、二人の視線は逆転した。
普段は温厚な仗助が突然大きな声を出したことで天子はビクリと肩を震わせたが、それも一瞬。
すぐに天子も対立するかのように、より強く仗助の胸倉を掴み直す。

「そ……それのどこが悪いことなの!? 理由はどうあれ、危険な奴らを排除することがそんなに咎められること!?
 私の行動は結果的には良い方向に繋がる! 仗助だってそう思ってたんじゃないの!?」

仗助が言い放ったことは、まさしく天子の的を射ていた。
本音では、確かに天子は自分本位な思いでゲームを動いていたのだ。
その事実に自分でも自覚があったからこそ、否定はしない。嘘はつかない。
しかし否定はせずとも、その行動が間違っているとは針の先ほども思わない。
重要なのは『結果』であり、天子の意思がどうであれ最終的に危険を減らすことが出来ればそれが最善なのではないのか?
責められるべきは自分ではなく、どう考えたって今自分らを襲っているようなゲームに乗った参加者達ではないのか?


少なくとも、仗助だけはそれを理解してくれていると思っていた。


「天子さんのは正義でも何でもねえ、自分勝手で我儘なエゴだ!
 あんたが危険な敵と戦うってんならおれも手伝ってあげます。出来る限りのことだってしますよ。
 でも天子さんが一人で突っ走って全部カタを付けようって腹なら――それはおれが許さねえッ!!!
 無謀と勇気は違うでしょうが!! あんたが死んで悲しむ奴だってここにいるんスよ!!」

「…………えっ」


違う。
相手を理解していなかったのは、天子の方だった。

再び天子は思い出した。
この男は優しすぎる性格ゆえ、必要以上に自分を責めるような男だということを。
かつて彼の祖父が殺された時も、友人が殺された時も、仗助は嘆いた。
自分の力が至らなかった。全て自分のせいだと。

康一が死んだ時、天子は仗助を慰め、そしてどういうわけか互いに殴り合っていた。
ケンカの理由なんかはとっくに忘れてしまったけれども、天子が居なければ仗助の心は今頃どうなっていただろう。
そしてそんな天子を“もしも”失ってしまったら……仗助は今度こそ悲しみ、泣き、壊れてしまうかもしれない。

そうなってしまえば後に待つものは、最悪の末路。
クレイジー・ダイヤモンドでも、砕けた人の心は二度と直せない。ましてやそれが、自分のものなら。

天子が今に至ってようやく……ようやく気付くことができたのは、仗助の自分へ向けたとても単純な想い。


「―――え…っと、仗助…………アンタまさか、私のこと……心配してくれてる?」

「たりめーだッ!!! どんだけ鈍いんすかアンタッ!?
 もう二度と自分だけで戦うなんて言わんでください! おれたち『仲間』でしょーが!」


仗助も天子と同じ気持ちだ。
戦闘は避けるよう言われてはいたが、なるべくのことなら危険人物は無力化しておきたいのが仗助の祖父から受け継いだ、正義なる意思だった。
だがこの状況を冷静に考えると、敵に勝てる公算はあまりにも低い。
少なくとも今は逃げるしかない。そして一人でも戦おうとする天子を彼が放っておけるわけがなかった。
天子も仗助のその優しさに気が付くことが出来た。彼は天子の身を想って、本気で叱ってくれたのだと。
二人はゲームを共に生きる『仲間』であり、決して勝手な真似はせず互いに助け合わなければならないのだと。

島の館で天子が仗助に向けて言ってくれた言葉がある。
もっと私を頼れと。体なり心なり預けてみろと。
しかし今ここで仗助が天子ひとりを残して逃げることは、果たして信頼か。
いくら天子の力量を信じていたとしても、そんな行為は信頼とは程遠い『犠牲』の心に過ぎない。
一方的な頼りではなく、互いが信頼しあい、正しい道を歩むことこそ仗助の考える『仲間』という絆。

そんな仗助の心に天子はようやく気付き、触れることができた。
天子の育ってきた環境には無かったもの。回り道しながらも、その心がほんの少し理解できた。


とたんに天子の頬に熱が集まってきた。
なんだこの気持ちは。たかだか十数年生きた地上人のお子様に心配されてると分かり、またも憤りが高まっているのか。
なれば今度こそ目の前のこの男を一発K.Oしてやろうか。
しかし何故か、今は仗助の顔をまともに見れる気がしない。その面妖な髪型が邪魔で前を向けないからだろうか。

――ヤバイ。心臓までが何故か鼓動が激しい。これはきっと闘争心の高まりだろう違いない。
そう決め付け、今再び必殺・トルネードキック改をお見舞いしようかと構えを取った瞬間……


「オヲヲーーーーーーイ!!! なに人様を、いや神様を無視して盛り上がってるんだいッ!!?
 逃げるのか戦うのかハッキリしな!!!」


割り込むタイミングを計っていたかのような機銃の掃射が、天子の決意を中断させた。
いよいよ高速の弾幕が雨あられとなり、二人の乗るボートに襲い掛かる。
大嵐が直撃したかのごとく、真新しかったボートは一瞬にして悲惨な姿に変えられていく。
バキバキにめくられていく外装。弾け散り飛ぶガラス群。もはや逃げるどころではない破壊的な衝撃。
全支給品の中でも群を抜いて強大な火力を持った神奈子のガトリング銃は、瞬く間にボートを廃棄船に変えた。

