第9章 ディープ・エコロジー
1 エコフィロソフィー
倫理・道徳の根幹には「宇宙論」が存在する
→価値観を変換しようという要求が哲学・宇宙論に行き着くのは当然
1 エコフィロソフィー
倫理・道徳の根幹には「宇宙論」が存在する
→価値観を変換しようという要求が哲学・宇宙論に行き着くのは当然
ヘンリック・スコルモフスキー
※現代の重要な倫理学体系=「土地倫理」+「生への畏敬」+ガンジーの非暴力
- 行動は価値観に、価値は哲学に、哲学はコスモロジーに基づく
=ライフスタイルの変化とともに、道徳性・合理性・概念的な思考の変化が必要
→新しい合理性(=コスモロジー、宇宙論)が求められる
→新しい合理性(=コスモロジー、宇宙論)が求められる
- 過去においてはエコロジーとヒューマニズムは対立していたが、エコフィロソフィーから、導き出されるのはエコロジカルなヒューマニズム
- 「自然の権利」派とディープ・エコロジーの間に位置
→「自然の権利」派より内面に踏み込んでいるが、宇宙論を超えた人間性変革まではいきついていない
- ディープ・エコロジーには批判的
※エコフィロソフィーとディープ・エコロジーの違い(ウォーイック・フォックスによる)
=道徳的つとめを求めるか否か
=道徳的つとめを求めるか否か
- エコロジー理性が効力を発揮しないのはプロテスタンティズムの影響
- 社会の文化的形態にとっての基本前提は宗教的シンボル化のうちに求めるべき
※新しいエコロジー的宗教の必要性を説いているわけではない
リチャード・A・ベアー・ジュニア
- 「人間は自然の主人であり、神は人類の主人である」
→人間が神の創造した構成物の運命を決めることはできない
- 「神は自らが創られた世界を好んでおられる」
→自然は神にとって固有の価値がある
⇒スチュワード精神の思想は精密な理論構成をもつものに
⇒スチュワード精神の思想は精密な理論構成をもつものに
スチュワード精神を環境保護思想とする=保守的・伝統的なキリスト教思想の枠組みでの対応
⇔キリスト教を再構築しようとする動き
=プロセス神学(生態学的神学):自然を保護するという点において人間は神のパートナー
⇔キリスト教を再構築しようとする動き
=プロセス神学(生態学的神学):自然を保護するという点において人間は神のパートナー
ジョン・コップとディヴィド・グリフィン
- プロセス神学を発達させたのはこの二人(マーチャント)
- キリスト教の主流はエコロジー的でない、現在のエコロジー運動の大半はキリスト教的でない
- 原始宗教や東洋宗教にも環境保護の倫理的根拠を求めない
- 過程哲学こそがエコロジー的な倫理と社会正義と持続可能性を含んでいる
※過程哲学
- 「事物間の、特に有機体とその全循環との間の相互連関」
- 「他の被造物に対する尊重あるいは尊敬、そしてたぶんそれらとの類縁性」
→すべてのものは宇宙に不可欠な存在、宇宙はすべて過程すなわち相互作用から為る
3ディープ・エコロジー
ディープ・エコロジー
=全体論をより哲学的にとらえ人間の内面での自然(宇宙)との一体化を図ろうとする
↑類似の思想は以前から存在、
=カリフォルニア・ニューエイジ(グレゴリー・ベイトソン、フリッチョフ・カプラ)、
晩年のシューマッハ、ヘイゼル・ヘンダーソン
ディープ・エコロジー
=全体論をより哲学的にとらえ人間の内面での自然(宇宙)との一体化を図ろうとする
↑類似の思想は以前から存在、
=カリフォルニア・ニューエイジ(グレゴリー・ベイトソン、フリッチョフ・カプラ)、
晩年のシューマッハ、ヘイゼル・ヘンダーソン
アルネ・ネス
- 1972年「浅いエコロジー運動と、射程の長い深いエコロジー運動」
=個々の問題への技術的対応限界の指摘、精神性は強くない
- 1973年、ディープ・エコロジー提唱
⇔シャロウ・エコロジー=法的・制度的に対応、根本解決に至っていない
- 3つの意味がある(フォックス)
「形式的な意味」:問いを深めていくことこそが、ディープ・エコロジーの形式
=「他の人びとが問わないような“なぜ”と“いかに”を問うこと」
「一般的な意味」:具体的特徴を示すもの、
ディープ・エコロジーの八原理(ネス、セッションズ)P185参照
一般的なディープ・エコロジー理論(海上による?)P186参照