そして、ダメ押しとばかりに弾丸がボートのエンジンタンクに穴を開けたのを合図にして――


―――大爆発が起こり、爆炎と黒煙が仗助と天子を包んだ。










「――――――ん? …………あれ?」


確かな手応えを感じ、機銃を下ろした神奈子が次に目撃したものは。


たった今、粉々にしてやったはずのボートが何事も無かったかのように湖上を走って逃げゆく、理解不能な光景。


目を擦り再びボートを見ても、そこに映るのは溜息すら漏れるほどにピカピカなモーターボート。
炎や煙など噴いておらず、削りすぎた鉛筆のように貧相な形にしてやった外装も元のまま。耳には未だに爆発音の余韻が響いている。
自分が勝利の幻を見たのでなければ、あの二人が『何か』施した。
そして狸に化かされたように呆ける自分を見向きもせぬまま、ボートは遠方へどんどん遠ざかっていく。

「………ッ! なるほどね、奴らも只者ではないってわけか!」

先の一瞬、何が起こったのか。今の神奈子には皆目見当も付かない。
だがこのままでは弾丸の無駄遣いのみという目も当てられない結果に終わってしまう。


「逃がすかッ!!」


戦神は追う。血塗れた境地に至る覚悟を、絶やさないためにも。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


ほんの一瞬、襲撃者を化かすことには成功した。
仗助がやったことといえばごく簡単なこと。ボートが爆発した瞬間、クレイジー・ダイヤモンドで復元しただけ。
呆気にとられている敵の隙を突いた逃走術。通じるのは初手のみだろう。

「いい仗助!? 逃げるのは陸に着くまで! そこからは二人で反撃するのよ!」

「わーってますってば! わかりましたから耳元でデカイ声出さないでくださいよ!」

この隙に乗じてエンジン全開で逃げる仗助を、天子は少し不満が残りながらも認めた。
……幼稚だったのは自分の方だったのかもしれない。
あの見えない弾幕を操る未知の武器の脅威を、理解した。
あんなものをバカスカ撃たれては、どんな愚か者だって不利だと悟る。

無知を恥じ、醜態を恥じ、反省する天子。
仗助に指摘されたとおり、自分は浮かれていたのかもしれない。
やっと現れた敵ともいえる相手に、あろうことか天子の心はワクワクしていた。
なにより退屈だった現状を壊してくれる場面に出会ったのだ。彼女の性格からして、よい運動程度の転機。
必要以上に滾る心を、しかし制してくれたのは仲間である仗助。
今になって冷静に考えれば、死ぬことはないにしても大きな負傷は免れなかった状況だ。
負傷程度なら仗助が治してくれるだろうが、天子は彼のサポートを期待しての考えというわけではなかった。

ほとんど考え無しに、戦場へ踏み込もうとしていた。
あまりに危機感が足りなかった、かもしれない。

「………仗助。さっきは、ゴメンなさい。アナタの気持ち、ちっとも考えてなかった」

「………あ、は、っえぇ!? いや、わかってくれりゃあイイっつーか……!」

自然すぎて聞き逃すところだったが、あの我儘お嬢様の口から謝罪の言葉が出るとは思わず、仗助はつい彼女を二度見した。

―――『これからあんたは一生私の下僕として、私の命令には必ず従い、命をかけて私に尽くしなさい! もしそれが出来るんなら、謝ってやってもいいわ!』

仗助の記憶が確かなら、天子は最初にこんな約束を交わしてきたはずである。
一度目は高慢すぎて全く謝られた感じはなかったが、今回の謝罪は殊勝さすら感じた。
これも窮地が彼女に促した成長たる所以なのか。男・仗助、軽く感動を覚えるほど。



「な、なによ……! 私が謝るのがそんなに可笑しい?」

「可笑しいというかおっかないというか……あっいや冗談っスその剣ひっこめてくださいホントすみません」

冗談も程々に、武器を仕舞った天子は一際声を小さくして、操縦する仗助に言う。

「……あー、そういえば仗助?」

「……何すか? あの女が追ってきてないか、外出て確認してて欲しいんスけど」

「アンタ、私の下僕になれっていう約束してたじゃない?」

「あー、天子さんの命令には必ず従えっていう約束ですか。
 もちろん忘れてませんよ。……さっきは拒否しちまいましたけど」

「あれ、撤回するわ」

「そっスかー………………ええぇッ!? な、なんで……!?」

これまた仗助は驚愕。あの究極我儘自己中お姫様が、謝罪だけに終わらず今度は自身の交わした約束を自分から撤回するとは。
さては先ほど館での喧嘩の時、頭の打ち所が悪くて……

「んなワケないでしょーが! ……ちょっぴりね、嬉しかったから。
 アンタさっき言ってくれたでしょ。私たち『仲間』だからって」


比那名居天子という天人は『不良天人』と蔑称のように呼ばれてはいたが、曲がりなりにも名家の一族。
その裕福な家庭の一人娘である彼女の周囲の者はみな召使いばかり。
他の天人も見るのは彼女の『家系』ばかりで、天子自身の本質を見てくれる者などほとんど居なかった。
友達なんて居ない。お目付け人でもある永江衣玖は暇潰し役として嫌いではなかったが、そこに判然とした上下関係は存在する。

だから、だろうか。
仗助と最初に会ったとき、彼を迷うことなく使える手足とした。下僕のように扱おうとした。
自分こそが『上』だと理解させたうえで、そこでも天子は上下関係を発生させた。
しかしさっき仗助の口から放たれた『仲間』という言葉。これは天子を取り巻いてきた環境からするととても『新鮮』であった。

上下ではなく、自分を同列に扱ってくれる仲間。
立場を考えれば非常に失礼極まりないことを仗助は言ったはずなのだ。なのに、自分に生まれた感情は不快とは違う、清涼感のようなもの。
慧音やパチュリーたちとも便宜上、仲間として行動しているのかもしれないが、彼女らについては天子からしたら目的達成のために使える奴ら程度の感情。
そこに仲間意識は薄かった。何故なら天子は常に自分がナンバーワンだと信じているから。

だがこの仗助はそんな自分を本気で心配してくれ、本気で怒ってくれた。
そして当然であるかのように天子を『仲間』だと認めてくれたのだ。
唯我独尊を貫いてきた天子の心に、仄かな温かみが染み出した。この気持ちはきっと、悪くないものだ。
ちょっぴり嬉しかった、とは言ったが、本当はすごく嬉しかったのかもしれない。


だから天子も認めてみようと思ったのだ。
この東方仗助を、ひとりの『仲間』として。


「ってなわけで仗助。これからはアンタ、私の命令を聞くこともないわ。互いに、その……一緒に仲間として頑張っていきましょう」

「お、おうっス!(……あんまり命令を聞いた覚えもねーんだけど)
 まずはあのガトリング女から逃げ切って、そこから一緒に反撃していきましょーや!」


自然と二人は笑い合っていたのかもしれない。
少しだけぎこちなく、けれどもお互いを純粋に認め合った関係。
天子にとっては光り輝く、新しい世界のような。
仗助にとっては失いかけた温かみに、少し触れたような。







「痛っ―――!?」


微笑みを浮かべていた天子の表情が、苦痛に歪む。
仗助がどうしたと声をかける間もなく、天子は重力に引っ張られるように背後に引き摺られて行った。
背後――すなわち船の外。
事態を把握する前に、まずは天子を救出しなければ。
仗助の伸ばした腕が天子を掴むことは……出来なかった。

「きゃああああ!!?」

天子が『何か』に引っ張られるように船外へ飛び出し、その華奢な身体ごと空中を舞った。
一瞬の最中、よく見れば天子の腰の辺りから『糸』が伸びていた。
その糸の先端はボートの背後、波紋拡げるその湖上の上に佇む小船の上に繋がっている。

「まずは一匹目ェ!! 活きの良い獲物の一本釣りだッ!!」

「て、てめえいつの間に追いついてやがった!?」

襲撃者の乗る小船が既にボート背後まで差し迫って来ていた。
あんな小船が全速で走るモーターボートに追いついた? どうやって?
だが疑問はすぐに解消した。敵が天子を振り回しているその『釣竿』、あれはただの釣竿ではない。
人間ひとり空中をブン回せる釣竿があるものか。恐らく『スタンド』の一種だと仗助は判断する。

(あの釣竿みてーなスタンドの糸が……このボート後部に引っ掛けてそのまま小船ごと引っ張ってきやがったのか!)

何という力技。あの女はその腕一本支えて強引にボートに引っ付いてきたというのか。
そして今度はターゲットを天子に変えた。一人ずつ引っ張り出して攻撃しようという算段なのか。
だとしたらあのスタンドは仗助の所見によれば、中・遠距離型の『遠隔スタンド』。
懐に潜り込めれば勝算はあるが、奴はまだガトリング銃まで備えている。簡単に近づけさせてはくれないだろう。


「な、なによこの糸……って、きゃあっ!?」


ド ボ ォ ォ ン !!


そうこうしてるうちに空を舞っていた天子が湖に叩き落された。
瞬間、仗助の脳裏に嫌なイメージが浮かぶ。敵は天子を溺死させるつもりか!

「天子さーーーーーんッ!!!!」


迷っている暇はない。
仗助は走るボートを止めもせずに勢いよく駆けた!
陸までもう100mもないというというのに、状況は最悪だった。
天子の沈んだ水面に向かってダイビングのように飛び込む。だが神奈子もそれを易々と眺める馬鹿ではない。
待ってましたと言わんばかりに肩のガトリングを仗助に向けて構え、右腕一本のみを支えに撃ち込もうとする。

「へぇ……! 馬鹿なのかはたまた勇者か、身動きの取りづらい水中にわざわざ自分から飛び込むとはね!」

「馬鹿はてめーだ! 飛び込まねーと天子さん助けらんねーだろうが!!」

熱したフライパンに自ら飛び込んだオタマジャクシ。
今の仗助を表すならまさにそれだと神奈子は相手を評価した。
こちらには脅威の無痛ガンがある。ビーチ・ボーイとガトリング、その両方を同時に支えるなど神奈子にとって造作もない。

「行かせないよッ! 喰らいなッ!!」

仗助が着水すると同時、神奈子は機銃のトリガーを引こうとして――前方から鋭利な『何か』が飛んでくることを察知。
攻撃はすぐさま中断、回避行動に専念した。首筋を狙ってきたその飛び道具は目を凝らせば『ただの水』。
しかしクレイジーDの強力なパワーから弾き飛ばされたなら、ただの水飛沫でも切れ筋抜群な『水圧カッター』へと変化する。
ほんの数センチ首を動かしただけでそれを避けた神奈子だったが、仗助にとってはその一瞬が稼げれば充分。
視線を戻した神奈子の視界に既に仗助の姿はなく、ブクブクと浮かぶ気泡だけが水面に残っていた。