「哲学的な意味」
=「他の人びとが問わないような“なぜ”と“いかに”を問うこと」
「一般的な意味」:具体的特徴を示すもの、
ディープ・エコロジーの八原理(ネス、セッションズ)P185参照
一般的なディープ・エコロジー理論(海上による?)P186参照
「哲学的な意味」
- 思想的源=キリスト教、仏教、アメリカ先住民族など。P186参照
→狩猟を肯定するレオポルドと殺生・肉食禁止の仏教が一緒になるなど雑多な観は否めない
⇔「ディープ・エコロジーの場合、
プラットフォーム原則は1つでも、これを支える根本原理は多様」
⇔「ディープ・エコロジーの場合、
プラットフォーム原則は1つでも、これを支える根本原理は多様」
- ディープ・エコロジーが特別である理由=道徳的な義務の否定と自己感覚の拡大(フォックス)
4ディープ・エコロジーの多様な展開
運動的な側面
哲学としてのディープ・エコロジー=狭義、運動としてのディープ・エコロジー=広義
→ネス自身がこの2つを使い分けている
ネスの哲学体系=スピノザ+ガンジー(政治運動、大衆と一体化)
→「自然と一体化」(ローザックが強調)
※政治・経済の面では、ネスはシューマッハの影響を大きく受けている
ディープ・エコロジーの具体的提言
運動的な側面
哲学としてのディープ・エコロジー=狭義、運動としてのディープ・エコロジー=広義
→ネス自身がこの2つを使い分けている
ネスの哲学体系=スピノザ+ガンジー(政治運動、大衆と一体化)
→「自然と一体化」(ローザックが強調)
※政治・経済の面では、ネスはシューマッハの影響を大きく受けている
ディープ・エコロジーの具体的提言
- 小規模な地域共同体、「緑の社会のユートピア」は直接民主制を指向する(ネス)
- 共産主義よりも非暴力の無政府主義⇔戦争下では政治機関の維持が不可欠
⇒具体的政策には程遠い
トランスパーソナル・エコロジー
フォックス:ディープ・エコロジーという名称は誤解を招く
→トランスパーソナル・エコロジー
=トランスパーソナル心理学に由来
・自我を狭義にとどめず周辺も含んだ「大我」にまで拡大させた心理学
・自己を一個人の肉体の内側から拡大させ周囲と自己同化
・自己同化=自分たちと周りの世界とが、密接に結びついているという事実に対する自然な心理学的反応
トランスパーソナル・エコロジー
フォックス:ディープ・エコロジーという名称は誤解を招く
→トランスパーソナル・エコロジー
=トランスパーソナル心理学に由来
・自我を狭義にとどめず周辺も含んだ「大我」にまで拡大させた心理学
・自己を一個人の肉体の内側から拡大させ周囲と自己同化
・自己同化=自分たちと周りの世界とが、密接に結びついているという事実に対する自然な心理学的反応
トランスパーソナル・エコロジー
- 「自然」「地球」との自己同化
- 自己同化には3つの基盤
=「個人的」自己同化、「存在論敵」自己同化、「宇宙論的」自己同化 P207注20~22参照
- 一般的には「個人的」自己同化だが、できるだけ他の2つのほうがいい
⇒トランスパーソナル・エコロジー=ニュー・エイジの思想の側面を特に強調したもの
=ディープ・エコロジーそのものというには抵抗、独立したものとして扱うべき
※同じことはトマス・ベリーのエコロジー神学にもいえる
=ディープ・エコロジーそのものというには抵抗、独立したものとして扱うべき
※同じことはトマス・ベリーのエコロジー神学にもいえる
二つのガイア論
レオポルド以来のエコロジー思想の伝統で言えば、
個人が拡大して一体化するのは、食物連鎖の拡大した全地球領域
→「ガイア」論はレオポルドの系譜にあるディープ・エコロジーの科学
※ラヴロックにはレオポルドの直接的影響はみられない
ペパはー「ガイア」論とディープ・エコロジーを同一視、多くのディープ・エコロジストが「ガイア」論を引用するが同一視するのは無理がある?
レオポルド以来のエコロジー思想の伝統で言えば、
個人が拡大して一体化するのは、食物連鎖の拡大した全地球領域
→「ガイア」論はレオポルドの系譜にあるディープ・エコロジーの科学
※ラヴロックにはレオポルドの直接的影響はみられない
ペパはー「ガイア」論とディープ・エコロジーを同一視、多くのディープ・エコロジストが「ガイア」論を引用するが同一視するのは無理がある?