「アイツもスタンド使いだったか! そうはいくか!」

姿は見えずとも水面に機銃を斜めに向け、躊躇なく引き金を引いた。
湖面を激しく叩く散弾音が飛び込んだ仗助に向けられるも、数秒撃ち込んだところで神奈子は掃射を中断。
命中を確認出来もしない相手にこれ以上ブッ放すのは弾丸の無駄だと判断し、相手が二人とも水中にいるのなら丁度良い。
釣りとは水泳ぐ魚を捕獲するための行為だ。ならばビーチ・ボーイ以上に敵を捕らえるスタンドなど存在しない。

神奈子は一旦ガトリングを肩から下ろし、両の腕でしっかりとビーチ・ボーイを掴む。
髑髏型のリールにそっと耳をあて、水面下の状況を感じ取ることに集中した。
水中とは空気中以上に音の振動を捉える空間。直接視界に入らずとも、水中下の状況は手に取るように把握できる。

腕で水を掻き分ける音。
バタバタともがく音。

天子が浮かんでこないよう、ビーチ・ボーイの糸はしっかりと彼女を水底に沈めさせている。
糸は現在、天子の背部から体内に侵入。心臓破壊に向けて進んでいる。
しかしこの女、妙に身体が硬い。針の進行がいつもより遅い。
だがこのままなら、女の方は窒息よりも心臓を突き破った方が早そうだ。

そしてもがく女に近づいてくるハンバーグ頭の少年。
その距離約5メートル! やはり仕留めきれていなかったようだ。
一度ビーチ・ボーイに捕らわれた者は脱出は出来ない。身体をバラバラに分解でもしない限り。

ならば先に仕留めるのはまず女の方! このまま心臓を食い破ってやる!


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽




「モガボガ、グボボ……っ(な、なによこの糸、外れない!)」


水底で天子は苦しんでいた。
不意に体を引っ張られたと思ったら次の瞬間、空に投げ出され、そして瞬く間に湖の底まで沈められている。
背中に感じる気持ちの悪い違和感。痛覚と共に感じ取ったのは、あの女が操る釣り糸がこの天人たる自分の身体に入り込んでいるという窮地。

このままでは溺れ死ぬ。いや、それよりも悲惨な結末が待っているのかもしれない。
思うが早く、天子は背から伸びる糸を掴もうと腕を伸ばすが……

(つ、掴めないッ!? この釣り糸……『スタンド』! や、やば……っ!)

糸に触れない。あの女が持っていた釣竿はスタンドらしく、これは天子の対応外。
山の神がスタンド使いだという話は聞いたことがない。岡崎夢美のような『DISC』による能力者なのかもしれない。
とにかく、何とかしてこの糸を外さないことには泳ぐのもままならない。
だがどうする? 弾幕ごっこで負ける気はしないが、こんな状況に対応できるほど天人の能力は万能ではない。

死ぬ? 天人であるこの比那名居天子が?
こんな……こんな暗い水の底で、溺れ死ぬ?

(や、やだ! いやよ! 死にたくない! たす……っ 助けてっ! じょうす――)

声にしたくとも代わりに出るのは肺に残った僅かな酸素のみ。
息が出来ない。苦しい。
体内が痛い。苦しい。

天を仰ぎながら、視界がぼんやりと薄ぼけていく天子の瞳の中に、救世主は現れた。


「天子さんッ!! まだ生きてるっスよね!? 大丈夫ですかッ!」


自慢の髪を濡らすことも厭わず、湖底まで助けに来てくれた男は仲間・仗助の姿。
涙すら誘うその男気に天子は、まず罵倒で返した。

「ブッボボバカゴゴ! ブググぶくぶくッ!!(遅いわよばか仗助! 早くこの糸チョン切って!)」

「あーー? 何言ってんスか? 思ったより元気そうで安心しましたけど」

スタンドを持たない天子は水中での会話は出来ないが、もしあればこの状況下でもケンカが勃発していたかもしれない。
それほどに二人の会話は普段どおりから始まった。
しかしいくら天子に余裕はあっても、絶体絶命の状況は変わらない。

仗助は暴れる天子の傍まで潜ると、まずはスタンドの糸をクレイジーDで掴んだ。
こんな細長いだけの釣り糸、スタンドさえあれば一秒とかからずに切断できる。

「ドラァ!!!」

得意の掛け声が水中に轟き、クレイジーDの手刀は確かにその釣り糸を切断した。

切断――したはずだった。


「ぶ……カハ………ッ!?」


貫いた手刀は糸を透過し、ピンと張られたまま――依然、天子の身体に繋がったままだった。
代わりに天子が胸を押さえながら顔を苦痛に歪め、突然吐血した。
眼前が赤い色に染まっていく視界の中、仗助は何事が起こったのかを……すぐに理解することが出来た。

(……! この『糸』、ただの糸じゃねえ! せ、切断できねえ……!)


スタンドにはあらゆる能力がある。
仗助が今まで戦ってきたスタンドも、特定の状況下で恐ろしい能力を発揮する類の物は幾つも見てきた。
この糸も恐らく、一度捕まれば引き剥がすのは困難。物理攻撃は完全に無効化するようだ。
おまけにうっかり攻撃を加えたりすれば、その衝撃は糸を伝わり、ねっとり絡みついた体内の神経に跳ね返ってゆく。

そう。糸に釣られた者……天子へと攻撃は跳ね返る!

「天子さんッ!!! し、しまった……ッ!」

クレイジーDが放った衝撃を身体内部から一身に受けてしまい、頑丈さが取りえの天子もとうとう動かなくなってしまう。

そしてリミットは来た。天子の胴体に潜る針が、その急所――心臓に辿り着く。
糸の切断は不可能。引っ張ったってピクリとも動かない。
思った以上に厄介な代物を、この上なく厄介な場所で振り回す恐ろしい敵。


焦る。時間がない。
焦る。天子が死ぬ。
焦る。また仲間を守れない。
焦る。針が心臓に到達した。


「うおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」


暗い水の底で、男が吼える。
瞳を閉じた女の体を抱き寄せて。




ドグシャア!




そして。
少女の体が無情にも突き破られた。

小さな体の胸の中心から、赤黒い飛沫を破裂させながら。
冷たい輝きを反射する針が、背を突き破って現れた。


―――鮮血が、爆ぜて、混ざる。



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽




「一人、やったか」


湖上に浮かぶ小船の上で、神奈子は静かに呟いた。
ふぅ、と小さく息を吐く。
今度こそ、水を伝わって感じた糸の振動がその場で起こった全てを理解させてくれた。
確かに感じた、肉を抉り取る手応え。
天人の体内に侵入した針と糸は、その心臓を貫いて突き破ったのだ。


これで、二人目。まだ、二人目。
あの天人の少女よりも、神奈子が真に警戒するのは少年の方。
未知なる存在『スタンド使い』。あの少年の能力が未だに分からないからだ。
花京院典明プロシュートのような、神をも驚愕させるほどの精神力の持ち主がこの会場にはわんさかと存在する。

これで状況は1対1。そしてこちらには地の利や武器の性能差も味方している。
それでも神奈子は慢心しない。油断すればこちらがやられる。

ブクブクと気泡が上がってくると同時に、水面が赤に染まり始める。
相手が上がってくる前にビーチ・ボーイの糸を巻き寄せておく。次はこのガトリング銃でお前を迎えてやる。
さあかかってこいスタンド使いの少年よ。
仲間を殺された怒りを携え、この我を殺すつもりで攻撃してみせよ。
お前はどんな顔で歯向かってくる?
やはり怒りか。それとも悲しみか。
最期の間際まで闘争心を燃やし尽くす人間は、死してなお美しい。
獣にはない、人が進化を果てて至る境地だ。
我はせめて、お前のその生き様を見届けながらこの戦いに決着をつけるとしよう。
かつてプロシュートと鬩ぎ合った時のような、灰と化すほどの炎を漲らせてくれ。


「お前たちの亡骸は、我が陸の土に埋めてやる。流されたままではあまりに遣る瀬無いだろうからな」


水面から上半身を出した仗助に対し、神奈子はあくまで冷静に語りかけた。
殺す相手を土葬するというのも慈悲行為とは言えないが、第三者に死体を見られては殺害方法がばれるというのもある。
だがそれが神奈子なりの優しさだった。人の命には敬意を払う。それだけは神が忘れてはいけない尊厳だ。

肩に掛けたガトリングを仗助に向ける。引き金を引けば、後はそれで全てケリがつく。




「―――どうして殺した。アンタは、なんでヒトを殺すんだ」


男の両腕には、ぐったりと動かなくなった少女が横抱きに抱かれていた。
閉じた瞼は、二度と開くことはないだろう。少女の胸に塗れた血痕がその事実を物語っている。
その血痕が付着したのか、仗助の胸部もべったりと血で汚れていた。

「何か理由でもあるのか。それとも、理由すらない『殺人鬼』か」

男の声は思ったより冷静ではあったが、そこには確かに“怒り”の感情を含んでいる。
それを見据えた神奈子はひと呼吸置き、その艶かしい唇を滑らせるように動かし始めた。

「……神とは人を救うものだが、逆に人を脅かし祟ることもある。
 どんな神にも両面性はあるものだ。そう、あの主催者……幻想の神も例外ではない」

殺人鬼呼ばわりされては神奈子といえど否定はする。彼女とて好きで殺し回っているわけではない。
どこまでいっても人と神は千年前から変わらない。
身勝手で未成熟な人間。そんな人間たちに神は時折バチを与え、続くのはそれの繰り返し。
外の世界では当の昔に神は信仰されなくなってきているが、この幻想郷では違う。
この世界の最高神が設定した取り決めならば、神である神奈子に拒否権はない。

ただ浸かり、踊り、果たす。
そこに意味はあるはずで、けれど神奈子は深く詮索しない。

「そういうことだ。現代のただの人間が理解するにはあまりに非常識な世界だが……悪く思うな」

それで会話は終わりだという合図を、引き金に指を掛けることで伝える。
神奈子の話を聞いた仗助は当然、納得できない。できるわけがない。

「あんたら神が決めた勝手なルールで……天子さんは死んだって言うのかよ……!」

仗助に神奈子の言った内容は半分も理解できない。
文字通り、住む世界が違うのだ。神だとか信仰だとか、そんなわけのわからない言い分でゲームに乗る。
そんな彼女を理解できないし、したくもない。

確かなのは神奈子が天子を傷付けたことであり、仗助はそのことに対して許せないと思っていることだった。

ならばどうする。
ここで奮起し、この敵を再起不能にするのが最上か。
だが勝てるような状況にないことは仗助にも分かっている。悪魔の銃身はこちらに向けられているのだ。
こちらの手札に銃は無い。飛び道具は無い。先ほど使用した水圧カッターなど通用するはずもない。

こんな時、仗助は思うのだ。
幻想少女たちの遊戯が羨ましい、と。


「―――っていうか、ずりーっスよね~~~。あんたら幻想郷の住民が扱う『弾幕』とかいうの。
 一体どういう原理で何もない空中からビームなんか飛び出すんだ?
 おれにもその弾幕とかいうのが撃てたらよォーーー、こんな状況だとメチャ便利なんだがなーーー」