ジェームズ・ラヴロック
- 「ガイア」論を提唱
- 生命形態の特徴はエントロピーの減少
- 生命の発生・維持に適した環境が地球にあること自体が地球が生命そのものであることを示唆
- 地球は絶妙なバランスによって生態系システムを維持しており、生命の存在が偶然のものとみなすよりもある種の意図が働いていると考える方が合理的
※比喩として、樹木の例P191参照
- ガイアの進化はシステムの進化であり、ガイア・システムの進化は生命の相互作用によるもの
→出発はもっとも原始的なバクテリアなので、もっとも重要な存在は微生物
- もっとも重要なものは表面にはなく、湿地や湿原、大陸棚の泥の中に隠されている
- 現在の北半球の工業化程度ではガイアは致命傷に至らない
- 『地球生命圏』では楽観的だったが、『ガイアの時代』(1988)では悲観的なニュアンスに
→湿潤地帯の森林と大陸棚の生態系破壊が進んだため
- 世界人口が5億人なら大丈夫だが、現状では生活水準を維持するのは無理
- ガイアは非情な存在(ペパー)、人間が科学力を駆使してガイアを守るべき
※ジョセフ:地球にもツボがある
- 科学者であり、原理主義には否定的
→しかし、ディープ・エコロジストの支持を集める
ゴールドスミス
- ガイアと一体化したものとして「土俗社会」やアジア社会を高く評価
- 人口問題に関しては、一般的なディープ・エコロジストと意見が違う
グレゴリー・ベイトソン
- 地球を1つの生命体としてとらえるが、重視されているのは情報
→エコロジー=精神システム
- 精神と物質は同じ一つの宇宙的プロセスの異なった側面を表しているのに過ぎない
- 精神とはコミュニケーション・システムであり、情報の流れ、ある特定の複雑さの必然的結果
→進化とは精神の過程、地球全体は巨大な精神システムであり生命
※情報=差異の知らせ、生命プロセスの一部
※情報=差異の知らせ、生命プロセスの一部
東洋思想との関連―タオ自然学
フリッチョフ・カフラ
フリッチョフ・カフラ
- ディープ・エコロジーの東洋思想的な面に注目
- 「物理学のタオ(道)は、スピリチュアルな知識と自己実現へと向かう心のタオたり得る」
- 東洋の賢者は、物事を説明することには興味を示さず、万物の合一の直接体験に関心
- 東洋思想のテクニックは、思考を停止、合理的な意識を直感的なものに転換
⇔モデルを多用するヨーロッパでは限界が露呈
- 『ターニング・ポイント』においてホリスティックでエコロジカルなパラダイムの必要性
- 「意識の進化」、進化は常に選択の自由を与えてくれる
ディープ・エコロジーの実践
ディープ・エコロジーにも外側での活動は必要(ネス)
ディープ・エコロジーにも外側での活動は必要(ネス)
ジョアンナ・メイシー、ジョン・シード
- ディープ・エコロジーと合致した外的活動の実践
- 「スピリチュアル・エコロジー」(マーチャント)
- 「全生命の集い」というかたちで、「山の身となって考える」ことを実践
=「絶望と再生」とディープ・エコロジーをあわせたもの
- 人びとが環境問題に無関心・無気力なのは正しい情報がもたらす絶望を恐れているから
- 「嘆き悲しむこと」「思い出すこと」「他の生物になりかわって語ること」
- 仏教を重視→地域開発運動『サルボダヤ・シュラマダーナ』を高く評価
=開発の基本は自力更生
スピリチュアル・エコロジー
ジム・ノルマン
ジム・ノルマン
- 独自のディープ・エコロジー思想にスピリチュアル・エコロジーという名を使用
※メイシー、シードのものとは異なる
- 既存ディープ・エコロジーとアメリカ先住民族の思想との折衷的なもの
- 自然界でのフィーリングとヒューマニズムに注目
- 先住民族のしていること=文化と「動物の権利」が対立
→人間と動物はより大きな生態学的コミュニティにおいて共存している
- 環境保護も相手の立場を思いやるものでないといけない
- 環境の危機は知覚の危機、知覚の危機は環境保護活動家をも覆っている
→「動物解放」を批判、「獲物への感謝」が大切
ディープ・エコロジーへの批判
ウォーイック・フォックス:批判の多くは誤解に基づく
※動物解放、生体駅保存論、ネオ・マルサス主義と混同していることも多い
⇔フランソワ=ベルナール・ユイグ:「知的にきちんと組み立てられた唯一の批判」
ウォーイック・フォックス:批判の多くは誤解に基づく
※動物解放、生体駅保存論、ネオ・マルサス主義と混同していることも多い
⇔フランソワ=ベルナール・ユイグ:「知的にきちんと組み立てられた唯一の批判」
ウィリアム・グレイ
- 「内的緊張」=エコロジカルな世界観の醸成と科学の位置と姿勢の関係、を指摘
⇔科学への姿勢を正しく理解していない(フォックス)
リチャード・ワトソン
- 理論としての体をなさない「内部矛盾」、人間の自由を剥奪するかもしれない点を指摘
⇔ワトソン自身が自由の拘束を恐れているだけ(フォックス)
オルストン・チェイス
- 野生動物保護問題についてディープ・エコロジストたちが不干渉
ヘンリック・スコルモフスキー
- 強権政治に見られる弾圧がある
ブクチン
※必要となる中枢機関は共産主義政権に近くなる(ネス)
人口問題について
- 社会派:人口問題は「神話」、真の問題は資源配分
→ネス、エーリック、ハーディンへの批判
- リュック・フェリ:90パーセントを削減すべき(ウィリアム・エイキン)を批判
- スコルモフスキー、ブクチン:強制的人口政策に結びつくことへの恐れ
※原理主義の視点があるが、インドや中国は古代より人口が密
グーハ
- 「東洋の伝統の読み方はつまみ食い的」
- ガンジー評価に疑問
まとめ
- ディープ・エコロジーは環境問題を根本から解決するもの
- 具体策がないのが弱点