一転、雰囲気が変わったのは仗助の声のトーンだ。
どこかおちゃらけた様子にも見えるそれは、神奈子を内心困惑させるには充分の仕草。
この男に飛び道具というカードは無い。さっきみたいな水圧カッターは回避するまでもなく、弾丸掃射で撃ち落せる。
ならば恐怖で気でも違ったか……いや、もういい。会話は既に終えた。後はトリガーを引くだけ。


「あと、あの『スペルカード』っつの? あれゲームみたいでちょっとカッコイイよなァ~~~。
 もしかしてこの幻想郷ならおれなんかにも使えたり し・て 」


神奈子が指を引くその刹那。
絶望的状況にある仗助の顔は―――確かに笑った。これ以上ないほど憎々しく。
そして彼の唇は動き、物静かに宣告した。


「―――要石『天地開闢プレス』」


神奈子が聞いた声は、女のもの。
キラキラに透き通った、それでいて凜を感じる気持ちの良い声だった。
宣告と共に仗助の唇は動いていたが、今のは明らかに男の声ではない。仗助のはリップシンク、ただの口パクだ。
誰が放った言葉だ。誰の発した呪文だ。


いや、まさかそんなはずはない。
奴の心臓は皮膚ごと食い破った。即死のはずだ。
既に死んで―――


「「生きてるわよ(ぜ)ッ!! このバーーーカ!!!!」」


ガバリという擬音が聞こえてくる勢いで、仗助の腕に抱かれた天子はいきなり起き上がった。
二人とも「してやったり!」とほくそ笑む笑顔で神奈子を睨みつけている。

「なに……ッ!? お前、死んだフリを……!」

「騙しの手品だぜッ!」

女の方がなぜ生きてるかという疑問を解消する前に。
神奈子は先の言葉の意味をもう一度思い出し、口の中で復唱させた。

(女が叫んだ台詞……スペカか!?)

神奈子はスペルカードルールに慣れていない。
故に死体のフリで言い放った天子の言葉が『必殺のスペル』だと気付くのに数瞬を必要とした。
機銃を撃とうと指に力を入れるも、時すでに遅し。

神奈子の足元から影が広がり、それは小船全体を一瞬で覆った。


「上か―――「ドボオオォォォン!!!!!」―――!


天子の召喚した巨大な要石が、神奈子ごと小船に墜落する!
上空から巨大要石を突き落とすスペルカード。死角から放った攻撃は完璧にキマッた!

「グレートッ! 天子さん、惚れ惚れするくらいナイスな死体役っスよ!!」

「棺桶を開けてみれば生者なり。思いもよらないことというのは物事の最後まで付き纏うもの。
 ましてやそれが殺したはずの死者だと思い込んでいれば、より始末に悪い。結局はアンタ、油断していたってワケよ」

勝ち誇るかのように二人は水面でハイタッチを交わした。
イタズラに成功した幼子のような表情で、策は成功。神奈子の不意をうてた。


二人が弄した策とは、とても簡単なこと。
針が天子の心臓を食い破る直前、仗助のクレイジーDは天子の腹を拳で突き破った。
糸が切断できないならば、体の内部から引っこ抜けば良い。仗助は天子の腹部を貫きながら体内の針を掴んだのだ。
そしてクレイジーDの治癒力は、天子に痛みを感じさせる暇もなく“貫きながら治療した”。仗助の能力なら容易いことだ。
かつて祖父の仇、アンジェロのスタンド『アクア・ネックレス』が母の体内に侵入した時のように、体内からそのまま糸を引っ張り出した。
針が心臓を食い破るのと同時に腹を貫けば、湖上の神奈子にも『天子の心臓を破った』と錯覚させられる。
あとはさも仲間を殺されたように演技しながら水上へ顔を出せば、敵の不意をうてる寸法である。
流石に説明無しで仗助に腹をブチ抜かれたのは、天子といえど大抗議ものだったのだが。


「で、仗助。この後が問題よ。今のであの山の神を倒せたとも思えない。
 ボートは私たち置いてとっくに陸まで行っちゃったし、どうするっていうの? 泳いで逃げる?」

「ちゃんと考えてありますよ天子さん。それに銃器ってのはとてもデリケートな代物です。
 水に叩き落せばあの厄介なガトリングも、威力や命中精度はガタ落ちするはずで―――」


「―――誰を何処に叩き落したって?」


要石が墜落した衝撃で舞い散った水飛沫の中から、威厳ある女の声が響いた。
奴の乗っていた小船はバラバラ。ならば当然あの女も湖に落ちたものと仗助は予想していたが……

「……天子さん。何であの女、水の上に立ってるんですか」

「まあ神様みたいだし、出来るでしょ。そのくらい」

水中をあっぷあっぷしている神奈子の姿を仗助はイメージしていたが、期待はハズレ。
どういう原理かで、神奈子は湖に立っていた。足の裏でしっかりと。
ジジイにもその昔、水の上を歩けたと自慢されたことを仗助は思い出す。年寄りのボケた戯言だと聞き流していたが。

「なに化かされたような顔してるんだい? 御神渡りくらい神なら出来て当然じゃないか。
 こういうのはどっちかって言えば諏訪子の得意分野だけど、外界の聖人にも湖の上を歩いたって逸話があるじゃない」

神奈子が再びしっかりとガトリングを向けながら言った。気のせいか、その顔はどこか得意げだ。
どうやら幻想郷の住民は思った以上に規格外の存在らしく、仗助は彼女たちの認識を改めた。

「神様に一杯食わせるとは、あんたらも中々やるね。でも、手品のタネはもう尽きただろう?」

天子のスペカもほとんど効いていない。まさしく規格外と呼ぶべき実力だ。
今度こそ何も出来ない。攻撃なんてさせてくれるわけがない。

「タネが尽きた……? いやいやそれはどうっスかねぇ~~~? まだ残った策はあると思うんですがねーー」

周りには何もない湖のど真ん中。向けられたガトリング銃。反撃の隙も見出せない。
その状況で仗助はまだ笑うことが出来た。それは決して諦めの境地ではない。
歴とした最後の一本道が残されているからだ。



「ど、どうするのよ仗助……! 今度こそアイツは油断しないわよ……! まだ残った策があるって言うの?」

「ああ……たったひとつだけ残った策がありまっせー! とっておきのヤツがな!
 この手に握った操縦桿を見ろ! おれがさっきボートから飛び込む前にへし折っといた奴っす!」

「ボートの……? 何のために? たったひとつの策って何よ仗助!」

「フフフフフフ」

仗助のニヤついた笑みが天子をゾッとさせる。
それと同時に、仗助の体が水面から浮き上がるようにふわりと浮き始めたではないか。
この男に幻想少女のような飛行能力は無い。あるのは『治す』能力だけ。ならばこの現象は――!


「天子さん! おれに掴まってください!」

「な、なになに!? 何するのよ!」



「逃げるんスよォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

「きゃあああああああーーーーーーーーーーーーーーッ!?」



二人の体は空に浮き上がり……次の瞬間、物凄いスピードでバック方向に飛んでいく!
高らかな二重奏の叫び声が湖中に拡がった。

「なに!?」

「おれのクレイジー・ダイヤモンドにはこーんな使用方法もあるんスよ!
 あらかじめボートを止めずに陸まで走らせていたのはこうするためだぜッ!」

仗助の手の中にある操縦桿は、陸まで進んだボートの所へと『直り』に戻る。
それに引っ張られ、仗助と天子の体はまるで水上スキーのように後方へ滑りながら飛んだ。
今まで何度もお世話になったクレイジーDの復元による移動術だ。

そうはいくかと神奈子も銃で撃ち落とそうとするが、二人の姿があっという間に小さくなるほどのスピード。今更撃ったところでもう遅い。


完全に逃げられた。またしても一杯食わされたのだ。


「アッチャ~~。なんて逃げ足、いや飛行速度?の速いヤツらだい……。これじゃマヌケは私じゃないか」


湖の上で消沈する神奈子だったが、嘆いていても仕方ない。
少年のスタンド……『クレイジー・ダイヤモンド』とか言っていたか。
一体全体、何の能力だ? あの天人は確かに仕留めた手応えはあったんだが……
治癒能力? じゃあ今のびっくりマジックはどういうわけだ?

「あーーーダメだわからん。スタンドってのはどうにも理解不能なところあるわねぇ」

頭をムシャクシャ掻き毟ってもわからないものはわからない。
だが、敵の飛んでいった方向はわかる。追いつけないこともないだろう。
自分の情報がばら撒かれても面倒くさい。どうせ参加者は全員倒さなくてはならないのだ。


奴らは追跡して仕留める。このまま湖を渡って。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


【D-1 エア・サプレーナの湖上/午前】

【八坂神奈子@東方風神録】
[状態]:体力消費(小)、右腕損傷、早苗に対する深い愛情
[装備]:ガトリング銃@現実(残弾70%)、スタンドDISC「ビーチ・ボーイ」@ジョジョ第5部
[道具]:基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:主催者への捧げ物として恥じない戦いをする。
1:『愛する家族』として、早苗はいずれ殺す。…私がやらなければ。
2:洩矢諏訪子を探し、『あの時』の決着をつける。
3:あの二人を追跡する。
[備考]
※参戦時期は東方風神録、オープニング後です。
※参戦時期の関係で、幻想郷の面々の殆どと面識がありません。
 東風谷早苗、洩矢諏訪子の他、彼女が知っている可能性があるのは、妖怪の山の住人、結界の管理者です。
 (該当者は、秋静葉、秋穣子、河城にとり、射命丸文、姫海棠はたて博麗霊夢、八雲紫、八雲藍、橙)
※仗助の能力についてはイマイチ確信を持っていません。




「―――仗助……? アンタどうしたの!?」


二人が無事、陸まで逃げ切れたのも束の間。
上陸した途端に仗助が突如膝をついたのだ。その額にはびっしょりと汗が流れていた。

「……や、ちょっとした掠り傷っス、よ……こんなモン……!」

言葉とは裏腹に仗助の腹からは多量の血が流れ出ている。
天子は大きく動揺した。いったい“いつ”血を流したのか。攻撃を喰らっていたのか。

おかしいとは思っていたのだ。
天子の腹を破った傷が完璧に治されたなら、どうして自分の服にはいまだ血痕が付着しているのか?
この血痕があったからこそ死体のフリに説得力を出せたし、神奈子を騙すことも出来た。

そして気付く。自分に付着したこの血は、自分のものではない。
仗助が流していた血だったのだと。

「私……!? 私を助けるために水中に潜った時に、アイツの弾が当たっていたのね!?」

だとすれば自分はなんて情けないのだろうか。
仲間の負傷には気付かず、策が成功して子供みたいに笑っていたのだから。
こんな傷を受けて水に潜るなんて、本当に無茶する男だ。

―――仗助はずっと、我慢していたのだ。

「天子さんの、せいじゃ……ねぇ……! ちょっとした掠り傷って、言っただろう……っ!」

敵に負傷を気付かれたくなかったためか、自分を心配させないためか。
何故自分はそこに気付いてやれなかったのか。

己の無力さに、拳が震える。

「この……馬鹿仗助!! どうしてアナタはいつもそう――!」

思えばこの男はいつもそうだった。
自分よりも先に他人を気遣う男。優しすぎる人間。
今回もその性格が災いしたとでもいうのか。

(違うッ! こんなの私が不甲斐ないせいじゃない!!)

自分の失態で仲間が傷付くなんて、天子にとっては屈辱以外の何者でもない。
自分が何とかしなければ。今、仗助を救えるのは自分だけだ。



「とにかくここをすぐに離れるわよ! アイツが追ってこない場所まで逃げて、アンタの傷治療しないと……!」

焦りながらそう言い、天子は仗助に背を向けて屈んだ。

「………なにやってんすか……天子、さん」

「私がおぶってやるって言ってんのよ! その傷じゃあ歩けっこないでしょ! さっさと背中に乗って!」

微妙に嫌がる仗助を半ば強引に背負い、天子は全速で駆けた。
汚れるのは大嫌いだが、血が付着するのも構わずに走った。
すぐに手当てしたいところだが、近くにはまだあのガトリング女がいる。仗助が負傷した今、追いつかれたら今度こそ全滅だ。
本来なら陸に上がったところであの敵を迎え撃つつもりでいた。あのまま戦闘を放棄するのはやはり気に喰わないし、この場所なら存分に暴れ回れる。

しかし状況が変わった。仲間の命だけは……仗助の命だけは助ける!


「天子さん……すま、ねえ。ちぃっと……眠くなっちまった…………」

「少し寝てなさい!! ていうか死ぬんじゃないわよ!! 絶対、絶対死なないでよッ!!」


耳元で仗助のか細い囁きが小さく響き、それきり動かなくなった。
とりあえず気絶しただけらしく、天子は少しだけ安心した。

全く、どこまでも世話が掛かる。
どこか休める場所に行って手当て出来たら、まずは殴ってやろうか。
大体どうしてコイツの能力は自分自身には使えないんだろう。
ふと過ぎったその疑問は、すぐに自分で解消した。

『自分よりも他人』。
仗助を表すその優しい性格が、きっとそんな能力を発現させたのだろう。


仗助の“仗”という文字には『護る』や『頼りにする』という意味があることを、天子の持つ知識にある。
そんな優しく頼り甲斐のある男に成長するよう願いを込めて、親から付けられた名前なのだろう。

ならば彼の誇りを、天子は守ってあげたいと思う。
思えば誰かのために何かをしてあげたいと思ったことは初めてかもしれない。


(今は、今だけは――仗助を護るのはこの非想非非想天の娘……比那名居天子よ!)


天子の心には、そんな小さな『光』が灯り始めた。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


【D-1 エア・サプレーナの湖 西の湖畔/午前】

【東方仗助@ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない】
[状態]:気絶中、腹部に銃弾貫通、出血、びしょ濡れ
[装備]:なし
[道具]:基本支給品×2、ゲーム用ノートパソコン@現実 、不明支給品×2(ジョジョ・東方の物品・確認済み。康一の物含む)
[思考・状況]
基本行動方針:殺し合いの打破
1:気絶中。
2:霊夢と紫を探す・第一ルートでジョースター邸へ行く。
3:吉良のヤローのことを会場の皆に伝えて、警戒を促す。
4:承太郎や杜王町の仲間たちとも出来れば早く合流したい。
[備考]
※幻想郷についての知識を得ました。
※時間のズレ、平行世界、記憶の消失の可能性について気付きました。
※比那名居天子との信頼の気持ちが深まりました。
※デイパックの中身もびしょびしょです。


【比那名居天子@東方緋想天】
[状態]:心に芽生えた小さな『光』、霊力消費(小)、びしょ濡れ
[装備]:木刀@現実、LUCK&PLUCKの剣@ジョジョ第1部、龍魚の羽衣@東方緋想天、百点満点の女としての魅力
[道具]:基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:殺し合いに反抗し、主催者を完膚なきまでに叩きのめす。
1:ガトリング女から逃げて、仗助の手当て。
2:霊夢と紫を探す・周辺の魔力をチェックしながら、第一ルートでジョースター邸へ行く。
3:これから出会う人全員に吉良の悪行や正体を言いふらす。
4:仗助を信頼し合う『仲間』として認める。
5:殺し合いに乗っている参加者は容赦なく叩きのめす。
6:吉良のことは認めてない。調子こいたら、即ぶちのめす。
7:紫の奴が人殺し? 信じられないわね。
[備考]
※この殺し合いのゲームを『異変』と認識しています。
※東方仗助との信頼の気持ちが深まりました。
※デイパックの中身もびしょびしょです。

※D-1 エア・サプレーナの湖 西の湖畔の陸上にはボートが一艇転覆しています。


123:行くぞ! 俺たちの旅立ち 投下順 125:賢者の意志
123:行くぞ! 俺たちの旅立ち 時系列順 125:賢者の意志
119:スウィートビター 東方仗助 148:相剋『インペリシャブルソリチュード』
119:スウィートビター 比那名居天子 148:相剋『インペリシャブルソリチュード』
115:Mountain of Faith/Face of God 八坂神奈子 148:相剋『インペリシャブルソリチュード』

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最終更新:2016年10月07日 15:48